「出久を止めない理由?」
「うん。イズクのお母さんが止めないっていうのが、なんだか不思議だなって」
突如訪れたIAとONEの問いに、緑谷引子が目を丸くする。
「いつの間にやらスケコマシになっていた息子が引っ掛けた女の子」としか捉えていなかったが、どうやら違うらしい。
引子は苦笑を浮かべながら、茶菓子をテーブルの上に置いた。
「本当は、止めたかったの。
顔中から血ィ吹き出したって聞いた時は、目の前が真っ暗になったし。知恵熱が止まらなかった時なんて、泣きながら『もうやめなさい』って何回も言った。
SAVERなんて大物ヴィジランテだって、先生に聞かされた時は倒れそうになったわ」
引子が出久の活動について知らされたのは、あかりを引き取る前日。
鎌倉山を叩き割った真相とともに告げられた真実は、まさしく脳天を殴られたかのような衝撃であった。
と、同時に、納得もしていた。
自分が全てを知っていると暴露した日には、申し訳なさそうな顔で「ごめんなさい」と謝られた。
「…でも、なんでかしらね。
救われたあかりちゃんの笑顔があって、出久もすっごく笑うようになって。
『ああ、あの子はもう幸せなんだなー』って思っちゃった。
あの子に普通に暮らしてほしいとは、何回も思ったけど…。でも、それだとあかりちゃんが救われなかったのも事実なんだって、そう思うようになって。
苦しくても、いっぱい人を助けて、いっぱいの人に囲まれて、いっぱい笑える人生を送ってほしいって思うようになったの。
……子供ってね、ちょっと見ないうちに、すっごく大きくなっちゃうのよ」
引子は言うと、露が滴るグラスを二人の前に置き、向かい側に座る。
二人は注がれた麦茶を啜り、ふと、口を開いた。
「…私たちの知ってるイズクも、助けてくれるかな?」
「ええ。あの子、助けるって決めたら、死んでも助けるわよ」
♦︎♦︎♦︎♦︎
目の前に広がるディストピア。
文明が自然に飲み込まれ、人の繁栄などカケラも見当たらない大地を踏み締め、僕らはスーツ越しに見える光景に感嘆の声を漏らす。
「なんつーか…。異世界転生でもしたんかってくらいに幻想的な光景だな」
「世界樹の迷宮でこんな場所あったよな。
遺都シンジュク、だっけか」
「グラズヘイムとかの方が雰囲気的に合ってると思うなー」
「レトロゲーム談義で盛り上がるなよ。飯田、話題についていけてないだろ」
先生たちの前世だと、3DSやらSwitchやらが最新ハードだったんだっけか。
僕たちからすれば、骨董品もいいところだが、リバイバル需要があるとかで小学生の頃に再生産されていた記憶がある。
轟くんも僕も、そのブームにいっそ悲しくなるくらいにハマってしまったんだけど。
話を振られた飯田くんは、「ふむ」と顎に手を当てると、苔むしたビル群を指差した。
「星のカービィディスカバリーの最初のステージも、こんな感じだったような気がするな」
「飯田もゲームとかやるのな…」
「兄さんがオフの日に『一緒にやろう』と誘ってくれるんだ。
プロヒーローって、事務所を立ち上げていたり、サイドキックが多かったりすると、なかなかオフが取れないだろう?
小さな頃、ボクのために休みを取ってくれた兄さんの膝に座って、一緒に古いゲームをするのが楽しみだったんだよ」
「羨ましいな。俺、赤ん坊の頃に一番上の兄貴に殺されかけたらしいから」
轟くんのとんでもない暴露に、場が凍る。
轟くんの家の家庭環境が地獄すぎる。そりゃあ技名に地獄の名前を付けたくなるよ。だって、地獄に生まれたんだもん。
ヒメちゃんとミコトちゃんいなかったら、確実に変な捻くれ方してたと思う。
当の本人はまったく気にしていないらしく、「どうした?」と不思議そうに僕たちを見やった。
「…にしても、先生ときりたんはなんでついてきたんだ?」
と。轟くんが、最後尾にいる先生ときりちゃんへと目を向ける。
二人は揃ってシガレットチョコを頬張りながら、胡散臭い笑みを浮かべた。
「そりゃ、気になるからですよ。
僕たちの転生についても、なにかわかるかも知れませんし」
「気にしてたんだ…」
「してますよ、そりゃあ。何が悲しくてもう一回受験勉強と大失敗した就活をやらにゃあならんのですか」
「何が悲しくて、仮面ライダーもびっくりなトンデモパゥワーを持った小学生に混じっていじめられっ子やらにゃいけないんですか」
「ああ、そうだった…。あの授業、今でも続けてるんですか…?」
僕が問うと、きりちゃんは青筋を浮かべながら、先生を世界一可愛くない上目遣いで睨みつけた。
「ウナちゃんに被害はありませんでしたけど、私はバッチリ傷だらけですよええ。撮ってるんなら止めろやクソ教師」
「マシになってるかなーって期待を裏切られた僕の身にもなってください。
いつまでこの淡い期待を裏切られたらいいんですか。道徳倫理0点の連中が多過ぎますって、この世界。
No.2の家庭は地獄だし、無個性がクラスメイトにいるだけでクラスは地獄だし、そもそも政治関連が前世以上の地獄だし、どうなってんですかね」
どっちの気持ちもわかるのが辛い。
そんなやり取りをしながら、摩天楼が立ち並ぶ空間へと足を踏み入れる。
倒壊したビル群に、そこかしこから芽が吹き出すタイル。
あの観覧車といい、目の前にある植物が侵食した装置といい、所々折れたジェットコースターといい、なんか見覚えがあるんだよな。
「…緑谷先輩。ここ、i・アイランドそっくりじゃないですか?」
と。きりちゃんが僕の既視感をそっくりそのまま言語化したような意見を述べる。
そうだ。i・アイランドに似ているんだ。
細かい部分は流石に違うが、雰囲気や立ち並ぶ建造物の並びは、去年のクリスマスに訪れた時と類似している。
こんな島が、どうして無人となって放っておかれたのだろうか。
フィクサーにとっても、少なからず利用価値はありそうなのに。
「似ているかどうかはこの際いいよ。
こんなに文明が進んでいて、なんで捨てられたんだろうって点が気になるかな。
フィクサーが拠点にしてたって言うくらいだから、彼にとってかなりの利用価値があるはずなのに」
「必要じゃなくなったからか…、それとも、ここに無くて、別の場所にある『何か』を見つけたのか…」
「ビルに入ったら、なにかしら記録が残ってないかな。バイオハザードみたくさ」
「流石に風化してるでしょうよ。これだけ植物が侵食してたら」
「それもそっか…」
さっきからゲームの話題しか出ないな。
そんなことを思いつつ、タイルに敷き詰められた草木を踏み越えていく。
足音が鳴るたびに、存在がこの異世界にほどけて溶け込んでいくような感覚が、細胞の一片に至るまで僕を包み込む。
社会から隔絶された空間に、神秘を感じているだけなのかもしれない。
と。先導していた奥さんが歩みを止め、手で僕たちを制する。
「つづみさん、どうかしたんですか?」
「…構えておきなさい」
奥さんの言葉に、僕たちは一斉に武装を展開し、臨戦体制に入る。
と。こつっ、ざっ、と、不規則な音が、こちらへと向かっているのがわかった。
僕たちが警戒を露わにしていると。
「おやおや。そうも殺気立たれては、この老骨、些か萎縮してしまいますな」
僕の頭上から、そんな声が響いた。
即座に裏拳を放つも、影は軽く飛び上がって拳を避け、距離を取る。
シルエットは人型に近い。
しかし、どこかちぐはぐでいて、歪な印象を受ける四肢が、ゆったりとした着物から覗いている。
顔は帽子とペストマスクで覆われ、その全貌はまるで見えない。
しかし、その佇まいや体のこなしから、相当の実力者であることは窺えた。
「テメェ、何者だ!!」
「ああ。恐ろしい、恐ろしい。
爆豪勝己様。あなた様はあいも変わらず恐ろしい虚勢を張り、焦り、怯えてらっしゃる」
「……っ!?」
驚愕が駆け巡る。
まずい。隙を見せてしまった。攻撃される。
僕たちは咄嗟に防御するも、予想したような衝撃は来なかった。
異形の者は、ただ真っ直ぐに僕たちに目を向けるだけで、敵意がないことが窺える。
奥さんも取り敢えず脅威はないと判断したのか、抜き身のナイフを鞘にしまった。
「あなた、何者なの?」
奥さんの問いに、異形の存在が薄く笑ったような気がした。
「あたくしの名は虚音イフ。ただの、『バケモノ』に御座いますよ」
♦︎♦︎♦︎♦︎
「ここには保存食しかありませんが、どうぞお寛ぎくだされ。
ああ、ご安心を。もともと住んでいた方の置き土産に御座います故、毒など入っておりませんとも」
「は、はぁ…。どうも…」
比較的、自然から生き残っている施設にて。
イフさんは優しい声音で言うと、テーブルを囲んで座る僕たちに、クッキーと紅茶を差し出す。
成分をスキャンしてみたところ、毒物らしい反応はない。
僕の隣では、そんな分析結果など知らないあかりちゃんが躊躇いもなく、並んだクッキーを手に取り、凄まじい勢いで食べていた。
「ふぉいひぃへふ!」
「…あかり様。もう少し、落ち着いてお食べなさい。
そんなに必死にならずとも、誰もあなた様の自由を奪うことはありません」
「……な、なんていうか、優しい爺ちゃんみたいだな」
「爺さんなどと…。人より長い時を過ごしておりますが、あたくしはまだまだ小童に御座いますよ」
確かに、好好爺という印象しか出てこない。
善性を装っているような気配もなく、本当に僕たちを歓迎してくれているのがわかる。
こんな人が、なんでこんな辺鄙な場所に暮らしているのだろうか。
そんな疑問を抱いていると、イフさんは先生たちへと目を向けた。
「……なんです?」
「…失礼。『転生』という現象を、経験なさっておりますかな?」
「……やっぱり、この島に僕が2回も就活する羽目になった秘密があるんですね?」
「2回も小学生する羽目になった秘密を吐いてください」
「気にするとこそこなん?」
二人がいると、なんか空気が締まらないな。
そんなことを思いつつ、僕は保存されていた紅茶を啜る。
お湯を注ぐだけのスティックタイプらしい、安っぽい味が口の中を蹂躙する。
かっちゃんは音街家の影響か、紅茶に少しうるさくなっているらしく、少しばかり眉を顰めているのが見えた。
「ふむ、何から話しましょうな…。
なにぶん、複雑怪奇極まりない話であります故、無駄に時間を食ってきたあたくしからすると、整理が難しいので御座います」
「あ、時間だったらあるんで、一から話してもらって結構です」
「では、そのように」
こんなお茶会みたいな空気で明かされる「世界の真実」って、一体…。
僕は引き攣った表情を浮かべ、クッキーを手に取った。
イフさんってこう言う役回りが一番似合ってる気がする。