インフィニット・ストラトス Re-Boot   作:達田タツ

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第九話

▼▼▼

 

 

「では、紹介しよう」

 

 一組の教室まではそれほど遠くなかった。というより遠く感じなかった。

 

 エレベーター――これがまた教室ほどあるのではという広さ――で最上階に上がり、長いオートウォークを数度乗り継ぎ、その間一五ほどの教室を過ぎた。一組はその先、最北端にある。本当に空港のようだ。

 

 初めて歩く廊下は、どこか異世界にでも迷い込んでしまったような気がして、実際、自分の立場を想えば異世界で間違いないのだろう。数歩先を頼りになる姉が導いてくれていた。だから、一組の扉の向こうから一夏を呼ぶ声が掛かった時、糸で引かれるようにするりと声が出た。緊張はほどよい。

 

 返事をし、教室に入れば、今日からのクラスメイト達全員の目がこちらを射貫いた。ちらほらと感嘆の声があがっている。山田の立つ教壇の中央までの間、皆の目を順に見ていったが、一人、雰囲気の異なる人がいた。

 

 箒だ! 探す必要もなく、同じクラスだ。

 

 最前列の窓側の席。視線を向ければ、ふいと窓の外に顔をそらした。当然、怒りが自然に冷めているわけもなかった。ただ、心の中で胸をそっと撫で下ろした。知った仲が、同じ学校に通うばかりかクラスメイトなのだ。

 

 ほっとしているのも束の間、教壇の中央へ立っていた。そうだ、挨拶をしなければならない。

 

「えー……えっと、はじめまして。織斑一夏です」

 

 儀礼的に頭を下げて、上げる。

 

 少し悩んで再び口を開く。「男として、これから皆と一緒にISを学ぶことになるけれど……俺、一生懸命付いていくつもりです」そして述べるのは、自分が今ある現実を受け止められるようになった頃、自ずと心に決めたこと。「ちふ……織斑先生のような、力強いパイロットになるために。よろしくお願いします!」

 

 拍手が身を包んだ。それが受け入れられた証拠であると感じ、肺の底に溜まっていた緊張を吐いた。

 

「私のようになりたいとは……豪語したな。道は険しいぞ」

 

 拍手が止み、千冬がふっと鼻で笑いながら言った。だが一夏はむしろ、望むところですと返した。調子に乗るな! バインダーの角の痛みを思い知れ! と身を強張らせたが、いや、姉の目は教師としてのそれでなかった。しかしそれも一瞬。

 

 次に唇が開かれ、脇に挟まれたバインダーに手が伸びた。ああ、飛んでくるな。

 

「織斑君の席は、窓際の列の後ろです」

 

 という所で山田に救われ、促された。箒の席の傍を通るのは率直に言うととても怖いので、教壇のすぐ右の列の間を通っていくことにした。

 

「けっこー身長あんのな、気に入ったぜ」

 

 最前列の、窓際から数えて三番目の席のクラスメイトが一夏を視線だけで見上げ小声で言った。失礼ではあるが、大きな箱のような机と椅子に納まる彼女はややこぢんまりとした印象だ。

 

「自己紹介は後だぜ。またな」

 

 こちらが口を開く前に居直ってしまったので、そのまま先生に言われた場所に座ることにした。廊下側奥の席に座る色黒の生徒が手を振っている。微妙な笑顔で返してしまう。とりわけ主張の激しい子が中心に座っているが、見覚えのある淡い紅の髪色は布仏先輩の妹かもしれない。だとすれば雰囲気があまりにも違うぞ。

 

 自分の席までやってきて、ふと、ある違和に気付く。いや、その違和には入室した瞬間から感じていたこと、この正体に気がついたのだ。

 

 右側から何かがぶつかる音がした。立ち上がったクラスメイトが肘を抑えている。

 

「だ、大丈夫ですか? 深井さん」と先生。

「だいじょうぶです……」

 

 深井、確かこのクラスの委員長だと聞いている。かなり痛そうにしているが、気張って教壇に上がっていった。数度の呼吸を挟み、すっと息を吐いて。

 

「ようこそ、一組へ。織斑一夏さん、お会いできるのを楽しみにしていました。――」

 

 

▼▼▼

 

 

「四十院神楽と申します。いつか宇宙に行くのが夢です。織斑さん、宜しくお願い致します」

 

 宇宙か、と一夏は先ほどの須藤の言葉を思い浮かべた。『宇宙開発で有用、だとさ』と、まるで他人事のような言い方。だが一夏自身、ISが実際に宇宙で動いたという話は聞いていない。その理由を詳しく聞いたこともない。アメリカの企業が火星に軌道ステーションを作るほどには宇宙開発も進んでいるのだし、試していてもおかしくないとは思うが。

 

 ISは発展途上である……実のところ、その理由が全てであるのかもしれない。ISが発表されてから八年。一夏からしてみれば視線の高さも大きく変わるほどに長い時、その間にはIS技術も日進月歩と深まっているのだろう、それでもあの蒼穹を貫くことはできないでいるのだ。

 

 あと、どれほどの時間を要するのであろう。その時ISは、どのようにして宇宙へ辿り着くのだろう。もしかすれば、その瞬間に自分が関わっているのだろうか。

 

「あ、あのー」

 

 いつ実現するとも知れない未来を想像していると、気付けば教室内が静かだった。

 

「ごめんねっ! 今さ行の皆さんで、『し』まで挨拶してもらっているんだけど、次、その、ごめんね? 自己紹介……してくれるかな?」

 

 教師が九〇度も腰を折って手を合わせていた。その先はちょうど、一夏の列の最前を向いていた。教室は宇宙空間の如く静まっていた……。

 

「ご」無音に耐えかねた山田先生が絞るようにして空気を振るわせた。「ごめん、ね? 無理強いはいやだよね! ごめんね」と教師とは思えぬ低頭っぷり。

 

 挨拶は箒の番であった。だが、一夏が彼女を怒らせてしまった故、随分と拗れている。一夏は案じた。むしろこのタイミングでこそ、謝罪すべきでは、と。

 

 人間同士の結託というのは、獰猛な獣すら恐れる最強の力。もし、怒り冷めやらぬ箒が、下着姿を見られた、彼には下心がある、などと吹聴してしまえば。ああ、向こう三年は首を絞められた生活になる!

 

 謝ろう。白状し、身の潔白を証明せねばならない。俺は、箒に会えて嬉しかった、その気持ちで胸が一杯だったから配慮できなかったのだと、理解を求めよう。

 

「なぁ」

 椅子に手を掛けたところで第二の声が上がる。

「篠ノ之さん。今言えないなら、今である必要はねぇんだぜ?」

 

 声の主は、先ほど一夏を見上げてきたこぢんまりとしたクラスメイトであろう。

 

 声音は落ち着いているように聞こえた。まずい、と脳が警鐘する。挨拶を拒んでいることで嫌な感情が彼女に向いている。自分が至らないばかりに箒をクラスメイトから嫌わせる訳にはいかない。

 

 ふと、千冬と視線が合った。腕を組み壁に背を預けていた彼女は、視線が合うと短く息を吐いた。千冬はそこで目を閉じ、再び開いた時には窓際を向いていた。鋭かった。

 

 警鐘はさらに重なる。違う、と。千冬に任せては意味がない。一夏自身が直接話さなければ根本の解決にはならないのだ。

 

「いや、千冬姉! 俺が言う」

 故に立ち上がった。

 

「不要だ!」

 

 しかし断りの声は箒から届いた。

「お前からの謝罪など、不要だ」

 

 箒は一夏を見てはいなかった。ただ俯いて、聞こえる程度の声で喋った。

 

「箒!」間髪無く言葉を重ねる。「さっきはすまなかった。俺は……」

 

 視界の端で、千冬が頭を抱えているのが見えた。先ほどの重なった視線は、私に任せろという意思がきっとあった。千冬が取る数少ない、感情と意思を載せた視線による疎通だ。

 

「俺は、俺は久しぶりに箒に会えて、」

 

 瞬間に頭が真っ白になった。寒空に吹き荒ぶ冷え切った風に全て攫われたよう。

 

 今の気持ちを伝えたい適切な言葉が見出せない。たった一言で解決する訳がなく、軽い言葉ではこの場を凌ぐに過ぎない。上辺だけの言葉にしか聞こえないのではないか――ふと一夏にはそう思えた。

 

 たった一語で相手の気持ちを変えられるようなヒーローなど、現実に存在し得ない。

 ではどう伝えたら良い? 伝わる言葉とは?

 

「はい」

 

 教室の反対から声が上がった。

 

「山田先生、織斑先生、よろしいですか」

 褐色肌の生徒がその長い手を挙げた。

 

「状況は計りかねますが、一応、織斑君の何らかに対する謝罪はあったとして、会の進行を優先してもよいのでは」

 

 彼女はちらりと一夏に視線を向けた。目が合った一瞬にかすかに頷く。なにやら未だまともに接してもいないのに、私の意図を察せよ、と言われているようだ。

 

「二人が今日出会ったばかりでないことは我々も把握しました。何やらもつれがあったとして」

 

 千冬に話しているように見え、しかし言葉を終えるまで視線は一夏を向いていた。

 

「時間があります」

 

「ふむ……」千冬は俯く箒を一瞥しつつ、教壇をバインダーで叩いた。山田を含め背筋が伸ばされている。「次は瑞慶覧だ」

 

 姉の合図に、一夏は渋々座る。いよいよ、箒は顔すらこちらに見せなかった。

 

 千冬が見せる視線に込められた意思は、いつだって固く正しくあった。結局、一夏の心が定まっていなかったことは見抜かれていたのだ。無意味に声を張り上げるものではなかった。

 

 悔しいな。

 

 

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