夕焼けの空に銀色の軌跡を残して、五つの剣が振るわれる。目には見えない透明の腕から繰り出される四つの剣と両手で握りこまれた一本の大剣による連撃を、されど相対する少女はたった一振りの刀をもって難なくさばききる。
「真正面から当たるだけでは私に勝つことは出来んぞ! ブレイド!」
「くっ……、
桃色の髪を後ろで一つにまとめた長身の少女、魔法少女サムライピーチが一刀のもとに全ての斬撃を切り伏せて強烈な蹴りをお見舞いした。
鳩尾を蹴られた衝撃で数メートルほど後退させられることとなった五刀流の少女、魔法少女ブレイドは即座に次の魔法を発動し、態勢を立て直すための時間稼ぎを図る。
かつては詠唱完了から発動までの間にラグのあったその魔法も、ブレイドの成長に伴ってその間隔はどんどん短くなっていき、今では詠唱完了と同時に発動するほどに至っている。また、成長したのは発動の速度だけではない。かつては直径2メートル程度だった魔法陣が5メートルまで大きくなっている。
サムライピーチの眼前に現れた魔法陣から数えきれないほどの剣が噴き出し行く手を阻んだ。
「
「
「甘い!」
サムライピーチが桃色の光に包まれた刀で地面ごと魔法陣を攻撃すると、ガラスの割れるような破壊音と共に魔法陣が打ち砕かれた。すかさず四本の剣を矢のように放つブレイドだが、サムライピーチはそれを一本は弾き、残りの三本は半身になりながら滑らかな歩法で回避した。
剣を避け切るのと同時、緩やかに静止しかけた状態から全力の踏み込みで急激に距離を詰める。意識の一瞬の隙を突かれたブレイドには、まるでサムライピーチが瞬間移動してきたかのように感じられた。
「はぁっ!」
「ぐぅぅっ!」
ブレイドは咄嗟に四本の剣を自身の身体の前に交差させたが、サムライピーチの一撃は全ての剣を粉砕してブレイドの急所を守る鎧を強く打った。
たたらを踏んで痛みに顔を顰めながらもブレイドは両手に握った大剣を気丈に構えるが、サムライピーチはそこで刀切っ先を下した。
「今のはわざと鎧に当てた。本来なら今の一撃で終わっていたぞ」
「わかってます! でも私はまだやれます!」
「これ以上はやっても無駄だ。自分でもわかっているだろう。徐々に精彩を欠いている」
「でも!」
「一度休憩にするぞ。頭を冷やせ」
「っ……、はい……」
頭に血が上り普段通りに動けていないことを自分でも理解していたため、ブレイドは力なく頷いた。本来ならば一分一秒でも無駄にしたくはないが、これ以上続けてもそれこそ無駄だと言うことを自分でもわかっていた。
サムライピーチはフェーズ2でも比較的上位の魔法少女であり、もちろん本気でやりあえば今のブレイドに勝ち目などないのだが、この特訓においてはたった一つの魔法しか使わないというハンデを設けた上で戦っている。
それだけのハンデを背負ったサムライピーチが相手であれば、ブレイドは本来こんなにもあっさりと負けるほど弱くはない。事実、その日の訓練を始めたばかりの時はある程度互角にサムライピーチと切り結んでいた。
しかし時間が経つにつれてブレイドの表情は険しくなり、纏う空気は鬼気迫るものになっていく。気迫で人が殺せるのであれば一人くらいは殺せるのではないかと思うほどに殺気立つ。だが気合や気迫だけで強くなれれば苦労はしない。単純な筋力だけの話であれば感情の高ぶりによるアドレナリンの分泌で恩恵を受けられることもあるだろうが、剣技と魔法は筋肉だけではどうにもならない。
興奮状態のブレイドは一撃一撃の重さこそ僅かに増しているが剣技の腕は大きく落ちる。そのくせ、それを自覚しているくせに戦うほど熱くなる。サムライピーチが頭を冷やせと告げるのも当然だった。
トレーニングルームを出てベンチに座ったブレイドは、モニター越しにタイラントシルフやエクステンドトラベラーと特訓をしているエレファントとプレスを見つめる。
シルフとエクステンドはサムライピーチと同様にハンデを設けられているが、それでも魔女の称号は伊達ではない。真面にやりあえばとてもエレファントたちでは太刀打ち出来ない相手だが、それでも頭を使い、策を弄し、全身全霊で戦っていた。
(私は、何をやってるのよ……)
戦えば戦うほどに自分が冷静でなくなっていくのがわかった。それをわかっていながら、怒りに身を任せ我武者羅に、無策で突撃することしかしなかった。この特訓を始めるようになってからはいつもそうだ。そんな自分を戒めようと、何とかしなければと思いながらも、いざ戦い始めると結局強烈な熱に流されてしまう。ブレイドはそんな自分が情けなくて仕方がなかった。
モニターを見上げていた視線が少しずつ落ちていき、いつの間にかうなだれて地面を見つめる。
理由はわかっていた。わからないわけがなかった。ブレイドという魔法少女を構成する要素の大半はその人物の影響によって形作られたのだから。
魔法少女ドライアド。ブレイドの先輩であり、師匠であり、恩人と言える魔法少女。
特訓を始めたばかりの頃は、あの魔法少女がドライアドであるはずがないとブレイドは固く信じていた。自身の尊敬する先輩があんなことをするはずがない、あんなことを言うはずがないと。それは妄信と呼べる類いの感情だったが、ドライアドという魔法少女らしからぬ言動であったことも確かだ。だからこそ、ブレイドはそれが偽物であると断定した。客観的に見れば物的な証拠や確たる根拠など何一つなかったが、ブレイドには先輩がそんなことをするはずがないという確信があった。
その一点の曇りもない信頼に影が差したのはいつだっただろうか。
いや、目を逸らしていただけで、本当は最初から気が付いていたのかもしれない。そんなはずがないと自分に言い聞かせ、気づかない振りをしていたのかもしれない。
あの魔法少女が偽物でもなんでもなく、正真正銘、かつて咲良町で活動しブレイドと共に戦ったドライアドであるという可能性に。
魔法少女の魔法は世界に一つきりで、誰かが選んだ魔法は他の誰も選べない。
それはかつて、ブレイドが魔法少女になる時にジャックから聞かされた内容だった。
引退した魔法少女の魔法は再び書庫に戻り再び誰かに選ばれる日を待つことになるが、それまではその魔法の使い手は一人だけなのだ。
例外がないわけではないが、ブレイドが知る限りではその例外もたったの一人だけで、そしてその人物がわざわざドライアドに化けてまで咲良町を襲う理由は思いつかなかった。
一つの例外がある以上他にも自身の知らない例外があるはずだとブレイドは自分に言い聞かせていたが、時間の経過は狭まっていたブレイドの視野を少しずつ広げていった。
あの日、ブレイドたちに襲い掛かるまでのドライアドは確かにブレイドのよく知るものだった。話し方や声のアクセント、言葉選びや雰囲気など、誰かが真似をしたとしてあそこまで完璧に再現出来るのかとブレイドが疑問に思うほどに。
あの日、短い会話の中でドライアド本人か、その記憶を見たのでなければ言えるはずがない言葉があった。それぞれの魔法少女の呼称や会話の内容などは下調べをすれば、難しいが再現することは出来るだろう。だが、一々大げさにするな、という発言。これは他人が調べたからと言って、以前にドライアドからブレイドに投げかけられた言葉だなんてわからない。
あの日、ブレイドの頭を撫でたドライアドの手つきや温かさ。それはブレイドの記憶にあるドライアドそのものだった。
冷静になって考えれば考えるほどに、本当にあの魔法少女は偽物だったのかという考えがブレイドの脳裏をよぎる。そのたびにブレイドは、ドライアドを信じきれない自分に怒り、自分にドライアドを疑わせた偽物に怒り、ドライアドに対する疑念を忘れるように怒りを燃やす。
つまりは逃避だったのだ。戦いの中で意識が研ぎ澄まされ、冷静になるほどに、あの魔法少女が本当のドライアドだったのではないかと疑問が膨らみ、そんな疑問を忘れるようにあえて怒りに身を任せた。
(違う! 私が怒ってるのはあの偽物が先輩を愚弄してるからよ! あれが先輩なわけない! そんなことありえない!)
特訓に身が入らないのも当然だ。エレファントやプレスが町を取り戻すため、雪辱を晴らすために全力で己を高めようとしているのに対して、ブレイドは現実逃避をしているだけなのだから。当初は本気で偽物を憎み、町を取り戻してドライアドの名誉を守ることを目的にしていたブレイドだったが、今では存在するのかもわからない偽物を憎むこと自体が目的になってしまっている。
「ひゃっ!?」
考え事をしているブレイドの頬にいきなり冷たい何かが当てられ、ブレイドは思わず気の抜けた声を上げてしまった。驚いて顔を上げれば、そこには暖かな笑顔を浮かべたエレファントがスポーツドリンクの缶を両手に一つずつ持って立っていた。
「あはは、お疲れ様」
「もうっ、驚かせないでよ」
ブレイドが差し出しされた缶を受け取ると、エレファントはその隣に座って自分の分を飲み始めた。
「ぷはーっ! 疲れた後に飲むと美味しいねぇ」
「……そうね」
喉を鳴らしながら豪快に缶を傾けるエレファントを横目に、ブレイドは苦笑しながらちびちびと飲み進める。
全力で戦って疲労困憊と言った様子のエレファントに、ブレイドは僅かな罪悪感を覚えた。確かに自分も疲れてはいるが、それは本気で相手を打ち負かそうとする全力の戦いによる疲れではないからだ。怒りに身を任せてただ闇雲に身体を動かしていただけで、胸を張って訓練を頑張ったなどと言えなかった。
「……あれ? シルフさんは?」
ブレイドはふと感じた疑問を投げかかる。エレファントの特訓が休憩になったならタイラントシルフも一緒に居るはずだが、ブレイドが辺りを見渡してもその姿が見当たらなかった。さらに言えば、さきほどまでモニターを見ていたサムライピーチの姿も見当たらない。
「あー、シルフちゃんなら、ほら」
困ったように笑いながらエレファントの指さす方を見れば、モニターにタイラントシルフとサムライピーチが戦っている様子が映し出されていた。
「ピーチさんに捕まっちゃってね。強引に連れ込まれてたよ」
「ああ、また……」
戦闘狂というわけではないが強さを追い求めるタイプの魔法少女であるサムライピーチは、自身を高めるために強者との戦いを望む。滅多に戦う機会のない魔女を前にして己の欲望を抑えられず、シルフが強引に模擬戦に付き合わされるのは恒例行事となりつつあった。
「やっぱり強いね、シルフちゃんも、エクスさんも、ピーチさんも」
しみじみと呟いたエレファントに、ブレイドはただ無言で頷いた。
きっとエレファントは、自分がもっと強ければ町を守る役目を奪われることはなかったと、自分の弱さを嘆いている。ブレイドにはそれがわかるし、本来ならば自分もそうあるべきだと思っているはずなのに、それでもなおドライアドのことが頭から離れない。
咲良町のことやディストのことなんて二の次で、ドライアドが偽物なのか本物なのか、そんなことばかり気にしている自分が情けなく、言葉も出なかった。
「ねえ、ブレイド。私たちも模擬戦しようよ」
「……え?」
「ほらほら、早く飲み干しちゃって!」
「え、ええ」
エレファントに煽られてスポーツドリンクの残りを急いで飲み干し、促されるままにトレーニングルームに入室するブレイド。サムライピーチからは頭を冷やせと言われてたのに良いだろうかという思いもあったが、エレファントへの後ろめたさが勝り、一先ず付き合ってあげようと気持ちを切り替えた。
ブレイドはこの時思い違いをしていた。
エレファントが咲良町を守ると言う役目を奪われて、焦り、嘆き、強さを求めているのだと。少しでも早く強くなりたくて、休憩時間にまで模擬戦をしたいのだと。
もちろんエレファントにも町を取り戻したいと言う気持ちはあるし、強くなりたいという気持ちもある。だがエレファントと言う魔法少女の本質はそこではない。目の前に苦しみ、怒り、迷っている友が居れば、そこに手を伸ばさないなんてありえない。
トレーニングルームに構築された仮想の咲良町で向かい合い、模擬戦を開始する直前にエレファントは笑顔で言い放った。
「あれは本物のドライアドさんだよ」
エレファントの口から放たれた全く予想していなかった言葉に、ブレイドの思考が一瞬硬直する。
「
隙を突くように、エレファントは駆け出すのと同時に身体強化魔法を使用。エレファントの象をモチーフにした強化魔法は小回りの利くタイプではないが、強化された脚力は大きな瞬発力を生み出す。人の身にして象の巨体を支えるほどの力を得れば、その一歩が生み出す加速は人間のそれを遥かに上回る。
弾丸のように距離を詰めたエレファントが拳を振るうのと、我に返ったブレイドが大剣の腹で防御をするのはほぼ同時だった。
「くっ、揺さぶりなんてらしくないことするわね」
自ら後方に跳躍することで打撃の衝撃を和らげたブレイドが、動揺しながら言った。
「あはは、そんなことしないよ。私は本当のことを言ってるの」
「っ、あれが先輩なわけないわ。エレファントだって知ってるでしょう? 先輩がどれだけ高潔で真っ直ぐな人だったかなんて」
「目を逸らしちゃ駄目だよブレイド。
「……
特訓の成果としてエレファントが新たに覚えた魔法。それは皮膚を金属に打ち負けないほど硬く強化するもので、ブレイドの操る五本の剣を甲高い音を立てながらはじき返す。剣を振るうブレイドに対して拳を振るうエレファントはリーチこそ負けているものの、スピードとパワーにおいては圧倒的に勝っている。じりじりと後退しながら戦うブレイドを追い詰めるように、エレファントは一歩ずつ距離を詰めていく。それはまるで心理的な攻防をそのまま形にしたかのようだった。
「ブレイドだって本当はわかってるんだよね? あの魔法はドライアドさんの魔法だったって」
「……うるさいのよ」
「私よりもずっとずっとブレイドの方がわかってるはずだよ。あれは間違いなくドライアドさんだった」
「うるさいのよ!! わからないじゃない!! あれが先輩だなんて証拠はどこにもないでしょう!? 先輩があんなことするはずない!! 偽物に決まってる!! そうじゃなきゃ! そうじゃなかったらっ!!」
エレファントの言葉を否定するように、振るわれる剣戟の激しさは増していくが、同時に精彩さを欠いていく。サムライピーチに指摘されていたように、頭に血が上ったブレイドは技の精度が大きく落ちる。
雑に振るわれた四本の剣は大きく打ち上げられて、ブレイドとエレファントの間に立ち塞がるのは両手で握られた大剣だけになった。エレファントはそこへ更に一歩踏み込み、硬化した片手で刃を掴み強引に攻撃の通り道をこじ開ける。
「逃げちゃ駄目だよ!!」
痛烈な言葉とともに、エレファントの拳がブレイドの頬に叩き込まれた。
大剣を掴まれていたせいで衝撃を逃がすことも出来なかったブレイドは諸にその一撃を受け、鈍い声を発しながら吹き飛んでいきゴロゴロと地面を転がった。
「どうしても辛くて、逃げ出すことが救いになるなら逃げたって良いよ。でもブレイドは、ここで逃げたら後悔する。真剣に向き合わなきゃ絶対に一生後悔し続ける」
「あなたに何がわかるのよ……」
殴られた頬を真っ赤に晴らしたブレイドが、大剣を杖のように地面に付いてふらつきながら立ち上がる。その声は不安を表す様に震えていたが、瞳に宿る闘志は消えていない。
「わかるよ! 友達だもん!!」
「わからない!! ずっとずっと信じてきた! 背中を追い続けてきた人が!! 信念を貫けって言ってくれた人が!! 私を弟子にしたのは間違いだなんて言うのよ!? あの時私にくれた言葉も!! 温かさも!! 全部嘘だったのかもしれないのよ!? ずっと幸せに生きて来たあなたに! 私の気持ちなんてわかるわけないっ!!」
本当は気づいていた。可能性があるなんて曖昧なことじゃなく、あの時相対した魔法少女がドライアドだったことなんて、ブレイドもとっくにわかっていた。
だから目を逸らして、表層ではあれは偽物だなんて言い訳をして、心の奥底では偽物じゃないかもしれないなんて保険をかけて、とっくに気が付いていた真実から逃げ続けた。
「そうよ! あれは先輩だった! 私が先輩を間違えるわけないじゃない!!」
激情とともに涙を流しながら、ブレイドは意味も分からずに剣を振るう。
ただそれだけのことを認められなかった。それを認めてしまえば、自分はもう戦えないと思っていたから。
「どうすれば良いのよ!? 先輩が間違ってたなら、私は何を信じて戦えばいいの!? 私の正しさは間違ってたの!? もうなにもわからないのよぉ!!」
ブレイドは剣の一振りごとに言葉をのせてエレファントへ叩きつける。
ドライアドとの出会いがブレイドと言う魔法少女を形作った。ドライアドの教えがブレイドに戦う理由を与えた。ブレイドにとって、魔法少女とはドライアドのことだった。それが全て嘘偽りだったのなら、魔法少女ブレイドは何のために戦えば良いのかもわからない。
そのはずだった。
「だからいつまでもそうやって俯いていじけてるの!? ドライアドさんは間違ってた! だからもう戦えないって! そうやってずっと縮こまってるの!? ブレイドはそれで良いの!?」
「わかんないわよ!! それで良いのかなんて!! 私にだって!!」
ブレイドに呼応するように、エレファントは一撃ごとに声を張り上げる。
ブレイドにはもう戦う理由がないはずだった。自分の信じて来た正義は崩れ落ちて、何のために剣を振るうのかもわからないはずだった。
それなのにブレイドは今、剣を振っていた。エレファントの硬い拳と切り結んでいた。師の裏切りを悲しみ、絶望に囚われてもなお、闘志だけは胸の奥で燃え続けていた。
「面倒見が良くて! とっても負けず嫌いで! 曲がったことが許せない! それが私の知ってるブレイドだよ!! ドライアドさんなんて関係ない!! ドライアドさんが間違ったことをしてるなら!! ぶん殴ってでも!! それを止めるのがブレイドの! ううん!! 鶴ちゃんの正しさなんじゃないの!?」
勢いよく叩きつけられた大剣を両手で受け止めて、エレファントはお互いの吐息が聞こえるほどの距離で叫ぶ。
「っ!!」
エレファントの言葉が、何よりも力強いその意志が、ブレイドの記憶を想起させた。
かつて、まだドライアドと出会う前。ブレイドはその頃から正しくあろうとしていた。そして間違ったことを正そうとしていた。それはドライアドと出会う以前からのことで、鶴来七海と言う少女の中には確かに自分の信じる正しさがあった。
もしも、あの頃の小さな自分が今の自分を見たら、何と言うだろうか。
己の正しさを信じきれなくなり、他人の正しさに縋る自分を見てどう思うか。
縋る先を失い、不貞腐れている自分を見てどう思うか。
どうして忘れてしまっていたのか。いや、きっと心の奥底には残っていたのだ。だからこそ、戦う理由を失ったはずのブレイドがそれでも剣を振るい続けることが出来た。絶望の中でなお、闘う意思だけは失わなかった。
ブレイドの中には、ドライアドによって形成された魔法少女ブレイドだけじゃない、鶴来七海という小さな少女の正しさが確かにあったのだ。
「ごめんね……。ずっと、忘れてた」
それは剣と拳で鍔迫り合いを行うように対面しているエレファントにすら聞こえない、消え入るほど小さな懺悔だった。
幼き日の自分への懺悔だ。
「もう、迷わない」
ブレイドの握る大剣が、眩い黄金の光を放ち輝き始めた。
・
休憩だと言ったのにいつの間にか二人で戦っているエレファントとブレイドを見て、サムライピーチはやれやれと言いたげに溜息を吐いた。
これで何の成果もなければお説教の一つもしてやるところなのだが、モニター越しに見える二人はそれぞれ今までとは違う武器を装備している。これでは小言が精々だろう。
「開いたか、第二の門を」
「げぇ~!? 先越されちゃったじゃん!!」
「なに、プレスくんもすぐに開けるさ」
「私は絶対に開けるって信じてましたっ」
サムライピーチとタイラントシルフが模擬戦を終えてトレーニングルームを出るのと、エクステンドとプレスが出てくるのはほぼ同じタイミングだった。そしてモニターにはフェーズ2に至り専用武器を装備して戦っているエレファントとブレイドの姿が映し出されていた。
専用武器とはその名の通り、その魔法少女だけに与えられる固有の魔法武器だ。普段は宝物庫の第二の間に保管されており、第二の門を開いた魔法少女はその武器を呼び出すことが出来るようになる。
魔法少女の中には、ブレイドのようにフェーズ1の段階から武器を持っている者もいるが、それと専用武器とは比べ物にならないほど力の差がある。
モニターに映るエレファントの靴は、元々の武骨な鉄靴から大きく変化し、深い青色の機械仕掛けのような靴に変化している。踏み込み一つでもこれまでより大きな出力を持つことが伺える。
対するブレイドは、両手で握る剣が変化していた。元々魔法で構築した長剣や大剣などを使っていたブレイドだが、専用武器は眩い黄金の直剣に幾何学的な文様がいくつも彫り込まれた、一見して芸術品のようなものだ。その切れ味は非常に鋭く、これまでブレイドは叩き壊す様に地面を砕くこともあったが、その直剣は豆腐を包丁で切るように、石材を両断している。
全員が食い入るようにモニターを見つめている中で、軽快な電子音と共にエレベーターの扉が開かれた。
「おっと、丁度良いタイミングだったみたいだね」
「ナックル、戻ったのか」
「何か収穫はあったのかな?」
「お疲れっす」
エレファントたちを見守る役目をタイラントシルフに任せ、エクステンドたちはナックルの集めて来た情報と、その情報をもとにナックルが組み立てた推測を分けて共有する。核心的なものはないが、断片的な情報は確かにナックルの推測に筋が通っていることを裏付けていた。
「これは僕たちだけの問題じゃないよ。ただドライアドたちを倒して、それで終わらせて良い話じゃない」
「しかしあの頑固者が素直に言うことを聞きはしないだろう」
「結局は一度打ち負かすしかないのさ。主導権は勝者が握るものだよ」
「あたしだってやり返さなきゃ気が済まないっすよ」
四人の視線がモニターの中で戦うブレイドを捉えた。
今までは戦いの中で徐々に冷静さを失っていたが、今はその動きに無駄がなく、むしろこれまでよりも更に洗練されている。
「正直、ブレイドは今回の戦いに参加させるべきではないと思っていたが持ち直したな」
「あれ、そうなの? 僕はあんまり見に来れなかったからわからなかったけど」
「心ここにあらず、と言ったところか。目的のために戦っているのではなく、戦うことが目的になっているような気配があった。だが、それがなくなっている」
「多分エレちゃんがなんかしたんすよ。エレちゃんは人を励ますのが得意っすからね」
「本人に自覚はないだろうけれどね。あれは天性のものだと思うよ」
四人がエレファントを褒め始めたところで、モニターを見つつ聞き耳を立てていたタイラントシルフが何故か胸を張って得意げな顔をしていることに、気が付く者はいなかった。