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「用意はいいな!」
床のラインを目印に、クラス全員は一定間隔で整列している。千冬の掛け声に威勢良く返答した生徒たちは、自身の左手に備わった銀灰の塊に手を添えた。
「まずは一列目!」
「はい!」
ついに新一年生の起動の時が来た。ある者は緊張し、ある者は期待し、ある者は不安をあらわにする。ここで起動できなくては、この学園にいる意味は失われる。
最前列の数名が、機体番号を唱え、起動を指示した。
束の間、光源の少ない射出口に輝きが増え、空気を押し出し新たな質量が産まれる。
前方にISの壁が、歓声とともに立ち上がっていくのを見届けた箒は、左右を一夏と高城に挟まれながら自身のそれを起動する。箒にとっては慣れた所作だが、両隣は少し手間取った様子だ。
遅れた、とはいってもコンマ以下の差。ほぼ全員がAランクの中、粒子抽出からIS構築までは、よほどにぶくない限り目に見えた差など起こらない。問題はその後だ。
前方の一人が、静止の指示に反してふわりとその身を浮かし始めた。静止位置を保てなかったようだ。パッシブ・イナーシャル・キャンセラーは、ISが持つ慣性をIS粒子の崩壊によって打ち消しているとされる機能だ。便利なことに打ち消すだけでなく、慣性に方向を与える、または変えることが可能だ。
静止の場合は重力を使い、慣性力の指向を操ることで移動を可能としている。うまく操れなければ、自身の意図しない慣性に体が引っ張られることになる。拠り所無く飛んでいくシャボン玉のように。破裂? 誤れば十分にあり得る。
「おい、勝手に動くんじゃない!」
千冬の怒声と天井付近まで浮き上がるクラスメイトを視界の外に、自機の整理に移った。
昨日の戦闘ではサイドスカートスラスターと両足の計四基だった。今の箒の瞬間粒子抽出量であれば、スラスターは八基まで追加することが可能であり、今日はそれを実現した。理論上、打鉄は三八〇基への増設が可能というが、それを実現できる者はいないだろう。現に、公式データでは三〇基が最大記録という。
左右スカートに別れた六基を、一瞬吹かす。足下に空色の粒子が、ドライアイスに冷やされた水蒸気のように拡がった。
その一瞬の内では、スラスター内部には高速回転して円筒を成す粒子群が現れ、中空を通過する粒子を加速させていた。多量の粒子に速度を加え吐き出すことでISに推力を与えているのが、ISのエンジンと呼べるものだった。また、PICでは実現できない速度や加速をISに与えるためのスラスターでもある。
一見そのエンジンはただの粒子の旋回で単純に見えるが、その制御には初め苦労したものだ。瞬間粒子抽出量を上回ればガス欠、一定出力を保つのも地面に何度も衝突を繰り返してようやくだった。こうして、可能だからといって八基に増加はしたが、増設分のコントロールに意識を裂かねばならない。
ISは車や飛行機のようにハンドルやスロットルがない。これは一見操作を難しくしているようにも思える。ただし加減速また速度維持は、慣れだ。今日一日の訓練で八基エンジンに慣れる。
隣の一夏にちらりと視線をやれば、目を閉じて思い切り鼻で空気を吸っていた。にわかに忘れていたことを思い出す。ISの起動後は視界が広がるだけでなく、鼻や喉の通りもかなり清々しくなり、冷えた新鮮な空気を味わっている気分になる。
ちょっとだけ真似をした。
昨日の戦闘を思い出す。八基にスラスターを増加させたものの、果たしてあの速度に追い付けるかどうかは未だ疑問であった。最新技術搭載機と量産機の差を、まざまざと見させられた。
打鉄は、結局は万人のための扱いやすさを求めており、豊富な後付装備と拡張領域で叶えた
新技術を満載にした代表生専用機は、やはりエンジン一発の推力にしても箒のそれを上回っていた。ただしこれだけが理由ではないと睨んでいた。
あの時、
あの突撃の始まりを思い返す。
白式のスラスターは両足の二基。スラスターを用いた加速はまるで蹴飛ばされたボールのようで、PICで機体と進路を安定させつつ前進する。しかしながらそれとは明らかに違う、異質な加速であった。まるで動画に似て、一時停止していたものが再び動き始めたかのような。
山田先生が宙のクラスメイトを床に引き戻した。
もう一度、ちらりと一夏の顔をのぞく。昨晩の箒を慰めた優しさは影に隠れ、姉の面影を思わせる鋒のような気迫がある。ISで強くなると豪語したのだ、それだけの心持ちはなくては。
あの優しさがあって今日の気分はいくらか晴れ晴れとしている。本来なら私が慰めるべきだった、と過去離別したことを悔やむが、これから先で取り返していこうとも思う。
違う、注目したいのはその白式の両翼だ。
打鉄の第五シールドと同じで、両肩に引っかけるようにして空中に鍵型の翼、
小羽根は明らかに移動に寄与している筈であるが、通常の粒子エンジンとは違いIS粒子を吹き出してはいなかった。第一、翼の向きからして粒子を吹き上げればまともな前進などは不可能なはずだ。
粒子エンジンによる出力には明確に力の方向がある。世界を激変に導いたISといえど昔ながらの反動推進が移動の主体だ。可能な限り静止を維持しようとするPICを破り速度を与えるのに必要であり、モーメントが打ち消されてしまうために速度を維持するには吹かし続けなければならない。
この機体にいったいどのような技術が使われているのか、箒はその何かを把握し導いてやらねばならない。月並みな教えなど授業で十分。
私がやるべきは、新技術実験機が辿り着けるであろうISの新領域へ一夏とともに行くこと。
それが叶えばきっと……。
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成績優秀者――単に数字の上での評価だけではなかったと、この日になりようやく箒は思い知った。
昨日の一夏同様、飛行以外の簡単な動きの確認をしていたが、想定していたよりも速やかに終えた。始めふわりと浮いてしまった生徒も、教われば難なく基礎の動きをものにしていた。
『強くなってやるぜ。篠ノ之さんが退屈しねぇよーによ』
ミニサイズクラスメイトの言葉を思い返す。IS起動ラインぎりぎりのランクEにも関わらず、彼女は偉そうに腕組みをして順番待ちをしている。
緊張に身を強張らせていた者も、基礎機動を無難に済ませてしまったので、意外と大したことなかったとでも言いたげに涼しい顔だ。
最後列の位置から動かず、経験者故に呼ばれることもなく、ただただ立ち尽くしていた箒こそ、想定外と言いたい。
入学前には教師から、最初はあなたにも授業を手伝ってもらわないといけないわね、毎年代表候補生だった子たちにはそうしてもらってるの、基礎のおさらいになるし、後発のクラスメイトとも仲良くなれるし一石二鳥よ、と言われていたのに。
話が違う。
「用意はいいですか? 足、どちらでもよいので前後に開けて、姿勢を下げましょう。左右のスカートが自動で後ろを向きますので、姿勢を維持したままエンジン出力を上げます。いいですね。視界中央の出力計で四〇になるまで出力を高めてください。……そうです、みなさん上手ですね! あとは走り出すようにして足を蹴り、両足を後ろに投げ出せば発進できます。それでは、私の後に続いてくださいね。停止は先ほどしたようにしましょう。――では、行きますよ」
山田が出力を解放させ、全一〇レーンの軌条の残り九名の生徒が、一秒程度遅れてそれに倣った。計一〇機は光芒を残し、陽光の向こうへと消えていった。
だが、その九名はまともにISを装着してまだ三〇分にも満たないのだぞ!
箒は三年前を思い浮かべる。
まだ背が低かった三年前。その身長に合わせたこぢんまりとしたISに身を包んでいた。まずは、無重力状態とは似て非なることを理解する浮遊中の基礎機動、次は速度に慣れることから始まった。
まずはPIC移動。打ち消している慣性に方向とやらを与え、前進する。静止状態からの最高速度は決して速くない。通常はブレーキが目的のシステムである。当時の愚鈍な教師が言うには、車のクリープ現象やらエンジンブレーキやらを用いて説明していたが、こちらは小学生あがり。何を言っているのか今でもさっぱりだ。
PIC加速から徐々にスラスターを追加していき、約一ヶ月掛けて当時の最高速度を感じた。
スタンディング・テイクオフなどその後だ。
それがたった三〇分せずか。
なるほど、ISそのものの自動化が進んでいる証拠でもあるといえる、として箒は自身を納得させてみる。まだまだマニュアルの多かった前式打鉄から学んでいた自分自身こそ優れているのだ、と。
二列目も難なく飛び立ち、箒と一夏ともう一人の順となった。
山田、須藤と交互に生徒の発進に付き添い、そして箒の隣に並んだのは山田だった。目が合うと、曖昧な微笑みがあって逸らされる。
「え、私がこの二人と同列なのか」
九、九、ときて余りの三人は一夏、箒そして察しが余りに早い小麦肌の生徒となった。
「飛ぼうぜ」
と一夏がサムズアップ。それに「ふむ」と頷いたクラスメイトは、一体何を納得したか「行くとしよう」と姿勢を落とした。
先生は箒の背ごしに彼女を心配していたが、問題なく発進姿勢を整えたのを見届けると、各推進器にエネルギーを込め始める。
扇子を勢いよく開けたような、機械のそれとは違う音に左端を見やれば、白式の翼が金の小羽根を展開していた。
振動、している……?
ISの知覚を以てしても疑問に思えるほどに、その揺れは極微なものだった。やはり、あの部分はそれが全てでないにしても移動能力の一部であろう。
合図、発進。
箒は立ち遅れなかった。真横に先生の眼鏡が陽光を反射するのが見えた。一夏は二度目の起動でありながらその出力特性を理解しているようで、彼もまた遅れていない。だが、間のクラスメイトまでもが数コンマの遅れもなくぴったりと、四名で横並びとなって中央アリーナの空中へと飛び出した。
彼女らクラスメイトは、想定よりも早くライバルとなるかもしれない。箒はそんな予感を、あまり好ましくないざわめきが胸に産まれるのに気付きながら、上下に整列する打鉄を視界に収めた。
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