渦潮に包まれたディストが完全に削り切られ消滅したのを見届けてから、青白いワンピースの魔法少女、マリンは魔法を解除した。大きな音を立てて宙を舞っていた大量の水が空に溶けるように消えていく。
「
「なっ――クッ」
油断をしていたわけではなかった。だからこそ、本来であれば急所を貫いていたはずのその一撃を回避し衣装に小さな穴が空く程度で済んだ。
「っ、
マリンは自分が襲われているという事実を認識した瞬間、一度は解除した魔法を再び発動した。いずれはこの地を取り戻すために仕掛けてくると予想していたが、まさか初手で不意打ちに加えて急所を狙ってくるとまでは考えていなかった。
魔法少女同士の抗争というのは昔から大なり小なり発生しているものだが、命のやり取りにまで発展させないという暗黙の了解があるのは当たり前だ。それが守れないのはよほど抗争が過熱した時か、相手が狂人である場合。
「今の一撃で終わらせられなかったことを後悔させてやる」
攻撃の軌道から襲撃者が上に居るのはわかっていた。
マリンが大量の水を自身の周囲に配置しながら高い建物を駆け登れば、予想通りそこにはゴシックロリータの魔法少女が待ち構えていた。
「バーカバーカ、今のはわざと外してやったんだよーだ。
「負け惜しみが早すぎるぞ。
お互いに目的はわかり切っているために、挑発する以外余計な会話をする余地はなかった。
右手を前に突き出したプレスの圧力とマリンの持つ黄金の槍から放たれる渦潮が激しくぶつかりあい、弾け飛んだ水が飛沫となって辺りに散らばっていく。
「
「っ、
飛び散った水の一部が空中で白く結晶化し、雨のようにプレスへ向けて降り注ぐ。プレスはそれを左手の圧力で蹴散らすが、散らしきれなかった一部が次々とプレスの衣装を切り裂いて赤い染みを作り出す。
「
「んなぁぁああ!?」
マリンの詠唱と同時に屋上を濡らしていた水が蛇の形に変化し、プレスに絡みつこうと這い寄っていく。すでに両の手が塞がっているプレスは、これはたまらないとばかりに跳躍して屋上から飛び降りた。追いすがるように海蛇と塩槍が追いかけてくるが、発動したままの圧力で蹴散らしてから両手を地面に向ける。
落下の勢いが弱まりゆっくりと地面に着地したプレスを見て、マリンは感心したような声をあげた。
「ほう、反作用を任意で変えられるのか。使い勝手の良い魔法だな」
「あんた何個魔法使えんのさ! ずるい!」
「教えるわけがないだろう!
放たれた渦潮の魔法をプレスは駆け出して回避した。ここで圧力の魔法を使ってもさきほどの二の舞となるだけで意味がない。
魔法少女が同時に使える魔法の数には個人差があり、訓練によってその数は増やすことが出来るが限界値にもまた個人差がある。例えばプレスの場合は同時に使用できる魔法は二つまでで、これはエレファントもそうだ。ブレイドは訓練の結果三つまで使えるようになったが、大半の魔法少女は二つ~三つ程度で、四つ以上同時に使えると言うのはかなり珍しい。
だからこそプレスはずるいと口にした。今の攻防の中でマリンが同時に使った魔法は、小さな海を作り出し維持する魔法、その水を渦潮にする魔法、塩の槍にする魔法、海蛇にする魔法の四つだ。同時に使える魔法の数はそのまま手数に直結し、対魔法少女戦においては大きなアドバンテージとなる。
そのうえで、マリンは自然系統の魔法少女であり、それはすなわちかなりの火力を出せることを意味する。
手数と火力の揃った強力なアタッカー、それが魔法少女マリン。フェーズ2魔法少女の中でも極めて上位に位置し、その戦闘力はドライアドさえも上回る。魔女を除いた純粋な魔法少女としての力で言えば、現在の咲良町、純恋町の中でも最強と言える。
「第二の門も開けてないようでは、私の相手をするのに不足過ぎる。だが今更謝ったところで許しはしない。私の命を狙ったことを後悔して眠ると良い」
「まあでも逆に考えればこいつの相手があたしで良かったかも。あたし以外だったら多分負けてたよね~」
マンションの屋上から魔法を放つマリンと、地を走るプレスの間には大きな距離があり、声を張り上げでもしなければお互いの言葉は届かない。
だからこそ、二人の発言は面白いようにかみ合っていなかった。
「人に見せんの初めてなんだから、咽び泣いて感謝して欲しいくらいだよ。
プレスの両手が機械仕掛けの手甲に覆われるのと同時に、背後にまで迫っていた渦潮が爆散した。それはまるでそこに仕掛けられていた爆弾にぶつかったかのように唐突で、一瞬の出来事だった。
「なんだと?」
さしものマリンもこれには驚いた。そんなことが出来るならばなぜさきほどの攻防で使わなかったのか。何より、なぜ専用武器を温存していたのか。プレスの両手を包む漆黒の手甲は間違いなく専用武器だ。そうでなければこのタイミングで装備するはずがない。
とはいえ、驚いたとは言っても屈服させようとした小動物が予想していなかった些細な抵抗をしてきた程度のもので、フェーズ2魔法少女だからと言ってマリンとの間にある大きな壁を越えられるわけではない。
せめてもの情けだと、マリンは力の差を見せつけて無駄な抵抗だったと思い知らせてやろうと考えた。
「
今までの数倍の量の海水が出現し、マリンの身体に纏わりついて流水のように動き出す。水を掴んだり水の上に立つことが出来るのはマリンのパッシブ魔法で、こうして水流を利用して空を飛ぶことも出来る。だが空を飛ぶのにそれほど大量の海水は必要ない。マリンは自身の移動のための海水を少しだけ残して、全てを攻撃に転用した。
「
より多くの海水を召喚することは当然魔力の消費も激しくなる。歴戦の魔法少女であるマリンはこの一撃で全ての魔力を消費するような無茶はしないが、それでもプレスを倒すだけならば本来必要ないほどの魔力を込めている。
無駄なことだとはマリン自身分かっていたが、これ以上プレスに期待を持たせるのは可哀想で見ていられなかった。だから今の自分に許される範囲の全力で叩き潰すことを選んだ。
局地的な津波の如く、渦巻く大量の水がプレスに襲い掛かる。プレスとの間にあった建物を全て粉砕してその渦の中に巻き込みながら、プレスに着弾する直前、先ほどのように再び渦潮が爆ぜた。巨大な渦潮はたった一度の爆発で四散することはないが、激しい爆音は何度も何度も連続で鳴り続け、そのたびに渦潮の一部を散らしていく。
時間にしてほんの数秒だが、驚くべきことにプレスは砕き流す渦潮を完全に防ぎ切った。だが、健闘はそこまでだった。
「くっ、このぉ! また! っ――」
マリンは砕き流す渦潮で終わるだろうと考えてはいたが、万が一に備えて爆散した水を操作し少しずつプレスの近くに集めていた。そして砕き流す渦潮を防ぎ切り一瞬だけ気の緩んだ瞬間、あの日の再現のようにプレスを水が包み込んだ。
こうなってしまえばもうお終いだった。水の中では魔法は使えない。いや、正確には詠唱が出来ないのだが、魔法少女は詠唱しなければ魔法を使えないのだから同じことだ。
念のための二段構えの策だったが、出来ればマリンはこの手段を使いたくはなかった。だからこそわざわざ必要のない大量の水を使ったのだ。最初からこの手段で無力化するつもりだったのなら使うのは激流渦でも良かった。
マリンの手札の中で最も確実に魔法少女を無力化出来るのはこうして水を使って窒息させることだが、マリンはそれを出来るだけ避けるようにしていた。あの日初手でそれを使ったのは、一切の抵抗を許さずに終わらせる必要があったからだ。そうじゃなければあんなことはしなかった。
なぜマリンがこの手段を嫌がったのかと言えば、それは単純に相手が可哀想だからに他ならない。シャドウには突っ込まれていたが、あの日のマリンの言葉は嘘ではない。マリン自身は経験したことがないが、窒息と言うのはそれはもう苦しいものなのだという。誰が好き好んでそんな手段を用いるだろうか。
「すまない。力の及ばなかった私をどうか許してくれ……」
「――勝った気になってんじゃねーんだよお!!」
これまでの経験から、この状態からの反撃はないと確信していたマリンは迂闊にもプレスに近づいてしまっていた。だから、出てくるはずのない少女が水球を抜け出したことに驚愕し、硬直し、大きな隙を晒した。
水球から抜け出た――否、叩きつけられる様に水が大地に平伏したことで開放されたプレスが、着地と同時に目の前の魔法少女に手をかざす。一拍遅れてマリンは動き出そうとしたが、遅かった。本来ならばプレスが詠唱を完了するまでに回避が間に合うはずだった。だが、その魔法は静寂の中一瞬で放たれた。
「ぁ――――」
強烈な圧力に押されて宙に浮いたマリンの身体が、何かにぶつかるのと同時に凄まじい衝撃を受けた。マリンは声にならない声をあげて吹き飛ばされ地面を転がっていく。すでにマリンは意識を失っており、最終的には力なく四肢を大地に投げ出して白目を剥いている。
プレスに近づくに当たって、マリンは当然見えない爆弾を警戒して水を使い除去作業を行ったが、少し離れた場所に配置された物までは掃除しきれていなかった。だが魔法の使用者であるプレスはその爆弾の位置を最後まで把握していた。だから最後はその爆弾へ向けてマリンを圧し出した。
爆弾の正体は圧縮された空気だ。
マリンは当初、プレスは掌や指の先にしか圧力を発生させられないと考えていたが、それは間違いだった。マリンも見えない爆弾があるということを認識してからは、手の先だけに圧力を生み出すという推測は改めていたが、その爆弾の正体にまでは気づいていなかった。
「魔法少女相手にそれは反則っしょ~」
プレスはその辺に転がっていた布を使ってマリンを拘束し猿轡のようにして口を塞いだ。こうして口を塞がれるだけで、事前に魔法を使っておかなければ魔法少女は無力化されてしまう。
エレファントは事前に第三の手を使うことでシャドウの拘束を逃れていたが、相手がマリンであればそれも通用しなかっただろう。
「ま、反則同士でお互いさまってことで」
縛り上げたマリンを担ぎ上げ、上機嫌そうに鼻歌を歌いながら歩き出したプレス。
戦闘中にプレスが呟いていたように、確かにこの戦いはプレスでなければ勝てなかっただろう。マリンは最後まで余裕を持ち、切り札を温存した状態であれだけプレスを追い詰めたのだから。
魔女を除いた咲良町と純恋町において、