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重厚なシールドドアを抜ければ、風を感じた。
先には白衣の女性、作業着の用務員が数人、円状のコンソールに集まっている。しかし彼らがいて尚この空間は広い。恐らくは、一クラス全員がISを展開しても余裕のある空間が設けられている。
「ここはISの観察授業で一度来ただけだ」
小声で高城が教えてくれる。彼女の視線を辿れば無人のISが鎮座していた、さながら『お城に飾ってある甲冑』そのもの。二式打鉄である。ヤスリがけ前の鉄のような鈍い銀灰。学園のものを意味する、翼を抱いた少女の紋章と、赤のラインは異様に輝いて見える。
しかしながら打鉄の主張はあまり強くなく、やや暗いこの空間に溶け込んでいた。それまでの白でなく、黒に近い灰色で空間は包まれている。昔、同じような床を歩いた記憶がある。一般公開された、空母の飛行甲板だ。
中央の辺りから外へ向け、数本の軌条がある。まさに飛行甲板のカタパルトに似ている。先には、ぽっかりと半月状に開けた出口。土っぽい匂いがしているのは外からだ。
「奥にあるISは教えたが、あの状態が待機形態。パワードスーツとしての形状を維持しながら、人員の搭乗が無い状態だ。本来なら、待機形態のISに搭乗するところから実機訓練は始めるが、お前たちは違う!」
バインダーを叩く。
「一組に入った以上は、同学年の誰よりも優先して実機訓練を行う。手前の床の印が見えるな? 実機授業の時は、保管庫で装飾形態の打鉄を装着し、出席番号順に、あの印に立って待機だ!」
番号の振られたかご型の印が、コンソールと軌条の間に用意されている。丁度、IS同士がぶつからない程度の距離で印同士は離されていた。
「返事!」
慌てて返す。
「倉持主任、織斑くん、用意ができました! 搬入します」
白衣の女性がこちらに声を投げてきた。同時に大きく低い打撃音が響くと、警光灯が囲む床の一部がスライドし、巨大な塊が昇降機に従い迫り上がる。
「織斑くん、こちらへ」
倉持が手を差し伸べる。ちらりと千冬を見やれば、頷き返してくれる。ついに、織斑一夏のISを手にする時が来たのだ。ぐっと胸を掴まれた思いがすれば、気付かぬ内に自分の手が左胸を握っていた。高鳴っている。
あの塊を覆う幌の向こうに、空がある。
「これが君の……君だけのIS『
幌が取り去られる。
翼を持った装甲が、操縦者を待つようにして解放している。よくよく磨かれた合金のように艶やかな白銀の肌、脚部だけで一夏の身長近くある巨体に圧倒される。丸みを帯びたシルエットだが、膝や翼には鋭角の意匠が織り込まれている。
全体像を視界に収め、ひとつ気付く。両翼、片側には学園所属を示す有翼の少女、もう一方には、夜天に散る桜が二片。それに似たエンブレムを一夏は知っている。思わず笑みが零れた。
本当に俺は、千冬姉に守られているな。
「では乗りましょうか?」
答えは決まっている。
「はい!」
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架台の上から白式を見下ろせば内側がよく見える。脚や腕は薄い膜のようなものがあり、胴の部分は冷たそうなプレートが剥き出しになっていた。
「まず両足から挿し入れていただいて、股関節部分に体重を預けてみてください」
「その後は……」
「ISに任せてください。面白いですよ」
意味が通らない。面白い、とは?
クラスメイトに見守られる中で、ひとまず言う通りにしてみる。脚部の膜は思いの外抵抗感があり、クッションに沈み込むように両足を飲み込んでいった。ぬるま湯に似た得体のない感覚。
キンッと金属質の音が頭に響く。
耳鳴りは長い。千冬に頭を叩かれた時のように、視界が白くぼやけていく。
なんだこれ?
目をぱちくりしていると、突然落とし穴に突き出されたような、床を取り払われたかのような浮遊感に陥った。平衡感覚が消え去り、自分の体勢がわからない。溺れたことは人生で一度もなかった、しかしこれがそうなのだと思わせられる。四肢の感覚がない。
俺の足は、手はどこにある!
不意に声が届く。
「私を見ろ」「私を見ろ」「私を見ろ」
真っ白の空間に、ぼんやりと色が流れ始める。ゴウとたちまちに鳴り響いたのは風。深まっていくのは底の見えない青。ここは空だ。無辺の空に身は放り投げられた。
落ちる……墜ちていく!
「私を見ろ」「私を見ろ」「私を見ろ」
影が降りる。こちらは真っ逆さまに落下しているというのに、影はまるで空中に床があるかのように立っている。
いや、その影はよく知っている人物に見えた。
「千冬姉!」
「うるさい」
バチン、と音が聞こえたと思えば、小さい脚立に乗った千冬が一夏をバインダーで叩いていた。ほいほい人を叩くものではない。
しかし、痛みがない。
きょとんと、千冬、倉持を交互に見ていると、ため息をついた千冬が「戻ったか」と呟いた。クラスメイトは驚きを隠せない表情でこちらを凝視している。
「どう感じた? 何を見た?」
「突然平衡感覚がなくなって、空が見えて……それで」
千冬の瞳を眺む。
「それでいい」彼女は手の平を一夏の頬に添えた。ほんの少しだけ微笑んだ、と思う。
側に立っていた須藤が、呆ける生徒たちに向き直る。
「お前らもよく覚えておくといい。専用機を持つということは、より深くISとつながるという意味なんだ。そして、深くつながれる素質を持つ者が高いIS適正値を持つ。お前らのことだ。学園機程度では、今の織斑君のような反応は無いに等しいが、高い適正値を持つお前たちは今後、その努力次第で、自分だけの機体を持つ機会がある。それを手にして初めて……無限の蒼穹を垣間見るだろう」
クラスメイトたちは怯えにも似た表情だった。ただ一人、箒だけは厳しい瞳で一夏を射貫いていた。箒はもう、この感覚を知っていたのだろうか。
そして自分は一体、あの間でどんな反応を起こしていたのだろう。
「ISが怖くなったか。だが忘れてはならないのはなぜ専用機を作るか、だ。今の織斑が行ったのは、機体との対話だ。対話を重ねることでISは真の力を発揮し、初めて専用機としての意義を満たす。織斑君は無事、まず第一歩を踏めたようだな」
聞いて自分の体の感覚を取り戻す。いつの間にか、セパレートでしかなかったウェアは首から全身を覆うものに変わっていた。指先までも、恐らく足先まで。さらに、白式の装甲の隙間が青白く光を帯びている。
「ISにも、搭乗者を理解する権利がある。適正値の高いお前たちが怯え怖がっていては、ISは世界を脅かす破壊兵器へと、恐ろしい化け物へと変貌していくだろう。だが心配するな! 私たち教師が、お前たちをそんな存在にはさせない。お前らがなるのは、人々の希望の光だ。多くの人間にとっての英雄に、お前らを育て上げてみせる」
ぐるりと全員の顔を見渡して、強張った生徒たちを言葉で緩和することは難しかったか、須藤は肩をすくめる。
「面白い、ですか?」
一夏が倉持に冷ややかな目を向ければ、彼女は跳ね上がるような笑みを返してきた。
「面白かったでしょ?」
齟齬に苦笑して、ふと違和を覚えた。その笑い方は――。
「織斑、腕部に腕を通せ。それから白式の起動を唱えろ。もう……」
「大丈夫。わかってるさ千冬姉」
「ならいい。それと、織斑先生、だ」
教師陣、白衣の技師と用務員がコンソールに集合した。
手を腕部に入れる。やはり柔らかなクッションが圧迫する感触。
深呼吸。不思議と焦りはなく、心臓の高鳴りはすぐに収まった。あの刹那の感覚、対話で何を得られたかはまだわからない。ただ、馴染む。白式が受け止めてくれている。
千冬を見る。心配はないと、自身の心へ語りかける。
「起動してくれ、白式!」
解放されていた装甲が閉じる。台座の支柱で支えられていた装甲群が、まるで魔法で操られるかの如く空中に浮き上がり、腹、背、胸、頭と貼り付いていった。腕部と脚部も閉じ、二の腕また太ももの辺りまでが覆われる。平らな肩の装甲が最後に取り付き、一度強く青白く発光した。
「うぉ」
ものの輪郭がはっきりと認識できるようになっていく。周囲の人物、物体の位置が三次元的に把握できる。クリアかつ繊細な視覚、千冬の瞳がわずかに揺れているのが見えてしまう。拡大鏡ではない。単純に、ものの細部までが伝わってくるのだ。
頭のどこかで機械音声が繰り返される。
――パイロットファーストアクセス、チェック。
――肉体信号検出、同調開始。
――コア・ネットワーク、リンク、チェック。
――粒子間交信開始。
――コーパスキュラー・エレクトロニック・ブレイン、アクセプタンス。
――三六年式先進技術実証機七号『白式』、展開。
『はじめまして』
手を伸ばせば届きそうな距離に文字が浮かび上がった。文字はすぐにフェードアウトしてしまうが、次にはバーチャルモニターがいくつも開かれる。実際には存在しない、一夏の視界だけに存在するモニター群だ。
織斑一夏の身体状況、筋電図、血圧。白式機体情報、電位同調率、毎秒稼働粒子量。高度、地理座標、銀河座標。何らかの数値バーがいくつか。
「白式の展開、確認致しました」
技師の声に、緊張に溜まった空気を吐き出す。
遂に動いた……俺の、ISが。
「視界伝送接続。こちらにも映します」
離れた用務員の言葉は、耳元で話されたかのように聞こえる。
「聴覚補正がやや過剰ですね。こちらで実距離に合わせ直します」
「織斑、電位同調率はどうなってる」
「えーっと……」
モニターが重なっていて見にくい。つい、そこにモニターは存在していないにも関わらず手を伸ばしてしまう。
「うわ! 手が!」
視界に入った五指は青。ISに包まれた腕が平然と動き、触感もおかしい。開いたり閉じたりしてみても、指先同士を当てても、人間の指の柔らかさはない。途端に早朝の須藤の言葉がフラッシュバックする。自身の手がまるでそっくり入れ替わってしまったかのように、目の前の大きなブルーの手が自分の指と化し、堅い感触を返してくる。
「いちいち驚くんじゃない!」
無茶いうな。
「うわ」
モニターに目を戻そうとすれば、モニター群がまるごとぐるっと動き視界の正面に自ら移動してきた。
「操縦者の意識と視距離が仮想表示に移れば、表示は勝手に正位置へと移動するようになっています。市販のウェアラブル端末に比べれば平気かとは思いますが、これが合わない方もいます。大丈夫でしょうか?」と山田。
「はい、驚いてしまっただけで……」
「驚くな。質問に答えろ」
「織斑一夏さん! モニターの移動や閉鎖は視線とまばたきで行ってください!」
技師の言葉を聞き、「えーっと」と初めてパソコンを前にした老人のような心持ちで、姉が求める情報の載るモニターを探り当てる。
「七三%?」
高いのか、低いのか。
「及第点だ」
らしい。
基準がわからないが個人的には、せっかくなのだから気分を盛り上げるためにぐっと高い数値を見たかったところ。と思いつつ人間の顔を包めるほどの巨手の、意外にも微細な動きをする指先で頬をかく。
「あ! あまり腕は大きく動かさないでくださいね。台座壊されると、高いので」
「すみません!」
山田の忠告に身を強張らせる。
「織斑くんそのままで! 降ろしますよ」
「まずは直立からだ、織斑」
脚部は架台のアームに固定され浮いていた。アームが微動し、足裏が接地。全ての固定から解放される。
支えなく直立した。惑星が一直線に並ぶ絵と壮大な音楽が頭の中で流れ出しそうだ。
視界でいくつものモニターが開いたり閉じたりしている。恐らく技師たちが、コンソールから接続して様々な情報を抜き取っているのだろう。今も、「接地圧正常」「機体比重想定内です」「粒子密度平均値、流動流出を認めず」「起動後エラー無し」「PIC安定」「良い調子ね」と数人で言葉を重ね合っている。どこか、自分の内面を覗かれているようで気恥ずかしい。
方向転換、歩行と試験を行い、次に浮遊試験となった。
「浮き上がるのに地面を蹴る必要はない。足の届く水中で、水に浮こうとする感覚でいい。水の浮力に任せるのと同じように、パッシブ・イナーシャル・キャンセラー……ISが持つ力に身を任せろ」
足を少し浮かし、しかし落ちることはなかった。数センチ、浮遊を実現した。
「うぉぉ、浮いてる!」
水中でぐるりと体を回す要領で方向転換をした。かすかに体を傾けてみれば、前後左右に動ける。これが慣性制御、まるで無重力状態。しかし、無重力では慣性が影響し続けるが、ISの場合は操縦者の意思で停止も移動も思いのままであった。
ここまできて、クラスメイトたちの顔がようやく平常に戻ってきた。その後ろで箒が、射出口へ向かって歩み出ていく。籠手を片側の手で撫で、「二七番、展開しろ」
青白の発光が籠手から漏れ出したと思えば、まるで意思があるかのようにうねり、渦を形成し箒を包みあげる。不定形の集合体と化した光は、体長を伸ばし、形を変え、人型へとシルエットを変移する。
風に吹き荒ぶ砂塵のように輝きは消え、代わりに銀灰の打鉄がその姿を現した。
クラスメイトの感嘆の声が上がる。
「先生、私にこの機体の一次移行を任せてもらえませんか。既にここまで動けるなら、専用機を持つならば、必要の筈です」
「ファーストシフト?」
初めて聞く言葉に疑問を返すが、箒はISの巨体で仁王立ち、千冬はその威圧を真っ向から受け止め腕組みし睨み返す。
「あー、今の白式は言っちまえば、まだ部品を組み立てたばかりに過ぎないんだ」と須藤。「『
仕方ねぇな、と言わんばかりに頭をかきながら、須藤も箒に向く。
「それで、まぁこっちの技術者がサポートするのが普通なんだが、手っ取り早い方法があってさ」
鉄がぶつかり合うような音と共にスカートから鞘が浮き出、箒は刀を抜き去った。大きな腕に見合う、長く、分厚い刀。切っ先は一夏に向けられた。
「動きまくって自分を追い込み、ISの自己進化システムに過負荷をかけて、強制的に互いを理解させるのがベスト、って考える連中も多いもんで。
端的に言えば、戦う、ってことだな」
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