黒い靄で形作られた大きな牛を、黒い影が呑み込んで噛み砕く。摺りつぶされたディストが消滅していくのを、黒いドレスの魔法少女、シャドウがニヤニヤしながら見守っていた。
シャドウはフェーズ2魔法少女の中では中間程度の強さで、
咲良町は狩場としての相性がシャドウと良く、出現するディストの傾向はバロン~アールが多めで基本的には日を開けずに少なくとも一体、多ければ一日に何度も出現することもある。さらには今のように同時に複数体のディストが現れることもあり、一人当たりの収入が他の地域に居ついていた頃とは比べ物にならないほど高い。
今倒した
「ハハッ、狩場さまさまだぜ」
マリンやドライアドの前の卑屈な言葉づかいとは打って変わって、強気な口調で満足そうにシャドウは呟いた。本来はこちらが素で、普段はあの奇妙な態度を演じているらしかった。
この咲良町でならばディストを一人で狩り、ポイントを独り占め出来る機会が多い。
しかも元々根を張っていた魔法少女は雑魚ばかりで脅威になりえない。
儲けの良い安住の地を求めて旅をしていたシャドウにとって、これ以上ないほど素晴らしい町だった。
「こんにちわ、シャドウさん」
戦闘を終えて上機嫌なシャドウに、穏やかな声がかけらた。
シャドウがその声に反応して振り向けば、そこには空色の魔法少女然とした衣装に青いビビッドカラーの魔法少女が佇み、笑顔で手を振っていた。
「んあ? あー、えっと、象のお嬢ちゃんだったか?」
一瞬誰だったかと本気で忘れていたシャドウは、ウロウロと歩きながら、それが三週間と少しほど前に自分たちが追い出したこの町の魔法少女の一人だったことを思い出した。
「用件は縄張りを取り戻しに来たって感じ?」
「別に縄張りだとか狩場なんて私にはどうでも良いんです。でもこの町を守りたいって気持ちは誰にも負けないつもりですから、邪魔をするなら倒させてもらいます」
「じゃあ今度はぶちのめすとするか。分け前が減るのは困るしな」
「
「
シャドウの軽薄な返事を受けて、エレファントは強化魔法を発動するのと同時に駆け出した。専用武器の影響でその踏み込みは以前よりも更に力強く、直線的な突撃は更に速くなっており、魔法少女でなければその挙動を目で追いかけることすら出来ないほどだ。
だがシャドウはエレファントの突撃が届くよりも早く、水の中に沈むように、自身を覆う大きな影の中に潜り込んだ。エレファントに声をかけられた段階で、すでにシャドウは建物の影に入るように移動していたのだ。
「
シャドウが影に呑み込まれたことで、殴りかかろうとしていたエレファントは少しバランスを崩してたたらを踏んだ。その隙を突くように、影の中から現れたシャドウがエレファントの背後を取った。
もちろんエレファントは即座に体勢を立て直し振り返りざまに裏拳を放とうとしたが、それよりも早くシャドウの発動した魔法によって完全に身体の動きが停止した。あの襲撃があった日に使われた魔法と同じだ。
「チェックメイトってやつだ。近接型は近づいて殴るしか能がないのか? やりやすいったらねーな」
身体も動かず、言葉を発することも出来ない。だが、聞こえてくる声からすぐそこにシャドウが居ることはエレファントにもわかる。
「大人しく諦めるんなら――ブゲラッ」
楽しそうにべらべらと喋りながらエレファントに近づこうとしていたシャドウの顔が突然何かに殴られたかのように歪み、錐揉み回転しながら吹っ飛んだ。そのまま何度か地面をバウンドして転がり、鼻血を流しながらよろよろと立ち上がる。
「な、なにが……!?」
「ブレイドにはこんなこと言えないけど、実はみなさんには少しだけ感謝してるんです。悩みがあったんですけど、悩んでる場合じゃなくなりましたから」
シャドウの魔法が解け、動けるようになったエレファントが追撃を仕掛けながら語り掛ける。
魔法による拘束を受け、詠唱も出来ない状況の中でどうやって自分へ攻撃したのか、唐突に何を言っているのか、いくつもの疑問がシャドウの脳裏に浮かび上がったが、それに思考をさく前に自身の専用武器である大鎌を召喚しその柄で拳を受けた。
「
打撃の衝撃を利用してバックステップしながら魔法を発動。再び影に潜みエレファントの背後を取ろうとしたところで、シャドウの動きは止まった。エレファントが建物の影から逃れるように跳躍したのだ。
「シャドウさんは動画とか全然上げてないから対策に困りましたよ。でも、人に嫌われるとやっぱり生きづらいですね」
影に潜むシャドウへ語り掛けるように、エレファントは皮肉をたっぷりきかせて言葉を紡ぐ。
シャドウは自身が嫌われ者であると言う自覚があり、だからこそ自分の不利になるような情報は徹底して残さないようにしていた。しかし、嫌われると言うのは敵を多く作るということで、これまで居ついてきた町の魔法少女の口コミがナックルによって集められ、シャドウの魔法の一部を暴き立てた。
「逃げる上ではとっても便利な魔法ですね。でも影の中でしか移動が出来ないから、相手が上手く影に入ってくれないと攻撃への転用は難しい」
ここに来てシャドウは、撤退という言葉を選択肢の一つに追加した。今目の前にいる魔法少女は一方的に狩られるだけの弱者ではなく、抵抗し、捕食者を返り討ちにする可能性を持つ者なのだと理解した。
だがそれと同時に、普段対人では使わない魔法を使ってでもここでこの魔法少女を仕留めるという選択肢もあった。ここでおめおめと尻尾を巻いて逃げ帰れば格付けが決定してしまう。それは今後の戦いにおいて大きな心理的枷となり、相手にとっては優位となる。なにより、リベンジを受けているのは自分だけではないはずで、ここで自分が逃げることがひいては全員の敗北に繋がり兼ねない。
シャドウは普段、基本的に魔法少女とは戦わない。自身の手の内を明かしたくないという理由もあるが、戦うよりも逃げ出した方がお互いに安全だと考えているからだ。しかしようやく見つけた理想の楽園を守るため、逃げ出したい気持ちをぐっと抑えて目の前の魔法少女を撃破、最低でも足止めする覚悟を決めた。
「話を聞いていて思ったんですよね。いくら攻撃性能が低いとは言っても、影の中に居れば無敵だなんてそんなことありえますか? 例えば影そのものにダメージを与えることは出来なくても、影のある場所にダメージを与えるなんていうのはどうですか?」
「
エレファントがシャドウの潜む地面を攻撃しようとする気配を見せたことで、結果的にシャドウは引きずり出されることとなった。その情報は誰にも知られていないはずだが、エレファントの推測は正しかった。もしも地面が砕けるほどのダメージを受ければそこに潜むシャドウもただでは済まない。そしてそのタイミングで飛び出したことは、もはやそれが正解だと言っているにも等しかった。
逃げることは余計に難しくなったが、覚悟を決めたシャドウには最早そんなことはどうでもいいことだ。勝利のため、シャドウは普段は見せない手の内の一つを明かす。
周囲の影が壁や地面から染み出るように零れ落ち、獣の群れを形作る。まるでディストのようなそれは、主人に命じられるがままにエレファントへ向かって駆け出した。
一体一体の強さは精々が
「っ、しょうがないなぁ!」
甚だ不本意だと言うようにエレファントが叫び声を上げるのと同時に、影の獣が消えていく速度が目に見えて上昇した。そしてよく見てみれば、エレファントに殴られたわけでも蹴られたわけでもないのに、唐突に何かに殴られたかのように吹き飛んで消滅する影の獣の姿が確認できた。
「ハッ、種は割れたな」
それが具体的に何なのかということまではシャドウにはわからないが、便宜上「第三の手」と呼称することにした。
エレファントはこの第三の手を、最初から発動していたのだ。シャドウが声をかけられてすぐに建物の影に入ったのと同様に、戦い始める前から戦うことの準備をしていた。
第三の手は目に見えないらしい。つまり光の影響を受けず、影が出来ないということだ。だからシャドウの影鬼が通じなかった。影鬼は相手の影を踏むことでその動きを縛り付ける魔法だが、影がないものに影響を与えられるはずがない。
わかってしまえばなんてことはない。確かに影鬼は封じられ、影潜みもほぼ破られたようなものだが、脅威に値する魔法ではない。
シャドウの蠢く影は魔力が続く限り何度でも再生する。より強力な個体を生み出す方が、弱い個体を多く生み出すよりも魔力を消耗するため控えていたが、もはや温存する必要もない。
「
エレファントに蹴散らされていた影が一か所に集まっていき巨大な二足歩行の獣となった。
それは根拠のない推論ではなく、ここまでのエレファントの戦いぶりや影の獣との戦いを見ての評価であり、仮に第二の門を開いていたとしても下位の
客観的に見てもシャドウのその判断は間違ったものではなかった。ただ見落としていたことがあるとすれば、それは二人の魔女による特訓を受けたことで一般的には信じられないほどの速さで成長を遂げたと言うことと、さりげない
雄叫びと共に振り下ろされた影の獣の拳に合わせるように、エレファントが上段の回し蹴りを放つ。
「
強化魔法の三段階目。それは今のエレファントでは一瞬の発動が限界であり、それだけでも肉体に大きな負荷のかかる諸刃の剣だった。
だがその一撃は、確かに影の獣を打ち砕いた。一瞬のミートの瞬間を外さずに発動した魔法は人間どころか象の力をも遥かに越えて、強大な獣を打倒した。
だがそれで終わりではない。限界を超えた強化魔法の影響で他の魔法も全て解除されたエレファントだったが、それでも残された力を振り絞ってシャドウへと踏み込んだ。
「ひっ、やめ――」
魔力を使い切ったシャドウは最早影に潜むことも出来ず、情けなく両手で顔を覆い許しを請うが、エレファントの拳は容赦なく振るわれた。
「
「ゴフッ――」
ほんの一瞬、さきほどと同様に殴打する瞬間だけ魔法を発動し鋭い拳がシャドウの鳩尾を打った。そしてそれと同時にエレファントの魔力も底をつく。両手で顔を隠していたシャドウが気絶して地面に転がるが、今のエレファントにはそれを気にしている余裕もなかった。
どこかへ向かおうとして歩き出したエレファントは、数メートルほど進んだところで壁にもたれ掛かりずるずると崩れ落ちるように座り込んだ。
魔力が底をついたこともそうだが、それ以上に三段階目の強化魔法の負荷が大きかった。意識を失うほどではないがしばらくは立ち上がれそうもない。
「ごめん、少しだけ休ませて……。すぐに行くから……」
ここには居ない誰かに謝りながら、エレファントは静かに目を閉じた。