爽やかで青々とした風が頬を撫でる。照り付けるような日差しの中で火照った身体を冷やす様に、涼しくて心地の良い風だ。
なんとなく周りを見てみると、そこには様々な遊具があった。砂場や滑り台、ジャングルジムやターザンロープなどなど、子供の頃に実際に遊んだものや、遠巻きに眺めるだけで使ったことがないものなど、その種類は多岐にわたる。とても広い公園に居るようだった。
どこかで見た気がするような子供たちが、楽しそうに和気あいあいと遊んでいる。遊具で遊ぶ子供もいれば、広い公園を走り回り鬼ごっこに興じる子供もいて、皆一様に笑顔を浮かべている。
とても賑やかで騒がしいはずのそんな公園で、だけど彼らの声はノイズのようにぼやけてハッキリと聞き取ることができない。まるで俺だけが同じ場所にいるにも拘わらず別の世界に隔離されてしまったようで、それを認識した途端にたまらなく不安になってくる。
急いで彼らに駆け寄って、仲間に入れてと言おうと思った。だけど俺の意に反するように身体は緩慢にしか動かない。全力で走っているはずなのに、まるで水の中でもがいているようにのろのろと進むことしかできない。
全力で叫んでも彼らは俺に気づかない。彼らは俺を認識していない。
怖くて、不安で、どうすればいいのかわからなくて、膝を抱えてうずくまった。
「どうしたんだい?」
「大丈夫?」
ふと聞こえてきた優しい声に顔を上げると、そこには父さんと母さんがいた。
心配そうに俺の顔を覗き込んで、手を差し伸べてくれる。なぜだかそれがたまらなく嬉しかった。
俺は目の端に溜まった涙を手の甲でぬぐい取って、母さんの手を取って立ち上がった。
そういえば俺は、なにが悲しくて泣いていたんだろう?
それに、なにかおかしいような気がする。父さんと母さんってこんなに……、こんなに、なんだっけ?
わからない。わからないけど、父さんたちが迎えに来てくれたんだからもういいや。
「お嬢ちゃんはどこから来たのかな?」
「お父さんとお母さんはどこに居るの?」
……? 父さんたちは何を言ってるんだろう? 俺は水上良一だ。お嬢ちゃんなんかじゃないし、父さんと母さんなら目の前に居る。
「ああ、良一の友達だったのか」
「あの子ったら、こんな可愛いガールフレンドを置いてどこ行ったのかしら?」
ちがう! ちがうよ! 俺が良一だよ! 俺は男の子だよ! 父さんたちの息子だよ!
「うふふ、面白い冗談ねえ。でもほら、あなたはこんなに可愛いのよ?」
母さんが可笑しそうに笑いながら鏡を取り出して俺を映して見せた。その鏡には、宝石のように綺麗な緑色の髪をツインテールにした、どこからどう見ても美少女と言うほかない女の子が映っていて、俺がそれに驚けば、鏡に映った女の子も驚いたような表情を浮かべた。
なんだこれ? 違う! 違う違う!! 俺が! 俺が水上良一なんだ!
「困ったなぁ、小さい子の考えてることはよくわからないよ」
「そうだわ、良一を探して連れてきましょう。そうしたらきっとこの子も落ち着くわ」
母さんはちょっと待っててねと優しく微笑んで、父さんと一緒にどこかへ歩いていってしまう。
それを必死で、全力で追いかけようと足を動かしているのに、進まない、届かない。
待って! 待ってよ! 俺だよ! 俺はここにいるんだ! 信じてよ!
あふれ出る涙で視界が滲む。ごしごしと目を擦ると、視線の先にはもう父さんも母さんもいなかった。
俺は広い家の中で、たった一人ぽつんと立ち尽くしていた。
「にーちゃ? どこぉ?」
どこからか、小さな女の子の泣きそうな声が聞こえた。
……そうだ。俺には10歳も年の離れた妹が居るんだ。
父さんも母さんもいないんだから、俺がしっかりしなくちゃ……。
あいつには俺しかいないんだから……。
自分の部屋を飛び出してリビングに向かうと、小さな妹がお人形やブロック、スケッチブックなどを散乱させて泣き出しそうにしゃくり声をあげていた。
大丈夫、大丈夫だ。兄ちゃんが一緒にいる。だからもう寂しくない。
「にーちゃじゃないいいぃぃ! わあああああん!!」
リビングに現れた俺を見て、妹は一瞬きょとんしてから大声で泣き始めた。
そういえばこのころは人見知りが激しくて、知らない人と二人きりになるといつもこうだった。
兄ちゃんなんだ! 俺もよくわかんないけど! 俺が兄ちゃんなんだ!
「えええええええん!」
泣き止まない。それどころから一層激しく泣き始めた。
知らない人に大声で怒られたと誤解しているのかもしれない。
だけど、俺は……!
「はいはい、どうされました?」
妹の泣き声を聞きつけて、お手伝いさんが様子を見に来たようだった。
黒い絵の具で塗りつぶされたように、顔のないお手伝いさん。
いつも家にない父さんと母さんは、家政婦を雇って俺たちの面倒を見させていたんだ。
「おや? どちらさまですか? 良一くんのお友達?」
俺が良一なんです! なんでかわからないけど女の子になっちゃってるんです!
「なるほど、それは大変ですね。でも、友達を呼ぶなら事前に言っておいてもらえないと困るなぁ」
ここにはいない誰かに向けて愚痴るように家政婦さんは呟いた。
それはつまり、この人も俺が良一だということなんて少しも信じていないということで、表面上子供の戯言に話を合わせてあげたというだけなのだろう。
誰も、誰も信じてくれない! 俺が水上良一なのに! どうして!
誰も知らない、水上良一ではない誰かとしてこの家に居るのが辛くて、苦しくて、俺はいつの間にか駆け出していた。
気がづいたら辺りは真っ暗で、分厚い雲で月の明かりは届かなくて、住宅街なのにどこの家も電気がついてなくて、闇の中に一人取り残されてしまったみたいで……、孤独で、怖くて、どうしようもなくて……。
「うぅ……ぅぅぅぅぅ……」
泣きながら、それでも歩いた。
立ち止まって泣いていても、きっともう父さんと母さんはやって来ない。
違う。父さんと母さんは最初から俺に興味なんてない。
「シルフちゃん?」
ふと、誰かの声が聞こえた。
それが誰の名前なのか、その名前を呼んでいるのが誰なのか、わからない。
だけどその人の声が聞こえただけで、自然と涙は止まっていた。
「シルフちゃんは泣き虫だなぁ」
いきなり後ろから誰かに抱きしめられて、頭を撫でられる。
優しさに満ち溢れた声はすぐ後ろから聞こえていた。
俺は、俺は水上良一なんだ! シルフちゃんって誰だよ! こんなやつ、俺は知らない!!
「でも私は知ってるよ。シルフちゃんは強くて、優しくて、泣き虫で、本当は男の子だってこと。君は、水上良一くんなんだよね?」
俺を包み込む少女の腕から温かさが伝わってくる。
信じてくれるの?
「信じるよ。だって私たち友達だもん! さあ行こう
俺の手を引いて走り出したその人は、とても強引で、最初は転んでしまいそうになったけど、だけど重たかったはずの身体が、うまく動かなかったはずの足が、信じられないほど軽かった。この人とならどこまででも走って行けると思った。
辺りを覆い隠していた闇が晴れて、光に包まれた青空の下を、俺はその人と一緒に走って行く。
そうだ、俺はこの人を知っている。
ビビッドカラーの青い髪に空色の可愛らしい衣装。ブーツはゴテゴテとした金属製で、誰よりも魔法少女らしい魔法少女。
そして、初めての、私の友達。
「はい! エレファントさん!」
・
「ぅ~ん、エレファントさん……」
意識が朦朧とします。
なんだか酷い夢と良い夢を見ていたような気がしますけど……、内容が思い出せないです。
後頭部の柔らかい感触が私を二度寝に誘います。もう少し、眠ってもいいですよね……。
「あ、シルフちゃん起きた?」
「……っ!?」
一瞬その言葉、というか声が聞こえた意味を理解できなくて、一拍遅れて目を見開きました。
そこには覗き込むようにして私の顔を見つめるエレファントさんが居ました。
私はエレファントさんの膝を枕にして眠っていたみたいです。
「騒いだら駄目だよー。二人の邪魔になっちゃうからね」
驚いて跳び起きようとする私をエレファントさんは軽々と押さえ込み、楽しそうにニコニコと笑っています。
えっと、なにがあったんでしたっけ?
たしか今日は、親睦を深めるという名目でエレファントさんのチームの魔法少女と一緒に魔法界で食事をすることになって、そのあとなし崩し的に遊びに誘われて、それで……。
「ほら、良いところだからシルフちゃんも応援してあげて」
エレファントさんが指さす方を見てみると、白いブレザーの制服の上から要所要所に鎧を身に着けた魔法少女ブレイドさんと、ゴスロリ服の魔法少女プレスさんがテニスをしていました。
なぜテニス? と疑問を覚えましたけど、思い出しました。カラオケやスポーツなどが楽しめる娯楽施設、現実世界で言うとラウンドツーのようなところで遊ぶことになったのです。
さすがにエレファントさん以外の前で歌うことは出来ませんでしたけど、スポーツには参加して、その結果疲れ切ってしまった私は休憩させてもらってたんです。涼しい風の吹く木陰の芝生に座ってエレファントさんたちを眺めていたはずですけど、その途中で眠ってしまったみたいですね。
おや? どうしてエレファントさんが膝枕をしているのか思い出してもわかりませんね。
「二人とも頑張れー!」
「あ、が、頑張って下さい」
大声で二人を応援するエレファントさんに対して、私の声は蚊の鳴くようなものです。恥ずかしいというのもありますけど、彼女たちと親睦を深めるつもりがあまりないのも原因だと思います。
そもそも、私は魔法少女と馴れ合うつもりなどなく、エレファントさんだけは特別なので例外ですけど、とにかく他の二人と仲良くするつもりなんてないんです。でも、エレファントさんがどうしてもと言うのでこうして4人で出かけているのです。エレファントさんのお願いとあっては断れませんからね。
「プレス! ザ! ハンドオオオオ!!」
エレファントさんの応援にこたえるように、プレスさんはスマッシュと同時に魔法を発動しました。どうやら球の威力を上げるために若干範囲を狭めて発動してるみたいです。器用ですね。というか、魔法を使うのはありなんでしょうか?
プレスさんのスマッシュをラケットで受けることには成功したブレイドさんですけど、少しずつその勢いに押され始めてます。
「
そこでブレイドさんも魔法を使ったようです。
四本の剣が空中に浮きあがり、なんと剣の腹を重ねて後ろからラケットに叩きつけました。
都合六本分の腕力で振りぬかれたラケットは圧力の乗った重たい球を見事打ち返し、それがゲームセットの一点となったようです。
「魔法使うなんてずるいずるいずるい~!」
「先に使ったのはプレスのほうでしょう!?」
なにやら言い争っているようですが、ひとまずゲームは終わったみたいですね。
「あの、エレファントさん? 終わったみたいですし、もう起き上がっても良いですよね?」
「駄目だよ。私がまだ満足してないもん。シルフちゃんの髪、さらさらで撫でると気持ちいいんだよね~」
「で、ですがお二人も戻って来ますし、バレちゃいますっ……!」
「女の子同士ならこれくらい普通だよ。気にしない気にしない」
な、なるほど。私には友人というものがいませんでしたけど、男同士であればこんなことをするはずはありません。それは漫画やアニメを見てもそうですし間違いないですね。でも、女の子同士は確かに肉体的な接触の多いスキンシップを取るシーンが多かった気がします。
元が男性であるから違和感を感じるだけで、女の子同士ならば友達でなくてもこれが普通なんですね。勉強になります……。
って、ではなくてですね!
「わ、私は女の子ではっ……」
「ほら! 二人ともこっちに来るからその話はお終い! バレちゃうよ?」
悪戯っぽく笑うエレファントさんには文句も言えず、かと言って無理矢理起き上がろうにも魔法少女としての身体能力はエレファントさんの方が上ですから先ほどのように妨害されてしまうでしょう。
まあ、私は女の子ではありませんけど、そのことはエレファントさんもわかっているわけですし、それならたまにはこういうのも良いかもしれないですね……。