「な、なぁ…!?」
「なにが、起きてんだ…!?」
戦いの最中に轟いた二つの歌声と共に、世界が割れる。
感覚的なものかもしれない。それとも、物理的な現象なのだろうか。
しかし、僕たちの眼前に広がる光景は、まさしく崩壊としか言いようのない現象だった。
全てが溶け合うような、全てが否定されゆくような、全てが救われるような、そんな幻想的な光景。
ガラスのように世界の破片が舞い、万華鏡のように空も大地も染められる。
誰しもが安堵の表情を浮かべる中で、僕たちだけが恐怖を覚えていた。
「…っ、あかりちゃんたちは!?」
「音街たちはどうなった!?」
遥か大空にいた筈の僕たちも、いつの間にやら崩壊に巻き込まれ、宙を舞っている。
身を守るスーツはそこに無く、僕たちは非力な中学生として、そこに居た。
歌声の奔流に抗いながらも、僕たちは必死で辺りを見渡す。
「緑谷くん!」
その声が聞こえ、僕たちは咄嗟にそちらへと目を向ける。
そこには、奔流に流されながらも、必死で耐えてる先生とあかりちゃん、きりちゃんとウナちゃんがいた。
良かった。少なくとも、先生は正気を保てているようだ。
僕たちは泳ぐようにしてそちらに寄り、彼らの無事を喜ぶ。
「よかった…。他のみんなは?」
「個性持ちが精神汚染を食らってます。
残った無個性とか、特殊ケースの全員で正気に戻そうと奮闘してるのですが…。
正直、結果は芳しくありません」
「成る程な。俺たちがこうしてスーツを脱いでるっつーことは…だ。
俺たちの体から、魂が抜けてんだろ。
そこんとこどォだ、東北?」
「あ、はい。タコ姉様に確認したので、まず間違いなく体から魂が抜けてますね。
全人類規模の幽体離脱です。私たち今、幽霊なんですよね」
思わず目眩がした。
イタコさんが言うなら間違い無いんだろうけど、いざ事実として受け止めるとなると、かなりショックだ。
…しかし、魂って言うからには透けたりしてるのかと思ったけど、生身とそう変わらないんだな。
そんな月並みな感想を浮かべていると、かっちゃんに感づかれたのか、「余計なこと考えてんなアホ」と軽く叩かれた。痛い。
「つまり、魂の統合…アイツらの言う『救済』が始まっちまってるってこった。
…おいクソデク。フラグ回収早すぎんぞ」
「言われてますよ、緑谷先輩」
「………お祓い、行こうかな…」
なにかに呪われてると思うんだ、絶対。
ここ一年の受難に辟易し、ため息を吐く。
弱音を吐くのは、取り敢えずここまで。
今は、この世界に引き込まれた全人類を救うために頭を動かさないと。
「…地形的な変化はないんですね?」
「ええ。先ほど合流した小春さんが確認したところ、人工物だけが無くなったような地形と化しているそうです」
「……あの、音街家の屋敷から結構距離ありますよね?」
「まぁ、小春さんですし…」
「まぁ、小春だしな…」
どうやって電車の距離を突っ切ってきたんだ、こんな重力も定かでない空間で。
流石はメイド界の核弾頭、と言ったところだろうか。相変わらずのデタラメ具合だ。
「この地点は、雄英体育祭三年の部が行われていたあたり。二人がいる避難所は、ここから西の方角に真っ直ぐです」
「……!」
先生の言葉に、余計な思考が落ちる。
そうだ。まだ間に合う。
まだ、僕たちは統合されてない。まだ、終わってない。
すぅ、と息を吸い、両頬を叩く。覚悟はとうの昔に決まっている。
僕が成すべきことはただ一つ。
その決意を新たに、僕はいつものように笑ってみせた。
「行ってきます」
「ええ。行ってらっしゃい」
目指すものは変わらない。
未来のために、残酷な今を勝ち取るんだ。
♦︎♦︎♦︎♦︎
歌声が嵐を巻き起こす。
物理的現象なのか、それとも霊体の僕たちを統合させようとする意思なのか。
イタコさんなら兎に角、専門家でもない僕ではよくわからない。
もう救われてもいいじゃないか。もう捨ててしまってもいいじゃないか。
そんな囁きが風とともに流れてくる。
「……大丈夫。もう、救われてるよ」
何度だって救われた。
先生の言葉に、きりちゃんの照れ隠しに、かっちゃんの拳に、あかりちゃんの笑顔に。数え切れないくらいの人たちに、数え切れないくらい救われたんだ。
苦しみに満ちていても。悲しみに溢れていても。痛みに塗れようとも。
その度に救ってくれる人たちがいる。
もう救われている僕を救う必要はない。
吠えるように、慈しむように、悲しむように歌う二人の声。
救いを求めるように歌う彼女たちへと、僕は一歩ずつ、着実に近づいていく。
「……見えた」
謝るように、祈るように歌う二人が見える。
マイクもスピーカーも、楽器だってない。
それでも、世界中に轟く救いの歌に、僕は思わず息を呑む。
歌うために生まれたのか、と思ってしまうほどに、現実離れした美しさを放つ二人。
この歌を止めてしまっていいのか。
そんな感情が湧き上がるものの、僕は雑念を振り払い、意を決して、ステージに上がる。
ステージは飛び入り参加のキャストを歓迎していないのか、体を襲う風がより強くなる。
吹き飛ばされるものか、と体に力を込め、彼女たちに歩み寄った。
と。二人の歌声が、ぴたり、と止む。
無粋な客を前に、二人は満面の笑みを浮かべる。
「イズク!もう戦わなくていいんだよ!もう抗わなくていいんだよ!」
「もう泣かなくていいんだよ。もう背負わなくていいよ。私たちが助けにきたから」
痛いほどに優しい言葉。
委ねてしまいそうなほどに超然とした笑顔を前に、僕はその手を払い除ける。
「……終わってない。終わってないんだよ。
こんな程度で終わってしまうほど、僕たちの生命は、歴史は、簡単じゃない」
ひとまとめにしてしまえば理解できる、救われるなんて、暴論でしかない。
異形となって苦しんだ少女たちが、溶けて消えた人たちの苦しみが、個性で死んだ人たちが、あかりちゃんが殺した人たちが、僕たちが殺した生命たちが、それまで取りこぼした全部が、紡いできた全てを絶ってしまう。
だから、苦しくても、泣きたくても、死んでしまいたくても、救われたくても。
僕は人類に、同じだけ苦しい道を歩くことを押し付ける。
だって、これまでに死んだ人たちが、僕たちに紡いだ希望が消えることが救いなんて、あんまりにも報われないじゃないか。
「簡単であっていいはずがないんだよ…!
背負ってきたんだ、僕たちは!悲しい歴史も、輝かしい歴史も、失った生命も、生まれる生命も、全部、全部!!
こんなそこかしこに絶望の溢れる世界を、僕たちの手で救うために!!
『全部崩すことで救いにきました』なんて、託してくれた皆への…、勝ち取るために頑張る人たちへの侮辱でしかない!!」
僕のあらん限りの声で言葉をぶつける。
しかし、一体何を言っているのか、と言わんばかりに二人は首をかしげた。
「……それって、本当に救いなの?」
「苦しみに満ちて、悲しみに溺れて、涙さえも枯れ果ててしまいそうな世界。
そんな世界を続けることが、本当に救いなの、イズク?」
「苦しみ続けることが、イズクの救いだって言うの?それでイズクは救われるの?」
二人は「ほら」と言うと、安堵した顔を浮かべる二人の少女を引き寄せる。
間違いない。僕とかっちゃんが目の前にしていた、怪人の素体とされた少女たちだ。
その体はどこかノイズがかかっており、今にも消えてしまいそうなのがわかる。
それだけじゃない。同じく、怪人として作り替えられたのだろう。背後には同じようにノイズに塗れた人たちが立っていた。
白い髪でゴーグルをかけた人、幼少期に遊んだツバサくんに似た人、チンピラのようにチャラチャラとした風貌の人と、さまざまな人たちが並んでいる。
「この人たちにも、その長い苦しみを押し付けるの?ねぇ、イズク。
それで、人って救われるのかな?」
「死んだあとでも苦しむだけの、歪んだ生涯を歩ませるの?
イズク。それは、本当に救いなの?」
「………だから、僕がいる。
僕が…。世界を変える僕が…!希望を背負う僕が…!!絶望を背負う僕が…!!
想いを受け取った僕が今、ここにいる!!
そんな人たちの命も、苦しみも、世界も背負わなくちゃならない!!
だから僕はヒーローで有り続ける!!その人たちも、救ってみせる!!」
「……殺すことで?」
「イズクが苦しむことで?」
その問いで、僕が止まると思ったか。
止まらない覚悟なんて、もうできてる。
「そうだよ。どれだけ繕おうと、僕は、僕たちは殺戮者だ。死んだ命の踏み台の上に立っている大罪人だ。
だからこそ、背負う覚悟をしたんだ」
「……わかんない。わかんないよ。悲しいんだよ?苦しいんだよ?痛いんだよ?」
「そんな人生で、そんな死で、イズクは救われるって言うの!?」
「救われてるんだよ」
吠えるように問いかける二人に、僕は言葉を続ける。
ノイズがかかった全員が、真っ直ぐに僕を見つめた。
「スーパーで豚肉が安く売ってたとか。好きな歌手のCDが出るとか。助けた人たちが、笑った写真でSNSを更新してたとか。好きな絵師が、自分がリクエストしたイラストを描いてくれたとか。好きなヒーローと握手できたとか。幼馴染と仲直りできたとか。先生に褒められたとか。大好きなあの子が笑いかけてくれたとか。
そんな、『ほんのちょっとの幸せ』だけで、僕はいっぱい救われた。
だから、もう、救われなくていいんだよ。
いっぱい救ってもらったから、今度は僕がいっぱい救いたいだけなんだ」
苦しみに満ちていても、僕はそんな、ほんのちょっとだけで頑張れる。
二人は力なく、その場に崩れ落ちる。
呆然と僕を見つめるノイズのかかった人影に、頭を下げた。
「わかってる。この救いで救われる人が、これだけいるってことは。
でも、それでも。僕のことを信じてほしい。
あなたたちがどれだけ苦しもうとも、どれだけ嘆こうとも、どれだけ怒ろうとも、僕が全部背負って歩く。
僕があなたたちが抱く怒りをもらうから。
だから、僕があなたたちを救うまでは、待っていてください」
その言葉に、集まった彼らは、さまざまな表情を浮かべる。
しかし、最後には、諦めたように、折れたように、呆れたように、笑みを浮かべ、消えて行った。
最後に残った白い髪の人が、「がんばれ」と言って僕の肩を叩き、去っていく。
残ったのは、僕とARIA姉妹の二人。
僕は二人に手を差し伸べて、笑みを浮かべた。
「…大きな救いじゃなくていいからさ。苦しむ僕に、そんな『ほんのちょっと』をくれないかな。
君たちの歌、好きになっちゃったんだ」
二人は、ぽかん、と目を丸くしたのち、呆れたような笑みを浮かべる。
すぅ、と息を吸う音が、崩れる世界に響いた。
歌声と共に、崩れた世界が元に戻っていく。
ほんのちょっとの幸せが、世界を包み込む。
僕はその中心で大の字に倒れ込み、彼女たちに倣って、下手くそな歌を紡ぎ出した。
その日。歌姫が二人、地球人になった。
とっくに救われてるんだよ。