青空めざせ!   作:みのるん

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いきはよいよい かえりはこわい




第10話 蕀の国

カイリとゴードンはある一軒家の居間で、質素なソファに並んで座っていた。一つテーブルを挟んだ向こうには、同じ型のソファに老婆が座っている。

家の中は物が少なく、ガランとした雰囲気が廃屋のように感じる。板で出来た腐りかけのフローリングに、汚ならしい絨毯が敷かれている。真っ黒い煤がこびりつき、元は鮮やかな色を出していただろう赤色の布は見る影もない。

灯りはなく、扉の隙間や窓から差し込む光が埃を照らしていた。

 

腰が曲がった老婆は、ボロ切れの布を身に纏いフードを深く被っている。顔はよく見えないが、ぼったりと落ちた瞼の下に爛々と、2つの目玉がギョロリと光っていた。

老婆は、骨と皮のおどろおどろしい両腕をカイリ達に向けて突き出し、ボソボソと何かを呟いている。

 

───気味が悪い。

 

カイリは口許をひきつらせた。冷や汗が滲む掌を握り込み、唾を飲む。絆創膏を貼った親指の、皮が引っ張られる感触が慣れない。感情を隠すようにカイリは真顔になったが、口許が歪な形になって目がうろんげに老婆を見つめている。カイリはポーカーフェイスが苦手だった。

 

老婆は、しばらくそうした後で(おもむろ)に口を開いた。

 

 

「おまえは呪われている。」

 

 

###

 

 

トラックが突っ込んできた時、カイリは死んだと思った。絶対に避けられない距離まで迫っていたのだから、カイリがそう思うのも当然である。

しかし、カイリは奇跡的に(・・・・)助かった。

トラックがカイリを轢き殺す、まさにその時、いつの間にかトラックから外れていたタイヤが、カイリの側にあった電柱に直撃した。そして、電柱は倒れてトラックを潰した。

カイリの目の前で、トラックは潰されて止まったのである。トラックの中に、人は居なかった。

 

カイリは奇跡的に助かった。しかし、カイリの不運はここで終わらなかった。

頭上から植木鉢が降ってきたり、滅多にないはずの地震に見舞われることもあった。事故に合う回数は倍増し、走れば躓き、木の上を伝えば足を滑らせないことはなかった。その度に、カイリは絶妙な幸運に恵まれた。

 

これはおかしい。絶対に。

 

カイリはこの不運のおかげで、すっかり神経質になったことを自覚していた。そして、ある時ふと、ゴードンがカイリに尋ねたことを思い出したのである。

カイリがゴードンにこのことを伝えると、ゴードンは神妙な顔をしてこう言った。

 

「御払いに行こう。」

 

───この世界って、幽霊いたんですか。

 

カイリは小一時間程問い質したかったが、ゴードンがあまりにも苦い顔をして、心配そうな顔をしていたため、カイリはぐっと言葉を飲み込んだ。そしてその後、思いがけない事実を知ることになる。

 

 

カイリには、HUNTER×HUNTERという世界についての記憶がある。しかし、カイリは兄の漫画をたまに借りて読む程度しかHUNTER×HUNTERを知らなかった。そのため、主人公がとある街で幻影旅団という盗賊と戦うところまでしか記憶にない。しかも、そこに至るまでの記憶は穴だらけであった。

ゴードンはカイリに言った。

この世の中には、不可思議な力があるのだと。おそらくそれは、思いの強さとも言えるもので、私達全員にその力を有する可能性があると。

 

その力のことは、俺もよく知らない。しかし、ハンターであるアルフレッドは知っているはずだ。生命そのものであるような、その力は、持ち主が死んで灰になっても残る(・・)ことがある。俺はそれを見たことがある。そして、この間も見ることになった。確信はない。けれど恐らく、君のその形見には死者の念(・・・・)が宿っている。

祓えなくとも、力を弱らせる必要があるだろう。

 

カイリはこの世界で初めて、念能力の一端に触れることと相成ったのであった。

 

 

###

 

 

太陽は燦々と輝き、木葉を淡く照らしている。朝露がポツリと流れる。落ちる雫石がキラキラと、宝石のようだとカイリは思った。ほのかに、太陽の焦げ付く香りが鼻につく。

初夏だった。

 

カイリがトラックに轢かれかけてから、はや半年。

カイリはゴードンに連れられて、とある街に訪れていた。半年の間に、カイリは学校に通うのではなく、通信制にして義務教育をすることになっていた。理由はいくつかあるが、1番は学校が滅多にない地震のおかげで倒壊したからだった。まったく不運なことに、瓦礫の下敷きになりかけたのはカイリただ1人で、救助に1番時間がかかったのもカイリだった。

街は、赤茶色の煉瓦を重ねた建物が多く、道路はあまり整備されていない田舎だった。カイリの故郷から遥か東にあって、温暖な地方の街だった。

見慣れない造り。嗅ぎ慣れない匂い。湿気た土に、伸び放題の緑の蔦。山の真ん中に構えたこの街は、カイリをおおいに興奮させた。この小さな街は、白い街とは全然違って見えたのだ。

そんなカイリが、なぜこの街を訪れることになったか。それには理由がある。

 

「カイリくん!!!長旅ご苦労様だ!!!宿は予約済みだから、そこへ荷物を置きに行こう!!!!」

 

「はい。荷物置いたら、どこ行くんですか?」

 

「ちょいと山奥へ!!!!占い師の婆さんを探しに行こう!!!!」

 

この街には、高名な占い師がいるらしい。

カイリ達は、その噂を便りにこの街に来たのだった。

 

 

カイリ達はさっそく、予約していた宿に荷物を置いて、聞き込みを行った。

カイリは当然のように、足が蔦に絡まって転びかけた。手をつきかけた地面に、毒蜘蛛がいた。怪我をした手に絆創膏を新しく貼る。

肝を冷やしながら、カイリはゴードンに付いて回ったところ、どうやら占い師は街の外れ、崖の上に家を構えているらしい。街の人々は、占い師を気味悪がっていた。少なくとも、カイリにはそう見えた。どの人も顔色が悪く、隈が酷い。怯えたように、腰が低くて足が震えている。

 

───占い師って、そんな怖いものなのか?

 

カイリは、そんな街の住人を呆れたように見つめた。濃い隈の上に、不穏な色が宿った瞳が、カイリの腹の底にこびりついた気がした。

 

そうして、カイリ達は占い師の元へ訪れたのだった。

 

 

###

 

 

「おまえは呪われている。」

 

「石に、その中に、死人がいる。おまえと縁が強い。血縁のある者達だろう。」

 

「おまえは2つの呪いを受けている。その石と、死人とだ。」

 

「どちらかが、おまえを殺す。」

 

「どちらかが、おまえを守る。」

 

「死人が人を守ることはない。」

 

「おまえは、それを託した者に殺され───」

 

老婆が最後まで答える前に、大きな音を立ててテーブルが老婆に向けて転がった。老婆はまだボソボソと呟いている。嗄れた声だ。テーブルは、丁度カイリの座っていた場所に面した足が、へし折れていた。

 

「………………。」

 

立ち上がっていたカイリは、何も言わなかった。テーブルをへし折った足が、遅れて痛みを伝える。

カイリは、何も言えなかった。

呼吸が浅くなり、間隔が狭くなる。視界がジリジリ焼き付いて、頭が痛くなってくる。頭の皮が浮きだって、髪の毛が立ち上がるような感覚がした。

そんなカイリの腕を、ゴードンは掴んでいた。ぶるぶると震えているカイリの腕を、しっかりと掴んでいた。

ゴードンは老婆に一言、謝罪を入れた。立ち上がり、代金を払うとカイリを外へと促した。

 

───母さんが、私を殺すっていうのか。

 

喉まで出掛けていた言葉を飲み込んだ。目の奥が熱くなって、カイリは下を向いた。

 

宿に戻ろう。

 

ゴードンはただ一言、カイリに言った。

 

 

###

 

 

宿の灯りを背にして、夜空を見上げる。曇った空は、月も見えなかった。

夜風に当たって、カイリはのんびり空を見上げた。目元が痒くて、しばしばと瞬きをする。首から提げた形見が、素肌に当たって冷たい。どこからか、虫の音が聞こえていた。

何も考えずに、カイリは歩きだした。

湯上がりの体に風が気持ちよくて、頭も冷える。

ぼんやりと薄暗い街は、どことなく寂しく映った。朝露で湿っていた土はすっかり乾いて、靴に擦れて音を立てる。ザッザッと音を立てて楽しんで、すっかり冷えた頭を振ってカイリは背後を振り返った。

 

 

 

ブーン ブーン

 

音がする。

虫の羽音のような、テレビの砂嵐のような。何かが振るえているような。大きい音だ。

嫌な予感がした。

音が聞こえてくるのは、ダメなやつだ。

カイリは静かに走り出した。

 

ブーン ブーン ブーン

 

音が増える。いつの間にか、宿から随分と離れていたらしい。

カイリは歯ぎしりした。とにかく静かに、摺り足にして走った。灯りはなく、足元が見えない。背筋が、冷たくなる。

 

ブーン ブーン ブーン ブーン

 

ポツリポツリと、雨が降りだした。

仕舞いには、ザアザアと音を立てて降りだす。また、暗闇が濃くなった。

目に雨水が入らないように手を上げて、カイリは走る。足元がまた、ぬかるんできた。

急速に、体が冷たくなる。

 

ブーン ブーン ブーン ブーン ブーン

 

音が、聞こえた。耳が痛い。

それでも走り続けて、カイリは前を見た。

灯りが見えた。宿だ。

カイリは安堵して、あともう少しだと思ってさらに速度を上げようと足を踏み出した。その瞬間、カイリは踏み出した足が何かに引っ掛かったのを感じた。

 

───あ。

 

勢いよく踏み出した足を何かが引っ掛けて、カイリは盛大に転んだ。ベチャリと水が跳ねる。

 

───あ、あ、あ。ヤバい。

 

足元を見ると、蔦が這っていた。その蔦に、足が絡んでいる。カイリは急いで立ち上がり、走り出そうとしたが、出来なかった。

 

「は!?」

 

蔦が、伸びている。

カイリはここで始めて恐怖した。

蔦が伸びて、足を掴んでいる。咄嗟に鉈を取り出して、カイリは蔦を切ったが、それでも蔦は伸びている。足に、腕に、胴体に伸びて絡み付く。がむしゃらに鉈を振り回した。

棘がついた蔦が、体中に切り傷を作るが、カイリは構わなかった。

 

ブーン ブーン ブーン ブーン ブーン ブーン

 

そうこうしている内に、音が、カイリのすぐ側で聞こえた。

カイリは凍りついた。凍りついて、動きを止める。そろり、そろりと、カイリは音に向かって顔を向けた。そして、音の鳴る物体に目を向ける。

 

 

次の瞬間、カイリの視界は真っ白に染まった。

 

 




第10話 完

不幸は人を堅実にする。
なまじ念の存在を知っているから、占い師の言葉が嘘じゃないのも分かってる。


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