ありふれた職業で世界最強 ~宿星の導き~   作:山上真

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4話

「……?」

 

 白崎香織は上手く現状を理解出来なかった。

 それも無理はない。香織の認識としては、ハジメと帰宅している最中だったのだ。

 まぁ、確かに考え事をしながら歩いていた。周囲の状況確認が多少疎かになっていただろうことは認めざるを得ない。……だが、だとしてもこれはない、と断言することが出来た。

 現在香織がいるのはどこかの建物の中だ。見覚えはないが、どこか既視感を覚える造り。おそらくは学校だろう、と判断する。

 同じ学校であっても、自分に関係があるならば――目的意識さえあれば、という前提が必要であるにせよ――無意識に目指し、辿り着くことだってあるだろう。おしゃべりしながらの登校だって、そう言えなくもないのだから。

 しかし、だ。無意識に歩き進んで見知らぬ学校の敷地内に足を踏み入れるだけならばまだしも、それを踏み越えて校舎内にまで足を運ぶ、というのは流石に考えにくい。

 

「そういえば南雲くんは――」

 

 自分と一緒に歩いていたはずの少年を確認しようとして――

 

「――えッ!?」

 

 ――出来なかった。

 声を出すことは出来る。こうして思考することも出来ている。しかし、周囲の確認をすることが出来ない。

 

(いえ、正確には……)

 

 身体の自由が利かない。動こうと思っても動くことが出来ない。自分の意志では足を動かすことも、腕を動かすことも、顔を動かすことも、目を動かすことすら出来ない。

 考え事をしている間にも、足を動かし、靴を脱ぎ、スリッパに履き替え、といった具合に身体は動いていた。集中していたこともあり特に気にしていなかったが、自覚してしまった以上はそうもいかない。

 恐怖が香織を襲う。そして直後にそれ以上の恐怖が襲った。

 足が動いた。状況は全く分からないが、足が動く事実を喜んでいるところだろう。――本来なら。

 一歩、また一歩と進んで行く。――校舎の外にではなく、より内部へと向かって。

 そしてそこに、自分の意志は絡んでいない。――まるで人形の様だ。

 次から次へと自分の身に起こる不思議現象。

 恐怖を通り越し、絶望に支配されようとして――

 

(南雲くんッ!)

 

 ――中学生だった(あの)時に見た南雲ハジメ(おもいびと)の姿が脳裏に浮かび、香織は踏み止まった。その心に持つ、小さいけれど確かな火を消さなかったのだ。

 

(……確かに怖い。それに何が出来るかも分からないし、何も出来ないかもしれない。……けど、諦めちゃったらそこで終わりなんだッ!)

 

 恐怖を認め、それでも最後まで諦めない様に自分を叱咤する。

 その瞬間、どこからか声が聞こえた。男のものとも女のものとも判別出来ない、不思議な声。

 声は告げる。目醒めよ――と。

 

(身体が、熱い……。だめ、意識が……)

 

 その心とは裏腹に、視界へ迫る光に飲まれて香織は意識を失った。

 

 ♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢

 

 香織が校舎内で意識を失って少し経った頃。

 八重樫雫と神夷京弥の姿が高校前にあった。香織やハジメと同じく、二人もまたその意識に干渉を受けたのだ。

 当然の如くアッサリと対抗した二人だったが、その目的が――凡その推測は付けているにせよ――不明だったために、敢えて誘いに乗ってやって来たのだ。言わばオマケである京弥とは異なり、メイン対象である雫の方は干渉してくる力にどこか下卑たものを感じたのも誘いに乗った一因となる。

 意識への干渉が一回だけであったのなら、二人もそこまで気には留めなかった。

 基本的に力の行使とは遠方であればあるほど、その精密性は下がる。大雑把になる、と言い換えてもいい。

 氣を知る二人は隠匿のルールも当然知っている。

 対象者を見つけた干渉者がその力を行使したが、距離があったためにその精密性が下がり、近場にいた自分たちも巻き込まれた。……簡単に対抗出来る程度の力だった事もあり、最初、二人はそう判断したのだ。

 その判断を覆さるを得なくなったのは、断続的に干渉が続いたからだ。

 呼ばれる心当たりはないが、こうも干渉してくるのならば、こちらに用事があるのだろう。ならば誘いに乗ってやる。正直に言ってウザったいし。

 速攻で片を付けることを望んだ京弥だが、雫がそれに待ったをかけた。

 

「相手はこちらを一般人と思っている可能性が高いわ」

「あん? て-と“独覚”ってことか? チッ、面倒くせぇな」

 

 無意識に力を行使する者が何らかの拍子にその力を自覚し、その後も師を持たず力の行使を続ける場合がある。こういった存在を独覚と評する。

 経緯が経緯であり、自然と隠匿のルールも知らない以上、その対処は面倒なものとなる。

 基本的に一般人を巻き込んではならない。この最低限の不文律すら守られていない事が多いのだ。

 断続的に干渉してくる以上、その力を追うことは容易い。速攻をかけることも十分に可能だ。……が、速攻をかければ、こちらの実力の一端を相手も認識してしまう。必然的にその後が面倒になる。逃げるだけならまだマシで、巻き込まれた一般人がいた場合は当然の如く人質に取ってくるだろう。いざともなれば人質を気にせずに仕留める覚悟はあるが、好んで取りたい手段ではない。

 独覚は総じて力に溺れて慢心する傾向が高い。自然と馬脚を現し、問題が大きくなる前に対処されることが大半だ。

 しかし、中にはそうでない者もいる。力に溺れず慢心しない者も極稀にはいないわけではない。だが、自分がコトを起こしていることがバレないことを念頭において後は好き勝手に振舞う者の方が圧倒的に多いのだ。

 バレないことを念頭に置く程度の理性はあり、それでいて力の行使に忌避感を覚えない程度には狂っている。

 理性と狂気の同居人。人間の姿を取った一種の怪物――すなわち魔人。

 言ってしまえば雫も京弥も魔人であるが、それは適切な師の下での教えがあったればこそ、という点も大きい。

 力の大小ではなく、独自に目醒めておきながらその境地に至っている、という事実の方が厄介なのだ。

 理性があるから知恵を働かせる。その一方で狂気を持つから、下手に追い詰めると何を仕出かすか分からない。

 このテの相手はギリギリまで追い詰めない方が良い。上手くいっていると慢心させ、こちらの射程内に入った瞬間、一息に仕留める。

 雫にしろ京弥にしろ、剣を習い、力を教わる過程で、一種の線引きは出来ている。人間相手ならば殺せないし、殺さない。だが魔人が相手であるならば、殺すことに躊躇いはない。

 自分の手が血に汚れる現実(きょうふ)と放置することで大切な者が穢される可能性(きょうふ)。より恐ろしいのはどちらか。

 剣を修める過程――正確には法神流を教わった際だが――において、それは既に問われ、答えを出した道だ。既に覚悟は出来ている。

 

(当時は悪趣味と思ったものだけど、今となっては感謝しかないわね……)

 

 巻き込まれた者がいなければいい、という僅かな希望。いたとしても心身の傷跡が少なければいい、という願い。

 それらを抱いてゆっくりと歩を進め、二人は高校へと辿り着いた。

 

(あら? 奇遇、な訳はないわよね……)

 

 そこで対面から歩いてくる者たちの姿を認めた。

 緋勇龍真、九角天誡、清水幸利、谷口鈴、比良坂恵里。ウィステリアで別れた面々との、あまりにも早い再会だ。遠藤浩介の姿は見えないが、いないとも思えない。おそらくは氣殺でもしているのだろう。彼が氣殺をした場合、その姿を捉えることは非常に厄介だ。付き合いが長くなれば話は別だろうが、今現在の雫では、目の前でやられてどうにか、といったレベルだ。

 彼らの正確な実力の程は正直に言って分からないが、それでも最低限の目星を付けることは出来る。ならば、自分の意志で来ただろう事は間違いない。

 おそらくは彼らもまた自分たちと同じような判断をしたのだろう、と雫が考えるのは至極当然だった。

 

(いえ、ちょっと待って?)

 

 そこで、一つの恐怖が雫を襲った。

 先ほど別れた面々とのあまりに早い再会。……であるならば、あと二人、その姿があってもおかしくはない。

 しかし、どこにも白崎香織(しんゆう)南雲ハジメ(そのおもいびと)の姿は見当たらない。

 自分たちとあの二人の違いは氣を知るか知らないか。そして知らない二人であれば、とっくに呼び込まれていても不思議ではない。

 それでも、所詮可能性は可能性でしかない、と雫は自分に言い聞かせ、理性を留めていた。

 

「ひゅ~ッ、方向性は違うけど、さっきの娘に負けず劣らずの可愛い子ちゃん揃いじゃん?」

「高校生かぁ。一人ロリロリしいのもいるけど、これはこれでアリだな」

「はぁ、幹部の方たちが羨ましいぜ。黒田さんも、たまには俺等に一番に喰わせてくれねぇかなぁ……」

 

 校舎からやって来る、一目で社会不適合者と分かる面々。

 こちらの意識が無いと思っているのだろう。口々に好き勝手な事を言っている。

 貴重な情報であり、焦る気持ちを抑えて聞いていた雫だが、聞き逃せないセリフがあった。同時に我慢の限界でもあった。

 

「ごめんなさい。先に行くわ」

 

 一言謝り、その身を風と奔らせる。ここまでくれば仮定独覚者がどこにいるかは十分に分かる。わざわざ律義に校舎内を辿る必要もない。

 雫は外壁を駆け上り、そのまま窓をぶち破って入っていった。いわゆる“ダイナミックお邪魔します”である。

 

 ♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢

 

「行ったか……」

 

 雫を見送り、天誡がポツリと呟いた。

 彼女の行動は十分に理解出来る。おそらくは抱いていたであろう懸念が、その実懸念ではなかったとあれば、一目散に駆け出すのは何もおかしくない。親友同士だというその関係を思えば、至極当然と言えるだろう。

 無論、そういった懸念は天誡も抱いていた。だからこそ、ここに向かうのを決めた時点で既に浩介を先行させている。既に餌食となった者を救うのは難しくとも、これから毒牙にかかろうとしている者を救う事ならば出来る。

 割合的に、こういった事象に巻き込まれた場合――理由は様々なれど――結果的に力に目醒める者は多い。ならばハジメと香織も目醒めないとは言い切れない。そのためギリギリまで様子見をするだろうが、浩介ならば十分に防げるだろう。

 

(いや、むしろ……)

 

 もしかしたら、ハジメは既に目醒めたのかもしれない。

 先ほど、ここからそう離れていない場所で唐突に力を感じた。他に気付いている者がいるかは分からないが、少なくとも天誡は感じ取った。加えて眼前の輩の言葉から考えるに、直近でこの場に来たのは少女が一人。

 ウィステリアで別れてからの間で、ハジメが無意識に力を使っている事は幸利から聞いている。

 ならば、この状況下においてハジメが力に目醒めたと考えてもおかしくはないだろう。

 

(まぁそれも、直近の少女が白崎であった場合だがな……)

 

 あくまで現時点で分かる情報からの推測でしかない。

 

「……あん? まさかコイツら、幹部の方々と同じ……?」

 

 そうこうしている内に、目の前の不良たちが雫ショックから回復してきたようだ。

 また、いつまでもここでこうしているわけにもいかない。

 

「さて、こちらも早々に後を追わねばならん」

「邪魔をするな、と言っても無理だろうしね」

「いくぜーーッ!」

 

 不良のお片付けが始まった。

 数だけは多いが所詮はそれだけ。相手が力を持たぬ以上、氣を練った技を使う必要もない。……下手をすれば死んでしまうため、使うわけにはいかない、と言った方が正しいか。

 それでも皆が皆、問題なく対応していた。

 剣を得手とする京弥と天誡だが、かと言って無手が出来ないわけではない。龍真や浩介など本職には及ばずとも、この程度の相手ならば十分に相手取れる。

 その本領を降霊術とする恵里だが、その王子様は風祭流古武術を得手とする浩介だ。初歩の技や最低限の体捌きは教わっている。ゆっくりとではあるが、着実に掌打を叩き込んでいる。

 傀儡師たる幸利は、人形繰りで培ったその糸術でもって相手取る。人形作りに精を出しているとはいえ、元々がアニメ好きである。またバトル要素の入った作品では、糸を武器とするキャラクターがいないわけではない。それらを参考にして磨き上げた技を繰り出していく。

 この中では一番背丈の低い鈴だが、その動きに淀みはない。いつの間にやら取り出し両手に握っていた扇子で的確に払い、打つ、その姿は、まるで舞を踊っているかの様である。

 そして龍真。陽の龍の技、緋勇流古武術を修めるだけあって、仕留める速度は他と段違いだ。時に打ち、時に投げ、時に震脚でもって怯ませ回し蹴りを食らわせるその姿を見れば、正に一撃必倒の体現者と言えるだろう。

 

「それでは後を追うとするか」

 

 数分と経たずこの場の不良全員を伸した一行は、校舎内へと進んで行った。 

 

 ♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢

 

「……ここは?」

 

 香織が再び意識を取り戻した時、またも別の場所にいた。

 

「お目覚めかな?」

 

 詳しい状況を認識する間もなく声がかかった。見知らぬ男の声だ。

 その後、まるで状況を理解させるかの様に、香織の頭がゆっくりと左右に動いた。操り人形状態はどうやら変わっていないらしい。

 不満を覚えることもなく、そういうものだと受け入れて、香織は状況の確認に努める。どうとでも出来ること(・・・・・・・・・・)は後回しにしても問題ない。知るべきことを見逃す方が問題だ。

 場所はどこかの教室。ほぼほぼ伽藍堂だが、物がないわけではない。

 窓に凭れ掛かるように男が一人。窓の外に見える景色から、おそらく三階以上だと判断する。

 少し離れた机に男が一人。声をかけてきたのはこの男らしい。取り繕ってはいるが、優越感が隠しきれていない。自分を見下すその笑みが雄弁に物語っている。

 廊下側の机に男が一人。こちらに下卑た視線を遣しながら、その腕に抱く気絶した女性の体を弄っている。女性に対しても見覚えはない。自分と同じようにして、ここに連れ込まれたのだろう。可哀想だとは思うが、やはり後回しにせざるを得ない。

 その横に更に少年が一人。目には映らぬが、確かにいると分かる。その身の熱――体温――が教えてくれる。分かり易すぎる特性から見知った顔だと判断。彼の性格と話に聞いた腕前から考えれば、女性の安全は確保されたも同然だ。行動に移さないのは自分を気遣ってのものだろう。

 そして自分は、本来ならば教卓と黒板がある場所の間。自分の横に男が一人。

 

「まぁ、状況は理解してもらえたと思う。君の他にも何人か呼んでいる最中でね。もう少しで楽しいパーティーというわけだ」

 

 クツクツ、と笑いながら言う男。

 

「楽しいのは貴方たちだけでしょう? それに“取らぬ狸の皮算用”って知ってますか?」

 

 それを受け、香織は強気に言い返した。本当ならば嘲笑もオマケでつけてやりたかったが、今はまだ身体の自由が利かないため無理だった。

 

「ハッハッハッ、そうこなくちゃ。そうでないと面白くない。屈服させる愉しみがない」

 

 やはり、脆い。香織はそう思った。

 普段はどうだか知らない――知りたいとも思わない――が、今の男は慢心している。自分の思い通りに事が運ぶと信じ切っている。

 それが砕けるまであと僅かしかないとも知らずに。

 理由こそ不明だが、今の自分にはそれが分かる。想い人と長年の親友が今にもここに到着する事実を、その熱が教えてくれる。校舎の中ではなく外からというのが解せぬところではあるが、こんな状況では不思議現象の一つや二つ増えたところでどうという事もないだろう。

 

(四、三、二……)

 

 ゼロ、と香織が心中で数えると同時――

 

「香織、無事ッ!? 邪魔よ、水月斬(すいげつざん)!」

 

 ――八重樫雫(ながねんのしんゆう)窓をぶち破って登場(ダイナミックエントリー)し、即座に傍にいた男へと鋭い足払いを見舞う。あまりの威力に、食らった男は回転して頭から床に落ちる。……物のついでとばかりに打ちのめされた窓際の男が、哀れと言えば哀れではあった。

 

「ッ!?」

「うん、大丈夫だよ雫ちゃん」

 

 驚く男たちを余所に、香織は笑顔で頷いた。

 

「これがお前の鎮魂歌(レクイエム)だ。……昇龍脚(しょうりゅうきゃく)!」

 

 間髪を入れず、気配を消していた浩介が動く。女を弄んでいた男へと叩き込まれる蹴り上げ。威力は絶大で、食らった男の頭は天井を突き抜けている。

 

「出遅れた様だけど、まぁ何とか間に合ったかな? ジャックポット!……てね」

 

 そしてハジメ。いつの間にやら香織を左腕に抱くようにして現れ、右手に持ったおもちゃの銃口を傍らの男へと向けている。銃口を向けられた男が反応する間もなく引き金を引くこと数回。風が弾丸となり連続で男を襲う。威力と衝撃に押され、男は吹っ飛び壁にぶつかって崩れ落ちた。

 風を操るその姿を見れば、屈折率を変える事で姿を消して接近したのだろうと分かる。いわゆるステルス迷彩だ。

 

「……ハッ、成程。どうやらこの俺が、黒田重治ともあろう男が慢心していた様だ。それは認めよう」

 

 目まぐるしく変わる状況。

 次々と部下が倒れ、残るは自分のみ。その現実を理解して、なお黒田は強気に笑った。

 

「だが、残念だったな。その女の自由は俺の手の中だ。俺に危害を加えるなら、舌を噛み切らせるのも吝かじゃないぜ?」

 

 それこそが黒田が強気でいられる理由だった。現実として香織の身体の自由は、未だ黒田の力の支配下にある。

 

「そちらこそ残念でしたね? 言ったでしょう、取らぬ狸の皮算用……と。奪ったのが身体の自由だけだったのは失敗でしたね?」

 

 しかし、その現実を他ならぬ香織自身が否定した。

 次いで、香織と、浩介が助けた女性の身体が炎に包まれる。

 

「うわッ!? ……て、あれ? 熱くない?」

 

 香織を抱くハジメが驚くが、言葉通りにその炎は熱くなかった。

 それでもその効果は十全に発揮され、すぐに分かり易い形で示された。

 まるで炎を払うかの様に香織の手が動く。それに合わせて炎が消える。……黒田の呆けた顔を見れば、この動きに関与していない事は十分に分かった。

 炎によって黒田の呪が焼かれたのだ。浄化の炎と言ったところか。

 

「さて、それで……どうしますか?」

 

 小首を傾げ、その頬に人差し指を当てる可愛らしいポーズで――しかしその表情(かお)には嘲笑を浮かべて――香織は黒田に問いかけた。

 対して黒田は呆気に取られている。信じられない、といった表情だ。無理もないだろう。この状況下において、黒田が唯一強気でいられた根拠がアッサリと無くなってしまったのだ。

 黒田とて武道の心得はある。武道という名の暴力でもって部下を作ってきたのだ。振るうことに躊躇いはないし、実績がそれを証明している。しかし、その事実もこの状況下では何の救いにならない。

 黒田の能力は催眠術に代表される操作型であり、能力の研鑽は専らそっちの方に費やしてきたのだ。長所を伸ばすのは間違った判断ではないが、その一方で身体の方は動きが鈍らない程度にしか鍛えていない。維持しているだけ何もしていないのよりはマシだが、現状ではなんとも心許ない。

 実際、純粋な身体能力や威力といった点では、それ担当の部下の方が高いのだ。それでも黒田に従っているのは、武道を学んでいた分黒田の方が身体の動かし方に理解があったこと、女という実利を与えていたこと、この二つの事実に尽きる。

 だが、部下は誰も彼もがアッサリとやられ、その際の動きも自分では及びようがないほど練度が高い。特に窓をぶち破ってきた女と、蹴撃を繰り出した男は別格だ。

 おもちゃの銃を撃ち込んだ男は動きという点ではそれほどでもないが、その能力が分からない。いきなり現れたタネもそうだし、どうすればおもちゃの銃で吹き飛ばせるというのだ。男自身の能力か、銃の方にも細工があるのか。……想定の取っ掛かりが多すぎて、逆に予想がつかないのだ。

 数だけで考えても一対四という否定しようがないほどの不利。その中で唯一存在していた――逃走なり逆転なりへと続く――救いの一手。

 それが、そんなものは自分の妄想でしかない、と言わんばかりに消えてしまったのだ。他ならぬ、操っていた筈の少女自身の手によって。

 身体能力でも敵わず、頼みの能力も無効化されるとあれば、最早黒田に成す術はない。

 自由が消えてしまう(・・・・・・・・・)

 久しく味わっていなかった絶望が黒田を襲い――

 

「ほう……。どうやらほぼ終わりの様だな」

 

 ――更なる絶望が押し寄せた。

 新たな役者の登場である。緋勇龍真、神夷京弥、九角天誡、清水幸利、谷口鈴、比良坂恵里……校庭で不良を片付けた面々が、このタイミングで到着したのだ。

 

「さて、お前が黒田重治だな? ここに着くまでの間、お前の部下や餌食とした女性たちからその所業は聞かせてもらった。……情状酌量の余地はない。そして警察機構に委ねるつもりもない」

 

 天誡が静かに告げる中、彼を中心として浩介、幸利、鈴、恵里がその氣を高めつつ徐々に立ち位置を変えていく。

 

「我、九角天誡の名の下に、貴様をここに討滅する。……そう、我らは鬼道衆! たとえ外法を用いても外道を討つ事を理念とする存在なれば、断じて貴様を見逃すわけにはいかぬッ!」

 

 かつて幕末の折、人知れず存在した鬼。その末裔が統率者の号に従い外道へと牙を剥く。

 

「おいおい九角、こっちをほっぽって盛り上がるんじゃねぇよ」

 

 それを聞いて黙ってられないのは京弥だ。黒田の所業に腸が煮えくり返っているのはこちらも同じである。そして今しがた彼らが名乗った鬼道衆というその名前。……二つの意味で黙ってはいられなかった。

 

「お前らが鬼道衆、すなわち鬼の末裔だってんなら――」

 

 言いながらも、京弥は窓の方へ足を進め雫と並び立つ。

 

「――私たちは龍の末裔、龍閃組! ただそこで平和に生きる人たちの命と財産を護る事がその理念。……故にこそ、こちらも黙って見ているわけにはいかないわッ!」

 

 龍の末裔もまた、邪妖滅殺と牙を鳴らす。

 

「南雲、白崎、君たちはどうする? この場に残るもここで引き返すも君たち次第だ。俺たちは彼を見逃すわけにはいかない。率直に分かり易く言えば殺す。……だが、こうしてここにいるとは言え、君たちは巻き込まれた身だ。後で力についてなど聞いてもらう必要はあるが、今ここで最後まで付き合う必要はない。酷だしね」

 

 その一方で龍真がハジメと香織に問いかける。その内容は優しくも厳しい。

 巻き込まれた当事者としてこの場に残れば、最後まで己自身で見知ることが出来るだろう。だがそれは殺人行為への直接的な加担に等しい。たとえ見ているだけだとしても、心には苦いものが残るだろう。

 反対にここで引き返せば、結末は人伝いに聞くしかない。おまけに殺人行為への間接的な加担であることに違いはない。直接じゃない分いくらかはマシだろうが、やはり心に苦いものが残るだろう。

 どちらを選んでも、後悔することに変わりないだろう。

 ハジメと香織は互いに見つめあい、同時に頷き――

 

「残るよ」

「残ります」

 

 ――結末まで見届けることを宣言した。

 

「どっちにしたって後悔はするんだろうけどね。僕はもう非日常な(こういった)世界がある事を知ってしまったんだ。それだけならまだしも、僕自身もまたそちらの住人足り得るんだ。なら、あとはもう遅かれ早かれの話でしかない。こうして巻き込まれた以上、背を向け続けたって無駄なことは証明されているわけだしね」

「生きている以上、人間(ひと)は必ず誰かを――度合いはともかくとして――傷つける。あとはその自覚があるかどうか。そして覚悟があるかどうか。……私はもう選んでるんです。その結果の炎です。なら、傷つける度合いが想像以上だったから、と目を背けるわけにはいきません」

 

 二人がそれぞれの理由を告げる。

 

「それに、ここで逃げたら幸利の親友だとは自分で思えなくなるしね」

「それに、ここで逃げちゃったら雫ちゃんの親友だと胸を張って言えませんから」

 

 そして最も重要な理由を述べた。言葉は違えどその内容は同じ。

 親友に恥じない自分でありたい。……ただそれだけだ。

 日常のルールの下でなら、目を背けても問題はない。むしろ止めるべきだ。だが、既にここは非日常なのだ。ならば非日常のルールが機能しており、幸利も雫もそれに即して行動しようとしているのだ。

 ここで引き返してしまえば、僅かなりと自分の心を守るために、二人へのより深い理解を放棄する、ということだ。……親友という言葉が、途端に陳腐なものに成り下がる。

 ハジメと香織はそれを嫌ったのだ。

 肝心な部分で目を背け、それでどうして親友と言えようか。二人の言葉からは、そんな想いが読み取れた。

 

「……そうか」

 

 微笑を浮かべ、感慨深げに天誡が頷く。

 話を変えるように、さて、と口を開いた。

 

「当初、鬼道衆と龍閃組は互いに敵対していたという。だが、時代の陰に潜む邪悪を相手取るに当たり、時の黄龍の器、緋勇龍斗(たつと)を中心としてその手を取り合った。そして今、奇しくもここに緋勇がいる。ならば――」

「――再び緋勇を中心として手を取り合うか。まぁ、元より敵対する気もねぇがな。……名前はどうするよ?」

「僕たちは学生だ。なら、それにちなんだ名前はどうかな? (クラブ)だとゴロが悪いから、生徒会とか委員会みたく鬼龍会なんてどう? 鬼と龍の集う会は新入生を歓迎します! て感じかな。……まぁ、新入生に当たる僕が言うのもどうかと思うけどね」

「その場合、俺が会長になるのか? まぁ構わんが、殆ど副会長に投げるぞ? それぞれ鬼担当、龍担当、新入生担当な?」

 

 天誡、京弥、ハジメ、龍真の順に口を開く。

 そのやりとりは中々に軽妙だ。龍真は笑って天誡、京弥、ハジメを指差し、差された方も笑って受け止める。……香織の方も女性陣とおしゃべりしている。

 状況にそぐわぬ和やかな雰囲気。しかしその一方で、誰も真に氣を緩めてはいない。――緩められる筈もなかった。

 先刻からずっと沈黙している黒田の陰氣が度を越して高まり続けているからだ。それは物理的な力を伴うプレッシャーとして押し寄せている。

 軽妙なやりとりは、ハジメと香織を呑まれさせないために行っているのだ。過ぎた緊張は行動を阻害するが、これから起こる事を考えれば、それは瞬く間に死へと直結する。無論、むざむざと殺させるつもりもなければ、殺されるつもりもない。しかし絶対とは言い切れない。

 ハジメと香織も何となく理解しているからこそ、素直にノッているのだ。

 そして――

 

「俺の自由を奪わせてなるものか……。■■■■■■■ーーッ!!」

「……変生したか」

 

 ――声にならぬ咆哮(さけび)を発し、黒田重治だったモノ(・・・・・)はその身を鬼へと変えた。

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