1話
今日は高校の入学式だ。割り当てられた教室内はワイワイガヤガヤと騒がしい。軽く見渡せば入学式が始まるまでの時間を潰すかのように、或いは以前からの友人同士でかたまっておしゃべりし、或いは新しく友人になろうと声をかける姿がちらほらと目に入る。
さて自分はどうするべきか、と
交友の輪を広げるか、久しぶりの再会に思い出話の花を咲かすか。
「よぉ、俺は
龍真の選択は強制的に前者となった。能動的選択だけが候補ではない。
「ああ、よろしく。俺は緋勇龍真。……神夷と聞けば、無名の剣聖【神夷
愛想よく答え、僅かに間を置き気になったことを問いかける。
見るだけで分かる。京弥は強い。佇まいにブレがなく、リラックスしていながらも最後の一線で油断がない。仮にこの場で奇襲を仕掛けたとて問題なく対処されるだろう。
また、その身を巡る“氣”の流れにも淀みがない。一般人であれば――ただ、スポーツとしての武道を学んでいるだけでは――こうはならない。氣とは一種のブースターである。如何な天才鬼才の類とて、目覚めたばかりでは振り回されたり、どこかしらに無駄が出るのが必然だ。氣の存在を知り、その上で確かな修練を積み、ようやく龍真や京弥のように自然と氣を扱うことが出来るようになるのだ。
このご時世、氣というものは一般に知られていない。オカルトの類としてしか認知されていないのだ。著名なスポーツ選手や芸術家の中には無意識ながらに氣を扱う者も存在しないわけではない。……が、無意識である以上、まともな教えを授けることなど出来ようはずもない。そして確かな修練を積み氣の扱いを修めた者からすれば、そんなものは児戯にも等しい、という評価を下さざるを得ないのが現状だ。――まぁ、時として例外もあるが。
その前提の上で考え、そこに京弥の名字を加味して浮かぶのが神夷京士浪の名前である。一般には知られていないので無名であることに違いはない。しかし、氣を修めた――或いは学んでいる――武術家の間では剣聖と謳われている男の名だ。
龍真も直接会ったことはない。ただ、そういう男がいる、という事を知っているに過ぎない。……が、狭い界隈であるからこそ、名が挙がるにも相応の理由が必要となるのもまた事実。少なくとも、氣を修めた武術家――特に剣術家――複数名か、名の知れた武術家が神夷京士浪の剣に対し、剣聖と呼ぶに相応しい、と認めなければこうも名が広まり続けはしない。
この界隈でも、出る杭は打たれるものだ。そして易々と打たれてしまえば沈静化もまた早い。こういう奴がいるらしい。では挑んでみよう。噂ほどでもなかったな。……これで終いだ。
だが、それを撥ね退けられれば、そこには確かな実績がついてくる。
そして神夷京士浪は間違いなく後者だ。
剣聖として謳われる男の関係者であろう少年。付け加えれば同級生にして強者である。龍真は別に戦闘狂というわけではないが、古武術を修める身としては是が非でも手合わせしてみたい、というのが正直なところだ。
「お? 知ってるのか、嬉しいねぇ。……俺は息子だよ」
京弥は笑みを浮かべ、嬉しそうに答える。そして次の瞬間にはその表情を真面目なものへと一転させた。
「俺からも一つ聞きたいが……いいか?」
嘘はついてくれるな、とその目が語っている。
ああ、と龍真もまた眼光鋭く答えた。決して嘘はつかぬ、と。
「ひょっとしてだが、お前……徒手空拳“陽”の“龍技”を伝える緋勇家の者か?」
龍真の修める古武術は、その存在を知る者から龍の技と呼ばれている。それは陰と陽に分かれており、元々は陽を本家である緋勇家が、陰を分家の風祭家が伝承していた。陰陽共通の習得事項として“氣”の操作が求められるのだが、その求められる氣の傾向に違いが存在する。表裏一体である両者が補い合うことで“真の勁”に至る、と伝えられている。
かつて幕末の折、緋勇の継承者と風祭の継承者が協力して戦うことがあり、その中で両者は真の勁に至ったらしい。それはいいのだが、その後の行動が現在における知名度の違いを如実に表すこととなっている。戦いの後、元々が根無し草だった緋勇の継承者は再び旅に出て、風祭の継承者は多数の弟子を取り後継者の育成に力を注いだそうだ。
結果、時の流れと共に龍技の知名度は風祭の方が圧倒的に上を行ったのだ。門徒であれば、流石に陰陽に分かれていることや緋勇の名も知っていようが、そうでない者が龍の技と聞いて思い出すのは、まず風祭流古武術なのである。
だからこそ、問われた内容に龍真は驚きを隠せなかった。
「流石に驚いたな。……ああ、その通りだ」
とはいえ、いつまでも驚いたままではいられない。問われたからには答えねばならないのだ。
「マジでか!? 訊いといて何だが、驚き冷めやらぬってやつだな。けどま、ダメ元でも訊いてみて良かったぜ。……よっしゃ、今度手合わせしようぜ!」
言葉通り、京弥も確信はなかったのだろう。龍真の返答に対し驚愕をありありと顔に浮かべ――かと思えば、安堵の息を吐く。そして多少の間を置き、笑顔を浮かべて手合わせに誘う。
無手と武器の違いはあれど、強者との戦闘を望む、という点において二人は似た者同士だった。
「喜んで。こちらも楽しみにしている」
だからこそ、龍真は当然の如くその誘いに応じた。
「あら、楽しそうね京弥」
「楽しそうだな、龍真」
笑みを浮かべて手合わせの約束をする両者へと横から同時に声がかかる。一つは女性の、一つは男の声だ。
「あら、ごめんなさい」
「いや、こちらこそ済まない」
そして、声をかけてきた者同士が互いに謝りあう。ありがちと言えるほどでもないが、無くはない、そんな出来事。
「よう、雫。……と、そっちは龍真のダチか? 言っちゃ悪ぃが随分と気配の薄い奴だな。最初は動く死体かと思ったぜ」
声をかけてきた相手へと向き直り、京弥が言う。
少女の方は雫という名前らしい。容姿の点においてはまず間違いなく美少女と言えるだろう。女子にしては高めの身長。長い黒髪をポニーテールにしており、凛とした空気を纏っている。京弥が親しげに応えた辺り、例に漏れず確かな実力者であることが見て取れる。
一方、少年の方は龍真の友人である。名を遠藤浩介といい、今日は久しぶりの再会となる。
彼の特徴として、京弥の言う通り気配が薄い点が挙げられるだろう。その理由は知る者も少ない“無魂症”と呼ばれる彼の体質にある。通常、生きているならば誰しもが発してしかるべき熱。生氣と言い換えてもいいそれをこの少年は発していないのだ。
生者の氣を発さぬ以上、それは死者と言っても過言ではない。されど確かに生きている矛盾の体現者、それが遠藤浩介なのである。
その体質故に浩介は生来――文字通りに――生きることが戦いだったのだ。影が薄いなどといったところではない。文字通りに存在を忘れられることすらあった。自分で食事すら満足にとれぬ赤子が、その存在を忘れられればどうなるか。それは想像するに難くない。
幸いにして――と言っていいかは分からないが――無魂症には一つの救いがあった。生氣を発さぬだけであり、それ以外の氣は問題なく発することが出来る点である。存在を忘れられ、食事を与えられず、死の危機に瀕する度、彼は無意識にその悲しみを陰氣として発したのだ。
基本的に一般人は氣を知らぬし、知覚できない。――が、それも場合によっては例外が生まれる。
浩介は無意識ながら陰氣を発することで存在感を増やし、そうすることで気付いてもらい、生きる糧を得てきたのである。
そんな日々を送りつつある程度成長した頃、浩介は風祭流と縁を得た。彼の体質を危惧した代表から勧められて入門し、氣を学び、やがて龍真と出会ったのだ。
今現在では、氣を感じ取る術を得ている者なら普通に気付ける程である。……まぁ両親を始め氣を感じ取れない者は相も変わらず気付けないが。それでも存在を忘れられることが減ったあたり大した進歩であろう。
「別に構わんさ、事実だからな。初めのうちは師匠も中々気付いてくれなかったし、今もって両親すら俺に気付かぬことがしょっちゅうだ。……アレ、何だろ。自分で言ってて悲しくなってきた」
京弥の言葉に対しては気にしていないと答えた浩介だが、自分の言葉にはダメージを受けたらしい。髪に隠れた瞳からキラリと光るものが零れ落ちた。……同時にその気配が僅かに上がる。
「おいおい、泣くなよ浩介。ほんと自爆の多い奴だな。……それでもボクの王子様かい?」
「そうだよ。まったく、そんなんじゃエリリンは鈴がもらっちゃうんだからね!」
「はは、そう言ってやるな、恵里、鈴。これも浩介の芸風というやつだ」
「いや、その表現もどうかと思うぞ若様よ」
「……何て言うか、濃いね。幸利の昔馴染みって」
混沌とした場に人が増え、更なる混沌がもたらされる。少女が二人に少年が三人。
取り合えず自己紹介をしようという事になり――
「あーっ! 見つけた! ねぇねぇ雫ちゃん、神夷くん、彼を紹介して!」
――更にもう一人少女が増えた。
♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢
結局のところ、あの後自己紹介をする余裕はなかった。まもなく担任教師が現れ、つい先ほどまで体育館で入学式を行っていたからである。
「私の名は
教室へと戻り、生徒各自がそれぞれの席に着いたところで担任の男性教師が口を開いた。若いながらに落ち着いた雰囲気を纏っている。
「それでは、簡単にで構いませんので自己紹介をお願いします。最初の席は出席番号順になっていますので、廊下側の一番手前から順に後ろへ進めてください」
自己紹介は淡々と進む。取れる時間にも限りがあるし、クラス全体へ向けてのものである以上、どうしてもアッサリとした最低限のものにならざるを得ない。また当然ながら一度で全員を覚えきれるはずもない。
先ほどの面々――遠藤浩介、神夷京弥、
「それでは、今日はここまでです。明日から授業が始まりますので、忘れ物をしないように。事故などに気を付けて帰って下さい」
自己紹介が終わり、御門先生が諸注意を述べたところで本日は下校となった。だいたいお昼時といったところか。
「よう、龍真。これから俺たちは何処か手頃な店にでも昼飯を取りに行くんだが、お前もどうだ? 予定があるなら無理にとは言わんが、出来れば先ほどの面子で自己紹介の続きでも、と思っているんで参加してくれると助かる。……ああ、他の奴らにもそれぞれ声をかけにいっている」
ホームルームが終わって間もなく、浩介が声をかけてきた。流石に時間が経ったからか平常に戻っている。
その言葉に教室内を見渡すと、京弥へは天誡が、ハジメには幸利が、雫と香織――他に男が二人いる――には恵里と鈴が声をかけている。
龍真はその光景におや、と首を傾げた。
「南雲はお前たちの友人じゃなかったのか?」
「俺たちの、と言うよりは清水のだな。朝に軽く紹介されたばかりだ。まだ詳しくは聞いてないが趣味友らしい」
「そうだったのか。……いや、確かに思い返してみれば、そこまで馴染んでいるようではなかったな」
訊いてみると、そのような答え。納得したところで、再度浩介が問いかけてきた。
「それで、どうだ。都合は?」
「同行させてもらうよ」
承諾し、順に他のメンバーへと向かっていく。
京弥は問題なし。天誡とも手合わせの約束をしたようで嬉しそうだ。
ハジメも同行。趣味友というのは間違いないようで、今も共通の話題で盛り上がっている。
そして最後に、問題が発生した。――問題と呼ぶには呆れ返るものだったが。
聞くところによると、雫と香織は喜んで同行に承諾したのだが、そこで待ったをかけたのが一緒にいた男の片割れ、天之河光輝らしい。
雫と香織、光輝と最後の一人、坂上龍太郎の四人は幼馴染との事で、ホームルーム後も何となく四人一緒に集まったそうだ。そこに恵里と鈴が声をかけた。
雫と香織の両名曰く『何となく集まっただけで、この後の予定も特に決めてはいないし約束もしていない。魅力的なお誘いがあるなら、光輝と龍太郎には悪いがそちらを優先する』との事。
一方、天之河曰く『集まったという事は一緒に行動するという事だろう? 別にお誘いを断れと言っているわけじゃない。ただ、俺と龍太郎もご一緒させてもらうと言っているだけさ』である。
雫と香織は頭を抑え、天之河は何かおかしいことを言っているか、と言わんばかりの表情。坂上は何も考えていないことが一目でわかる。
普通に考えて天之河の言っていることは大半がおかしい。何となく集まっただけで一緒に行動する必然性はない。流れでそのまま行動することは確かにあろうが、それとて絶対というわけではない。現に雫と香織は別行動しようとしている。加えて言えば、せめて『ご一緒させてくれないか』とでも頼むべきだろう。今回の場合、天之河と坂上は話の中心にいるようで、その実第三者でしかないのだから。
そこで京弥が行動に出た。心底関わりたくないと思っているのだろう。見て分かるほどに嫌々ながら口を開くのが龍真の目に映る。
「おい、天之河ッ! 誘われてるのは雫と白崎だ。お前ら二人はお呼びでないんだよ! おとなしくとっとと帰りやがれッ!」
元々雫と知己だった京弥はどうやら天之河のことも知っていたらしい。その言葉は些か乱暴だ。
「む、神夷か。君にそんなことを言われる筋合いはないな。……と言うより、なぜ君がそこにいる? 前にも言ったが、いい加減雫に付きまとうのはやめたらどうだ?」
流石にその言い方は、と思い京弥に注意しようとした龍真だが、直後にその考えをひっくり返すことにした。天之河の返事を聞けば、京弥の態度にむしろ納得してしまったからである。
龍真だけではない。一同はこのやりとりで否が応でも理解した。――理解
この天之河光輝という少年は非常に自分本位だということを。自分の考えが正しいと自己完結してしまっているのだ。そして本人にその自覚がない。……非常に厄介なタイプである。
十人十色、個性様々、それが人間というものだ。皆が皆同じであれば、それはもはや人間ではなく人形だ。だから天之河のようなタイプがいてもおかしくはない。むしろいて当然である。――そうは思っても、直接目のあたりにした衝撃は存外大きかった。よく懐が広いと言われる龍真と天誡も思わず深々とため息を吐いてしまった程である。
一同はこの男と幼馴染であるという雫と香織、ついでに京弥に対し揃って同情した。
「はぁ……話になんねぇな。やりたかないがしょうがねぇ。止めてくれるなよ、若」
「……仕方あるまい。すまんが手間をかけさせる」
やがて深々とため息を吐いた幸利が行動を起こした。一言天誡に断った上で一同の前に出る。天誡もそれを止めることはない。
「あー、天之河と坂上だったか? 【今回、お前たちは何も疑問に思わず二人で帰れ】」
幸利から放たれたのは、僅かながら氣を込められた力ある言葉。正しく“言霊”である。
「ああ、分かった」
「んじゃ、また明日な」
暗示程度の効力しかないが、二人には覿面の効果を現した。別れの挨拶を述べ、教室を去っていく。
その光景に、氣を知り、それでいて幸利の力を知らぬ者たちは一様に感心した。
言霊とは力を持つ言葉だ。
今でこそ眉唾とされ信じている者も減少しているが、古来、言葉――或いは念仏、或いは呪文、或いは名前である――には霊力が宿り、それが力となって人や物に影響を及ぼす、と信じられていた。名前を呼ばれれば答えるのは、その人間が名前という言霊の呪に縛られているからである。……こんな具合に。
同じようなことは自然や武術家の扱う技など、人以外にも言える。
自然で例えるならば、日本の三大瀑布に数えられる那智の滝がある。全く関係のない滝に同じ名前を付けたとしよう。三大瀑布那智の滝の霊力が影響を及ぼし、やがて同じ名前を付けられた方も同様の霊力を帯びる、といった具合だ。
技で例えるならば、龍真の扱う古武術には四神の名を冠する系統の技がある。朱雀の系統であればその技は火の属性を帯びる、といった具合だが、これもまた言霊によるものだ。四神と名高く、火の象徴ともされる朱雀の名を、技だけではなく型の名にも用いることで、同系統の技に火の属性を帯びさせているのだ。
さて、今回幸利が行ったのは、氣を込めた言葉により――肉声という音の届く――ごく限られた範囲にのみ影響を及ぼす、という、言ってしまえばこれだけのことだ。
しかし言霊を知る者からすれば、これが中々に難易度が高い。
火を起こすことも出来れば雷を落とすことも出来る。ゲーム的に言えば攻撃力や防御力を上昇させることも可能だ。眠りに誘うことも出来れば呪うことも出来るだろう。これ以外にも様々なことが候補に挙がるだろう。
限りない万能性を持つ反面、どのような形で現れ、どのような効果を齎すかを氣を込めた言葉だけで表現しなければならないのだ。挙句の果てに、声の届く範囲内に限定される、というおまけも付く。……正直に言えば、非常に面倒くさい。
これを使いこなす者は――尊敬や揶揄など様々な意味を込めて――言霊使いと呼ばれる。或いは音声の届く範囲のみにしか効果を現せない点から、音声術士と呼称されることもある。
幸利の放った言霊は、天之河と坂上の精神なりへ働きかけるという形で現れ、言葉通りに帰らせる――つまりは操作する――という効果を齎した。
無論、本来はそう簡単に出来ることではないし、そこに氣を知る知らないは関係ない。
物分かりの良い相手や意志薄弱な相手ならばその限りでもないだろうが、目的意識を持つ相手には効果が薄いのが一般的だ。
今回で考えると――坂上は分からないが――天之河が同行しようとしていた事実に変わりはない。その意識を翻させようとすれば、どれだけ言葉を尽くせばいいのか想像もつかない。……相手が天之河であるからこそ、尚更だ。
それを幸利はいとも簡単にやってのけた。
言霊使いとしてか、或いは――操作することに長けた――傀儡師としての実力が抜きん出ていなければ、決して起こり得ない光景だったのである。
「二人ともどうしたんだろう? いつもはこんなに物分かりがよくないのに……」
「さぁ。でも良かったんじゃない? 割とすんなり――とは言えないけど終わってさ」
とは言え、それは氣を知る者にとってだけであり、香織とハジメ――氣の存在を知らぬ二人――は不思議そうに首を傾げていた。