魔法局の一階に併設されている喫茶店で時間を潰していたドッペルゲンガーは、クローソからの連絡を受けて席を立った。予定していたよりも早い時間だが、相手は魔女だ。やはり一筋縄では行かなかったのだろうと予想し、頑張った後輩を慰めるためにお茶会の部屋に足を運んだ。
だが、扉を開けてみれば予想に反して上機嫌そうに一人でお茶を楽しむクローソの姿があった。本来であれば話し合いが終わった後にドッペルゲンガーも顔合せをすることになっていた為、彼女の姿がないということは予定通りにはいかなかったはずだ。
「嬉しそうね、クローソちゃん。良いことあった?」
「はい。シルフさんは話のしやすいとても良い子でした。少しだけ気まぐれみたいですが、気になるほどではありません」
いつも無表情に平坦な声音で冷たい印象を与えがちなクローソが、嬉しそうに頬を緩ませて語る。
今日は新しく魔女になったタイラントシルフと魔女を統括する立場にあるウィグスクローソの初顔合わせが行われていた。穏便にことが終われば紹介してもらうために、穏便に終わらなければ仲裁するために、そうした役割を持ってドッペルゲンガーは魔法局で待機していたのだ。
上機嫌そうなクローソの様子を見るに、タイラントシルフは随分とやりやすい魔女だったらしい。
魔女を統括する立場というのは、強権があるわけでもないのに精神的な負担の大きい役割だ。
序列第一位の眠りの魔女は一度として目覚めたことがないため話が出来ないのは当然として、基本的に一言も口を利かず何を考えているのかわからない毒虫の魔女、素なのか演技なのか得体の知れない氷の魔女、やたらと兎の魔女に突っかかる情緒不安定な重力の魔女。ろくに話も聞かず自分勝手に振舞う海賊の魔女、体制の転覆を企む兎の魔女、傭兵を本業にしてろくに顔も出さない剛力の魔女、何を考えているのか読めない鮫の魔女、そして力に呑まれているように見える拡張の魔女。およそ半数以上が個性的という言葉では言い表せないほどアクの強い集団なのだ。
そんな彼女らを取りまとめる立場に居るクローソにとって、普通に話の出来る魔女というのは本当に貴重な存在だった。
「それで、肝心のシルフちゃんはどうしたのよ?」
「ラビットフットさんに連れて行かれました」
「あの兎ちゃんはほんとっ……」
ドッペルゲンガーは額に手を当ててやれやれと言いたげに首を振る。
何が気に入らないのか知らないが、兎の魔女は何故かクローソのことを目の敵にしている。そして協力しているドッペルゲンガーもあまり良い印象を持たれていない。
ドッペルゲンガーとしても個人的な好き嫌いにまで口出しをするつもりはなかったので放置していたのだが、後になってその選択が間違っていたことを知った。いつのまにか生命派の中に自分の派閥を作り出し、生命派を二分するほどに強力な勢力を作りつつあったのだ。今はまだドッペルゲンガーが派閥の手綱を握っているが、自身が引退した後はどうなるかわからない。
派閥のパワーバランスを保つことは魔法少女の秩序を守るために必要なことで、ゆえにそれをいたずらに壊そうとするラビットフットはドッペルゲンガーにとって非常に大きな悩みの種だ。
「どうやって嗅ぎつけたのか知らないけど、そのまま行かせない方が良かったんじゃない? 万が一取り込まれるようなことがあったら面倒よ?」
「いえ、恐らくそれは大丈夫でしょう。少々申し訳なくなる程度にはしつこく派閥に勧誘してみましたが乗って来ませんでした。どうも、あまりそういうものに興味がないみたいです」
「それなら良いけど、どっちにしろ今回の件はちょっとお灸を据えた方が良いと思うわ。余計なことをするなって釘を刺しておいたわよね?」
「一応私の話はほとんど終わってましたので、抜け駆けというほどではありませんよ」
「あのねぇ……、ほんっとにクローソちゃんは兎ちゃんに甘いんだから」
「そんなことはないと思いますが」
クローソに魔女のまとめ役を引き継ぐにあたって、ドッペルゲンガーが気づいたことが一つある。それは、クローソがごく一部の魔女に対して非常に甘い対応をしているということだ。
ドッペルゲンガーが確認している限りでは、ラビットフットとレッドボールの二人。この二人は顔を合わせれば喧嘩をするし一人でも何かと問題が多い。
先日のお茶会でエクステンドトラベラーと決闘を始めようとした時のように行き過ぎた問題行動は咎めるが、個人の裁量によって判断が分かれる程度の場合には問題にしないことが多々あるのだ。それこそ、今のように。
魔法少女の匿名掲示板において、クローソが幼児性愛だの加虐趣味だのという悪質なデマが書き込まれていることはドッペルゲンガーも把握している。そうした書き込みの大半は根も葉もない噂だったり、あるいは勘違いが引き起こしているものだが、事実が誇張されている場合もある。
幼児性愛とまではいかなくても、クローソが子供に甘いのは注意深く観察すれば一目瞭然で、そうした事実を悪意を持って大袈裟に書き込まれているのだ。
「ちっちゃい子供だから多めに見てあげるのはわからなくないけど、あんまり度が過ぎるとそれ以外の魔女に反発されるわ。ほどほどにしときなさいな」
「自覚はありませんが、ドッペルゲンガーさんがそう仰るのなら気をつけます」
拗ねたように憮然とした表情で答えるクローソの頭をわしゃわしゃと撫でてから、ドッペルゲンガーはその対面に腰をおろした。
ドッペルゲンガーとしてもクローソの頑張りは認めている。元々人づきあいが得意ではないにも拘わらず、その責任感の強さから魔女のまとめ役を買って出たことは素直に賞賛に値する。だからこそ惜しいと感じる。
緊張感から人前では表情が固まってしまい声音も平坦となり、冷たい人だと勘違いされることの多いクローソだが、親しくなった人の前でだけさらけ出せる感情に溢れたこの姿こそが本当のクローソだ。他の魔女にもこうしたクローソの親しみやすい部分を知って欲しいとドッペルゲンガーは思っている。
「よろしい。堅苦しい話はここまでよ。どうだった? シルフちゃん、可愛かった?」
「はい、衣装の神々しさも相まって思わず天使が降臨したのかと思いました」
「衣装はクローソちゃんも負けず劣らずだと思うけど……」
「シルフさんが紅茶を飲んだ時に、苦いです、って言って眉間をキュッとしわくちゃにしてて、あまりの愛らしさに思わず笑ってしまいました。でも、その後シルフさんが少し不機嫌になってしまいました。挽回するためにドッペルゲンガーさんに教えていただいた通りスキンシップを試してみたのですが、体調が悪かったのか顔色が優れませんでした。シルフさんは大丈夫だと仰ってましたけど心配です」
「楽しかったのはわかったからちょっと落ち着いてちょうだい。話が飛び飛びで全然頭に入ってこないわ。深呼吸して、落ち着いたら順を追って話して」
それからざっくりとクローソからシルフに対して説明した話と、それに対するシルフの答えを聞いて、ドッペルゲンガーの中に一つの懸念が発生した。
「大丈夫だとは思うけど、脅しをかけたみたいに思われてないわよね?」
前述した通りクローソは冷酷な人間だと勘違いされることがよくあり、ドッペルゲンガーの方でも出来る限りフォローをして誤解が長引かないようにしている。だからこそ悪い噂が流れたりすることはあまりないが、ドッペルゲンガーもクローソの言動を全て把握しているわけではない。フォローしきれずにクローソのことを目の敵にしている魔法少女も少数ながら存在する。まさにラビットフットのように。
タイラントシルフがそういった勘違いをしていないかをドッペルゲンガーは心配していた。これ以上バランスをかき乱すような魔法少女が増えるのは勘弁してほしいという切実な思いがあった。
「脅しではないというのは丁寧にお伝えしたので大丈夫だと思います。一応、万が一に備えて研修を延期出来ないかは魔法局にかけ合うつもりです」
「予定はもう申請しちゃったんでしょ? 普通の妖精に話しても多分無理だわ。本気でやるならアースに直談判した方が良いけど……、あいつ嫌いなのよね」
吐き捨てるようにドッペルゲンガーが呟いた直後、転移魔法陣の光が空中に出現し、年若い男性の声が部屋に響く。
「おいおい、天下の局長様に向かってひでーこと言いやがる」
光が収まると、そこには両手で抱える程度の大きさの地球儀が浮いていた。どこかチャラついているようにも聞こえる男性の声の発生源はその地球儀だった。
彼こそは魔法局のトップに立ち、数多の魔法少女を管理する最高位妖精、アース。
魔女を統括する立場には大した強権はないが、この最高位妖精と直接会話する権利を与えられる。いつでも話せるわけではないし、頼み事や要請を必ず聞いてくれるというわけでもないが、それでも最高権力者と直接やり取りが出来るというのは魔女をまとめる役割に相応しい報酬と言えるだろう。
「どうせ最初から聞いてたんでしょ? それで、どうなのよ」
「折角遊びに来てやったんだ、まずは雑談の一つでも楽しもうじゃねぇか」
「誰も来て欲しいなんて言ってないわよ。良いからさっさと答えなさい」
「はぁ~やれやれ、せっかちな女はモテねぇぜ? そんなだからいつまで経っても彼氏の一つもできねぇんだ」
「頭にカビの生えたジジイは知らないかもしれないけど、今はそういうのセクハラって言うのよ。訴えてやろうかしら」
「俺はいつまでもナウでヤングな若者なんだぜ? 当然知ってるがこっちの世界にゃそんな法律はねぇからな~」
「お二人の仲が良いのはわかりましたから、早く本題に入ってくれませんか?」
「クローソちゃん、これは仲が良いとは言わないのよ」
「まあ俺たちゃマブだからなぁ。憎まれ口も友情の証てやつよ」
「あんたは黙ってなさい」
「お、黙っちゃっていいのかな~。このまま帰っちまおうかな~――ってちょ待て! 詠唱しようとすんな! わかったわかった、おふざけはこの辺にしておくか。結論から言うと答えはノーだ。俺らはお前らの自分ルールには関与しねぇ」
「だったらわざわざ何しに出てきたのよ」
「何ってそりゃあお前で遊ぶ――」
「
巨大な八本のタコ足が宙に浮かぶ地球儀に殺到しその姿が見えなくなるが、ドッペルゲンガーは手ごたえを感じなかった。直撃する前に転移で逃げたのだろう。煽り煽られ最後は魔法を撃つというのは最早様式美になりつつあるほどいつもの流れだった。
ドッペルゲンガーはそれを全く楽しんでおらず、逆にアースは心底楽しんでいるようなのが全く以って悪質だった。
「相変わらずですね」
「こっちは付きまとわれて迷惑してるのよ」
クローソがこのやり取りを見るのもこれが初めてではない。まとめ役の引き継ぎ当初こそ驚いたが、何度も繰り返されれば慣れるというもの。今では、また始まった、相変わらず仲良いな、という程度の感想しか抱かなくなっていた。
「スプライトさんとドッペルゲンガーさんの新人時代の妖精なんですよね」
「その頃から局長でもあったみたいだけれどね」
つい一か月ほど前に20歳の誕生日を迎えて引退した雷の魔女、モナークスプライト。およそ13年前、小学一年生の頃から現実の友人でもあるドッペルゲンガーと共に戦ってきたベテランで、引退間近でも序列第二位の座を守っていた凄腕の魔女だ。
アースはそんなスプライトとドッペルゲンガーを魔法少女に勧誘し、基礎的な知識を教え込んだ妖精で、ある程度魔法少女として成長した段階で居なくなり、二人が魔女になった時に再会を果たした。当時はまさか魔法局のトップが自分たちの補佐をしていたとは思っておらず、スプライト共々驚愕したことをドッペルゲンガーは覚えている。
「そんなことはどうでもいいのよ。それより任務の件、一応シルフさんには伝えておく? 変えようと思ったけど無理だったって」
「状況が変わっていない以上、恩着せがましくなるだけだと思うのでやめておきましょう」
「そう? クローソちゃんがそれで良いならいいけれど」
二人の会話の場にいなかったドッペルゲンガーには、その時の空気感まではわからない。ゆえに、実際にやり取りをしていたクローソが大丈夫だというなら大丈夫なんだろうと納得し、それ以上の追及はしなかった。