問題児が来なくなって三日が経った。
すごく平和なのはいいことなのだけれど、べったりだった子供たちの元気がない。
あかりさんは四六時中、虚空を見つめて呆けてるらしい。
ウチの双子は、少し寂しそうにするだけで、そこまで心配はしていなかった。
音街さんは例外で、「バクゴーさんが居ないうちに外堀埋めます!」と張り切ってた。
爆豪くん。音街さんにウチの嫁と同じ空気を感じるが、強く生きてくれ。
「…先生、どうかしました?」
「ああ、いえ。なんでも」
…ウチの嫁も子供できたら大人しくなるだろうか。
そんなことを考えながら、注文したコーヒーを啜る。
現在、僕と東北さんは、ある人を連れて喫茶店に訪れていた。
「で。どれだけ宿題出してないんですか?」
ある人、と言うのは、彼女の姉。
東北純子…通称「ずん子さん」だ。
放課後で散歩していたところを、偶然ばったりと出会った。
宿題の提出率の悪さの話になり、ずん子さんが怖い顔しながら「先生も交えてお話ししましょう」と言うことになったのだ。
東北さんがこの世の終わりみたいな顔してるけど、無視しとこう。
「はっきり申し上げると、一学期前半のものは全て故意で忘れてます。面談時の録音もあるので、それを聞いていただければ。
後半の授業態度、提出率、テストの成績が良かったので恩赦を与えてるだけで、それがなければ容赦なく成績下げてますよ」
「き・り・ちゃ・ん……?」
わぁ。どっちも顔が怖い。
でも、それは自業自得と思ってほしい。
レトロゲーム…僕らの前世からしたら最新ゲーム…にかまけた罰だ。
成績の減点作業って、結構面倒なんだからな。
「二学期になってからは割に真面目ですよ。
宿題への意欲は少ないですが、学ぶ意欲が皆無な訳ではありません。
全体的な成績はかなり良いので、早めに中学、高校の勉強を抑えておくことをお勧めしておきます。
最近はプログラミングに夢中だそうで」
「はい、わかりました。きりちゃん、先生にお礼は?」
「…………あ、ありがとう、ございます」
血涙流してる。
お叱りが確定した子供からの視線は、やはりいつ見ても複雑だ。
僕が悪い訳じゃないのに、向こうが「先生が悪い」みたいな目をするから。
成績に関しては、本当に僕は贔屓目を入れてない。
生活態度の採点とかもあるけれど、余程人道に逸れてない限りは、そこまで抑圧しない主義だ。
「……あら?先生、結婚したんですか?」
ずん子さんが脈絡もなくブッ込んできた。
何処でバレた、と思うも、指輪を外し忘れたことに気づく。
しまった。すっかり油断していた。
行為中は繋がりを強く自覚したい…というつづみさんの要望で、指輪をしているのだが、昨日から外すのを忘れてた。
だから職員室の全員が目を丸くしてたのか。
「いえ、十年も前に籍を入れたんですが、ある理由で別居してたんです。
追求されるのも気分が良くないので、外してたんですよ。
最近になって帰ってきたんで、もうその必要もないかと…」
「まぁ!奥さんはどんなお方ですか!?」
すごい食いついた。
十年で十を超える国を殲滅できるバグです…なんて言えるはずもなく。
当たり障りのない内容だけ、それとなく伝えることにする。
「逞しい女性ですよ。子供たちの教育にも意見してくれて、すごく助かってます。
外見も魅力溢れる女性でして…」
「写真とかありますか?」
「ええ、まぁ」
写真かぁ…。九割九分九厘『そういうこと』を収めたAVのシーン集みたいなことになってるんだが。
液晶を隔てるとそこまで反応しないな、なんて思いながら、相手から見えないように、普通の写真を見せた。
「綺麗な方ですね!出会いは!?馴れ初めとか聞きたいです!!」
「あ、あはは……」
頼む、緑谷くん。助けてくれ。
こんな喫茶店の中でレ○プなんて言えない。
サバイバルしてる緑谷くんにSOSを送っても、返事が返ってこないことは分かりきっていたが、そう思わずにはいられなかった。
♦︎♦︎♦︎♦︎
「……オールマイト。
彼女が帰ってきた理由が言いにくい、というのは、どう言うわけかな?」
私は平和の象徴。誰かに助けを求めるのは、本当に限られた時だけ。
ヒーローになる際に誓ったソレを反故するようで気がひけるが、言わせて欲しい。
誰か助けてくれ。
このままだと猥談おじさんになってしまう。
現在、私は母校の校長室に居た。
私の事情を知る数人が私を囲み、とある少女…今は女性…について問いかける。
名は鈴木つづみ。十年前、我々の力不足によって不利益を被った少女。
私は人伝いに聞いただけだが、単身で敵性国家に渡り、十を超える国家を滅ぼした…という逸話がある。
聞いただけなら一笑に付すが、私は敵性国家に渡る前の彼女を見たことがある。
ーーーーーーくだらない。ヒーロー科って何を教えてるの?おままごと?
十年前の雄英体育祭。
それは圧倒的な理不尽として、生徒たちの前に立ちはだかった。
恐らく、目の前の生徒、プロヒーローの大多数は彼女が何をしたか見えなかっただろう。
鈴木少女が使った技術は、『存在感を操作する技術』、『視界から外れる技術』、『人間を気絶させる技術』の三つ。
フィクサーが使っていた、という前例があったからこそ、私もその三つを見破れた。
ーーーーーーあのバケモノを、雄英から追い出せ!!
常軌を逸した技術で瞬く間に頂点を勝ち取った彼女は、ソレに恐怖を感じた者たちによって排斥された。
私がなんとか彼女を引き止めようとするも、彼女自身も雄英に…いや。この国に愛想を尽かしていた。
ーーーーーー出てけって言ったのは国よ。
そこから彼女は、行方をくらませた。
情報は度々入ってきたが、詳しいことを知ったのは前日だった。
ーーーーーー旦那の○○○が恋しくて。
まさか猥談混じりの惚気話を聞かされる羽目になるとは、全く思わなかった。
「…オールマイト?どうして黙っているんだい?」
言えるか?この状況で「旦那の男根が恋しくて帰ってきたそうです」と。
幾度もの修羅場を潜り抜けてきた私でも、これだけは無理だ。
どうしよう。どうやって誤魔化そう。
誤魔化さないと社会的に死ぬ。
この校長のことだ。誤魔化したところで、普通に見破ってくるんだろう。
「え、えっと、その、ですね……」
「…そんなに言いにくいことなのかい?」
じゃあ貴女この空気で言えるんですか!?○○○とか、○○○とか!!!
圧が凄いリカバリーガールに心から叫びながら、どう誤魔化すかと頭を回す。
…うん。正直に言った方が早いな。でも、それだけは口に出したくない。
ヒーローとして…というか、男として終わる気がする。
「オールマイト。さっさと言ったほうがいいよ。アンタはわかりやすいからね。
アンタが鈴木つづみが帰国した理由を知ってるのは、もうバレてるよ」
「ぇげぇっ……!?」
変な声が出た。
マジか。ここで公開処刑されろと?
よりにもよって、これからも付き合いのある恩師の前で?
「言った方がいいよ、オールマイト」
「言いな、オールマイト」
助けてくださいお師匠ォ!!!
ーーーーーー気にするな俊典!これから大きくなるさ!旦那のアレは、高校くらいから凄かったぞ!!
ーーーーーー教え子になにセクハラしとんのじゃお主はァ!!!
あ、ダメだ。お師匠も同類だった。
猥談になると元気だったな、お師匠。
事あるごとに、グラントリノにハリセンで叩かれていたな。
こんなことで在りし日のお師匠を思い出したくなかった。
「「オールマイト!!」」
グラントリノ、助けてください!!!
平和の象徴は屈しない。屈しないけど、コレだけは勘弁して欲しかった。
♦︎♦︎♦︎♦︎
「そっち行った!デク、捕まえろ!」
「任されっ、たァ!!」
手の中に、その命が収まる。
僕が掴んだのは、小さなリスの体。
僕はサバイバルナイフを構え、リスの命を手折るべく、その鋒を向ける。
「……っ」
が。その瞳と目が合うと同時に、僕の手から力が緩んだ。
そのことを察知したリスは、あっさりと僕の手からすり抜け、茂みの中を逃げていく。
かっちゃんはと言うと、リスを逃した僕を罵倒するでもなく、淡々としていた。
「……やっぱ、目が合うと、ダメだな」
かっちゃんの一言に、この三日の全てが収束されていた。
僕たちは現在、ヴィーガンでも目指しているのか、と言うほどに肉を口にしていない。
捕まえられないって訳じゃない。
幸いにも、リスやウサギなどの小動物は捕まえられるようになった。
「…触っても、分かるんだ。この子たちも、必死に生きてるって」
だけど、そこから先のことを、僕たちはよく分かってなかった。
その手に握った、小さな命。
それを奪って生きてきた…というのは、十分に理解しているつもりだ。
だけど、いざ自分が奪うってなると、どうしても手が止まる。
麗日さんも、轟くんも、あのかっちゃんだって、手を止めた。
虫を殺しても何も感じない、というのは分かる。体液、体の作り、何もかもが違うのだから、その感覚があまりない。
だけど、哺乳類は別。
自分と似通った生命体であると言うことが分かっているからこそ、躊躇ってしまう。
結果、力が緩んで逃げられる、というのが、最早恒例と化していた。
「ンなこと、百も承知だろォが。
分かってなかった、とかじゃねェ。分かろうとしてなかっただけだ」
かっちゃんは言うと、足元に少しだけ目をやって、すぐに逸らす。
分かってない、という言い方は、確かに相応しくないのかもしれない。
僕たちは命を犠牲にして生きている。
そんな当たり前のことが見えなくなるほどに、僕らは手を汚してこなかった。
「……奪った命には、責任が伴う」
「え…?」
かっちゃんは言うと、その場でかがみ、立ち上がる。
その手には、足から血を流すウサギの首根っこが掴まれていた。
多分、罠を張っていたんだろう。
足を怪我したウサギの喉笛に、ナイフを当てる。
「………デク。俺がやること、見てろ」
ぞぶり。
かっちゃんは、躊躇いがちに、力を入れる。
血が毛皮を濡らす様に、思わず目を閉じてしまいそうになる。
だけど、必死に目を開けて、その様を見届けた。
「……、っそ、がぁあああ……っっ!!!」
かっちゃんが慟哭のような叫びをあげて、その首を切り落とした。
だくだくと流れ落ちる血液、切り落とされ、転がり落ちる頭。
その全てを、かっちゃんと僕は、しっかりと見た。
「……解体するぞ。手伝え」
「…………うん」
僕らは、命を奪うことを覚えた。
脱力感にも似た感覚が胸を覆い尽くす中、かっちゃんの言う通りに、ナイフを受け取り、その内臓を取り除く。
「………かっちゃん、泣いてる?」
「…ねェよ、バカ。…鏡、見ろや…。テメェだよ、泣いてんのは……」
僕たちは、二人して泣いていた。
理由はわからないけど、泣かずにはいられなかった。
温度差がすごい。