「…なーんで僕、夏休みにもなって授業やってんですかね」
「水奈瀬先生、意外と面倒見いいな。
面倒くさがりなクセして」
三日後。
ふと、僕は持ち運び可能な黒板を前に、疑問を口にした。
担当している五年生のものじゃなくて、三年生に行うような簡単な授業。
それ自体は別にいい。いいんだ。
本気で何もかもを知らない生徒に、知識とその使い方を教えるというのは、先生の仕事の一つだ。
極たまーに、「答えだけ教えろよ!」とか吐かすクソガキも居るが。
問題なのは、今は夏休みということだ。
本来ならば休みの時期に、僕は何故一銭にもならない仕事をしているんだ。
「せんせー、この漢字分かんなーい」
「『れいめい』です。夜明けとか、物事の始まりなどを指す言葉です」
「せんせー、黎明期の個性についての記述は…」
「僕は専門外です。専門家に知り合いがいるので、今度連れてきましょう」
…楽しいからか。
クソみたいな自問自答を繰り返す僕に、ひそひそと轟くんが緑谷くんに話しかける。
「どういう人脈持ってんだ…?
アメリカの生体工学のホープ、電子工学の天才、歴史学者、エトセトラ、エトセトラ…」
「少なくとも、学問関連ならかなりの人脈持ってるよ。
青春を…っていうか、大学卒業までの人生を学問に極振りしたような人だし」
失礼な…と言いたいところだが、全く持って反論できない。
友人なんて、他の学問をかじる、もしくはその学問に精通してる人間と繋がりを持っていたいがために関わりを持ったのが殆どだ。
ゲーセンとかカラオケとかの娯楽施設なんて、中学生以来行ったことがない。
それだけ人生を削っても、僕の価値は、個性持ち一人分の価値にも届かないのだけれど。
「せんせー、できた!」
「ぼ、ボクも…」
「じゃあ採点して明日渡すんで、今日はもう東北さんと遊んできなさい。
彼女、運動不足気味なので、容赦なく」
彼女らからノートを受け取り、梅の木の下でゲームを満喫する東北さんを指差す。
寝耳に水とばかりに目を見開く彼女に、2人が元気よく駆けていく。
「「きりちゃーん!あーそーぼー!」」
「ちょっ、まっ、このクソ教師ィ!!」
「僕を恨まないでくださいよ。
ずん子さんから『リングフィットもしないレベルの運動嫌いなので、運動させてください』って頼まれてますんで」
「ずん姉様ァァァァァーーーーッッッ!?」
体育の授業でもほぼ動かないんだ。
せめて、今だけは筋繊維がブッチブチになるまで動くと良い。
僕はノートをリュックにしまうと、カタカタとタイピングを続ける緑谷くんに近づく。
「で、なんか分かりました?」
「万年開花と彼女たちの遺伝子情報を解析したんですが…全く同じ存在なんですよね…。
今、琴葉博士…ああ、妹さんの方と並行して解析してます」
緑谷くんは言うと、僕にパソコンのディスプレイを見せる。
…僕が専門的なことを理解できるわけないだろうに。
「…この時点で俺にはさっぱり分からん」
「中学一年生が学ぶ範囲超えてますからね。
習いたいっていうなら教えますが、習ってもまずコレは分からないですよ」
つくづく、科学者というのは僕の理解を超えている。
まぁ、僕と積み上げてきた知識の種類が違うから、当たり前なのだが。
そんなことを考えていると、僕の携帯から着信音が響く。
液晶画面に映る名前は、僕の同級生のものだった。
「ああ、失礼。…もしもし?」
『おい、バカコウ。今すぐ緑谷くん出せ』
「…葵さん、開口一番にバカはないでしょ。
緑谷くん。お呼びですよ」
僕が携帯を緑谷くんに放り投げると、彼は危なげなくそれを受け取った。
「もしもし、緑谷です。
…あ、はい…。…はい、すみません。
え?何処だって…?僕の地元の近くです。
…はい。……はいぃ!?
えっ、いや…っ、絶対に公にしちゃダメでしょそんなの!!
…はい。はい…。わかりました」
「何故でしょう。すんごく嫌な予感がする」
「奇遇だな、先生。俺もだ」
僕たち2人がそう呟くと、緑谷くんが震える声で告げた。
ーーーーーーこの木とあの子たち、人工個性の原型らしいです。
知りたくなかった事実が判明した。
♦︎♦︎♦︎♦︎
「へっぷし」
「あら、あかりちゃん。風邪?」
その頃、緑谷家にて。
山盛りの炒飯を平らげたあかりが、可愛らしいくしゃみを漏らした。
「いや、なんかムズムズして。
おかあさん、おかわり!」
「はいはい。本当によく食べるわねぇ。
作るのも上手で、好き嫌いもなくて、残さず食べる!食べ物に関しては言う事なしね!」
♦︎♦︎♦︎♦︎
「…なんで、こんなものが」
携帯の通話を切り、私は再びディスプレイに映し出されるソレに向き直る。
緑谷くんが作った転送装置で送られてきた、梅の花弁と、2人の少女の髪。
夢物語だと否定したのは、他でもない私自身。
だが、こうして現実に存在している以上、認めざるを得ない。
「私たちより以前に、個性を備えた知的生命体が存在した…?」
そう考えるのが自然だろう。
緑谷くんの友達…轟くんと言ったか。
彼が持っていた、「母方の家族のみが、万年開花を知っている証拠」と渡してきた資料。
万年開花のある森は、厳重に立ち入りが禁止されている私有地。
それこそ、万年開花のことを予め知っていないと、出入りが禁止されている程だ。
空中写真からでも、木々が邪魔をして映らないようになっている。
知られていないのも無理はない。
今回、情報を手に入れられたのも、轟くんがこの情報の重大さを知らなかったという部分が大きいだろう。
「…何がなんでも、マイケルには知られるわけにはいかないな」
この時、私はすぐにでもこのデータを破棄しておくべきだった。
…いや、もしかしたら、もう遅かったのかもしれない。
この時には、とっくの昔に取り返しがつかないところまで来ていたのだから。
♦︎♦︎♦︎♦︎
「焦凍は毎日、何処へ行っている?」
資格取得のための勉強を終え、食事の用意をしていた時のことだった。
先日、国連に呼ばれたとかでアメリカに渡り、帰国したお父さんが口を開いた。
私相手には、滅多に口を聞かないお父さんが、だ。
「…友達の所…としか、聞いてない」
「…ちっ」
聞こえるように舌打ちをされた。
恥ずかしい話ではあるが、私は焦凍の友人に会ったことがない。
というより、私は焦凍のことを、あまり知らない。
知ってることといえば、五年前に一度、行方不明になってから。
「友達のところに行く」と、楽しそうに語るようになったことだけ。
好物も趣味も、これっぽっちも知らない。
そんな私が、焦凍がどこに行っているのかなんて、知るはずもない。
「焦凍め…。自らの鍛錬すら忘れ、遊び呆けているだと…?
より厳しく鍛える必要があるな…!!」
お父さんの眉間のシワが、五百円硬貨を潰せそうなほどに深くなる。
帰ってきた焦凍がどうなるか。
そんなことは、簡単に想像できた。
私がお父さんを落ち着かせる言葉を出そうとしても、口から出るのは空気だけ。
何もできない自分が、恨めしかった。
「いや、それでは反省しないか。
明日は留守を頼む。
俺は明日、焦凍の友人とやらと話してくる」
「っ、それはっ…!!」
まずい。
初めてできた焦凍の友達の身になにがあるか、分かったものじゃない。
ただ、これだけは言える。
焦凍は、確実に友人を失う。
私がお父さんを止めようと声をあげると、お父さんはその鋭い目を私に向けた。
「焦凍とお前は住む世界が違う。軽々しく口を出さないでもらおうか…!!」
私は、屈服した。
♦︎♦︎♦︎♦︎
「人工個性が、こんな昔から存在していたなんて…」
「言っただろう?『君は間違ってない』。
世に在るということは、『公にしてください』って言ってるのと同義なんだよ」
琴葉葵の知らぬ場所にて。
先程、彼女が秘匿することを決めた資料を前に、マイケルの口から感嘆の息が漏れる。
どうやって手に入れたのか。
そのような疑問はすぐに消え、マイケルの脳は、「自分は正しかった」という言葉だけが埋め尽くす。
「私は、正しい」
「そう、正しいんだ。個性は人の手に余る?
違う。今の世界は、正しい管理ができていないだけなんだ。
僕たちがその管理者になろうじゃないか。
人工個性という、新たな方法で」
女とも男とも判別つかない声が、気持ち悪く聞こえることはない。
まるで、スポンジが水を吸い込むように、脳に言葉が染みつく。
「すべての個性は、人々が望むままのものに置き換わる。
君が目指すべき未来が、そこに在るんだ」
「私の、未来…」
譫言のように、マイケルが呟く。
機械から放たれる吐息が、彼の耳を撫でた。
「そう。君がすべての基準となるんだ」
脳髄…否。全身の血液に染み込むような言葉が、マイケルを蝕む。
その瞳に、ブラックボックスの顔が映る。
変わりもしない機械の顔が、笑っていた。
「さあ、行こうじゃないか。
始まりの人工個性…『万年開花』を拝みに」
世界を揺るがす大事件の幕開けは、近い。
人工個性が未来の産物だと思った?答えは『過去の遺産』でした。