魔法局のとある一室。両開きの白いドアの先にある、外から見た間取り以上に広い部屋が私の呼び出された場所でした。普段は月に一度開催される魔女のお茶会に使用されていて、お茶会がないときにもプライベートでお茶を飲みに来る魔女は居るらしいですけど、今日は魔法局に事情を話して貸し切っているそうです。
魔法局で働く二足歩行の犬妖精に連れられてその部屋の前まで来た私は、若干の緊張を感じながら扉をノックしました。
「どうぞ」
「失礼します」
中から聞こえた無機質な声に従って入室すると、上品な意匠の白いチェアに腰掛けた、金髪ハーフアップの女性が花の模様をあしらったティーカップに紅茶を注いでいました。レースのテーブルクロスの上には三段のケーキスタンドが置かれていて、遠目には何かわかりませんが焼き菓子のようなものが乗ってるみたいです。
それにしても、事前に確認して知ってはいましたけど凄い恰好ですね……。白い一枚の布を身に纏っているような、神話に出てきそうな服とでも言えばいいのでしょうか。
「こちらに来て座って下さい。本日はよく来て下さいました。私が連絡をした糸の魔女、ウィグスクローソです。そしておめでとうございます。第三の門を開き14人目の魔女に至ったことを、ここに祝福します」
「こちらこそお招きしていただいてありがとうございます。私は風の魔女、タイラントシルフです。よろしくお願いします」
ほかの魔法少女と同じように仲良くするつもりは毛頭ないんですけど、こうも丁寧に対応されるとつい社会人として染みついた習慣でこちらも丁寧に返してしまいますね。でも、業務的なやり取りって感じでちょうどいいかもしれません。
糸の魔女ウィグスクローソさん。事前に情報は集めて来ましたけど、極めて優秀で欠点の見つからない魔女です。魔法少女になったのは6年前でその1年後には魔女になってます。それから5年間魔女として活動を続けて、一か月ほど前に引退したモナークスプライトさんに代って魔女のまとめ役をしてるみたいですね。ちなみにこの情報はエレファントさん経由でナックルさんから聞きました。なんであの人は魔女の内情まで知ってるんでしょうか。普通に探しても出てこなかった情報ですよ。
動画はそれほど上げる方ではないみたいですけど、それでも経歴が長いので両手の指では数えきれない程度にはHPに上がってました。
糸の魔女という通り名に違わない、相手を操ったり切断したり拘束したりといった糸の魔法を使って戦います。魔女ともなれば当然かもしれませんけど、戦いぶりに危なげはまったくなくて、複数の魔女で協力してデューククラスのディストと戦っている時も冷静に指揮を執っていました。
加虐趣味だとか幼児性愛だとか、眉唾ものの悪い噂は魔法少女の匿名掲示板に書き込まれてますけどそんなものは有名税でこの人に限らず誰にでもあることですし、口コミでは基本的によく知らないか良い人という印象で、悪い印象はないみたいです。
「失礼します」
「まずは謝罪を。先日のお茶会にお招きできず申し訳ありませんでした。新しい魔女を二人同時に迎え入れるというのは混乱の元になると思い、タイラントシルフさんをお招きしなかったのは私の独断です」
「そんなこと気にしてませんから、ウィグスクローソさんも気にしないでください」
「私のことはクローソとお呼びいただいて結構ですよ。ウィグスクローソというのは、呼びづらいでしょう」
「では、お言葉に甘えて。私のこともシルフで構いません」
このお互いに踏み込み過ぎず、されど円滑に物事を進めようとする感覚、とてもお仕事っぽいです。クローソさんとは良い距離感を保ったまま今後もお付き合いできそうです。
「少し、安心しました。ご存じかもしれませんが、魔女には個性的な方が多いので。こう言っては失礼かもしれませんが、シルフさんはご年齢の割にとても落ち着いていますね」
「ありがとうございます。それで、今日はどんなご用件でしょうか?」
クローソさんとのやり取りはこちらの領域を侵そうとしてくる心配がないので安心できますけど、だからと言って無駄話に花を咲かせる気はありません。
普段癖の強い魔女たちをまとめているクローソさんには同情しますけど、その愚痴を聞くために来たわけではないですからね。
「魔女として知っておくべきことをお伝えするためにお招きしました。少し長くなります。遠慮せず、お茶もお菓子も楽しんで下さい。ここでの飲食は魔法局が持ってくれますから。魔女の特権の一つです」
魔女の特権。話には聞いていましたけど、そんなものまであるんですね。例えばこの部屋なんかも魔女しか使用できないと聞いてますし、特権というやつなんでしょう。
ほかにも普通の魔法少女は順番待ちをしないと使えないような施設と同等の機能を持つ魔女専用施設があったり、魔法局の上層部と直接話をすることも出来るらしいです。
当然、特権とはより重い責任の代価にあるものです。それだけ魔女が優遇されているからには、他の魔法少女には求められない何かを求められるのでしょう。
「本題に入る前に、ご存じかとは思いますが念のためお伝えします。私たち魔女は月に一度集会を開いています」
「魔女のお茶会のことですよね」
「はい。これは黎明期の魔女が交流や情報交換のため自主的に始めたもので、それを代々引き継いで続けています」
「魔法局の主導ではない、つまり魔女としての務めではないんですね」
「そうです。参加するかしないかは任意であり、レイジィレイジさんのように一度も参加したことのない魔女も存在します。しかし基本的にはほぼ全ての魔女が参加していますので、シルフさんにも出来る限り参加していただきたいと思っています」
「わかりました。前向きに考えておきます」
相手が木っ端の魔法少女であれば気にしなくても良かったかもしれないですけど、相手は私と同じフェーズ3魔法少女です。魔女の中でどれほど優劣の差があるのかわからない以上、最初から無視を決め込んで印象を悪くするのは悪手だと思います。
仲良くする気はありませんけど、ひとまず最初の一回だけは顔見せとして出席するとしましょう。それから先は、その時に決めればいいです。
「ありがとうございます。ではここからが本題になります。シルフさんは第三の門を開き14人目の魔女となったわけですが、実のところ魔女になったことで魔法局から課される義務はたった一つだけです。それも、普通の魔法少女だった時と比べて大きくその活動が変わるものでもありません」
「戦うことですか」
クローソさんの答えを待たずに問いかけました。
魔女にはノルマがあると言うことは聞いてます。そのノルマというのが具体的になんなのかわかりませんけど、簡潔に言ってしまえば戦うことが魔女の義務だということです。たしかに魔女になる前と後で大して変わりはしませんね。ほぼ全ての魔法少女が強制されなくても自らの意志で戦ってるんですから。
「その通りです。魔法少女はディスト討伐の報酬としてポイントを貰い、そのポイントを現金や物品に交換します。ですがそれは強制されたことではない、つまり義務ではありません。魔法少女でありながら戦いに参加しないということも、理屈の上では可能です」
「恐怖や不安を抑制して餌をぶら下げるなんて、私には半ば強制的に戦わされているように感じますけど」
「そういう側面があることは否定できません。ですが、そうした負の感情の抑制は魔法少女も自覚しています。それを知ったうえで戦うのであれば、それはやはり義務とは言えないでしょう」
やっぱり本当は妖精から説明される項目の一つだったんですね。
あのカボチャ、ちょっとでも私が戦意を失いそうな要素は徹底的に潰してたみたいです。それが本来のルールに反していても。
今更、怒りもわいてきませんけど。
「魔女の場合はそれが義務になる、ということですね」
「はい。シルフさんもご存じかもしれませんが、通常はノルマと言われているものですね。ですが、一般的にノルマと言われて想像される内容とは少し違います。このノルマはスコアの下限を定めるものではありません」
「……? ディストを月に何体以上倒すとか、そういうことではないってことですか?」
ノルマと言われると、真っ先に思いつくのは営業ノルマですよね。私はそういう職種ではなかったので詳しくはわかりませんけど、月に何件以上契約を結ぶとか、契約の見直しさせるとか、そんなイメージです。
ですが、魔女のノルマはそういう類いではないと。
「誰がノルマなどと言い出したのかはわかりませんが、より正確に言うのならミッションです」
「任務、ですか。なるほど、なんとなくわかりました」
以前魔法界でラビットフットさんに遭遇して無理矢理連行された時、彼女は長距離転移装置を使用してマーキスクラスディストの討伐に行くところでした。
ラビットフットさんはあの時、心優しい私が助けに行ってあげるなんて言ってましたけど、なんてことはありません。それこそが彼女に課された任務だったのです。
「強力なディストの討伐。クラスはマーキス以上ですね。依頼された場合はそれを断れない。そんなところでしょうか」
ピースはすでに揃っていました。
マーキス以上のディストが出て、近場で対応できる魔法少女が居ない場合は長距離転移装置で魔女が派遣されてきます。それはジャックからもたらされた情報で知っていることでした。でも私はノルマという言葉の響きから、魔女が強力なディストに派遣されることと切り離して考えてしまっていました。
「お見事です」
クローソさんは無表情に無感動の声で呟いてから、パチパチと手を叩いてます。
「魔女にまで上り詰めた方には聞くまでもないかもしれませんが、どうでしょう? 戦いを拒否出来なくなることに、不安や恐れはありませんか?」
「ないと言ったら嘘になりますね」
それまでずっと無表情を保っていたクローソさんの目が、少しだけ見開かれました。
驚かせる要素がありましたか? 私の答えはそんなにおかしなものではないと思いますけど。
「ですがほかの魔法少女がそうであるように、私にも戦う理由があります。退けませんし、退く気もないです」
「そう、ですか。あまりおすすめはしませんが、エクスマグナさん、ラビットフットさん、ブルシャークさんの三人はノルマを協力してこなしています。もしもお一人で戦うことが不安であれば、彼女たちに声をかけてみて下さい。もしくは、シルフさんさえよろしければ私が同行することも出来ます。その場合は私のノルマを手伝う必要はありません」
「クローソさんがですか? ですが相互扶助ならともかく、一方的に助けてもらうだけなんてクローソさんに何の得もないのでは?」
「いえ、そんなことはありません。こうして直接話をさせていただいて、シルフさんはとても常識的で接しやすい方だとわかりました。あなたのような魔女が居てくれることは私にとっても励みとなります。ですから、そんなあなたの不安を取り除くことは私にとっても利益のある行為です」
「……なるほど」
額面通りに受け取るべきではないでしょうね。
クローソさんはこう言っていますけど、傍から見て私のノルマを手伝って貰って私が手伝わないというのは一方的に借りを作ってるように見えるはずです。後からクローソさんに何か要求されてそれを断れば、自然と私が悪者になってしまいます。
それから、ジャックから詳しくは聞けませんでしたけど魔法少女には派閥というものがあるらしいです。クローソさんがどこかの派閥に属しているのであれば、あまりクローソさんばかりにお世話になっていると外堀を埋められていつの間にか私もその派閥の一員ということになる可能性もあります。
あまり面倒ごとには関わりたくないですから、派閥とは距離を置いておきたいんですよね。
「ノルマの時は現地の魔法少女もサポートに入るんでしたよね?」
「……よくご存じで」
以前ラビットフットさんに付いていった時、前線には私とラビットフットさんしかいませんでしたけど、時間稼ぎなんかで現地の魔法少女がサポートをしていたはずです。
私は油断して隙を突かれたり弱点を突かれたりしない限り大半のディストには負けません。これは根拠のない自信ではなく、経験とジャックからもたらされた知識に基づいた判断です。だから私に必要なのは自分と同程度の戦力ではなく、不測の事態に私を回収できる最低限の人手です。
「現地の魔法少女が居れば私を抱えて逃げることくらいは出来るはずです。もちろん魔女が居るに越したことはないと思いますけど、保険としてはそれで充分じゃないでしょうか」
「シルフさんがそれでよろしいのであれば、無理強いするつもりはありません。ですが、気が変わったらいつでも言ってください。私はあなたの味方です」
無理に距離を詰めてこないところは好感触ですけど、クローソさんはどうも怪しいというか、私のネガティブな部分が真に受けるなって警鐘を鳴らしてるんですよね。
悪い人には見えないですけど、でも本当に悪い人は一目見て悪人だとわかるような言動はしないでしょうし、今のところは話を鵜呑みにはしないけど嘘だと決めつけもしない、くらいが丁度良いと思います。