旅のはじまり   作:白亜迩舞

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アリアはその日、早々にベッドに入った。いつもは夜中までゲームをしているのに。

『800年前まではそう感じていたと思う。でも、それからは何も感じなくなった。何も感じないようになった』

そう言った彼女の氷のような横顔が私の脳裏に鮮明に焼き付いている。

エルフと言えど、アリアの感性は人間とそう変わらないと思っている。彼女は普通の、無口な女の子だ。たとえ千年を超える時を生きていようと。

だから何も感じないなんてことは普通ではないし、何かしら感じ続けているはず。

 

そっとアリアの枕元に立つ。

耐えるように、拒むように、固く閉ざされた瞼。

 

千年の孤独に私は寄り添いたいと思った。

 

 

 

 

「……にゃ、にゃに!?」

 

「もうちょっとそっちいって」

 

「えええ……!?」

 

一人用のベッドに二人で入るのは当然のように狭い。

アリアは寝ていたのかどうかわからないが、私が押しのけるようにベッドに潜り込んだので、完全に目を覚ましたような反応を取らせてしまった。

 

「……なんなの?」

 

「ん……もっとアリアと一緒にいたいと思って」

 

「……」

 

アリアは何も言わなかった。無口な彼女のことだ。きっと自分から何か言うことはないだろう。

私は用意していた言葉を少しずつ口にする。

 

「アリア」

 

「なに?」

 

「好きだよ」

 

「……そう」

 

彼女の声は冷静だ。冷静を装っている。私はそう受け取った。

 

「確かに私たちはアリアにとっては長く一緒にいられない。でも、私は私にとっての「ずっと」の時間を、アリアと一緒に過ごしたい」

 

「……」

 

「ねえ、教えて。どうしてアリアはここに、人間の世界に来たの?」

 

私の問いに、アリアはすぐに答えなかった。

緊張を伴う問いかけに長い沈黙を感じていると、ふいに彼女は寝返りを打って私に向き合い答えるのだった。

 

 

「エルフは長いこと生きるけど、ほとんどのエルフは植物みたいにただ静かに生きるの」

「私は、なんだかそれが嫌だった。生まれて50年、1000年前のこと、私はエルフの国を飛び出して人間がどう生きるのかを知ろうと、旅に出た。そして……一人の人間に会って、その人が死ぬまで一緒にいて、私は独りになった」

「……悲しかった。寂しかった。その人は満足して死んだ。私はそれを静かに看取ったつもりだった。でも、また旅に出ても、隣にいた人はいないんだなと思うと……私は自分が人間と心も、時間も、別のものを持っているとようやく知ったけど……それでも私は旅を終わらせることだけはできなかった。私はエルフらしいエルフになったのかもしれない。でも人間の世界を後にすることだけはできなかった」

 

 

アリアの旅について、私が何を言えるだろうか?

彼女がまだまだエルフらしくなってないとか、寂しいから旅を続けていたのだとか、適当な解釈はできる。だが、そんなものに意味も、価値もない。

私が彼女の旅について思うのは一つだけだった。

 

「……ありがとう」

 

「え……?」

 

「私はアリアの旅を理解することはできない。旅の中で何を感じたのかとか、旅にどういう意味があったのか、そういうことは私にはわからない。でも……アリアが旅を続けてここに来てくれたから、私はアリアと会えた。それが私にはとても嬉しい」

 

私がそういったとき、ふいに服の首元が、お腹のあたりから引っ張られていることに気付いた。

いつの間にか、アリアが私の服を握りしめていたのだった。

 

「そうやって、あなたたち人間はみんなみんな、勝手にいなくなるのよ。……私は、独りで旅を続けることになるのよ」

 

勝手に、とはどういうことだろうか?

生きて死ぬものは、他のものの生死にまで責任が持てない。

それは当然のことだが……長い時間を生きるアリアには、受け入れがたいことなのだろうか。

私は、アリアの生に責任を持てるだろうか。

そう考えたとき、私に一つの思い付きが生まれた。

 

「なら……約束をしよう」

 

「約束……?」

 

「そう。私が死んだ後も、アリアが守らなければいけない約束。それを残すことで、私はアリアに対して勝手に死んだわけにはならないし、アリアも私のことを忘れられなくなる。どう?」

 

「……なにそれ。約束を守らなかったときにそれを言うことすらできなくなるのに、どうして私に対して勝手に死んだことにならなくなるの?」

 

「あー、うん。ちょっと無理があるか……」

 

中々、普段から死ぬことを考えているわけではないので咄嗟に考えるのは難しい問題だった。

だが寝室の暗闇の中で、アリアは笑ったようだった。穏やかな声で、私に言った。

 

「いいよ。約束しよう。それを対価に、私は鞠莉の望むようにしてあげる。……鞠莉は私にどうしてほしいの?」

 

私がアリアに望むこと。それは――

 

「アリアに笑ってほしい。歌ってほしい。――これは、私がしてほしい約束でもあるかな」

 

「……わかった。約束は、まだしてあげないけど。あと50年? 70年? そこまで先延ばしにしてあげるから、ちゃんと考えておいて」

 

そして彼女は私の手を取り、欠伸を一つして、眠った。

この夜のはじめに見た苦し気な色の消え去った、穏やかな寝顔だった。

 

私のこの思いは死ぬまできっと変わらない。

そう思いながら、私も瞼を閉じた。

 

 

 

 

 

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