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学園生活、最初の夜がやってくる。
夕食は、やはりドローンが料理を運んでくれる食堂で済ませた。「よーしっ、織斑の部屋いこーぜ!」と如月の一声で、まだまともな荷ほどきも室内の把握も終えていない一夏自身の部屋へ、着替えもせず制服のまま押しかけられた。
「風呂場の傍で工事してたのまぁじで織斑の部屋じゃん。やばくね? というか欠陥だろ」
腕組みする如月が脱衣所と部屋と両方の入り口を視界に収め唸る。実際には、その間には休憩所が設けられているので真隣ではなかった。しかし、早朝問題に出くわしたばかりの一夏からしてみれば、胃の痛む話である。
「もう下着で出歩けない」
誰かがそう言って、思わず一夏は肺の空気を吹き出してしまう。
「部屋着買い足さないとな」
「学園のジャージ追加で依頼してもいいか」
「でも白いからなぁ。汚れ目立っちゃうし」
ジャージは制服と同じく白基調で、黒と赤のラインがある。万一カレールーでも跳ねれば洗濯まで気恥ずかしい。当然、制服での食事は細心の注意が必要だ。
なんで真っ白にしたんだ。俺の白式とは似合うからいいけども。
「もしかしてここに休憩所があるから、隣になったのかな? 食堂も近いし」
深井が推察する。教室ほどある休憩所自体は各階に存在するものだ。備品の補充は生徒の役割であるが自由に使える。同じ権利が一夏にも与えられるべきとして、この場所になったのだろう、ということだ。
「え、ほんとにこれ全部好きな時に飲み食いしていいのか?」
冷水温水サーバー、緑茶、紅茶、コーヒーのインスタントが揃っている。チョコなど軽いお菓子までもあり、聞いていた以上に充実している。部屋を出て目の前にこれほどあれば、勉強も捗るのではなかろうか。
「うん。無くなったら自分で食堂から補充する感じ。頼んだらドローンが持ってきてくれるから。いちお、毎日の清掃時間で補充も項目に入ってるから、担当の子がやってくれるけど」
「ほー」
「上階担当になると大変だぞ? 皆が行き来するからエレベーター混むんだ」
「担当ってどうやって決まってるんだ?」
寮内各所の清掃は当番制。休憩所だけでなく、長大な廊下、風呂場、ドローン入出口を含めた食堂、週末は屋上公園の清掃も含まれる。とにかくどこも規模が大きく、短時間で終わらせるには人員がいる。当番は毎月、各学級委員が集合して決めていた。
それでも担当が無い生徒はいるが、休んでよいわけではなく自室の清掃が基本。風呂は共用であるもののトイレは各室にある上、簡素なキッチンなど水場も備えている為この時間が必要であった。
「織斑くんは、その……」
深井がおずおずと近寄り、手を震わせて言い淀んでいた。
「俺の担当? 水場以外なら大丈夫だよな? あ、男子用トイレは必然的に俺か」
「だ、だよね! 間違ってお風呂担当にしないように、気をつけるね!」
「おう、頼むな!」
風呂場の利用時間は、湯船は夜間のみだがシャワーは朝も使用できる。
今朝を思い出す。箒は、朝のシャワー後の一息をここで取っていたのだ。あの性格だ、端に寄って静かにしていたところを、一夏と鉢合わせしたのだろう。なんてタイミングだ。
「荷物はまだ片付けていないのか」
高城が、入り口に並べられる数個の箱を指した。
「今日来たばかりだからな」
「な~に入ってるのかな~」
布仏が開けようとした。
「待ってくれそれは下着とか入ってる箱だ!」
「あっ。あ~」
離れてくれた。
「せっかくだから運び込んじゃおうぜ。部屋の中見たいし」言った如月が、小さいが如月が持つと小さくは見えない程度の大きさの箱を担ぎ上げ、扉に手を掛けた。「開かねぇ!」
「そらそうだろう」
「待ってくれ。今開けるから」
胸ポケットから鍵を取り出す。金属製カード型。重量があり、曲がらない。身近な大人が同じ素材のクレジットカードを持っていたが、それを思い出させる作り。
鍵を取っ手部分にかざすと、ドアが自動で動く。
「え! 自動? これって、近々工事入れて全室入れ替えるって言ってたドアだよね!」
深井が急にテンションを上げる。
「緊急脱出時用の爆薬ボルトが付いてるやつ!」
「なんだよおっかねぇな」
言われて見れば、ヒンジ部分は黄色一色である。
「燃やして切り離すタイプだから、触らなければ危なくないよ。でも、すごい重いんだよね、ドア」
「IS保管庫と同じ理由だろうか?」
「だと思うよ」
ドアをこつこつと叩くが、空隙が存在しないためか音は響かない。大岩に触れている感覚。
「はいはい、行こうぜ」
興味なさげな如月が先導する。今朝まさに箒の足裏を垣間見たその場から先は、数メートルの通路。そしてロックも何もない通常の扉がある。この空間と二枚の扉で、双方の騒音から遮っている。
先に入室した如月の第一声は、
「広ぇな!」
円形、家具家電類は壁際に順に配されているために中央にぽっかりと空間が空いている。天井はそれほど高くはないが、中央の空間だけで広いと感ぜられる。他の部屋と差はないと聞いたが、錯覚もあるだろうか。
「ここにローテーブルなりこたつなり持ってきて入り浸れる、ってことだな!」
「やめてくれ」
「布団ふかふかだぁ!」
既にベッドにダイブしていたのは布仏。「男の子用だぁ、ひろーい!」
「ストップストップ!」
「キッチンが広いな。コンロも三口とは……これは料理できなくてはならないぞ」
「その義務感はいったいどこから」
「机も大きいし、モニターも埋め込みとアームの外付けと二枚あるよ、なんで?」
「俺が聞きたい」
「で、茶は?」
「外にあるだろ!」
クラスメイトが入ってくる度に羨む声が絶えない。
「これが、半年も経てば立派な男の部屋になるのだな」
ホテルの一室のような輝かしさすら感じ取れる今の一夏自室も、男の手にかかれば一変もしよう、と高城が思案する。一見整理されているように見えて、隅には埃がたまり、引き出しを開ければ物は押し込まれ、どこに何があるのか当人でしか把握できない部屋となるのだ。
という想像をしているだろうと睨む一夏は咳払いする。
「俺、これでも掃除得意なんだ。実家の家事はぜんぶ俺が見てたからね」
心身の健康に一番良いのは、自分の生活空間が美しくあることだ、と母の教えがある。父が仕事に追われる人であったからこそ、帰る場所はどこよりも心地よい場所でなければならなかった、これが子が産まれる前からの信条らしかった。
それを一夏は確かに受け継いでいたのだ。
「ほ~ん、偉いんだ。ウチなんか古くて狭いマンションだったから、掃除しても掃除してもほこりが出てきたぜ? 入学する前ぐらいに再開発で引っ越したけどさ」
如月が座り、テーブルにあごを載せたまま身の上を話す。舌噛むよ、と深井に諭された。
壁をくり抜いたように食卓はあり、壁面がそのまま椅子を型取っている。奥の壁には大きなテレビが埋め込まれていた。クラスメイトが勝手に電源を付けている。
「じゃあ、やっぱり織斑先生も家事完璧なんだね」
「いいや」
明確な否定に、クラスメイト全員が呆けてぽかんと口を開く。
「千冬姉はそこら辺からっきしなんだ。拭き掃除は隅まで見ないし、皿洗いは汚れ残すし。料理も正直……。まぁしばらくISの仕事で一人暮らしだったろうから、かなり改善してるとは思うんだけれど」
「えええ、ギャップ……」
「お母さんに料理とか教えてもらうと、それなりには作れると思うんだけどね」
聞いて、姉が母からどれほど料理を教わっていたか。
下処理を無視する。
うん、だめだ。
「だと思うんだけどなぁ。千冬姉が高校卒業するぐらいまでは母さんもいたから、色々教わってたんだろうけど、結局上達は見られず、だな」
クラスメイトはまたも言葉を失った。
「俺は母さんが残した料理メモとか熟読して上達したし、せっかく同じ学園にいるんだから今度は俺が教えようか」
「の、残し?」
呟いた深井がはっと口を抑えた。
「ああ。母さんは俺が小学校上がって、千冬姉が高校入った後ぐらいか、病気で入院してな。珍しい病気みたいで、結局しばらくしてから亡くなったんだけど」
「ご、ごめん!」
深井が風を感じる勢いで頭を下げる。続けてクラスメイトも謝りだした。
「いやいや、俺が切り出したことだし。それに、もう受け止められてるから」
「待て。母さんもとは、どういうことだ?」
「ランちゃん!」
「ああ、父さんも俺が中学上がる前ぐらいかな。過労で死んでるんだよ。一人手で二人面倒見てたのもあるし、ISもあってか、かなりシングルファザーに風当たり強かったし」
沈黙が包む。
「同じ年に、千冬姉がISの仕事で家を出ることになってさ、そこからは一人でなんとかしなきゃいけなかった! だから、なんだかんだでなんとかなってきたよ」
唖然と、張り詰めた空気は、一夏の明るい声音では癒えない。
「そんな」
声を漏らしたのは、玄関で一人静観していた箒であった。
「私は……」
箒は踵を返し、部屋を走り出る。
扉の強い音に、一夏はまたもその背中を見送った。
そうか、そうだよな。
箒は小学校高学年の頃に引っ越してしまっていた。だから、父の逝去は知らない。
近隣の家族同士、仲は格別に良かった。一緒に旅行さえ行った。箒は、確かに昔から難しい性格であったが、一夏の両親に対してはそうではない。言ってしまえば親戚よりも近しい存在だった。
母が亡くなった時、箒は同じ家族のように悲しんでくれた。すぐに理解できなかった家族の死を、箒と一緒にかみ砕き、それを心が理解した時、二人の嗚咽を混ぜながら一夜を過ごした。母さん、母さんと唱える一夏自身を、同じように泣きわめく箒が抱きしめてくれたのだった。
父さんのことも悲しんでくれるんだな。
思わずと、ガントレットを握っていた。
ああ、わかっているよ。
「俺、箒のとこ行くよ。今日はここまでな」
沈む皆にそう告げ、全員の解散を見計らい、深井に箒の自室へ案内してもらった。居るとすれば、一人になれるここだ。
だが一人にはさせない。させられるものか。
呼び鈴を鳴らしてみれば、扉向こうから物音は聞こえるが応答の意思はないようだ。諦めることなく呼び鈴をしつこく鳴らし続ける。時間も遅くなってきたので大声は出せない。何より、責めに来たわけではないのだ。
傍にいてやりたい、と。
しばらくして扉は開く。ブランケットを被っていてよく見えないが、涙と鼻水を急いで拭ったのだろう、少し憔悴して取れる。
「話さないか」
首を振られる。
「テラスがあったろ。二階の、常時開放されてるとこ」
「いい。もう、寝る」
背を向けようとする箒の手を掴む。
「ほら。俺まだわかんないから、案内してくれよ」
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「珍しいな。先生が週末でもないのに酒を飲むなんて。手は大丈夫かい」
「そういう日もある。手は……一夏が処置を重ねてくれた」
「そうかい」
千冬は仕事と食事を終え、着替えもおざなりに須藤の部屋を訪ねていた。
教員宿舎は学園駅側にある。テーマパーク方面を眺望できるよい場所だ。そして、一室一室が一人暮らしには広すぎるほど。だからこそ、須藤の部屋の一角はさながらバーのような趣に整えられていた。
焦げ茶に統一された棚、ミズナラを切り出したカウンター、座り心地のよい一人掛けソファ。棚にはグラスや何種類もの酒が並ぶ。メインはリキュール、次点でウイスキー。棚下のセラーにはワインと日本酒も収められる。
「今日のあたしとサシで飲むのか?」
昼間のやり取りを思い出す。混乱の中でお互い熱が上がってしまった。燃え上がった火は鎮火できているわけもなく、お互いの中には燻りも残っていよう。このまま酒が入れば、一体どうなるか。
「連れがいる」
しかし、と千冬が伏し目がちに言う。
呼び鈴が二重で連続する。緊張に指が震え図らずも二度押してしまったかのように。
「飲めるのか?」
「付き合わせるべきだ」
「先生らしいな」
須藤が出迎えたのは、やはり山田であった。だぼついた緩い私服の彼女は、低頭で席に着く。
「え、えと。明日も仕事なのにお酒は……」
「そんなビクビクしなくても。こんな日は、ほんのちょっと酔って寝るのがいいのさ。さて、何飲む?」
千冬はゴッドファーザー、須藤はグラッパをストレートで、山田は昔ながらの無難なジントニック。
地に足の付いたどっしりと濃厚なアマレットが、頭の中を苛む焦りを落ち着かせてくれる。スコッチではなくバーボンベースで、甘い余韻が長続きしているのは、須藤の優しさかもしれない。一口を味わい、背もたれに体を預けた。
グラスの氷がひとりでに転がった頃、ようやく会話は始められた。
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