インフィニット・ストラトス Re-Boot   作:達田タツ

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第九話

▼▼▼

 

 

〝頭を動かさないで! 進行方向だけを見て飛んでください! 意識が左右に向けばISの進路もぶれます!〟

 

 グループ・チャネルが一夏の耳元に響く。

 

 時速一五〇キロメートル。ISにおいて決して速くはない速度を必死に、自分の意志で維持している。『自身の前に円錐を想像する』という教えを守りながら。

 

 髪は揺れているが、まるでそよ風でも感じているかのよう。一夏は、風の抵抗を受けることはなく速度を実現していた。しかし難しさもあった。力の込め方や速度への意識を誤れば、すぐにスピードは速まったり緩くなったりと、機敏に変化を見せる。

 

 この速度を維持したい、その念じをISは汲み取ってくれるものの、気を抜けば失速を招いた。

 

 左前に箒、その前を山田が飛行する。クラスの半数を率いる山田は、中央アリーナ内壁を時計回りに飛ぶ。

 

 今はまだゆるやかな右旋回。速度と姿勢に意識を割ける。が、

 

〝速度上げます! 時速二〇〇、加速五秒!〟

 

 今日の目標は、制限速度の時速三七〇キロメートルらしい。今の倍以上。

 

 初っ端からこれは、キツくないか? と、加速に合わせ身体が徐々に右に傾いていくのを思いながら、アリーナ内壁に沿って天へと広がる透けた壁を見上げた。

 

 この壁には当たれない。

 

 

 

「なんだ?」

 

 アリーナ内、競技場と傘を持ったスタンドを隔てる壁面とフェンスにそって、ぐるりと円状のライトが発生して音もなく真上へと伸び上がっていった。SF映画のような不思議な光景に、整列する生徒らは一夏を含め一様に見上げていた。

 

「防護壁ISだ」と須藤「観覧席側やアリーナ外に、流れ弾やISそのものが侵入しないためのものさ」

「防護壁!」

 

 そりゃすごいと感心。これがあれば、どんな攻撃も通さないわけだ。

 

「名前を聞けば大層だが、原理は、学園機と相互作用したプログラムで、学園機側の粒子をその場で停止あるいは消散させるシステムなんだ。弾丸はその程度で済むがな、ISそのものが数秒防護壁に接触していると、エラー扱いで強制墜落するぞ。近付くなよ」

 

 フィルターみたいなものか。

 

「ISレーダーに移る白い領域が防護壁だ。覚えておきな」

「レーダー?」

 

 と一夏は疑問に思えば、察知したISが視界に図を呼び起こした。線で描画された簡易な立体映像、ジオラマを横からのぞき込むように視界に広がる。ゆがんで急坂を描くのは中央の塔。最大範囲にすれば、なるほど白く分厚い円で覆われていた。

 

「IS訓練中は、用務員の皆さんがこの防護壁を展開してくれている。授業が終わったあと、訓練を終えた後はしっかり感謝するように」

 

 昨日は白式と出会った興奮で意識できなかった、学園を象徴する中央アリーナの内部をじっくりと観察する。地面は他と同じように砂地、防護壁を形成する内壁を越えればベンチが並ぶ観覧席。ベンチに影を落とす湾曲した屋根がある。見上げればもちろん、中央塔の高度制限を示す円盤があった。

 

 防護壁はちょうど、その円盤の辺りで途切れているように見える。

 

〝整列したな!〟

 

 頭に声が、バインダーで叩かれたように響く。オープン・チャネル。IS間通信でプライベート・チャネルが言葉通り個体間であるなら、オープンまたはグループは複数を相手にした通信。

 

 声の主はもちろん千冬だ。今し方一夏たちが飛び出した、一番射出口から指示を出しているようだ。

 

 なんだ、千冬姉は上がってきてくれないのか。少し、落胆。

 

〝ますはパッシブ・イナーシャル・キャンセラーに慣れてもらう。ISの基本はPICだ。制限内最大速度による巡航飛行、また直線飛行中の急加速と急停止の二つだ。二班に分かれ、それぞれ山田先生と須藤先生の指示に従え〟

 

 出席番号前半と後半でクラスは分裂。一夏はア行、山田の組に入る。

 

 

▼▼▼

 

 

 山田班は、自転車の漕ぎ出しに似た始まりから、気付けば二〇〇キロオーバー。

 

〝速度上げます! 時速二五〇、加速八秒!〟

 

 二〇〇キロを超えた段階で、それまで緩やかに思えた旋回が次第に宙返りへと変わっていった。今や腹は壁を、背はアリーナ中央を向く。大振りな宙返りだ。

 

 脱落者はいない。開始前に、きつくなれば一度列から抜けてかまわないと伝えられていたが、誰もが初めてその身に感じる速度に食らい付いている。

 

 学園機ではないISの最高速度は、前年までの公的記録では時速八〇〇キロ。二式打鉄のスラスター二六基による五分間の記録。これは現状どの国も破れていないらしい。となれば、たかだかスポーツカー程度の速さで脱落するわけにはいかなかった。

 

 ギリギリとヤスリ掛けに似た音が甲高く響き、加速を意味する粒子の柱が立つ。左前の箒が行う加速は八秒経過前にその力を落とした。落としはしたが、八秒前とは明らかに伸びきった光の柱が箒を推し進めている。

 

 ISが何よりも輝かしく飛行するのは、慣性を打ち消そうとするPICのパワーを破って前に進まねばならないためだ。

 

 幼い頃に初めて見たISはニュースの中であった。その機体は流星のように光を伴って、真っすぐに群青を奔ったものだ。

 

 今、俺は、その流星になっているんだ。

 

 気付くと、箒がこちらを向いていた。手でこちらを押すようにジェスチャーしている。いつの間にか近付き過ぎていた。

 

 一夏は単純な顔の向きだけでその進路が歪んでしまうというのに、箒はほぼ真後ろまで首を曲げても揺るがない。経験の差というのは顕著に表れるものだった。

 

 疑問だが、箒のあの長い髪はどうしてああも乱れずにいるのだろう。他のスポーツであれば、髪の長い者は丸めてしまうか、さっぱりと切ってしまうか。昨日の戦いも振り返るが、あの長髪が転回の邪魔になってはいないようだった。髪は頭の後ろにあるのが常識とでも語りたげに、どんな速度においてもそよ風に振れるばかりで乱れない。

 

〝おい織斑!〟

 

 姉より同じ名字で名指し。

 

〝篠ノ之の邪魔だ! 距離を取り直せ、集中しろ!〟

 

 違うんだ俺は純粋にISに対する研究を……と言葉が頭に浮かぶが、箒の睨みに吹き飛ばされた。

 

 編隊飛行訓練ではないから明確な距離間は定められていないが、衝突すれば双方どこに飛んでいってしまうかわからず、迷惑である。

 

〝おい相川! 高度が上がり過ぎている。四〇メートル以内だ!〟

 

〝おい瑞慶覧! 外縁に寄りすぎだ、墜ちるぞ! 三〇は距離を取れ!〟

 

〝おい谷本! 加速が遅いぞ、前方と距離があいた! いや、無理に詰めるな!〟

 

 時折こうして千冬から、ISの速さを超えて鋭く注意が差し込まれる。正直墜落が怖くてこんな壁際低空で飛びたくなんかありません。もう時速三〇〇にもなれば、壁や地面がまるで自分に突撃してきているようにさえ思える。それが嫌な恐怖心をかき立てている。

 

 信用するのは計器だと言われた。視界の中央には、阻害しないように薄く、細く、しかししっかりと読み取れるHUDがある。高度計は一八。もう倍は取りたい。クラスメイトのミスにも同意できた。

 

 にしても、「おい」から始まるのはどうにかならないものか。身体が強張ってしまう。

 

 何度目かとも数えられないほど過ぎった一番射出口の直前。千冬は射出口甲板の際に、防護壁に守られているとしてISは展開せず立っていた。

 

 目が合った、気がした。

 

 千冬姉も、こんな訓練を繰り返したのだろうか。

 

 IS世界大会、第一回モンド・グロッソ。その頃のISパイロットは、軍人や自衛隊員ばかりで、民間から適性の良さで選ばれた者というのは世界的にも十数人という。千冬は、ISの登場以前から反射神経や体術を学び鍛えていた者と肩を並べ、そして勝利した。

 

 そこには、一体どんな努力があったのか。まだISというものの理解も浅かった時代に、どうしてこの人は強くなれたのだろうか。

 

 剣道で鍛錬していたから? 卑下する意図はないが、軍の訓練に比べれば、東京のいち道場の修練なんてたいしたものでないだろう。

 

 その気質があったから? 確かに姉は物怖じしないが、気負いだけで猛者になれるほどISは甘くないと思う。

 

 そう考えて、ひとつ分かったことがある。IS使用者は、それまでの努力が見えにくいのだ。実際にISを操ってみせて初めて、その技量から歴史をうかがえるのだ、と。

 

 絶対防御で身体が傷つくこともなければ、筋力を鍛える理由もなく、ある程度の軌道計算など難しい計測はISが代理で答えを導いてくれる。バカでも使えるというわけではないが。

 

 疑問はこう変わる。どこに、努力があったのか?

 

 あるいは、姉は最初から天才的かつ神がかり的技量であったのかもしれない。友人に天賦の才がいるのだ、類は友を呼ぶと言う。努力、もちろんあっただろう、しかしほとんどは自前の卓越したセンスで乗り切ってきたのかも。

 

「速度上げます! 時速三五〇、加速一二秒!」

 

 弟が言うのも色眼鏡がありそうだが、姉は、美しさも併せ持っている。数年ぶりの再会でも改めて感じた。鋭いアーモンドの目も、一文字の口元も、厳格な雰囲気の彩り。顔立ちもプロポーションも悪くない、いや、人気がその素晴らしさを証明している。

 

 第一回モンド・グロッソの後、民間出身ながら優勝といった見出しで各誌にて取り上げられた彼女は、男女の隔てなく人気の的だった。クラスの男友達が姉に熱中していたのを見て、どうにも気分が悪くなった。男らしいところが魅力で、女性からの人気もある。昨日今日で姉に羨望の眼差しを送る同級生を何度も見た。

 

 ただテレビやネットに現れることは少なく、一種の象徴としてその姿は残っている。学園の大広間にある巨大なホログラムも、姉を模していたのには驚いた。

 

 IS業界における、伝説なのかもしれない。

 

 姉がその天性の才能を発揮するのは運命だったのだろう。その美貌と技量を国に買われ、急き立てられ、気付けばISの最初の頂点に立っていた。

 

〝力み過ぎるな! どの程度の速度で飛ぶべきか、しっかり頭に思い浮かべろ!〟

 

 シンデレラストーリーだと呼べるかどうか。本人はシンデレラとはほど遠い、むしろ英雄譚と呼べる武者ぶりだが。

 

 再び射出口の前を過ぎていく。また目が合った、気がした。

 

 高校生だった時よりは疲れを覚えた顔だなというのは、弟だからこそわかる変化。それを加え贔屓なく見たとしても、箒と並んでその瑞々しさは健在だ。

 

 どこに努力があるのだろうか。

 

 その努力を知るには、どうすればよいのだろうか。

 

 胸に手を当てる。

 

 お前は知っているのか……白式。

 

『私を見ろ』

「え?」

 

〝織斑!!〟

 

 右翼が砂地を削り、片手がバランスを取ろうとするが、その手は地面を突く。高速の中で全身は跳ね、次に頭が砂中に突入し、両足が行き場を失い、全身が地に押しつけられ、飛行の意思を保ったPICが体を空に戻したものの、しかし推力は八方に散ってしまい、機体は内壁にその身を撫で付けてけたたましい音を立て、防護壁システムによって推力をカットされたISは再び地面を抉る。

 

 一夏は、墜ちた。

 

 

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