一方的にやられっぱなしで、自分たちは何も出来ないままに魔女が縄張りを取り戻すのでは、あまりにもやるせない。エクステンドさんのその言葉は理解できないものではありませんでした。だから、エレファントさんたちの特訓に協力しましたし、私の方から襲撃者たちに手を出すようなことはしなかったんです。
ただ、だからってエレファントさんたちに全部任せてはいお終いだなんてそんなの私が納得できません。エレファントさんたちには勝って欲しいと思ってますけど、必ず勝てるという保証はないんです。みなさんが勝つことを信じるなんて言えば聞こえは良いかもしれないですけど、根拠のない信頼は他人任せの怠慢です。もしもエレファントさんが負けて、その時私が近くに居なかったせいで命が脅かされるようなことがあったら、私は二度と立ち直れないと思います。
だからエレファントさんたちには申し訳ないですけど、それぞれの戦いにはバックアップが付いてます。なるべく手を出さないようにと取り決めてはいますけど、万が一の場合は躊躇なく介入するつもりです。
エレファントさんには私が、ブレイドさんにはサムライピーチさんとナックルさんが、プレスさんにはエクステンドさんがそれぞれ少し離れた場所で待機してます。本人たちには勿論秘密です。
「よお、出歯亀とは良い趣味じゃねーか」
風を利用してエレファントさんとシャドウさんのやり取りをギリギリ把握出来る場所に隠れた私に対して、そんな声が投げかけられました。
どこかに居るとは思ってましたけど、私が当たりでしたか。
ビビッドカラーの紅髪に灰色の軍服を着た魔法少女。
序列第十一位のシメラクレスさんが不敵な笑みを浮かべて民家の屋根に立っていました。
「あんた、タイラントシルフだな。あたしはシメラクレスだ」
「知ってますよ。縄張り荒らしに雇われてる魔女でしょう」
「おいおい、やけに喧嘩腰じゃねーか。あんたは中立なんじゃなかったのか?」
「はい、その通りですよ。単に私の縄張りで他の魔女が幅を利かせてるのが気にいらないんです」
本来なら襲撃者側に与しているこの魔女も懲らしめてやりたいところですけど、今はそれどころじゃありません。この人に邪魔をされてエレファントさんの様子を見逃すわけにはいきませんから、今だけは見逃してあげます。どうせ雇われで、あと数日もすれば勝手にいなくなるはずですしね。
「話が違うじゃねーか、ったくよぉ。ま、そんなこったろーとは思ってたけどさ。結局あんたは地元連中の側だったってわけか」
「……中立だと言ったと思いますけど」
「よぉあんた、腹芸は慣れないみたいだね。あんたはどうやって縄張りが荒らされたって知ったんだ? あんたはそれを知らないって態だったはずだぜ? 連中が泣きついたんならこんなとこで隠れてんのもおかしいしね。最初からグルだったってわけだ」
「
それだけでは確信に至るほどの状況ではないですし、カマをかけられてるのかもしれないですけど、これ以上無駄な問答に時間を費やすつもりはありません。どうせ疑われてるなら確信に変わる前に先制するのが一番です。
竜巻が直撃したシメラクレスさんは途中で爆発に巻き込まれて周囲の建造物を巻き添えに瓦礫の山に埋もれました。今の爆発、シメラクレスさんを中心に発生したように見えましたけどもしかして爆弾でも持ってたんでしょうか。対人では小道具を使うこともあるみたいなので普通にありえますね。
「ははは! 澄ました顔して凶暴じゃねーか! 良いねぇ! おもしれぇ!」
「……直撃したと思いましたけど」
ほとんどダメージを受けてない様子で、シメラクレスさんが瓦礫の山から立ち上がり楽しそうに笑いました。衣装はボロボロになってますけど、身体の方は小さな切り傷くらいしかついてないですね。ところどころ衣装が焦げてるのは爆発の影響だと思います。
「手加減したんだろ? じゃなかったら魔女の一撃がここまで軽いわきゃねーよなぁ!」
ディストに向けて撃つ時と比べればかなり手加減したのは確かですけど、だからってここまで軽傷とは思いませんでした。これが身体強化魔法に特化した魔女の力ということでしょうか。人間を相手にしていると思って戦うのは止めた方が良さそうです。
「
「――その名を叫べ」
制空権を取られないために空へ飛び上がったところで、シメラクレスさんのボロ屑のような軍服が光と共に弾け飛び、肌にぴったりと張り付く白い民族衣装のような服に変化しました。太ももの部分に深い切込みがあり、身体を動かすのを阻害することはなさそうです。
また、衣装が変わるのと同時にいくつかの小袋が地面に落ちました。多分残ってた小道具ですね。軍服ならまだしも、あの衣装では小道具をしまっておける場所はなさそうです。
「
「
シメラクレスさんの魔法の中で最も強力な強化魔法が発動すると、自由自在に空を飛んで竜巻を回避しました。何度見てもおかしいというか、チートじゃないでしょうか。
シメラクレスさんはいくつも動画を上げて自分の宣伝をしている魔法少女で、魔女の中で最も有名だと言っても過言ではありませんが、同時にその戦闘スタイルや使用魔法もほぼ全てが公開されて出回っています。
シメラクレスさんの魔法は元々は剛力魔法と言われていて、その効果は身体強化ただ一点のみ。それ以外には一切の効果がない、超近接肉弾戦型の魔法少女、のはずでした。実際、調べたところによると第三段階の強化魔法まではひたすらに身体能力が強化されるだけだったそうです。でも、シメラクレスさんが魔女として覚醒し第四段階の強化魔法に至った時、シメラクレスさんの魔法にはなぜか空を飛ぶ力が加わってました。なんでも、神秘的な力を使って空を飛ぶのだそうです。意味が分かりません。
それだけならまあ良いかもしれないですけど、なにがずるいって、飛行の魔法と身体強化の魔法がセットになっていることです。他の魔法少女なら二つ分の魔法の使用枠を使うところを、シメラクレスさんはその一つだけで済ませることが出来て、さらに詠唱も一つ分で済みます。まあ、シメラクレスさんが強化魔法しか使えないことに変わりはないので、魔法の使用枠が空いてても意味がなく、性能はチートなのに十全に使いこなせていないみたいですけど。
「くっ、ちょこまかと!」
飛び回るシメラクレスさんに食らいつくように竜巻が複雑な軌道を描きますが、シメラクレスさんはそれを器用に避け、時には殴りつけて軌道を逸らすことで直撃を免れています。さすがに全力の削り散らす竜巻を受けて軽傷でいられるとは思ってないみたいですね。
「そりゃあこっちのセリフだっての!」
飛び回っているのはシメラクレスさんだけじゃなく私も同様です。散々痛めつけられて業腹ですが、エクステンドさんの訓練の成果は確かに出てます。これまでの私は魔法を使うのに集中するために、空中で棒立ちしながら削り散らす竜巻を使ってましたけど、それでは掻い潜って殴ってくれと言ってるようなものです。
相手を攻撃するのは当然として、自分の身を守ることも同時に考えて動かなければいけません。最初は苦労しましたし、ぎこちない動きでしたけど、今ではこうやって回避と攻撃を両立させることが出来てます。
「これならどうだぁっ?」
「
ビルを蹴り飛ばしてその破片を飛ばしたり、パチンコ玉のような小さな鉄球を散弾のように投げ付けてきたりと、力技の遠距離攻撃を仕掛けてきたシメラクレスさんに対して、私は飛び道具を逸らすための風の鎧を纏います。
ほとんどは削り散らす竜巻に叩き落されて届きませんし、その守りを抜けてきたものは全て軌道を逸らされてあらぬ方向へ飛んでいきました。
「だったらこいつだ!」
シメラクレスさんが投げた袋を竜巻で叩き落そうとすると、中から大量の煙が発生して一時的に視界を埋め尽くしました。当然、強烈な風に煽られて煙はすぐに晴れますけど、シメラクレスさんの狙いはその極短時間の目くらましでした。
「っらぁ!!」
「っ――、――!」
一時的にシメラクレスさんを見失ったせいで、逃げる方向がわからなくなってしまったんです。それでも煙を晴らしながら動きを止めないように飛び回ってましたけど、適当に動くだけで逃げられるほど魔女は甘くありませんでした。
煙に紛れていつのまにか接近してたシメラクレスさんに気が付いたのは、振り上げられた拳を下ろす時でした。矢除けの風鎧は飛び道具を逸らすための薄い風の膜のようなもので、シメラクレスさんにかかればそんなものを突き破って私に殴りかかるのは造作もないことだったみたいです。
とっさに大杖を間に割り込ませて防御しましたけど、腕が痺れるほどの衝撃と一緒に地面に叩きつけられて悲鳴を噛み殺しました。
ううっ~! 痛いです! 滅茶苦茶痛いです! でも、魔法を切らしたら駄目です! 殴られた時に竜巻の制御は手放しちゃいましたけど他の魔法はまだ生きてます!
目尻に涙が浮かんでるのが自分でもわかるくらい、全身の骨が砕けて粉々になったんじゃないかって思うくらい痛いです。でも、トレーニングルームでエクステンドさんに虐められた時ほどじゃないです。私はまだ、戦えます。早く、シメラクレスさんの追撃が来る前に飛ぶんです。
痛みに屈して折れそうな自分を奮い立たせて、魔法を維持したままもう一度飛び上がろうとしたところで、ふと視界の端に壁にもたれ掛かるエレファントさんの姿が映りました。いつの間にか大分近づいてしまってたみたいです。
「っ!? エレファントさん!!」
「シルフちゃん……、危ない……!」
駄目だとわかっていながらも自分を抑えることが出来ませんでした。一刻も早くエレファントさんの傍に行こうとするあまり、飛び上がるんじゃなくて真っ直ぐに駆けよってしまいました。
歴戦の魔女が、そんなあからさまな隙を見逃すはずがありません。わかっていたはずなのに、身体が勝手に動いてしまったんです。
「隙だらけだぜ!」
私と同様にいつの間にか地面に降り立っていたシメラクレスさんが、一息に距離を詰めて拳を引きました。さっきの一撃は踏ん張りのきかない空中であったことと、私が飛び回っていたことで正確に狙いをつける余裕がなかったので、シメラクレスさんの全力の一撃ではなかったはずです。だから純粋な後衛型の私でも何とか耐えられました。だけど、この一撃は駄目です。これをまともに受けたら終わりです。だけど、避けられません。苦し紛れのように口を動かしますけど詠唱も間に合いません。シメラクレスさんもそれがわかってるから、真正面から全力でその一撃を通しに来たんです。
「
でも、そうするだろうなって最初から思ってました。
「っ!?」
大杖は真正面、つまりシメラクレスさんに向けてます。防御に使う気はありませんでした。
私の詠唱が終わるよりも早く振り抜かれた拳が、私の眼前すれすれを通過していきます。シメラクレスさんは距離を見誤った素人みたいに盛大に空振りしたわけです。空ぶった本人はありえないというように驚愕の表情を浮かべてます。そりゃあ歴戦の魔女が素人なわけないですもんね。
「
手加減なしの全力全開です。空ぶった直後で回避する暇も与えずに、凶悪な竜巻がシメラクレスさんを呑み込んでのたうつように暴れまわります。
どれだけ時間が経ったでしょうか。私の近くを除く周囲一帯が更地になったころ、私は魔法を解除しました。
一歩でも間違えれば死ぬ、もしくは大怪我するかもしれなかったという状況が、私に極度の緊張状態を強いてました。冷静に計画通り戦ってるつもりでしたけど、思ってたよりも冷静じゃなかったみたいです。ここまでするつもりはなかったんです。人殺しにはなりたくないので、生きててくれると良いんですけど……。
「くっ……、何が……」
うつ伏せで更地になった地面に倒れるシメラクレスさんが、ボロボロで血まみれになりながら私を見上げました。立ち上がれはしないみたいですけど、喋れるなら思ったよりも大丈夫そうですね。
わざわざシメラクレスさんに種明かしをするつもりはないですけど、そう難しい話じゃありません。単純に、矢除けの風鎧を応用して超狭範囲高密度の風の鎧を纏っただけのことですから。今の風鎧は飛び道具だけじゃなくて近接攻撃も受け流せるほどの出力があります。
矢除けの風鎧は元々は私の身体をすっぽり包み込むような球形の風に包まれる魔法です。飛び道具を逸らす程度の出力はありますけど、近づかれて殴られたり斬られたりするのは防げない程度の、鎧とは呼ぶには心もとないものでした。でも、魔法は使用者の習熟や成長によって応用することが出来ます。
エクステンドさんに痛めつけられた私が思ったのは、わざわざ痛みに慣れるんじゃなくて相手の攻撃が当たらなければ良いってことでした。だから攻撃しながら回避行動をする訓練もしましたし、万が一近づかれて攻撃されても良いように風鎧の魔法を一杯練習して応用できるようにしました。
魔法の応用は別に詠唱を必要としません。例えばブレイドさんの間剣泉は応用で地面以外でも使えるようになったらしいですけど、詠唱は変わってないです。プレスさんの圧し潰す一指は趣味だと思います。
だからあらかじめ風鎧の魔法を使っておいて、攻撃を受ける直前に範囲を狭めて出力を上げるのはノータイムで出来ます。
本人の宣伝活動の甲斐もあって、シメラクレスさんが飛び道具を使ってくることはわかってました。それに、対人戦に強いって言われるくらいですから何かしらの手段で私に近づいて攻撃してくることも予想出来ました。
だから風鎧をあえて飛び道具逸らしに使ったのも、一度風鎧を突破されて攻撃されたのも、全ては最後の隙を作るための布石です。エレファントさんに駆け寄ってしまったのだけはアクシデントでしたけど、結果的にうまくいったからそれで良しです。
「私の勝ちです。エレファントさんも勝ってます。それでもまだやりますか?」
気づいたのはついさっきですけど、気絶してエレファントさんの近くに転がるシャドウさんの姿が見えました。エレファントさんは動けないみたいですけどまだ意識もあるので、勝ったのはエレファントさんだってことです。
シメラクレスさんがどんな契約を結んでるのかまでは知りませんけど、もう戦う理由もないはずです。
「……
「っ!」
詠唱が完了するのと同時にシメラクレスさんの傷口がふさがって、ゆっくりと立ち上がりました。
シメラクレスさんの使える最強の魔法は身体強化の第四段階までだったはずです。実際これまでのどの記録を見てもそれを上回る魔法は使ったことがありませんでした。
でも、そうですか。切り札を隠してるのは、私だけじゃないってことですか。
「まだ依頼完了の連絡も期限も来てねーからな。こっちの判断で勝手に終わらせるわけにはいかねーな」
「随分と律儀ですね」
「傭兵は信用が売りなんだぜ?」
虚勢や強がり、ハッタリの類いなら良いんですけど、本気で軽口を叩いて笑うくらいの余裕があるんだったらまずいですね。これも神秘の力というやつなんでしょうか。傷が治るなんて反則だと思います。
風鎧の応用で空振りを誘発する作戦はもう使えないでしょう。あれは初見殺しです。それがあるとわかっていればシメラクレスさんなら鎧の上からでも攻撃を通せるはずです。そのくらい出来なきゃ魔女は名乗れないでしょう。
ただ、私もさっきまでは使えなかった切り札が今なら使えます。戦闘中のエレファントさんを巻き込む危険がありましたけど、今は戦いも終わってすぐそこに居ます。巻き込むことを心配する必要はありません。
「んじゃまあ、いい加減終わりにしようぜ。こっちは後がつかえてんだ」
「同感です」
シメラクレスさんが言ってるのはエクステンドさんのことだと思います。私もエレファントさんの勝利を確認したのでブレイドさんとプレスさんの様子を見に行く必要があります。二人に何かあったらエレファントさんが悲しみますからね。
お互い引く気は微塵もなく、何らかのきっかけと同時に今にも戦いが再開しようというその時
「ゴアアアアアアァァァーーッッ!!」
地を揺るがすほどのおぞましい咆哮が響き渡り、シメラクレスさんが勢いよく顔を上げてその声の方向に走り出しました。
「一時休戦だ!!」
シメラクレスさんはそれだけ言ってあっという間に見えなくなってしまいました。
私は急展開についていけず呆気に取られてしまいます。
「な、なんですか今のは……?」
心の底にある根源的な恐怖を呼び覚ますかのような、恐ろしい叫び声。
これは多分ディストの声のはずです。そしてそうであれば、魔法少女には恐怖や不安を抑制する機能があるはずです。ディストとの戦いで怖気づかないように、足が竦まないように。それなのに、そんな忌々しい機能を持ってしてなお抑えきれない恐怖を感じてるというのでしょうか。
少し遅れるようにマギホンからディスト発生の通知が鳴り響きました。
私のものだけでなく、エレファントさんやシャドウさんのものも鳴ってます。
そしてその通知を見て納得しました。今まででに感じたことのないほどの威圧感。それも当然です。通知には、その存在の危険度を示すかのようにデカデカとこう表示されていました。
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