久方ぶりに人肉を食せる。
藤の牢獄に閉じ込められてからロクな食事にありつけていない鬼の頭はそのことでいっぱいだった。
だから藤林を抜けてきた人間がどういう存在かも確認せず、嬉々として襲いかかった。
「人肉、喰わせろぉ!がはっ⁉︎」
は……いま何が起こった?
気がつけば、視界が上下逆さまになっている。
そして目の前には自身の身体が倒れ伏し、崩壊を始めている。
結局鬼は何が起きたのかを把握することなくこの世を去った。
「さてと、まずは水場探しだな」
そして、鬼の頸と胴体を分けた張本人、鑢王葉は鬼の存在ではなく水場の心配をしている。
だが本人にとっては何もおかしいことではない。
王葉にとって人を二、三喰った程度の鬼は条件反射で斃せるほどの存在。
一方、水の有無は生死に関わる。水がなければ人間は三日ほどで絶命する。
だから王葉にとって一番優先すべきことは水場の確保。
そして、雨風を凌げる拠点もあると理想的──そう考えながら王葉は歩を進める。
一応は鬼に見つからないように、なるべく音を立てずに慎重に──幸いにして水場はすぐに見つかった。
だが先客がいた。
「きひひひひ!久々の、それも男の子の人肉じゃあ」
「な、なんで…ここには人間を二、三喰った鬼しかいないはずじゃ……」
視線の先には恐怖に腰を抜かす少年と、蛙の頭部に女人の上半身がついた異形の鬼。
王葉はじっくりと鬼を観察する──足の先から頭部まで六尺を優に超えており、明らかに人間を二、三人喰っただけの容姿はしていない。少なくとも十は喰らっている。
藤襲山には鬼殺の剣士が生け捕りにした鬼を閉じ込めている──選別開始直前にそう説明を受けた。
だが、
「“選別”ってのはそういうことか……」
以前から不思議に思っていたことがある。
育手から許可を貰った者が最終選別を受けているにしては──合格者の数が少なすぎる。
だがその理由はいま理解した。
この藤襲山には、おそらく複数の異形の鬼が生息している。
そして、産屋敷は──そのことを把握している。
鬼殺の任務は殆どが異形、若しくは血気術を扱う鬼の討伐。
対して最終選別で遭遇するのが人を二、三人を喰っただけの鬼。
七日間の野営生活をおくりながらとはいえ、それでは難易度が低すぎる。
だから最終選別の時点でふるいにかける。
異形の鬼に遭遇しない運を持つもの──
異形の鬼に遭遇しても逃げ果せるもの──
異形の鬼を倒す実力を持つもの──
それらの条件に当てはまったものだけが鬼殺隊士となれるのだ。
あの腹黒狸……王葉は親友の姿を脳裏に浮かべながら心の中で悪態をつく。
王葉が雑魚鬼に遅れを取るはずがないことを百も承知の彼が、防具の面を贈るなんておかしいと思ったのだ。
産屋敷耀哉は当然の如く異形の鬼の存在を認識しているだろう。
しかし、選別を受けるものにそのことを伝えるわけにはいかない。
だから防具の面によって遠回しな忠告をしたのだ。
「耀哉のやつ……覚えてろよ」
心の中で悪態をつき、王葉は改めて鬼と少年を見やる。
正直あの少年がどうなろうと興味はないし、助けたところで異形の鬼に遭遇した程度で腰を抜かすようでは最終選別を生き残ることは難しいだろう。
助けに入るのは面倒だし、助けたところで王葉にも後々の鬼殺隊にも利益となることはない──だが、あの少年が喰われて鬼がさらなる進化を遂げられても面倒だ。
「はあ、面倒だが仕方ない」
ため息をつき、立ち上がる。
少年を助けると決めたからにはこれ以上考えるのは時間の無駄。
手早く鬼を倒して水汲みの用事を済ませてしまおう。
王葉は両足に力を込め、地を蹴り──少年と異形の鬼との間に躊躇なく割り込んだ。
そして時は遡ること数分前。
王葉にこの場を観察されていることなど知る由もない少年は、異形の鬼を目の前に恐怖に震えていた。
「だ、誰か助け……ひっ」
助けを求める声とほぼ同時に蛙の口から長い舌が飛び出し、少年の身体に巻き付いた。
「ん゛ー!んんー」
少年は身体を雁字搦めに拘束された上、口を塞がれ声を出すことすらかなわない。
必死に抵抗する少年とは裏腹に、鬼は拘束した少年を引き寄せそっと頬を撫でる。
「野暮なことは止めておくれ、妾はそなたをゆっくりと味わいたい」
うっとりと、まるで愛しい相手にかけるかのように甘い声で囁き頬を撫でる鬼。
怖い、気色悪い、誰か助けてくれ──鬼の様子とは裏腹に少年の頭の中は嫌悪と助けを求める声でいっぱいだった。
「おお可哀想に……よしよし、いま喰らって恐怖から解放してやろう」
眼に恐怖しか浮かべていない少年の様子に機嫌を良くした鬼は、それはもう嬉しそうな様子で蛙の口を大きく開く。
嫌だ、死にたくない。
家族の仇を取りたくて鬼狩りになろうと決めたのに──なにも成せていない。
だが、その状況は突如として終わりをむかえる。
「虚刀流──『薔薇』」
風に揺れる風鈴のような声が聞こえた直後、衝撃に襲われる──地面に叩きつけられたのだ。
なんだ……いったい何が起きた。
状況を理解したいが衝撃で思考が回らない。
「な、なんじゃ、なぜ妾の頸が!?」
鬼の戸惑う声が聞こえる──誰かが頸を切ったのか……?
かろうじて自由のきく視線を巡らせれば、さきほどまで自身を拘束していた鬼の崩れゆく様と、その傍らに立つ人の姿。
鬼の頸を絶ったであろう人物は、こちらも崩れゆく鬼を気にした様子もなく水辺に近づきしゃがみ込み腰に下げていた竹筒を手にとり水を汲んでいる。
この人物は本当に自分と同じ受験者なのだろうか……鬼と瞬殺するだけでなく倒した鬼には目もくれず、水を汲むなんて普通の神経とは思えない。
「これでよし、さて次は……ってあんたもう動けるだろ?さっさと起き上がったらどうだ?」
「…………」
振り返った人物を見て思った。
人形のようだーーと。
足から指先にいたるまで身体の全てが細い、が華奢ではない。
仮面をしているから顔のつくりはわからないが、その均整のとれた身体つきには少なからず心惹かれた。
「おーい……聞こえてるのか?」
「!?……ああ聞こえてる。助けてくれてありがとう」
再度声をかけられ、慌てて身を起こす。
いけない。すっかり見惚れていたが今は最終選別の真っ只中だ。
「大丈夫そうなら俺はもう行くから」
無事なのを確認すると、仮面の人物は背を向け歩き出す。
「あ、あの!本当にありがとう!」
遠くなる背に改めて礼を言えば、片手をひらひらと振って返してくれる……少し素っ気無いけどいい人だ。
「さて、俺も早く行かなきゃ」
うかうかしてたら鬼に見つかってしまう。助けられた少年は奮起し、歩き出した。
一方、少年と別れた王葉の心には決意の炎が灯った。
最終選別の闇を垣間たのだ……このまま思考を止めてただ鬼を狩るなんて真っ平御免である。
だから可能な限り藤襲山の鬼を狩る。
そして自身の帰りを待つ親友に堂々と帰還報告をしてみせる──と
それから鑢王葉は奮闘した。
鬼が潜んでいるであろう場所へと手当たり次第に向かい鬼を狩る。
王葉の目論見通り異形の鬼が何体か潜んでいたし、鬼に喰われそうになっていた者の命を救うことにもなった。
王葉自身も怪我を負うこともなく順調に進んでいたが六日目の夜明けを迎える頃、状況が変わった。異形の鬼を倒した直後、度重なる戦闘において磨耗していた武具が壊れてしまったのだ。
武具が壊れてしまって以上、鬼狩りを続けることは厳しい──いや、彼の実力であれば鬼を朝日で焼き殺すという戦法も可能だがそれでは効率が悪すぎる。
幸いにして最終選別の合格条件は七日間生き残ることであり、無理に鬼を狩る必要もない。
だから誠に不本意ながら残りの日数は鬼を狩ることなく、過ごすことになってしまったのだ。
◾️ ◾️
とまあ、鑢王葉の鬼殺の物語──『鬼殺語』はそんな形で始まったのだった。
◾️ ◾️
「……なにこれから壮大な物語が始まるみたいに語っているんだい。しかも残りの2日間鬼を狩らなかった理由をそれっぽく語ってるけど、鎹烏からの報告によると王葉は残りの日数殆ど寝て過ごしていたらしいじゃないか、武器が壊れたことを切っ掛けに飽きただけだろう?」
しかもちゃっかり『鬼殺語』なんてちょっと格好いい題名まで付けて──いつもより早口かつ能面みたいな笑顔を浮かべているのは、お館様こと産屋敷耀哉様である。
鑢王葉と二人きりのときには滅多に見せない“能面みたいな笑顔”を浮かべている彼の心境は察するに容易いだろう。
「あははは、余りにも血湧き肉躍ったからよ。折角だから耀哉にも同じ気持ちを味わって欲しくて、一生懸命考えたんだ!」
考え抜いた結果、最終選別のことを物語調にして親友に語ることにした──そう堂々と言い放った王葉自身も外向きの笑顔を向けているあたり、耀哉と大差ない心境なのだろう。
「まったくやってくれたね……一応は心配したんだけどなあ」
「心配してくれてありがとうな……“一応”礼は言っておくぜ!」
両者ともに輝かしい笑顔だが部屋の空気が寒々しい。しかし二人きりの部屋にそのことを指摘できる者はいないし、できる者がいたとしても指摘などしないだろう。このようなやり取りは耀哉と王葉が互いに何かしらの不満を持った時によく行われる──戯れのようなものだった。
「はあ、無事に帰ってきてくれたならもういいよ……さて戯れはここまでにして今後の話をしようか」
その言葉と同時に戯れの空気霧散し、ピンっとした張り詰めた雰囲気に切り変わる。
親友のその様子に王葉もまた姿勢を正した。
「四季崎季紀という刀鍛冶を知っているだろう?」
「……まあ、そりゃあな」
誰でも名前くらいは聞いたことのある存在。
剣士剣客が最も輝いた戦国の世を実質支配したと言っても過言ではない伝説の刀鍛冶。
生涯世に送り出した刀の数は千本。彼の打った刀は『変体刀』と呼ばれ、権力者たちが手に入れることを望んだ代物だ。
「王葉には鬼殺の任務をこなすのと並行で、四季崎の刀の中でも特に完成度の高い十二本『完成形変体刀』を集めて欲しいんだ」
「『変体刀』は全部折れるか錆びるかしてるって聞いたことあるんだが?」
「うん。その情報は間違っていない……けれども消失した訳ではないんだ。変体刀は美術品としての価値もある。だから短刀に打ち直されたり、刀によっては破損した状態のまま保存されているものも現存する」
そんな状態の刀を産屋敷が欲する理由は差し詰め、四季崎の製造技術を日輪刀へ応用するための研究用といったところだろう。
美術品の蒐集なんてする家柄じゃないことは分かり切っている──そうあたりをつけた王葉は会話の先を促すため口を開く。
「……消失した刀と、
まさか産屋敷家が一本も集められていないことはないだろう?
王葉が視線で促せば、耀哉は懐から一枚の紙を取り出した。
紙には墨でこう記されていた。
絶刀・鉋 打ち直された後、所在不明
斬刀・鈍 収集済
千刀・鎩 消失
薄刀・針 消失
賊刀・鎧 収集済
双刀・鎚 収集済
悪刀・鐚 消失
微刀・釵 収集済
王刀・鋸 消失
誠刀・銓 消失
毒刀・鍍 消失
炎刀・銃 収集済
「…………残るはあと一本か」
ここで“あと一本だけだ!”なんて楽観視など出来るはずもない。産屋敷の力を使っても所在不明の刀なんて、絶対に厄介物──耀哉の胡散臭い笑顔が輝いて見えるのが何よりの証拠だ。
「最後の一本の正確な所在を追えるのは打ち直し前まで、打ち直し後のことは情報が錯綜している上にいまのところ全て外れでね……でも絶刀『鉋』は頑丈さに主眼を置いて作られた刀だから諦められないんだ」
それはそうだろう。
使用用途の都合上、磨耗しやすい日輪刀の耐久性の向上は長年の課題。
その重要性は最終選別で武器を壊してしまった王葉にもよく分かる。
「刀集めに関しては了解した。あくまで鬼殺隊の任務が優先ってことでいいんだろう?」
「勿論。大変なことを頼んでしまうけどよろしくね」
「そういう言葉はいい……俺は耀哉の刀だし、そもそもお前のわがままには慣れてる」
この幼馴染兼親友との付き合いは誰よりも長い。今更そんな言葉を貰ってもくすぐったいだけだ。
「それより、現時点での指示をくれよ。どうせ他にもあるんだろう?」
「ふふっ、いまのところ指示は三つだよ」
「その三つが重そうだが──聞こうか」
「一つ目、『鉋』の所在は私たちの代で必ず突き止めること。近い将来、廃刀令の取締りが徹底される──その前に何としても『鉋』の所在を明らかにする必要がある」
「了解。『鉋』の所在は俺が必ず明らかにする」
廃刀令が徹底されてしまえば必然的に処分される刀も増える。
そうなれば、本物の『鉋』の所在を追うのは絶望的だろう。
「二つ目は、死なないこと。王葉は鬼殺隊として、四季崎の刀の蒐集という重要な任があるけれど、それ以前に産屋敷の刀だ。刀が主人より先に折れてしまっては意味がない。だから……主人より先に死んではいけないよ」
「了解。俺は俺自身の役目を果たすまでは死なない」
刀が役目を果たす前に折れてしまっては話にならない。
予想した通りの重い指示に内心苦笑する。
三つ目はどんな内容なのやら……
「三つ目は、先の二つと比較すると軽いものだよ……王葉ならきっと直ぐに終わらせられる」
「…………で?」
正直嫌な予感しかしない。
「鬼殺隊としての最初の任務だよ。鬼を生け捕りにしてくるように──王葉が最終選別で狩ったのと同じ数をね」
あ、勿論武器が完成してからでいいよ。
そう言い放った耀哉の表情はとても楽しそうだった。
最後に最終選別での行動に対する意趣返しをもってくるなんて、これでこそ我が親友──
「了解…………お前はそういう奴だよな」
盛大に溜め息を吐いた後、王葉は言葉を返した。