国王陛下付き従者の一日   作:ほしな まつり

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国王陛下付き従者の一日(後編)

「…………アスナ、さま?」

 

近衛騎士団を象徴する黒を纏っていないせいか、そもそも騎士装ではないせいか…それでも凛とした立ち姿と気品高く結い上げられている栗色の髪は間違いなくアスナ様で……あ、髪飾りとネックレス、それ、陛下が贈ったやつですよね、と分かれば神々しさまで感じる華麗なドレス姿の令嬢は間違いなく陛下の唯一の人だ。

俺の戸惑いの理由を察したアスナ様が微笑みながら手袋をしている片手で目元を隠された。

 

「騎士面(マスク)を外した素顔、初めてですよね」

 

そうっ、そうかっ、それだっ……華奢な顎のラインだけでも美人なんだろうな、とは思ってたけど、くっそっ、陛下がアスナ様に騎士面を取るよう、しつこいほど要求していた理由が痛いほどわかる。でもって他のヤツらには絶対見せないようにしていた理由はアスナ様の身を案じる以上の強い独占欲だった。

愛らしい、可憐、美しい、儚げ、たおやか……女性を賛美する全ての言葉を贈ってもまだ足りないと悔しさを覚えるほどにアスナ様のご容貌は素晴らしく、これが今まで騎士面の下に隠れていたのかと思うと、知らなかったとはいえ、よく今まで普通に会話していたな俺、と知らずに成し遂げていた自分の偉業に心の中で拍手を送りたくなる。

しかしいつまでも見とれているわけにはいかない。

部屋の中では陛下が今か今かとアスナ様の到着を待っているからだ。

俺はさっきとは違い軽く息を吐いて国王の従者としての顔になり「では、こちらへ」と言って、真っ直ぐに背を伸ばし扉を叩いた。

「陛下」と呼びかければ、すぐさま「入れ」と応答が返ってくる。

先に入室して扉の脇に控えた俺の前を踊るようにドレスの裾をさばきながらアスナ様が通っていくと、その姿を認めた陛下が待ちかねたと安心した笑顔でロングソファから立ち上がった。

けれどこちらへ踏み出す前に俺の声が陛下の足を止める。

 

「公爵令嬢様がご到着です」

「は?」

「ですから、今回の調印式で陛下のご婚約者となられる公爵令嬢様です」

「な、何を言って……アスナ?」

 

安堵と戸惑いで陛下のお顔付きが妙ちくりんなことになってるが、かまわずアスナさまは陛下の御前に立ち淑女の礼をとると、ほんの一滴の不安を混ぜて静かに微笑みかけた。

 

「陛下、顔も声も名前も知っている公爵令嬢…なら、婚約のお話、受けてくださいますか?」

 

陛下に怒られると思ったのだろうか?、それとも嫌われると?……ありえない、あの陛下だぞ。それが証拠に苛立ちからではなく嬉し涙を堪えるように眉根に力が入り、腹立たしさからではなく喜びで目元が赤く染まっている。

その反応を見て嬉しそうにアスナ様が笑い、俺も唇が震えるのを我慢しきれず、つい陛下から顔を反らして口元を手で押さえた。反対に陛下の方は今まで座っていたソファにへたり込むように腰を落とすと背面に頭までもたれ、上を向いた状態で「まいった」と白旗を揚げる。

その後「説明しろ」という口調は俺に向けてだな、と判断して僭越ながらと事の次第を述べようとした時、弾かれたように陛下が起き上がりアスナ様の前で手を差し出した。

 

「令嬢なら立たせておくわけにはいかない。それに婚約者となるなら……アスナ、俺の隣へ…」

 

今朝は辞退された誘いだったが、アスナ様はすぐに「はい」と微笑んで陛下と並んでソファに座る。腰を落ち着けても陛下の手はアスナ様を離さなかった。今までなら陛下の後ろで身動き一つせず立っていらしたアスナ様が今は素顔のまま隣で柔らかな表情を浮かべていて、このお二人を最初に目に出来る栄誉を譲ってくれた先輩従者の方々には感謝しかない。毎朝、超不機嫌な陛下を起こす役目を頑張ってきてよかった。

ちょっと感動に浸っていると痺れを切らしたのか陛下から「それで?」と話を促される。

 

「ですからご存じなかったのは陛下だけ、という事です。我が国で財力、権力、人脈力、全てトップの公爵家なんですから、そこの令嬢の存在を知らない貴族や騎士なんているわけないでしょう。夜会や茶会で会ったことがない?、当たり前です。陛下がご出席の際は常に護衛兼パートナーに指名していましたから公爵令嬢として参加が出来なかったんですっ」

 

陛下が「う゛う゛…」と唸って手で額を押さえているがアスナ様を握っている手はそのままだ。

そんな苦悶中の陛下をよそに「お会いになれなかった原因はご自分ですよっ」と言い切った俺はかつてないほどの爽快感を味わっていたが、その爽やかな空気も次第に目の前のお二人によって甘ったるい空気に変えられていく。

陛下が小声で「初めて会った時、アスナが自分の事を従者だって言うからっ」とおっしゃれば、アスナ様もまた声を潜めて「あの時は父や兄からそう言えと教えられてて……それを言うなら陛下だって、ご身分を明かされる前にご自分の事は名前で呼べって私に約束させたじゃないですかっ」と反論なさっている。

 

「それは……アスナには……アスナにだけは、王太子じゃなくて一人の男として見て欲しかったっていうか」

「それなら私も同じです。公爵令嬢としてではなく、騎士を目指す一人の女の子として接して欲しかったから」

 

上機嫌で俺が一人悦に入っているはずだったのに、いつの間にか俺が存在しない感じになっていて、ここでも「羽虫」扱いか!?、と焦った俺は少々強引に話に割り込んだ。

 

「俺はまだその頃従者じゃなかったんで聞いた話ですけど、アスナ様が近衛に所属された当初から結構マウントとってたそうじゃないですか、陛下」

 

それならなぜもっと早く互いの想いを打ち明ける展開にならなかったのだろう?、と今更ながらに俺は疑問を抱いた。

しばらくは伏せていたそうだが新人騎士の持つ剣を国王が誂えていただけで立派なマーキングだと俺は思う。ただそこは実力主義の騎士団なので妙な邪推もなく受け入れられたのは騎士達の崇高な精神とアスナ様の努力とお人柄によるものだろう。

 

「アスナ様も陛下に対して強い拒絶はなかったと……」

 

そうですよね?、と確認するように視線を横にずらすと、当時を振り返られたアスナ様が少しだけ眉をハの字にして「はい」と肯定された。

 

「ですが私は目指していた近衛騎士になれたのがとても嬉しかったので……」

 

ああ、なるほど、と濁された先の言葉に気付いて、この際ハッキリおっしゃった方がいいですよ、と俺が代行を勝手に引き受ける。

 

「……よく考えてみたら近衛騎士なんて騎士団の中でも狭き門、エリート中のエリート、生半可な努力でなれるものではありませんしね。それなのに目指したきっかけとなったご本人から騎士になった途端ラブコールを送られるって微妙な気持ちになりますよね」

「お、おいっ、俺は別に騎士になったばかりのアスナをすぐに退団して王妃になれって意味で口説いていたわけじゃないぞ」

 

やっぱり口説いてたんだ、この人……俺の瞼がしらっ、と半分ほど下がってきた。

 

「オレの気持ちを知っておいて欲しかったと言うか、城仕えをするようになるから他の奴らを牽制しておきたかったって言うか」

「それでその中途半端な状態が数年、続いたわけですね」

「中途半端……」

 

俺の表現にショックを受けたらしい陛下が固まっていらっしゃる。

 

「そんなだから侍従達がそわそわし始めたんですよ。あれだけの執着をお示しなのになぜ次の段階へとお進みになろうとしないのか、と」

「次って言ってもな……オレはアスナが公爵家ゆかりの、もっと言えばあそこの子息の元侍女だと思ってたしな。どういう手順で周りを納得させようかと、これでも結構考えて…」

「考える必要のない事をずっと考えていらしたわけですね」

 

陛下が拗ねたお顔で押し黙った。

 

「考えると言うなら他の部分を考えて欲しかったです。なぜアスナ様が夜会で陛下とのダンスをあれほど堂々と踊れるのか、他国から訪れる使者や王族の警護でみせたその国の文化・風習の知識、日常会話まで話せる意味を」

「いや、そこは、さすが公爵家、使用人の教育水準も驚くほど高いな、って感心してたんだけど……」

「もう陛下は黙っていてください。そんな使い勝手の良い使用人をいくら本人の希望とは言え公爵家が手放すと本気で思ったんですか?、いえ、お返事は結構です。我が国と国交のある諸外国の皆様は帰国される際、是非次回も彼女を警護に就けて欲しい、とおっしゃっるそうですよ。おわかりですか?、アスナ様は既に騎士の身で見事に外交に一役買われているということです」

 

自分事のように鼻高々に言い放つと陛下の隣で捕まっていない方の手をアスナ様がパタパタと振る。

 

「大げさです。ただ私は来訪された皆様が異国であるこの城で少しでも心地よくお過ごしになれれば、と」

 

そのお心持ちが既に王妃様のそれです、と、それを自然体で行うアスナ様に一層敬服の念が湧く。

 

「アスナ様が幼き頃よりそういった教育を受けてこられたのは嫁ぎ先の候補に他国の王侯貴族も想定されていたからだそうですよ」

 

宰相のお考えを侍従長経由で聞いたオレの言葉に目に見えてアスナ様と繋がっている陛下の手に力が入ったのがわかった。

 

「だからそれを知った侍従達が慌てて陛下に発破をかけ始めたんでしょう」

「ああ、あれか、そろそろ身を固めてもおかしくないご年齢だとか何とか言い出した……」

「それです」

「急に言い始めたから、オレはてっきり他国から見合い話でも来たのかと思って」

「いえ、それは前々から来てました。けれど侍従達が相手にしなかっただけです」

 

だってそうだろう?、どう見ても陛下のお心が他の女性に動くはずはないし、逆に陛下が他の女性を娶らねばならない原因を作ったり、理由を考え出すヤツがいたとすれば、そいつは「自分は無能です」とおでこに書いて城の大広間の雑巾掛けの刑は免れまい。

 

「だったらもっと分かりやすく言ってくれれば」

「それについてはどっちもどっちだとオレは思ってますけどね。ただあえて言わせていただくなら、まさか思わないでしょう?、アスナ様が公爵家のご令嬢だと陛下が気付いてないなんてっ」

 

今度は空いている手で片耳を塞ぐ陛下にアスナ様が困り果てた笑顔でそっ、と唇を動かす。ちゃんとオレの説明を聞くよう促してくれているのだ。声に出さず紡がれた「キリトくん」という言葉は効果てきめんで渋々陛下が手を下ろす。

 

「今となっては思い出したくない記憶だが、そこにオレが宰相という火に油を注いだわけか……」

「結果オーライではありましたが、ご自身の自慢の娘を『養女にしないか?』と陛下から打診された宰相のお怒りはもっともだと思います。逆にあれで何が何でもアスナ様がご自分の娘だと悟られないまま輿入れさせようと決心された宰相の意外なおちゃめっぷりが城内で予想外にウケまして」

「それで今の今まで誰も教えてくれなかったのか……当のアスナまで」

 

ちょっぴり恨みがましい目で見られたアスナ様は肩をすくませ「ごめんなさい」と謝罪をされた。

 

「でも父が、陛下の元へ嫁ぎたいなら婚約するまで内緒にしておくようにって」

「あんの宰相め……」

「もともとは陛下ですよ。それに気付くきっかけはいくらでもあったと思うんですが……今朝だってご自分でおっしゃっていたじゃないですか、国王の婚約がすんなり決まるなんておかしい、と、他に候補者はいないのかって。城仕えの者達も議会のお偉方もアスナ様のお人なりを既によく御存知だからです。他の候補者なんて出るわけないでしょう?、この国の貴族令嬢達にどれだけアスナ様が人気があるのか、陛下だって夜会や茶会でわかっていらっしゃるじゃないですか」

「そう…そうか…そうだった、な……」

 

奇しくも数刻前に俺が思った言葉とほぼ同じ文句を口にされた陛下は次に何を考えたのか急に声を跳ね上げた。

 

「けど、アスナっ…あれっ?、いつ、社交界デビューを……あっ、相手は?!」

「アスナ様のデビュタントのパートナーは陛下、貴方ですよ、ね?、アスナ様」

 

頬を淡く染めて嬉しそうに恥ずかしそうに頷くアスナ様がもうお可愛らしすぎるっ。

 

「近衛騎士団に入団してすぐに初めての舞踏会警護がデビュタントだったと伺っています。宰相も新人のアスナ様がいきなり休暇を願い出るわけにはいかないだろう、とその年のデビューは見送られるつもりが、当日、陛下がいきなりアスナ様をダンスパートナーにしたそうじゃないですか。しかも毎年デビュタントの警護は社交界デビューの令嬢達の緊張を和らげるため普段の黒い騎士装ではなく会場に溶け込めるよう白の騎士装で任務に当たるので、あれ、アスナ様のデビュタントにカウントされてます」

「あれはそこまで計算してなかったって言うか……女の子だし舞踏会に憧れがあるかなぁ、と思って誘ってみたんだけど、びっくりするくらい踊れるから……ホントにびっくりした」

「結局それからずぅっと、陛下から他の男とのダンスを禁じられたせいで、アスナ様は今まで舞踏会で陛下としか踊った事がないんですよっ……はいっ、嬉しそうにしないっ」

 

しかもその時の白の騎士装、アスナ様のだけ陛下の個人資産で特注させたらしく素材から何から全て一級品なのだ、という情報は財務担当のおっちゃんが話してくれた。しかもこのおっちゃん、たぷってるお腹を揺らしながら城内をニコニコと歩いている外見とは違い中々食えないお人で今回もいつ陛下が婚約相手のご令嬢の正体に気づくかで賭けを催していたのだ。

この前廊下ですれ違った時『オッズがどえらいことになってますねん』と独特な喋り方でたぷっていたから相当参加者がいるのだろう。ちなみに俺も含め陛下の側近は全員『調印式直前の最後まで気付かない』に賭けている。

 

「と、まあ、ですからこのご婚約に反対意見だの対抗馬だのは全く存在しません。アスナ様なら城のしきたりも年中行事も把握済みですし、もしかしたら俺より城内については詳しいかも……」

「だったらもう婚約じゃなくて成婚でいいんじゃないのか?」

 

調子を取り戻した陛下が軽い口調で本音を投下してきた。

数日前から今朝まで「婚約なんて絶対にしないからな」と呪詛のように吐き続けていた方と同一人物とは思えない。そこは俺が何かを言う前にアスナ様から制止のお声がかかる。

 

「さすがにそれは無茶だよ。それにこれから始まるお妃教育の為に城内にお部屋を賜ったの。そこの整理や侍女の選定も済んでないし……」

「部屋って……そんなのオレの続き部屋を使えばいいのに」

「そっ、そこは……お妃様のお部屋でしょう」

「違うよ、アスナの部屋だ。もうずっと前からオレの中では決定事項になってる」

 

毎朝訪れている陛下の寝室にはいつも俺が叩く扉の反対側にもう一つ、俺が触れたこともない扉があって……近い将来、その先にある部屋の主はアスナ様になるわけだ。

 

「だから最近忙しくしてたのか」

「あと騎士団の方も色々と調整が残ってるから」

 

このご婚約とひいてはご成婚で一番の痛手を被るのは間違いなく近衛騎士団で、数年前からアスナ様を副団長に引き上げたいと申請しているのを陛下の一存でずっと突っぱねてきたから、来年は人材育成の予算をかなり増額してもらわないと、と息巻いていた。既に王族が一人増えるのは確定だから警護の人数や割り当ても色々変わってくるだろう。これからは陛下の隣で陛下の為に着飾ったアスナ様を少し遠い距離から見守らなくてはならないのかと思うとやはり一抹の寂しさはある。

ご婚約はめでたいのだが、陛下の名前も公爵家の威光も使わずに近衛騎士となり活躍してこられたアスナ様のこれまでをおこがましくも賞賛したくて俺は今日、初めてアスナ様の真正面に立った。

 

「アスナ様、そのドレス姿もとても素敵ですが、俺はあの黒い騎士装も同じ位似合っていたと思います」

 

すると彼女は俺の感情を読み取ってくれたのか、いつもの近しい者に対する優しい声で応えてくれた。

 

「当分籍はそのままですから、まだ騎士面(マスク)もつけますよ」

 

その発言に俺は不敬にも声を出して笑い、陛下はポカンとアスナ様を見つめたのだった。

 

 

 

 

 

調印式まで少し二人で過ごす、と部屋から追い出されたので再び扉の前で時が過ぎるのを待っていると、俺を呼ぶ陛下の声がして嫌な予感を覚える。

この声……重要書類にお菓子のクズを落として油染みを作ってしまった時のような……気分転換に庭で剣を振っていたら初咲きだと庭師が喜んでいた青薔薇の枝を落としてしまった時のような……ちなみにその青薔薇はその後陛下の執務室に飾られたから良かったが、ちょっと気まずい顔をして「なんとかしてくれ」と言ってくる空気が扉の隙間からむんむん漂っている気がする。

なんだか開けたくないなぁ、と思いつつもそれが従者としてのお役目だと腹を決めて、そぅっ、と入室すると、俺が退出した時と同じようにお二人はロングソファに並んで腰掛けていて……いや、正確には並んで、と言うより、もうアスナ様が陛下にほぼ抱きかかえられていて、と言う表現が妥当だろう。

互いに膝頭を摺り合わせ、アスナ様に至っては身体を捻って陛下の胸元に顔を隠すようにもたれているので表情は全くうかがえない。完全に陛下に身を委ね、陛下の方も両腕でアスナ様のお身体と頭を支えていらっしゃる体勢なので、もしかしてご気分を悪くされたのか?!、と心臓が跳ねたが……僅かに覗いているアスナ様のお耳が真っ赤である。

しかもちょっと息も乱れている。

……この短時間になにしてくださっているのでしょうかっ、陛下っ、とは思うが十代の頃から恋い焦がれて、溺れて、アスナ様に守られるに相応しい王になろうと頑張っていらしたのを知っているので、ここはひとつ従者として、同じ男として……

 

「……陛下……」

 

とだけ言わせていただいた。

ただ、ここで「なんとかしてくれ」は言わないでください、無理です、俺だってどうしていいのかわかりません。

貴族令嬢のドレスや髪の乱れはどう頑張っても直せませんからっ。

すると心の嘆きが届いたのか、アスナ様が顎を上げ何やら陛下に耳打ちをなさっている。

小さく頷いた陛下がすぐに俺へ声を飛ばした。

 

「城内のアスナの部屋、わかるか?」

「あ、はい」

「そこに公爵家から連れて来た侍女が控えているから連れてきてくれ」

「わかりましたっ」

 

騎士でもない俺の足では全速力で往復しても調印式までの残り時間はほんの少ししか確保出来ない。復路で侍女を連れてとなれば時間は更にかかるだろう。

しかし今すぐにでも御前を辞して部屋を飛び出さんばかりの慌てっぷりの俺へ陛下から待ったがかかった。

 

「それと、その侍女に公爵家から運び込んだ衣装の中からショールを持って来て欲しい、と……だよな?、アスナ」

「ショール、ですか?」

 

聞き間違いとは思わなかったがこの緊急時に更に時間を削られるような用件を追加された意味が理解出来ず聞き返すが、アスナ様が頷かれているのだ、絶対に必要なのだろう。発言の信頼度においては既に俺の中で陛下より上の扱いだ。

忘れないよう口には出さずに「ショール、ショール」と繰り返している間に再びアスナ様の囁きが陛下の耳を掠める。

 

「ああ、一番大判のものだな……ア、アスナ、その…声が……もう少し艶を抑えてくれ…………くそっ」

 

陛下に言われるまでも無く心の声を「大判のショール、大判のショール」とバージョンアップしていた俺の耳に陛下の弱り切った声が勝手に入ってきて、遅れてその意味を悟ると同時に目に写ったのは、陛下に耳打ちする為に伸ばしていたアスナ様の白い首へ吸い付いている陛下の姿だった。

箍が外れた陛下に随分きつく吸われているらしく、堪えきれない「ンっ」と漏れた吐息のようなアスナ様のお声が……腰っ、俺の腰が砕けるっ、これから全力疾走しなきゃいけないってのに。けれどお陰でわかった、ショールの必要性が。

 

「陛下っ」

 

流石に声を荒げずにはいられない。

俺から見える角度だけでも数カ所、アスナさまの首元、胸元にポツ、ポツ、と……部屋の前でお会いした時には絶対についていなかった赤い痕。

まったく、これから調印式だって事をお忘れになっているんじゃないかと色んな意味で我が目を疑う。アスナ様の父上である公爵様がいらっしゃるというのに、こんな状態の愛娘をご覧になったら調印式さえ白紙になりそうだ。アスナ様もマズいとお考えなのだろう、陛下の行動を止めるべく声を震わせて感覚を遮断するかのように瞳をギュッとつぶり……その拍子に透明な涙がつぅっ、と頬に流れ落ちる。

 

「もっ……ダメ…キ、リトくん……」

 

そのお声とそのお言葉こそがダメですってばアスナ様ーっ……なんて言えるはずもなく、俺はへたり込む前に「失礼しますっ」とだけ投げつけて部屋から飛び出し、調印式前に対象者であるアスナ様御自身に王が所有印をつけまくっている状況をどう侍女に説明しようかと考えながら城内の廊下をひた走ったのだった。




お読みいただき、有り難うございました。
前編ラストで調印式前に令嬢と会話をすると告げた陛下でしたが……
それを見守るしかない、と思っていた従者くんでしたが……
見守る事も出来ずに部屋から追い出されてしまったばっかりに
城内全力ダッシュをさせられる羽目に(苦笑)
いちをこれで完結です。
「王妃殿下付き侍女の一日」もいつか……できたら(笑)
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