アンカジに用意された攻略組の拠点は、没落したとはいえ貴族の館である。現在使用中の攻略組に訪れた面々を加えても収容出来るだけのスペースは優にあった。……まあ、備え付けの家具や設備を除き、それ以外の大半が撤去されているのも一因だが。お決まりと言っていい絵画の類はなく、ソファやベッドも最低限。全体的に見れば伽藍洞な印象が強い。
さて、別行動を取っていた各々がここ最近は何かしらと忙しかった。“宝物庫”を利用した情報交換も滞る始末である。まあ、連絡があったことを知らせる電話やメールと異なり、“宝物庫”を介したやり取りは受け手側にもある程度の余裕が求められる。取り出す方法は二種類。取り出す物を明確にイメージするか、リストから指定するかだ。情報交換においては必然的に後者となる。日々の中で“宝物庫”を利用しリスト指定することもあれど、状況次第では目当ての物以外に目が向かないことなど珍しくもない。
なので、攻略組にとっては別行動をしていた面々が訪れるのは青天の霹靂であった。当然の如く歓迎はしたが、いざ寝る段になって問題が発覚した。……寝具不足である。攻略組に幾らかプラスした分くらいはあるが、流石にこの人数全員を賄える分は存在しなかった。
新しく増えた面々の紹介や旧交の温め、情報交換やこれからについてなどを話し合えば、時間はあっという間に過ぎる。気付いた時には既に深夜帯。『また明日』と分かれた後でのこの有様だ。当然ながら店はとっくに閉まっており、今からの補充など出来るわけがない。
「まあ、今日のところは仕方ないだろう。泊めてもらう俺たちだって、先入観に囚われて誰一人気付かなかったんだ。文句を言える立場でなし、日が昇ってから買いに行けば良いさ」
「……ですね。幸いと言っていいかは分かりませんが、トータスでは野宿など珍しくもありません。旅道具の中にはシーツ類もありますし、今夜はそれを用いましょう」
「スマンな。そう言ってもらえると助かる。普段俺たちが使っているベッドでも良ければ、女性陣はそれを使ってくれ」
光輝、亮、そして天誡。それぞれのグループにおける代表者がそう言えば文句を言う者はいない。……まあ、元から文句など上がらなかったが。上がったのは『寝具ねえの?』とか『寝具足りなくない?』といった疑問が精々である。現代日本人も異世界に揉まれて随分と逞しくなっていた。
♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢
「すまない、待たせたか?」
「いえ、わざわざお呼び立てして申し訳ありません」
「気にするな。互いに軽い自己紹介をしただけだが、だからこそ何となく用件の想像はつく。……実際、お前が誘わなければ、俺の方から誘っていただろうしな」
少々慌ただしかった一幕の後。誰もが寝静まった時間帯。美しい夜空が照らす――広さはあれど、“彩”という点では――庭とも呼べぬ庭に二人の人物の姿があった。髪色も、年頃も似通った少年少女。見る者によっては、顔立ちもどことなく似ていると捉えるだろう。性別の他に明確な違いがあるとすればウサミミの有無。
人間と兎人族のハーフである少年――アステル。
純血たる兎人族の少女――シア。
生まれ、立場、環境……自己紹介で軽く触れたそれらに対し、気になって仕方がないのは互いに同じ。とはいえ、話の都合上どうしてもデリケートな部分に踏み入るだろう事は簡単に想像がつく。あまり大っぴらに話すような事でもないし、余人を踏み入れさせたくもない。……必然的に、二人だけで話せる機会を狙っていたのだ。なおガハルドがハブられているが、シアの心情を鑑みれば当然である。
「まずは改めて自己紹介を。【ハルツィナ樹海】はフェアベルゲンを居とする兎人族『ハウリア』の族長カムと、同部族モナの娘、シア・ハウリアです」
「丁寧な挨拶痛み入る。元ヘルシャー帝国皇帝ガハルドとその側室、兎人族はミラ・ハウリアの子、アステルだ。ファミリーネームは、どうなるんだろうな……? 親父殿が皇帝を辞めた以上はヘルシャーを名乗れんし、かと言ってミドルネームの正式名は聞いたことがないし……。お前はどう思う?」
厳かな空気の下で始まった自己紹介は、しかし途端にグダグダとなった。
まあ、それも無理はないだろう。基本的にアステルは名前しか名乗らない生活を続けていた。帝国にいた時からそれは変わらない。ヘルシャーを名乗ることは許されていたが、環境もあって自粛していたのだ。名乗れば面倒事が降りかかる。その対象が自分だけならば名乗るに遠慮はしなかったが、家族に降りかかる可能性があっては名乗る必要性は薄い。
そんな生活を続けていた中で、ガハルドが皇帝を辞した。『ヘルシャー』はあくまでも時の皇帝と、その血筋にある者のみが名乗ることを許される。今の状況では、アステルがヘルシャーを名乗ることは許されないのだ。
アステルとしてはそんなルールに遠慮する理由などないのだが、生憎と帝国には愛着など微塵もない。義兄弟義姉妹の顔を思い浮かべれば、わざわざ好き好んで名乗りたい名前でもない。なので、今の今まで名字を気にしていなかったのだ。
その一方で、礼儀には礼儀を以て返すのが筋であり、基本的にアステルは筋を通すことを心掛けている。面と向かい礼節を以て名乗られたのならば、こちらも礼節を以て名乗り返さないわけにはいかない。
必要のなかったことが急遽必要となり、それゆえに発生した問題だった。母の名字である『ハウリア』を知ってはいたが、樹海に赴いた際、早々にフェアベルゲンを辞したこともあり、族長であるカムから『ハウリア』を名乗る許可を得てはいないのだ。血筋的に資格はあるとしても、そんな状況で『ハウリア』を名乗ることなど許されまい。
「いや、それを私に訊かれましても……。まあ、ハウリアで良いと思いますよ? 私たちのファミリーネームは基本的に部族で統一ですし、ハウリアの血を継いでいる以上、父も貴方を同胞と見なすでしょうし……」
「そうか、ならばアステル・ハウリアだ。よろしくお願いする」
「はい、よろしくお願いします」
そんなアステルの気質を知ったわけではあるまいが、このままでは話が進まない。見兼ねたシアが理由をつけて『ハウリア』を名乗る許可を出す。
族長の娘が許可を出すなら否やはない。これ幸いとアステルは『ハウリア』を名乗ることにした。
そして互いに握手を交わせば、当初の緊張などどこかに吹き飛んでいた。
「ふぅ……。一応、気を張ってはいたんですけどねぇ」
「さもありなん。だが、結果としては良かろうさ。礼節も必要だが、本題は互いに互いを理解しあおうという点にある。……少なくとも、俺はそう認識している。飾った言葉で、何を分かり合えようか」
「……ですねぇ」
礼儀、礼節。言い方を変えれば、それは“鎧”である。……少なくとも、『ありのままを隠す』という部分では否定出来ないだろう。
一概にそれが悪いとは言えない。言える筈もない。同種にして別個たる存在が蔓延る以上、必然的にコミュニティが創られ、応じてしがらみやら何やらが増える。単純明快にはいかず、総じて世の中とは面倒だ。
未熟とはいえ幼き子供ではない。二人もそれは理解している。普段であれば、そこまで気にすることもない。
だが、目の前の相手に限っては事情が異なる。ふとした拍子に出逢った、自らとは似て非なる存在。その立ち位置が微妙に絶妙過ぎて、どうしてもどこかおかしな部分が出てしまう。
シアの場合は特に顕著だ。亜人族が帝国に捕まる=奴隷である。それが常識と化しているのだ。そんな状態で帝国人と――しかも当時の皇帝との間に子を成せる者が出てくるなど思いもしない。思える筈もない。有体に言って“悪”と認識していた
嬉しくもあるが、自分の世界がガラガラと音を立てて崩壊したのもまた事実。すんなりと呑みこめるほど、シアは人生経験が豊富ではない。
知りたい。――知りたくない。
知ってもらいたい。――知られたくない。
信じて良いのか? ――信じてもらえるのか?
全体の自己紹介において相手の簡単な素性を知った時から、相反する感情がグルグルと渦巻いている。それでも、自ら一歩を踏み出したあたり、十分に気丈であるだろう。
渦巻き具合はアステルも同じようなものだが、シアとは異なりステップを踏んでいる。樹海にも赴いたし、母の同胞にも出逢った。その際に族長の娘が“神の使徒”に同行していったことも聞き及んでいる。流石にここで逢うことになるとは思いもしなかったが、ある程度の心構えは出来ていたのだ。シアとの違いがあるとすればそこで、その違いがある種の“余裕”として現れていた。
シアの緊張を見て取ったアステルは――話の流れや個人的な理由もあったが――名字のくだりを投げかけることで強制的に取っ払ったのだ。
上手くいく保証はなかったが、確率は高いと踏んでのことだ。出逢ってから数時間は相手を見る猶予があり、その間に他の相手に対する態度も目にしている。根が善良である事を理解するには十分だ。それらの対応が演技でない限り、如何に緊張していようとも無視されることはまず在り得ない。親身に考えてくれる可能性の方が高い。
結果、思惑通りに事は運び、シアは変な緊張から解放されたのだ。
「率直に訊きますけど、貴方にとってガハルド先帝は、帝国とはどういう存在ですか?」
それこそが、何よりもシアの知りたいことだった。
お互いを理解し合うといっても、そう簡単に出来ることではない。しかし、それが一部分、特定分野に関してならば話は異なる。
樹海に引き籠る生活をしていることからして、基本的に亜人族の世界は狭い。そこに部族の違いはない。例外と言えるのは、王国の庇護を受けてエリセンで暮らす海人族くらいのものだ。……その都合上、お互いに交流などはないが。
元より狭い世界で暮らしていたシアだ。流れの中で樹海を飛び出し外の世界で暮らすようになったとはいえ、その根幹を支えるのは樹海での生活である。生きるためにも、目的を果たすためにも、強制的に外の世界を知り、慣れることを迫られているのが現状だ。
まあ面子が面子であるためか、相対的には短い時間ながらも『非常に適応している』のは自他共に認めるところである。
そんなシアにとって、突如として目の前に現れたガハルドとアステルの存在は劇薬そのものだ。
人が一面だけで成り立っているわけでないのは理解している。だからと言って『はい、そうですか』と受け入れられる筈もない。
シアにとって帝国とは、部族を問わず樹海の同胞を連れ去る“悪”である。
役立たずと判断すればいとも簡単に殺し、働き手と判断すれば奴隷として劣悪な環境で酷使する。そんな風に人を人とも思わぬ扱いをしておきながら、森人族や兎人族の見目麗しい女であれば犯すことにも躊躇いはない。……真偽はともかく、それが樹海における帝国評だったのだ。
帝国の先帝である以上、当然ながらガハルドはそれを容認していた筈で、にも拘わらず連れ去った兎人族を側室として迎え入れた挙句に子まで成している。お話に聞くような『形だけの家族』ではなく、互いに確かな情を向けているのも確認した。――してしまった。
己を取り巻く世界が狭ければこそ、構成する要素も自然と少ない。だからこそ、シア自身の性格もあるだろうが、殊の外すんなりと受け入れられる余地があり、実際に受け止めることが出来ている。
だが『帝国』は狭い世界、少ない要素の中にも確かに存在している。それを信じるならばガハルドの行動はあり得ず、アステルが存在する筈もない。――しかし、現実としてアステルは存在しており、ガハルドの行動も肯定せざるを得ない。自身の感覚が、『アステルは同胞だ』と訴えかけているのだから尚更だ。
生きている以上、シアとて必要とあらば自分に嘘をつき、誤魔化す。……自分を護るためにも。
だから、やろうと思えば今回も自分を誤魔化すことは出来る。アステルは同胞ではない。そう感じるのは何かの間違いだ……と。
しかし、それにも限度がある。相手もこちらを意識している以上、長続きなどするわけもない。遠からず向き合う必要が出てくるのだ。
それに環境と経験から“愛”と“優しさ”を絶対視するシアは、だからこそアステルの存在を否定出来ない。一般的に子供とは“愛の結晶”だ。アステルを否定することは自分の信条を否定するも同じである。
ならば、否が応でも向き合わなければならない。知らなければならない。
そして個人が相手であれば、まだ向き合える。同胞たるアステルが相手であれば尚更に。恐怖は有れど、言葉を信じることにも否はない。
帝国で生まれ育った、異質なる同胞。その言葉を介し、帝国への、ガハルドへの、そして他ならぬアステルへの理解を深める。……シアの問いはそれ故のものだ。
「……フム、中々に難しい問いかけだな。改めて訊かれると答えに迷う」
アステルは顎に手を当て、暫し考え込む。
一分か、十分か、それとも一時間か。待つ方にとっては威容に長く感じられる時間が経過した後、アステルは口を開いた。
「帝国についてから答えよう。まあ基本的に俺は帝都でしか暮らしていないので、どちらの答えもそれ故の贔屓目、偏りがあるのは了承してくれ」
「分かりました」
「家族総出で国を出た以上、帝都に関しては住人含め愛着などないな。『母親が亜人族』というだけで、随分とまあ侮蔑の視線や言葉を向けられたものだ。そのくせ『父親が皇帝』であるからこそ、直接に刃を向けてくることもない。冒険者として他のグループと仕事に当たった時は囮として使われ殺されかけたよ。まあ泣き寝入りする理由もなし、逆に仕留めてやったがね。総じて『実力至上主義が聞いて呆れる』と言わざるを得ない。義兄弟義姉妹もそれは同じだ。戦闘力だけなら目を見張る者もいるが、人格やら何やらを鑑みれば最底辺の一言に尽きる。
冒険者ギルドの職員には世話になったが、思い入れのある人物などその程度。そのギルド職員にしたって、組織としては中立なので“帝国”に含むのは違うだろう。
ただ、闘士の町ゼノスについては一度行ってみたいと思うな。聞いた話でしかないが、主義の反映内容が異質なんだそうだ。条件さえ満たせば、亜人族だろうと何だろうとゼノスにおける発言力を得られるとか」
凪いだ瞳。淡々とした言葉。それだけで帝都と住人に対するアステルの心情を慮ることが出来る。すなわち、徹頭徹尾、生まれ故郷をどうとも思っていない。半分とはいえ血を分けた兄弟姉妹に対しても。
その一方で、ギルド職員やゼノスについて語る時には確かな感情、興味が見受けられた。
「親父殿については難しいな。帝国という巨大組織の頂点に立てばこそ、受けられた恩恵、縛られた事柄がある。親父殿が皇帝でなければ、たとえ母さんを見初めたところで結婚など出来るわけもなし。俺が生まれることなどなかっただろうし、窮屈とはいえ安全な暮らしを送ることも不可能だっただろう。その反対に、親父殿が皇帝であればこそ国を離れることが出来なかった。安全ではあれど窮屈な暮らしを余儀なくされた。
女癖が悪い部分もあるが、血が昂れば無理もない。発散は必要だ。側室や妾は多いが、母さんに筋を立てて正室は迎えていないしな。
忙しいだろうに時間を見つけては家に帰ってきて、土産を寄越したり稽古をつけてくれたり、冒険者の心得なんかも教わった。
電撃的に皇帝を辞め、そのどさくさで国を抜け出し、母さんたちを樹海に届け、その後は気ままな冒険者暮らしだ。……総じて言えば『優しくも厳しく、尊敬の出来るダメ親父』といったところか」
帝都に対して告げた時とは正反対に、アステルはコロコロと表情を変えた。
その姿を見て、その声を聞いて、シアに浮かんだのは確かな安堵だ。
(ああ、良かった。帝国への憎悪を、抱いたままでいられる)
シアは心優しい少女だ。部族の性質もあろうが、生まれ育った環境を鑑みれば『よくぞここまで』と思わずにはいられないほどに心優しい。
だが、矛盾を抱いてこそ人である。それは亜人族でも変わらない。表に現れる優しさが大きければ大きいほど、その内側には匹敵するほどの相反する感情が息を潜めている。……そして、シアはそれを自覚していた。
様々な条件が重なり、熊人族へ抱いた怒りをぶつけることなど出来なかった。ならば、それに代わる、憤りをぶつける相手は必要である。必須である。その対象として、シアが選んだ存在こそが帝国だ。
樹海の外における亜人族の立場は低い。だからといって、樹海の外に暮らす者すべてに憤りをぶつけることを良しとするほどシアは厚顔無恥ではない。因果応報、それに足る相手こそが望ましい。そして帝国は度々樹海から亜人族を連れ去っていく。……シアが報復したとしても、他の者たちが理解を示せるだけの要素はあるのだ。――まあ感情が納得を示すかは別問題だが。
亜人族への理解を求める姿勢に変わりはない。優しくもあろう。親身にもなろう。隣人として付き合うに不足ない相手だと示しても見せよう。しかし、それだけだと思われるわけにはいかない。理不尽には理不尽を以て返す。そういう相手でもあると心身から理解してもらわなければならない。
その点につき、樹海を訪れた“神の使徒”は渡りに船だった。もしかしたら、知らぬうちに自分の能力でそうある様にしていたのかもしれない。副作用や魔力消費から違うとは思うが、そう考えずにはいられないほどに都合よく廻りすぎている。
七大迷宮の攻略。お題目だけならば立派であり、実現の可能性は限りなく低い。……それが樹海を出たシアの知った事実だった。
それに反し、“神の使徒”に同行すれば実現の可能性は限りなく高い。実際に【グリューエン大火山】を攻略したのだから、憶測は正しかったと言えるだろう。その過程で鍛えてもらい、シアの実力も樹海にいた頃とは比較にならないほどに上昇している。『一個人で国を亡ぼす』……それが比喩ではなくて現実に可能だと、何れはその領域に辿り着けると、そう実感出来るほどに。
他種族との共存共栄。シアの最終的な目的を掲げるとすればこれになるだろう。だが、今のままでは亜人族の安寧など訪れない。どこかで一度、亜人族に対する印象を『味方にするには心強いが、敵に廻すには恐ろしい存在だ』と強烈に刻み付けなければならないのだ。故にこそ帝国を――帝都を滅ぼすのは必須である。溜まりに溜まった憤りをぶつけるためにも、亜人族が舐められないようにするためにも、見せしめたる存在は必要なのだ。
無論、皮算用であることは承知の上だ。だが、生きていく上でモチベーションは必要なのである。たとえそれが夢物語のようなモノであろうと、一般的には『昏い』と評されるようなモノであろうと。
樹海を出てからここまで来て、一応ながら勝算もある。何れ“神の使徒”は元の世界へと帰還する。そうなった際、今までとこれからの成長を加味すれば、自分に太刀打ち出来るだろう存在は限られる。大半は攻略組の参加者になるだろう。メリットデメリットを加味した上で、明確に自分と敵対する者はなお少ない筈だ。
そこに現れた懸念事項こそがアステルとガハルドである。見せしめとして不足ない帝国の、帝国らしからぬ要素。その言葉次第でプランは早々に崩れ去る。しかし、だからこそ知るのは早い方が良い。……それもまたシアがアステルに声をかけた理由の一つに間違いない。
結果、少なくとも現時点において、帝国への憎悪を消す必要はないと分かった。内部で過ごした者からしてこれだ。帝国の――中枢たる帝都の存在価値は低い。
「俺からも訊きたい。お前にとって樹海とは、そこに住まう者たちはどういった印象だ?」
「そうですねぇ~――」
心安らかとなった以上、何を憚ることもない。シアは常と変わりない所作で、アステルの質問に答えるのだった。
♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢
そんな二人のやり取りを、気付かれぬように屋根の上から見守る者たちがいた。
天誡、ガハルド、アレーティア、ティオである。これまでの経験もあり、彼らは自然と周囲の空気に対して敏感である。……解決のために奔走するかは別として。
なお愛子は素で気付いておらず、亮は気付いた上で関わる事を拒否した。レオンはもう一つの問題に当たっている。
「どうやら、こちらは何とかなりそうかのう?」
「ま、この先も注意は必要だろうけどな。……しかし『兎人族は臆病で心優しい』ってのが通説だが、うちの奥さんに息子、そんであの娘と例外が多すぎだろ。樹海で聞いた話が真実なら、うちの息子とあの娘は従兄妹だそうだし、血筋によるものなのかね……?」
「彼の方は分かりませんが、シアが心優しいのは事実ですよ。ただ、その内に潜む感情が気付かれにくいだけで。常識や通説など、一面を捉えただけでしかありません」
「それには同意だ。まあ、完全な意思の統一が不可能な以上、人が集まれば自ずと問題も発生する。先延ばしであれ何であれ、介入する前に解決したのは喜ばしい限りだな」
「他人事じゃのう……。まあ仕方あるまいが。彼女が内に潜めた感情を表に出すとしたら、おそらくはお主らが帰還した後になるだろうしの」
「帝国は“実力至上主義”を掲げ、その上で好き勝手やってきた。実力の下に敗れるなら文句も言えんさ」
「その通りでしょうが……。国を治めていた者のセリフではないと思いますよ?」
「済ませる仕事は済ませ、その上で皇帝を辞して国を出たんだ。後のことは知らんよ」
「それならそれで構わんさ。さて、問題はもう一つの方か……。レオンが上手くやってくれてると良いんだがな」
天誡の言葉を皮切りに、全員が視線を足元へと転ずる。見えるわけではないが、今現在拠点内ではレオンが解決に向けて動いている筈だ。
♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢
アステルとシアが庭で邂逅を果たした頃。
拠点内を一人の少女が歩いていた。まるで何かを確認するかのように、一歩ずつ、ゆっくりと。そうして時折立ち止まっては、何事かを考え込み、再び歩き出す。
その繰り返しの中、不意に少女――ネイビーはある方向を見据えて声を出した。
「出てきても構いませんよ?」
「……バレてましたか」
声に応えて姿を見せたのはウィルだった。
「……ウィルさ、んでしたか」
「うん? 私に気付いていたのではないのですか?」
「まさか。私に出来るのは予測だけです。手持ちの情報では『誰かがそこにいる』と分かるので精々ですよ」
「なるほど。……それで、いったい何をしていたんですか?」
軽く言葉を交わした後、ウィルは本題に切り込んだ。結果的にバレてしまったが、ウィルがネイビーの後をつけていたのは偶然ではない。
「それは僕も気になるね。良かったら教えてくれないかい?」
「……ッ!?」
「……今度は殿下ですか」
そこに、更にもう一つの声がかかる。それぞれの反応は対照的だ。ウィルは驚きを露わにし、ネイビーは深い溜息を吐く。
「主に目的は二つですね。一つは想いを馳せていた。もう一つは遺産の確認です。……お二人とも、私の出自に対して心当たりがあるのでしょう?」
この家を有していた貴族。代々の当主はある共通点を有していた。……“軍師”という共通点を。
戦時においては的確に相手を追い詰め、致命となる一刺しを与える。『優勢かと思えばそれは演出されたものに過ぎず、実際にはどこからが意図の上だったのかも分からない』とは敗北した者たちの言葉だ。
彼らが指揮を取れば、敵からも味方からも怖れられた。それを示す名こそが蠍――スコルピオス。初代が時の王より家名として賜った名だ。
没落したとはいえ、そう永い時が経っているわけでもない。精々が二十年ほど前の事。
有望視されていた次男が家を飛び出し、結果として家を継いだ長男の代で潰えたのは割と有名な話だ。長男に跡取りがいないのは確かだが、飛び出した次男の足取りまでは追えていない。コネや伝手次第では、今でも調べようと思えば――詳細はともかく――その程度は調べられる。
そしてだからこそ、前条件さえ知っていれば“次男に連なる者”としてネイビーとスコルピオスを結び付けるのは不可能ではない。
「私は英雄や名高き冒険者に憧れを持っていますので、スコルピオス家についても調べてみたことがあります。流石に没落の詳細についてまでは分かりませんでしたが、次男が出奔したことまでは分かりました。
自己紹介や情報交換の際もどこか上の空だった様子から、貴女が次男の娘で悼みに来たのではないか? そう思いました」
ネイビーの問いにウィルが答える。
あくまでもネイビーを心配するからこそ尾行したウィルだが、レオンが尾行していたのはまた別の理由だ。
会ってから間がないということもあり、レオンが得られたネイビーの情報は少ない。そしてその断片的な情報だけでは、とにかくネイビーは怪しかった。
名高きスコルピオス家。その没落の仔細が分からぬからこそ、連なると思われるネイビーに対して注意が必要となったのだ。
もしや、スコルピオス家の復権を狙っているのか? ……そう考えてしまうのはおかしくも何ともない。
少しでもその可能性を考えてしまったのなら、曲がりなりにもレオンは王国の王子だ。シアの様子も気がかりではあったが、立場的にネイビーを注視しないわけにはいかない。
そんなわけで監視していたのだが、特に怪しい動きはなかった。足音を立てぬよう気をつけてはいるが、気配までは消していない。その動きも非常にゆっくりで、明確な目的がある様にも見えない。
時間が時間だ。就寝している者を起こさぬように気を付けているだけ、と捉えられなくもない。
判断に悩む中、ネイビーがウィルに気付きやり取りを始めた。それを聞けば誰かに気付かれるのは織り込み済みときた。ならば、いつまでも隠れているのはバカらしい。そうして姿を現せば、案の定自分が怪しまれているのは承知の上だった。
レオンとていつまでもネイビーに気を払ってもいられない。経験上、こういった手合いには単刀直入に切り込む方が手っ取り早い。
「やはり君は『蠍に連なる者』ということでいいのかな?」
「私自身がここを訪れるのは初めてですけどね。それでも父から話には聞いていましたし、真に私が蠍の系譜であれば“遺産”にも興味はあります」
レオンの問いに、アッサリとネイビーは答えた。
「その遺産とは? 持ち出されてたりはしないのですか?」
「それが分からないんですよね。私も“知識の集大成”としか聞いてませんし、場所についても『自ずと扉は開かれる』としか聞いていないので。父も祖父から聞いただけで、場所の見当も付かなければ、実際にあるかも分からないそうです。
まあ、それを探すのも面白そうじゃないですか? 私がついて来たのはそういう理由ですね」
「自ずと扉は開かれる……か。もしかしたら神代魔法が絡んでいる可能性もあるね」
劣化魔法が主流となっている現代だが、神代魔法を得るのは不可能ではない。七大迷宮を攻略すれば覚えられるし、真央の様に現代魔法を取っ掛かりとして神代魔法に至ることもある。それに伝記物に書かれる蠍の手腕は、美辞麗句で飾っているにしても信じがたい内容がいくらか存在する。頭から神代魔法の関与を否定することは出来なかった。
その後も三人で暫く探索したが、結局それらしいモノが見つかる事はなかった。まあ時間が時間だし、元が貴族の邸宅だ。ある程度の家柄になれば地図に乗らぬ隠し部屋があってもおかしくはない。宵闇の中で探すことこそ無理がある。
「今日はここまでにしておきます。お疲れさまでした。私は部屋に戻らせていただきますね? おやすみなさい」
「うん、お疲れさま。時間があるときは僕も手伝わせてもらうよ。それじゃあ、おやすみ」
「私もです。名高き英雄、蠍の遺産。正直に言って興味があります。……お疲れさまでした。おやすみなさい」
レオンからしてみればネイビーに抱いた危惧は杞憂だった。出自の推測こそ当たっていたものの、特に復権を望んでいる様でもない。まあ時勢が時勢だ。手腕次第では復権させることになるだろうが、正当な手順であれば否定する要素はない。むしろ蠍に相応しい手腕であれば望むところである。
ウィルとしてはネイビーの様子が気になったから後をつけていたに過ぎない。監視というよりは心配の面が強かった。その理由も判明したので解散に否はない。
そして当のネイビーは言葉通りに興味本位である。天職の影響もあってか、知識の蒐集は趣味と化している。
普段であれば友人を優先するくらいには抑えるが、今回に限っては様々な要素が重なり己の欲が勝った。なにせ手放された屋敷であり、本来なら入るも儘ならない。アンカジという場所柄、普通なら行くも難儀である。そんな中、ガハルドから『次はアンカジに行くらしいがお前もどうだ?』と誘われ、ホルアドのギルド支部長から『公国が攻略組に用意した拠点は蠍の屋敷らしい』と聞けば、友と別行動を取る気にもなろうというものだ。
そして実際に来てみれば、屋敷への滞在を許可されたのだ。……思わぬ幸運に“心ここにあらず”となるのも無理はない。
結果として、取り敢えず三者三様に心の曇りは取れた。ならば、挨拶を交わして各々の部屋に戻るのは自然の成り行きであった。