魔法少女タイラントシルフ   作:ペンギンフレーム

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時系列は糸の魔女とのお茶会の前日です


episode2-閑 水族館

 人通りの多い駅の改札口で、一人の少女がスマホを片手に誰かを待っていた。波打つようにパーマのかかったミディアムの淡い水色の髪は、本来であれば非常に目立つはずだが特別に視線を集めてはいない。少女の名は木佐山ちさき、又の名を魔法少女エレファント。

 魔法少女は宝物庫へアクセスするための鍵を手に入れる際、何らかの影響で髪や瞳の色が変化することが多いが、認識阻害の影響によりそれを周囲から不審に思われたり奇異の目で見られることはない。そのため今のちさきは、夏休みに都会に遊びに来て待ち合わせをしている一般的な少女としか思われない。

 

 ふと、スマホを見ていたちさきが顔を上げて改札に視線を向けた。そこには白いワンピースに身を包んだ、幼気な妖精の如く愛らしい少女の姿があった。

 宝石のように美しいエメラルドグリーンの髪の毛は良く目立ち、ちさきがその少女を見つけるのは簡単だった。少女の名前はタイラントシルフ。最近仲良くなったばかりのちさきの友人だ。

 認識阻害は魔法少女にも適用され、変身後の姿と変身前の姿を知らなければ、どれだけその容姿が似通っていたとしても同一人物だと気づくことはない。しかしその逆に同一人物であるということを知っている場合には、認識阻害の影響を一部抜け出し、髪の色や瞳の色を正しく認識出来るようになる。ちさきはタイラントシルフのことは勿論、変身前の姿も知っているため、その特徴的な髪色を探すことですぐにタイラントシルフを見つけられた。

 

 もっとも、仮にシルフの髪色が黒や茶色と言ったありふれたものでも見つけ出すことは容易だっただろう。認識阻害の影響下にある一般人には、タイラントシルフの姿は髪にしても服装にしても何ら奇抜な部分のない普通の少女に見える。ただし、ある一点に限っては魔法少女であることや認識阻害とは一切関係なく注目を集めてしまっていた。

 その幼さゆえに10人中9人がとまでは言わないが、それでもすれ違った人の半数以上は振り返るほど整った容姿。自信なさげに、不安そうに眉を歪めて誰かを探す様にキョロキョロとしている、庇護欲を誘う仕草。

 注目を一手に集めているというほどではなく、何か問題が起きるほどでもない。それでも、端的に言って目立っていた。とくに、男性よりは女性からの視線が多い。タイラントシルフは一見して10歳前後に見えるため、恋愛的な意味で男性の視線を集めているのではなく、可愛らしい小動物を愛でるような視線を向けられているようだった。

 

「良ちゃん、おはよ」

「! エレ――」

 

 タイラントシルフに背後から声をかけたちさきは、満面の笑みを浮かべて返事をしようとしたシルフの口に立てた人差し指を当てて言葉を遮った。

 

「こっちではちさきって呼んでね。私も良ちゃんって呼ぶから」

「あ、わ、わかりました。ち、ちさきさん! おはようございます!」

 

 魔法少女に変身してる時に本名で呼ぶのがご法度であるのと同様に、変身していない時に魔法少女の名前で呼ぶのはマナー違反だ。一般人ならば認識阻害の影響を抜けることはないが、他の魔法少女が偶然傍にいないとも限らない。

 お互いを名前で呼ぶということは事前に決めていたことだが、幼い少女姿の良一をまさかそのままの名前で呼ぶことも出来ず、変身前は水上良という仮の名前を使うことになった。

 

 ちさきの名前を呼ぶのが気恥ずかしかったのか、タイラントシルフ改め良は少しだけ顔を赤くしながら気合を入れて挨拶を返した。

 

「今日は結ってないんだね」

「どうやるのかが良くわからなくて……」

「あー、変身すると勝手に変わるもんね」

「ちさきさんはいつもの方が良いですか?」

「いつも可愛いけどストレートも清楚な感じですっごく可愛いよ!」

 

 流石に寝ぐせがついているようなことはないが、今日の良の髪型はシンプルなストレートだった。単にやり方がわからないというだけの理由だったが、変身している時のツインテールを見慣れているちさきはこれも新鮮で悪くないと花丸を付ける。

 

「あ、ありがとうございます。あの、どこか変なところはないでしょうか……?」

 

 聞けば、家を出てからこの場所に到着するまで多くの人にジロジロと視線を向けられているのを感じていたらしい。良はそれを、自分に変なところがあるから皆見ているのだと解釈していた。

 

「変なとこなんてないよ! 良ちゃんが可愛いからみんな見ちゃったのかもね」

「そんなことないと思いますけど……」

「そんなことあるの! ほら、行こっ!」

 

 どこか腑に落ちない様子の良の手を引いてちさきは歩き出した。

 今日のお出かけ、もといデートのエスコート役はちさきのようだった。

 

 

 

 

 

 

「ビルの中に水族館があるなんて凄いです」

 

 エレベーターを降りて受付に並んでいる間、良はしきりに周囲を見渡しては凄い凄いと繰り返していた。

 今日のデートコースでちさきが選んだのは都内にある水族館で、理由は良が水族館に行ったことがないという話を以前にしていたからだ。ちさきも詳しくは聞いていないが、通常家族や友人と一緒に行くような娯楽施設のほとんどに良が行ったことがないということを薄っすらと感じ取っている。新チームを結成して以降四人で雑談をすることもあるが、話が噛み合わないことがそれなりにあるのだ。

 だからちさきは、良と色んなところに一緒に行ってその楽しさを教えてあげたいと思い、その手始めがこの水族館だった。

 

「テレビで見たことはありますけど、実際に見てみるとやっぱり違いますね」

 

「この魚、映画で見たことあります!」

 

「見て下さいちさきさん! ペンギンが泳いでます!」

 

「こんなおっきい虫が部屋にいたら嫌ですね……」

 

 子供のようにはしゃぎ回るようなことはしていないが、それでも初めての体験に心が躍っているのか、声音は弾んでいるし、楽しそうに目を輝かせている。そんな良をちさきは暖かく微笑んで見守りながら、内心である悩みを抱えていた。

 

 悩みと言ってもそう深刻なものではないが、ちさきにとっては重要な悩みだ。

 その悩みとは、良が自分のことをとても可愛らしい女の子だと認識していない、ということだ。

 いや、正確にはそれによって周囲からどう見られるか、だろうか。容姿が整っているということ自体は良も自認しているが、それが周囲にどのような影響を与えるのかを理解していない。

 

 大きな例を挙げるのであれば、Tシャツ一枚で外出したという事件がある。認識阻害でどうせ気づかれないだろうという楽観視によって発生したこの事件だが、しっかりと認識されていたことが発覚して良が感じたのは、危機感ではなく恥ずかしさだった。それは女の子特有のものではなく、単純にだらしない恰好で出歩いているのを見られたことに対する羞恥という、誰もが持ち得るものだ。

 だがちさきがその失敗談を良から聞いた時に思ったのは、恥ずかしいという以前に危機感がなさすぎるということだった。だらしなく無警戒で可愛らしい少女が歩いていて、日中だったから良かったものの、これがもしも夜や人目につかない場所だったら良も無事ではなかったかもしれない。

 

 今日の話にしても同じで、集合場所に着くまで色々な人に見られていたと良は言ったが、それを自分の優れた容姿が原因だとわかっていない。普段はあまり外出する機会も多くないので今のところ問題は起こってないが、このままではいつか大変なことになるかもしれない。

 

 やはりここは一度厳しく言っておくべき、今日のデートの終わりにでも伝えようと、ちさきが決意を胸に良のことを目で追おうとして、気が付いた。良の姿が見えないことに。

 

「良ちゃん……?」

 

 悩みながら進んでいたことで、ちさきは気づかぬうちにかなり暗い展示スペースまで来ていた。夏休みということもあって人の数も多く、良の姿が見当たらない。

 大声を出すわけにもいかず、ちさきは速足になって展示スぺ-スをを歩き回るが良の特徴的な髪色が目に入らない。その段階になって初めて、はぐれてしまったのだと理解した。

 とはいえ、見た目は子供でも実際には大人の良だ。スマホも持っているし、それほど心配する必要はない。ちさきはそう考えてメッセージアプリで連絡を取ろうとしたが、連絡がつかない。電話をかけて見ると、電源が切れているか電波の届かない場所に居るとアナウンスが流れた。さきほどまでの悩みもあって、少しだけちさきの脳裏に嫌な想像が浮かび上がる。

 

 迷子ならばまだ良い。良には恥ずかしい思いをさせることになるが迷子センターにでも行って放送をかけて貰えばすぐに解決するだろう。

 だが、例えば誘拐だとしたら。良は魔法少女であるため、早々まずいことにはならないはずだが、例えば意識を奪われたり口を塞がれてしまえば魔法少女は無力化されてしまう。そして、元は大人の男性であるとは言っても、今の良は10歳の少女だ。力ではちさきにだって敵わない。

 

 良はまだ子供で、普通の大人からそうした下種な視線や欲望を向けられるような年齢じゃない。だが、どこにでも異常者はいる。

 考えれば考えるほど、ちさきの思考は悪い方へ傾いていく。迷子センターに向かう足は人込みでもギリギリぶつからない程度の速足だったが、今にも走り出しそうだった。

 

「それじゃあ行きましょうか」

「はい」

 

 ふと、そこで聞き覚えのある声が聞こえてちさきは足を止めた。視界の端で、見知らぬ大人の女性について行き歩き出そうとする良の姿が見えた。

 

「良ちゃん!」

「あ、ちさきさん!」

 

 ちさきが大声で名前を呼べば、良はホッとしたような表情を浮かべて振り返りちさきの名前を呼んだ。

 それを見て、良を先導していた女性は優しそうに微笑みを浮かべる。

 

「お友達が見つかって良かったわね」

「はい。ありがとうございました」

「良ちゃんの相手をしてくれてたんですね。ありがとうございます」

「いいのよ、困ったときはお互い様だもの。ほら、もうはぐれないように手を繋いで。それじゃあね」

 

 歳不相応な生真面目さで返す良に対して、ちさきは安堵した様子でお礼を述べた。女性はそんな二人の手を繋がせて去っていった。

 

「良ちゃん、ちょっと来て」

「え? ち、ちさきさん? 怒ってます……?」

 

 ちさきが少し冷たいトーンで告げて良の手を引き歩き出すと、良は機嫌を伺うように少しだけ声を震わせてそう尋ねた。だが、ちさきはそれに答えない。

 両者無言のままさきほどはぐれてしまった暗い展示スペースまで戻り、ちさきは展示物がなく人の居ない壁際で歩みを止めた。

 

「あ、あの、ちさきさん? はぐれてしまって、ごめんなさい」

 

 迷子になったことを怒っているのだと勘違いした良が恐る恐ると言った様子で謝罪する。だが、ちさきが怒っているのはそんなことじゃなかった。もちろん良がいなくなったことに対して凄く心配はしていたが、それは怒りよりも無事に見つかったということの安堵の方が大きい。

 ちさきが怒っているのは、迷子になった後、良が見知らぬ女性に簡単について行こうしていたからだ。

 

「良ちゃん、あの女の人は知ってる人だったの?」

「え? いえ、初めて会いました」

「じゃあなんで一緒に行こうとしてたの?」

「ちさきさんとはぐれてしまって、探してたら迷子センターまで連れてってあげるって言われたんです。スマホの充電が切れてちゃってて、確かにそれが一番早いかなと思って……」

「良ちゃん……」

 

 低いトーンで投げかけられる質問に答えながら、良は少しずつ近づいてくるちさきの圧力に気圧されて後退し、とうとう背中が壁に触れた。これ以上は下がれないというところで、ちさきが片手を強く壁に押し付けた。鈍い音が小さく響き、良は一瞬びくりと肩を跳ねさせる。

 

「良ちゃんは今、女の子なんだよ?」

「は、はい。そうです」

「知らない人に付いて行ったら駄目だって、教わらなかった?」

「え、で、でも女の人でしたし……、それに私は魔法少女ですから……」

「ねえっ」

 

 ちさきは少しだけ苛立ったような声をあげて良の両手首を掴み、壁に押し付けた。本気で力を込めれば折れてしまうんじゃないかと不安になるほど華奢な腕で、ちさきは押さえつける力を一瞬緩めようとしたが、心を鬼にしてむしろ力を込める。

 魔法少女に変身していないとはいえ、ちさきは14歳で良は10歳であるため腕力の差は比ぶべくもない。仮に良が本気で逃げ出そうとしても、振りほどくことは出来ないだろう。

 

(元が男の人だからなのかな。やっぱり良ちゃん何もわかってない)

 

「ち、ちさきさん? ちょっと、いたい、です」

「抵抗してみなよ。女の人だから安全なんて、そんなのわかんないよ?」

「ひぅっ」

 

 ちさきが良の耳元で囁いて軽く息を吹きかけると、良はくすぐったそうに声をあげて身をよじる。だが、両手を拘束されていて逃げることは出来ない。

 

「え? え?」

「このまま口も塞がれちゃったら、魔法少女かどうかなんて関係ないよね」

「あの、何を……?」

 

 そう言ってお互いの吐息が触れ合うほど近づいて、ちさきは良の瞳を覗き込んだ。もうあと少し近づくだけで、後ろから少し押されるだけでお互いの口が触れ合ってしまうほどの距離。だが、突然のことに良は状況が呑み込めていないのか、怯えるでも照れるでもなく、キョトンとしていた。

 そんな良の無垢な反応を見てちさきは、途端に気恥ずかしくなり掴んでいた両手を離して顔を逸らした。

 

「な、なーんてね! こんな感じで女の人だからって安全とは限らないから気を付けなきゃ駄目だからね!」

「あ、なるほど。そういうことだったんですね。いきなりだったのでよくわからなくてすみません。そうですよね。今も全然逃げられなかったですし、もっと気を付けないと駄目ですよね」

「そうだよ! ほんとに心配したんだからね!」

 

 ちさきは手でぱたぱたと顔を仰ぎながら冗談めかしてそう言った。ちさきの顔がゆでだこの様に真っ赤になっていることは部屋の暗さに隠され、良が気が付くことはなかった。




そんな良の無垢な反応を見てちさきは――



①途端に気恥ずかしくなり掴んでいた両手を離して顔を逸らした  ←

②独占欲と僅かな嗜虐心を刺激され衝動的に口づけを交わした

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