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白地に赤の一本線。
それは目立ち、覚えやすい、目印。
祝い事に紅白は付きもの。
幼稚園の入園式、紅白のお花紙に迎えられ、未知の空間に恐怖し、母に支えられながら歩んだ。友達がすぐできるわけではなかった、ただ、もっと小さな時から遊んでいた女の子が一緒だったから、どこか気が楽だったのではないかと思う。
卒園式、また紅白のお花紙、今度は送られた。最年少作の不格好な花や先生作のきれいな花が混在た花道は、ひっくるめて美しく華々しくそして誇らしく感じた。
次は小学校の入学式。ここにもお花紙はあった。幼稚園のそれよりも倍以上ある数に、自分が行く未知にまた恐怖した。だが、その女の子と一緒に通学した道はどこか明るく感じられた。
初めての文化祭で、紅白幕の張られた体育館での演劇を経験し、学校が持つパワーに驚いた。それも翌年からはすっかり慣れ、増えていった多くの友達と行事を過ごした。準備期間に紅白幕を張っていると、いつもと違う時間がやってくると期待でわくわくした。
高学年に上がる頃には既にISが名を広めようとしていた。今こうしてISを学ぶ立場に立ってはいるが、あの頃は自分が直接関わるなど少しも想像しなかった。まさに、空の上の出来事であった。
小学校を卒業するあたりになると、小さい時から一緒だった女の子が転校した、以来会っていない。ただその時に贈ったリボンは紅白だった。深い意味などなかった、プレゼントに選んだリボンがきっとたまたま紅白だったのだ。それとも、紅白が特別な色であることを、小学生なりに理解していたのかもしれない。
目立ち、覚えやすい、目印。祝い事に紅白は付きもの。
白地に赤の一本線、そのリボンは一夏にとってただ一人の女の子のもの。
「……箒?」
専用部屋と寮を結ぶ連絡通路、それを仕切る重たい扉を開けた先で目が合ったのは、かつて一緒の遊んだ女の子だった。
「い、い、いちか……?」
きょとんとすっかり呆けた様子の彼女の口は固まってしまった。
「久し振りだな」
口を割って出た当たり障りのない挨拶に、返事はない。向こうも何から話せばいいのかわからないのかもしれない。一夏も懸命に話題を探すが、どうにも昔の思い出が溢れ出すばかりでうまく言葉にならない。
「そういえば……去年の剣道大会、全国大会でかなり良い位置で入賞してたよな。遅いけど、おめでとう。変わらず剣道は続けてたんだな」
いつか見た新聞で懐かしい名前を見た。
一夏が小学生になってから始めた剣道に、後から箒は合流した。竹刀が似合うな、なんて一言でなぜか怒らせて喧嘩になった。それからというもの、稽古の日は必ず一度は仕合うことになり、筋が良いと言われていた箒と打ち合って自分も成長していった。
通っていた剣道場は箒の父親のものだった。だから、箒の転校と一緒に道場は閉じられ、そしてそれから一夏が竹刀を握ることはなかった。きっと再戦すれば、一本も取れないどころか手も足も出ないだろう。
思い出と一緒に嬉しさも込み上げてきた。見知らぬ女の子だらけだと思っていたこの学園に、幼馴染みと呼べる旧知の友がいてくれる、これほど心強いことはない。もう一度同じ学舎に通い、学び、遊べるのだ。不安のあった学園生活に、お花紙が添えられた。
「あちゃー」
後ろから須藤の声が聞こえた。はっと我に返ると、箒がこちらに向けて足裏を突き出そうとしていた。
「ほい」
襟首を引かれて身体が仰け反り、踵はすんでのところで当たらず、くるりと自室に向けて翻された。代わりに須藤が前に出た。
「落ち着け篠ノ之。男が来るってのにそんな格好で廊下歩いてんじゃねーぜ」
そんな格好とは。須藤の脇からちょっと覗くと、龍を思わせる凄みがあった。
「お、織斑くん! それ以上見てはいけません!」
背中に柔らかいクッションが当たり、柔らかい手の平で視界を覆われた。
なるほど、タンクトップにショーツか。いくら幼馴染みでも女の子の下着はまずかった。にしても、あんなぼんっと胸が張るとは。小学生の頃を思うとずいぶん変わって、面影が無い。あの頃はそれほど気にしていなかったことだ。胸によって引き揚げられたタンクトップの裾は、鍛えられた腹をさらけ出していた。ただ髪は相変わらず、リボンが必要なほど長いままだ。手入れも大変だろうに、見て取れるほどさらさらと美しかった、まるで大和撫子。
蹴りはかなり鋭かった。須藤に助けられていなければアゴに命中していたろう。初日から保健室のお世話になるとは想像したくもない。
山田に目を覆われたまま自室に引き戻った。
「だから私は反対したんだ。こんな場所に個別の寮を建てるのは。校舎に近い場所に建てれば良かったんだ」
「や、それでもあまり変わらなかったと思うぜ」
千冬が呟くようにこぼす間に須藤が戻った。肩に、赤の一本線が書かれた段ボールを担いでいる。
「壁の薄い女子の巣窟だぞ、この学園は。小難しくなるのはわかってたろ」一夏に視線を移し「そういう意味でも不自由させるってことさ。って、山田先生、もう放していいよ」
「あ! はい! すみません、すみません!」
ようやく解放された。須藤が箱を開けて今日必要な教書を見繕ってくれている。どれも基本はデータなので本そのものは薄い。
「ま、家がお向かいでずっと仲良かったんだ……すぐ仲直りできるさ。裸見たわけじゃねぇんだし」
あれほど全身の筋肉が組み合った蹴りが繰り出されるくらいだ。余程怒っているのかもしれない。次会ったらまず謝ろう。
「どうして家が向かいにあったことを知っている?」と千冬。
「織斑先生の弟だからな」
「気に食わん言い方だな。まるで……」
「先生の出生は自衛隊出身なら皆知ってる。それ以外に知ってるのは、IS自衛隊出身じゃない先生自身と、その身内ぐらいか?」
「相変わらず気味の悪い集団だ」
「あたしはあそこを離れて長い。もう、あたしらの想像を上回っているかも、よ。……ほい、今日の教科書データの参考。鞄はベッドのそばだ、新品だぞ、使え使え」
「ふん……かなり丈夫な作りだが、三年後にはぼろぼろにするつもりで使え。準備が整ったら教室へ向かうぞ」
なにやら言い合いをした千冬と須藤だったが、一夏に教科書を渡してからするりと話題を移したところ大した話ではなかったかもしれない。
促された先には、ビニールに包まれた白地に赤いラインの鞄があった。かぶせを留めるボタンが水色で、学年を表している。
ここでも紅白か。ちょっと失敗もあったが、改めて良いスタートを切ろうと襟を正した。その襟も、白地に赤のライン。これからは毎日目にする色。絶えることなく、喜ばしいことが続けば良い。
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「ひゃあいらっしゃいませ!!」
空気が震えるほど強く開け放たれたドアから入ってきたのは篠ノ之箒だった。驚いた深井が恐る恐る尋ねる。
「お、遅かった……ですね? どうしたのですか?」
言葉は聞こえていた筈だが、箒は視線すら向けず自らの席に着いた。細かい所作に荒々しさが滲んでいる。
あの長い髪は羨ましいな、と高城はぼんやりと考えていた。勝手に広がらず、髪同士が絡んで膨らむこともなく、垂直に流れ落ちる滝のような髪だと。ただ、森に囁く静かな滝とはほど遠い、大瀑布の威を持っている。
同時に不安も感じた。奇跡の男を迎える練習には参加せず、あの態度。深井はあの通りだが、如月は青筋を立ててしまうだろう。元より――この数週間の付き合いではあるが――篠ノ之箒はクラスメイトの自分たちとあまりコミュニケーションを取ろうとしてはこなかった。深井が話しかけああして無視されることも、初めてではない。
最初こそ感じの悪い女だと影で言われたが。今年のISの代表生候補として育ちながら、ぽっと出の奇跡の男にその座をかっ攫われたのだと聞いた。目指していたものが他人に横入りされれば、やる気がなくなるのも当然だ。
そうだ、やる気が無いのだ、と高城は見る。代表生とは、毎年新入生の内一人のみ選ばれ、未来のISのために全身全霊を捧げる者。ましてや篠ノ之箒は中学よりISを叩き込まれた女、ISの為に生きてきたとも言える過去を送りながら、しかしその意味を失っているのだ。
我々も察してやらねばならない。
もし如月の堪忍袋の緒が切れた時は諫めに入ろうと心に決めた。だがしかし今日も、如月はその光景を目にしつつも何も言わない。彼女の自信に満ちた不敵な雰囲気と、自己の目的を失った者とでは相容れないのではないか、と危惧し続けている。彼女ら二人に挟まれて座る生徒は気が気でないだろう。
箒は席に着いてから窓の外を眺めている。教室の窓の先は尖塔、つまり中央アリーナがある。目指す場所は失われたが、それでもISが好きなのだと信じたい。
きっと私たちも好きになれる。
「もうそんな時間かよ」
言った如月の声音は変わっていない。時計を見ずに言ったのは、箒がやって来たことで時刻を悟ったのだ。
「よしっ。あとは待とうぜ。奇跡の男が来るのをな!」
「そ、そうだね」
「あんな者、わざわざ迎える必要などない」
皆が頷く中で、棘のある声が低く染み渡った。対極にいる高城の耳にまで篠ノ之箒の声は、森に遠く轟く瀑布の音のように届いた。言葉を聞いた高城は思わず立ち上がってしまう。
「なんだと……」
箒は背を向けたまま。
「篠ノ之さんは、あの奇跡の男と知り合いなのか?」
言った瞬間、動揺がクラス全体に広がった。
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しまった、と箒は悔いた。
まさか、たった一言でまるで全てを察してくるクラスメイトがいるとは思いもしなかった。迂闊な声を発してしまった。
いや、箒と一夏は以前に知り合っているのだから、いつか知れ渡る事実ではある。箒自身が言いふらさずとも、開口一番に久し振りと言うあの頓痴気には隠し通せまい。小学生の頃、とても明るくいつも箒の手を握って走り回ってくれた。心に思ったことが口に出る質だった。そして、悪いことに変わっていない。
剣道なぞ男のやる競技と信じていた私に竹刀が似合うと言った、あの頃のままなのだ。
この脅威が健在となると、もうここで皆にそうだと肯定してしまうのが良いのだろうか。小学生の時のことで、それほどよく覚えているわけでもないと、昔のことだと切り離してしまえばきつい質問責めに遭うこともないだろう。そうだ、別れてから一体何年経っていると思っている。
ここで変に取り繕えば、逆に怪しまれる。刀を握って銃撃の間を縫って攻める感覚で行こう。
だいたい、入学してからというもの、この学校のそこかしこで一夏を待ち望む声があった。ずっと浮き足立っている様子で落ち着かない。そんな状況で、渦中の男と知り合いなのだと知られたら一体どうなっていたか。むしろ、この日まで隠し通せた自身を褒めたい。
「だから今まで、歓迎の挨拶練習にまともに参加しなかったというのか」
後方のクラスメイトが更に察してくる。あの高身長な女の名前はなんだったか。机のモニターの隅に表示された座席表にちらりと目を向ける。高城ラン、注意していなければどんどん勝手に察して納得していくタイプの人間だ。
「え、えと、どういうこと?」
慌てている壇上の生徒が弱気そうにしている。長身女が答える。
「篠ノ之さんは、奇跡の男と旧知の仲で、どうも、あまり良い関係ではなかったということだ」
「そういうわけではない!」
勝手な推察に、声を荒げてしまう。
教室が静まり返った。
「まぁ」
ややあってから、二つ隣の席から声があった。
「わざわざ聞くようなことじゃねぇさ、よー高城」
確かクラスで一番背が低く、一番態度の大きい者だ。彼女の言葉に後ろの生徒は「わかった。篠ノ之さん、すまなかった」と言った。椅子を動かして座るまでに時間があったのは、もしかすると腰を折っていたかもしれない。
「だけどよ、あたしらも、奇跡の男に会えるのを楽しみにしてんの、わかってくれよな」
返事はしなかった。
私も……。私だって……。
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