親友でありバディの魔法少女・水波レナと共に魔女と戦う日々を過ごしていたももこは、ある日、元チームメイトである魔法少女・七海やちよに意味深な言葉を投げかけられる。
崩れていく平和な日常の中で、ももこは彼女の信じるものの為に戦い続ける。
pixivにて開催されたweb合同の参加作品です。
「はぁい、召し上がれ♪」
両手にミトンを装備した八雲みたまが、オーブンから出したばかりのグラタン皿を鍋敷きの上にゆっくりと着陸させた。ふつふつと沸くホワイトスースの海の上には、デミグラスソースのかかったこぶし大のハンバーグがどっしりと構えている。少し焦げたチーズの香りが鼻を擽ると、十咎ももこの腹の虫はより一層激しく本能を突き動かす。
「ハンバーグドリアか!それじゃあ、遠慮なく……!」
銀色のスプーンを無遠慮に差し込み、その中からケチャップライスを掘り出す。火傷に気を付けて少し冷ましてから、ももこはそれを口の中に突っ込んだ。
「──うまいッ!」
「そんなに美味しそうに食べてくれると、作った甲斐があるわねぇ」
自分の分をテーブルの対面に置いて、みたまは嬉しそうに微笑んだ。しっかりと手を合わせてお辞儀をしてから、一口。
「ん~、美味しい。やっぱり間違いないわねぇ」
「調整屋は何作っても上手いもんだなあ。料理人でもやってけるんじゃないか?」
大げさに頬を抑えてリアクションをするみたまに、ももこは茶化すようにスプーンを行儀悪くふらふらさせていた。
「もう、そんなに褒めても何も出ないわよ?」
「飯がこうやって出てくれば十分だよ。守りがいがあるってもんだ」
ドリアにがっつくももこを見ながら、みたまは席を立って冷蔵庫を開いた。そこからお茶のペットボトルを二本取り出して、テーブルの上にそれぞれ置いた。
「ももこはよく守ってくれてるから、頼りにしてるわよ?」
ももこは軽く頭を下げてお礼を伝えながら、ペットボトルの蓋を回し開け、ラッパ飲みをした。容器越しに見えるみたまは、テーブルの隅に置かれたラジオのスイッチを入れているところだった。流行りのポップミュージックが流れ出したラジオの周波数を切り替えていくと、ノイズと音楽が交互に流れ、時折パーソナリティの女性の声が聞こえていた。
「……続いて、超大型のスーパーセルによって壊滅的な被害を受けた見滝原市について、災害派遣ボランティアが……」
みたまが手を止めた。男性のアナウンサーが、淡々と話していた。
「酷いよなぁ、それ。テレビで見たよ」
ももこは何となしにそう言った。みたまはじっと言葉を聞いていた。ももこがドリアをすっかり平らげる頃に、みたまははっと我に返ったようにももこのほうを見た。
「……ねえ、ももこ」
「何だよ」
みたまは話しかけた割にしばらく黙って、
「美味しかった?」
と聞いた。その間にももこは何か変な心地だったが、しかし食べ終わっていない自分の分ごと皿を下げていくみたまの背中を見ると、それを追求する気は起きなかった。
「おいおい、食べないのかよ」
「ももこの食べっぷりを見てたら、お腹一杯になっちゃって」
「あっそ……」
みたまの気紛れは今に始まった話ではないから、ももこも流すのばかりが上手くなっていた。もうそれなりな付き合いにはなるが、ももこは未だにみたまが何を考えているのか分からなくなる時があるけれど、それを分かろうと思ったことはなかった。ももこがラジオのチューナーを回していると、聞きなれた歌声を聞いて手を止めた。キャッチーなメロディーに乗せて数人の少女が歌う、ベタベタなアイドルソングだった。
「おっ、LinkSじゃん」
ボリュームを上げながら反射的にそう呟いて、それからみたまがこっちを向いてにやりと笑ったのに気付いた。
「何だよ!もう、いいだろ別に……」
「何にも言ってないわよ、追っかけのももこちゃん」
「あのなあ……」
みたまのからかいにも、もう慣れたものだ。音楽を聴きながら、ももこの胸には時間差で消化不良のもやが湧いてきていた。
「そういえばさあ」
「なあに?」
「さっき、なんか言いかけてたけど」
何だったんだ?という問いかけは、シンクに流れる水音に消えていった。いつのまにやら後片付けと洗い物を始めたみたまからは何の返答もなかった。安物のバイプ椅子の背もたれに体重を預けると、少し錆びた接続部分が小さく悲鳴を上げた。
「ももこー、いるんでしょー?」
聞きなれた声が表から聞こえてきて、ももこは顔だけを別室に向けた。表の調整屋の部屋からひょっこりと顔をのぞかせたのは、やはり見慣れた顔だった。
「おーレナ、どうした?」
「なんとなく寄っただけよ。って、なんかいい匂い」
「さっきみたまがハンバーグドリア作ってくれたんだよ。美味かったぞ」
「はぁ?ズルい!レナも呼びなさいよ」
「魔女退治の報酬だっての。レナは面倒だからパスって言ってたじゃんか」
「みたまの料理が出るって言わなかったじゃない!」
「はいはい、レナちゃんもいらっしゃい。わたしの余りでよければ、まだあるわよ」
「ほんとに!?」
露骨に目を輝かせるレナの横顔は、狂犬というより子猫だった。温めるからちょっと待ってね、と言われて、レナはももこの隣に行儀よく座っていた。
「現金なヤツだな、ほんとに……」
「なんか言った?」
「なんにも~」
睨まれたので目を逸らすと、窓の外は快晴だった。聞いたこともないアーティストの爽やかな曲が、ラジオから滔々と流れ出ていた。
「あ、そうだ」
とドリアを食べていたレナが唐突に口を開いたから、ももことみたまは揃ってレナの方を向いた。
「みたま、あとで調整してくれない?」
「いいけど、料金は貰うわよ?」
「グリーフシードならあるから」
スプーンを咥えたままポケットから新品のグリーフシードを取り出して、それをみたまの方へと軽く放った。
「レナ、それどこで手に入れたんだよ」
「決まってるじゃない。魔女を殺してよ」
「あら、ももこと一緒じゃなかったの?」
「別にいいでしょ」
ももこはグリーフシードを仕舞うみたまの後姿をじっと見つめていた。隣でソースの残りをスプーンでかき集めているレナがちょうど綺麗に食べ終わるころ、みたまは調整屋の部屋へと向かっていた。
「流しに入れてくれればいいから。調整の準備するから、待っててね」
みたまが隣の部屋から物音を響かせている間、ももこはレナと二人、特に何を話すでもなくぼうっと椅子に座っていた。
「あのさあ」
「なによ」
「魔女倒したのって、いつよ」
「昨日」
「呼んでくれりゃあよかったのに」
「雑魚だったし。ももこ昨日は誰かと遊んでたんでしょ?」
「そうだけどさあ……」
仲間なんだから呼んでくれたっていいだろ。ももこはそう言おうとして、けれど喉元でせき止めた。レナはラジオのチューナーをめちゃくちゃに弄っていたが、そのうち飽きてラジオの電源を切った。パイプ椅子の軋む音が、静かになった部屋の打ちっぱなしのコンクリートに妙に響いて、ももこは少し寂しくなった。
「なんで切っちゃうんだよ」
「何にもやってないし」
スマホを取り出してSNSを始めたレナを見やって、ももこは小さく溜息をついた。
「レナちゃーん、準備できたわよ~」
調整が終わったレナが上体を起こす頃には、少し西日が強くなっていた。ももこは一人になっている間、鞄から取り出したイヤホンをスマホに接続して、自作のプレイリストを順々に流していた。人の気配を感じて顔を上げると、表と裏を繋ぐ境目に、不機嫌そうな顔をしたレナが立っていた。
「お、終わった?」
「うん」
短い返事と一緒に自分の鞄を拾い上げて、レナは踵を返した。鞄に付いたももことお揃いのクマのマスコットがふわりと揺れた。
「よし、行くかあ」
「行くって、どこによ」
「うーん……タコ焼きでも食べに行くか?」
「あのねぇ、さっきドリア食べたばっかじゃない。太るわよ?」
「じょーだんだって、じょーだん」
表の調整屋には、後片付けをしているみたまがいた。相変わらずのだだっ広い部屋の真ん中で、みたまは小さな欠伸をしていた。
「あら、帰っちゃうの?」
「まぁ、特に用事もないけどなぁ」
「調整屋さんとお喋りする、って用事は?」
「ハイハイ、無いよそんなのは」
「ももこ、置いてくわよ!」
「あら、お連れ様がお待ちね。残念」
「じゃあな調整屋、また寄るよ」
「ええ、いつでも待ってるわ」
「そういえばさあ」
ももこの隣を歩いていたレナが、唐突に口を開いた。
「ん?」
「みたまの願いって、ももこ知ってる?」
お茶の入った水筒を傾けていたももこは、予想外の角度からの質問に思わず咽せた。
「なんだよ、急に……」
少し溢れたお茶を袖で拭って、ももこは水筒を鞄にしまった。ごちゃついた通学鞄の中に、ちらりとお気に入りのペンギンのマスコットが見えた。
「いやね、レナ、今日調整受けたじゃん。調整した相手の記憶が見えるって言ってるじゃない、アイツ」
「あー、そっか」
みたまはソウルジェムの調整をする際に、調整した相手の記憶を覗き見ることができるらしい。見てしまう、と言った方が正確らしい。ももこは一度、みたまに前日の一日の食事を全て言い当てられたことがある。それ以降は頼むから何が見えても言わないでくれ、と頼んだが、みたまが偶に出してくる料理のジャンルが直近の食事と絶対に被らないのは、やはりそういうことなのだろうな、と無駄な考えを巡らせた。
「だから、聞いたことある?」
そう言われて、ももこは少し考えた。考えて、しかし何も思い出すことはなかった。前に作ってくれたのは肉じゃがだった。
「いや、知らないなあ。気にした事もなかったよ」
「アイツはレナ達の願い事も全部知ってるのに、レナ達はアイツのこと何にも知らないのって、なんか不公平じゃない?」
そう言われて、ももこは確かにそんな気がしてきた。みたまは調整の度に相手の事を全て知っているというのに、自分達はみたまのプライベートの話など一つも聞いたことがない。調整屋で会うみたまはずっと魔法少女衣装だから制服姿も見たことがないし、そもそも何歳なのかも知らないのだ。
「……アタシ、みたまの事何にも知らないな」
「でしょ?レナもなーんにも知らないし。やっぱ卑怯よアイツ」
「卑怯ってこたぁないだろ……」
「いーや、卑怯よ!レナ、アイツの願い事を絶対聞き出してやるから」
妙な気合いに燃えるレナを横目に、ももこは至極どうでも良さそうに欠伸をした。西日は半分沈みかけて夕日になり、道行く二人を赤く照らしていた。
「あ、そういえば。このあと万々歳寄るんだけど……」
レナはそこまで言って、止まった。ふとももこがスマホから顔を上げると、分かれ道の間に一人の女性が立っていた。その長髪が風に吹かれてはらりと揺れて、ももこの眉間に自然に皺が寄った。
「やちよさん、何の用だよ」
「また調整屋に行ってたのね」
有無を言わさない七海やちよの鋭い視線がももこにはどこか懐かしく感じられて、それがももこの苦い記憶を刺激するから、苦虫を噛み潰したような顔を深めた。
「あんたには関係ないだろ」
刺のある言葉をぶつけられても、やちよの表情が変わることはなかった。ふとやちよがももこの隣で剣呑な雰囲気に硬くなっているレナの顔を見た。目が合った瞬間、レナの肩が小さく跳ねた。ももこはレナの背中に手を当てて、前に進むように促した。
「……レナ、行くぞ」
「あ、ちょっと、ももこ」
ももこはレナを無理やり歩かせて、やちよの隣をすり抜けた。
「……みたまに、あまり入れ込まないことね」
その言葉に思わず振り返ったレナの背中を、ももこはもう一度強く押した。
家で食べる弁当を買いに行くのだというレナに付き合って、ももこも万々歳の店先へと向かっていた。万々歳は相変わらずの佇まいで、夕食時だというのにちらほらと空席が目立っていた。
「いらっしゃーい!……あ!ももこにレナ!相変わらず仲良いねぇ」
引き戸の向こうで接客をしていた由比鶴乃が二人を見つけると、いつも通りのニコニコ笑顔で出迎えた。
「今日はご飯食べてくの?」
「違うわよ。弁当買いに来たの」
「おっ、りょーかい!いつもありがとね!」
メニューを吟味するレナを横目で見ながら、ももこは漂ってくる中華料理の匂いで小腹を空かせていた。レナの両親は共働きで帰るのが遅く、時折こうやって出来合いの弁当や惣菜を買って帰り、弟と一緒に食べているらしい。その家庭環境のせいなのか、レナはこの歳にして料理洗濯掃除に子守も一通りそつなくこなすことができるのだが、本人の普段の素行があまり良くない為か、調理実習や三者面談で驚かれることもしばしばある……らしい。
「唐揚げ弁当と、餃子弁当ね。うん、じゃあちょっと待っててね!すぐ作るから!」
会計を済ませると厨房に飛んでいく鶴乃の背中を眺めていると、実家とはいえ万々歳一番の働き者である鶴乃の努力を感じるようだった。
「はい、おまちどう!あつあつだよ!」
ビニール袋に入った弁当を二つ受け取ったレナの横で、ももこはなんとなしに口を開いた。
「鶴乃、そういえばさ」
「ほっ?」
「最近、魔女倒してるか?」
鶴乃は少し悩んで、
「いやぁ、最近万々歳が大変で……」
と、恥ずかしそうに頭を掻いた。
「倒さないといけないのはわかってるんだけどねえ……」
「じゃあさ、明日か明後日あたりにでも一緒に行くか。最近、魔女が強いだろ」
ももこの提案に、鶴乃はぱあっと笑顔になって、
「え!行く!できれば明後日がいいな!」
「よし、決まりだな。じゃあ明後日の放課後、校門でいいか?」
「うん!よろしくね!」
元気よく手を振る鶴乃に見送られて、ももことレナはそれぞれの帰り道に向かっていった。
調整屋の近くにまた魔女が結界を作った、という連絡を受けたのは、すぐ翌日のことだった。たまたま用事のなかったももこは少し悩んで、もう一度調整屋に行くことにした。その道中にレナに連絡を飛ばしたが、結局魔女の結界に入るまでの間に返信がつくことはなかった。
「やあ、ももこ。今日も魔女退治に精が出るね」
するりと肩に登ってきたキュゥべえが、他人事みたいにそう言った。
「誰のせいだと思ってんだか……」
ももこは独り言を呟きながら、廃ビルに巣食った魔女の結界を見据えた。剣を持つ手を軽く回して調子を整えると、結界を縦一文字に切り裂く。
「うぇっ、これは……」
「かなり強い魔女だね。一人で大丈夫かい?」
「へーきへーき。このくらいはね」
レナを待った方がいいかもしれない、という考えが一瞬頭をよぎったが、しかし周囲を侵食していく魔力を見ていれば、そんな気も起きなかった。結界の切れ目からじわじわと広がっていく深緑色の苔のような魔力は、徐々に結界を広げているようだった。
「敷地の魔女。その性質は陣取り。その名の通り、自身の敷地を広げる能力に特化した魔女みたいだ」
「なるほどね。この苔みたいなのがアイツの敷地ってわけか……」
ももこは苔だらけの地面が広がる結界の中を、樹々をかき分けながら歩いていた。踏み出す足が湿った苔を踏みつける度に、不快な水音と滑りそうな感触で、ももこは一々顔を歪ませた。トマトやキュウリらしき歪な果物ばかりが実った樹々はももこの身の丈ほどもあり、さながらジャングルの中を歩いているようだった。木の幹を這いずるトカゲのような手下たちは苔を広げるのに必死なようで、その間を歩いていくももこのことは気にも留めていないようだった。
「なんだ、全然何もしてこないなあ」
「油断は禁物だよ。魔女を倒すまで、気を抜いちゃダメだ」
「わかってるよ。……そういえばさあ」
「何だい?」
ももこはキュゥべえを前にして、昨日のレナとの会話を思い出していた。
「調整屋……みたまも、アンタと契約したんだよな?」
「そうだけど、それがどうかしたのかい?」
「いや……キュゥべえなら、アイツの願い事も知ってんだろうなあって思ってさ」
「もちろん、知っているよ」
「……あー、いや、やっぱ何でもない。こういう話を別口から聞くのは流石に……それこそ卑怯だな」
「よくわからないけど、解決してくれたなら何よりだよ。今は魔女の方に集中してほしいからね」
「悪かったよ」
無駄口を叩きながら魔力が強まっていく方へと歩いていくと、やがて巨大な生垣に突き当たった。ご丁寧に入り口らしい垣根の切れ目を見つけたももこは、身を屈めてゆっくりと潜り抜けた。ぐじゅり、と水っぽい苔を踏んだ音がして、足が少しだけ沈んだ。
「……あれが魔女か」
「そうだね。まだこっちには気付いてないみたいだ」
丸く縁取られた結界の最深部は、小高い丘になっていた。本来の芝らしき鮮やかな緑と魔女の苔らしい深い緑がまだらに床を染め、苔の塊のような色をした犬のような手下が数頭、暢気にその中を歩き回っていた。その中心には、巨大な犬の顔に触手が生えたような外見の魔女が、その身から苔を滴らせながらゆらゆらと揺れていた。
「先手必勝!」
ももこが飛び出す。鼻のような突起物がある方を表だと見定め、ちょうど顔が後ろを向いたそのタイミングだった。地面を蹴り、ももこの身体は軽やかに宙を舞う。ぐるりと顔を向けた魔女のその鼻っ面に向けて、両手で握った大剣を全力で振り下ろす。
「くたばれぇ!」
渾身の一撃は空を切る。見た目に反して素早く動いた魔女は、上空から吊られているようにも見えた。空中で一回転したももこが次に見たのは、地上から凄まじい速度で跳躍してくる苔の犬だった。
「やばっ……」
大剣を盾にして衝撃を受け、そのまま地面に衝突した。受け身をとって立ち上がると、見分けのつかない犬が、少し距離をとって警戒するように唸っていた。ももこはもう一度剣を構えようとして、その手応えに妙な違和感を持った。前に構えたそれからは深緑色の雫が垂れ、粘度のある液体がどろりと柄にかかった。
「やっべ!」
ももこは反射的にその剣を魔女の方へと放り投げる。ひらりと身を躱され、剣は魔女の後ろの生垣に突き刺さった後、苔の緑に同化するように溶けて消えた。
「あんにゃろ~」
「いい判断だね。今回は剣で助かったけど……」
「ぞっとしないからやめてくれ……」
外周の草陰に身を隠していたキュゥべえの呑気な声が、ももこの緊張を適度に解してくれた。もう一度剣を取り出して、魔女の方へと向き直った。唸り声をあげていた犬の一匹が、助走をつけて飛び掛かる。ももこは今度はそれを受けずに身を捻り、すれ違った後に無防備な背中に向けて剣をぶん投げる。犬の体は豆腐のように両断され、剣に触れた先から深紅の炎を上げて燃え盛った。
「やりぃ!」
徐々に炭になっていく手下から目線を外して、ももこはもう一振り剣を手に取った。魔力の消耗が激しい戦い方は気に食わなかったが、相手に触れずに戦う方法はこれくらいしか思いつかなかった。魔女は相変わらずふわふわと浮いていて、手を出してくる気配はなかった。その触手から滴り落ちた緑の塊が苔の海に落ちると、途端にムクムクと盛り上がり、ものの数秒で燃やした犬と瓜二つの獣が象られ、屈強な四本の足を鳴らした。
「マジかよ……」
「彼女の敷地内で戦うのは無謀だ。何か策を考えないと」
「んなこと言っても、この辺は全部苔だらけだぞ!」
無作為に突撃してくる犬を何とか捌きながら、ももこはどうするべきか思考を巡らせた。あの魔女を何とかするためには、まずこの犬どもを何とかしなければならない。けれど無限に湧いてくる上に、触れるだけでアウトだ。
「ももこ、後ろだ!」
いつの間にか背後を取られていて、ももこは咄嗟に剣を突き出し、犬を串刺しにした。そのままぐるりと向き直ろうとして、ぐん、と足を取られる。無意識のうちに踏み出していた右足が、意思を持つかのように動き回る苔の海に絡め取られていた。
「うおっと!」
引きずり込もうとしてくる苔に構っている内にも、犬は突撃を止めない。一匹を剣で受け止め剣ごと投げ飛ばした後、死角から飛び掛かってくる二匹目の前にいるももこは素手だった。
「ももこ!」
無意識のうちに両腕でガード態勢を取ったももこは、しかし最後まで目を閉じることはなかった。稲光を纏った鞭の一振りが、迫り来る犬を弾き飛ばしたからだった。
「十咎、苦戦しているようだな」
白いマントをたなびかせた和泉十七夜が、雷光でももこの足元に生えた苔を焼き払った。それで自由になったももこはもう数えるのを止めた大剣を取り出して、再び魔女に向けて構えなおした。
「サンキュー、十七夜さん」
「む、今日は水波君とは別か。ソロ活動というやつだな」
「まあ、いつも一緒ってわけじゃないですからね」
「あの魔女、燃えやすそうだな」
「すばしっこくて。援護してくださいよ」
「わかっているさ。行くぞ」
グリーフシードが乾いたコンクリートの床で跳ねる硬い音で、ももこはようやく魔女を倒したのだと実感した。結界の中はずっと湿った地面だったからか、しっかりと固まった廃ビルの床が妙に頼もしく感じられた。
「いやあ、マジで助かりました」
「さすがだね、十七夜。君がいれば、心配はいらないかな」
キュゥべえがももこを横目に見ながらそう言ったので、ももこは不服だと声を上げようとしたが、踵を返したキュゥべえの背中を目で追っている内に、さっさと消えて行ってしまった。
「十七夜さんはどうしてここに?」
「自分も八雲に用があってな。十咎が魔女退治に向かったと聞いたので、様子を見に来たのだ」
腕を組んだまま変身を解く十七夜の凛々しい横顔を見て、女子にモテる女子だな、という認識を強めていた。ももこがグリーフシードを拾ったのを見届けてから、十七夜は姿勢良く踵を返した。よく響く足音を二人分鳴らしながら、ももこと十七夜は調整屋まで歩いた。
準備中、と書かれた妙に可愛らしい掛け看板を揺らして中に入ると、ガラス越しの光に照らされた部屋の中に、みたまが一人で椅子に座っていた。彼女は無意識でそうしたようにももこ達の方を見やった。
「あら、おかえりなさい。無事でよかった」
柔らかく微笑むみたまの姿が眩しく見えて、ももこはついと目線を逸らした。その先には十七夜がいたが、十七夜はさっさとみたまに近づいて行ったから、その後姿を追うようにももこも歩き出した。
「調整屋、大丈夫か?」
心ここにあらずといった雰囲気のみたまを見かねて、ももこはそう声をかけた。みたまはゆっくりと首を縦に振ったが、どう見ても大丈夫には見えなかった。
「おいおい、しっかりしろよ」
ぐらりと揺れたみたまの体を、思わずももこが支えた。みたまは半目のままももこの顔をじっと見つめて、くすりと笑った。
「何かあったらももこが守ってくれるんだから、大丈夫よ」
いつもの揶揄うような調子ではあったが、少し声が掠れているようだった。
「はいはい。調子いいよなぁ」
ももこの手を優しく払いのけたみたまは、立ち上がったところでふっとバランスを崩した。ももこはその華奢な体を難なく受け止めたが、目を閉じたみたまの口角が上がっているのを見て、してやられた、と自覚した。
「ごめんなさい。わたし、ちょっと休みたいかも」
「だろうよ。ほら、ベッドはそこだぞ」
妙に寄りかかってくるみたまを暑苦しく感じながら、ももこは何とかみたまを調整用のベッドに寝かせた。横になるとすぐに小さな寝息を立て始めたみたまに溜息を吐いてから、キャスターのついた折り畳みベッドを十七夜と二人で隣の部屋まで運んで置いた。十七夜は勝手知ったるといった風に冷蔵庫を開け、ミネラルウォーターのペットボトルを一つ投げて渡した。
「調整屋、大丈夫なのか?」
「八雲はあまり自分の体を大事にしないからな……。大方、また寝ずに何かをやっていたんだろう」
ももこはペットボトルを呷った。無機質な天井が視界一杯に映りこんで、嫌な圧迫感を感じずにはいられなかった。
「ほんと、世話が焼けるよ」
正面に顔を向けると、十七夜がじっとももこの方を見ていた。比喩でなく心を読める十七夜の目には変身していなくとも不思議な力が宿っているように思えて、ももこは正面から見つめあうのは苦手だった。
「なあ、十咎」
「なんですか」
よく冷えたペットボトルを首筋に当てると、じんわりと冷気が体に広がっていった。十七夜は一度だけみたまの寝ている部屋の方を見ていた。
「……八雲が困っていたら、助けてやってほしい」
らしくないほどに言葉を探す十七夜の姿に、ももこは鳩が豆鉄砲を食ったような顔で固まってしまった。
「そんなの今更ですよ、ほんとに」
思い返しても、みたま絡みの話でももこがお節介を焼かなかったことがないような気がしていた。そうやって貧乏籤を引き続けるのが自分の性分なのだと諦めている部分もあるが、それを嫌に思ったことは一度もなかった。
「そうか。いや、十咎はそういう人間だったな。失念していた」
生真面目な顔を崩さない十七夜の姿が妙に面白くて、ももこは声を上げて笑った。
「なんだ。今の八雲は、自分より十咎の方を信頼しているようだからな」
「そんなわけないですよ。十七夜さんの方が付き合い長いんだし」
茶化すようにそう言った後で、嫌な沈黙が耳に響いた。ももこは十七夜とみたまの関係を詳しくは知らない。けれどももこがみたまと出会った時、既に十七夜とは刎頸の友という風だったから、きっと幼馴染か何かなのだろう、と勘繰っていた。
「ところで十咎よ。最近、七海とは話したか?」
突然の話に、ももこは喉が詰まった。七海やちよという名前は一種のトラウマのような重みをもって、ももこの心に沈んでいた。
「……ああ、会ったよ。相変わらず、スカした顔してたよ」
ももこが露骨に顔を顰めても、十七夜は特に気にした様子もなく、そうか、と淡白に相槌を打っただけだった。
「なあ、十七夜さん。あのやろうの心を読んで、何考えてるのか教えてくださいよ」
「知りたければ聞けばいい。元とはいえ、仲間だろう」
十七夜はそう素っ気ない返事をしたあとで、ふと調整屋の入口の方を見やった。それに釣られてももこも振り向くと、少し錆びた戸を閉める音と共に、見たくもない顔の女が暗がりから現れてきた。
「あら、お揃いね」
七海やちよは相変わらずの出で立ちで、決別したあの日と同じ顔をしていた。
「何しに来たんだよ」
十七夜は座ったまま、二の句を待つようにじっと黙り込んでいた。
「みたまの様子を見に来たけど。今日は親衛隊がいるし、どうしようかしら」
いきり立ったももこに流し目を送りながらの嫌味ったらしい言い方が、神経を的確に逆撫でしてきた。
「調整屋に関わるなって言った癖に、自分は来るのかよ」
喧嘩腰な言葉もどこ吹く風といったやちよの態度が益々気に入らなくて、もう一言言ってやろうとしたももこの肩を、十七夜が後ろから掴んで止めた。
「七海。どういう意味だ?」
「願いの話よ」
「……成程な」
「もう無視できない問題なのよ。白々しい……」
十七夜はそれでまた黙ってしまった。二人はどちらも、間に挟まれたももこの事を見てはいなかった。
「なあ、何の話だよ」
ももこは十七夜の方を見て聞いたが、十七夜は難しい顔をしながら椅子に座ってしまった。それでやちよの方を向くと、やちよは心底呆れたような顔でももこを見ていた。
「……ももこ、あなたは本当に、愚かね」
「……喧嘩売ってんなら、買うぜ」
左手のソウルジェムを掲げ、ももこは思い切りやちよを睨みつけたが、やちよは変身する素振りも見せず、ただ憐れむような眼でももこを見下していた。
「十咎、やめろ」
「十七夜さんもコイツの味方するのかよ」
「少しは落ち着け。ここは調整屋だ」
その言葉ではっとして、ももこは左手を下ろした。やちよはその行動を見届けた後、ももこの方をしっかりと見据えて口を開いた。
「ももこ。貴方にとって本当に大切な、守るべき人は誰なの?」
「いきなり何を……」
呆気にとられたももこを置いて、やちよは踵を返した。錆びたドアが開く音で我に返ったももこは、よろめくように椅子に座りこんだ。
「私は、近いうちにみたまを神浜市から追い出す。……一番大切なものは何なのか、よく考えなさい」
扉の閉まった後には、ただ息の詰まる静寂ばかりが残っていた。ももこは十七夜の様子を窺ったが、十七夜は何かを思案するようにみたまが寝ている部屋の方を見ているばかりだった。
「何だってんだよ、くそ……」
意味のない言葉を吐き捨てて、ももこはペットボトルに残ったぬるい水を飲み干した。
「十七夜さん、分かるように説明してくれよ。あの人はなんで調整屋を……」
「……十咎、今日は帰れ。後で八雲に直接聞くといい。あいつも拒まないだろう。……これは、八雲自身が話すべき話だ」
ももこは一瞬、今すぐ隣の部屋で寝ているみたまを叩き起こして、一から十までその口で説明させようと思った。けれど見たこともないほど深刻な顔の十七夜がその間にいたから、行動に移すことはできなかった。
「なあ、十咎。もし自分に何かがあった時は、その時は、八雲を救ってやってくれ。十咎にしか頼めない事だ」
それきり何も話さなくなってしまった十七夜に半ば追い出されるようにして、ももこは調整屋を後にした。
授業を終え一人で帰ろうとしていたももこが校門で待ち伏せていたレナに捕まったのは、そのまた翌日の事だった。何かを言いたげなレナに引き摺られるように夕暮れの通学路を歩き、やがて周りに人が少なくなってきたころ、レナはおもむろに口を開いた。
「……レナ、昨日ね、キュゥべえと話したの」
レナはあまりキュゥべえを嫌っていない。ももこが知っている限り、レナはキュゥべえを邪険に扱っている時もあるが、仲良く話しているように見える時もあり、気難しいレナには珍しい話し相手になっているようであった。キュゥべえのコミュニケーションの取り方に苛立ちを感じることはあるらしいが、それはやちよや十七夜や、他ならぬももこ自身がキュゥべえを嫌っているのとは根本的に違う話である。
「話した? 何を……」
「みたまの、ねがいごと」
ももこは、はっとして息を呑んだ。ももこはあえてキュゥべえには聞かなかったことだが、みたまのことをいっそう気にしていたレナがそれをしない訳がないのだということに、今更思い至った。
「キュゥべえ、なんて言ったんだ?」
「教えて、くれたの。なーんの遠慮もなしに」
レナの声が、少し震えていた。
「……そっか」
「ありえないでしょ、他人の願いを勝手に言っちゃうの」
「……そうだな」
「ほんと、だからキュゥべえは嫌いなのよ。これだから……」
吐き捨てるように言って、そのまま黙り込んでしまった。そうして何かを言おうとして、レナは珍しく言い淀んだ。ももこはじっと二の句を待っていた。何度目かで、ひとつ小さく息を吸って、覚悟を決めたようにももこに向き直った。
「ねえ、ももこ。ももこも、みたまの願い、知らないのよね」
「……ああ、知らないよ」
それを聞いて、レナはぐっと瞬いた。
「あのね、ももこ。みたまの、願い事は……、『神浜を滅ぼす存在になりたい』。」
「……は?」
開いた口が塞がらない、とはこういう事なのか。想像のまったく外側から投げつけられた情報は、思考に巨大な空白をもたらした。その言葉の意味を考えようと試みても、うまく言葉が繋がらなかった。
「神浜を、ほろぼす……?」
ももこの脳裏に、八雲みたまの姿が映った。いつだって営業スマイルを絶やさず、たまに料理を作ったり、できもしない挑戦を始めたり。純粋な笑顔が自分に向けられた事は一回も無いだろうとももこは薄々思っていたが、その仮面の裏で何を考えているのか、その裏側を考えたことは一度もなかった。
「滅ぼすって、それを願うって、そんなのアリかよ……」
誰に対しても同じような笑顔を向けるみたまには、その全員を滅ぼす願いがあった。
「……キュゥべえに願った願いは、必ず叶う。そうでしょ?」
好きな人に告白する勇気が欲しい。自分じゃない誰かになる力が欲しい。生き残りたい。大東が嫌われている理由を知りたい。……神浜を滅ぼす存在になりたい。キュゥべえに願った願い事は、例外なく全て叶っている。結果的に無駄になっている事もあるが、それは願い方の問題なのだ。
「だから、みたまは、きっと、絶対、願いを、叶える。そうでしょ、ももこ」
レナの声が途切れ途切れなのは、少し喉が詰まったような声になっているのは、きっと彼女なりの優しさなのだと思った。
「みたまが、神浜を滅ぼすなら。本当にそうだとしたらさ。……神浜が滅ぶなんて、レナは絶対に嫌なの。止めるためには、それは、もう……」
「……」
「みたまを、キュゥべえが言ったみたいに、みたまを、殺すしかないんじゃないかって、そうとしか思えなくなっちゃって、レナ、みたまの事嫌いなわけじゃないのに」
「……レナ、アタシの目を見て」
咄嗟に掴んだレナの肩が思っていたよりもずっと小さかった。少し屈んだももことレナの目が合った。小さな体を震わせるレナの目は、不安そうな感情を隠そうともしていない。ももこは真っ白な頭を何とか回しながら、やるべき事を一つ一つ、自分の中で咀嚼していた。
「そのこと、みたまと何か話したのか?」
「……ううん」
レナが小さく首を振ると、綺麗な髪も一緒に揺れていた。
「よし。レナ、これから調整屋に行こうか」
その言葉に目を丸くしたレナの姿で、ももこの心の内も徐々に勇気を沸かせていた。きっと自分の願いはこういう風に叶ったのだろう、とか、そんなことをふと考えた。
「アタシはさ、正直、あのみたまがなんでそんな願いをしてるのもよく分からないよ。だから、直接聞くんだ。レナもそっちの方がスッキリするだろ、きっと」
こんな時ばかり思い切りのいい自分が、元からそうだったのか、それとも願いが叶ったお陰なのか、それはももこにとってはどうでもいいことだった。目の前で少しだけ涙ぐんでいたレナが、未だに少し震えた声を漏らしながらゆっくり頷く姿を、ももこはじっと見つめていた。
「ねえ、ももこ」
調整屋とは、そんなに離れてはいなかった。二人は歩調を合わせながら、急ぐわけでもなく、ゆっくりと歩いていた。おもむろに口を開いたレナの方を、ももこは見なかった。
「ん」
「やちよさんはさ、どうしてあんな事を言ったんだろ」
調整屋に入れ込むな。夕暮れの道でやちよが言った言葉は、ももこの中ではとっくに過去のものになっていた。
「……さあなあ。アイツのことは、アタシにはもうよく分からないんだよ」
調整屋の中でやちよが言い放った言葉を、ももこは未だに消化できていなかった。神浜を守るためにみたまを追放する、という言葉が、レナが言ったようなキュゥべえの提言から出てきたものとはどうしても思えなかったが、その言葉の裏を覗くことはももこにはとてもできない。
「そういえばさ。ももこは前、やちよさんと一緒のチームで戦ってたんだよね」
「……まあ、そうだよ。レナも、その時のやちよさんとは会ったことあるだろ」
レナと出会った時、ももこはまだやちよ達とチームを組んでいたから、レナと引き合わせたこともあった。チームが解散した後、やちよがすっかり変わってしまった後は、ももこは専らレナとコンビで活動しているから、自然とやちよとの接点は消滅していった。レナとやちよがまともに会ったのも、ももこが知っている限りではそれぎりである。
「なんであんな、絶交したみたいになっちゃってるのよ」
ももこは足を止めずに、ひとつ小さな溜息を吐いた。新西区の外れに近づくにつれて、段々と人の流れが減っていった。
「……あの人が、変わっちまったからだよ。もうあの人は、アタシの尊敬する七海やちよじゃない」
調整屋の扉は相変わらずの寂れ具合で、とても繁盛しているようには見えなかった。ももこはみたまに何度か出店場所の引っ越しを提案したことがあるが、その悉くは軽く流され、時には拒絶ともとれる言葉で拒否されてしまっていたので、いつしかその話をする事は無くなった。蝶番の錆び付いた扉は重苦しい音を立てて開いた。ももことレナがその部屋の中に足を踏み入れると、調整屋の中は薄暗かった。
「おーい、調整屋、いるか?」
「はあい、いるわよ」
ももこの呼び声に応えながら、みたまが奥の部屋から姿を現した。いつも通りの見慣れた魔法少女姿のみたまは、部屋の真ん中に置かれたソファーに静かに座った後、不思議そうな顔だけを二人に向けた。
「二人揃って。今日は何の用?」
昼寝でもしていたのか、小さな欠伸を一つ。ももこは柄になく引っ込みたがるレナの背中を手で押した。
「聞きたいことがあってなあ。なあ、レナ」
「レナちゃんが、わたしに?」
レナは恨めしそうな目でももこを睨むが、慣れっこなももこはどこ吹く風である。レナは何度か呼吸を整えて、それからみたまの方を向いた。
「あの、みたま、その、気を悪くしないでほしいんだけど」
「もったいぶった前置きねぇ」
「うるさいわね……。あのね、みたま。レナ、キュゥべえから聞いたの」
一呼吸。コンクリートの壁が音をよく反射して、ももこは少し耳鳴りを感じた。
「みたまは、神浜を滅ぼしたいの?」
みたまの顔が凍った。営業スマイルがゆっくりと真顔に変わっていくのに、ももこは僅かな戦慄を覚えた。
「……そう。聞いたのね」
色のない声だった。怒りでも、悲しみでもない、虚無だった。
「ええ、そうよ。わたしは、神浜を滅ぼすために魔法少女になったのよ」
平坦な声でさも当然のようにそう言った後、みたまは静かに目を閉じた。あまりにも重い沈黙だった。二人が何も言えずに黙り込んでいる間も、みたまはじっと座ったままだった。あまりにも厚い壁の前に、ももこはどう言葉を繋ぐべきか迷った。しかし、やはりももこには華麗な駆け引きなどは無縁だった。
「……調整屋は、今も、神浜を滅ぼそうと思ってるのか?」
みたまは小さく息を吐いた。一度ゆっくりと瞬いた後、再び真っすぐにももこを見据えた。
「……もちろん、って言ったら?」
「その時は……。アタシは、それを止める。力づくになっても」
「わたしを殺してでも?」
感情の乗っていない声だった。
「わたしは、もう願いを叶えたのよ。わたしが神浜を滅ぼす存在になるのは、もう決まった事なの」
「でも、でも、みたまが滅ぼそうと思ってないなら、そんなの滅ぼしようがないじゃない」
レナの言葉にも、みたまはゆるく首を振った。
「もう滅びは始まってると言っていいのよ。最近、魔女が強くなったと思わない?」
「確かに、それは思うよ。でも、それは調整屋となんの関係があるんだよ」
「神浜市の魔法少女が調整によって強くなってるから、神浜市の魔女が強くなっているのよ」
ももこはそれで、ようやくこの事態に気付くことができた。考えてみれば至極簡単な話だというのに、今の今までその繋がりに全く気付いていなかったのだ。魔法少女が強くなれば、魔女が強くなる。あまりにも当然の話だ。
「そういう、ことかよ」
「ちょっと待って。それってどういう意味なのよ。魔法少女と魔女には何の関係もないでしょ。魔法少女が強くなったからって、魔女が強くなるわけないじゃない。魔女が特訓でもしてるっての?」
ようやく回り始めたももこの思考は、レナの言葉で再びブレーキをかけられた。訳の分からない会話の前にいつもの癇癪を起こしそうなレナを見て、みたまが冷たい目でももこを睨んでいた。
「ももこ、あなたは……」
黙りこくってしまったももこに軽蔑の眼差しを流しながら、みたまは小さく手を握りこんだ。
「……いい、レナちゃん。魔法少女と魔女はね、無関係じゃないの」
「そりゃグリーフシードは落とすから、関係ないってのは違うかもしれないけど」
「そうじゃないのよ。……信じられないかもしれないけど、魔法少女はね」
「魔女に成る、んだよ。ソウルジェムが濁り切った時に、アタシたち魔法少女は、魔女に成る」
割り込むように、ももこがそう言い切った。みたまはやはりももこを睨んだが、少しだけ剣幕が和らいだようにも見えた。
「だから、魔法少女が強くなれば、魔女もまた強くなる……」
「何度も調整を重ねた強い魔法少女たちが魔女に成っていけば、後進の魔法少女たちはその魔女を倒せない。あとは滅んでいくだけ。神浜は魔女に食い物にされて、滅びるわ」
魔法少女が魔女に敵わなくなる。ももこには到底想像のできない異常事態だった。もし本当にそうなれば、確かに滅んでしまうのだと、魔女の犠牲となった人々をもう一度思い返しながら、ももこは唾を飲み込んだ。
「……やちよさんは、調整屋を神浜から追い出すって言ってたけど」
「もう手遅れよ。……きっと、この神浜を直接的に滅ぼすのは七海やちよの魔女になるでしょう。あの人が出て行った方が、ずっとマシな結果になると思うわ」
諦めと嘲笑の入り混じったような言葉が、虚しく調整屋に響いていた。ももこはふと黙りこくったレナの方を見た。顔を上げたレナは、物凄い形相でももこを凝視していた。
「ふざけないで! いきなりそんな意味分かんないこと言わないでよ!」
衝動のままに胸倉を掴まれたももこが詰まった喉から何かを口に出す前に、レナはももこを乱暴に突き放した。ぐしゃぐしゃの顔のまま、レナはそれ以上何も言わずに、ももこの横を駆け抜けていった。
「おい、レナ!」
反射的に飛ばした呼びかけは、勢いよく閉まるドアのけたたましい音にかき消され、再び嫌な静寂だけが残ってしまった。
「……自業自得ね」
独り言のような呟きも、嫌でも耳に入ってしまう。ももこは足元にレナの鞄が置き忘れられているのに気付いた。
「……なんて伝えればいいか、分からなかったんだよ」
「……ももこ、あなたは、本当に馬鹿ね……」
レナの鞄は、鉛のように重かった。ももこはそれで眩暈のするような思いだった。レナの声が脳裏に直接響いているようだった。
「ももこ、あなたはわたしを信じてる?」
ももこはゆっくりとみたまの方を向いた。みたまの顔にはもうあの営業スマイルの面影はどこにもなかった。
「滅びを避けることはできないわ。わたしを信じてくれるなら……。ももこ、神浜を離れて」
その言葉に少しの違和感を感じて、ももこはもう一度問いかけることにした。
「なあ、みたま。今でもまだ、神浜を滅ぼそうと思ってるのか?」
みたまはゆっくりと瞬いた。
「……そうね。あなたは、わたしの事を何も知らないものね」
それから、ぽつり、ぽつりと言葉を紡いだ。ももこはそれを無言で聞き終わった後に、そうか、と答えて調整屋を後にした。殺風景な部屋の中で、みたまは一人になった。
「……わたしはね。今でも、わたしを殺したこの神浜が嫌いなの。だから、滅ぼせるならそうしたいって、今でもそう思ってる。でも……。でもね。調整屋として働いて、色んな人と出会って。今は、滅ぼしたくないものだって、できちゃったのよ。……だから、ももこ。わたしを信じて。この神浜が滅びる前に、神浜から出て行って。お願い」
レナの家も新西区にあるので、調整屋を出る時にはもう傾いていた太陽は、まだ完全に沈み切ってはいなかった。何度かお邪魔したことがある一軒家の軒先で、ももこはインターホンを鳴らした。部屋の中から僅かにインターホンの残響が聞こえてくるばかりで、ドアが開く気配はまるでなかった。諦めて踵を返したももこは、カーテンの隙間から小さく覗いていた子供と目が合って足を止めた。レナの弟とは何度か顔を合わせたことがあったから、彼もドアを開けるかどうか悩んでいる様子だった。レナの鞄を見せ、ジェスチャーでドアを開けてくれるように頼むと、彼はカーテンの向こう側へと引っ込み、少し後にドアの鍵が開く音がした。
「姉ちゃん、まだ帰ってないけど……」
不安そうな顔と声は、どこかレナに重なるところがあった。
「そっか。レナのやつ、鞄忘れていきやがってさあ。たぶんそんな遅くなく帰ってくるだろうからさ、鞄だけ預かっといてくれよ」
自分の不安はおくびにも出さないように、わざとらしく明るくそう言って、ももこは鞄を突き出した。少し重そうにそれを受け取った彼の顔からは、不安そうな曇りが消えないままだった。
「姉ちゃん、大丈夫かな……」
「ダイジョーブだよ。アタシが保証する。どーせまたゲーセンにでも行ってるだけだから、さ」
俯いた少年の頭を乱暴に撫でる自分の手が震えていないか、ももこは何度も確認した。尚も晴れない曇り顔にかき乱されそうな心を抑え込んで、再び神浜の街に戻っていった。
親に帰りが遅くなる旨のメールを送って、ももこは夕暮れの街を歩き回った。行きつけのゲームセンターを回り、レナが行きそうな河原や公園を虱潰しに回ったが、しかしレナの姿を見つけることはできなかった。出会った魔法少女仲間の何人かや寄り道していた同級生に話を聞いてみても、足跡を見つけることすらできないまま、気が付けばすっかり日の暮れた繁華街で、ももこは途方に暮れていた。レナは携帯電話も財布も鞄の中に一緒に入れたままだったから、行ける場所は限られているはずだった。行き交う人々の中をひときわ目立つ学生服で歩きながら、ももこは地図アプリを弄っていた。
「やあ。今日も魔女探しかい?」
どこからともなくするりと肩口に登ってきたキュゥべえは、スマートフォンの画面を一緒に覗き込んでいた。ももこは視界の端に映る白い姿を横目で睨み、その名前を口の中で小さく呟いた。そうして言葉にしてみると、ももこの記憶の中の引っ掛かりが呼び起こされて、いっそう険しい顔になった。
「なあ、キュゥべえ」
「なんだい?」
無神経な声は、不安定な精神を乱暴に逆撫でするようだった。
「レナに何を吹き込んだ」
ももこはどこに向かうでもなく歩き出した。なるべく人の少ない通りを選んで歩いていくと、やがて閑静な住宅街に出た。誰もいない家々の間の細い道を、ももこはただ闇雲に歩いていた。
「僕は聞かれたことに答えただけだよ」
素っ気ない答えと、沈黙。
「レナが知りたがったのさ。みたまの願いも、その対処法も」
神浜の滅亡。雲のように掴めない曖昧な、巨大な絶望。
「それが、みたまを殺すことだって?」
「あくまで仮説さ。それに、僕は神浜の滅亡を止められるとは思ってない」
感情の乗らない声に、ももこは恣意的な感情を乗せてしまう。
「無責任だな」
「そう言われてもね。それが彼女の願いで、もう叶ってしまっているんだから、今更どうしようもないのさ」
「でも、レナにはみたまを殺せば止められるって言ったんだろ」
「止められる“かもしれない”とはね。残念ながら、彼女の願いがどういう形で叶っているのかは僕にも分からないんだ。なにせ願い方が抽象的すぎる。彼女自身が意思を持って滅亡への引き金を引くのか、それとも彼女の存在そのものが主要因になるのか。何の切欠も必然性もなく、ただ偶然のように見える突然によるものかもしれない」
ふとももこは足を止めた。自分がどこにいるのかよく分からなかった。街灯の明かりが照らす道路には、人も車も見えなかった。
「調整屋は、魔女によって滅ぶって言ってたな」
「その可能性も十分にある。調整によって強くなった魔法少女が魔女に成ることで、魔女を処理できなくなった神浜が自壊する、といったところかな。でも、この説には大事なものが欠けている。みたま自身の意思だ」
神浜を滅ぼしたいと、思ってる。みたまは確かにそう言っていた。けれど、ももこにはその言葉はどうしても受け入れられなかった。
「僕の見立てだと、今この段階でみたまが滅亡を止めようと動くのならば、ほぼ確実に止めることができる。みたまが魔法少女と魔女のパワーバランスを調整することでね。まだ手遅れの段階じゃない。けれど、もし彼女が本気で神浜を滅ぼそうと考えているのなら、それを止めるのは難しい段階でもある」
キュゥべえの言葉をうまく咀嚼できないまま、ももこはあてもなく彷徨っていた。
「彼女は何か言っていたかい? みたまは僕に対してはあまり話をしてくれないんだ」
何でもなさそうにそう聞かれて、ももこは調整屋での話をうっすらと思い出していた。
「……アイツは、よく分からない。本気なのか冗談なのか、さっぱりなんだよ」
「みたまはあまり本心を出さないからね。そういう人間はたまにいる」
尻尾を振り、頭をゆらゆらと動かしながら、キュゥべえは淡々と話していた。
「滅亡を止めるために一番確実なのは、やはりみたまを排除してしまうことだね。彼女の協力を取り付けられるならそれが一番だけど」
滅亡。その単語を聞くたびに、ももこの頭は熱に浮かされたように朦朧となって、その言葉の理解を拒む。滔々と話し続けるキュゥべえの声は脳に直接響いてくるのに、それが頭の中に入ってくる事は無かった。
「みたまの願いを考えれば、彼女が滅亡を止めるために動くことはまずありえないと言っていいだろう。僕としても神浜が滅んでしまうのはあまり好ましい結末ではないから、できれば君たちの誰かに止めてほしいとは思っているんだけれど」
無責任な言葉を投げるキュゥべえに、ももこはもはや何かを反論しようという気も起きなかった。
「ところでももこ、さっきから君は何を探しているんだい? 魔女というわけでもなさそうだけど」
キュゥべえに問われてはじめて、レナの行方をキュゥべえには聞いていなかったことに気付いた。
「レナを探してるんだ。知ってるか?」
「ああ。レナなら随分と錯乱した様子だったけど、彼女は水名の方へと歩いて行っていたよ」
水名。その地名を聞いて、ももこにはすぐに思い至った。
「万々歳……鶴乃のところか……」
財布を持っていないレナがどこに行くのか考えたときに、飲食店である万々歳は候補として外れていた。しかし、ももこもやちよもみたまも頼れなくなったレナがどこに行くのかを考えれば、鶴乃に会いに行くのは自然なことだと思えた。
水名区の水徳商店街にある万々歳は、真っ暗な商店街の中で唯一明かりを放っていたから、かなり遠くからでもその異質さを感じることができた。ももこが店に近づいていくと、妙に重苦しい商店街の空気が、魂を逆撫でする不快感へと変わっていった。左手の指輪がぞわぞわとざわめきはじめ、ももこは無意識に身震いをした。
「──魔女だね」
周りに誰もいないことを三度確認して、ももこは魔法少女の姿へと変身した。万々歳には深夜だというのに暖簾がかかりっぱなしで、営業中の木札がぶら下がっているままだった。
「ごめんくださーい……」
ももこは慎重に引き戸を開け、首だけを中に突っ込んだ。店内には誰もいないようだったが、その濃密な魔力の気配に思わず顔を顰めた。
「おじゃましまーす……」
ももこが店の中に足を踏み入れた、その瞬間。
「お! ももこちゃん、いらっしゃい」
カウンター裏のキッチンから、元気な声が聞こえてきた。鶴乃の父親とは何度も顔を合わせたことがあるももこは、顔を合わせるとすぐにその違和感に気付いた。
「魔女の口付け……」
首筋にしっかりと刻印された、魔女に影響されている証。ももこは数年の魔法少女生活の中でその被害者を何度も目撃してきたが、自分と親しい誰かがその被害に遭うのは初めてのことだった。元チームメイトであり、良き友人でもある鶴乃の父親が死んでしまうことは、ももこには絶対に許せないことだった。
「オヤジさん、鶴乃は?」
「鶴乃なら奥にいるよ。それよりほら、座って座って」
備え付けのウォーターサーバーの水をコップに注いでいる姿を横目に見ながら、ももこはキッチンの奥に意識を向けた。魔女の魔力も強く濃くなっていた。
「……ちょっと失礼するよ」
ももこは無遠慮にカウンターを乗り越え、キッチンの中に踏み込んだ。立ち込める異臭と不快な熱気に包まれた中で、ももこは自慢の大剣を構え、結界の入口を切り裂いた。
「金華の魔女。その性質は団欒。手ごわそうな魔女だ。油断しないで行こう」
異界との境界が開かれた瞬間顔面を襲う強烈な熱風に、ももこは思わず両腕で顔を覆った。すぐに収まった熱気を振り払うように剣を構えると、既に周囲は異常な空間に飲み込まれていた。赤を基調とした中華風の色合いが延々と続く中に、巨大な黄金の豚が浮かんでいた。絢爛な飾りつけは各所が炎上しており、魔女の攻撃によるものだろう熱気は収まることを知らない。無意識のうちに流れ出てきた汗を拭い、ももこは魔女と相対した。
「ブッサイクな魔女だなあ……」
悪態と共に唾を吐き捨てながら、ももこは浮かんでいる魔女にアプローチをかける方法を考えていた。考えなしに飛び掛かって痛い目を見た昨日の魔女戦が頭をよぎって、いつもの勇み足を踏もうと思えなかった。ももこの姿を認めた魔女は耳障りな唸り声を上げ、背中に噴火口のように空いた穴からぼとぼととぬめりのある液体を巻き散らす。短い両手をがちがちと打ち鳴らすと、そこから大量の火花が飛び散っていく。赤い空間の中でも目立つ真っ赤な火花が魔女の巻き散らした液体に触れると瞬時に着火され、無数の炎の塊が噴石のごとく無差別に襲い掛かってきた。
「だぁっ、あっついっての!」
火球を剣で弾き飛ばしながら、ももこは仕方なく魔女の元へと向かった。燃える足元を避けながら魔女の足元へと潜り込もうと駆けるももこは、魔女の豚鼻が自分に向いていることに一瞬遅れて気付いた。風船のように膨らんだ二つの穴から、再びあの液体が勢いよく下のももこに向かって吹き付けられる。
「きったね!」
ももこは嫌な直感に従って、全速力で魔女の下を通り抜けた。背中に聞こえた石を打ち付ける音の後、通り抜けたももこの背中に爆発的な熱風が襲い、踏ん張る暇もなくももこは結界の床に顔から叩きつけられた。一瞬飛びそうになった意識を気合で持たせ、ももこは両手で地面を突いて飛び起き、魔女の方へと振り向いた。炎上し続ける結界を背後に、空に浮かぶ間抜けな姿の魔女は、悠々と鼻を鳴らしてももこの方を向いていた。ももこは最初に迂闊に飛び込まなかった自分を褒めた。地に足をつけていても完全に避けきれない攻撃を、自由のきかない空中で直撃したならば……。考えたくはない結末に身震いしながら周囲を見渡すと、初めとは逆側の視点から見える違った結界の景色の中に、場違いな青い髪が揺れているのを発見した。それはちょうど魔女とももこの間あたり、逆側からは結界の煌びやかな建造物と隆起に隠されて死角になっていた場所で、ももこはその姿を見るや否や、無意識に声を張り上げていた。
「レナ!」
声に反応してびくりと跳ねたレナが、恐る恐るももこの方を向いた。目も口も開きっぱなしで、魔法少女の変身すらもしていないレナは、遠目から見ても分かるほどに震えていた。ももこはすぐにレナの方へと向かいたかったが、目の前に佇む魔女がそれを許してくれるとは思えなかった。
「ちょっと待ってろ! すぐ行く!」
剣を構え直し、魔女へと駆け出そうとしたももこは、しかし目の前に飛んできた見覚えのある槍に行く手を阻まれた。
「……ももこ」
後から結界に侵入してきたやちよが、魔女とももこの間に割り込んだ。ももこはその顔を見るなり苦虫を噛み潰したような表情になったが、その敵意は依然魔女の方へとだけ向いていた。
「なんでアンタがここに来るんだよ」
「キュゥべえに呼ばれたのよ。……この魔女は私が倒す。ももこはレナを」
いつの間にかやちよの肩口に乗っていたキュゥべえが、同意するように尻尾を揺らしていた。それがももこにはまた気に食わない。
「こんな魔女くらい、アタシ一人で倒せる! 今更どのツラ下げて先輩気取ってるんだよ、アンタは!」
「……キュゥべえ。この魔女は、鶴乃ね」
「そうだよ」
やちよはももこの叫びを無視したまま、魔女へと飛び掛かった。魔女がやちよへと標的を変え、大きくその鼻を鳴らしながら火炎を浴びせ始めるのを、ももこはレナの方へと向かいながら眺めるしかなかった。レナは物陰で膝を抱えたまま震えていた。ももこはレナの正面で身を屈め、埋もれた頭をゆっくりと撫でた。
「レナ、もう大丈夫だ」
「ももこぉ……つるのが……つるのがぁ……」
酷い泣き声のレナを、ももこは静かに抱きしめた。レナはももこの背を強く抱き返し、その胸の中で泣き腫らしていた。結界の中には、やちよと魔女との戦いの音ばかりが響き渡っていたが、それも程なく静かになり、耳を劈くような魔女の嘆きの声と共に、結界もまた崩壊していった。
万々歳の客席には誰もいなかった。気を失った鶴乃の父親を椅子を並べた上に寝かせた後、ももことやちよは手分けをして万々歳の店閉めをした。暖簾をしまい、営業中の看板を下ろした後、ももことレナはテーブルを挟んでやちよと向かい合った。やちよは店の備品のお冷を勝手に持ってきていて、その細い指でグラスを傾けていた。
「……やちよさん、鶴乃は……」
レナの振り絞るような声に、やちよは静かに首を振った。
「あの魔女が、鶴乃よ。遺体も……あの有様じゃ、とっくに焼けてしまっていたんでしょう」
それより。やちよは一見冷静に言葉を発しているように見えたが、しきりに水のグラスを触っているのは落ち着かないからだ、とももこは知っていた。
「鶴乃が魔女に成った時、レナは近くにいたの?」
「……うん」
頷いたまま、レナは俯いてしまった。詰問しているわけではないことは場にいる全員が分かっていたから、ももこも余計な口出しをせずに見守っていた。
「鶴乃に、何があったの?」
それからレナが口を開くまでには、長い沈黙があった。ももこも、やちよも、レナを急かすことはしなかった。テーブルの隅で尻尾を振っていたキュゥべえが三回目の毛繕いを始めたころ、レナはようやく話し始めた。
「レナが……鶴乃とね、一緒にいた時に、十七夜さんが来て……レナはその時、ちょうど外にいたから……それで、十七夜さんが出てってから、鶴乃が全然出てこなくて、それで、どうしたのかなって、覗いたら、そしたら、結界が……」
そこまで言って泣き出してしまったレナを、ももこは優しく抱き留めた。そうしてやちよと顔を合わせると、やちよはひどく苦い顔をして、その肩を震わせていた。
「十七夜……」
キュゥべえは相変わらず興味がなさそうに座っていた。ももこは静かに泣きじゃくるレナを抱えながら、重苦しい空気に耐えられなくなってきていた。
「これで、いよいよね……」
「やちよさん……アタシには、何が何だか分からないよ。なんで十七夜さんが鶴乃を……」
やちよはしばらく考える素振りを見せた後に、ももこの目を真っすぐに見つめなおした。
「みたまと十七夜が、本格的に動き出したのよ。神浜を滅ぼすために」
「……は?」
「強い魔法少女を自分たちの手で魔女にしてしまえば、神浜の滅びは加速していく。鶴乃はああ見えても西側で屈指の実力者だから、早めに狙われたんでしょう……」
「ちょ、ちょっと待て。そもそもなんで鶴乃はそんな簡単にやられちまったんだよ。まともに戦ったら、十七夜さんでも手を焼くぜ」
キュゥべえがぴくりと反応を見せたが、やちよが横目で制すると何も言わずにまた黙った。
「……ももこ、ソウルジェムを濁らせるためには、どうすればいいと思う?」
「どうって……魔力を使わせるとか?」
「そうね。でもそれだけじゃない……。そうでしょう、キュゥべえ?」
キュゥべえはやれやれといった風に体を軽く振り、テーブルの中央側に座りなおした。
「君たちの持つソウルジェムは、肉体の外にあるけれど魂そのものだ。その中に溜まっていく穢れは、絶望……希望と相反する感情、絶望そのものだよ。君たち魔法少女は、たとえ一度たりとも魔法を行使しなかったとしても、自らの精神の絶望によってソウルジェムを穢していく。十七夜は、上手く鶴乃の心の中に眠る絶望を引き出して見せたんだろう。みたまは調整によって記憶を覗き見ることができるみたいだし、十七夜は心を読める。魔法少女の心に土足で踏み込むのにこれほどの適任はいないだろう。彼女たちは元からこうするつもりだったんだろうね。阻止しようと動く魔法少女を魔女にしてしまうことで、逆に自分たちの計画を加速させていく」
一通り喋り終わった後、キュゥべえはどこか満足げに半歩下がった。ももこは思わず自分のソウルジェムを見直した。美しい琥珀色のソウルジェムの中には、想定していたよりも多くの穢れが我が物顔で蠢いていた。
「そういうことよ。……みたまを止める。ももこ、いいわね?」
「彼女たちは、既に多くの魔法少女を魔女へと変えている。今日の時点で、魔女に負ける魔法少女はかなりの数に上ってる」
みたまを止める。その言葉が、神浜から追放するなどという生易しい話ではなくなっていることに、ももこは薄々気付いていた。ゆっくりと目を閉じると、みたまの作ったハンバーグドリアの味が、まだはっきりと思い出せた。
「……キュゥべえ」
「どうしたんだい?」
「みたまが止めようとすれば、まだ間に合うんだよな」
思わず何かを言おうとしたやちよを、ももこは手で制した。レナはようやく泣き止んで、不思議そうな顔でももこを見上げていた。
「……アタシが説得する。それでダメなら、やちよさんに従うよ」
言い切って、ももこはひとつ深呼吸をした。そしてやちよと再び目を合わせた。
「アタシは、肝心な時にチームを捨てたアンタを許せない。みふゆさんが今も行方不明なのも、アンタのせいだと思ってる」
「……そうね。許されるとは、思ってないわ」
「でも、結局アタシも、何も言わずに消えたアンタをどうこう言えるような人間じゃなかった。……レナには、悪いことをしたから」
やちよがチームを勝手に解散した理由も、みふゆが消えてしまった理由も、今のももこには分かるような気がした。魔法少女である以上、誰もがいずれ残酷な現実と向き合う必要があった。やちよがあの時それを肩代わりしてくれていただけで、ももこが向き合うべき時が今だった。
「それに、調整屋を西側に広めたのはアタシだ。その責任もある」
みたまが調整屋を開いた当時、その怪しげな稼業に近寄ろうとする人は全くいなかった。ももこは十七夜経由でその存在を知り、調整を受けて有用性を知ると、自然と西側の魔法少女達への宣伝を任されることとなっていた。最初こそ気の進まない面倒なことだと思っていたが、多くの人々と関わり、楽しそうな表情を見せるようになっていったみたまを見ている内に、それも楽しみの一つだと思うようになっていた。例えそれが今の状況を引き起こすための仕込みだったとしても、ももこはその記憶を捨てられなかった。
「アタシは、この神浜を守りたい。やちよさんも、レナも、みたまも、十七夜さんも。……無理かもしれないけど、アタシは諦めたくない」
「……好きにしなさい。私は明日、みたまに会うわ。私は、容赦しないから」
「やめておいた方がいいと思うけどなあ。みたまが耳を貸すとは思えないし」
レナを家まで送り届ける頃には、東の空がぼんやりと明るくなってきていた。ももこは自分の部屋へと帰りながら、みたまとどう話をするべきかを考え続けていた。
連絡をせずに夜を越したことで母親にこっぴどく怒られたももこは、半分呆れているその声を背に受けながら家を出た。昼下がりの新西区の街道は、休日だけあって多くの人々で賑わっていた。喧騒の中を人の流れに乗って歩いていると、ももこは自分が満たされていくような気がしていた。新西区のはずれにある調整屋に行くまでの道は、いつからかずっと同じだった。繁華街の大通りから一本裏に抜けるだけで、幸せそうな人々の群れはいなくなる。ももこはほとんど人のいない裏路地を、決まった道で抜けていく。三つ目の角を曲がり、少し変わったビルの横を通った時、日の当たる路地の中、建物の庇の下にできた影の中で、壁にもたれかかったまま立っている少女に気付いた。スマートフォンを弄る彼女は近づいてくるももこには気付かないようで、ももこはゆっくり隣に立って、その肩を優しく叩いた。
「よっ、何やってんだ? こんなとこで」
ワイヤレスイヤホンを片耳だけ外したレナは、それをホルダーにしまいながら壁から背を離した。
「アンタを待ってたのよ。何分待ったと思ってんの」
待ち合わせをした覚えはももこにはなかったが、当然のような顔をしてそこに立っているレナを見ていると、不思議と笑えてきてしまうのだ。
「なにニヤニヤしてんのよ、気持ち悪い」
そうやって顔を背けるレナもはにかんでいた。
「ありがとな。心強いよ」
軽く鼻を鳴らすだけの返事だったが、それで十分だった。ももこは軽く伸びをして、それから前に進もうとしたところで、後ろを向いていたレナに軽く袖を引かれた。レナはももこの背中の方をじっと見ていた。ももこが振り返ると、そこにはやちよが立っていた。大学生にして現役のモデルをやっていただけあって、平凡な街角でも彼女が立っているだけである程度絵になっていたから、ももこは心の底で少しだけその美貌に嫉妬をしていた。
「……私も行くわ」
にこりともしないまま、淡々とした声だった。目を合わせている筈なのに、やちよはももこを見てはいなかった。七海やちよはそういう人間なのだということを、ももこは数年の付き合いの中で理解してはいたが、どうしてもこれだけは慣れなかった。
「邪魔はすんなよ」
「駄目なら私が手を下す。それでいいわね」
ももこは頷いた。それから、三人は連れ立って歩き出した。その間に会話は無かったが、決して険悪な雰囲気というわけではなかった。背中でやちよの足音を聞いていると無意識に安心してしまう自分を、ももこは少しだけ許すことができた。調整屋に近づいていくにつれて、ももこは段々と空気が張り詰めてきているような感覚を受けていた。それはやちよも同じようで、二人は同時に足を止めた。ももこについてきていたレナは、半歩遅れて足を止めた。
「……なんだ、この気配」
周りに一般人がいないことを確認して、やちよはおもむろに変身した。
「来るわ、気を付けて」
ももことレナが大急ぎで臨戦態勢を取った瞬間、三人は急速に展開される結界に飲み込まれた。高速で改竄されていく世界の中で、ももこは悍ましい気配を察して咄嗟に剣を向けた。周囲の街々は完全に崩壊し、積み重なった瓦礫があちこちに野ざらしになった結界世界は、あまりにも荒涼としていた。轟音と共に砕け散った瓦礫と土煙の中からももこ達の身の丈ほどもある巨大な銅剣が飛んできたのは、あまりにも唐突な出来事だった。反射的に散開した三人の間を風切り音と共に通り抜けた剣は、崩れかけたビルの根元に直撃し、再び轟音を響かせた。晴れてきた煙の中から姿を現した魔女は、四本の腕それぞれに銅剣を構え、二つの面それぞれでももこたちを睨み、巨大な口に生え揃った白磁の歯をガチガチと打ち鳴らしていた。ももこは安否確認のために周囲を見回すと、レナは少し近くで大丈夫だとハンドサインをしていた。やちよは毅然と魔女の目の前に立っていた。後ろからはその表情を窺うことはできなかったが、槍を持っていない左手が小刻みに震えていた。
「やちよさん、大丈夫か!?」
やちよはももこの問いかけには答えなかった。不思議に思ったももこがもう一度口を開く前に、やちよはテレパシーを送ってきた。
「ももこ、貴方は先に調整屋に向かいなさい。この魔女は……私が倒す」
「何言ってんだよ、アタシも一緒の方が……」
「この魔女は、十七夜よ」
息を呑んだ。話が聞こえていないレナは、さっさと立ち上がり、やちよの隣へと歩いていた。
「……みたまを止めて。きっと、ももこにしかできないから」
やちよはそこでテレパシーを切った。そして隣にいるレナと顔を合わせた。
「レナ、ももこはみたまに会いに行くから、この魔女は私たちで倒すわよ」
「…………わかった」
少しの沈黙と、首肯。ももこは魔女と闘いを始めた二人の背中を信じて、結界の中を駆け出した。
日中の調整屋は、日の光の中にあってもどこか寂しげだった。通い慣れた場所である筈なのに、ももこはその廃墟の扉が妙に重く感じられた。錆び付いた蝶番が出すいつもの小さな悲鳴が、ももこは嫌いだった。
「……調整屋、いるか?」
昼過ぎだというのに薄暗い調整屋の中からは、返答はなかった。ももこがその部屋の中に踏み込むと、見慣れた置物たち、そしてソファーの上に、みたまが座っていた。
「……ももこ。遅かったわね」
みたまはゆっくりと立ち上がった。そうして、施術用の小さな机に置かれたラジオのスイッチを入れた。雑音と共に聞こえてくるニュースキャスターの声は、いつかと同じように見滝原市の惨状を伝えていた。
「わたしのお願い、聞かなかったのね」
雑音の中で、みたまの声は微妙に聞きづらかった。ももこがみたまの方へと近づこうと足を出した時、みたまはももこの顔を見た。その目に見られた瞬間、ももこの体は一瞬で固まってしまった。完全に据わってしまっているみたまの視線で、ももこの背筋がぞわりと震えた。
「……調整屋、アタシに協力してくれ。アタシは、神浜が滅んでいくのは嫌なんだ。それを止められるのは、調整屋しかいない」
みたまはラジオの声に耳を傾けていた。ももこはじっと返答を待っていた。みたまはラジオ番組が話題を変えると、その細い指で電源を落とした。
「ねえ、ももこ。どうしてわたしは神浜を滅ぼすなんて願いをしたのか、わかる?」
「いや……知らないよ、そんなの。アタシは調整屋のこと、なんも知らないな……」
少しはにかんで、頭を掻く。そんな緊張感のない行動に、みたまは何のリアクションも取る事は無かった。
「でもさ。アタシは調整屋とよく絡んでたけど、そんな物騒なことを考えてるなんて全然分からなかったよ。」
みたまは何も答えない。ただ、ゆっくりと目を閉じた。
「だからさ、神浜に住んでるアタシみたいな奴にでもそうやって優しくなれるなら、きっと調整屋は全部滅ぼしたりなんかしなくても、きっと上手くやっていけるって、そう思うんだよ」
何を言うかなんて、考えは何も纏まっていなかった。ももこはただ、思いの丈を口にするだけ。
「だから……だからさ。頼むよ。アタシはこの神浜を守りたいんだ。……みたま、手を貸してくれ」
ももこは、自然と頭を下げていた。みたまのことを名前で呼んだのも、善意で護衛を始めてからは初めてのことだった。静寂は、ももこには居心地がいいものではなかった。ももこが顔を上げた時、みたまはもう目を開けていた。
「もう、いいの」
たったそれだけ言って、みたまはももこへと歩み寄った。
「……わたしはね、ももこ。あなたのことが好きよ」
みたまはももこの胸に優しく手を置いた。その手はゆっくりと撫でるように肩へと流れていく。
「好きなのよ。底抜けに明るくて、お人好しで、勇敢なあなたが」
みたまの右手がももこの左手に触れる。自然と誘導された視線の先で、みたまはももこの少し大きい手のひらを揉んだ。
「無神経で、馬鹿だけど。わたしの怒りは、確かにあなたによって救われたのよ。……本当よ」
その手がももこの指輪に触れた。ぴりりとした刺激が走り、ももこは一瞬身体を強張らせた。胸元で手を見るみたまを前にして、ももこは息が詰まって何も言えなかった。
「……でも、あなたはわたしを信じてはくれなかった」
目が合った。底なしに落ちていきそうな瞳が、ももこに言い知れぬ恐怖を覚えさせた。湧き上がってくる途方もない恐ろしさを、ももこは気合で押さえつけることが、できてしまった。
「結局、あなたは自分の楽観を信じたの。わたしのことなんて見向きもしてなかった。だから、もういいの」
ふいに、ももこは突き飛ばされた。変に踏ん張りがきかない足腰のせいで、片手で押されただけだというのに尻餅をついてしまった。違和感を感じて左手を見やると、ソウルジェムの指輪はもうそこにはなく、ももこを見下ろして立つみたまの右手の中に、その輝きがあった。
「──あれ?」
立ち上がろうとして、ももこは身体の異変にようやく気付いた。力が入らない。それどころか、地面についている筈の手の感覚が、徐々に消えていっていた。
「あなたを信じたわたしが馬鹿だったのよ。……さようなら、ももこ」
勝手に視界が反転して、自分が地面に倒れたのだとわかった。自分の横を悠々と歩いて調整屋から出ていくみたまの姿が、段々と霞んできていた。ももこの心に芽生えた恐怖は瞬く間に巨大化し、不快な寒気となって身体の芯を駆け巡った。声を出そうとしても息が上手く吐けないまま、小さく荒い呼吸音として出ていくばかりで、それすらも酷くなっていく耳鳴りにかき消されていった。視界に白い靄がかかった。それは短い四本の足でゆっくりと眼前に座った。
「だから言ったじゃないか。やめておいた方がいいって」
糸が切れた。