次の瞬間、轟音が訪れた。
木々が薙ぎ倒される光景と共にとてつもない爆音がカイリを襲った。あまりにも突然だった。耳に叩き込まれた異常な音がカイリの脳を揺さぶる。堪らず、カイリは両手を耳に押し当て膝を着いた。
爆音は目の前の
その巨大な生き物が、カイリの目の前で暴れていた。月明かりを頼りに、生き物が通ったであろう道に目をやると、見事に更地になっていた。生き物は叫び続けている。
───……、にげ、逃げなきゃ。逃げなくては。
もはや叫び声も上げられないカイリは、パクパクと呼吸の出来ない魚のように口呼吸しながら、なんとか、立ち上がった。
グルリ。と、生き物がカイリに振り返った。無いはずの目が、カイリを捉えた。
「は……」
カイリは次の瞬間、右に跳んだ。そしてそれは、正しい判断だった。草木を薙ぎ倒す怪力がカイリに向かって突進したのだ。間一髪でカイリは避けたが、カイリが立っていた場所は抉られていた。
その光景に、カイリの脳はパンク寸前になっていた。恐怖に足がすくみ、腕には力が入らない。涙が勝手に流れてきた。圧倒的な死のイメージが、そこにはあった。
───死に、死ぬ。死んで、死んでしまう、嫌だ、嫌だ嫌だ!死にたくない!!死にたくない死にたくない死にたくない!!!
それでも足は、動かなかった。
カイリは、その生き物を見ることしか出来なかった。ボロボロと涙を溢して、体が震えているのも気づかない。その生き物が頭を持ち上げて、カイリに向ける。その様子が、カイリにはよく見えた。
そして、カイリは生き物が下敷きにしたモノを見た。
草木や抉れた土に混じって、赤色が見えた。
───赤い、赤い、赤が……?
視界がゆっくりと動き出している。大きな耳が縮み、そして伸びる様が見えた。蛇が鎌首をもたげるように、頭を振っているのが見えた。此方に頭を向けるのが見えた。そしてその巨体の下敷きに、千切れた蹄の足と、磨り潰された肉片と、溢れた血の海が。
カイリの目に映った。
震えが止まる。
視界は現実に引き戻される。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!!」
喉が引きちぎれるような悲鳴を上げた。今度こそ、体が動く。体中の血液が逆流するような感覚に、カイリは頭がどうにかなりそうだった。
轟音が再び喚く。そして、化物が獲物を捕捉したと同時に、カイリは地面を転げながら立ち上がり、走った。
化物が土を抉る。草は翔ばされ大木は折れる。カイリは走った。走り続けた。後方から風が、音が、石も枝も飛ばされて、カイリの頬に傷を作る。右に跳び、左に跳び、その度に爆音がカイリを掠めた。もはやカイリは何も考えられないほど頭が熱くなっていた。背後の風圧の向きによって、跳ぶ方向を選ぶ。それでも、この攻防が長くは続かないことはカイリにも分かっていた。だから、沸騰したまま、今何をするべきかを考えた。
───音は、突然聞こえた。直前まで、気付かなかった。
ありえるのか?鼓膜が千切れそうな爆音に、気付かないだと?
いや、音は、聞こえていた。あの遠吠えだ。間違いなく。でも、これほどの爆音なら、もっとはっきり聞こえていたはず……。
カイリは右に跳んだ。そしてまた化物がカイリが走っていた場所を突進で抉る。カイリはちょうど抉られ損ねた倒木の後ろに転がり込んでいた。
───。
音が、遠吠えに変わった。
その瞬間、化物が暴れ始める。いや、のたうち回るのをカイリは見た。唐突に苦痛に晒されたように化物は皮膚を地面に擦り付け、耳が収縮を繰り返す。
───倒木の後ろに回った途端に、音が聞こえなくなった。
なんでだ?いや、障害物があると、音が届かなくなる……?
そっと、カイリは石を拾った。そして、紐状の道具を取り出し、革に石を挟む。カイリは、倒木の後ろから出ないように、投石器で石を化物の
石が、地面に叩きつけられる。音が鳴った。その瞬間、灰色の生き物は石が叩きつけられた場所に飛び付いた。注意深く、鼻をひくつかせてガリガリと地面を掻く。
───アイツは、音で標的を探してるんだ。
カイリは確信した。あの爆音は、恐らく超音波の役割を果たしている。音波で敵の方向を確認するのと同時に、あの大きな耳で標的の位置を探っているんだ。
そして、あの爆音は
だからきっと、あの生き物は本来なら山や森なんかに生息していないのだろう。もっと、広い場所に住んでいたはずだ。でなければ、もっと障害物に配慮した音波になるはずだからだ。
───それなら……。
カイリは、乾いた喉で唾を飲み込んだ。
───このまま逃げ切れば……。
そう考えたとき、カイリの目の前で倒木がすっ飛んだ。
鼓動がゾッとするほど早くなる。カイリは血の気が引いたまま迷わず反対の木の後ろに飛び込み、走り出した。背後でまた何かを砕く音と共に爆音が響き渡る。カイリは木を盾にしながら走った。感覚的に、先程よりあの生き物を撹乱できているような気がする。しかし、目の前にある障害物を全て薙ぎ倒すため、距離はあまり稼げなかった。
また走り、跳び、転がり、走り、走り、そして。カイリの目の前に崖が現れた。その崖に大きな亀裂を見つけたカイリは、すぐさま飛び込んだ。そして背後から轟音が駆け抜ける。そして亀裂を見つけたその生き物は、鋭い爪でカイリを引きずり出そうとした。
その亀裂は不幸なことに、すぐに行き止まりになっていた。人1人と半歩の隙間しかない亀裂の中で、カイリは懸命に体を奥へ押し込んだ。心臓がバクバクと音を立てている。息が出来なかった。砂ぼこりが忙しなく、喉に突き刺さる。それでも化物は爪を伸ばし、牙を差し込み、壁を削るのをやめない。崖が大きな音を立てて崩れ始めるのをカイリは肌で感じていた。
───頼む、頼む、頼む!!どっかへ行ってくれ!!!
その巨体による怪力が、崖を崩壊へ誘っている。ガラガラと石が崩れ、肩に降りかかるのを感じて、カイリは恐ろしさに堪らず座り込んだ。目の前で怪物が、その爪が、牙が、恐ろしい耳が見えて、カイリは一層体が震えた。
次の瞬間、その生き物がグシャリと
「え?」
バシャリと血が飛び散り、亀裂に染み込む。カイリは崖の隙間から頭に血を被った。頬に、服に飛び散った血が、空気に触れて生臭さを発する。
カイリは、隙間からその生き物を見ていた。ピクピクと肉が痙攣し、大きな耳はグニャリと変形して中身から血を吹き出している。放り出された足は血が染み込み、ゴムみたいに曲がっているのが目に映る。
生き物の上に、巨大なモノを認めて、カイリは何があったのかを理解した。
それは、巨大な岩だった。鋭利な断面と、地面に落ちた際に砕けた破片があった。その岩が、あの生き物を押し潰している。恐らく、生き物が与える振動に崖が崩れたのだろう。
カイリは幸運だった。
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しばらくして、そっとカイリは崖の亀裂から這い出た。獣の血液が手にべっとり付着した。ダラダラと手から血が垂れる。
生き物は死んでいた。いまだに血が溢れているが、肉はピクリともしなかった。
歪に風を切る音だけが聞こえていた。それが自分の呼吸音であることに、数秒してからカイリは気付いた。
そして、事切れたその生き物をぼうっと見つめて、それから。
カイリは押し潰された腹の中に、小さい
空はいつの間にか瑠璃色に染まっていて、東がぼんやりと明るい。
夜明けだった。
第5話 完
腹から見えたのは何か。
1回殺されかけた経験ないと、殺意向けられた時に動けなくなるらしい。ハンター試験で問題なく動けるようにしたい。