商業都市だけあってフューレンは活気にあふれている。就寝時を除いて喧騒が鳴りやむことは無い。都市の特性を鑑みればそれは結構なことであるのだが、何もプラス方向にばかり働くわけではない。……その一端が、ウィルの目の前で繰り広げられていた。
イルワよりギルド本部長への推薦状と紹介状を用意してもらった以上、本来ならば早急に発つべきだ。とは言え、仕事の一環であれどウィルにとっては久しぶりの里帰り。また、移動の足を兼ねるティオの仕事が終わっていない。
ネイビーの手伝い的な面が強いが、だからこそ時間がかかる。商会ギルドより登録者名簿を受け取ったのは手始めに過ぎないのだ。
商業都市だけあって商人はごまんといる中で、名簿に載っているのは極一部に過ぎない。本部であれ支部であれ個人であれ、あくまでフューレンに店を構えている者だけなのだ。それでいてその情報も最低限――代表者名、主な取扱商品、店舗の場所など――に過ぎないのだから、交渉相手を絞り込もうにも時間がかかろうというものだ。己が足で訪れ、己が目で諸々を確認しない事には選択することすら出来ないのである。
これで早々にティオが離脱してしまったら、それこそいつまでかかるか分かったものではない。たかが一人、されど一人だ。
そんなわけで、ウィルもその手伝いを行っている次第だ。曲がりなりにも冒険者であり、短いながらフューレンを離れてからも色々と学んできた。武器防具の類や回復薬の類であれば、多少なりとも力にはなれよう。
同時に、貴族家の出であり、フューレンに居を構えていればこそ知り得たこともある。実家たるクデタ家と付き合いのある店、逆に敬遠している店も教えておいた。
王国に属する伯爵家が中立都市たるフューレンに門を構えている以上、そこには相応の役目がある。平たく言えば外交官だ。
都市にまで至ったとは言え、フューレンは商人の集合体だ。そして商人である以上、商売相手がいない事には成り立たない。そんな彼らにとって“国”と言うのは大口も大口の相手だ。当然、その窓口となるクデタ家に対しては、多くの商人が知己を得ようと必死になった。
外交官たるクデタ家による評価となれば一考の価値はある。元より全てを廻って確認することなど不可能なのだ。時間さえかければ可能ではあるかもしれないが、その時間も有限だ。必要なこととはいえ難題を振られたからにはある程度の時間を確保して臨んでいるが、全てを確認するには到底足りない。確認することなく、どこかしら斬り捨てる必要があったのだ。
優先順位をつけても視察対象は多い。必然的に各自が手分けして――立場上、ネイビーにはアステルが同行しているが――当たることになった。中には時間差をつけて訪れる店もある。多種族共生なればこそ、それぞれの目で確認しなければならない部分もあるということだ。
だが、一行は揃いも揃って忘れていた。――考慮していなかった、という方が正しいだろう。方向性は異なれど、女性陣は何れも一廉の美形であるという事を。
「いいから、わ、私と一緒に来い。妾にしてやる」
「…………はぁ」
それを証明するかの如く、ウィルの視線の先では金髪の美少女がブタ――と見紛えるほどの男――に絡まれていた。
何の偶然か、そのどちらもウィルの見知った顔だった。美少女はアレーティア、豚男はミン男爵家の子息であるプーム・ミンだ。
男爵の位を戴き、フューレンに居を敷いているからにはミン家も外交官に就いている。しかし、後継者がこれでは先などないだろう。現男爵はきちんと仕事を熟しており、その仕事ぶりに対しては父からの評判も上々だが、子供の教育には失敗してしまったようである。
ともあれ、気付いたからには放置するわけにもいかないだろう。実力的にはアレーティアをどうこう出来る筈もなかろうが、この場で不利なのは彼女の方だ。プームの方には『貴族家の子息』という強みがある。
此処が中立都市であり王国領土でない以上、貴族特権の全てが適用されるわけではないし、依るべき法も中立都市の敷くものだ。端から見てもプームの誘い方は強引すぎる。普通ならばプームの方が悪いし、罰せられるのもプームとなる。
しかし、それは憲兵が来ない事には機能しない。如何に周囲の目があろうとも、その証言は金の力でいくらでも書き換えられる。今現在侮蔑の目でプームを見ている者たちも、金をばら撒かれれば事実と異なる証言をするだろう。
ウィルが周囲の騒めきからこの状況に気付いたように、アレーティアもまたそれによって相手の立場に気付いたのだろう。相手にするのも面倒臭いが、上手い対処法が見つからないといったところだ。ぶちのめして『はい、終わり』とはならないのである。むしろ、そうしてしまえば過剰防衛で彼女の方が悪くなってしまう。
故に、現状アレーティアに取り得る手段は、精神的な苦痛に耐えつつ一刻も早く秩序の徒たる憲兵が来るのを待つ事だけだ。
「申し訳ないプーム殿。彼女は私の連れでしてね。お茶のお相手だけならともかく、妾にされるわけにはいきません」
言いつつ、ウィルはその場に割って入った。相手は後継者だが、こちらは三男坊。立場だけなら話が成立する筈もない。……が、家格が異なれば話も異なる。三男とは言えウィルは伯爵家、対するプームは後継者とは言え男爵家だ。
伯爵家のクデタ家と男爵家のミン家には圧倒的な開きが存在する。貴族同士の関係においては、どうしても家柄を考慮しないわけにはいかない。今回の様な場合、プームはおとなしく引き下がった方がミン家のためであろう。
「……ふ、ふん。誰かと思えば、クデタ家の三男坊か。お、お前はお、お呼びじゃないんだよ。と、とっとと失せろ」
にも拘らず、プームはそんなことを宣った。――多くの人目に付く場所で、宣言してしまったのだ。
「……ほう。それはミン家による当家への侮辱と捉えてもよろしいので?」
以前までであればともかく、今のウィルは色々と経験し心身共に成長している。他の者たちと一緒だったとはいえ、既に【オルクス大迷宮】も攻略済みだ。
そして確かに家を出た身ではあるが、決して縁を絶たれたわけではない。未だ後継者が指名されていない以上、ウィルがクデタ家を継ぐ可能性自体は存在するのだ。……まあ基本は長男が継ぐものだし、たとえ指名されても兄たちが揃って同意しない限りは辞退する気でいるのだが。
そんなウィルにしてみれば、男爵本人に言われるのなら立場や経験考慮した上でまだ抑えることも出来ようが、所詮は“後継者”でしかないプームに言われて我慢する気にはなれない。『継承していない』という点ではどちらも同じなのだから。
だが、同時にそれは家同士を巻き込む大事だ。流石にそこまで事を大きくするのはウィルの望むところではない。よって、最後通牒の意味を込めて警告した。無論、威圧するのも忘れてはいない。
大事にするのは望ましくないが、このブタ男に適切な判断を期待するのも間違っている。先の一言からもそれは明らかだ。ならば、このブタに決断をさせるわけにはいかない。
そんな思惑もあって放たれた威圧により、プームはアッサリと気を失った。戦の空気も実感したことの無い我儘小僧が耐えられないのは当然だ。
「返答は早めにお願いします! 返答がなかった場合、相応の手段を取らせていただきますので!」
気絶したプームではなく、周囲の人垣へと向けてウィルは声を張り上げた。このブタ男は曲がりなりにも次期男爵だ。街中とは言え、護衛の一人もついていないということはあり得ない。
同時に、仕えているからと言って、必ずしもその人柄まで認めているとも限らない。
「了解いたしました! その旨、しかと旦那様に報告させていただきます!」
人垣の向こうから、些か弾んだ声が上がる。
プームは能力も人格も貴族に相応しいとは言えない。それはミン家家中の者にとっても共通の認識なのだが、悲しいかな、現当主にはプーム以外の子がいない。遅くなってから授かった子という事もあり、次子を望むのも些か酷だ。
だからこそ、ミン家に仕える者は耐えがたくともプームを次期男爵として扱っているのだ。
最悪、養子を迎えれば家名は残る。しかし、それでは血が残らない。現当主がプームを勘当していないのも、ミン家の血を残すためだ。……可愛がっていた実の親ですら、最早それしか期待していないのである。
幸か不幸かプームは女癖が悪い。家中の女給に手を出すことなど日常茶飯事だ。相手がプームであるというだけで女給にとっては耐えがたいことだが、こんなことは珍しくも何ともないのが現実だ。貴族の家に仕えるだけあって相応の知識はあったし、むしろそれを是としなければ貴族の家に仕えることなど出来はしない。
そんなことを繰り返していれば遅かれ早かれ子が出来るのは必然であり、先日にプームが手を出した女給が子を授かったばかりである。プームの振る舞いに頭を痛めていた現当主も、この時ばかりは――女給に申し訳なく思いつつも――諸手を上げて喜んでいた。……その一方で、プームはその事実を一切知らなかった。
そこにきての、この醜聞だ。もはや現当主もプームを庇いきれないだろうし、庇わないだろう。
ウィルは知らぬことだが、クデタ家とミン家は当主同士で個人的な親交がある。仕事の同僚ならば特段おかしくもない。ウィルの父親であるグレイルはプームの父親であるオリヴァーから、時折飲みの席で相談やら愚痴やらを受けていた。唯一の子があの有様では無理もなかろう。
護衛の声が弾んでいるのは、それらの事実を知るがためだ。当主同士の交流があり、子供の間で問題が起こり、挙句の果てには下位の者が引き起こしたときた。今までの問題行動も合わせれば、プームを勘当するに不都合はない。
加えてオリヴァーが頭の一つでも下げれば――当事者のウィルも、当主のグレイルも――問題を水に流すくらいには人が出来ている。ミン家のダメージもそこまで大きくはならないのだ。
「さ、行きましょうか」
「ええ。……助かりました。ありがとう、ウィル。私が言えたことではないのでしょうが、上流階級の相手とはとかく面倒なモノです」
護衛の返事を聞き届けたならば、最早ここに立ち止まる意味は薄い。とにかく移動すべきだろう。
ウィルが促せばアレーティアも同意した。歩きながら感謝と同時に告げられたその言葉には、酷い実感が籠っている様に感じた。
「以前にもこんなことが?」
「……厳密には異なりますが、上流階級の相手は日常茶飯事でしたよ。これでも女王でしたので……」
「ッ……!? いや、驚きました。吸血鬼族の生き残りということは伺ってましたが……」
雑踏の中、齎された返答にウィルは息を呑んだ。叫ばなかったことが自分でも驚きだ。流石に驚きを表情に出すことまでは避けられなかったが。
その一方で、不思議と納得した。アレーティアの所作には、所々洗練されたモノが見受けられていたからだ。王族や貴族――貴き生まれでなければ縁がないであろうそれが。その点に限っていえば、“神の使徒”も持ち得ていない。強いて例外を挙げるならば、御門亮だろう。トータスのものと様式は異なるが、彼の振る舞いにはそれが見受けられる。
「すみません。特に隠しているわけではないのですが、初めに顔を合わせた面々には伝えてあるものですから、他の者に対してもついつい言った気になってしまうのですよ」
「もしくは、既に他の者から伝わっていると思ったり……ですね?」
「ええ、そうです。……経験が?」
「現状、私自身にそういった経験はありませんが、聞いたことはあります」
♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢
話しながら進んでいると、視線の先では先ほどと似た様な光景が繰り広げられていた。巨漢が道を塞ぐようにして黒髪の美女――ティオに絡んでいる。
「さっきの今でこれか……。いくらアステルが一緒とは言え、この調子だとネイビーさんも同じ目に遭ってそうだなあ……」
「おかしいですね……? 確かに昨日も人の目は向けられてましたが、絡まれることは一度もなかったのですが……」
間を置かずにこれである。対象は異なれど、思わずウィルは溜め息を吐いた。
昨日は一切絡まれなかったが故に、アレーティアも首を傾げた。
「私は別行動でしたが、昨日のそちらは纏まって行動していたからかもしれませんね。以前に冒険者の先輩が言ってましたが、相手が高嶺の花の場合、集団だから声をかけれる場合と声をかけれない場合があるそうです。その逆も然り、という事なのでしょう」
「なるほど、分かる気がします」
絡まれた理由はそれでいいとして。
「しかし、あれは“暴風”のレガニドか? 何だって“金好き”がティオさんに絡んでいるんだ……?」
「あの男を知っているのですか?」
「“黒”ランクの冒険者です。上から三番目のランクに至っていることから分かる通り、この町では有数の実力を持つ冒険者で“暴風”の異名を持っています。――それだけなら尊敬に値するのですが、“金好き”の異名も持っている様に金次第で誰にでもつくんですよ」
群衆に紛れながら、ウィルは侮蔑を露わに吐き捨てた。
「よお、聞いたぜ。姉ちゃんだろ、ウルが襲撃された時に大活躍したってのは? 俺ぁレガニドってんだ。冒険者をやってんだが、俺と組もうぜ? 俺の強さに姉ちゃんが加われば、今以上に金も稼げるってもんだ!」
「すまぬが他を当たってくれ。妾は己の実力を安売りしてはおらんのでな。まあそれ以前の問題として、金稼ぎの道具となるつもりなど毛頭ない。……そら、分かったらそこをどけ」
相手にもしないティオであったが、レガニドはおとなしく引き下がる気がないらしい。……まあ、これで引き下がるようなら、元より強引に絡みもすまいが。
レガニドの言葉が耳に届けば、ウィルもその理由に納得した。
容姿と服装もあり、人の行き交うこの街でもティオは目立つ。聞きかじりの知識でも認識するのは可能だろう。
ウィルの知る限り、レガニドはウルの防衛戦に参加してはいなかった。報酬が『参加者による均等割り』だったからだろう。結果的に参加者の懐は想定以上に温まったが、前条件だけだと依頼を受けない冒険者もそれなりにいた。……自己選択の結果とは言え、金が好きなレガニドにとっては耐えがたいことだった筈だ。
結果、より金を稼ぐためにレガニドはティオに目を付けた。つまりはそういうことだろう。
直接にティオの実力を目にしていないからこそ、参戦者たちの齎す情報を誇張評価と受け取った。しかし、参加した冒険者たちは何れも中堅中位以上のランクを誇る。よって完全な眉唾話とも思えない。ならば、声をかける価値はある。ソロという点も見逃せない。……そんなところか。
「――大方、レガニドの思惑はそういったところでしょう。大抵の冒険者はパーティーを組んでいますからね。確かに、情報次第ではソロのレガニドがティオさんを誘ってもおかしくはない」
「直接に知らぬが故……ですか。確かに不思議はありませんね」
群衆に紛れて呑気に話し合う二人だが、それはティオを知るが故である。
封印されていたが故に、アレーティアの行動や思考は上流階級的なそれを基準としてしまう。“神の使徒”らと出逢ってからは――彼ら基準での――一般的なそれを学んでいるが、やはりまだどこか覚束ない。
一方のティオは、状況によってそれを使い分ける。“竜人族の姫”、“辺境暮らしの田舎人”、“都会に出てきた実力者”……何れもティオを指し示すには間違っていないが、あくまで一面からの見方でしかないのもまた事実。
そういった要素を、時に単独で、時に混ぜ合わせて、状況と相手によって使い分ける器用さがティオにはある。
「おいおい姉ちゃん、そんなツレなくするなよ? 俺ぁ気が短いんでな。言葉で済んでいる内に頷くのが身のためだぜ? 実力があるのは違いねえようだが、流石に“黒”ランクの俺に敵うほどじゃねえだろ?」
「その言葉、そっくり返そう。言葉が通じぬとあらば拳で語り合うことになるぞ? その身体に直接叩き込めば、流石に理解出来るであろうしの。……しかし、ランクに胡坐をかいているだけで相手の実力を見抜けぬような輩では、さて手加減をしたところで耐えられるかのう?」
怒りを抑え込んでいるためだろう、引き攣った笑顔のレガニドと。
相手にするのも面倒臭い、と全身で表しているティオと。
端から見ている分には、どちらが余裕を持っているか一目瞭然であった。
礼節も必要となる冒険者だが、最も重要視されるのはやはり実力である。大半の依頼は実力が無ければやってられない。そしてレガニドにとってランクはその証明だ。数多の実戦を、死線を、潜り抜けて来たからこその“誇り”だ。
それを、鼻で嗤われたのだ。歯牙にもかけられなかったのだ。
「……後悔しな、姉ちゃん!」
耐えられるわけがない。堪える必要もない。言葉と同時にガハルドは拳を繰り出していた。
「……ま、激情のままに剣を抜かなかったことだけは誉めてやろう。所詮、冒険者ランクなど実力を量る上での物差しの一つに過ぎんよ。その痛みは授業料として受け取っておくのだな」
――そして、気が付けば地べたに倒れていた。
何が起こった。何故こうなった。……何も分からず混乱する中で、拳を向けた女の言葉が耳に届く。次いで、この場から去っていく足音が。
何をされたのかは――何をされたのかも、と言い換えるべきか――分からない。分かるのは自分が負けたという事だ。身体に奔る痛みがそれを教えてくれる。
そして、相手の攻撃方法を知覚出来なかった事実から、圧倒的な実力差も否応なく叩き込まれた。
それは同時に、自らの“誇り”が――今までに築いてきた足跡が、努力が、『路傍の石に過ぎぬ』と告げられたに等しい。自らの無様さがそれを証明し、より拍車をかけている。
しかし、だからこそ、敗北の事実を否定することも、誤魔化すことも出来なかった。それをしてしまったら、“誇り”が無価値であったと自分自身で認めるも同じだ。……それだけは、出来なかった。
「ぐおおぉぉ……ッ! うおおぉぉ……ッ!」
レガニドに出来たのは、呻き声とも泣き声ともつかぬそれを上げる事だけだった。
♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢
「凄いものだな、水族館というのは……。娯楽と教養を兼ね備える施設など、帝都にいた頃は想像も出来なかった。――いや、まあ、もしかしたらあったかもしれず、ただ単に俺がそれを知ろうとしなかっただけかもしれないが……」
「まあ、極論を言ってしまえば戦には必要ないしね。その一方で、水族館だけでなく植物館に美術館も日常生活を送る上での“余裕”や“ゆとり”を表している。だから、もしかしたら帝都にあってもおかしくはないね。……そして、そんな施設だからこそ私たちの領にも欲しい」
商売とは難しいものだ。同じ商品でも、より安く売って元手を取れる者もいれば、それでは元手を取れない者もいる。逆に在庫を抱えすぎて、捌けず大損をすることもままにある。
成功と失敗を繰り返しながらもお得意様を増やし、経験を物として伸し上がり、その立場を維持する。それを成功させた者こそが、真に“商才”のある人物といえるだろう。そして、だからこそ同業他者が尽きることもない。
ネイビーもまた商人としてそれは結構な事であると思う。なんだかんだここ最近は“商売”と言うより“政治”をやってる気分にもなるが、商業ギルドに登録してある以上、ネイビーが商人であることは否定出来ない。
そんな商人目線で考えれば、加えて運営側として考えれば、“勇者領”は実に難しい。
未だ村としての態も整っていないからこそ、新米商人が雄飛を志すには打ってつけだ。なにせ“勇者”の興した領である。話題性も十分だし、根付くことが出来れば成功する確率は高い。少なくとも、
その一方で、“勇者領”の近くには七大迷宮が二つもあるのだ。多種族が共生するからこそ、上手く亜人族と仲良く出来れば【ハルツィナ樹海】への挑戦自体が格段と楽になる。そうでなくとも【ライセン大峡谷】へ挑む分にも不都合はない。
必然的に実力のある冒険者が揃うであろうし、装備然り回復薬然り、より上等な物を求められるのが自然だ。そうなれば新米商人が彼らの希望を叶えるのは不可能に近い。そんなことが出来るのであれば、とっくに“新米”の冠なぞ取り払っている。……となれば、何れ名のある商会の参入は免れない。
個人的な希望もあるが、多くの新米商人たちに参入してほしいのが正直なところだ。大は小を兼ねるが、それではいつまで経っても後進が育たないのである。厳密な表現としては異なっているだろうが、一強状態というのは好ましいことではない。
実行する際の解決策としては担当商区を分けるぐらいしかないだろうが、それには参入希望者も含めた話し合いが必要不可欠であり、どれだけの商会が参入を希望するかでもまた異なってくる。平たく言えば『まだ先の話』だ。
しかし、こういった施設系の商売は比較的話が進めやすい。誰でも知っているようなものからそうでないものまで、一定数を展示した上で簡単な説明書きまで用意するとなれば、新米の入り込む余地がないからだ。
施設を構える上で必要不可欠な環境や土壌を用意出来るかどうか。話し合うべきはこれだけでいい。基本的に一定数の需要は見込めるのが娯楽教養施設だ。基本的な収入源は入館料のみであり、だからこそ一定範囲内に同種の施設が乱立することを防ぐことも出来る。水族館と植物館のように、そもそも見せるものが異なるのであれば近場にあっても問題ないが、そうでなければ余程の差でも無い限りは共倒れとなるからだ。
前言撤回をするようだが、時には一強状態も好ましくなる。要はケースバイケースだ。
「へえ、これは驚いた。魚には人の顔を持つのもいるんだな」
入館料を支払った際に館長への面会を希望し、現在はその返答待ちである。すぐに面会が叶うこともなかろうが、なればこそアポイントメントが必要となる。
確認しに行ったスタッフが戻ってくるまでは指定された辺りから動けないが、それでも待つ時間が苦にはならない。悠々と水槽の中を泳ぐ魚の数々は、驚きと感動を齎してくれる。食卓に並ぶものや本で見たものとは明らかに異なるのだ。生きていればこそ、ということもあるのだろうが、魅せるに当たって観客を飽きさせないための細かな工夫が随所に見受けられる。素人目でこれなのだから、実際はもっとあるだろう。
流石はフューレンにその名を誇る水族館『メアシュタット』と言ったところか。
アステルの――聞き捨てならない――言葉が聞こえてきたのはそんな風に感心している時だ。ネイビーが向き直れば、そこには確かに人の顔をした魚がいた。目と目が逢う。瞬間に覚えたのは驚愕だった。
「なにこれ?」
いくら何でも珍しすぎる。普通に考えれば魔物なのだろうが、その割にはおとなしすぎる。暴れまわる様子がない。むしろ、その瞳には確かな知性が窺える。
人面魚から目を外し、水槽に貼られた解説を見る。
やはり水棲系の魔物らしく、“念話”によって意思疎通が出来るようだ。普通に口を開くこともあるようだが、基本的に無気力であり、会話をしている内にこちらまで無気力になってしまうとの事。魚のくせに酒好きらしく、飲めば饒舌になり説教臭いことを喋り続けるとか。名称はリーマン。
「ヤバい。すごく気になる……ッ!」
ネイビーの知的探求心がむくむくと刺激された。“宝物庫”から“念話”の付与された耳飾りを取り出して装着する。この程度の大きさなら、バレない工夫は簡単だ。
(「初めまして、私はネイビー・ニューウェーブ。“念話”で会話が出来ると解説にはありますが、こちらの声は聞こえてますか?」)
(「……へえ、最近の若いのにしちゃ礼儀がなってるな。っと、丁寧な挨拶痛み入る。だが悪いな。名乗られたなら名乗り返すのが礼儀だが、俺に固有名はねえんだ。名前に関しては好きに呼んでくれ。
それと、俺は堅苦しい喋り方が苦手でな。良ければ嬢ちゃんも楽に話してくれ」)
(「分かった。じゃあ、安直だけどリーさんと呼ばせてもらう」)
物は試しと呼びかけてみれば、思いの外丁寧な挨拶が返ってきた。解説にあるような無気力の欠片もない。
まあ、解説書きはあくまで簡単なことしか書かれていないのが常だ。向こうから酒を所望されたら試しに呑ませることはあるだろうし、説教云々もそれで分かる。念話が出来るというのであれば、こちらとしては『出来る』と判断するしかないのだろう。
(「なあ嬢ちゃん、何でお前さんは“念話”が出来るんだ? 此処に入れられてからそこそこに人間を見てきたが、“念話”を使えるのはお前さんが初めてだ」)
(「私自身は使えないけど、“念話”の込められたアーティファクトを使ってるんだ。仲間……うん、仲間が神代魔法の一つ、“生成魔法”で“念話”の効果を込めた物だよ」)
言って、耳飾りを指ではじく。
(「神代魔法かあ……。最近ではめっきり使い手が減ったみてえだな」)
(「一応私も使えるんだけどね。無理やり覚えさせられたし。ただ、独自で覚えようとすると結構大変みたい」)
(「無理やりってどういうこったよ? そんなことが出来るのか?」)
(「知ってるか分からないけど、各地には七大迷宮って呼ばれてる人造のダンジョンがあるんだ。【オルクス大迷宮】、【ライセン大峡谷】、【グリューエン大火山】、【メルジーネ海底遺跡】、【神山】、【シュネー雪原】の【氷雪洞窟】、そして【ハルツィナ樹海】の七つだね。そこの攻略を認められれば、それぞれで異なる神代魔法を会得できるんだ」)
(「海底遺跡……か。嬢ちゃんの言う七大迷宮かは分からねえが、俺の故郷にゃあ海ん中に沈んだ遺跡がある。だが、そこいらは禁断の領域だ。“悪食”の住み処になってるんでな」
(「“悪食”?」)
(「単に俺らがそう呼んでるってだけだがな。その名の通りに何でも食らうんだよ。肉でも魔法でもな。……太古から海に巣食う、“天災”とも“魔物の祖先”とも言われる化け物だ。定まった形を持たず、その姿を自在に変えるのが特徴だな。もし、嬢ちゃんたちの言う海底遺跡がそこだとしたら気を付けな。俺も手伝えるんなら手伝いたいんだが、ここから出るのも儘ならねえしな。
まったくよ、気ままな一人旅を楽しんでる最中だったんだがな……。普通、地下水脈が突然に噴出するなんて思わねえだろ? 魔物とはいえ、こちとら魚だ。陸に打ち上げられれば死にはしなくとも身動きは取れねえ。遮二無二助けを求めたら、ここに入れられたってわけだ」)
(「……もしかしたら、ここから出せるかもしれない。確約は出来ないから、あまり期待せずに待ってて」)
(「まあ、元より出来る事なんざ限られてるからな。……こうして語り合った以上、ネイビーの嬢ちゃんは最早ダチだ。なら、ダチを信じて気長に待たせてもらうとするさ」)
会話はそこで一区切りついた。……まあ、ネイビーとリーさんの間では会話が成り立っていたが、それが指向性を持った“念話”によるものである以上、端から見れば美少女と人面魚が見つめ合っている図式だ。これだけ語れば結構な時間も経っており、それだけの間見つめ合っていたのだから、周囲には魚ではなくネイビーに視線を向ける者もちらほらと。
その事に気付けば、思わずネイビーは頬を赤く染めるのであった。
♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢
なお、後日リーさんは正式に水族館から譲渡された。“神の使徒”が七大迷宮の攻略に当たっているのは有名だ。そんな彼らが『攻略の助けになる』として所望するのであれば、水族館側としても譲渡して損はない。有力者に恩を売れるのならば十分に得がある。……つまりはそういうことだった。