友人の顔が映る。苦し気な表情で自分を見下ろしている。その手に持つ短剣からは、ポタリ、ポタリ、と滴り落ちる紅い液体。――血だ。
(ああ、そうか。俺は斬られたのか。――バカ野郎、斬った本人がそんな表情をしてんじゃねえよ)
不思議と憎悪はない。自分が斬られた理由こそ分からないものの、行為自体には理解も納得も出来る。文句があるとすれば、その表情のみ。――いや、逆にその表情だからこそ受け入れることが出来ているのかもしれない。
そこで周囲は闇に包まれ――
「………………ここは?」
――気付いた時にはベッドの上だ。それもここ最近慣れ親しんでいたホルアドのそれではない。召喚直後の日々を過ごした王宮のそれでもない。
「よお、気付いたか? っても、俺が目を覚ましたのも今さっきなんだけどな」
「……信治?」
隣から聞こえた声にそちらを向けば、自分と同じようにベッドに横たわる親友――信治の姿。
「……っつう!」
その瞬間、怒涛のようにフラッシュバック。
「夢、じゃないんだな……」
頭と斬られた個所を抑えつつ、良樹は現実を受け入れた。
魔人族が単騎で宿屋を襲撃。騎士たちは軒並み敗北し、自分たちの魔法も通じなかった。その果てに、自分は親友――大介に斬られたのだ。
「ああ、夢じゃねえ。……情けねえな。アイツ等に悪役を背負わせちまった」
思わず呟けば、それを確認と捉えたのか信治から肯定の言葉が返る。
「……ら? ……おい、待て。礼一はどうしたッ!?」
その言葉に身体を起こして――
(傷自体はもう治ってんのか……)
――痛まなかったことに対して呑気な感想を抱きつつ、周囲を確認する。
上下左右、どこを見廻してもこの場にいるのは自分と信治のみ。大介はもちろん、礼一の姿もどこにもない。
「俺が覚えてんのは大介がお前を斬って、食って掛かった俺を礼一が刺したとこまでだ。……それでここにいないってことは、それが答えだろ。アイツは大介についてったんだ」
「……そっか」
対峙したのは僅かだが、それでもあの魔人族の実力が桁外れであることは分かる。
自分たちが倒れたタイミングで迷宮に潜っていた皆が帰ってきた。その可能性自体は否定出来ないが、早々起こり得る筈もない。そんなご都合主義が成り立つのはフィクションの中だけだ。
それに帰ってきたところで何が出来るのか? 自分たちが敵わなかった以上、大半もまた然り。対抗し得るのは龍太郎と御門、それに【ライセン大峡谷】を攻略した王国騎士――ケインとアルバだけであろう。
その四名とて状況が状況だ。全力を出せる筈もない。場所は町中の宿屋。周りには騎士たちが倒れ大介と礼一も寝返ったとなれば、流石に戸惑わないわけがない。
そして彼らだけが戸惑いから早期に復帰できたところで、他の面子はそうもいかないだろう。
数は力だが、意思が統一出来ないのなら必ずしもその限りではない。途端に“足手纏い”に早変わりだ。大介が軟禁される切欠となったトラップ発動が良い例えだろう。
それら諸々を組み合わせると、魔人族は逃げ果せ大介たちもついていったに違いない。……まあ、あくまで想像でしかないが。
真に大介たちが裏切ったとは思わない。――思えない。
感情論だけでなく理由もある。自分たちが生きている事こそ、その証左に他ならない。あのまま戦っていれば、長くも持たず自分たちは敗北していただろう。その結末は“死”だ。
それだけの差が、自分たちと魔人族にはあった。なにせ魔人族はあれでも手加減をしていたのだから。
自分たちの魔法を受ける前と受けた後、そして大介たちが現れた後では明らかに威圧感が違った。わざわざ段階的に威圧感を跳ね上げるとすれば、周囲に気を使っていたとしか思えない。実際、騎士たちを叩き伏せたにも拘わらず宿内には被害らしい被害はなかった。
そして魔人族が威圧を跳ね上げるに伴い、半ば死を受け入れている自分がいた。気勢を張って取り繕ってはいたものの、心は折れかかっていた。
そんな自分が生きているのは何故か? 大介が自分を斬ったからだ。
どちらにせよ死ぬ可能性はあった。だが確率が段違いだ。九割九分と三割では、後者の方が生き残る可能性が高いのは間違いない。
大介と礼一は己が手を穢すことで――王国や仲間を裏切ることで、親友である自分たちを救ってくれたのだ。
心は痛む。それは間違いない。しかし、それも生きていればこそだ。死んでしまえば、それこそ心が痛むこともない。
そして悲しい反面、嬉しくもある。大介も礼一も、一人ではないのだから。
「取り敢えず起きようぜ? ここが何処かはまだ分からねえが――治療した挙句に監視もいないってんなら――魔人族の捕虜になったわけでもなさそうだ」
「そうすっか」
改めて周囲を確認する。部屋はそこそこ広くベッドが六台。何れも白く清潔なシーツがかけられてある。窓からは柔らかな日差しと優しい風が入り込む。
「なんつーか、病院の入院部屋みてえだな」
「みてえ、じゃなくて実際にそうなのかもな。一応は“神の使徒”だし、怪我人を雑多な部屋には押し込めなかったんだろ」
「なるほどな。――っとっとっと」
ベッドから降りれば意に反して足元がよろめいた。
とはいえ、それも束の間のこと。数秒も経てば平衡感覚を取り戻す。
「あ~、こりゃ暫く横になりっぱだったかもなあ……?」
同じようによろめきから回復した信治がそんなことを宣う。
ふとベッドを見れば、その脇には籠があった。中には自分たちの装備が入っている。カーテンを引き、ありがたく着替えさせてもらう。
入院着と思しきガウンを脱ぎ、身体を確認すれば、やはり斬られた痕はなくなっていた。
すぐにも着替え終わり、先行して入り口のドアを開ければ――
「ッ!?」
「ッ!?」
――何と目の前にはメイドさん。ノックでもするところだったのだろう。その手が胸の前に持ち上げられており、甲はこちら側を向いている。
「わりいな、驚かせちまったみてえだ」
「いえ、お気になさらないでください。……お目覚めになられたのですね、良かったです」
「メイドさんってことは、ここは王宮でいいのか?」
「はい、その通りです。問題なく動けるようでしたらついてきて頂いてもよろしいですか? お待ちの方々もおられますので……」
「分かった、案内してくれ」
黙々と廊下を歩く。
会話はない。知りたいことは山ほどあるが、メイドさんにそれを求めるのも違うだろう。
それに自分たちの目が覚めるのを待っている人たちがいるらしい。ならば情報は遠からず手に入るだろう。大まかながら面子にも想像がつく。
「中野様と斎藤様をお連れ致しました」
「ありがとう。入ってくれ」
間もなくにして目的の部屋へ辿り着き、メイドさんがノックを数回。中に声をかければすぐに返事が戻ってきた。
「失礼いたします。……どうぞ」
メイドさんの開けてくれたドアから部屋に入れば、想像通りの顔から見知らぬ顔まで数多い。
「中野くん! 斎藤くん! 良かった、目を覚ましたんですね!」
真っ先に声を反応を示したのは愛子だ。叫ぶや否や勢いよく駆け出し、その小さな腕をめいっぱいに広げて信治と良樹を抱きしめる。
「愛ちゃん先生……」
「……ありがとう。心配かけた」
日本にいた頃から、確かにこの先生は自分たちに何くれとなく構ってきた。だがそれも、あくまで“生徒”と“教師”だからだと思っていた。……そう思うことで、その親身から目を逸らしてきた。
しかし違った。今ならば、それが分かる。枠に嵌っただけの状態では、ここまでの感情を示すことは出来ない。
確かに前提は“教師”と“生徒”だろう。それは間違いない。けれど、そこから変化しないとどうして言い切れる? 誰が証明出来る? 誰にも出来やしない。――出来るとすれば、関係が終わった際の当人同士のみだ。
劣等感に支配された身では、そんなことにも気づくことが出来なかったのだ。
四人は小学校からの付き合いだ。幼馴染の関係にある。時にケンカすることもあったが、その度に仲直りをして友情を深めていった。
学校に通う以上、基本的には学区に左右される。小、中学校では狭い範囲のそれも、高校になればその限りではない。
少し遠くはあるが通えない距離ではない。自分たちの学力でも問題なく入れる。
将来の希望など定まりきってもいない彼らは、多少の冒険心でその高校に意気揚々と入学し――挫折した。学力にしろ運動にしろ、得意分野には相応の自信があった。しかし高校では通じなかった。少しばかり平均を上回る程度でしかなかった。
得意分野でその結果だ。不得意分野など言うまでもない。
砕かれた自信は即座の修復を良しとせず、そのままずるずると低迷の一途を辿る。
それは劣等感となり、劣等感は反発心を迎え、そして不良の出来上がりだ。
不良など煙たがられるのが世の常である。必然的に、より四人で固まることが多くなった。
「目を覚ましたんだな、嬉しいよ。――だが、すまない。パーティーを開く余裕なんかはないんだ。俺たちもすぐに動かなくちゃいけない。……行くよ、愛子先生」
次いで動いたのは光輝だ。言葉通りに表情を変化させ、すぐにも部屋を出ていった。
「スマンな、俺たちも予定が立て込んでいるんだ。光輝や愛子はその立場上、尚更にな。かくいう俺もすぐに動かなくちゃならん。出立前に元気な姿を見れて良かったよ」
メルドもまた一声かけ、龍真、恵里、リリアーナらもそれに倣う。
「気を悪くするなよ? それだけ、ホルアドの一件はこちらに衝撃を齎したんだ」
慌ただしさについては、すぐにも説明が入った。
それを聞けば、なるほど、この状況も理解出来る。
「単刀直入に訊く。お前たちはどうする?」
「そんなもん決まってる」
「大介と礼一を連れ戻すだけだ」
「裏切り者の二人をか?」
「そもそも、その表現がおかしいだろうが。確かに俺たちは王国の世話になってきたが、忠誠を誓った覚えも何もねえ」
「最終目的が『地球への帰還』であることに違いはねえが、それ以外は個人個人の思惑に沿ってのことだ。
俺たちの場合は仲間内で助け合うことであって、王国にいたのは行くアテも何もねえからに過ぎねえんだよ」
「大介たちが“裏切り者”ってんなら、それは俺たち二人を裏切った時に他ならねえ。だが、アイツらが俺たちを攻撃すればこそ、こうして俺たちは生きているんだ。……どこが“裏切り者”だよ?」
屁理屈上等。言葉の刃を振り翳す。
立場が変われば見方も変わる。そして自分たちは異邦人であり、王国もその自主性を認めている。王国の法は適用しきれないのだ。
「フッ、お前たちは迷宮攻略組に廻れ。ホルアドを襲撃したのは十中八九、魔人族の迷宮攻略者だ。迷宮を攻略していけば、いずれぶつかる可能性が高い。
同時に、想いだけでは何も果たせぬ。相応の実力が必要だ。迷宮を巡り実力を上げ、有言実行して見せろ」
「ああ!」
「任せときな!」
信治と良樹は意気を新たに気勢を上げた。
♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢
風と風がぶつかり合う。互いが互いを打ち破ろうと鎬を削る。――しかしてそれも束の間のこと。天秤は早くも傾いた。
対する風を打ち破り、勝利した風はそのまま相手の術者を打つ。
「グハッ……! ちくしょう、もう一度だ!」
「分かった」
敗者――良樹はすぐにも立ち上がり再戦を願う。
勝者――ハジメはそれを了承する。
既に何度となく繰り返され、その結末に変化はない。
「くそッ……! もう一回頼む!」
「うん、いいよ」
他方、同じようなことが行われていた。
挑むのは信治、迎え撃つのは香織である。
その結末は、やはりこちらも変わらない。
「はぁはぁ……まだだ!」
「こっちもだ!」
だが、信治と良樹に諦めるつもりはない。
大介と礼一を取り戻す。
天誡らはその想いを汲んでくれ、二人は七大迷宮攻略組へと組み込まれた。――その代わり、奈々と妙子が外れることとなったが。
大介たちと再会出来る可能性は高まったものの、それを喜んでばかりもいられない。一般的な見地からはともかく、攻略組においては二人の実力など底辺でしかないのだ。否が応でもその事実は認めざるを得ない。
想いを成すには力が必要不可欠。そして二人が頼れる力など己が天職しかない。すなわち“風”と“炎”である。
悠長にしていられる時間はない。そんな余裕もない。自分たちの心情的にも、攻略組の心情的にも、一刻も早く強くならなければならないのだ。
大介らを連れ戻すのが第一だが、かといって他をまったく気にしない程ではない。自分たちの代わりに外れることとなった奈々と妙子には申し訳なくも思う。攻略組に対してもそれは同様だ。
攻略組の面子にも自分たちの参加を快く思わない者はいる筈だ。実力的に釣り合っているならまだしも、弱者が加わるのだから尚更だ。トータスの住人はともかく、特に召喚された者はそれが顕著だろう。
高校にいた頃、信治たちは事ある毎にハジメへと絡んでいた。主動は大介だったが、止めずに行動を共にしていた時点で同罪だ。
必然、対象となっていたハジメ、その恋人である香織は自分たちを嫌悪しているに違いない。
それを理解した上で、信治と良樹はハジメと香織に頼んだ。頼んで頼んで頼み込んだ。土下座までした。
そこまでする理由など一つしかない。こと風と炎の扱いにかけては、二人の知る限りハジメと香織がダントツだからだ。文字通りに雲泥の差がある。
より優れた術者に学ぶのが上達の基本だ。パワーレベリングをしようとすれば、ハジメと香織に学ぶのが一番なのだ。
いい顔こそしなかったものの、ハジメは割かしすんなりと了承してくれた。――が、香織はそうもいかなかった。シカトに次ぐシカトである。
過去を鑑みれば無理もないが、設けられた鍛錬期間にも限りがある。僅かに五日。たったそれだけが、信治らが曲がりなりにも一行について行くための地力をつけるべく用意された鍛錬期間である。……旅の準備もあるし、何より気ままな風来坊ではなくきちんとした組織として動くのだ。金銭面での負担を気にしなくてもいい分、相応に縛られる部分が出てくるのは道理だ。
そして香織が応えないことにより一日がムダに過ぎ去った。それを見て、どちらかと言えば“情”よりも“理”を優先するハジメが取り成しようやく応えてくれた経緯がある。
ハジメと香織は専ら氣を使うが、かといって魔法が使えないわけではない。オルクス攻略中に手に入れた“魔力操作”の技能もあるし、それぞれが“嵐帝”と“炎帝”の技能を有している。天職の枠を超えて、風と炎の扱いにはダントツの適性を誇るのだ。
とはいえ、それが指導力に直結するわけでもない。あくまでその力は“宿星”という外的要因によるものだ。本人の趣味趣向とは別物なのである。
そんな二人が選んだ指導法は単純にして明快だ。只管に同じ下級魔法のぶつけ合いである。……やはり元ネタは娯楽品に由来する。
下級魔法とはいえ侮れない。消費が少ないからこそ繰り返せる回数は多い。只管に反復すればこそ得られる力は確かにあるのだ。
同じ魔法だからこそ、そこには何れ“慣れ”が生まれる。そして“慣れ”とは、言い換えれば“無駄の排除”に他ならない。
そしてそれは他の部分にも応用出来る。中級や上級の魔法にも適用可能なのだ。
基礎なくして発展はなく、基礎が疎かであれば発展したところでたかが知れている。付け焼刃的に上級魔法を鍛えるよりは、どっしりと下級魔法を鍛えた方が良い。
また信治と良樹は炎術師と風術師であるがゆえに、それぞれ風と火には強い耐性を持っている。……が、それにも限りがある。下級魔法であればまだしも、上級魔法をそう耐えられる筈もない。
そして何度も吹っ飛ばされ焼かれれば、相応に体力を消耗する。試行した回数の全てにおいて手も足も出ないとなればそこに強いストレスもプラスされる。……それがハジメの狙いだった。
(そろそろかな……?)
信治と良樹を鍛え始めて三日が経過している。鍛錬期間は明日で最後。
その期間を只管風と火の押し合いに費やした。試行した回数は何十、何百を疾うに超えている。何千も試して手も足も出ない。そろそろ万に届くかもしれない。
普通、そこまで費やしてダメならば大半が諦める。しかし信治と良樹は諦めない。――諦められない。諦めてしまえば大介と礼一を連れ戻せない。
強いストレスの中で、その意思は徐々に研ぎ澄まされ、やがて反逆の心を生む。自分自身か? それとも世界か? そこはどちらでもいい。重要なのは、強い意思を伴った上でその心が生まれることだ。
♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢
アレーティアとシア――トータスの生まれであり、後天的に“魔力操作”の技能を得た人物。
二人の過去――特に“魔力操作”を得るまで――を詳しく聞き、ハジメはある仮説を立てた。
すなわち、“魔力操作”の獲得には強い意思が必要とされる。
そう考えれば、魔物が“魔力操作”を得ているのにも納得がいく。
野生の獣はそれこそ“本能”の塊だ。言葉では説明しきれない、純然たる性質。“人”とは違い、雑多なことに惑わされることがない。なればこそ、野生の動物はその多くが魔物へと変貌を遂げる。
飼育されている動物に魔物化が見られないのもそのためだ。自分で用意する必要がなく餌が用意されるのだ。代わりに何かしら動く必要こそあるが、確実に餌へとあり付ける時点で“ぬるま湯”と言っていい。そんな環境では確実に鈍化する。
解放者はこの世界を“遊戯盤”と称したが、なるほど、それも無理はない。エヒトへの信仰、“天職”という枷。それらによって多くのトータス人は思考の停滞を余儀なくされている。
天職を持つ者は自ずと将来を縛る。そして天職のイメージに囚われ過ぎて試行錯誤することがない。
例えばハジメの天職である錬成師。トータスにおいては、ほぼ鍛冶師と認識されている。違うのは鎚を持つか魔法を使うかでしかない。……そんな固定観念に囚われている者が多すぎるのだ。
実際、オルクスにて騎士たちに“錬成”を使った戦闘を初めて見せたときのことである。地面に“錬成”をかけて魔物の動きを封じ、安全を確保した上で仕留めた。ハジメにとってはどうということもない作業だったのだが、騎士たちは揃って『見たことも聞いたこともない』という。
この時点で、ハジメは言いようのない疑念を覚えた。
一方、天職を持たない者もまた将来を縛る。行き着く先は大半が冒険者か犯罪者の二択。その“才”がないことが分かっているので、あれこれと探し試すこともないのだ。
これを知った時ハジメは確信した。
(
人々は確かに生活をしている。だが、思考の停滞を余儀なくされているがゆえに変化が少なく、それに気付く者もまた少ない。
そんな中で“魔力操作”を得た二人だ。実例が少ないからこそ、共通点を探すのも容易となる。
アレーティアは両親に疎まれていた。“神子”という、見方によってはこれ以上ないほどにエヒトの寵愛を受けた者。エヒトへの信仰が深ければ深いほど、実の子供であろうと嫉妬や憎悪を覚えずにはいられまい。
両親の愛を得られないのは、それだけで幼い子供にとってはストレスだ。それゆえに自分へと愛を示す叔父に懐いたそうだが、その叔父は七大迷宮の攻略者だ。
自分を疎む両親はエヒトを崇拝し、自分を愛する叔父は『エヒトに縋るな』と言う。
エヒトへの信仰を促されなければ、幼くとも――いや、幼いからこそ自立心は育まれる。幼いがゆえに世界は狭く、それゆえに意思は純粋なものとなる。
やがてアレーティアは両親を、常識を、世界を――エヒトに縋る諸々を否定し、その果てに“魔力操作”の技能を得るに至った。
一方のシアだ。彼女は亜人族――兎人族の生まれである。その時点でエヒトへの信仰などはない。
しかし、樹海の中に団結して暮らす亜人族であっても一枚岩ではいられない。兎人族はその優しさと臆病さゆえに――全てが全てではないものの――同胞たる亜人族からも蔑まされていた。それもまた強いストレスとなる。
家族であるハウリア族はみな優しくとも、それ以外は敵と言っても構うまい。
加え、シアは母親――モナから英雄譚を聞かされて育った。英雄譚と言っても空想ではない。かつて実際にあった出来事だ。
モナには一人の姉がいた。ある日、友人たちと遊んでいた時のことだ。熱中のあまり、集落を出て樹海の外付近まで行ってしまったのだ。
そこに折悪く帝国兵が亜人狩りへとやって来た。あまりの不運に誰しもが呆然とする中、姉は一人で囮を買って出たのである。その姿は正しく“英雄”と呼ぶに相応しい。
その結果、モナたちは樹海の奥へと逃げ果せることが出来たのだ。
幼いシアには、その“姉”がどうなったかまでは想像を働かせることは出来なかった。
その一方で、その英雄然とした姿には強い憧れを持った。自分もまた家族を護れるようになりたい……と。
漠然とした想いは、日々優しい家族を罵倒する肉体自慢の熊人族を見る度に研ぎ澄まされていった。
あれこれと言ったところで、結局は熊人族も樹海に引き籠っているのは同じである。自分たちが臆病者ならお前たちはどうなのだ。声を大にして言いたいが、言えば家族が甚振られる。
憎悪と愛の板挟みは、シアへとより強いストレスを与える。
優しさが“弱さ”として、暴力を至高とする者に嬲られるのが現状だ。こんな世界は間違っている。
いや、間違っているのは世界だけか? 憤るだけで何ら行動を起こさない自分も間違ってはいないか?
だが、自分にいったい何が出来る? この身は幼き子供に過ぎない。出来ることなど限りがある。
誰がそう決めた? 誰がそれを確認した? そう思い込んでるだけではないのか? 世界が間違っているのなら、何を根拠に断言出来る? 出来る筈がない。
では、断言出来るものは何だ? 決まっている、家族だ。優しさだ。愛だ。それだけはこの世界で間違いがない。
そう、間違っていないのは“優しさ”と“愛”だけだ。しかし正しいとも限らない。優しさと愛だけでは虐げられる。
優しさと愛を伴った上での力。真に正しいものがあるとするならこれだろう。
強いストレスの中、極端なまでに純粋化された意思。
それはやがて自らへと変革を促し、シアへと“魔力操作”を宿すに至った。
♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢
予定された鍛錬の最終日。せめて今日中に何らかの成果を示して見せなければ、自分たちは足手纏いのままだ。
(クソッ! 俺と良樹、南雲と白崎。その差は何だ? いったい何が違う?)
もはや数えるのもバカらしい敗北を重ねた果て。焦りが支配する中で信治はふと自問する。
経験。確かにそれもあるだろう。それが実力差に繋がっているのだから否定する気はない。
だが、もっと根本的な部分であるんじゃないのか?
その瞬間、風を打ち合うハジメと良樹の姿が信治の目に入った。
良樹は詠唱を行い発動鍵語となる魔法名を発することで風球を発動する。改良に改良を重ねた式は、下級魔法とは思えぬほどの威力と速度を以て射出された。
詠唱の長さに比例して陣へと流し込める魔力の量も多くなるのがトータスの魔法だ。効果の複雑さや規模に比して式も複雑になる。
それを鑑みれば真っ向からケンカを売っているような内容だが、慣れてくれば初期に教えられた陣などムダの限りでしかなかった。そのムダを省けばこの程度は普通である。
一方のハジメだ。彼は両手をズボンのポケットに突っこんだまま、何することなく魔法を発動してのけた。
刹那、信治に天啓が齎された。
確認の意味を込めて、より香織を注視する。今回に限っては敗北など二の次だ。
結果は予想通り。香織もまた魔法の発動に陣を使ってはいない。
確認の代償として今までの比じゃない程に焼かれたが、それも大したことではない。
「は、はは、はははは……ッ」
気付いてみれば何のことはない。
そもそもが劣化した魔法にムダだらけの陣だ。如何に改良を重ねたところで、そのプロセスを経てる時点でムダと言っていい。
ハジメたちの魔法と自分たちの魔法の違いにも気付いてはいた。ただ、先入観や固定観念、そして常識。その様に評されるモノに囚われ過ぎていた。
ハジメたちが陣を必要とせずに魔法を放てるのは“魔力操作”の技能を持っているからだ、と。
彼らと異なり“魔力操作”の技能を持たない自分たちは陣を介して発動するしかないのだ、と。
それが“常識”だから、そこで思考を停止してしまっていた。
では、その“常識”を決めたのは誰だ? 自分か? 違う。
ならば、なぜ自分が決めたわけでもないモノに囚われる必要がある? 周囲への配慮? それもあるだろうが、そんな有り様で親友を連れ戻すことが出来るのか?
親友への想いと周囲への配慮、より重要なのはどちらだ? 親友に決まっている。
そうだ。そうなのだ。
出来る、出来ない――ではない。未だその域には至っていない。
やらなければならない――でもない。義務感では不可能だ。
「俺の意思で……やるんだよッ!」
いいから黙って俺に従え。
溜まりに溜まったストレスもあり、信治は“常識”という枷をぶち壊して無理やりに世界を――それを構成する要素を従える。
陣や式を介し、世界へとその慈悲を乞うのではない。
俺が上だ、と一己の生命として世界へ高らかに咆哮する。
結果はすぐに示された。陣を介することもなく、炎が形を成し香織へと向かう。
「……おめでとう」
難なく防いだ香織が祝福の言葉をかける。
確かに香織は信治ら四人を快くは思っていない。当初無視していたのもそのためだ。
しかし、かといってその努力を認めないほど狭量でもない。友を想うその一心で実際に壁を乗り越えて見せた姿には感嘆の一つも覚える。……まあ、香織が声をかけたとき、既に信治は気を失っていたのだが。
「さて、どうやら向こうはノルマをクリアしたようだね。――君はどうかな?」
他方、それを見たハジメが良樹へと声をかける。
「信治……。ハッ、やってやんよ!」
親友が壁を越えて見せた。ならば自分もやって見せねばなるまい。それが出来なければ“親友”と胸を張っては言えない。自分で自分を認められない。
そう、だから――
「くだらねえ常識なんぞが、俺の邪魔をしてんじゃねえええッ!」
――良樹もまた、世界に我を叫び上げる。
俺の道を遮るな。
ストレスは怒りと結び付き、世界に対する反逆の芽を咲かす。
人が暮らす上で避けられぬ“常識”という壁。世界を構成する一要素。
この瞬間、確かに良樹はそれを踏破して見せたのだ。
言葉なき良樹の命令に従い、風は自らを玉と変え、ハジメへと――本来自分たちを従える“大いなる意思”の代行者へと襲い掛かる。
「……合格だよ」
しかし、それがハジメに届くことはない。
如何に壁を越えたとて、その先には新たな領域が広がっている。広い世界へ一歩を踏み出したに過ぎないのだ。既にその領域に至り相応に鍛錬を重ねているハジメ相手に真っ向勝負で敵う筈などないのである。
とはいえ、良樹がスタートラインに立つに至ったのも確かな事実。
今持てる全霊を賭して壁を越えた良樹は必然として意識を失っている。
耳に届かないのを承知の上で、ハジメは新たな“仲間”へと祝福を告げたのだった。
♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢
その片隅。
穂先と穂先がぶつかり合う。その速度は音を裂くが如き。訓練用の木槍とはいえ、これほどの速度で繰り出される一撃をもらえばただではすまないだろう。
「……シッ!」
「……フッ!」
しかし、引かれては突き出されるその穂先が捉えるのは担い手に非ず。先手後手は移り変われど、その結末は何れも同じ。後手の穂先は先手の穂先を迎え撃つ。
レオンとカリオン。この二人が槍を競い合わせていた。
技量は遜色なし。正に一進一退の攻防である。
「くッ……!?」
だが、音を立てて片方の槍が地に落ち、ここに勝敗は分かたれた。勝者はレオン、敗者はカリオンである。
「ふぅ……。また、勝てませんでした。私も腕には自信があったのですが、お強いですね、殿下」
「はぁ……。いや、貴方も十分に強いよ、カリオン。技量だけならば、おそらく僕の負けだろう。――ただ、能力値では僕が勝っているからこそのこの結果だと思う」
レオンはレオンで仕事があるため訓練ばかりに精を出すわけにもいかないが、腕を鈍らせ過ぎないためにも鍛錬は必須である。僅かな時間ながらも槍を振るうために練兵場を訪れたレオンは、そこで自分と同じく槍を握るカリオンを目にした。
七大迷宮を攻略するに当たり、教会も同行者を寄越してきたのだ。それがカリオンである。……決まるまでは紆余曲折あったが。
一人で素振りをするよりは相手がいた方が良い。同時に、旅の同行者として腕を確かめたい気持ちもあった。以上のことからレオンはカリオンに相手を希望し、カリオンもまた似た様な理由からこれを承諾。
レオンの事情から取れる時間は僅かであり、最高でも五本まで。その条件の下での勝負と相成った。
初めは軽く様子見程度に流して両者だったが、それを崩すのは思いの外に早かった。訓練用の木槍であるため元より全力など出せる筈もないが、それでもある程度合わせれば相手の実力も分かってくる。
(これならどうだい?)
(この程度ならいけるでしょう?)
両者の繰り出す槍は次第に勢いを増し、常人の目では捉えるのも困難な程になる。
五本勝負など冗談も良いところだ。時間の関係もあり、二人の勝負は一日に一本で終わる。
初日は引き分けで終わった。様子見やら何やらもあったのでおかしくはない。――だが、それはそれでもどかしい。よって、二日目以降は訓練の時間を合わせることにした。
正直なところ、割とカリオンは暇であった。教会に所属する騎士ではあるものの、普段は辺境に籍を置いている。七大迷宮の同行者とさせるに当たって呼び出されたのだ。教会が彼の実力を認めているかと言えば然に非ず。同行者として推薦した神殿騎士の悉くが却下されたからこその苦肉の策だ。
そんな理由もあり、教会上層部や総本山に所属する神殿騎士の大半がカリオンに向ける目は冷ややかだ。これといった仕事もない以上、マゾヒストでもあるまいし総本山に近付く理由はない。思惑や名目はどうあれ、実力者揃いの“神の使徒”に同行するのだ。教会上層部が、連携なり鍛錬なりに当てる時間をカリオンに用意するのは当然であった。
結果として、カリオンは専ら王国の練兵場で槍を振るっているのが実情だ。寝泊りの部屋も王宮が用意してくれているので、あまり時間を気にする必要がなく鍛錬出来る。……レオンの時間に合わせるのも容易だった。
二日目はレオンの勝ち。三日目はカリオンの勝ち。四日目と今日はレオンの勝ち。
勝負内容を振り返れば、勝敗パターンは決まっていた。……少なくともレオンの勝利に関しては。
レオンの勝利は、何れもカリオンが槍を落とすことで決着を迎えている。その時点で、基本となるステータスの差が表れていることは想像に難くない。
カリオンが勝利した際は、レオンが迎撃に失敗したがゆえだ。打点がずれ、ある程度逸らせはしたものの一撃を貰ってしまったのだ。とはいえ、たった一度だけでしかないので比較らしい比較も出来ない。しかし、カリオンは槍を落としこそすれそれまでは迎撃に失敗していない事実を鑑みれば、技量でカリオンに軍配が上がると捉えるのも無理はないだろう。
「しかし、ある意味で世界の広さを実感するよ。まさかトータス人で――それも槍でここまで僕と渡り合える人物がいるとは思わなかった」
「私もです。自分が最強だ、などと己惚れているつもりはありませんでしたが、同時に人間相手には簡単に負けるつもりもありませんでしたので……。いい経験となりました」
「危険には違いないが、楽しい旅路になりそうだ。……よろしく頼むよ、サー・カリオン?」
「微力を尽くしましょう、騎士王様?」
二人の槍使いは、気安く言葉を交わして笑い合ったのだった。