ぺらり。ぺらり。
窓から差し込む暖かな陽光が、木製のテーブルを照らして穏やかさを掻き立てている。大きな本棚が並んでいるこの建物は、カイリの自宅の近所にある図書館だ。
カイリはここのところ、この図書館に通い詰めて本を読むことに没頭していた。今もまた、ファンタジーを題材にした児童小説の第7巻、最終章を手にしている。
───だとしても、君を置いてはいけない!」
アイアスは叫んだ。アイアスだって分かっていたのだ。この戦いに、彼女を連れてくるべきではなかったと。それでもアイアスは彼女に手を伸ばした。愛する人を決して死なせないために。
しかし、彼女は笑って、───
バタリ。と、カイリが本を閉じてしまうと、手元に影が落ちた。
「まだ読めてない……んですか。」
カイリの背後に立っていたのは、1週間前───カイリが夜通し逃亡した日の後に───知り合った同い年らしい少年だった。夏の終盤といえども、灰色のパーカーを着こんでフードを深く被っている。裾から出ている手や辛うじて見える口元から褐色であるらしいことが分かった。下手クソな敬語を使っているが、カイリはこの少年が真面目な性格であることを1週間で理解していた。
「昨日も読んでましたよね。」
そう言いながら少年はカイリの正面に座った。
「……シリアスな場面が苦手で。」
なんとなく、悪さがばれた悪戯っ子のような気持ちになって居心地が悪い。小さくため息を着いて、カイリは今しがた読んでいた本を脇に置いた。
「それじゃあ、今度は何を勉強するんですか?」
そして、1週間ずっと図書館で勉強している少年にカイリは言った。
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正直なところ、カイリは崖の亀裂から這い出た後、どうやって帰ったのか覚えていない。
ただ、家に着いた頃にはびしょ濡れで、泣き腫らして心配した母親にキツいビンタをお見舞いされて、痛いくらいに抱き締められたのは確かだ。たぶん、川で血を洗ってから帰ったんだろう。母親には、「足が滑って川に落ちていたらしい。頭を打って気絶してたみたいなんだ。」とだけ伝えた。
そして、抱き締められた後で母親に、「何か危険な動物を見たか」と聞かれた。カイリは何で知ってるんだろうと思ったが、答えはすぐに分かった。
どうやら、この街に密猟者がいたらしく、数人のハンター───幻獣ハンターらしい───が確保に向かったが、その前に危険な肉食動物が脱走していたらしい。昨晩、記録された数と実際に保護された動物の数が合わなかったことで、1匹脱走したことが分かったのだという。その日は休校となり、自宅待機が命じられた。
その肉食獣は、カイリが帰宅したその日の昼に発見された。どうやら、既に息絶えていた様で、落石による事故、と判断された。その肉食獣は本来なら砂漠に住んでいる動物で、音を出して遠くの獲物を捕捉するらしい。そのため、障害物の多い山の中で混乱してしまったのだろうという見解がなされた。
お腹には、赤ちゃんがいたらしい。親と一緒に、落石で死んでしまった赤ちゃんが。
数日ほど、周囲が騒がしかった。カイリも、一晩帰らなかったことで何人かに話を聞かれたが、カイリは知らないと言って通した。けれど、急に手が震えてペンが持てなくなったり、夕食に大好物のハンバーグが出た後にトイレに駆け込んだり、友達と遊ばずに日がな1日家に引きこもる様になったのは、母親だけは気付いていたかもしれない。
学校に行き、帰って寝て、また起きて、休みになったらずっと家で本を読んで過ごして、また起きて1日を繰り返す。何日かそうして、ほとぼりが冷めた頃に、カイリは母親に家から叩き出された。
曰く、そろそろどこか遊びに行け、とのことだった。
休日、朝からブラブラと外に出ていたカイリは、ペタん、と公園のベンチに腰を下ろした。
秋に近付いた、澄んだ空が目に眩しい。そろそろ半袖でいるのも、ぶるりと震える頃になった。けれど、太陽が出ているからか、ポカポカと暖かくなってきた気がする。瞼が重くなってきたため、肌をつねった。そして、カイリがぼうっと空を眺めてしばらく経った頃、背後から声が聞こえた。
「……あの、すみません。道を聞いてもいいですか。」
高く澄んだ、男の子のような声に、カイリが驚いて振り向くと、そこには長袖の灰色パーカーを着込んでフードを被った子どもがいた。肩掛けの黒いバックを持っている。フードの隙間から見える肌が浅黒かった。
「…っあぁ、はい。大丈夫ですよ、どこに行きたいんですか?」
突然のことに吃りながらカイリが言うと、その子どもはどこか安心したように息を着いた。
「図書館。あ、いや、あんまり人がいない図書館に行きたいんです。中央の方じゃなくて。」
図書館。中央は確かに、みんな使うからなぁ。カイリはこの時、何もする気が起きなかったため、公園で暇を潰していたから、図書館に行くのはちょうど良かったかもしれない。そう思って、カイリは了承の意を返した。
「それなら、近所に1つあるからそこに行きましょう。暇なんで案内しますね。」
「ありがとう。」
話すと、この子どもは観光に来ていた少年らしい。同い年らしく、音楽が好き。話すことが見合いのそれだが、カイリは話下手なためにこれで会話が途切れかけた。そのため、話が途切れると出来る限り街の宣伝をすることになった。
「あ、ところで、図書館に何しに行くんですか?」
「勉強をしに。……その、俺、読み書きできなくて……。」
「読み書きかぁ、大変ですね。あ、図書館着きましたよ。」
振り返ると、少年がぽかんと口を開けていた。
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案内をしてから、この図書館に来ると毎回この少年に会うことになった。いつ来ても勉強しているため、カイリはたまに遊びに誘ってみたり、勉強を教えることもあった。しかし、遊びに誘っても、この少年はともかくカイリの友達は皆都合が悪く、結局カイリと少年だけで街を巡るしかなかったが。それでも少年は嬉しそうに付き合ってくれるため、カイリも気分がよかった。
「いつも思うんですけど、なんで読むの止めちゃうんですか。」
「いやぁ、なんとなく……。」
ただ、今回は少しだけ居心地が悪い。カイリはこの頃、小説を読むことが難しくなったと自分でも自覚していた。ドラマも、見れなくなった。ただ、なんとなく登場人物に何か起こりそうだとか、怪我をしそうになるとか、不吉な予兆を感じた時、カイリはいつも先に進めなくなるのだ。
「例えば、どんな時に読めなくなっちゃうんですか。」
少年は問を重ねた。
「……シリアスな場面。なんか、怪我しそうになるとか、悲しくなるときに……どうしても先が見れなくて……ネタバレが欲しくなり、ます……。」
「感情移入しちゃうんですか?それとも、可哀想になっちゃうんですか?」
───なんだか今日は嫌にしゃべるなぁ。
カイリは思ったが、口には出さなかった。
「……どっちも?……見てると、胸が苦しくなる……。」
「ふーん……。」
フードで目元が見えないため、カイリは不安を感じた。尋問されているような気がして、目線を下に落とした。
すると、頭上からフッと息を吐く音が聞こえて、カイリは顔を上げた。
「勝手だ。って、思っておけば良いんですよ。少なくとも、俺はそう思います。」
「皆───俺も含めて───生きたくて生きてるんですよ。勝手でいいんだ。どんなに酷いやつがいても、それはその人の勝手なんだって。動物や、人を傷つけるのが好きな人だってこの世にいるから。それはその人達がやりたくてしてることで、俺や君にとっては関係ない。」
「生命が、生まれながらに持ってるモノが、自由の権利だと俺は教わった。自分が、自由に選択する権利だ。だから、生きるために盗みをするのも、殺しをするのも、命にとって正当な権利だと。」
「そしてもちろん、───俺達にもその権利がある。正しいことをするのも、生きたいと願うのも、そのために行動することも。このことだって、正当な権利だ。
だから、皆それぞれ勝手に生きてるんだって思っておけばいいと思う……ます。」
「そんな風な考えがあれば、きっと悲しくなっても生きていけると思いますよ。小説だって読めるようになる。」
お邪魔しました。と言って少年が去ってから、しばらくしてカイリはぽかんと開いた口が乾くのを感じた。
───慰められた?
たぶん、慰められた。元気付けようとした。
───変なの。
カイリは思った。けれど、なんとなく。心が軽くなった気がした。
空はまだ明るい。空が高く、青くて雲がない空はカイリが好きな空だった。
図書館を出て、カイリは歩いた。風が頬を撫でる。濃藍の黒っぽい髪がサラサラと流れた。
皆、それぞれ生きているなら、私だって生きている。勝手に生きていける。
夢は叶える。誰にも私を殺させたりなんかしない。覚悟はまだ、出来ていないかもしれないけれど。
この世界で生きていくのだ。ずっとずっと、思っていたより怖い世界で。そう思って、カイリは空を見上げた。
青い空が、そこにはあった。
第6話 完
メンタルケア回。生きるって難しいね。少年の詳細はまた今度。
覚悟はいいか?俺はできてる。
(このセリフがとても好き)