鬼殺語   作:風船

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涅雷のギ 〜下〜

 音柱の任務の件を上司に報告すべく吉原を訪れた獪岳を出迎えたのは色の気配を漂わせる王葉だった。

 いつも一纏めにしている腰元までの長い髪は解いており、服装も普段とは異なり藍色の着流しを身に纏った状態。そして窓辺に腰かけて外の景色を眺める姿は、女性にとっては妙に魅力的に映るらしい。獪岳をこの部屋へと案内した女性が一瞬見とれていたのだから間違いない。

 

「頭領、アンタ本当に性欲あったんですね……」

 

 声量こそ大したことないが心の底から驚いているといった様子で呟く獪岳。

 王葉が時間のある時は吉原に足繫く通っていることは知っていたものの、普段仕事ばかりで色事どころかロクに休むことすら出来ていない姿を見慣れている身としてはどうにも想像がつかなかった。

 

 だがしかし、情事後の気配を纏った王葉を目の当たりにしてようやく自身の上司が性欲のある一端の男だと実感できた。

 

「獪岳……お前、俺をなんだと思ってるんだ?」

 

 王葉は開口一番に無礼な物言いをしてきた獪岳にジト目を向ける。

 

「俺の台詞から察してください。部下や任務先の女性から好意を向けられて、ご自身もそれに気付いているくせに全くそういう素振り見せない。そんな人間を見たらそう言いたくもなります」

 

「おまっ、他人からの好意に靡かないのは自分も同じのくせにぬけぬけと……」

 

「俺は、自分の好みの琴線に引っかかた上で、後腐れの無い女性なら結構よろしくしてます」

 

 獪岳は生まれてからいまに至るまで恋人というものがいたことが無いが非童貞である。

 目つきは悪いものの顔立ちは端正な部類に入るし年齢の割には落ち着いているので女性に言い寄られることも少なくない。そんな事情もあり色ごとに関してはそこそこ場数を踏んでいた。彼の弟弟子が聞いたら間違いなく嫉妬で大騒ぎするだろう。

 

「いや、それはそれで……後腐れのない相手を選んでいるなら別にいいんだけどよ」

 

 獪岳の言い草からして一般人にも手を出していることは明白なのでよくはない。風紀に厳しい者……鬼殺隊関係者でいえば“風柱”の不死川実弥や“元炎柱”の煉獄杏寿郎であれば間違いなく獪岳を窘めるだろうが、王葉からしてみれば問題さえ起こさなければ個人の自由にすればいいという考えだ。

 

 王葉であればそんな考え方をすると分かっていたからこそ獪岳も一般人に手を出していることを隠そうともしなかった……まあさすがの王葉も呆れる程度の倫理観は持ち合わせていたけれども些事である。

 

 それにしても、お世辞にもしっかりした倫理観を持っているとは言えないが仕事に関しては至極真面目な王葉が、非番とはいえ“色”の気配を漂わせたままで直属の部下である獪岳の目の前に現れるとは思っていなかった。

 色の気配はそこまで濃くないので身を清めるくらいはしていそうだが、それでも消し切れていない理由はひとつしか思いつかない。

 

「あの美人の花魁、鯉夏さんに惚れてるんですか?」

 

 懇意にしている花魁に惚れこんでいて、いまもどこかのぼせているということだ。

 獪岳がときと屋を訪れた際に鯉夏と廊下ですれ違ったが、背が低くて華奢で可愛らしい顔立ちをしていて一見幼く見えるのに、なんとも色っぽい女性だった。すれ違いざまに軽いお辞儀とともに微笑まれたときは不覚にも少し顔が熱くなった。

 

「なんだ急に?お前が個人間の関係に興味持つなんて珍しいな」

 

「いつも仕事ばかりにかまけている頭領が誰かひとり入れ込むなんて正直意外だったので興味本位です」

 

 割と女慣れしている獪岳でさえ少し見とれてしまったほどの美女とはいえ、基本的に誰に対しても深入りすることのない王葉がそれだけで入れ込むとは思えないので興味もわく。

 

「確かにお前の言うことは合っているが俺も欲を持ったひとりの人間だよ。鯉夏のことだが……情が深くて愛らしくて可愛いアイツに惚れてるよ」

 

 惚れてるのかと尋ねただけなのに、どんなところに惹かれているかまで話すとは……これは心底惚れこんでいるのかもしれない。まさか王葉が誰かに、それも“口から出る言葉はすべて夢”と嘲笑されることすらある遊女に惚れるなんてまるで御伽草子の世界の出来事だ。

 

「そうですか……」

 

 王葉から出ている雰囲気があまりにも甘ったるくて、口から出た獪岳の声は獪岳自身が思った以上に低くなってしまった。

 他人の不幸は蜜の味なんて諺があるが、いまの獪岳にとっては他人の幸せこそ蜜の如く甘ったるくて胸焼けを起してしまいそうだ。

 

「自分から聞いておいて機嫌悪くするなよ」

 

「いやだってまさか頭領に惚気られるとは思わなかったんですよ。それに他人の幸せを喜べるほど俺は善人じゃありません」

 

 王葉から呆れられてしまい、つい食い気味に言い訳をする。自分から聞いておいてこんな開き直った対応をするのは大人げないのは分かっているが、それだけ今回のことが意外だったのだ。

 

「はあ……興味本位で聞いた俺が阿呆でした。自分の方から話を振っておいて申し訳ないですが、本来の用件の話をさせてください」

 

 つい興味本位で王葉の恋愛事情に突っ込んで話がそれてしまったが、いまは個人の色ごとに関してよりも優先すべきことがあると獪岳は無理やり思考を切り替える。

 

「非番の俺に態々報告に来るってことは火急の用件……差し詰め宇随の任務についてだろ?」

 

 獪岳が説明する前から王葉は用件を見抜いていた。隠頭領であれば柱がどんな任務に就いているか把握していてもおかしくはないが、すぐさま用件の見当がつくあたり彼も宇随の動向には注目していたのだろう。

 

「やはり知っていたんですね。遊郭に潜入されていた奥方様との連絡が取れなくなったそうです」

 

「須磨さん……この見世に潜入していた奥方以外もか?」

 

「ええ、三人ともです。音柱の嫁の件まで把握済みとか、まさかアンタ非番のときにまで情報収集してるんですか?いつか働きすぎで死にますよ」

 

 王葉が仕事人間なのは知っていたが非番の日にまで情報収集しているとしたら、仕事にも修業にも真面目に取り組む自覚のある獪岳でもちょっと引く。

 

「そんなわけないだろ。須磨さんがこの見世に潜入していたことは登楼するまで知らなかったさ、この件に関しては噂好きな禿から聞いたんだよ……」

 

 王葉いわく、彼が懇意にしている鯉夏花魁の禿はとても噂好きで“ときと屋”だけでなく吉原全体の情報をどこからか仕入れてきて話すらしい。

 

「足抜けや自殺する遊女なんて珍しくないが、ここ最近になって急に増えた。そして数日前には“京極屋”の女将が謎の転落死。遺体は随分高い場所から落ちたかのようにぐしゃぐしゃで顔は辛うじて判別がつくほどにまで潰れていた……ちなみに“京極屋”の女将は見世の性悪遊女に普段から頭を悩ませていたらしい」

 

「頭領、それって……」

 

 その見世に鬼が潜んでいるとみて間違いないのではなかろうか。獪岳がそう口にしようとした瞬間、見世の天井から妙な気配がして身構えた。

 

「…………」

 

 天井裏で何かが這いずり回るような音が微かに聞こえてくる。確実に人ではない“ナニカ”がそこにはいる。しかし鬼の気配とはどこか違う。

 獪岳がどうするべきか決めあぐねていると──

 

「お前、吉原は華やかな世界で羨ましいだって?馬鹿なこと言ってんじゃねえよ」

 

 王葉は唐突に話題を変えて獪岳を罵った。

 

「は……?」

 

「華やかなのは表向きだけだ。幼い禿だって遊女になるための躾と称して殴られたり、水責めを受けたりする。それに切見世に堕とされた遊女の辿る末路も悲惨だ。吉原の外れなんて特に酷い。大通りの見世の煌びやかさとは打って変わって鼠や害虫だらけだぜ」

 

 あまりに突然の話題転換にいきなり何を言い出すんだと思ったが王葉の顔を見て意図を理解した。“話を合わせろ”と顔に書いてあったのだ。

 

「……本当ですか?こんな綺麗な見世や遊女たちを見ていると、とてもそうとは思えませんけど」

 

 王葉の意図を汲んでそのまま他愛無い話で盛り上がるフリをする。

 

「信じられないなら実際に見て確かめてこいよ。あの鼠の多さ、どこかにデカい巣穴でも作ってるんじゃないかって想像するような汚さだぞ」

 

「いえ、汚いものを態々見に行く趣味はありません。俺は自分にとって都合の良いことだけ信じて生きていたいですし、専門の業者がいずれなんとかするでしょう」

 

「そのいずれがいつになることやらな……ま、俺たちには関係ない話だけどよ」

 

 妙な気配はしばらく天井裏に留まっていたが、そのままフリを続けていると王葉と獪岳がよくある廓遊びに来た客同士のゲスな会話だと判断したのかやがて静かに消えていった。

 

「…………行きましたね」

 

「ああ、昼見世の時間から熱心ことだよ……この通り吉原全体が見張られているらしくてな、そんな状況だと怪しい見世でも迂闊に踏み込めないんだよ。囮や、鬼が複数いる可能性もある。下手をすれば鬼は逃して被害者だけが出るなんてことにもなりかねない」

 

 王葉は獪岳の考えを理解して京極屋に動き出さない理由を話す。やはり意図を汲んでくれる上司との仕事は話が早くて楽だ。しかしこの件に関しては王葉の考えのまま行動していると手遅れになる可能性があるため、獪岳は言葉を続ける。

 

「ですが柱の中では比較的冷静で常識人と頭領から聞いていた音柱は随分と余裕がないように見えました。戦う意志の折れている蝶屋敷の隊士まで連れて行こうとしていたくらいですし、悠長なことをしている時間はないと思います」

 

「あの宇髄がか?」

 

「ええ、ちなみに音柱の任務にはその場に居合わせた竈門、我妻、嘴平の三名が同行することになったので意志の折れた隊士は蝶屋敷に残りました」

 

「宇髄のやつ珍しく焦ってるじゃねえか。ま、アイツは愛妻家だしらしいといえばらしい。しかしだとすると戦闘が始まるのも時間の問題か……こりゃ思ったよりも早く動く必要が出てきた」

 

 そういうと王葉は立ち上がり、身支度の準備を始める。

 

「頭領?」

 

「至急の用件ができた。俺は今から吉原を出て、お偉いさんに話をつけに行ってくる」

 

 獪岳の方を見向きもせずに仕事着に着替え、髪を結っている王葉。その姿からは先ほどまでの“色”はすっかり消え去っていた。完全に仕事態勢に切り替えたらしい。

 

「お偉いさん……え、まさか、どうしてそんなことを?」

 

 王葉の言う“お偉いさん”が誰のことだかはすぐに理解したが、どうして急に話をしにいくなんて言い出したのか一瞬理解が追い付かなかった。

 

「文明開化のこの時代、未だに吉原のような場所が存在しているのはこの国に色を好む鬼が多く潜んでいるからだ。そんな場所で好き勝手に暴れてみろ、後々大変なことになる。前々から動いてはいたが、アイツら自分の欲のことになるとどうにも頑だから中々進まなかったんだよ。なるべく穏やかにゆっくり進めたかったが、そうもいかなくなった以上、直接話をつけに行くしかない」

 

 人間は基本的に己の欲求に忠実で、それは時として人食い鬼よりも質の悪い存在となる。そしてそういった輩は何故か権力者に多い。

 王葉はある意味鬼との戦いよりも過酷な場に赴かなければならないのだ。

 

「……俺は行方不明者の捜索と住民の避難経路の確保準備をしておきますので急いでください」

 

 王葉の“用件”の重要性を理解した獪岳は己に出来る最大限のことを伝える。

 

「悪いな、こっちもなるべく早く済ませて連絡できるようにする。あと分かっていると思うが……」

 

「行方不明者を見つけても命に別状が無いか、戦闘が始まってしまうまでは救助しませんよ。藪を突いて蛇が出てきたらたまりませんからね。それと、頭領の至急の用件について音柱には伝えますか?」

 

「伝えるな。アイツは頭が回るから、この件が足枷になっていざというとき実力が発揮できなくなったらコトだ」

 

(やっぱりか……)

 

 何が鬼殺隊のためになるかを仕事においての行動原理としている王葉であればそう言う気はしていた。

 しかしそれは時として仲間内からの反感を買うことになる。

 

「それで……いいんですか?」

 

 王葉がそのことを理解したうえで判断しているということは承知の上だが、それでも何故か聞いておきたくなったのだ。

 

「ああ。情報が共有されていなければ万が一の事態が起きても責任は全部俺が背負えば済む話だ。鬼殺隊のことを考えるのならその方が絶対にいい……宇随であればその辺理解するさ」

 

「損な役回りですね。では、頭領が鬼の棲家に見当がつけていたことも黙っておきます」

 

 頭が良い音柱であれば獪岳の隠し事も王葉の考えもすぐに看破しそうですが、とは言わない。

 

「頼む。もし話した方が、事態が上手く進むと獪岳が判断したら話せばいい。それ以外の判断も基本的には任せるから好きにやれ、何かあったときの責任は全て俺が負う」

 

「承知いたしました」

 

 獪岳のその返事を最後に、王葉は足早に吉原を後にした。

 

 

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