2月最後の休日。
昼過ぎまで寝ようか、と思い、暴露の件のヤケも合わさって、慣れない酒を一杯だけ飲んで爆睡した後の朝。
いつもより二時間遅い10時前を指し示す時計に、僕はこれ以上眠る気にもなれず、布団から這い上がって洗面所に向かう。
歯磨きを済ませた後、朝食は何にしようか、と冷蔵庫と相談している、その時。寝起きの耳にはうるさい着信音が響く。
辟易しながらも固定電話の受話器を取り、電話先の相手を確認した。
「もしもし、水奈瀬ですが」
『…ああ、この番号で合っていた…!
水奈瀬先生、ボクのことを覚えていらっしゃいますか!?飯田天哉です!』
受話器の向こうにいるのは、以前のサイン会で出会った、そらさんの後輩だった。
慌てた様子に、僕は怪訝な顔を浮かべ、彼を落ち着けるように問いかける。
「…そらさんからこの番号聞きました?」
『はい。……いやっ、こんな問答をしてる場合じゃないんです!!』
落ち着きはしなかった。寧ろ、余計に焦っているように思える。
僕がその焦燥っぷりに疑問を抱いていると、受話器の向こうから、とんでもない言葉が放たれた。
────桜乃先輩が行方不明に!!
♦︎♦︎♦︎♦︎
「最後に目撃された場所は…雄英の廊下…ですか」
「はい。弓道部の子たちと一緒に、進路相談に残っていた子たち…あと、先生方にも全員聞き込みして…。
一律して、『下駄箱に来たのを見た人がいない』ので、校舎内で攫われたのは確かだと思います」
肝心の場面を見た…という人は居ませんが、と付け足し、ずん子さんが唸る。
曰く、彼女の靴は回収されていたらしい。だというのに、誰一人そらさんの姿を見た人は居ないとのこと。
そらさんは良くも悪くも話題の中心だ。今をときめく高校生作家。純文学という若者には少しばかり高いハードルはあるものの、そのブランドだけで注目の的ではあるはず。
そんな彼女を、国内屈指のマンモス校である雄英内で全く見ないということが、果たしてあり得るのだろうか。
「雄英って、出入り口に雄英バリアーってダサい名前の防壁プログラムありますよね。
アレの感知システムに引っ掛かってたりとかは…」
「…ハッキングして見ましたけど、個別認識ってわけじゃなくて、生徒手帳と各教員に配布されているネームプレートに仕込まれたチップで大雑把に通していい対象を判別してるみたいです。監視カメラ見たんですけど、マンモス校故におっそろしいほど人混みだったんで、あの中からそらさんを攫った人間を見つけるのはまず無理ですね。カメラの性能もとんでもなく低いし。
茜さん日本政府死ぬほど大嫌いだから、頼むと目ん玉飛び出るくらい高くつくし、お国がケチったんだろうな…」
「要するに、確認するのは無理ってことですね、イズクくん」
…あそこ、一応最新式と謳う設備が整っていなかっただろうか。
いや、そういえば日本はアメリカに比べて、設備面や産業面では劣っていたな。茜さんがあっちに行っちゃって、大統領の頼みで力を貸してるから。
ここに来て、それが裏目に出てしまったのか、と思いつつ、僕たちは集めた情報を展開していく。
「雄英に外部犯が侵入するなんて、まずあり得ない。侵入した瞬間、警報が鳴り響いて大パニックが起きるはず」
「そもそも侵入するメリットもねェ。春空先生を狙って侵入しようが、中には三桁近い数のヒーローがいる。仮免持ってるヒーロー科生徒も合わせれば…余程のバカか大物じゃねェ限り、侵入する気はまず起きねェ。
加えて、被害者の数は相当数だ。それが表に出てきてない以上、隠蔽は得意なんだろ」
「ちゅうことは…内部犯しか有り得へんってわけ…やな」
そこまで導き出せたとして、僕たちは悶々と頭を抱える。
何度も言っているが、雄英高校は国内屈指のマンモス校だ。そこから犯人一人を特定しろと言われても、確証が持てる証拠を有していない僕たちには不可能に近い。
どうしたものか、と悩んでいると、ふと、爆豪くんが口を開く。
「……デク、イエスかノーで答えろ。写真越しに解析って出来るか?」
「んー…。ツール入ってるし、3分もありゃイケるけど…。え?かっちゃん、あの彫刻撮ってたの?」
「そっちもだが、もう一枚あンだよ」
爆豪くんは言うと、懐から携帯を取り出し、出力したであろう写真を見せる。
スライドさせていくと彫刻の写真が何枚か続く。何が目的の写真なんだろうと皆が疑問に思っていた途端、小柄で瓶底メガネをかけた少女の写真が写し出された。
「この女のエプロンに大量に付着した石片。拡大して調べてみろや」
「分かった。ちょっと待ってね」
緑谷くんはケーブルでパソコンと携帯を繋ぎ、写真の解析を進める。暫くして解析が終わると、「ビンゴ」と呟いた。
「カメラは性能良くしてナンボだね。結構あっさり分かっちゃうモンだよ。
断面図に神経やら血管、筋肉っぽい模様が見えてるから、確実にあの彫刻だ」
「あの女は落下した彫刻を『回収』しに来た。つまり、付着してる石片は、『落下した彫刻のモンじゃねェ』っつーこと」
「そして、あの場で壊れた彫刻は、調査したところ落下した八つだけ。そんなグロテスクな石片が付着する可能性は一つ」
「そいつが悪趣味な彫刻家ってわけか!」
犯人像は特定できた。あとは、この女の身元を突き止めるだけ。
東北さんが緑谷くんを押し退け、パソコンを軽くいじると、何処かへとアクセスする。そこには、人物の名前が羅列する一覧表が映し出された。
「雄英高校のデータベースに潜り込みました。生徒写真も保管されてるんです。
この女、丸裸にしてやりましょう」
「雄英って、セキュリティ半端なく頑丈なことで有名だったろ…。障子紙かよ…」
「破られたくなきゃ、茜さんでも懐柔して連れてこいってんです」
「無理だろ。あの人、大の日本政府嫌いかつ大の日本プロヒーロー嫌いだぞ」
思えば、茜さんって「日本の文化は好きだけど、政治形態やプロヒーロー組織は嫌い」って言って嫌がらせしてたなぁ。僕たちが日本社会の信頼を地に落とした時も、めちゃくちゃ喜んでたし。
とことん自国民に愛されない国だなぁ、と思いつつ、ことの成り行きを見守る。
「出ました。…ありゃ、サポート科の2年なんですね、この女。
名前は『彫元鳴子』。専攻は…デザインですね。絵を見る限りは普通ですが…。
………ん?あれ?…個性が『計測』…?石化じゃなくて?」
「人工個性か、それとも別の何かか。どっちでもいいけど、『何かしらの手段がある』って考えた方がいいね」
「や、別人って可能性…」
「「ない。完全一致」」
…今わかった。この子らに推理ものさせちゃダメだ。法的証拠も隠蔽工作もなんのその、力技で解決しにかかる。
かつて、ここまで雑にも程がある名探偵がいただろうか、と思っていると。
ふと、イタコさんから声が上がった。
「この方、見たことがありますわ。
3年前に郊外にあるいくつかの集落で連続して起きた、千人規模の集団失踪…。ほとんどの人間が居なくなった集落の中で、残った数人のうちの一人として新聞に取り上げられていたはずです」
「タコ姉様、よく覚えてますね?」
「神隠しの類かと思って、記憶していただけですわ。 敵の仕業とか噂されてましたが、雄英の生徒が黒幕かもしれないなんて…」
「世も末ですよね。前々から言ってますけど」
神隠しの方が億倍はマシだと思う。
少なくとも、痛覚も意識もあるまま彫刻にされ、挙句は痛めつけられるという末路かどちらか選べるなら、真っ先にそっちを選んでる。
「……待てよ?失踪?石化じゃなくて?」
「…つまり、『そんな規模で石化した人間をバレずに運べる何か』があるってことですか。
雄英高校のセキュリティに引っかからないほどの隠蔽性能と合わせたら…、人工個性絡みであることは明白です」
「何はともあれ、奴の…謂わば『アトリエ』を探すほかないか」
アトリエ。まずはそこを突き止めねば、そらさんの救出もままならない。
彫下鳴子が頻繁に訪れている場所をしらみ潰しに探すほかないか、と皆の意見が固まり、緑谷くんとによる捜索が再開。
手持ち無沙汰となった子は、雄英の子たちの携帯をハッキングし、彫下鳴子と繋がっている人間を洗っていくらしい。
彫下鳴子、若しくはその両親名義の連絡機器に記録された会話も、できる限り見ていくとのこと。プライバシーもへったくれもない。
「…履歴を見るに、彼女は単独犯。
発言も相当気をつけてます。地元の人間は…ダメですね。3年前に削除されてる」
「…削除された連絡先に手がか…うっ…わっ!?何この数!?!?」
「面食らってないで確認する!!」
東北さんの怒号に、緑谷くんがいくつものウィンドウに並ぶ会話を凄まじい勢いで確認していく。
と。数秒もしないうちにその動きを止め、緑谷くんはマウスを握る手を止める。
「……あれ?削除された会話…、どれも最後が待ち合わせ…?いや、待てよ」
緑谷くんは再びパソコンにて何処かのデータベースに侵入し、いくつかの資料を見る。
数秒でそれを終えたのち、緑谷くんは口を開いた。
「…全員、行方不明だ…」
「連絡機器は?」
「念入りに破壊されてるっぽい。そらさんの携帯も多分…」
「コイツの潜伏先を待ち合わせ場所から導き出せねェか?」
「待って。今やってる。待ち合わせ場所がどれも田舎駅やバス停…。交通機関が相当限られてくる場所だから…」
…僕、完全にお荷物だな。
何かしようとした時には、大抵彼らがなんとかしてしまっている。
彼らに糖分でも与えようと、冷蔵庫に作り置きしていた人数分の台湾カステラを切り分け、紅茶やコーヒーを注ぐ。
僕がそれをトレイに乗せて部屋に戻ると、緑谷くんがまさに作業を終えた瞬間だった。
「……イタコさん。最初に失踪が起こった集落は、『岩影村』ですか?」
「ええ。そうですわ」
「決まりだ。皆、支た…」
ぴたり。緑谷くんの動きが、僕特製の台湾カステラに留まる。
貧乏時代から余裕があれば作っていたシロモノのため、緑谷くんに毎度振る舞うたびに「美味い美味い」と言いながら、あっという間に食い尽くしていた思い出がある。
まさか、この状況で好物を優先するような浅ましさは無いだろうな。
そんな思いが通じたのか、緑谷くんは踵を返した。
「……その、ご褒美に取っといてください」
「分かりました」
血反吐を吐きそうな声をしていた。
♦︎♦︎♦︎♦︎
「兄さん、桜乃先輩は…!?」
「……サイドキックたちとしらみ潰しに探してみたが、見つかっていない」
リビングにて。祈るような気持ちで報せを待っていたボクに、兄さん…プロヒーロー『インゲニウム』が告げる。
その言葉に膝から崩れ落ちそうになるも、なんとか堪え、続報を聞く。
「聞いたところじゃ、雄英内で行方不明になったそうだ。大慌てで捜査しているが…状況は芳しく無い」
「ゆ、雄英で…!?つまり…」
「ああ。生徒か教師の中に犯人がいる可能性が高いだろう」
誉れある雄英高校で、そんな事件が起きるなど、あってはならない。あまりに現実離れした事実に愕然としていると、兄さんはグレープフルーツジュースを一気飲みし、多少むせながらも踵を返す。
「比較的近場を担当している俺も、雄英に来るよう、要請が来ている。
天哉。くれぐれも下手に首を突っ込むなよ…って、お前にゃ言わなくてもいいか」
「ああ。気をつけて」
ぱたん、と扉が閉まる。
また、あの不安と格闘する時間が来た。父も母も、兄さんと同じように桜乃先輩を探してくれてる。
大丈夫。頼りになる家族が探してくれてるんだ。きっと見つかる。桜乃先輩は、きっと。
拭いきれない不安をかき消すように、自分に言い聞かせる。
────言葉には、人を変える力があるの。それはいい方向かも、悪い方向かもしれない。誰にもそれは分からないけど、私の言葉で前を向いてくれる人がいたら、嬉しいって思うの。私は、言葉に救われたから。
桜乃先輩の顔がよぎる。
あの声がもう二度と聞けないんじゃ無いか。言葉で世を変えようと足掻くあの姿を、もう二度と見れないんじゃないか。
そんな不安が胸中を蝕むたびに、何度も何度も、大丈夫だと根拠なく唱える。
────ね、天哉くん。君は、ヒーローになって、『何をしたい』?
ボクはヒーローとして、皆の模範となりたいと願っていた。その理想の『先』を考える機会をくれたのは、他でも無い桜乃先輩なのだ。
ヒーローになって、皆の模範となる姿を、彼女に見守っていてほしい。
そんな淡い願いすら踏み潰すような不安に抗うように、ボクは大丈夫、大丈夫と心を誤魔化す。
と。その時だった。ボクの携帯から、着信音が響いたのは。
「………っ!?桜乃先輩っ…」
映し出された番号は、桜乃先輩のもの。
ボクは慌てて通話ボタンを押すと、携帯を耳に当てた。
瞬間。ボクは即座に家を飛び出した。
先生は実はスイーツ作りは三日坊主で投げ出そうとしてました。しかし、緑谷くんが先生作の台湾カステラを存外気に入っちゃったので、今でも続けています。