山の方角より土煙が上がる。それは徐々に近づいてくる。
土煙を上げているのは魔物だ。遠目でも十や二十どころでないのは見て取れた。……百か、ともすれば千にも届くかもしれないし、それを超える可能性だってある。
種類も多種多様だ。狼に猪、熊に鳥、元となった動物が判別出来るのもあればそうでないのもある。図鑑で見て名前を知っている魔物もいれば、図鑑ですら見たことのない魔物もいる。
未だ距離はかなりのものだ。それでも、そうと分かるその異様。
居を構えるフューレンからほど近い距離にある、未だ全容の知れぬ未開の地。その一端がここに示されていた。……目を逸らしていた危険性の高さを伴って。
常ならぬ光景に、ゴクリ、とウィルは息を飲んだ。
ウルへと魔物の群れを嗾ける。それを聞いてはいたし、魔人族がそう告げる場を見知ってもいた。
なぜなら魔人族と勇者たちが言葉を交わすその場に、他ならぬ自分自身もいたからだ。……まあ、端役もいいところだったが。
(怖いな……)
それを現実の光景として目にしたウィルの、嘘偽りなき思いがこの一言に集約される。つらつらと余計なことを考えているのは、恐怖から目をそらすための現実逃避に他ならない。――けれど、どこか冷静な部分が現実逃避であることを自覚させてもいた。
腰に差した剣を見やる。素材、出来栄え、共に上々。冒険者に憧れ、それを目指す自分に対し、心配し、向かないと否定しながらも家族が方々に当たって用意してくれた物だ。
貴族――それも“伯爵”というツテを用いただけあって、冒険者として新米未満の自分にはとても不釣り合いな代物である。
冒険者に憧れてからというもの、剣の訓練を欠かしたことはない。コレを与えられてからも使いこなすための訓練を欠かしてはいない。だが、現実として未だ使いこなせる自信はない。
それでも、この危急に対し自分で“立つ”と決めたからには、否が応でも使ってみせなければならない。
怖いし、逃げたい。それも紛うことなき本心だ。――だが、それよりもこの窮地を見過ごすことの方が怖かった。
とどのつまり、ウィルが立ったのは意地を張ったに過ぎないのだ。
確かに、他にも立ち上がった者たちはいる。“勇者”に“神の使徒”、王女に
しかし、最初から頼り切っているようでは、どの道長くは生きられまい。まずは自分こそを頼れぬ者が、どうして生きていけようか? それは何も“冒険者”に限った話ではないのだ。
あの日、“北山脈調査依頼”に同行して以来、自分でも不思議に思うほどウィルは妙に落ち着いていた。そう思うのは他にもいるようで、家族にイルワ支部長、ゲイルなど、自分を知る者は揃って同じようなことを言ってきた。
一皮むけたな、成長したな……と。
自分ではそんな気などしないのだが、案外そのようなものなのかもしれない。
恐怖、憧れ、義心、ウィルに去来するのは諸々あるが、中でも大きなものを挙げるとするならこれになるだろう。
すなわち、親に恥じない自分でいたい。
いつからかウィルの中にあった――冒険者に憧れ、目指す切欠ともなった原初の想いだ。
貴族家の生まれとはいえ、所詮ウィルは三男坊だ。いつまでも実家の世話になり続けるなど出来る筈もない。
末の子、ということもあるのだろう。両親に兄と揃って自分に甘いが、心情と実利は別問題だ。遠からず長兄が家を継いだ際には、自分も家を出ることになる。
経験を積み年代を重ねた父が家を切り盛りしているからこそ、この齢にもなって家にいられるのだ。尊敬はすれども、実情として経験面で父に遠く及ばない長兄では、自分の世話まではしていられまい。
生きていく以上、体裁やしがらみから離れることなど出来はしない。貴族家の当主ともなれば、まずは子飼いの者こそを安堵せねばならぬのだ。
魔物の襲撃に際し立つと決め、死ぬかもしれない、と現実に受け止めたとき、まるで走馬灯の如くこのことを思い出した。
それからは、不思議と身体が軽いのだ。
ウィルは知る由もないだろう。それが宿星の加護であることなど。
与えしは孝星。親を想う孝行の心。それを認めた結果である。――だが、幼き日に抱いた肝心の想いは時の流れと共に片隅に閉じ込められ、それに伴い孝星も加護を与えなくなっていたのだ。
しかし、ウィルは原初の想いを取り戻した。ならば、再び加護を与えぬ道理はない。
「怖いか、ウィル?」
「ゲイルさん……はい、怖いです」
隣にやって来たゲイルの言葉に、ウィルは隠すことなく心中を吐露する。
「はは、それで良い。……恐怖を覚えないヤツは命に対して鈍感になる。実戦ではそんなヤツからすぐに死ぬ。恐怖は一種のセンサーだ。恐怖を認めて利用しろ。紙一重でも無様でも、そうすりゃ生き残れる確率が上がる。そして世の中は生きたモン勝ちだ」
「恐怖はセンサー。世の中は生きた者勝ち。……お教え、胸に刻みます」
「おいおい、縁起でもないことを言うなよ。まるで俺が死ぬみたいじゃないか。……俺は死なない。お前も死なない。そして魔物どもは残らず蹴散らす。それで万事オーケーだ。……いいな?」
「……はいッ!」
ウィルの声が陣地に響く。
魔物との距離は、着実に近付いていた。
♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢
現在、ウルの町は塀や柵、土壁で囲われていた。しかしてんでばらばらなそれは、見て分かる通りの突貫作業を表している。或いは錬成師の錬成で、或いは土術で、或いは町人たちやいち早く増援として駆け付けた者たちが手作業で作った物である。
魔物の襲撃を知った町人たちは、早々に逃げるのを取り止めてまで、自らの故郷を護るために出来る限りのことをしてくれたのだ。そして他の町村から駆け付けた兵士や騎士たちも、その心意気を汲んで協力してくれたのだ。
見栄えも悪く、一部だけならまだしも全体としては防壁の役目をなす筈もない。
「心強いですね、光輝」
「うん、そうだね、リリィ」
だが、光輝とリリアーナはそうと思わなかった。
ウルを護る。……その意思の下に一つとなって作られたこの防壁は、文字通りに“想いの結晶”なのだ。
力だけでは暴虐にすぎる。
意思だけでは何もなせない。
何かを成し遂げようとするならば、“意思”と“力”が必要不可欠なのである。
そして、ここに意思は形を成した。
ならば、あとは力だけである。その力の先駆けこそが自分たちに他ならない。
「皆さん、この一戦、勝とうと思う必要はありません! それよりも、生き残ることを念頭に置いてください! ……今回、旗頭となるのは王国ではありません。人類の救い手として召喚された“勇者”――天之河光輝です! そして彼は、この窮地に立ってくれた皆さんが魔物と相討つよりも、無様でも生き残ってくれることを願っています! どうか、そんな彼の想いを汲んでください!」
間もなく、もう十分もすれば接敵となるだろう。
その頃合いを見て、防壁の外――魔物の群れとの戦いの最前線となるその場所に立ち、リリアーナは同じく立ってくれた勇士へ向けて声を上げた。
リリアーナの横には光輝。二人の横には龍真たちやメルドたちが並んでいる。
必然、勇士たちの視線は集中する。中にはゲイルやウィルのものもあった。
士気高揚。……戦をするに当たり欠かせるものではない。
この窮地に立ちあがった者たちばかりだから、既に意気はかなりのものだ。――しかして、現実として目にした光景により意気を挫かれている者が存在するのもまた事実。
ダメ押しとフォロー。リリアーナの行動はそれを狙ったものだ。
本来、この様な役回りはリリアーナの得意とするところではない。それこそ、横に立つメルドの方が得意だろう。しかし、その天職と立場がそれを補って余りある。
王女という権威。
聖女という求心。
それらを併せ持つリリアーナが、この鉄火場において最前線に立つその事実。それこそが、特に王国兵士の意気を跳ね上げる。
浸透した頃合いを見計らい、今度は光輝が檄を飛ばす。
「最前線は俺たちが受け持つ! 初手から大技を叩き込んで出鼻を挫き、その後も大多数を惹き付けるつもりだが、如何せん数が数だ。どうしても取りこぼしが出るだろう。皆さんにはそれらの相手をお願いしたい!
また、リリアーナ王女も述べたが、俺は皆さんが魔物と相討つのを良しとはしていない。……魔物を倒すのが勝利じゃない。生き残ることこそが勝利だ。
だから、ここまで来た以上、言うことは最早これだけだ。……生き残るぞ!」
言い終えると同時に聖剣を掲げた。輝く聖剣は光を受け、なおその輝きを強める。……この出来事が英雄譚として綴られるならば、一枚絵として描かれそうな場面だ。
「ホホ、良きかな良きかな。妾も昂るというものよ」
「ああ、そうだな。――じゃあ、行こうか。恵里、先生」
「はい、先生も頑張りますよ!」
「ああ、目に物を見せてやるとしよう」
演説の間にも魔物との距離は更に縮まっている。仕掛けるにも頃合いだ。
初手の大技――それすなわち方陣技に他ならない。その特性上、方陣技は繰り出す者同士が近くにいなければならない。強力無比ゆえの欠点とも言えた。
そして方陣技は千差万別に存在する。或いは同門同士、或いは陰氣と陽氣の組み合わせ、或いは宿星の組み合わせなど、本当に様々なのだ。
普段の戦闘であれば前衛と後衛の軛も小さなものであるが、これほどの大規模戦闘となるとそうもいかない。前衛と後衛による方陣技を放とうとすれば、初手か決戦時くらいしかタイミングがないのである。
大技というのであれば、竜化したティオのブレスとて相当のものだ。しかし、竜人族は基本的に滅びたとされている。北の山中のような人目に付かない場所ならともかく、このような大衆の前で竜化するのは流石に躊躇われた。
無論、その誇りにかけ、いざともなれば竜化するのに躊躇いはない。だが、それは今ではないのだ。少なくとも、状況の移り変わりを確認してからでも遅くはない。
現状、この場で放ち得ることが可能な方陣技は三つ。
まず仕掛けるのは龍真と恵里だ。
「いこう」
「ああ、合わせるとしよう。――今こそ開く、冥府の扉。燃え盛る火之迦具土の炎よ、その道を照らせ!」
『
世を統べる存在と冥府を統べる存在。その宿星を持つ両者の氣が戦端を開く。
言葉通り、ここに冥府の扉が開かれた。昏き世界を灯す、燃え盛るも冷たさを感じさせる炎。それに照らされた道を通り現世へと現れた怨霊の群れが、生者許すまじ、と生ける魔物どもへ襲い掛かる。
同時に、勢いづいた魔物の何体かは止まることも出来ず、自ら冥府の扉を潜り抜ける。肉体を伴った状態で冥府の扉を潜ったのなら、その先に待つのは完全なる“死”のみである。
何とも悍ましき方陣技だ。
しかし、怨霊がウルの勇士たちへ襲い来ることはない。生者の世界を統べる存在と死者の世界を統べる存在。技を放ったのがそれぞれの加護を受ける龍真と恵里である以上、怨霊は二重に世界の枷を受ける。約定通りの行動しか取れないのだ。
すなわち、我が敵を討て。
それを受け入れた怨霊のみが、一時的ながらも生者の世界を訪れることが許されるのだ。
制御出来ぬならばともかく、制御出来る以上、如何に悍ましかろうと確かな力に他ならない。
これを見て嫌悪を示す者は味方の中にも現れるだろう。だが、そんなものは二の次だ。数は力なのだ。如何に個々の力が弱かろうと、数が揃えばバカに出来ない。まして、相対的にはこちらの方が戦力としては劣っているのだから尚更だ。
嫌悪とて、生きていなければ抱けないのである。
「良し、初手は十分だ! メルドさん、リリィ、続いていくぞ!」
だが、嫌悪感を抱く者が現れるのを防ぐように光輝の声が響き渡る。
他ならぬ“勇者”が今の光景を認めている。その事実は嫌悪感を薄めるのに、確かな効力を発揮した。
次いで、勇星、情星、そして慈星。それぞれの星の力を受けた氣が輝きを強める。
しかし、すぐには放たない。それでは費用対効果が低い。
異なる方陣技であるならば別だが、基本的に同じ方陣技は一つの戦いで一度のみしか放てないのだ。……まあ技自体は同じでも面子が異なれば繰り出すに支障はないので、方陣技がそういう制約で縛られているらしい。
想定通り“黄泉冥府陣”によって第一陣の大半は蹴散らされ、残りの足も止まった。本能に従う魔物だからこそ、生命の恐怖には抗えない。この結果は必然だ。
ゆえにこそ、この状況で放っても仕留められるのは僅かのみ。折角の大技だ。それでは勿体ないというもの。
魔物の群れは多種多様。定石通りであれば、奥になるほど強力な魔物となるだろう。……であるならば、すぐにでも第二陣が一陣へと追い付く。
二撃目を放つとするなら、そのタイミングを除いて他にない。
そして、間もなくそうなるのが視界に入った。
「悪逆無道のこの世の闇を!」
「祓うことこそ我らが務め!」
「ゆえに我ら――トータスレンジャー!」
「愛と!」
「勇気と!」
「友情と!」
「三つの心を一つに合わせ」
「今こそ輝け、正義の星よ!」
『国士無双陣!!』
光輝を中心に左右に立ったメルドとリリアーナ。それぞれが得物を手にしてポーズを決める。
まるで特撮戦隊ものの如きカラフルな煙が彼らの足元から上がり、同じくカラフルな光が群れの中央で重なる。その瞬間、大爆発が起こった。
過たず、第二陣の大半を屠る。
「やはり、恥ずかしいですね、これ……」
「言わないでください、姫」
「?」
とはいえ、やはり羞恥心はある様でメルドとリリアーナは僅かなりと精神的なダメージを負っていたが。対照的に、その横で首を傾げる光輝であった。何が恥ずかしいのか分からない、といった様子である。
そんな三人を余所に、正義のヒーローに相応しい大技に勇士たちも湧き上がる。
「先生。準備はいいですか?」
「はい、お願いしますね?」
そして、再び龍真の番がやって来る。しかし、今度のパートナーは愛子であった。互いにその手を握りしめる。
愛子が氣に目醒めた際にその宿星も発覚したが、今にして思えば兆候自体はあったのだ。
天職:作農師。世界の食料事情を一変させるほどの激レア天職。その能力は大地とそこに芽吹く生命への干渉に他ならない。
如何に生命への干渉が出来たところで、それを芽吹かせる大地が要をなせなければ意味がない。その逆も然りである。
しかして、彼女が干渉した農地は須らく芽を咲かす。未開拓地でも結果は同じだ。
それすなわち、一つの事実を表していた。
愛子の眼は大地の氣――龍脈の流れを見極めている。
氣の流れを見るだけならば、出来る者は割といる。龍真とてその一人だ。初対面の相手や久方振りの相手など、氣を見ることで判別したりもする。
だが、見極めるとなれば話は別だ。そんなこと、とてもじゃないが無理だ。人相手でもそうなのに、世界相手など不可能と言っていい。……まあ、宿星的にその力を発揮する際には出来るのかもしれないが、常日頃からはやはり無理だ。
愛子はその眼を以て、確実に作物が実る場所を見切っている。それゆえに未開拓地でも百発百中の効果を発揮しているのだ。
加え、実りを早めることも可能ときた。異常なまでの成長促進。それは“癒し”を与えているがゆえ、と受け取れなくもない。だとしても尋常ならざる癒しの力だ。
そして生徒たちに対する慈愛の深さ。
どれかだけならばまだしも、ここまで揃えば最早確定である。
畑山愛子の宿星は“菩薩眼”に他ならない。
特性上、菩薩眼は女性にしか顕現しない。そして歴史上、その何れもが菩薩眼を知る者から狙われている。
それは愛子の天職にも表れていた。
狙われる、というのは何も生命に限ったものではない。その力を利用しようと近付くことも指し示す。
実際、愛子は王国や教会の要請で王都近隣の町村を廻り、農地の改善や開拓に勤しんできた。愛子の人柄もあるだろうが、味方に位置するからその感覚がないだけなのだ。――言い換えれば、王国と教会に愛子は利用されてきたのである。
そして“菩薩眼”と“陽の黄龍の器”は結びつきが強い。なぜなら“陽の黄龍の器”は“菩薩眼”を母親として生まれてくるからだ。
無論のこと、龍真と愛子に直接の血の繋がりはない。……血筋を遡ればどこかで絡まっている可能性もあるが、それはともかく。
血の繋がりはないが、その氣に至っては別となる。人によって千差万別なのが氣だが、強力な宿星の影響を受けるなら共通部分が多く出るのは必然といっていい。
いわば龍真と愛子は氣の繋がりにおいては母子の関係にあるのだ。それゆえにこそ、愛子が氣に目醒めた瞬間、龍真はどうしようもない親近感を覚えたのである。
つまり、その氣を重ね合わせることなど造作もない。
『破邪顕正・黄龍菩薩陣!!』
前段階など必要ない。技の名を言霊に乗せて発するだけで、確かな効果を発揮する。
愛子の眼によって見極められた世界の氣が、握られた手を通じ、それを自在に操ることを可能とする龍真の手に委ねられた。
大地から氣が湧き上がる。それは二人の宿星である黄龍と菩薩を形作り、第三陣となる魔物を或いは飲み込み、或いは慈悲という名の裁きを与えた。
正当な資格者によって使用された以上、大地の氣が極端に弱まることもない。
「す、凄いッ!」
後方の勇士たちから声が上がる。
前言通りに、第一陣から第三陣までの大多数の魔物を僅かな時間で仕留めて見せたからだ。
どこか“勇者”や“神の使徒”に懐疑的だった、冒険者を始めとする一部の者たちもこれでは認めざるを得ない。
「では、妾も参るとするかの。……大技を使った後じゃ、其方らは少しばかし休んでおれ」
言い放ち、ティオが単騎で群れの中へと突貫する。
正体を知らぬ者にとって、ティオは妙齢の美女に他ならない。自然、後方から無謀な行いに対する悲鳴が上がる。
「さて、優先すべきは……やはり空かのう?」
突貫しつつ敵陣を見やったティオは呟いた。
先の大技の三連発で大多数の魔物は片付いた。しかし、現実として魔物はまだまだ存在している。地上だけではなく空にもだ。
魔物の数が数だ。また地に足を着けて生きる人として、どうしても空よりは地上を優先してしまったようである。
無理もないが、この状況では少々拙い。龍真を筆頭に一部の突出した実力者を除けば、それ以外は横ばいだ。ティオからすればゲイルもウィルも変わらない。そんな彼らにとって、空から襲い来る魔物はやり辛いことこの上ないだろう。
龍真たちとて地上を優先してしまったのだ。それ以外の者たちが空と地上の両方に意識を割き続けるのは苦行に等しい。その程度のことは簡単に想像がつく。
ならば、やはりティオが優先すべきは空の魔物である。人化状態では地に足を着ける竜人族だが、竜化した際には空を足場とするだけあって、天地両方に意識を割く程度のマルチタスクなら手慣れたものだ。
人化状態では空を飛ぶことは出来ないが、この程度の高さなら跳躍も容易い。
「フッ!」
呼気を一つ。
ティオは弾丸さながらの速度で、空を駆ける魔物へと襲い掛かった。
魔物にとって、それは考えられないことだったのだろう。本能特化ゆえに無理もない。その魔物が知る限り、人が空へと攻撃するには何かを飛ばすなり魔法を放つしかなかった。確かに人自体が武器を手に襲いかかって来ることもあったが、それは何れもムダに終わった。届くとしたら、精々こちらが獲物を仕留めに地上へと降りた時くらいなのだ。
その驚きのあまり、魔物は貴重な時間をムダにしてしまった。躱すでも守るでも迎撃するでもなく、ただただ呆っと見入ってしまったのである。……その女が自分の高さに並ぶまで。
「ハッ、ありがたいことじゃのう!」
そこらの動物ならまだしも、相手は魔物である。ティオは容赦なく仕留めにかかる。
そも、ティオは竜人族の“姫”である。その様な人物が里より遠く離れ、世界を廻っての情報収集を任されるからには相応の理由があったのだ。
重ねた経験上、こと勝負においては未だ育ての祖父には及ばぬが、純粋な能力のみであればとっくに凌駕している。特に竜人族の寿命の長さを鑑みれば未だ“若輩者”に過ぎぬティオも、人間族にとっては“雲上の高さ”であることは紛れもない事実なのだ。
そして何が起こるか分からない任であるからには、求められる能力はあらゆる方面に及ぶ。攻撃能力一つとっても、遜色ないレベルで近接攻撃と遠距離攻撃を求められる。金が使えずとも山中で寝食を過ごしたように――生き汚い、と表現されるような――バイタリティの高さも必須だ。
また、能力があっても矜持に縛られるような人物であれば、やはり役には立たない。
本人の志願もあるが、ティオが選ばれたのはそういった諸々を兼ね備えていればこそなのだ。
若く見えても五百年以上を生きたティオである。修練も重ねたとあれば、その実力は純粋な能力値よりも遥かに高い。
その一端がここに示される。
繰り出されるは踵落とし。しかしてただ繰り出したわけではない。ティオは魔物を弾丸として地を行く魔物へぶつけたのだ。質量と落下速度により、地を行く魔物へ直撃しただけでは終わらない。そのまま貫き、さながら隕石の如くに大地を砕く。それによって巻き上がった飛礫が、更に他の魔物へと襲い掛かる。仕留めるには至らないのが大半だが、当たり所によってはそうでもない。また、仕留められずとも痛手であることに違いはない。
ティオは蹴りの反動を以て態勢を整え直し、再度ほかの魔物へ襲いかかる。……後はそれの繰り返しだ。
言葉でいうだけなら簡単だが、これは絶技に他ならない。
蹴った魔物が絶命し、かつ粉微塵とならない範囲を初撃を当てる段階で見極める。……これが一点。
次にはその魔物を確実に下の魔物へ直撃させる。……これが二点目。
より多くを飛礫に巻き込めるよう、僅かな間で当てる魔物を選別する。……これが三点目だ。
この難行をいとも簡単に次から次へと起こしているのである。目に見える範囲で空の魔物を片付け終えた頃には、第四陣は壊滅状態となっていた。
「この目で見ておいてなんだが、俄かには信じられないな……」
「ああ、同感だ」
「竜人族が畏怖された理由がよく分かるな……」
龍真、光輝、メルドの三人も呆れるやら感心するやらだ。
とはいえ、いつまでもそうしてはいられない。
「ゴホン。……皆さん、これより俺たちは攻めかかります! 後方の護りはリリアーナ姫殿下らにお願いしてありますので、生存第一として互いに協力しあってください! ――リリィ、先生、恵里、後ろは任せた。緋勇、メルドさん、往くぞッ!」
後方へと更なる檄を飛ばす。
それに応える声を受けて三者は一気に駆け出した。