「…株ってやってみるもんですね」
翌日。
車の代金稼ぎを目的として、株投資を始めて数日が経った。
ゲームソフトどころか、弁当すら買えない料金だった株価が、馬鹿みたいに上がってた。
ちょっと焚きつけただけなのに、ここまで利益が上がると怖くなってくる。
誤解のないように言っておく。
株投資は、規定で禁止されている副業には含まれない。
だから、後ろめたいことなど何もない。
え?洗脳教育?
洗脳はしてない。ただ、やる気をそれとなく刺激しただけだ。
「先生って、黒幕みたいな人ですよね」
「緑谷くん、卒業してから失礼度合いが増してきてません?」
字面だけ見ると悪の帝王じゃないか。
そんなことを思いながら、即座に株の売却を決める。
家が建つくらいの金が手に入った。
…どうしようコレ。正直、軽自動車一台買えたら十分なんだが。
散歩に出てるポンコツと、緑谷家、東北家…あと轟くんたちに夕飯でもご馳走しようか。
「…ファミリーカーでも買います?」
「なんで東北さんが決めてるんですか」
「いや、法的でいて足がつきにくい移動手段としては、先生の車が一番ですし」
「確かに」
「僕が足ってことは共通認識なんですね」
運転免許なんて取るんじゃなかった。
そんなことを思いながら、金の使い方を思案していると、携帯が鳴った。
画面に映るのは、つい先日、番号を交換した轟くんの名前。
僕は通話ボタンをタッチし、携帯を耳にあてる。
「もしもし?」
『先生!!今どこだ!?』
いつものような平坦な声ではなく、焦り散らした声が響く。
彼の声に混ざって、爆発音やら何かが崩れる轟音が響いた。
「っ、そっちで何が?」
『落ち着け、ヒメ、ミコト!!
どうしちまったんだ、くそっ!!説明してる余裕がねぇ!!
早くこっちに来てくれ!!万年開花の前!!早』
ぶつっ。
音声が途切れる。
どう考えても、異常なことが起きているとしか思えなかった。
「…と、轟くんは、なんて?」
「今すぐ万年開花の前に来いと。
恐らく、戦闘が起きてます。
緑谷くんだけでも、急いだほうがいいかと」
「分かりました!」
緑谷くんは即座に、僕の家を飛び出して行った。
暫くして、轟音が響いたあたり、スーツを纏って飛び立ったのだろう。
残された僕は、東北さんをハイスペPCの前に座らせた。
「パソコンを貸します」
「えっと、マジで何が起きてんですか?」
「とにかく、万年開花に向けて、ドローンを飛ばしてください。
葵さんに中継も頼みます」
願わくば、敵をぶっ倒せばいいというような、単純な状況であって欲しいものだ。
♦︎♦︎♦︎♦︎
時は少し遡る。
今日は妙に親父の機嫌が良かった。
自分じゃ隠してるみたいだが、アレは分かりやすい。
ちょっと視線を外すだけで、かなり苛立った様子を見せた。
俺が修行から逃げて、ヒメとミコトの相手をしてることに腹が立っているようだ。
俺の携帯にGPSが付いてることも分かっていたため、緊急時の連絡用にと電源を落とし、今日もまた万年開花へと向かっていた。
「……なんだ、ありゃあ?」
森に入る前。
唯一の入り口と呼べる、電子型のセキュリティロックがかかった扉の前で、怪しい人影が見えた。
1人はアメリカ人。
本当にインタビューの映像でしか見ないような、パッとしない特徴の顔。
それは別にいい。問題は、その隣。
緑谷のスーツのようなシンプルさなど、かけらもない無骨な機械が、人の形を取って、そこに立っていた。
遠目で見ても、機械の塊が放つ気配は、神経に針が通されるような、ゾッとするものだった。
「ここに、始まりの人工個性があるんだ。
法の壁など関係ないよ。
君が新たな法になるのだから」
「…私が、新たな法…」
英語だが、断片的に理解できた。
親父曰く「英才教育」として、普通の勉強も人並み以上にやって良かったと始めて思った。
その言動は、完全に『敵』のソレだ。
しかも、人工個性…?
まさか、万年開花とヒメたちを狙っているのだろうか。
なんにせよ、緑谷たちに連絡を入れなければ。
そう思い、携帯の電源を入れようとして、やめた。
ここでスーツを着た緑谷と、あのクソ親父が鉢合わせたらどうなるか。
想像には難くなかった。
「頼む、ヒメ、ミコト…!ヤツらに見つからないでくれよ…!」
いつも使っている入り口とは違い、注意しなくては気づかない秘密口の戸を開ける。
先回りして、ヒメとミコトに知らせなければ。
彼女らの身に危険が迫っていることに、俺の胸は焦燥感で張り裂けそうだった。
この時、俺は緑谷たちを呼んでおくべきだった。
後悔したが、もう遅い。
こんな状況になってしまってから、俺は自身の短慮を酷く呪った。
何があったのかも、今、語っておこう。
俺は途中で転げながらも、必死で森の中を走った。
クマにも出会した。
軽く氷漬けにして、そのまま通り過ぎた。
走ってる最中で、蜂の巣を壊してしまい、雀蜂に襲われかけた。
襲われる前に氷漬けにした。
そうやって何度も何度もつまづき、俺は一直線に万年開花へと向かった。
ようやく着く頃には、着ていた服はボロボロで穴が空いていて。
身体中には擦り傷と打撲が出来ていた。
二人の姿が見えると同時に、俺は声を張り上げた。
「ヒメぇ!ミコトぉ!」
「ショート…っ、どうしたのその怪我!?」
「と、取り敢えず、治癒しなきゃ…!」
二人が慌てふためきながら、俺に駆け寄る。
違う。何とかすべきなのは俺じゃない。
お前たちを狙う奴がいるんだ。
今すぐに逃げないと、ダメなんだ。
そのことを伝えようと、俺は肺いっぱいに空気を吸い込んだ。
「俺のことはどうでもいい!お前らと万年開花を狙ってるヤツらが…」
が。それを吐き終わる前に、俺の声は途切れた。
最短ルートを駆け抜けたはずなのに、俺たちの目の前に、あの機械の塊が立っていた。
目の前にして感じる、圧倒的なまでの恐怖。
全ての神経を引っこ抜かれるような感覚に、ごくり、と生唾を飲んだ。
「おや、見つかってしまったね。
キミたちは、ここの所有者の関係者かい?」
男でも女でもない、不快な音が言葉の形を為して、俺の鼓膜を揺さぶる。
だらだらと嫌な汗と共に血液が滴るのを感じ取りながら、俺は声を絞り出した。
「…それを答えて、どうなる?」
ぎゅっ、とヒメとミコトを強く抱き寄せる。
目の前のコイツと、まともに取り合うな。
脳の奥から、恐怖と戦慄が湧き出てくる。
吐く息を出来るだけ整えて、ヤツの機械の目を見据えた。
「答えない、か。別にいいよ。
…轟焦凍。エンデヴァーの息子。
個性は『半冷半熱』。エンデヴァーが望んだ『自分の完全なる上位互換』」
ぞっ。
本名どころか、俺の家族でしか知り得ない情報まで、目の前の機械はベラベラと話す。
なんだ、コイツは。
恐怖が俺の心臓を強く叩き、戦慄が俺の肺から空気を絞り出す。
手が彼女らから離れようとするのを抑えるだけで、俺はその場から動けなかった。
「ああ、警戒しなくてもいい。
君たちには手を出さない…。
ボクはただ、人工個性の力を、彼に見せにきただけなんだ」
機械は言うと、手から二本の管を伸ばし、万年開花に突き刺す。
そこから怪しい色の液体が注がれると、管は機械の体へと戻った。
「個性強制発動薬。
なかなか個性が発現しない子供に投与するための検査薬だが…。
人工個性でも効果があるのだろうかね?」
瞬間。
「くぁ、い、ゃ、ぁあああぁあああアアアアアアアアッッッ!?!?!?」
「や、ぁ、ぁああ、ぁあああぁあああアアアアアアアッッッ!?!?!?」
ヒメとミコトが、もがき苦しみ出した。
その綺麗な声を濁らせ、喉奥から絞り出すような声が、天を衝く。
それと共に、万年開花がうぞうぞと蠢き、ヒメとミコトへと根を伸ばしていた。
「な、なにが…、起きてる…?」
「し…ょぅ…、と…。おね、がっ…」
「と、めっ…、た、す…」
ヒメとミコトが、息も絶え絶えに俺に言う。
彼女らの言葉に答える直前になって、その体からだらりと力が抜ける。
万年開花の根が、彼女らに触れたその時。
彼女らの目が開く。
その瞳は、いつも見るような、可愛らしさなどかけらもない。
光沢がなく、どこまでも深い、闇の色が彼女らの目に沈殿していた。
「「『防衛システム・鳴花』、起動シークエンス…完了」」
「ひ、ヒメ…?ミコト…?」
抑揚のない声が、彼女らの口腔から吐き出される。
万年開花の花弁が、生き物のように蠢き、彼女らの周りを漂った。
「「リミッターを解除。個性生成…『殲滅』」
瞬間。
花弁が森を崩した。
これが、俺が先生に連絡するまでに見た、全ての出来事。
そして、世界を巻き込んだ「人工個性事件」の幕開けであった。
脅威は「梅の木そのもの」でした。