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若葉映える木々を瞳に映しつつ、この数ヶ月のことを思い返すのは、長めの髪を窓に押しつけくたびれた表情で座る、織斑一夏だった。
怒濤に過ぎた数ヶ月であった。ISに関係した仕事に就きたいために、IS自衛隊に入隊する一番の近道であるIS学園防衛科へ入学試験を受けに来たのが二月の中旬。案内通りに進んだはずの道の先には、なぜかパイロット向けの試験室であって、そこには駐機状態のISがあった。触れてみれば、女性しか扱えないはずのISが起動し、それを察知した教員たちによって捕まって、気付けば自衛隊員に囲まれていたのだ。
わけ、わかんないよな。
その時の自分は、ただスマホの案内通りに進むことしか考えていなかった。当然だ、入学試験で緊張していたのだから。しかも、部外者は入れないIS学園の校舎に、この入試の日だけ入校を許可されるのだから、そこら中に凝り固まった異性の香りを感じて強ばっていた。中学の間ずっと使ってきた鞄には、大事な教科書や問題集が詰まっていた。頼りになるのはそればかりだった。
思えば運が悪かったのだ。朝起きてから確認した時計はいつもより一時間早かった。両親はすでに他界しており、姉もIS関係の仕事で忙しく家には帰らないので、誰もいない自宅を出た。その後は、間違えの無いように記憶した道順に学園へと向かった。道中は試験のことしか考えず、時間を間違えていたことには気付けなかった。
東京湾に座るIS学園は、羽田空港から専用地下鉄リニアが走っている。六両編成、左右三座席で幅広のリニアモーターカーはがらがらであった。時間が早かったことに気付いたのはその時だ。ただ、これに乗ってしまえばもう一〇分強で学園に到着するので引き返すことは諦めた。早く着けば会場の空気にも慣れるし、基礎を再確認する時間も取れる、と考え直した。
もし時間通りに向かっていられたなら、同じく試験へ来た多くのライバルたちとともに正しい試験教室へ辿り着けていたのだろう。通常の試験問題を汗流しながら解き、心臓を落ち着かせて面接を受け、満身創痍で帰宅し、焦燥しきって結果を待つ日々があるはずだった。しかし自分は今、ISを使用する者として学園に通おうとしている。姉のおかげでISをよく知っている一夏にとっては、デタラメな夢のような話のはずだった。
「元気ねぇな。そんなんじゃモテねぇぞ?」
運転席の教師が後部座席に振り向く。外国人とのハーフらしいその教師は、巻きぐせの長い髪に、強気な目を持った人だった。彼女から発せられる言葉には唸る虎に似た荒々しさがある。体育と、IS強化訓練科目という教科の先生らしい。体育はともかく、後者がどのような内容なのかは、ISの訓練という以外に想像できない。名前は、須藤
車は自動操縦になっている。道路に通信端末を埋め込んだ、路上の車を把握しコントロールするシステム。二〇三六年の今では、中心部はほとんどその特殊な道路となっている。また全国の各主要都市やそれらを繋ぐ幹線道路なども変更が進んでいる。IS学園が建てられたのは六年前だが、先行として初期モデルが導入されていた。現在はシステムも更新され、学園駐車場までの道を走っている今は、須藤はハンドルを握っていない。
「せっかく女の子ばっかの学園へ行くんだから、もっとシャキっとしろって。じゃないともったいねぇぜ、おい」
そう親しげに言ってくるが、一夏はこの数ヶ月の疲れが祟っていた。
確かに忙しかった。だがその間に、夢のような事実をゆっくり受け止めることができた。織斑一夏という男が、世界で唯一の男性ISパイロットになる。この事実の重大さは、マスコミの度重なるインタビュー、政府とのあらゆる契約など毎日続く激務の中で実感していった。自分は世界にとってありえない領域にいて、ノンストップで突き進んでいる、と。これは世界中の人間にとって眩しい出来事であり、誰もが羨むことだった。
とはいえ十五歳の身体には厳しい経験である。国会、IS自衛隊浜松基地、IS技術研究本部と色々なところへ連れ回されたし、中学の卒業式には遂に出席できなかった。一夏を羨み悔しがる友人に言うべきお別れも通話で済ませることになった。あまりにもひどいんじゃないか、と友人たちの親や仲の良い隣家の家族が抗議をしてくれたが、何も変わりなかった。
結局IS学園入学式にも間に合わず、約一月遅れて、ゴールデンウィークを控えた四月最後の月曜、ようやく初めての授業となる。
教科書の本やデータは受け取っていた。学園でのISの使用要項などもしっかり頭に入れた。思えば忙しかったのに、さらに真面目に勉強も続けたから、休息を取る暇も無かったのだ。忘れるほどに没頭していたともいえる。
一夏は今日から寮に入る。IS学園の寮であるから当然女性しかいないのだが、特別に風呂付きの一室を作ってもらっている。今頃、荷物が玄関先に積まれいるに違いない。その荷解きもしなきゃな、と一夏は暇こそ夢見て目を伏せた。
「おいおい……」と呆れた須藤が、体育教師らしくふわりと身軽に一夏の隣に移ってきた。シートベルト解除と重力感知で運転席から人がいなくなった事を認知した車が、警告音を出しているが須藤はまったく気にしていない。一夏の肩に腕を回し、ニンマリ顔を近づけてくる。驚いた彼は、なんですかと声を上げた。
「危ないですよ、車!」
「危なくなんかねぇよ。どうせ駐車場までオートだ」
いいか? と改める。
「お前はすげぇんだ。
おもむろに一夏は頷いた。あの入試の日までは、ISに関われる仕事ならばいいと、漠然な未来像しか描けない中学生だった。もし同じように考える男がいて、何らかの行動でISを起動することがあるかもしれない。それは夢があるが、既に自分という先例がある。これは揺るぎない。
須藤が一夏の胸をどんと叩く。
「誇れよ。そのための、今日からの生活があるんだ」
一夏は、須藤の目を見つめ返した。優しい目だ。まるで家族のように温かく見守ってくれる目。彼女の言葉は心地よい。でもきっと言葉だけでない、と一夏はなんとなく感じた。心から一夏に自信を付けてほしいと、本気で生徒を想ってくれている。こんな人に教えてもらえるならきっと楽しいんだろうと予感する。向けられる熱の籠もった瞳は、今いる織斑一夏のみではなく、いつか辿るであろう未来への期待があった。
一夏は迷う。応えられるだろうか。姉と同じくらい、立派なISパイロットになれるのだろうか。
笑った須藤は再びふわりと運転席へと戻り、一つのボタンを押す。すると天井まで続くフロントガラスの、遮光のために曇っていた部分が消え、昇る太陽の光が車内を照らす。突然の眩しさに手のひらで遮ろうとするが、陽光の照り返しに目を奪われる。道の向こう……左右に茂る枝葉の向こう、そこに空高くそびえる白い塔が見えた。
「ようこそ、IS学園へ。あの空は、お前の未来を築く場所だ」
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