υπηρχεω【完】   作:トラロック

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ambitio
12 慈母揺籃


 元【アストレア・ファミリア】の眷族にして【疾風】の二つ名を持つエルフの冒険者リュー・リオンは大切な友人である人間(ヒューマン)の少年ベル・クラネルに弁当を届ける為だけに危険なダンジョンに潜った。

 一般的な常識からすれば忘れ物を届ける為に一八階層に向かうのは自殺行為に等しい。特にレベル(ツー)までは。

 浅層の攻略であればまだ納得できる。

 冒険者となったからとて気軽に奥深くに行けるものではない。

 それを可能足らしめるのが上級冒険者達だ。

 リューはレベル(フォー)である。障害が階層特有のモンスター()()であれば何の問題もない。

 

(……地上は大丈夫でしょうか)

 

 先ほどまで感じていた()()()()()()()()()()()は既に収束しているが、安全階層(セーフティポイント)である『迷宮の楽園(アンダーリゾート)』は遠目で見る限り、無事ではなかった。けれど、極端に酷いとも言えない。

 修復の度合いからあと数日もすれば元の風景を取り戻せる。

 この階層で野営するのは様々な【ファミリア】だ。その中から小規模のものを探すは意外と大変である。

 

 利用者が多い為だ。

 

 だが、何の当てもなく探すわけではない。

 (くだん)の冒険者ベル・クラネルは白い髪だ。遠目でも結構目立つ。

 一般的な冒険者の髪は金髪か黒髪なので。

 頭からフードを被っていると探しようが無いが、とりあえず一つずつテントを(あらた)める。

 

(……このお弁当はまだ無事ですよね?)

 

 日持ちするのかどうか聞きそびれていた事を思い出し、猛烈に額から汗が出た。

 何の考えも無く弁当を持たせたわけではなく、携帯食である事を祈る。――最悪、モンスターに食べられたとでも言い訳しようか、と思いながら。

 

          

 

 弁当を届ける為だけに危険なダンジョンを踏破する事になるとは――

 駆けながらリューはため息をついた。

 友人(シル・フローヴァ)の無茶ぶりはいつもの事だが今回はどういう意図があるのか。意味のない事はしない筈だが全く分からない。

 激情に駆られた時間が夢のようでもあるし、顔の傷の痛みが現実であると教えてくる。

 目が覚めて鏡を見た時、顔面が歪んでいて思わず叫んだ。性質の悪い毒を盛られたのだと。

 傷薬などを塗って一日冷たいタオルで冷やしたら腫れが幾分か引いた。もし、引かなかったらどうしようと不安に思ったものだ。これが復讐に走った報いか、と。

 医者に診てもらったら骨が砕けているらしいと言われ、傷跡が残る事を覚悟して手術を受けることにした。

 

(幸い深刻な被害は無く、一か月ほど経てば元の顔に戻ると言われたけれど……。あの腫れ上がった顔には恐れ入った)

 

 内出血が悪化すると顔面の形があそこまで歪むとは。

 落ち着いた時に魔法を使い、今は走っても傷が響かないまでに回復できた。

 ――多少、資金が目減りしてしまったけれど。

 今回、弁当を届けたら素材回収をすると決めた。

 

(……アルフィアめ。加減というものを知らない)

 

 気絶した後、彼女(アルフィア)がどうなったのか分からないが、少なくともベルに危害を加えていない気がする。

 他の者に対する態度は敵意が含まれていたが彼に対しては優しさがにじみ出てた。

 惚れたわけではあるまい。可愛い男の子だから気に掛けた、という事も無くはない気もするが――

 無様を晒した事を抜きにしても彼にはきちんと謝罪しなければ、そんな事を考えながら巡っている内に大きな集団に行き当たった。

 【ファミリア】の『紋章(エンブレム)』を堂々と掲げているのは【ロキ・ファミリア】だ。

 多くの冒険者や【ファミリア】は大体一時拠点として滞在する。その中でも広めに土地を確保しているところはあまり無い。

 それらを横目に通っていくと、見慣れる一団に気付いた。

 明らかに冒険者とは思えない姿なので思わず立ち止まってしまった。

 

(……モンスター? 異端児(ゼノス)でしょうか)

 

 何人かの団員に取り囲まれていたものの戦闘しているような雰囲気は無く、遠目からも事情徴収を受けているような様子だった。

 ベルが彼らを保護していたからといって全ての異端児(ゼノス)を助けなければならない理由も義理も無い。

 単身で【ロキ・ファミリア】に挑んだところで無駄骨になる。何より――集団の中には王族(ハイエルフ)のリヴェリア・リヨス・アールヴの姿もある。

 見なかったことにしよう、と強迫観念のようなものを感じて移動しようとしたがリヴェリアに見つかってしまった。――他の団員であれば見逃すところだが気配察知に関してはレベル(シックス)の彼女の感覚を誤魔化す事は難しい。

 

「おい」

「はっ!」

 

 彼女が声をかけて来たので――条件反射的に――思わず片膝をつく姿勢になってしまった。

 同族の中でも高貴な存在であるリヴェリアを前にしてしまうとどうしても腰が引ける。これは他のエルフも同様である。例え【ファミリア】が違っても。

 軽い気持ちで声をかけたリヴェリアはリューの礼に(いささ)か驚いた。

 

「………」

 

 見知った服装の人物が居たから思わず。

 軽く苦笑してから堅苦しい挨拶はよせ、と言うとリューは顔だけを上げた。

 周りに居た団員達はエルフ特有の儀式だと思ったのか、それほど大きな騒ぎにはならなかった。

 リヴェリアの側に居る【千の妖精(サウザンド・エルフ)】のレフィーヤ・ウィリディスと【純潔の園(エルリーフ)】アリシア・フォレストライトも当然の反応です、と自慢げだった。

 

(……げぇ!? リオン!?)

(……全く変わってない)

(……あ、いや……。髪が短くなった? 少し染めているようにも……)

(あいつ、服ちゃんと洗ってるのか?)

(……新しい服も買えないくらい困窮してたのかしら?)

 

 リヴェリアの近くに居たモンスター達はそれぞれ驚愕したり、疑問を抱いたり、様々な感情を表した。

 まず、見た目の変化が乏しい。

 髪を除けば生前に会った時のまま。

 急に騒ぎ出したモンスターに世話を担当する団員が戸惑った。暴れないでください、と小さな声で言うと彼女達は素直に謝罪して大人しくなる。

 目元をタオルで覆った赤い髪の人蜘蛛(アラクネ)だけは何が起きたのか分からない。ただ、近くにとても懐かしい気配が居る事は感じた。

 

「ベル・クラネルと共に居たエルフだな。一人という事は探索か?」

「……い、いえ。その友人に弁当を届ける為に(さん)じた次第です」

 

 チラチラとモンスターを気にしながらリヴェリアは頷いた。

 エルフのリュー・リオンについてはモンスター達からも聞いていた。その上でどういう言葉を掛ければいいのか迷っていた。

 お前の知り合いだぞ、と言うべきか。他の適切な言葉の方であればお互い感動の対面となるのか、と色々と思索する。

 意見を求めようと団員に顔を向けるが(ことごと)く苦笑を滲ませるだけで有効な言葉は出てこなかった。

 

          

 

 唐突に会話が途切れ、リヴェリアとリューが見つめ合う時間が出来てしまった。

 エルフ以外の団員は何か気まずい事が起こった、と悟った。その証拠にリヴェリアは額から汗を一粒流した。いや、小さく唸っていた。

 停滞した現場になった事に軽くため息をつく戦影(ウォーシャドウ)のゴジョウノ・輝夜(かぐや)は近くに居た団員の剣を奪い、素早く鞘から剣を抜き放つ。

 

「あっ!」

 

 驚く団員を取り残し、極東仕込みの踏み込みでリューに襲い掛かる。

 突然の事態にリューは驚いたが戦闘の気配を感じ取り、腰に佩いた小太刀(双葉)で迎撃する。この武器は輝夜の遺品でもある。

 モンスターの次なる斬撃目標は首。それを無意識に反応するリュー。

 突然の攻撃に驚きつつも攻撃の意志を察知し、膝まである長靴(ロングブーツ)による蹴りで牽制する。

 

「……ちっ」

「……ふっ」

 

 片方(リュー)は苛立ち。片方(モンスター)は感心。

 見た目の面妖さも相まって不気味だ、と思いつつ【ロキ・ファミリア】が見守る中での戦闘を余儀なくされた。

 リヴェリアは静止の命令を出さず黙って見守り、他の団員達も戸惑いつつも一定距離を保っていた。

 

「……異端児(ゼノス)にしては腕がいいですね」

(……リオンもゼノスの事を知っている。だから、加減したのか。この甘ちゃんめ)

 

 人間的な表情を持たない戦影(ウォーシャドウ)は失望とは違う感情でエルフの冒険者に相対する。

 五年、と聞いた。その時の流れ、差がどれほどなのか興味が湧いた。

 リューが持つ小太刀は輝夜が渡したもの。長年愛用していた武器だ。今、その武器を元の持ち主に向けられているのは酷く滑稽であった。

 剣を下段に構え、軽く息を吐く。戦影(ウォーシャドウ)といえども呼吸するのは生前のクセである。

 本来は片刃の刀で振るう技だが、斬れればなんでもいいとばかりに輝夜は踏み込みを開始した。

 

(浅層に出る戦影(ウォーシャドウ)とは比べ物にならない。それにかなりの熟達者だ)

(……おーおー、小生意気に避けおるわ。……しかし、【ステイタス】的には強くなった気がしないですね。……それとも更新できない状況になったから?)

 

 【ロキ・ファミリア】から簡単にだが【アストレア・ファミリア】が解散したことは聞いている。それと主神アストレアは天界に送還されておらず追放という形になった事も。

 リューが戦えているのは主神の恩恵が残っている為だ。もし、神が送還されていたら輝夜と互角に戦う事など不可能である。

 

(馬鹿正直の攻撃ではなくなっている……。私らの戦い方を身に着けたのか……。それとも……、死んだ仲間の思い出に引きずられてこんな風になったのか)

(よーし、私達も輝夜に後れを取らないように戦うよー、ってなったら駄目だよね)

(……リオン一人に一〇人がかりはさすがに反則だ)

 

 リューの戦闘方法(バトルスタイル)を分析する傍ら、輝夜の仲間達は黙っているのに耐えられなくなっていた。

 そんな気配を盲目の人蜘蛛(アラクネ)であるアリーゼは感じ取り、見えない事を悔やんでいた。

 だが、他の――戦闘している輝夜を除いて――面々は自身がモンスターに代わり果てているので感動の再会と簡単にはいかない事を感じていた。

 分かってもらえばいい。そうでなければ冒険者とモンスターという今まで通りの付き合い方で接する。

 

「……ぐっ」

(……極東の技を駆使する異端児(ゼノス)というのは厄介です。……構え方が仲間に似ている所も……)

 

 それから数合打ち合った。

 リューは割りと本気で攻めているのにモンスターは器用に捌いてくる。

 強さはレベル4の冒険者と渡り合えるもの。

 

(……ぐっ、器用な立ち回りを身に着けおって……。確実に腕を上げているようだが……【ランクアップ】はしていないようだ)

 

 輝夜は少しずつ攻めに力を注いでいく。

 いつもの片刃ではないからか、剣が重い。ただし、重量ではなく気分的なもの。

 切れ味に特化していればもう少し軌道を鋭くできる筈なのだが――

 輝夜は隙を見計らい腰だめに構えて一閃した時、思わず剣がすっぽ抜けた。久しく武器を握ってこなかったのとモンスターの手の感覚を掴み損ねたようだ。

 飛んでいく先にはリヴェリアが居た。

 

「リヴェリア殿!」

「リヴェリア様!」

 

 輝夜とリューは同時に叫んだ。

 それに対し、王族(ハイエルフ)は軽く息をついて案ずるな、と言って飛来する剣を杖であっさりと叩き落した。

 怪我無く済んだことに輝夜とリューはほっと一安心した。そう思っていたらリューの小太刀『双葉』の切っ先が戦影(ウォーシャドウ)の首元に当てられた。

 

(……ぐ、卑怯な)

「なかなか良い腕をしていますね、モンスター」

 

 勝ち誇ったようにリューは言うが顔を汗で濡らして荒い呼吸を繰り返していた。結構、苦戦していた事がありありと伝わる。

 止めを刺すか、それとも【ロキ・ファミリア】に任せるか思案しようとしたところ、リヴェリアが武器を下ろせと言ったので彼女は即座に従って、その場に片膝をつく。

 元人間(ヒューマン)である輝夜はリューのような儀礼を取る気が無いので立ったまま。それと姑息な真似をした末っ子(リュー)の頭を拳で殴りつける。

 

「……なっ!?」

「……ふん」

 

 間抜けな真似さえ起こさなければ負ける道理は無かった。

 不機嫌になりつつ仲間の元に戻っていく輝夜は内心では悔しい思いを感じていた。思い通りに武器を振るえなかった事に。

 他の団員もそうだ。未だにモンスターの能力を扱えず、日常生活もままならない。かといってダンジョン内で暮らすのも難しい。

 

(……素直に嬉しさを表現できないのは辛いですね)

(お疲れさん)

 

 肩を寄せ合うモンスター達の姿を一瞥しながらリューはリヴェリアから探し人について教えて貰った。

 ベル・クラネルは未だこの階層に留まっていること。それと――

 

「階層破壊事件のお陰で我々は足止めを食らう事になった。……地上からの報告を受け次第、帰還するか降りるか決める予定だ」

「私は下りる途中で震動を感じたので地上がどうなっているのかは……」

 

 彼女の言葉を聞いてそうか、とだけ呟き友人の下に行って良いと許可を与えた。王族(ハイエルフ)に改めて一礼したリューは一目散に駆け出す。

 そんな彼女の後姿を見ていたモンスター達は様々な感情を胸に秘める。

 大部分では元【ファミリア】の仲間より大切な友人とやらを優先したこと。その友人が白い髪の少年ベル・クラネルであったこと。意外と自分達の正体が露見しなかった事が残念だったこと。

 

「………」

「……見た目とか気配とか印象とかで分かると思ってたのに」

「変わり過ぎてるし、あいつ前例とか知らないんじゃないか? ……私らも前例知らないけど……」

 

 元仲間がモンスターとなって蘇る。そんな前例はリヴェリアにも覚えがない。だから、彼女達の気持ちが理解できない。――と、一週間くらい前であれば思った。

 かつての強敵アルフィアの出現で迷宮都市(オラリオ)の今までの常識が一段と揺らいだ。ただでさえ異端児(ゼノス)という存在について()()()()()()知らなかった。

 【ファミリア】の頭脳担当であるフィン・ディムナも大幅な戦略の見直しを要求されている。

 

          

 

 余計な戦闘で時間を食ってしまったけれど目的地が分かれば後は早い。リューはすぐさま思考を切り替えて駆け出した。

 一八階層は広く、特定の人物を絞って捜索するとなると意外と大変だ。森もあるし、人が隠れそうな場所はたくさんあるので。

 宿場街(リヴィラ)でも店の奥に居れば人影が簡単に見えなくなる。それと隠れ家的な店舗もいくつかある。

 今回向かうのは水辺にほど近い開けた土地だ。

 

「……!?」

 

 目的地にあるというテントを見かけ、そのまま駆け続けようとした。だが、そこにも先ほどのモンスターのような異端児(ゼノス)の姿があった。

 どうして異端児(ゼノス)だと思ったのかと言えば冒険者と共に居たからだ。そして、一匹は確実に見覚えがある。

 あれは――

 

 【静寂】のアルフィア。

 

 灰色の髪の竜女(ヴィーヴル)。――それに気配にも覚えがある。

 地上に向かうと聞いていたが未だにダンジョンに居たとは、と気絶していた間の事を全く知り得ないリューは警戒態勢を取った。

 良く見るとアルフィア以外にも竜女(ヴィーヴル)が居る。こちらはギルドにも公式に記されている姿そのままだ。ただし、髪は白い。

 更に彼女達のそばには目的の人物であるベル・クラネルの他に【フレイヤ・ファミリア】の眷族である【猛者(おうじゃ)】オッタルの姿があった。

 

(……リヴェリア様から聞いていたが……、本当に一緒に行動していたとは……)

 

 自分が寝込んでいた間に何が起きたのか全く理解できない。

 復讐心に囚われていた時はただ一つの事だけを考えていれば良かった。帰ったらもう少し寝ようと決めて現場に向かう。

 ある程度近づいた時、リューに気付いたのはアルフィアだった。次いでオッタル達。その次辺りでベル達がこちら側に顔を向けた。

 

「リューさん」

 

 口元を布で覆った姿なのにベルはリューだと突き止めた。これについて彼女自身は別に何とも思っていない。元々素顔も他人に見せないから。

 いつもは酒場で女給(ウエイトレス)をしている彼女が度々冒険者としてダンジョンに潜っている事を知る者は意外と少ない。そのせいもあるのか、正体を知る者もまた少ない。

 先日の【疾風】による殺人事件という騒ぎは宿場街(リヴィラ)の中だけのもので、地上にはまだ大々的に伝わっていない。――その前にギルドに実行犯の死体を届けて簡単な説明を伝えている。

 事後の説明でひと騒動起きるかもしれないが、その時は『豊穣の女主人』の(あるじ)が何らかの沙汰を下すはずだ。

 

「先日はお世話になりました」

 

 近寄ってきたベルに頭を深々と下げるエルフのリュー。

 それと忘れないうちにシルから託された弁当を差し出し、中身が無事かどうか確認を、と言った。

 【疾風】の速度でも一八階層に来るのに一日以上の時間がかかる。その間に弁当が駄目になっても不思議はない。

 

「……日が当たらないから割合い長持ちしそうですけどね」

「レベル4の『耐異常(アビリティ)』を過信してはいけません」

(……後で気付いたんだな)

 

 せっかく持ってきてくれたのにその場で捨てるのも気が引けるし、変に発酵していたり腐っていれば当然食べられない。それとシルの料理はお世辞にも美味しいとは言えないのは周知の事実。

 不味いものを無理に食べるよりはっきり拒否した方が造り手の為になる、と色んな人から聞いた。

 ベルは覚悟を決めて弁当の蓋を開ける。するとモアっという不快で生温かい空気が顔にかかる。

 

(……あ、これ駄目な奴だ)

 

 近くに居るリューでさえ覆面越しに涙目になって鼻を押さえた。

 酷い弁当を()()作るシルだが向上心があり、料理が下手な事も自覚している。だからここは心を鬼にして腐っていたと伝えてもらう事にした。

 一時期、真っ黒い『ベヒーモス』シリーズを用意して市井の人々に売ろうとしていたが、あまりの見た目で誰も買わず、気の毒に思ったベル達が購入したが味は想像以上にヤバイものだった。

 死んだ目でリューが『滋養強壮にいいようです』と言った言葉が思い出される。

 

「うっ、なんですか。『強臭袋(モルブル)』のような強烈な刺激臭がします」

 

 鼻を押さえて近づく小人族(パルゥム)のリリルカ・アーデが蓋を閉じてください、と強い口調で指示した。

 ベルは慌てて弁当の蓋を閉じる。

 普段の弁当であればここまで酷い匂いはしない。味も良くは無いが食べられない事は無かった。だが、今のこれ(弁当)は駄目だ、とベルも悟った。

 

          

 

 シルには申し訳ないが、とリューとベルは弁当の処分を決めた。

 そのまま持って帰るのも不味い。かといって食べたとは言えない。

 日持ちしなかったことを正直に言えばシルとて傷つく事は無いと思い、近くの地面に穴をあけて中身を廃棄する。

 ただ、この弁当をアルフィアに渡せばそのまま倒せそうな気がした。

 

「……アルフィアがまだダンジョンに居たとは……。地上に戻られたと聞いたのですが」

「……ああ、色々ありまして……。アルフィアさんは無暗に攻撃しない事を約束してくれたので、地上に出るまでは多分大丈夫だと思います。【ロキ・ファミリア】も確認していますので」

「そうでしたか。あちらも多数のモンスターが居ました……。異端児(ゼノス)のようですが、【ロキ・ファミリア】に任せて良かったのですか?」

 

 前回は竜女(ヴィーヴル)の少女ウィーネを巡る戦いがあったばかりだ。リューもやむを得ずベル達に協力したが本音で言えば混乱していた。

 現在の状況は異端児(ゼノス)達を【ガネーシャ・ファミリア】に引き渡す名目で保護していて、ベル達の側に居るアルフィア達は【フレイヤ・ファミリア】預かりになったと説明した。

 元々そういう約束で協力している、と告げる。

 

「アルフィアはともかく、もう一匹……のモンスターは?」

「彼女の妹のメーテリアさん、です。元【ヘラ・ファミリア】でしたが闇派閥(イヴィルス)ではないそうです」

(……アルフィアの妹。……メーテリア。遠目で見た感じでは温和そうな印象を受けますが……)

 

 元々【ヘラ・ファミリア】の情報に(うと)いリューは戦った経験のあるアルフィアしか知らない。

 意外な名前に驚きはしたもののベルの様子から害は無さそうだと思った。――それ以前に(くだん)のメーテリアはオッタルに背負われて笑っている。

 聞けば昔世話をした礼として下僕のような有様になっているとか。

 

 猛者(おうじゃ)】が下僕。

 

 それを聞いて思わずリューは吹き出して驚いた。下品な反応など気にも留めない、または留められない程の衝撃だった。――覆面に妙な染みが出来たのでベルが洗うと申し出て、彼女は小さくお願いしますと言った。

 アルフィアであればある程度の事情は聞いているので分かるが、と。

 

「メーテリアさんが背中に居ればアルフィアさんは()()()暴力を振るわない、ということだそうです」

「……なんだ、その理屈……」

 

 背負った程度で大人しくする女か、とリューは思った。

 ベルは何らかの攻撃を仕掛けるとメーテリアに何らかのダメージが入る。自分の弱みとして()()()許可している、と説明した。

 そのアルフィアは周りの事態が収束次第地上に向かう予定だった。

 

「ウィーネ達とは違い、向こうに居るモンスターも含めて元冒険者のようです。隠れ里に連れて行くより【ガネーシャ・ファミリア】に任せた方が安全度が高いのだとか」

 

 多くの調教師(テイマー)を抱え、多数のモンスターを飼育する【ファミリア】にして団員数が随一の大手だ。主神も気さくで信用に足る。

 何よりギルドの奥深くに居る神ウラノスも神ガネーシャに異端児(ゼノス)の橋渡しを打診していた。

 懸念があるとすれば元冒険者である彼らを檻に入れて飼育する、という事に抵抗があるが――

 それが例え表向きの方便だとしても申し訳ない気持ちになる。

 

          

 

 帰り支度を整え終わる頃、ベルはふと赤い人蜘蛛(アラクネ)の姿を思い出す。そして、アリーゼの名前をリューに投げかけてみた。すると即座に彼女の髪の毛が逆立った。

 怒りなのか驚愕なのか。

 尋常ではない様子にごめんなさい、とベルは言いながら怯む。

 

(……まさか!? 【ロキ・ファミリア】の所に居るのは……)

 

 目元を隠した赤い髪の人蜘蛛(アラクネ)が居るのは知っていた。それと他にも多数のモンスターの姿も確認している。

 随分と捕獲したものだと思っていたが――

 もし、自分の予想が正しければあの集団の正体は――

 だが、あり得ないと強く否定する。

 どうしてか否定の言葉ばかり浮かぶ。

 人は死ねば蘇らない。それが世の中の道理であり真理。

 だが、ベルは知っている。その世の中の常識を覆す『魔法』が存在する事を。そして、その効果も。

 

「……あ、アリーゼはっ、し、死ん……死んだ、んです」

 

 過呼吸になったような不可解な言い方になってしまった。まともな言葉が出せない。

 急に動悸が激しくなり、額から汗が次から次へと出てくる。

 アルフィアという存在を目にしているのに。どうしてか認められない。認めてはいけない気がした。それも強烈な強迫観念の様なもので。

 

(な、何を言っているんだ。私は……)

「たた、(たばか)るのもいい加減にし、して……下さい」

 

 敵意に満ちた否定の言葉をベルに浴びせかける。彼女の言葉はリリルカにもアルフィアにもオッタル達にも聞かれている。

 荒い呼吸を繰り返しながらリューは貧血を起こしたように足元が覚束(おぼつか)なくなる。

 彼女に今触れると破裂しそうな気がした。

 

「そこまで否定するのはモンスターだったからか?」

 

 玲瓏とした声でアルフィアが言うと図星を突かれたようにリューは呻く。

 確かにそれもあるが、と呟いたものの真実は――仲間をこの手で殺めた記憶が蘇ってしまったからだ。

 喜びたい気持ちよりも罪悪感が大きかった。それほど、当時は絶望に沈んでいた。

 ただ一心に仲間の仇をうつ為に闘いの日々に身を投じてきた。その修羅の日常がつい先日、終わりを告げたばかりで身体や精神、気持ちの感覚はまだズレたままだ。

 

「お、お前こそどうなんです! 我々に打倒された貴様は何とも思わないのか!」

 

 血を吐くように絶叫しながら怒りの形相でリューはアルフィアに言葉をぶつけた。だが、そんな激情もそよ風の如く受け流し、彼女は平然と佇む。

 何とも思わないのか、と改めて言われたが別段感情が揺れるような事は無い。

 先日出会った時も旧友に巡り合った程度の気持ちが湧いた。その前にリューとの問答の時はある程度の怒りを覚えていた事は事実だが――

 【アストレア・ファミリア】が相対したモンスターの事を考えると一概に責められない気がした。

 レベル4だというリュー・リオンですら苦戦を強いられた。初見であれば瓦解もありえなくない。

 

(……当時は強気な事を言ってしまったが、アダマンタイトの盾を切り裂いたとなれば……。言い過ぎたと認めないわけにはいかないな)

 

 第二級冒険者にとってのアダマンタイト製の武具というのは命綱に等しい。それを容易く切り裂くモンスターを初見でどうにかしろ、というのは――

 言い訳を考えたところで仲間は死んだ。それが事実だ。そして、それを乗り越えて強くなる者が居れば出来ない者も居る。ただそれだけの事だ。

 

「勝利者に対して恨み(ごと)を言うつもりは無い。私の場合はそう割り切った」

 

 多少の憐れみを込めて【静寂】と呼ばれたアルフィアは言った。

 確かに同じモンスターとなった彼女達を見て、不甲斐ないだとか文句を言ってやろう、という気持ちが最初はあった。

 だが、取り返せない結果に今更弱いだの言っても仕方がない。そんな運命も世の中にはあるのだと腑に落ちただけだ。

 

「失望が無かったわけではない。……お前を救うために命を投げ出した結果が死だっただけだ。他の選択肢があった筈だとは言わない。それとも、もう一度、あのモンスターと戦えと言えばいいのか?」

「……アリーゼは……彼女は生きるべき人間(ヒューマン)だった……」

 

 嗚咽するエルフはその場に(くずお)れ、地面を殴りつける。

 仲間達の選択は末っ子であるリューを生き残らせること。

 生き残った彼女は惨めな生活を()いられ、希望も正義も無くしてしまった。だからこそ、自分よりも生き残るべき人が居た筈だと主張する。

 結果論ではあるが、それはもう取り戻せない。アリーゼ達は選択し、リューは生き残った。

 

(……ベル。男の子らしく、慰めてみろ)

 

 アルフィアは黙って聞き手に回っていた白髪の少年の背中を叩く。

 リューの仲間の話しに部外者が割り込むのに抵抗を覚えた。するとよく首を突っ込んでいるんですから別にいいのでは、とリリルカが追随する。

 オッタルに背負われているメーテリアはベルを応援していた。

 

(……こ、こういう時は何て言えば……)

「……え、えと……」

 

 自分では気の利いた言葉などすぐに浮かぶわけもなく。かといって何も言わないのも失礼だ。

 散々迷って何とかひねり出した文言を可能な限り相手を不快にさせず、元気が出るような明るいイメージで。

 (ほが)らかさを与えるように。親指を立てて微笑み白い歯を光らせながら彼は――多少苦笑してしまったが――勇気を出して言った。

 

「どんまい」

 

 咄嗟に浮かんだ言葉がそれだった。

 少し前にアイズが主神ロキから人を慰める時に使う言葉だと聞いた覚えがあった。

 もう一つが『きゅるるん』だった。――こちらは完全に違うと思った。

 

 ゴ、ゴっ!

 

 ベルは『ふごっ!?』という言葉を発した後、後頭部を殴打される音が聞こえた瞬間に意識が途絶えた。

 ふざけた文言に怒ったアルフィアが勢い余って必殺技である『福音拳骨(ゴスペル・パンチ)』にて彼を地面に打ち付けた音だった。ちなみにオッタルに放った技は()必殺技である。

 無意識で繰り出したため、慌てた彼女は妹に顔を向けると苦笑を滲ませて仕方がない子ですね~、と言っていた。

 今の所業に彼女(メーテリア)はどうやら無罪放免にする事にしたらしい。

 姉はほっと胸を撫でおろす。

 

「……ま、まあ、とにかく、だ。近くに居るんだから話しでも聞いてきたらどうだ? 地上に上がったら色々と面倒ごとが続いて話しどころではなくなるぞ」

「そ、そうですよ、リュー様。姿形は変わってしまいましたが、言葉が通じるんです」

 

 リリルカはそう言いながら気絶したベルの頭に傷薬を塗った。

 彼の発言に誰も同情を覚えず、こうなって当然だと判断した。

 場の空気が非常に気まずくなってしまったがベルの甲斐性にも限界があるようだとそれぞれため息交じりに納得した。

 嗚咽していたリューも気絶しているベルを見て思わず苦笑が漏れた。

 死んだ人とは二度と会えない。そんな常識がすでに崩れている。

 死者の全てが異端児(ゼノス)と繋がっているとは思わない。そうであれば人の社会が根底から覆る事になる。――既に大きな混乱が起きてしまった後だ。

 

「話しだけでも聞いてみます」

 

 そう言ってリューは一礼してから【ロキ・ファミリア】の下に向かった。

 去り行くエルフの後ろ姿を眺めつつアルフィアは懸念を思い浮かべていた。

 奇跡の様な邂逅の全てが『幸運』の一言で片づけられるわけがない。ダンジョンは()()()()である。

 これは昔から連綿と言われ続けてきた概念だ。

 

(ダンジョンは冒険者に様々な資源を与えてくれる。だが、その代わりに失うものも多い)

 

 ベルのように素直に喜べないアルフィアはただ嘆息するのみ。

 彼の様な親切心は無いが、もし――かけられる言葉があるとすればきっと、後悔する前に殺しておけ、だ。

 

          

 

 そのまま引き返そうと思ったリューは泣き顔を見せるわけにはいかないと思い立ち、泉で顔を洗ってから改めて【ロキ・ファミリア】の下に向かった。その【ファミリア】は今急遽起きた異常事態(イレギュラー)に対し、あちこちに情報収集のための団員を派遣していて大慌ての様相となっていた。

 遠征をすぐさま中止には出来ないが多少の延期で混乱を和らげる。

 彼らは探索以外にも街の治安維持も担っている。ギルドからの要請があれば可能な限り従う契約となっていた。

 テント内に作られた執務室にて今後の事を思案していた団長フィン・ディムナは嫌な予感を感じていた。

 

「……先ほどの閃光の時に少し親指が疼いた。まだ何かダンジョンで起きるかもしれない」

「今日は随分と異常事態(イレギュラー)が起きとるな。賑やかで結構な事じゃわい」

 

 ドワーフのガレス・ランドロックは笑おうとしたが、そんな気になれなかった。

 既に彼も下から来る嫌な気配を感じていた。

 

「【静寂】のアルフィアの復活といい、これもベル・クラネルが起こした事件とやらか?」

「彼の場合は起きた後の異常事態(イレギュラー)に関係してしまうだけで、彼自身が意図的に事件を起こすわけじゃあ……無いと思うけれど。毎回規模が大きくて困る」

 

 かといってベル・クラネルに何もするなとは言えない。

 それが出来るのはギルドか主神であるヘスティアくらい。

 ――フィンに出来るのは警告、または忠告だ。

 

(どちらかというと【フレイヤ・ファミリア】だと思うけれど)

(いずれあの小僧とは酒の席を設けねばな。さぞ愉快な冒険譚を聞けるだろうよ)

 

 ここ数日で起きた騒動での死者の報告はほぼ(ゼロ)。家屋の倒壊はあるかもしれないが、ダンジョン内で起きるにしては被害規模が小さすぎる。

 何らかの予兆とみるのが常道だ。そうフィン達は判断し、警戒を緩めるなと団員に指示を飛ばす。

 そこに先ほど来ていた覆面のエルフが団長達に面会したいと許可を求める報告が(もたら)された。

 リヴェリアはすぐに異端児(ゼノス)関連だと察し、面会を許可した。

 

「……うん。彼女との面会については特に……、いや、今しがたそれも警戒した方がいいようだ」

「何?」

「ティオネとベートに警戒要請を出してくれ。……念のために」

「分かった」

(……アイズの配置をどうするか……。ベル・クラネルは上層を目指して移動したというし……。一九階層への出入り口かな、順当に)

 

 アイズに関しては特に警告の様なものは感じなかった。――つまり異端児(ゼノス)関連でひと騒動が起きる、ということだ。

 閃光は想定外の方向から来た。

 下界の住民には伺い知れないところから神の介入があった事は理解できた。ああいうものはそう何度も起きるものではないし、意図的にも起こしてはいけないものだ。

 自分達の主神ロキですら慎重に振舞っている。

 

          

 

 別のテントにてリューは赤い人蜘蛛(アラクネ)達への面会が許された。ただし、幹部であるリヴェリアの同伴が条件に含まれた。

 王族(ハイエルフ)自ら買って出た事にリューはおろか、他のエルフ達も危険です、とか抗議めいた言葉を発したが彼女は(ことごと)く無視した。

 少なくとも団員に心配される程弱くないし、少しは自信をもった意見を言えと強い口調で叱責した。

 異端児(ゼノス)の為に(あつら)えた大きなテントの中には首輪に繋がれたモンスター達が――居るわけもなく、普通に雑魚寝していた。

 予定外の邂逅なので調教師(テイマー)用の拘束具の用意が出来なかった。それと【ガネーシャ・ファミリア】の団員が来るのは早くても明日以降である。

 魔法も操る一〇体のモンスターに施せるのは第二級以上の冒険者で警戒を固める事だ。

 多数の魔石を取り込んだことによる暴走もあり、免疫のない冒険者はただただ不安を募らせた。

 

「申し訳ありません、リヴェリア様」

「……何度も謝るな。お前の事情を思えば無理からぬことだ。……正直、私も戸惑った」

 

 赤い髪のアリーゼ達が元人類で【アストレア・ファミリア】の団員の記憶を持っている事に。

 それが真実かどうかはおいといて、共通語(コイネー)を自在に扱うモンスターに近くで会うことになるとは夢にも思わなかった。

 そして、なるほど、と理解する。

 知り合いがモンスターというのは心が揺れるな、と。

 テントの中に入る時、リヴェリア以外にも同伴者が居た。彼女にしてみれば過保護に過ぎるのだが言う事を聞かないし、(うるさ)いので好きにしろと言ってしまった。

 リューは改めて異端児(ゼノス)と邂逅することになったわけだが、完全に面影はなく、形が人類に近いくらいしか分からなかった。

 何となくでも似ている人物というのはたくさん居るものだ。それに声も。

 他人の空似だと思ってしまうほどリューは多くの人間と会ってきた。善人悪人問わず。

 今は姿すら変える魔法の存在もあり、似ているだけで本人と断定する自信が無くなっていた。

 

(……駄目だ。一見しても仲間達の姿と重ならない。戦影(ウォーシャドウ)がおそらく輝夜だと思うのだが……。ライラ、ネーゼ、ノイン……。本当にお前達なのか?)

 

 苦悩するリューに対してモンスター達は再度やってきたリューにどんな言葉をかけるべきか話し合ってきた。結果は無言。いや、何も浮かばなかった、が正確か。

 モンスター同士であれば多少の同族意識というもので納得できたが人類側を見ると仲間だと言い張るのは無理そうだと感じた。

 人と同じ言語で喋るだけで敵に変わりがない。

 

(……それよりも問題なのはアリーゼがすっかり黙っちまった)

(いつもは率先して明るく振舞う団長さんなのに……)

 

 赤い人蜘蛛(アラクネ)は中央に居て、リューと真っ向から対面する位置に佇んだまま一言も言葉を発しない。それどころか何の感情も浮かんでいなかった。

 輝夜達もそれが不気味で仕方が無かった。他のモンスター達は自身に何か異常が無いか確認し合ったがアリーゼだけおかしいという結論に至る。

 アリーゼ()()

 赤い複眼を外気に晒し、未だ周りが見えているのか分からない瞳にリューの姿をちゃんと捉えているのか(はなは)だ疑問である。

 

(……赤い瞳? いやまて、おかしいだろ。……ああクソっ。どうしてその発想に行きつかなかった)

 

 赤帽子(レッドキャップ)がリヴェリアの下に駆け寄ろうとすると身体が急に重く感じた。移動疎外の魔法をかけられたわけではない。

 よく分からない感情、または気配が身体を拘束したとしか思えない。

 それに気づいたのは他にも居て、すぐに仲間達やリヴェリアに声をかける。

 

「……なんかヤバイ」

「暴走の前兆っぽいので気を付けて」

「……承知した。総員警戒態勢!

 

 リヴェリアは即座に号令を発した。

 それが合図になったのか、人蜘蛛(アラクネ)は口が裂けたように見えるほど不気味な笑みを浮かべた。それに呼応するようにモンスター達は――約半数――次々と瞳を赤く灯らせる。

 一人の団員がモンスターの急な変化に戸惑うリューを後方に引っ張った。

 

「アー! ……アー」

 

 人蜘蛛(アラクネ)は少し前傾姿勢を取り、白い吐息を吐きだす。

 外から他の団員が駆けつけ、一体ずつ拘束していく。

 対応が早かった為か、それともモンスター達が覚悟していたのか、大した抵抗もせずに次々と無力化されていく。――ただし、人蜘蛛(アラクネ)だけは抵抗を試みた。

 近づく団員を追い払うように無数の足を動かし、モンスターのように暴れ出す。

 

(……暴走したモンスターをベル・クラネルは(しず)めた、と言わなかったか?)

 

 報告がたくさんあるので即座に思い出せたのは多くない。

 リヴェリアはモンスターの暴走を想定していたが解決方法までは考えていなかった。――考える必要が今まで無かったからだ。

 人語を介するモンスターが凶暴化するのは仲間の危機ともう一つ何かがあった。それを今まで失念していたことに軽く舌打ちしつつ団員達に防護の魔法をかける。

 自我が残っているのが半数ほど。人蜘蛛(アラクネ)を除けば被害規模が小さくて助かる。

 

「あたしに手伝えることあるー?」

 

 テント内に呑気な言葉が広がった。

 声の主はアマゾネスの少女ティオナ・ヒリュテ。モンスターにも一定の理解を持つレベル6の冒険者だった。

 

「あのデカブツを取り押さえろ。口から毒液を出すかもしれん。警戒を怠るな」

「りょうかーい」

 

 天真爛漫なティオナはまず挨拶代わりとして蹴りを放とうとした。いつもの癖で。それを咄嗟にやめて失敗失敗と反省する。

 戦う相手を見極める。前回、異端児(ゼノス)達と戦った時、戦意のない者もある程度いた。

 彼女は気分屋なところはあるが無闇やたらと暴力で解決する事を好まない。この点で姉のティオネに甘いだの言われて怒られる。

 

(……うーん。こういう時、アルゴノゥト君が居れば心強いんだけどな)

 

 自分達は暴力でしか解決できない。けれども、ベル・クラネルは自分達が取る方法以外で物事を解決する。

 団長フィン・ディムナも考え着かなかった方法で。

 だから、今回の事態も彼が居ればどんなに気が楽だったか、と。

 もちろん、何でもかんでもベルに任せるわけにはいかない。時には自分達だけで解決しなければ、とは思うのだが――

 

          

 

 不気味な咆哮を上げる赤い髪の人蜘蛛(アラクネ)は両手を掲げた。そして、その手から無数の細い糸を放射する。

 驚きで腰が抜けているリューに迫ったもの(粘着糸)は近くに居た団員が武器で防御し、他の面々もそれぞれ対応に追われた。

 今までモンスターの能力が使えなかったのに――

 身体が硬直したライラは団長アリーゼの変貌に酷く絶望する。

 

(……目の前に居るのは末っ子だぞ。……クソ)

 

 安全領域たる一八階層まで牽引してきたアリーゼに多大な負担を強いてきたツケが今になって押し寄せるとは。

 覚悟はしてきたつもりだが、やはり()()()では甘かった。

 視界がぼやけ始めた自分(ライラ)もいずれ暴走する。その前に出来ることは自害か、仲間の討伐か。

 戦闘以外で活躍する為に鍛えてきた頭を今使わなくてはならないのに、と歯噛みしながら解決策を模索する。

 意識あるうちに。少なくとも――アリーゼにリューを手に掛けるような真似はさせてはならない。

 人蜘蛛(アラクネ)の興味がリューに向いている為か、脇から迫るティオナに気を配らず、彼女の突進を容易に許した。

 

「ちょ~っとごめんねー。外に出すよ~」

「テントを破壊しても構わん」

 

 リヴェリアの鶴の一声にティオナはにこやかに笑って頷いた。そしてすぐ、大きな図体の人蜘蛛(アラクネ)を放り投げた。

 風雨の心配がないとはいえ、暴漢への対策の為にしっかり建てられたテントはレベル6のティオナによって簡単に吹き飛ばされた。

 狭い空間だと同士打ちが起きやすい。――本来は異端児(ゼノス)の姿を隠す意味があったが非常時なのでリヴェリアもフィンも諦めることにした。

 投げ飛ばされたアリーゼは器用に身体をひねらせて地面に着地し、不敵な笑みを浮かべる。そこにティオナが向かおうとしたところでリューが彼女の下半身に抱き着いてきた。

 

「……おう!?」

「……こ、殺さないで……」

「そんなつもりはないよ。……でもまあ、どうやって大人しくさせるかは分かんないんだけどね」

 

 目の前で仲間が殺されそうになっている。もし、ティオナであれば――全力で助けようとする。相手がモンスターだったとしても。

 姉と違い、非情になりきれないアマゾネスである事を自覚している。

 

(……ティオネがモンスターだったらあたしは守ろうとする筈だ。……うん。あたしはきっとそっちを選ぶ)

 

 冒険者の仕事はモンスターを倒すこと。それと人々を守る事だ。

 エルフの冒険者が助けを求めている。理由はそれだけで充分だ。きっと白髪の少年(アルゴノゥト)もそう決断する。

 気絶させる方法が浮かばないがまずは取り押さえる事から、と思っていたが人蜘蛛(アラクネ)は意外にも身のこなしが素早い。

 

「アハッ。ハハッ」

「……声が変わった?」

 

 籠ったような反響するような声をアリーゼが発したので首を傾げた。

 他の異端児(ゼノス)のものとは明らかに違っている。これはモンスターが響かせるものに近い、というかそのものだ。

 疑問に思いつつも打ち出された糸を腕で受ける。溶解能力が無いので火傷は負わない。

 人蜘蛛(アラクネ)というモンスターは手と背嚢から糸を出す。それと口から溶解能力のある毒液を出す。

 罠を用いた戦術を取るのが一般的だ。

 

(額の眼球が不気味に動いている。こっちの動きが見えている? モンスターだから見えるようになったのかな?)

 

 他の面々も――意識が――モンスター化したら今まで使えなかった能力を行使する可能性がある。

 そんなことを頭の片隅に置きつつティオナは人蜘蛛(アラクネ)の繰り出す腕をしっかりと受ける。

 敵の力はそれほど高くなく、戦闘に支障はない。だが、受けた側から糸が絡みつく。――だが、ティオナはそれらを力づくで振り払ったり容易に引き千切る『(アビリティ)』を持っている。

 

          

 

 ティオナは可能な限り手加減して相手の出方を窺う。

 人蜘蛛(アラクネ)というモンスターの討伐自体は慣れていたが――今回は相手が悪い。

 二人が戦闘を(おこな)っている間、リヴェリアは地面に這いつくばるリューに早く立てと厳しく言い放った。

 ある程度の確信をもって会いに来たのは理解できるが、混乱している暇はない。

 しかしながら、一度暴走したモンスターを諫める事など誰に出来るのか。元々がモンスターだ。

 

(モンスター本来の姿に戻ったという理屈なら我々に打つ手がない)

 

 何もできない事に苛立つリヴェリアは杖を握る手に力がこもる。打つ手がない、というのは人としての人格を取り戻す方法の事だ。

 出来る事なら助けてやりたい。相手がエルフでなくともそう思う。

 殺すのは簡単だ。いつもやってきた事だから。

 ため息をつく頃、人蜘蛛(アラクネ)が突如として燃え上がった。

 

「わっ!?」

 

 ティオナの技に相手を燃やすものは無い。他に誰かが火をつけたわけでもない。

 戦闘を見守っていたライラ達には理解できた。

 モンスターと化したはずのアリーゼが炎の付与魔法(エンチャント)を使ったのだと。

 

「アハハハ!」

 

 彼女の事を知らない者から見れば自分の身体を燃やすのは自殺行為だと捉える。だが、生前のアリーゼは炎に耐性を持つ。火炎石の爆弾でさえも彼女に大火傷を負わせることは出来なかった。――ただ、放っていた糸はあっさりと焼け落ちた。

 ティオナが梃子摺(てこず)っている間にガレス達も合流してきた。

 

「あちち。……虫なのに炎使いって……。アイズと同じ付与魔法(エンチャント)って奴?」

 

 多少の火傷は我慢できるが迂闊に近づけないところが歯痒い。

 単なる戦闘であれば楽だった。

 敵を倒す。難しい事を考えなくていい。

 

(……あー、ほんとにどうしよう。……ねえ、アルゴノゥト君)

 

 弱いけれどお人好し。それでいてどんな苦境に遭っても必ず勝利をもぎ取る。

 迷宮都市(オラリオ)の騒動の渦中に何度も遭遇してきて、そのたびに強くなっていく少年はティオナにとっての英雄であった。

 勿論、決して強くない。今はまだ――

 軽く呼吸を整えて攻撃態勢に移り、相手をしっかりと見据える。

 一撃とは言わないが決して打倒できない相手ではない。

 身も心もモンスターであるならば強者を前にすれば多少は怯むはずだ。レベル6を前にしたミノタウロスは過去に敗走した。

 彼ら(モンスター)も強者が分かる。

 

          

 

 アリーゼを除けば呻くばかりで激しい抵抗を見せない。

 それについて摂取した魔石が少ないからでは、とライラ達は予想する。だが――それだけではない気がする。

 

(……何というかダンジョンが影響しているんじゃねーかな)

 

 上手く言えないけれど、と不自由な身体で周りに説明しようと頑張るライラ。

 モンスターが凶暴なのは瞳が赤いものが殆どだ。それは冒険者であればひどく見慣れた光景でもある。

 ライラも輝夜もいずれ攻撃衝動に負ける。嫌な気配が体内から今もどんどん湧き上がっているのか分かるからだ。

 

「……ごめん。私らは別に何ともないんだけど……」

 

 何人かは平然としていた。(むし)ろ、どうして凶暴化したのか理解できていない。

 ベル・クラネルから聞けた情報の中にも突如として凶暴化した例は無い。宝石を失った竜女(ヴィーヴル)くらい。

 【ロキ・ファミリア】が把握している情報がまだ少ないというのも原因だ。

 燃える人蜘蛛(アラクネ)を茫然とした面持ちで見ていたリューは腰に佩いている武器に手を添える。

 ここに来たのは仲間であるかを確認するため。殺す為ではない。

 

(……すぐ目の前に仲間が居るのに私は何もできない)

 

 一目で相手が誰か――分からなかったけれど、確かに気配は【アストレア・ファミリア】の団員達だ。

 モンスターになったことが信じられなくて、すぐに受け入れる事など出来る訳が無い。

 ベル達と共に居た異端児(ゼノス)という存在ですら前代未聞。

 かつての面影を殆ど残さない彼らを仲間だとどうして言えるのか。

 

(……アルフィアのような分かりやすい気配であれば……。言い訳しか出ない)

 

 リューが葛藤している間、リヴェリアも悩んでいた。

 すぐ目の前に仲間が居るなら抱き着いてみろ、と言う事は簡単だ。だが、割り切る事は出来ない。

 すんなりと仲間意識を取り戻すことなど、出来る訳が無い。

 彼女に言える事は立って状況を見極めろ、と叱咤激励すること。そして、彼らを支援する事だ。

 

「お前はここに何しに来た? 感動の再会を期待していたのか?」

「………」

 

 王族(ハイエルフ)の言葉にリューは身体を一瞬だけ跳ねさせる。

 感動を期待していなかったわけではない。結果があまりにも残酷だっただけ。

 次にすべきことは何だ、と自分を叱咤する。

 冒険者であればモンスターが目の前に居るなら戦うだけだ。それが今までの常識だった。

 今は――異端児(ゼノス)(おおむ)ね人の世に憧れを持つ。決して敵一辺倒ではない。

 

(もし、この場にクラネルさんが居れば助けようとする筈だ。彼ならば決して諦めない)

 

 復讐にかられたリューですら助けようとする人間(ヒューマン)だ。彼の選択は常に清く正しい正義に満ちている。

 かつて捨て去った正義の心。無くしてしまった瞋恚(しんい)

 今一度回してみたい。その資格は無いかもしれないけれど、覚悟を常に胸に秘めている。

 言葉は必要ない。ただ駆けるのみ。

 緑色の疾風と化したリューは燃え盛る人蜘蛛(アラクネ)に迫る。ティオナは背後から来たリューに驚きつつも場を譲った。

 

(……こんな再会になるとは……。これも運命なのでしょうか)

「……アハ。……アー、リオンノ気配ガスル……」

「……その通りですよ、アリーゼ」

 

 嗤っていた人蜘蛛(アラクネ)の表情が消えて額にある複眼が迫るリューに向けられる。

 そして、唸りつつも――疑念によるものか――薄っすらと苦笑を浮かべた。

 何度か確認するように。そして、振るわれる大木刀を難なくいなす。

 

「……リオンダ。……ア? 殺サナキャ……。殺ス、殺ス、殺ス……」

(……急激に殺意が……。喋るモンスターだからか、明確に意図が分かるのは気分のいいものではありませんね)

 

 強者と戦いたい、というものであればまだ希望が持てた。

 殺意であればまた対処方法が変わってしまう。

 モンスターは冒険者の潜在的な敵だ。ダンジョンから生まれる彼らには一つの目的が与えられる。それが殺意であれば分かり合えない事は必至だ。

 元よりお互い理解しようとは思わなかった。それが当たり前のまま千年の歴史が紡がれている。

 

燃エ盛レ(アルガ)燃エ盛レ(アルガ)燃エ盛レ(アルガ)

 

 短文詠唱を繰り返す毎に人蜘蛛(アラクネ)の脚、手、身体の火力がより一層増していく。

 この光景にリューは見覚えがあった。

 アリーゼが戦闘の際に使用する発火呪文(バースト・ワード)。そして――

 

 かつての仲間を本気で殺そうとしている。

 

 彼女(アリーゼ)の本意ではない筈だが悲しかった。

 ただただダンジョンに翻弄され、冒険者を殺すように仕向けられたことに。

 人とモンスターの本来正しい付き合い方なのかもしれないけれど、それを素直に認める事は今のリューには難しい問題であった。

 

「ちょっとー。仲間に対して殺すとか物騒過ぎない?」

 

 不満顔のティオナが割り込んできた。

 彼女にしてみれば折角の感動の対面が殺伐とすることに納得できなかった。

 アマゾネスとして大切な友人ともいえる存在を何人も手に掛けた自分が言える事ではないが、それを抜きにしても幸せになる権利はまだある筈だ、と。

 二人が人蜘蛛(アラクネ)に対峙している背後からリヴェリアによる防護魔法が飛んできた。

 

「そちらは任せたぞ」

 

 王族(ハイエルフ)はそう言って人蜘蛛(アラクネ)をティオナ達に任せて他のモンスター達の対処に臨んだ。

 リューは戸惑いつつもリヴェリアに一礼して人蜘蛛(アラクネ)に向き直った。

 

「で? 作戦はある?」

「ありません」

「そっか」

 

 作戦が無いなら適度に叩きのめして気絶させるしかない。

 それでも無理なら――いや、その考えは後にしよう、とティオナは思いつつ突進する。

 元々の技術力が高いせいか、レベル6相手にも決して怯まない。

 リューの牽制もあまり役に立たない様子だ。――というより適度に発射される糸が邪魔をする。

 

(……先ほどまですぐ燃えたのに。これは一体?)

(糸を太くして耐熱強化? なんて器用な……)

 

 少し強引な方法だな、と思いつつ燃える糸によって火傷効果も付随し、攻めあぐねる結果になった。その間にもアリーゼは魔法の詠唱を続けた。

 唱えた分だけ火力が強まり、速度が向上し、攻撃力が増えていく。

 アリーゼ・ローヴェルが神々から賜った二つ名は――

 

 紅の正花(スカーレット・ハーネル)

 

 生前のレベルは(フォー)

 モンスター化したことで幾分か強化されているとはいえティオナの敵ではない。――だが、苦戦は必至。戦いにくい相手に変わりがない。

 単純な勝利ならば得られる自信がある。問題はその方法だ。

 レベル6であるティオナの肉体を容易に引き裂くところから油断することが出来ないのは理解した。それと付与魔法(エンチャント)の影響で火傷が地味につらい。

 

(……少し息苦しいんだよね)

「【大切断(アマゾン)】、すみません。お手数をかける」

「……好きでやっている事だから」

 

 【ロキ・ファミリア】の命令というより単純に自分が助けたいと思ったから動いている。

 もし、【ファミリア】の意に添わなければ守っているガレスやリヴェリアから静止の命令が飛んでくるはずだ。それが無い、ということは自分の判断で行動していい事になる。あるいは――止めに来る者(ティオネ)が来ない内は黙認する、という意味かもしれない。

 

          

 

 膠着状態のまま繰り出される攻撃を受け流し、たまに打撃を与える。

 相手の基礎的な【ステイタス】が高い為か、どのくらいの強さで臨めばいいのか分からない。本気だと殺しそうだし、とティオナは少しずつ攻撃に鋭さを増す人蜘蛛(アラクネ)に苦慮していた。

 本人も自覚している。明らかにおかしい、と。

 

(……アルゴノゥト君の時と一緒だ)

 

 自分より下位の冒険者が戦うたびに強くなる。既に強者となった自分が置いてきてしまった感覚でもある。

 かつての弱い自分が上を目指す気概はとても熱く、貴いものだった。

 リューもかつての団長の強さを目の当たりにし、戸惑いつつも昏倒を試みる。だが、無手である筈の人蜘蛛(アラクネ)の動きがどうにも機敏でやりにくい。

 見た目はお気楽なアリーゼだが戦闘に際しては一線を画す。

 団員を引き連れる者はそれに見合った実力を持つ。

 

(……アリーゼ。身を焼く魔法を解いてください。このままでは……)

 

 生前の肉体ならいざ知らず、モンスターまで炎に耐性があるとは思えない。

 自身の繰り出す糸が燃えているのだから全くの無傷はありえない。

 嗤っているものの火達磨になっている事に人蜘蛛(アラクネ)は全く気付いていない。または頓着していない。

 耐性は無効化ではない。威力を弱めているだけだ。

 戦闘が膠着していたところ、燃え続ける人蜘蛛(アラクネ)に覆いかぶさるように突撃した者が現われた。

 それは全身に水分を含ませた――異端児(ゼノス)――(かつ)ての仲間達だった。

 

「あっちぃ!」

「あちち」

 

 動ける半数が泉に飛び込んできたのだろう。それでも炎の付与魔法(エンチャント)は消えない。

 一見すると無謀な突撃だが相手を驚かせる事には成功した。

 火の勢いを急激に弱められた事に動揺する人蜘蛛(アラクネ)の横っ面にティオナの拳が。顎にリューの持つ大木刀が当たる。

 二つの打撃により顔全体に衝撃が(ほとばし)る。だが、しぶとい冒険者時代の【ステイタス】の影響か、朦朧寸前の意識のまま飛び退り、両者に糸を巻き付かせる。

 深層域で何度も死線を潜った歴戦の猛者であり、レベルは低いものの第一級冒険者達の背中を見て育った彼女はこの程度では沈まない。

 

「……【アガリス・アルヴェシンス】

 

 衰えた火力を復活させ、前傾姿勢を取り――地面を砕く勢いで駆ける。

 複数の脚はそれ自体が凶悪な針の如く。後に残るのは炎の(わだち)のみ。

 急加速に驚きつつティオナは冷静に相手の動きを観察する。対するリューは近くに居た仲間を弾き飛ばしつつ(ティオナ)に向かう様が恐ろしく感じた。

 

(アンフィス・バエナのような凶悪な炎ではないようじゃな。……あの快活だった娘が敵に回るとは……)

 

 どっしりと構えているドワーフのガレスは哀愁の様なものを感じた。

 年端のいかぬ若者の死は年長者にとってはかなりの痛手。特にアリーゼはあらゆる種族に理解を示す明るい性格の持ち主だっただけに武器を持つ手に力を籠められない。

 今でこそ見守っているが取り押さえるだけならすぐにでも駆けだしたい気持ちがあった。

 ――いや、幹部だからという役職に甘んじている場合ではなかった。

 

「……小娘の力を儂に見せてくれんかの」

 

 突進してくるアリーゼに横合いからガレスが割り込み、彼女の必殺を受け止める。

 唐突な乱入にティオナは不満を滲ませるが裸体に近い状態で炎に包まれた彼女(アリーゼ)を止めるのは――正直に言えば――躊躇したい気持ちだった。

 アリーゼの必殺は全身に炎の属性を付与し、敵に叩き込む。その攻撃の最もたる特徴は『爆散鍵(スペルキー)』を使った自爆だ。

 魔法を扱う者は誰もが持つ魔法の強制解除の方法。使い方によっては故意の暴走も起こせる。

 

「図体のわりに攻撃が軽いの~」

「……ウッ? ドワーフノオジ様?」

 

 上半身がガレスに向き、下半身は突進の為に未だ動きを止めず。

 それでも急激な停止による疑念がモンスターの中に渦巻いた。

 身体が焼けている事などそよ風の如く。

 珍しいものを見るかのように彼の頭に触ると(てのひら)にびっちりと糸が張り付き、すぐに燃え上がる。

 

「……オジ様。触ルト燃エル。燃エルカラ熱イ……。消エナイ……。危ナイヨ」

「それがどうした? 燃えとるのは儂だけではないぞ。お主もだ」

 

 自身が燃えるのは何となく理解しているし、それがどうしたのだと人蜘蛛(アラクネ)は思う。

 今(まさ)に冒険者を殺そうとしているのだから何がおかしい。何もおかしくない。正常な事だ。――だが、異常でもある、という思いがある。

 

「アー? アウ? 殺ス……殺サナキャ……。オジ様ヲ? ドウシテ?」

 

 殴りつけては疑問を覚え、思い出したように燃え上がっては自分のやっている事に疑問を抱く。その繰り返し。

 ガレスはその間にもっと水を掛けろ、と指示を飛ばす。

 大きな変化は無いが高火力を無限に生み出せるわけはなく、いずれ精神力(マインド)は尽きる。これは我慢比べだ。

 

          

 

 膠着状態に陥るかに思えた戦場に新たな乱入者が駆けつける。

 上層に向かった筈のベル・クラネルであった。そして、彼の背には白髪の竜女(ヴィーヴル)の姿もある。

 戸惑うリューが彼らに気付いたものの思うように言葉が出ない。

 

「アルゴノゥト君!? なんで戻ってきたの?」

 

 予想外の人物の姿にティオナは驚いたが当のベルは苦笑するばかり。

 そもそもここに来たのは背中に背負っている竜女(ヴィーヴル)ことメーテリアの要望があったからだ。

 嫌な予感がするから連れていけ、と急に言い出した。

 

「【白兎の脚(ラビット・フット)】だと? ベル・クラネルか。今、忙しいんじゃが。何しに来よった?」

 

 前面部に火傷が見られるドワーフのガレスがアリーゼを見据えたまま尋ねてきた。

 暴走している彼女もベルの名前が聞こえたらしく、ドワーフ越しに確認しようと首を巡らせる。

 

「お手伝いに。……【フレイヤ・ファミリア】の方々にも許可を戴きました」

「そして、私はお兄ちゃんの背中から指示を出す為にやってきました」

 

 にこやかにメーテリアが挨拶する。

 駆け付けたものの人蜘蛛(アラクネ)が燃えているし、膠着状態である事も確認した。その上で何が出来るのか、とベルは考える。

 リューに顔を向けると気丈な姿とは変わって気弱な印象になっていた。(むし)ろ、泣き顔だ。

 人蜘蛛(アラクネ)の側には火傷で倒れているモンスターが三体ほど転がっており、団員達に現場から遠ざけられようとしていた。

 

(……さっきの人蜘蛛(アラクネ)が暴走している? アイズさんは居ないようだけど……、どうすればいいんだろう)

 

 異端児(ゼノス)を故意に暴走させるすべを密猟者が持っていた。しかし、現場にはその人物の姿は無い。

 この場合のモンスターの鎮め方をベルは知らない。

 

「メーテリアさん。こういう場合、どうしたらいいと思いますか?」

 

 この現場に向かうように指示を出したのはメーテリアだ。試しに尋ねてみると彼女からの返答は無かった。

 背中越しで表情は窺えないが、唸っているような気配はある。考えているのか、それとも彼女も暴走するのか。

 

          

 

 現場が荒れている予感がしたわけではない。モンスターが暴走しそうな気配を感じ取ったからだ。

 これはメーテリアだけではなくアルフィアも気付いた事だった。

 言葉にするのが難しく、それでも動こうと提案したのは妹のメーテリアが先だった。

 議論を交えず、姉は上層を目指し、妹はベル・クラネルに一任された。そして、現在に至る。

 

「『我が声を聴け』」

 

 拡声のスキルを持ってメーテリアは告げる。

 この階層全てに彼女の声が響き渡る。

 音に関するスキルを持つ姉に憧れて【ランクアップ】時に得てしまったスキルの名は【木霊反響(エコー)】という。

 戦闘の役に立たないが同階層に居る仲間に確実に呼びかけられるところから初期のころは重宝された。だが、それだけだった為に神ヘラから早々に役立たずの烙印を押されてしまった。――その後、主神が姉の制裁を受けたのは言うまでもない。

 

(声が……)

(何処からだ?)

 

 一八階層に居る全ての冒険者にメーテリアの声が行き渡った事で多少の混乱が起きた。だが、声を出した当人は遠くに居る者の存在に頓着しなかった。

 このスキルの最大の特徴は人だけではなくモンスターにも作用する。

 

「あえて皆様に尋ねます。そこで燃えているモンスターを助けたいですか?」

 

 スキルを解除してからメーテリアは現場に居る者達に尋ねた。

 大半は倒した方がいいと思った。

 ガレスは何でもいい、という大雑把なもの。

 リヴェリアは無回答。ライラ達は戸惑っているだけで答えられず。

 リューは涙に濡れた顔で助けを懇願した。どうしたらいいのか分からない為に言葉も乱れていてまともに聞き取れない状態だ。

 

「お兄ちゃんは()()、助けた方がいいのよね?」

「はい」

 

 大切な友人かもしれない者が暴走して我を忘れている。

 気丈なリューがまともに立てなくなる程、絶望している。復讐に駆られていた時とは真逆といってもいいくらいの変わりようだ。

 尋ねたメーテリアは既に現場を把握し、軽く息を整える。

 彼女自身も覚悟を決めてここに居る。

 

(……悪辣なダンジョンの刺客。その気配自体は私も姉さんも感じていた。だが、跳ねのけた。……心の間隙って奴ね。それもまた運命を感じるわ。キアン様の予想通り……)

 

 ディアンケヒトとミアハを友神(ゆうじん)に持つ医療系の主神キアン。

 彼は長くダンジョンの仕組みを調査していた。当時は神がダンジョンに向かう事をそれほど制限していなかった。

 結局のところメーテリアが生きていた間に研究が実を結ぶことは無かったようだが――

 天界に居る彼は今でも下界を気に掛けている。

 もし、何らかの方法で転生するようなことがあれば、と淡い希望に縋りつく姿が目撃されている。

 ベルの背中から降りたメーテリアは手を叩いて指示を飛ばす。

 モンスターをひとまとめにし、燃えているモンスターは皆で消火するように、と。

 

「生前使う事が叶わなかった秘策を用いてみます。……もし、効果が無くても恨まないでくださいませ」

「何をする気は分からんが、任せた」

「こちらも全力でサポートしよう」

 

 リヴェリアも周りの団員達に動くように指示を飛ばす。

 暴走していないモンスターにも協力してもらい、大きな塊になってもらう。当然、彼女達もアリーゼの魔法によって焼けてしまうが少しの間だけ我慢してもらうように頼んだ。

 ある意味容赦のない指示にライラは苦笑を滲ませるが抗議の声は挙げなかった。他の者も同様に。

 

「何が起きるか分かりません。お兄ちゃん、これが今生の別れになるかもしれません」

「……別れ?」

「無事なら良し。そうでなければ……覚悟してください」

「……分かりました」

「大きな力には何かしらの代償が必要になります。……それが寿命で、このあと私が死んだとしても後悔しないように。もし、それが君だったら躊躇いますか?」

 

 死ぬ。後悔。聞きたくない単語にベルは怯む。

 誰も犠牲にしたくない少年にしてみれば残酷な事である。だが、それら全てをどうにかする力は自分には無い事も知っている。

 メーテリアは死ぬ気は無いけれど、それに匹敵する代償と引き換えに皆を救おうとしている。

 もし、それがベルであれば、と聞かれている。当然、救える命があるなら使用に躊躇いは無い、と言いたいところだが――

 仲間の姿がチラつく今、前のようになりふり構わない行動もとりにくくなる。

 

「命が大事なら躊躇ってもおかしくはありません。無謀な手段である事を自覚しない方が性質が悪い。英雄も生きていなければ偉業を成せません。私達の家訓には生きている事が一番の強者である、というものがあります」

(生きているだけで凄いんです)

 

 今はまだ発展途上にあるベル・クラネルの答えを聞く気は無い。

 彼に背を向けたメーテリアは歩き出す。

 ベル・クラネルの答えを聞くべき相手はきっとメーテリアではない何者か、だ。

 

          

 

 燃え盛るモンスターと向き合い、火傷を負いながら一塊になろうとしているモンスターの姿を一瞥する。

 ガレスはおろか団員達もアリーゼの炎に炙られて苦悶の表情を滲ませていた。

 これで何の効果も無ければ甘んじて彼らの刃を受け入れようと思った。なにせ、成功例を確認したことが無い。あくまで使えることが分かっただけだ。

 冒険者が取得する魔法は発現した瞬間に効果内容を知る。その解除方法も同様に。

 それによればこれから使う能力の代償は未記載。無い、わけではなく使った後に現れる可能性があるあやふやなもの。だからどうなるのかメーテリア自身にも分からない。

 体内の魔石が砕けるのか、猛毒を喰らうのか。それとも――もっと悪い結果に至るのか。

 どらちにせよ、モンスターである自身が死ぬくらいであれば問題は無い。

 ベル・クラネルが悲しみに暮れる可能性を思うとメーテリアでさえも躊躇いを覚えてしまうが。

 覚悟を決めた後、リヴェリアの防護魔法を受ける。しかし、それとて長くは持たない。

 メーテリアはアリーゼの真ん前に座り込み、彼女の前足を掴む。

 モンスター達は手を繋いだり、紐のようなもので繋がれたりし、要望通りの形になった。

 それらの確認を終えてメーテリアは魔法を紡ぐ。

 

【暗闇に揺蕩(たゆた)う堕ちし我らの稚児()(うんめい)に囚われし我らの同胞()

 

 玲瓏たる声色が『スキル』に乗せられて階層内に木霊(こだま)する。

 誰しもが母から生まれた事を思い出したように。

 喚くのは階層内に徘徊するモンスターと暴走するアリーゼ達のみ。

 

【絶望するなかれ。其方(そなた)は神の眷族()であり、母の子である。(すなわ)森羅万象(わたし)の子である。許しは慈母(はは)の御手より賜れり。私はあなたを愛しています】

 

 危機を感じ取ったアリーゼが突如火力を上げ、悲鳴を上げる。

 メーテリアが使おうとする魔法の効果に気付いたのか。

 大人しくしていた――元【アストレア・ファミリア】以外の――モンスター達も彼女(メーテリア)を敵と見定めて集まってきた。

 

「襲い来るモンスターを排除しろ!」

「ここを死守せよ!」

 

 一斉に向かってくると言っても膨大な数ではない。

 第二級冒険者が数十人居ればどうということもない数だ。それでも警戒を緩める理由にはならないけれど。

 モンスターとの戦闘が始まると同時にダンジョンが震えた。

 自我が残っているライラ達にも感じ取れた。

 

 ダンジョンが怒っている。

 

 何に対しての怒りなのか。それは考えるまでもない。

 メーテリアがこれから成すことに対してだ。そうとしか思えない。

 そしてそれはメーテリア自身にも分かった。

 

(……そりゃあ怒りますよね。これはある意味では対ダンジョン用の魔法でもありますから)

 

 モンスターを倒す魔法ではないけれどダンジョンにとっては都合の悪いものである。

 もし、それを唱えられたらどうなるのか。

 存在意義が失われる。そして、ダンジョンはそれを()()()防ぐ方法を持たない。出来るのは原因を排除する使徒を差し向ける事くらい。

 何も出来ない事に怒りを募らせるダンジョンの気持ちの表れなのか、震動は時間経過と共に強くなる。

 だが、それは所詮強がりにすぎない。メーテリアは軽く苦笑し、詠唱を完成させるべく言葉を紡いだ。

 

【此の者に掛けられし罪過(縛鎖)(ことごと)くを(ほど)く。聴け、迷宮嘆】

 

 超長文詠唱が完成すると同時に遠くにある壁が大きくひび割れる。

 警戒していたフィン・ディムナ達は武器を持て、と命令する。

 ベル・クラネルも神ヘスティアから授かった『ヘスティア・ナイフ』を握り込む。

 リューは足元に巨大な魔法陣が広がるのを確認した後、アリーゼの口を閉じさせるために大木刀を叩き込む。一瞬でもいい、彼女(アリーゼ)の意識をメーテリアから逸らさせるために。

 

慈母揺籃(アルマ・レデンプトリス・マーテル)

 

 メーテリアの魔法が完成し、彼女を中心に光りの波動が広がっていく。

 生前ついぞ発動する事が無かったものだが、その効果は――ダンジョンが保有する悪意を浄化する。

 即ち、暴走するアリーゼやモンスターに宿る()()()()()()()の破壊衝動やあらゆる宿痾からの解放である。

 あくまでダンジョン限定の効果なのでアルフィア達の病まで都合よくは癒せない。今となってはどうでもいいことかもしれないけれど。

 強大な効果のようで実際には一時的な処置にすぎず、新たに生まれるモンスターには適応されないなどのデメリットが存在する。

 それでも現時点での効果は劇的だ。

 モンスターの自我に塗りつぶされそうになっていた面々の動きが止まり、ライラも身体の軽さを実感した。

 そして、アリーゼは――複眼こそそのままだが瞳は全て白。おそらく気絶していると思われる。

 

          

 

 異端児(ゼノス)の無事が確認され、迫りくるモンスター達――魔法の効果範囲内に居たもの――は何をしようとしたのか分からなくなり、冒険者の姿に気付いたものから逃げていった。

 蜘蛛の子を散らすように平穏が戻った、と思った矢先に再度の震動が轟いた。

 

「メーテリアさん? 無事ですか?」

 

 ベルが震動で我に返った後、足元に転がるメーテリアに声をかけた。

 意識を失っているようだ。おそらく精神疲弊(マインドダウン)に陥っている。

 すぐさま移動しなければ――嫌な気配はより一層強く感じる。

 

「皆さん、壁と足元に注意して下さい!」

 

 メーテリアを抱え上げたベルは大声で言った。

 ここに居ては危ないと。

 リューとティオナにも人蜘蛛(アラクネ)の移動を半ば命令した。

 

「了解っ」

「分かりました」

 

 それぞれ手の空いているものが動かないモンスターを担いで逃げ出した時に地面が大きく割れた。いや、壁も割れた。

 そこから飛び出すように出てきたのはベルとリューにも見覚えがある存在だった。

 竜種の骨格で出来たような大型級のモンスター『破壊者(ジャガーノート)』――それが都合三体も現れた。

 【ロキ・ファミリア】にとっては未知のモンスターだ。大なり小なりの驚きが漏れる。

 

「なんじゃ、このモンスターは?」

「【重傑(エルガルム)】、気を付けて下さい。このモンスターこそ我々(アストレア・ファミリア)を全滅させた災厄です」

 

 突如として湧きだしたモンスターに戸惑いつつ震えていた足腰を叩いて鼓舞する。

 リューにとって既に未知ではなく既知であるモンスターだ。

 襲い掛かられる前に伝えられる情報を叫び散らす。

 そこに話し半分の内にリヴェリアが杖を振るい、魔法を放とうとした。それをリューがすかさず無礼を承知でやめさせる。

 

攻撃魔法を使ってはいけません! あいつは魔法を反射させる」

「そ、そうか。……うむ、承知した。聞いたな、お前達っ!

 

 戸惑いは一瞬。

 王族(ハイエルフ)の言葉に魔法担当が元気よく答えていく。だが、声が届かない連中も居る。それらは既に駆けだしたリューが端的に情報を伝達する。

 声を広げる能力を持つメーテリアは未だに意識不明。無理矢理目覚めさせる案も出たが、ベルが既に連れ去った後だった。

 現れたジャガーノートの攻撃が始まる。

 下級冒険者には対応せずに逃げろと伝えるが既に犠牲者が出てしまった。

 驚異的な敏捷によって防具が意味をなさない。その結果が地面に撒き散らされる血で表される。

 

「盾役ごと、じゃと!?」

 

 防御せずに逃げろ、と言っていた意味を理解し、歯噛みする。

 死傷者はまだ出ていないが重傷が相次いだ。

 レベル4のラウル・ノールドとアナキティ・オータムも戦闘に参加するものの素早いモンスターに翻弄され、防戦一方だった。

 【剣姫】アイズ・ヴァレンシュタインは下位の冒険者を守りつつ襲い来るモンスターの硬い外皮に確実に斬撃をお見舞いした。

 

(……魔法を反射するって言ってたけど、私の魔法は通用するみたい。……でも、飛び回るから戦いにくい)

 

 唸りつつ戦い方を模索する所に強烈な蹴り技で圧倒する狼人(ウェアウルフ)のベート・ローガが合流してきた。

 素早く打撃が有効とだけ言って跳ぶように去っていく。

 (ベート)の言葉を聞いた団員達はそれぞれ今の情報を伝達していく。

 ものの数分で混乱を収め、それぞれ敵性モンスターとの距離を測る。

 

(我々の時は一瞬で全てが終わってしまった。……広い空間だからこそ余裕が出来たのかもしれません)

 

 大木刀で新手のジャガーノートを打ち据えつつ【ロキ・ファミリア】の練度に感心した。

 リューの時は最初から詰んでいた。特に気持ちが保たなかった。

 落ち着いて望めるのは経験のお陰だ。そうでなければ今もその場から動けずに足手まといになっていた。

 後悔しても取り戻せない。自分はまだモンスターとなった彼女達を受け入れたわけではない。まだ迷いがある。

 

宿場街(リヴィラ)に向かう前に倒したい」

「……もう動けるぜ。誰か武器を貸してくんねーか。アタシらも参戦する」

異端児(ゼノス)達に武器を与えろ! 敵は未知のモンスター三体! 可能な限り回避しながら打撃を与えろ!」

 

 【勇者(ブレイバー)】フィン・ディムナは可能な限りの大声で通達する。

 彼に迷いはない。明確な敵が居る。それを打倒すればいい。

 ベル・クラネルとリュー・リオンも同意する。だから自分達も乗り遅れるわけにはいかない。

 

          

 

 複数のレベル4を擁するパーティだった【アストレア・ファミリア】と違い、第一級冒険者が居る【ファミリア】の戦闘は圧倒的だった。

 まず二人も居れば充分だと言わんばかりの高火力の攻撃は大型級であるジャガーノートをものともしない。

 裸に近いアマゾネスの姉妹であるティオナがうっかり防御態勢に入り、モンスターの破爪を受けて手首を半ばまで切り裂かれて騒いだ以外は順調だ。

 結構な出血量に少し意識が朦朧としたが回復薬(ポーション)で傷口を塞いで保存食を齧る。

 

「少し休んでいなさい。あのモンスターの尻尾なら受けられそうよ」

「ごめん。ここまで切れ味がいいとは思わなかった」

(……防具が通用しないって聞いてけど、ここまでとは……。確かに初見で襲われれば私らでも不味い相手よね)

 

 姉のティオネはモンスターを侮っていたことを後悔した。

 確かに素早い敵だが、魔法が通用しない程度は問題ないと思っていた。

 レベル6の『耐久』なら耐えられる、と。

 

「ガレスは無事なの?」

「めっちゃ血塗れですが命に別状なし。防具は紙くずになりました」

(……げっ。それもうヤバイじゃん)

(……本当に盾役意味ないんだー。まだ竜種の方が戦いやすいんだね)

 

 善戦しているとはいえ無傷ではない。

 ベルとリューは仲間を庇いつつ安全な場所に避難しなければならない。敵は確実に弱い冒険者と戦闘意欲のない者を狙っているようだ。

 数分の激闘で一体が粉々に飛び散ったが、地面から新たなジャガーノートが湧きだした。

 

「また!?」

「同じ個体ならやりようはある。魔石は?」

「見当たらないそうです」

 

 フィンは戦いながらも情報収集に余念が無い。

 ベルも相手の動きを見ているが相変わらず速く、姑息であった。――だが、目で追えない程ではない。寧ろ――

 

(……遅い?)

 

 リューに相手の速度について尋ねてみると彼女も同じ感想を抱いた。

 すぐにそれらをフィンに伝える。

 自分達が戦ったモンスターより弱体化している可能性がある事を。

 

「……階層依存型か。それでもレベル3以上でなければきついかな。攻撃力はレベル6でも無視できないと来ている」

 

 フィンにとっては未知の相手だ。だが、対処方法が分かれば勝てないまでも負ける道理は無い。

 ベートに無理を言って先行させる。

 このモンスターは打撃特化の冒険者と相性がいい。逆に重装備と魔法特化とは相性が最悪だ。

 

「この二人に剣を渡せ。いや、メイスか斧がいいか。やってくれるかい?」

「はい」

「承知しました」

 

 フィンの指示を受けたベルとリューはそれぞれ武器を手に取り駆け出していく。彼らと入れ替わるように拠点に戻ったリヴェリアは傷だらけになったガレスの治療を始める。

 見た目こそ重傷に見えるが実のところ命に別状はなく、戦闘もまだ少し継続できた。

 鈍重ゆえに足手まといになると思って素直に引き上げることにしただけだ。

 

「斬撃特化すぎじゃろ」

「事前に知らなければ私の魔法で全滅もあり得たかもな」

 

 広範囲爆撃をそっくり反射されれば戦う意欲を失う可能性がある。それを思えば現場から引き下がる事にも納得できる。だが、何もできないというのは存外悔しいものだとリヴェリアは愚痴のように零した。

 二人の様子を眺めたフィンは事前情報が無ければ被害はもっと悪い方に傾いていた事を悟る。そして、親指からの警告は今も続いている。

 

          

 

 二体目のジャガーノートを撃破する頃、ドロップアイテムを求めて宿場街(リヴィラ)からやってきた冒険者がモンスターの死体に集まり出した。彼らは騒ぎを聞きつけた冒険者達のようで、ベルが慌てて向かい事情を説明する。

 金に目が(くら)んだ一部の冒険者は聞く耳を持たず、何か取れないかと漁り出す。

 後から来たリューも彼らを心配している暇はありません、と――一応――言ってみたがベルが無視できない性格なのを知っているので軽くため息をつく。

 

「というよりお前【疾風】だろ? なんでまたここに居るんだ?」

「人命救助だ。私は……そのあれだ。正式にギルドから認められてここに居る。もはや私から懸賞金など貰えはしない」

 

 自信を持って言ってみた。当然のように誰も信じない。

 つい数日前の出来事であるし、一度『要注意人物(ブラックリスト)』に入った冒険者が早々すんなりと無罪放免になる訳が無い。

 ベルもギルドがリューの罪を帳消しにした、という話しは聞いていないので早く立ち去ろうと小声で提案する。

 二人が戸惑っている所に猫人(キャットピープル)のアナキティがやってきて、モンスターに迂闊に触れるな、と強い口調で言い放った。

 

「寄生型のモンスターらしいわ。完全に滅びるまで近づかない方がいいわよ」

「ああっ? お前もかよ。そんなにこのモンスターを独り占めしたいのか?」

 

 言い争いが始まろうとするところに一体のジャガーノートが飛来する。それを察知したベルがアナキティを突き飛ばしつつ迎撃する。

 モンスターの攻撃を完全に避け切れなかった彼女の背中に薄く切れ込みが入り、血が滲む。

 体勢を立て直し、警戒するもモンスターは驚異的な移動能力を持って壁に着地し、標的を探す。

 

「幸い傷は浅い。中心からも逸れています。が、早めに回復薬(ポーション)を使う事を勧めます」

「分かったわ。……しっかし、なんて速度なの。全く気付かなかったわ」

 

 アナキティは四つん這いの姿勢で拠点へと戻る。

 急襲された事で冒険者は散ったが敵はまだ生き残っている。彼らを守りながら戦うとなると気が重い。

 一番の問題は空間が広すぎる事と守るべき冒険者の人数が膨大であること。

 通常知られている階層特有のモンスターと違い、突発的に出現し、且つ希少モンスターである。

 物珍しさと怖いもの見たさで近づく冒険者が後を絶たない。

 彼らとて勝てないと分かればすぐに引き下がるが、誰かが犠牲にならないと恐ろしさが伝わらないのはもどかしい事この上ない。

 さらに厄介なのが一体倒されると補充するように新たなジャガーノートが現れる事だ。

 今のところは一体ずつ。空間内に三体まで。それが条件なのか、それともダンジョンの罠なのか。

 

(ここはモンスターが生まれない階層なのに)

 

 悔やんでも仕方が無いと早めに結論を出し、一体ずつ迎撃する。

 幸い、もはや倒せない相手ではない事は分かっている。油断さえしなければ――

 戦闘をベルに任せてモンスターの死体をリューが処理する事にした。そうすれば彼の精神的負担が一つ減る。

 

          

 

 戦闘開始からすでに一時間が経過した。

 動きに慣れたヒリュテ姉妹は大きな怪我も無くジャガーノートに対処できるようになり、怪我を治したアナキティもラウルと二人掛かりで一体を沈めたところだ。

 奮闘しているのはベート・ローガ。

 アイズはフィンの命令で下級冒険者の防衛に回っていた。

 

「もう何体目よ」

「十二体かな? 魔石無し、ドロップアイテム無し。被害ばかり増える。……旨味が全くないモンスターだよね」

「……だが、久しぶりの強敵だ。あれの異端児(ゼノス)が居たら是非とも戦闘訓練に参加してもらいたいものだよ」

 

 苦笑しながらフィンは言った。

 今のところ共通語(コイネー)を使う個体は確認されていない。――居てもらいたくない、というのが本音だが。

 杖を手放し、棍棒にてリヴェリアも戦闘に参加した。

 

「……それにしても、妙に賢いなこのモンスターは」

「多少どころか、かなり知恵が回るようです。魔法による迎撃が出来ないのが悔やまれますが……」

 

 飛び道具を持っていないのはモンスターも同じ。攻撃は主に接近戦だ。

 動きを読めれば倒せなくはない。しかし――

 ジャガーノートは斬撃以外にも階層にあるあらゆるものを使う。それは土だったり、小石だったり。

 仲間の死体すらも(つぶて)として使用する。

 

(……この時こそ盾役が役立ちます。迎撃は我らに)

 

 傷を癒しているガレスにリューは小声で伝えた。

 業を煮やすまでが長いが囮役は意外と有効な手段である。特に簡単に死なない冒険者はジャガーノートにとって最も相性が悪い。

 

「初期の混乱さえ脱出できれば我々に敗北は無い。総員、戦闘準備っ!

「おおーっ!」

 

 フィンが鼓舞し、団員達が応える。

 ジャガーノートの情報は把握した。後はそれを有効に使うだけ。

 数が増えようとこちら側が倒れなければいい。これはダンジョンとの根競べである。

 無駄の無くなったベートによる蹂躙によって生まれ出るジャガーノートの討伐時間はどんどん早まっていく。

 【アストレア・ファミリア】の面々も【ロキ・ファミリア】の働きに感動を覚えていた。

 有効打の無い自分達では一体か二体までしか対処できない。彼らは既に一〇体以上も仕留めている。

 実力差をまじまじと見せつけられ、悔しい思いと同時に頑張れと応援する気持ちが湧き上がる。

 これは単純な敵討ちではなく、迷宮都市オラリオの日常だ。

 人類の敵たるモンスターと冒険者の戦い。もはやここに特別なものは無い。

 

          

 

 討伐数が二〇を超える頃、フィンは焦りを覚えていた。

 現場に常に三体のジャガーノートが居て、倒す度に補充される。一度は同時に討伐しなければダメなのか、とさえ思ったけれど。

 死体が残っているので同時討伐はあまり現実的ではない。(むし)ろ、その死体が復活する方が分かりやすい。

 戦闘が長引く事で起きる不測の事態に相手の強さが分からなくなるものがある。

 唐突に強者が出現した時、今までの戦法が通じない事に動揺し、油断が生まれる。

 

(……同時と言っても敵は常に互いに距離を取っている。それぞれに冒険者を向かわせる事は出来るが……。嫌な予感は未だに拭えない)

 

 それとモンスターが生まれるのが一八階層だけなのか、という点もある。

 上と下にびっしりとジャガーノートが待機していた場合、数の暴力に屈するのは冒険者の方だ。

 一〇(メドル)近い巨体の敵が止め処も無く湧くのは五〇階層より下ではありふれている。それが第二級以下の冒険者が利用する階層で起きるのは緊急事態以外の何ものでもない。

 フィンが思案している間、ベート、アイズ、ヒリュテ姉妹による同時撃破が敢行された。――結果は同時に三体のジャガーノートが新たに生まれただけだった。

 

(……冒険者を皆殺しにしない限り湧き続けるつもりか)

 

 だが、それなら三体ではなく数の暴力に任せればいい。なぜ、三体なのか。それとも――

 最悪を想定したくないと思いつつもフィンは長槍を握りつめ、戦闘に参加する事にした。

 本当に無限なのか。それとも他の条件があるのかを確認するために。

 リューとベルは新たに生まれ出たジャガーノートを翻弄しつつ無駄のない動きで手足と尻尾を刈り取った。

 下層に現れた個体より動きが読みやすいし、土の多い階層の為に(つぶて)のダメージも少ない。

 

「本気で我々を殺しにかかっているとしか思えません」

「でも、黙って殺されるわけにはいかない」

「敵は三体です。無理に戦わず、休息できる時は休んでください」

【レア・ヴァンデミア】

 

 半人半蠍(パビルサグ)ではあるが元治癒師(ヒーラー)のマリュー・レアージュが治癒魔法を唱えて傷ついた冒険者達を癒す。

 戦闘は疲弊した時が一番危険だ。

 回復薬(ポーション)とて無限ではないし、魔法も無限に撃ち続けられない。

 レベル6の冒険者が優位に立てているとはいえ彼らの負担はジワジワと蓄積される。

 

(敵の装甲が厚く、ベートといえど数十の打撃数を要する)

「アイズ。敵は粉々にして構わない。だが、仲間から離れすぎるな」

「……うん」

 

 大振りな攻撃を仕掛けてくるが驚異的な斬撃は防御を無意味にしている。

 相手の動きを止められれば幾分か余裕が生まれる。――撃破とはいわずに三体とも地面に固定でも出来れば。

 巨体で素早く、何をしでかすか未知である為に試行錯誤が続く。

 

          

 

 撃破数を増やしているものの容易とは言い難い。

 こちら側の手数は敵の数が補充される毎に増えている。それは戦っているベート達が一番理解していた。

 広い空間内を自在に飛び回り、時には壁際に降り立ったまま様子見をしたり、時間差で攻めてきたり、様々な戦法を取ってくる。

 目的が冒険者の抹殺だとしても考え無しに突っ込んで来るわけではない。

 

「ああもう、魔法で叩き落したいのに~!」

 

 怒りを(あらわ)にするのは山吹色の長い髪を後ろで一つにまとめたエルフのレフィーヤ・ウィリディスだ。

 遠距離からの迎撃が出来なければ何の意味もない。その歯痒さに気持ちがどんどん苛立ってくる。他の者達も疲労が溜まっている。

 ジャガーノートは動きが鈍ってきた者を優先的に狙ってくる。

 

(……確かに遠距離攻撃が出来れば少しは楽になると思うけれど……)

 

 硬い外骨格の為に生半可な投擲武器ではダメージに繋がらない。。

 それは相手も同じで、息吹(ブレス)などの飛び道具が無い分、脅威度は幾分か低い。

 このモンスターの持ち味は切れ味の鋭い破爪と驚異的な速度。巨体そのものもある意味では厄介な凶器だ。

 攻撃側を適度に回復させ、第一級冒険者に全てを委ねるのが安全策だ。逆に彼らが瓦解すれば勝ち目は一気に無くなる。

 

(撃破後に現れる個体を狙えればいいんだけど……。今の所、どれも冒険者からかなり離れた位置から生まれている)

 

 ダンジョンが冒険者の戦略を読んでいるかのように。

 ベルが状況を思案している横で苛立つレフィーヤはケガ人を見つけてはモンスターから引き離そうと奮闘する。

 役に立てなければ無理に戦闘に加わらない。悔しい思いだが、それも戦略の一つとして納得するしかない。

 

「おい、下っ端エルフ! 魔法を寄こせ」

 

 疲労を滲ませたベート・ローガがモンスターに顔を向けたまま声を発した。それにレフィーヤが自分の事だと思い、急いで詠唱を始める。

 法撃は通用しない――らしい――が反射されなければ通じる。

 アイズとアリーゼの奮闘により、魔法が全く通用しないわけではない事は理解してた。

 

【アルクス・レイ】!」

 

 レフィーヤの魔法は狙い違わずベートが足に装備している白銀のメタルブーツ『フロスヴィルト』に着弾する。

 魔力伝導率の高い『ミスリル』という金属で作られている第二等級特殊武装(スペルオルズ)の武具はあらゆる魔法を一度だけ貯め込み、属性を付与された攻撃を叩き込める。それはアイズのような付与魔法(エンチャント)であっても可能である。

 当然、一度叩き込めば魔法の効果は消える。次の攻撃には改めて魔法を付与しなくてはいけない。

 

「オラぁ! 次よこせ!」

「は、はいぃ!」

 

 ベートの指示(オーダー)に悲鳴を上げつつレフィーヤは詠唱を再開する。それが終わり次第、他の魔法職の団員に予備として控えて貰うように素早く彼女も指示を出す。

 数をこなす毎にジャガーノートからの被害も少なくなってきた。だが、一向に敵の進攻が衰えないのが不気味であった。

 攻撃の目が第一級冒険者に向いている時、ベルに出来ることは背後からの援護だ。

 少しでも脅威を取り除くためにモンスターの関節部分を狙う。

 二七階層付近で遭遇した個体より若干弱い為か、ナイフの通りが――気持ち的にだが――良かった。

 少年特有の小柄な身体を生かし、尻尾や厄介な腕を断ち切る。

 このモンスターは再生しない。魔法こそ反射するが無敵ではない。

 

          

 

 討伐数が(おおよそ)そ一〇〇体に達しようかという頃、冒険者達の疲労が目に見えて現れてくる。

 ジャガーノートは広い空間内を自由自在に飛び回る為に――必然的に――追随しようとする冒険者の体力が著しく失っていく。

 第一級冒険者であるベートやアイズ、ティオネとティオナも汗まみれだ。

 倒しても倒しても湧き出てくる。これは五〇階層以降で経験する重労働である。

 

「う、うあぁぁ!」

 

 連続戦闘の影響か、猫人(キャットピープル)のアナキティが吠えた。そして、怒りを滲ませて駆け出す。

 黒髪黒目の【貴猫(アルシャー)】が向かう先には白い髪に疲労を滲ませた深紅(ルベライト)の瞳の少年が居た。

 周りで休んでいる冒険者達も何事かと驚きに包まれる。

 獰猛な野生動物の如く、敵意をむき出しにして力いっぱいベル・クラネルを殴り飛ばす。

 

「ぐぁ!」

 

 まさかいきなり殴ってくるとは思わず、意表を突かれた形でベルは彼女の攻撃を受けてしまった。

 何が何やら分からず戸惑う少年に構わず、アナキティは彼に馬乗りになり、憤怒の形相で殴り掛かった。

 

(クソ! 仲間が何人も死んだ。多くのケガ人が出た。それもこれもあなたのせいよ、【白兎の脚(ラビット・フット)】!)

 

 疲労の蓄積で貯め込まれた様々な不満が爆発した。

 事態に気付いたフィンは手をかざして止めようとしたが言葉が出なかった。

 リヴェリアもガレスも同様に。

 混乱するベルは逆に僕のせいか、と納得してしまい抵抗しなかった。それが逆効果になり、アナキティはより一層怒りを募らせる。

 怒りに任せた攻撃で痛い事は確かだ。だが、不思議と死を感じさせるほどの痛みではない。

 レベルは共に4。『耐久(アビリティ)』も高いので怪我自体は大したことが無い。

 本当に痛いのはどちらかの心だ。

 

「や、やめるっすよ、アキ……」

「うるさいうるさいっ!」

 

 仲裁に入るのはアナキティと付き合いが長いラウル。だが、彼らが揉めている間もジャガーノートは冒険者を襲い続ける。

 ベート達はのんびりと見物する暇も無く、戦闘を開始する。

 

(八つ当たりで一番痛えのは自分だぜ、お嬢ちゃん)

 

 身体中切り傷だらけにした赤帽子(レッドキャップ)のライラが黙って彼らを見つめていた。

 声を掛けようかと思ったがレベル4は既に子供じゃない、と。

 もし、アナキティがレベル3であれば後頭部を蹴っているところだ。

 

「あー、青春ね、ライラ」

「……痴話喧嘩の間違いじゃねーか」

 

 視力が回復したアリーゼはベル達を少し遠目から興味津々に眺めていた。

 すっかり調子を取り戻した元【アストレア・ファミリア】団長は借りた剣を振り回して喜んだので、仲間達が危ないからやめろと叱咤する。

 迷惑をかけた分はしっかり働きます、と宣言した通り彼女は破竹の勢いでジャガーノートを屠っていた。

 一瞬で【アストレア・ファミリア】を壊滅させたはずのモンスターなのに、とライラや輝夜は唖然としながら驚いたものだ。

 彼女(いわ)く――

 

 もう倒し方が分かったから平気。

 

 更に言えば攻略方法が分からなかったから自爆攻撃してしまったけれど、リューが居なければ一人でも相打ちくらいは出来たと自信をもって言い放った。

 それに目の前に居るのは当時戦っていた個体より弱いのは確実、とはっきり言い切った。

 

「これは所謂(いわゆる)アレよ。一度見た技は二度目は通じなくなる……」

「……ふ、ざ、けんなー!」

「ふざけてなんかいないわ。大丈夫。あいつの動きはちゃんと見えている。さっき輝夜だって一刀両断してたじゃない」

 

 縦ではなく横だがな、と戦影(ウォーシャドウ)の輝夜がため息交じりに言った。

 何の考えも無しに剣を振るったわけではない。ちゃんと関節部分を狙った、と。

 骨格系のモンスターの攻略は非常に単純だ。骨と骨の継ぎ目を狙えばいい。

 階層主を含めてこの条件は深層域でも通用する攻略法だ。

 

「油断さえしなければあんなモンスターの一〇や二〇……。敵じゃないわ」

「……その前に……末っ子の顔を見てやれよ」

 

 ライラはアリーゼの背後でチラチラと様子を窺う緑色の外套を纏ったエルフを親指で指し示す。

 姿自体は確認している。戦闘にも加わってもらっている。

 まだ会話が成立していない。主にお互いがお互いに遠慮して。

 明るいアリーゼが仲間と今もこうして話せるのにリュー・リオンとはまだ面と向かって話せていない。

 

(……暴走した後でリオンに声をかけるのって改めて考えると恥ずかしいわ)

 

 それに――彼女には辛い選択を選ばせてしまった負い目がある。

 悪の道に堕としてしまった責任もある。

 そんな事を頭の片隅で考えつつ白髪の少年(ベル)がどうなったのか覗き込むように首を伸ばす。

 しこたま殴った後、最後に彼の顔に唾を吐いて立ち去ったところが見えた。

 

(……髪が白いから血が良く映えるわね)

 

 モンスターもだが――アナキティの追撃の様子が無い事を確認してからベルの下に向かう。ライラ達もアリーゼの後を追い、最後にリューも追随する。

 彼女もベルが殴られているところを目撃する事になったがどちらを優先すべきか迷ってしまった。

 リューにとってはベルもアリーゼも『尊敬する人間(ヒューマン)』という枠組みに入るので。

 

          

 

 新手のジャガーノートは今も発生中だがアリーゼ達は警戒しつつベルの様子を窺う。

 鼻血こそダラダラと流れていたが顔形が崩れるほどではなかった。

 目元より鼻を狙われたらしい。

 

「生きてっかー?」

 

 脳震盪を起こしているのか、それとも単に気絶しているのか。

 胸が上下しているのでまだ生きている事は確認できた。

 仲間(マリュー)に治癒魔法をかけさせ、用意した手拭いで顔を拭う。すると綺麗なベルの顔が拝めた。

 念のために回復薬(ポーション)を振りかけたり、飲ませておく。

 

「モンスターとしっかり戦えていたのに冒険者に倒されるなんて、とんだ災難ですね」

「アタシらの知らない間に色々とあったんだろうよ。ほら、坊主。そろそろ起きろ。ここで悠長に寝られる度胸は買うが……。意識の切り替えはちゃんとしろ」

 

 ライラはベルの頭を軽く蹴る。

 彼女にとって意地悪でしているわけではない。今、一八階層は死地となっている。回復したなら即座に戦線復帰しなければ命に係わる。

 【ロキ・ファミリア】の団員達も数分の休憩後に戦線に復帰している。彼らはきちんと覚悟を持って臨んでいる。

 だから――

 

「よし、アリーゼ。潰せ」

「任せてー、ってするわけないでしょう。彼だって何体かあの化け物を仕留めたんだから休息は必要よ。貴重な戦力を使い潰すには()()()()わ」

「水を持ってきた方がいいよね?」

「確かにな。特に血塗れの連中の為にも……。リャーナ、マリュー、セルティは泉担当。アスタ、イスカ、ノインはそろそろ戦線復帰だ」

「了解」

「私は【ロキ・ファミリア】と合流して回復薬(ポーション)の配布を手伝ってくる」

 

 ネーゼ・ランケットの言葉にアリーゼは頷いた。

 方針が固まり、それぞれ散っていく。

 アスタ・ノックスはベルを担いでジャガーノートの襲撃に備え、アリーゼ達は軽く身体の調子を確かめる。

 

「……というわけでリオン。貴女も協力してね」

「……はい」

 

 アリーゼはリューを背にしたまま声をかけ、彼女がそれに応えてくれた事に激しく嬉しさを感じた。

 自分の声が届いた。それだけで生きてて良かったと思えた。だが、残念ながら今は戦闘中だ。落ち着くにはまだ早い。

 複眼含めて目を(つむ)り、数秒間だけ無心になる。

 色々と考えなければならない事がたくさんあるけれど、今はそれらを全て棚上げにする。そして、(とき)の声を上げる。

 

「正義の剣と翼に誓って……、あの化け物を殲滅する!」

「おおっ!」

(私も誓います、アリーゼ)

 

 リューは二本ある小太刀のうちの一本を戦影(ウォーシャドウ)に放った。

 元々は輝夜の持ち物だ。使い慣れた武器の方が戦い易いと判断した。

 互いに言葉のやり取りは無い。だが、今はそれでいい。

 アリーゼとリューが駆け出し、ライラ達は別動隊の補佐に向かった。

 

          

 

 休息を取らずに戦闘し続けたせいか、唐突に怒りが湧き、本能のままに【白兎の脚(ラビット・フット)】を殴り続けた。

 アナキティは【ロキ・ファミリア】の拠点に戻った後、冷静さを取り戻し、顔を青ざめさせていた。

 彼女の所業は多くの団員達も目撃しており、一部ではよくやったと褒めていたが彼女自身はとんでもない失態を犯した事で身体の震えが止まらない。既に言い訳のできる状況ではないし、間違いなく団長フィン・ディムナから叱責を貰う筈だ。

 他派閥とは言え彼は暴力的な行為を嫌う。特に私情が絡んだものは。

 

ああ~! なんで私、あんなことを……)

 

 蹲った後、床に頭を打ち付けて悶える猫人(キャットピープル)に休憩していた【剣姫】が心配になって声をかけた。

 彼女(アイズ)は先の戦闘で顔や身体に結構派手な切り傷を作ってしまい、その治療を受けていた。

 本人は平然としているが他人から見れば顔面を蒼白させるほどの大きな怪我にしか見えない。

 運良くモンスターの破爪が鋭すぎたので痛みの伝達が遅く、軽症だと思い込んでいた。だが、鏡を見た途端に【剣姫】といえど大きく呻いた。

 

「私に気に掛ける必要はないわ。しばらく自己嫌悪に陥っているから」

「……そう。みんな疲れているよね。私、頑張るから」

 

 このところモンスターとまともに戦えなかったせいで、今回の戦闘は(すこぶ)る満足していた。

 未知の脅威で明らかに敵だから。

 仲間の犠牲には少なからず心を痛めるものの、それで【剣姫】が止まる筈が無い。

 防御が役に立たない事が分かったので戦闘衣(バトル・クロス)を脱ぎ、より身軽にすることにした。

 見た目的にはアマゾネスの衣装に似ている。完全な裸は流石のアイズも抵抗を覚えた。

 彼女は紐が結べない。なので団員にしっかりと解けないように縛ってもらった。戦闘以外では意外と不器用な面がある。

 

「……凄く破廉恥な恰好に見えるんですけど……」

「……少しでも身軽にならないと」

 

 それと敵を追うのに無駄に体力を消耗してしまう。かといって黙って待ってても自分の所には来ない。

 ジャガーノートは特定の人物――例えば元凶と思われる者(メーテリアなど)――を狙っているわけではなく、動きの遅いものを優先にしているように感じられた。

 それを囮に使おうとしても【ロキ・ファミリア】の団員は多く、固めていると宿場街(リヴィラ)が狙われる。――そちらはヒリュテ姉妹が担当しているが防衛は芳しくない。

 移動砲台。無敵砲台と(ちまた)で噂される【千の妖精(サウザンド・エルフ)】も魔法を反射する相手では成すすべが無い。はっきり言って役立たずだ。

 

(……このモンスター、嫌いです)

 

 威力を弱めて試したところ確かに反射してきた。

 ジャガーノートの身体が紫紺の輝きに包まれる事で起きる現象のようだ。魔剣の攻撃も放射だと跳ね返される。

 反射されないのはアイズ達の付与魔法(エンチャント)のみ。

 それらを俯瞰していた小人族(パルゥム)のフィンは団員達の疲労度に不安を覚えていた。

 間断なく出現すると言っても所詮は三体ずつだ。落ち着いて対処すれば問題ない。――その筈だった。

 一〇〇体近いモンスターとの連続戦闘により思いのほか団員達の動きが悪い。アイズですら手元が狂うほどに。

 

(……まず出現場所が一定しない。というより冒険者の位置からかなり離れている。待っていれば向こうからくるが……、同じ相手を狙っているわけではない)

 

 当初は魔法を行使した者を狙ってくると読んだのだが、メーテリアには何故か一体たりとも向かわない。

 向かえないのか、向かうと予想しているから避けているだけなのか。

 それと三体という数を維持している所はいかにも怪しい。

 

(討伐推奨レベルは4といったところか。ある意味、三体の階層主と連続で戦闘しているようなものだ。しかも相手はいつ尽きるか分からないときている)

 

 確実に遠征は中止だ。損害が意外と大きくなってしまった。

 無視したいところだが冒険者を全滅させない限りジャガーノートが現れ続けるのであれば――戦い続ける以外に方法が無い。

 だが、無限に現れるものだろうか、という疑問もある。

 この未知のモンスターは一八階層の固有種ではないし、何らかの条件によって現れる(たぐい)だ。

 五〇階層以降まで攻略した経験のある【ロキ・ファミリア】にとって初めて経験する危機である。

 

(討伐できていると言っても一撃で倒されるような雑魚じゃない。ベートの速度をもってしても最短で三分。今は疲れの為に一〇分ほどかかっている。アイズも五分以上……。それをあっちに行ったりこっちに行ったりを繰り返していけばそれだけ疲れも溜まる。レベル4の団員達だと三〇分以上もかかる相手……)

 

 既に戦闘開始から五時間以上はかかっているのか。それとももっとかと終らない戦いに嫌気がさしてきた。

 魔法部隊に犠牲は無いが全滅しているのと同義な有様だ。

 不本意だが彼らを無理に戦闘に加えるより大人しく補佐に回す方が有用だ。

 

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