υπηρχεω【完】   作:トラロック

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14 暴喰と夜の女神

 ベル・クラネルと【ロキ・ファミリア】が『抹殺の使徒(ジャガーノート)』の大軍と死闘を繰り広げている時期より少し前――

 地下深くで生まれた一体のモンスターが上層を目指して歩いていた。

 それは腹を空かせていた。酷く飢えるほどではないけれど食事の途中を邪魔されて苛立っていたのは確かだ。

 何よりも『食』に拘り、食べる事も好きだが自分で調理する事も好きだった。

 ダンジョンの中に木霊(こだま)する程、腹を鳴らした。

 ふと、腹に手を当てた時にそれは気づく。

 

 新たな身体には何も身に着けるものがなかった。

 

 一言で言えば全裸。しかし、モンスターの身体のお陰か下半身の多くは体毛で覆われているので薄暗いダンジョン内であれば特に支障は無い。

 手持ちに食べ物がある訳もなく、途中で見つけられたのは天より降り注ぐ水のみ。何も無いよりマシなものではあるが満足する程ではない。

 食は大事だ。飢えていると人間性が失われ、判断力も倫理感すらも維持しにくくなる。

 

「……全く。腹が減っている時に限ってモンスターの勢いが強い」

(こいつらは何の腹の足しにもならん。せめて魔石を喰らって身体強化に使うしかないとは……)

 

 途中で身体が動かなくなる事態に陥ったが――気合を込めたら楽になった。

 常日頃から浴び続けた様々な害悪など()()にとってはそよ風のごとく。

 それ――彼の中にあるのは上手い飯が食べたい、それのみだ。

 何の因果か、三七階層まで落とされた彼は本能の赴くままに上を目指す。そうしないと後で()()()()()()分かったものではないからだ。

 

迷宮都市(オラリオ)で面白い出会いがあったと聞いたばかりだ。続きを聞かなければ()()癇癪を起される。……健康体のあいつほど恐ろしい存在()はない)

 

 やれやれと愚痴りながら現れるモンスターを倒し、難なく二七階層まで上がると丁度階層主が生まれるところだった。

 他の冒険者であれば運が悪いと言っているところ。だが、彼は丁度良い肩慣らしだと鼻息を強めに吹く。

 彼に相対するのは白い鱗を(まと)う双頭竜。二七階層の『迷宮の孤王(モンスターレックス)』の『アンフィス・バエナ』だ。

 首の長さだけで二〇(メドル)。体長はその倍以上もある。

 青い火炎を吐く、アンフィス・バエナを前にして彼はなお余裕の表情だった。

 

(……この身体の『耐久』の程度も知っておくべきか。……肌が黒いところから黒犀(ブラックライノス)だと思うんだが……。角の生え方が変わってるからな)

 

 左右の側頭部から生えている角のせいで頭がいやに重い。

 最初の違和感から自身がモンスターであると知った彼は世の中に絶望するでもなく、次いで感じた空腹感で思考が埋め尽くされた。

 難しい事を考えるより何か食えば大抵のことは何とかなる。腹が減っている時に色々と考えてもろくな答えは出ないものだ。そう結論を出した。

 

          

 

 猪人(ボアズ)であるオッタルに(まさ)るとも劣らない体格を持つ彼は軽く首を振り、襲い来るアンフィス・バエナを前にして僅かばかり悩んだ。

 自身を守るのは厚い胸板だけ。

 武器は無し。

 素手で相手をしなければならない。――(すなわ)ち、いつも通りの地獄だ。

 

(寝起きの準備運動にしては派手だな。……これで背中に【ステイタス】が無ければ戦い損でしかないんだが……。……まあ)

 

 仕方ないか、とため息とともに愚痴をこぼす。

 超大型の階層主『孤高の王(モンスターレックス)』に素っ裸で挑む冒険者はそう多くない。ある意味ではアマゾネスが単騎で挑むようなものだ。

 何度か自身に気合を入れ、駆け出す。

 敵は重量を生かした突進と強烈な二種類の息吹(ブレス)。――それと隠し玉が無いと言われている。

 手持ちに何もない冒険者に出来る事は逃走か物理攻撃のみ。そして、彼には第三の攻撃方法がある。

 

(外が硬いモンスターといえど中身は柔らかい。蒼炎(ブルーナパーム)じゃない方に潜り込めれば勝利の確率は上がるんだが……)

 

 普段であれば――

 この手に武器があれば楽だった。だが、楽であれば【経験値(エクセリア)】を多く得ることは出来ない。

 今は【ファミリア】の枷が無いからどうでもいいのだが。

 

「……地上のモンスターならばいくらか食いでがあるんだが……」

 

 自分とモンスター以外に聞かせる相手が居ないというのに彼は独り言を呟いた。

 いや、モンスターに聞こえるように愚痴を言ったのだ。

 これからお前(アンフィス・バエナ)を倒す相手がどういう存在かを知らしめる為に。

 対格差では圧倒的にモンスターが上。討伐推奨レベルでも並みの冒険者に引けを取らない。

 ――だが、目の前に居る黒いモンスターは大型モンスターであるアンフィス・バエナを前にしても怖気づく事は無く、(むし)ろ威圧的に佇んでいた。

 モンスターから見れば小さな身体にしか見えない筈なのに彼の身体から発せられる不可視の威圧はアンフィス・バエナをもってしても警戒させるに足るものだった。

 何度も冒険者に倒され、記憶を引き継いでいるわけではないのに()()()()()()()()()()()()と相まみえているような――

 

(……さっさと安全階層(セーフティポイント)に向かうか。それからでも検証は出来るだろう)

 

 行動指針が決まった後、彼は雑念を捨てて駆け出す。

 アンフィス・バエナの視界から消えるような勢いで黒犀(ブラックライノス)は駆け出した。

 突進力の強いモンスターの一撃は巨大モンスター(アンフィス・バエナ)の胴体に尋常ならざる衝撃を与えた。

 対応できない速度でもって振るわれた拳による一撃にすぎないが数(メドル)ほど巨体が動いた。いや、動かされた。

 対格差の有利を無視するかのように。

 

          

 

 アンフィス・バエナが叫び声をあげつつ反撃を試みるも小さな標的にかすりもしない。

 鈍重そうな見掛けの黒犀(ブラックライノス)にしては素早過ぎる、と思わせる敏捷が見せる妙である。

 打撃と蹴撃による物理攻撃のみとはいえ確実にダメージを与えてくる相手に巨大モンスターも二つの首を駆使して責め立てる。だが、その(ことごと)くを即座に潰される。

 身体が大きいゆえに逃避行動もあまり効果が出ない。

 

(……殴るだけでは効果薄か)

 

 黒犀(ブラックライノス)は元々剣士だった。重厚な鎧を身にまとい大型の剣をふるう重戦士。

 一凪ぎすれば数多(あまた)のモンスターを一掃する。

 今は武器もなくただ殴りつけるだけ。それで果たしてアンフィス・バエナを倒せるのか、と他の冒険者が現場に居たら疑問を抱くに違いない。

 生前の【ステイタス】が今も有効であるならば――この状況下でも申し分ない。

 寝起きの準備運動ももうすぐ終わる。

 死に場所を求めていたかつての戦士の身体は十二分に温まってきた。

 

(……接近戦に持ち込んでいる為か、息吹(ブレス)が来ないが……。呑気に吹くのを待つつもりも無い)

 

 体力がかなり減るが長期戦と然程変わらない事を思うとため息が漏れる。

 鞭のように振るわれる長い首を拳ではじき返し、一気に片を付ける事にした。

 ここで死ぬのも冒険者と戦って死ぬのも一緒だが飢えで死ぬのは我慢がならない。そう彼は強い意志で決意を固める。

 なによりアンフィス・バエナは階層を移動して冒険者を翻弄するモンスターだ。一度逃がせばそれだけ無駄に体力が消耗する。

 階層主はそう簡単に沈められる相手ではないが条件次第では短時間で屠れる。しかし、それには尋常ならざる力の行使が要求される。

 

(後の事は飯でも食ってから考える事にするか)

 

 強い一撃をモンスターに入れつつ自身に気合を入れる。

 そして――詠唱を開始した。

 かつて所属していた【ファミリア】の主神より与えられた力が今もまだ残っているのであれば出来る筈だ。

 多くのモンスターと冒険者を屠り、喰らい続けてきた必殺。

 飢餓より発現せし力は後天的な宿痾により能力を大幅に増強した。しかし、今回はデメリットとなっていたスキルが消失していればあるいは――

 僅かな逡巡が脳裏をかすめるが今の自分にとっては僅かな誤差に過ぎない、と言い聞かせる。

 

父神(ちち)よ、許せ。神々の晩餐をも平らげることを】!」

 

 呪文詠唱を始めた途端に身体全体が炎に包まれる。

 瞬間的に身体能力が向上し、敵を粉砕する為の準備が整う。

 

【貪れ、獄炎の舌。喰らえ、灼熱の牙】!」

 

 強大なモンスターと敵対する冒険者相手に使われた彼にとって必殺の魔法――

 今はただただ純粋に振るわれようとしていた。そこに憎しみも恨みも乗っていない。

 心穏やかなれど内に灯るは暴喰の炎。

 (つるぎ)は無く。肉体のみが唯一の武器。

 

【レーア・アムブロシア】!」

 

 魔法の完成と共に爆発的な速度を持ってアンフィス・バエナの胴体めがけて駆け出す。

 大柄な体格に似合わず、その速度をモンスター(アンフィス・バエナ)が捉える事(あた)わず。

 彼の後に残るのは踏み砕かれた地面と燃え盛る炎――

 あらゆる障害は全て喰らいつくす。そんな暴力の権化のような存在が振う攻撃はモンスターの身体を激しく損傷させていく。

 ただ殴られただけにしか見えないのに大きく肉体が破砕――いや、食い破られていく。

 本来ならば彼の獲物(大剣)に炎の魔法付与を与え、炎の暴風を叩きつける技だ。

 今は素手に魔法付与を施しているので本来より威力が減衰傾向にあるが、それでも構わず攻撃を繰り出した。

 

(……しばらく安穏とした生活を送ってたせいか、身体がすっかり(なま)っちまったな。……自分の魔法で感じる痛みがはっきり分かる)

 

 それでも耐えられない程ではない。

 皮膚が(めく)れる程度の火傷などかすり傷だ。

 ――自信の身体が黒犀(ブラックライノス)である事をすっかり忘れて、そんな感想を抱いた。

 

          

 

 一撃一撃が必殺となった魔法付与を(まと)った打撃が僅かな時間に数十と叩き込まれる。

 こんなことはレベル(ファイブ)の冒険者でもできはしない。

 打撃が当たる度に階層そのものが振動する。それが物凄い速度で発生する為、同階層に他の冒険が居れば立っていられなく可能性がある。

 アンフィス・バエナは階層を移動する階層主だが、それを安易に許すほど彼は優しくない。なにより時間をかければかけるほど空腹が響く。

 よって二本の長大な首を無視し、一気に魔石がある胴体部分を粉砕していく。

 かつては病に蝕まれ、滅多に本気が出せなかった肉体だが今は頗る調子が良く少し歯止めが利かない。

 攻撃を振るうたびに火傷の様な熱さはあるものの、それは何の障害にもならない。

 反撃を試みようとモンスターが鎌首をもたげるが、それより早く胴体を打ち抜いた彼を止めるすべはもはや無い。

 階層主と言えどそう簡単に倒せる相手ではないが――何故か、(モンスター)の耐久力が低下していた。それを彼は手の感触だけで把握し、疑問を抱くが即座に脳裏から追い出した。

 一番大事な事は腹を満たす食事だ。それ以外の些事に構っているほど心に余裕はない。

 

 美味い飯を食う。

 

 不利と見れば撤退し、有利な位置取りから相手を翻弄するアンフィス・バエナは成すすべもなく打倒され、黒い塵が大量に舞った。

 第一級冒険者を複数人用意したとしても数瞬で決着をつける事は現実的ではない。

 腹が減っている為に長時間戦闘したくない理由があったとしても。

 様々な疑問も空腹より(まさ)るものは無し。そう判断した彼は黒い塵となって消えゆく階層主を一瞥する。

 戦闘時間は強引に進めたために一時間も掛かっていない。――五〇階層まで体力を温存する事が多かったので何者も邪魔される事無く階層主を独り占めできたのは幸運であった。

 大きな魔石以外にドロップアイテムが無いか探した。それは手持ちが無いから何がしかの手土産と引き換えに食料を得る為だ。

 他の冒険者を襲うのは色々と面倒だし、何より先行している筈の存在に怒られてしまうので穏便に事を進める必要がある。

 

(……これも因果応報って奴なのかね……)

 

 何度もため息を零しつつ見つけたのはアンフィス・バエナが焼夷蒼炎(ブルーナパーム)を吹くのに必要な燃料たる『アンフィス・バエナの竜肝』といくつかの竜鱗だ。

 入れ物が無い為に多くを持てないのが悔やまれる。

 

          

 

 余計な体力を失ってしまったが黒犀(ブラックライノス)の彼は上層を目指して歩き出した。

 上へ行くたびに現れるモンスターの脅威度が低くなるので進行は概ね順調だった。ただ、上から降りてくる冒険者の姿が全く無い事に疑問を覚える。それと連れの存在も――

 自分だけより深い階層に落ちた、ということならば理解できる。連れは親切に待ってくれるような優しさを持ち合わせていない。

 今回の落下も言わば『ついで』または『巻き添え』だ。――ただ側に居ただけ、という理由で。

 

(……んっ? 階層が崩落している。……さっきの階層主は俺が来た時に出て来たから、それ以前からこうなっていたわけか。それもごく最近……)

 

 修復中である事は見て分かった。

 水流を眺めながら進むと見慣れたモンスターが一匹顔を覗かせた。それは『人魚(マーメイド)』だった。

 普段であれば凶暴な面構えで襲い掛かってくるのだが、それは何故か穏やかな顔で彼を観察するように見つめてきた。

 

(……あれが話しに出た喋るモンスターとやらじゃないだろうな)

 

 近づいたら水に潜られ、離れた場所からまた顔を覗かせた。

 危機感のない顔をしているが水の中には他にもモンスターが居る筈なのだが、人魚(マーメイド)以外の気配が感じられない。

 仲間意識を持って近づかれても人魚(マーメイド)を連れて歩くことは出来ない、というよりかは難しい。彼らは水棲生物だからだ。

 

「……アステリオス?」

「はっ?」

 

 唐突に言葉が聞こえたのでつい舌打ち気味に言い返してしまった。

 確かに共通語(コイネー)として聞こえた。その発生源はやはり人魚(マーメイド)だった。

 姿形は確かにモンスターだ。おそらく『アステリオス』という名前のモンスターに似ているのだろう。

 

「……アステリオス、違ウ? ……コンナトコロ、居ナイカ」

 

 たどたどしく言葉を紡ぐ人魚(マーメイド)は酷く落胆したようだ。それでもアステリオスに似ている為か、興味本位で少しずつ彼に近づいてくる。

 追い払うのは簡単だが話しを聞くついでに食料を要望してみた。すると人間(ヒューマン)のように感情豊かに微笑み、水の中に潜っていった。

 

(色々と訳が分からないところがあるが……。喋るモンスターは居たな。元々知能が高い奴がいるくらいだ。喋るくらいは……、とは思っていたが)

 

 彼にとって先ほどの人魚(マーメイド)が初めての遭遇というわけではない。

 実例を知るものの確証が得られなかっただけだ。

 精霊が喋るくらいだ。ダンジョンの中において不思議な事など『無い』と言い切る方が難しい。

 近くの岩場に腰を下ろして佇んでいると先ほどの人魚(マーメイド)が現われ、どこから手に入れたのか果実をいくつか持ってきた。

 彼女は荷物を入れる道具を持っていなかった為、抱えられる師に限界がある。それでも今は一つでもありがたかった。

 

          

 

 自身がモンスターの為か、人魚(マーメイド)は仲間意識でもあるのか近寄ったり離れたりを繰り返しつつ彼の様子を窺っていた。

 話しをするとしても適当な話題が無く、どう見ても知り合いではない。もし、自分の知る人物であれば大体わかるのだが――

 まずは基本に立ち返り自己紹介からしてみようか、それとも元冒険者らしくモンスターとして処理すべきか。

 

(その前に……)

 

 着る物が無い。

 モンスターとしては全裸でも問題は無いが元人類としては気にすべきかと思っただけだ。

 それを人魚(マーメイド)に頼めば水中を通る都合でびしょ濡れになるのは火を見るより明らか。それでも無いよりマシではあるけれど。

 それから一言二言と言葉を交わすうちに人魚(マーメイド)も慣れてきたのか、随分と近くに寄ってきた。それと布のような物も手に入った。――案の定、びしょ濡れだった。

 驚異的な『(アビリティ)』による絞りにかかれば水気を一度で抜き切るのは造作もない。

 

「……アナタ、迷宮(マザー)ノ影響、ナイ?」

「……なんだ、その『まざー』というのは?」

「マワリ。ココニアル全部」

(ダンジョンの事か)

 

 彼女の口ぶりでは先ほど身体の自由が利かなくなった現象の事だと思われる。

 影響を受けるとどうなるのか実際のところは分からないが、おそらく暴走状態の事だと予想する。その予測が合っているならば目の前の人魚(マーメイド)は影響を受けていない気がする。

 ダンジョンが怒っている。たどたどしい言葉尻からそういう意味だと受け取る。

 

「マザー、静マルマデココニ居タ方ガイイ」

 

 いつまでいればいいのか分からないが、長居するわけにもいかない事情がある。

 自分が直接の原因ではない事は人魚(マーメイド)も分かっている為か、喋りながら水の中を移動し、時には追加の果実を持ってくる。

 時には久しぶりに現れたモンスターも難なく仕留めて見せた。

 そうして時間を潰してどれくらい経ったか、自分達の居る階層の天井付近に亀裂が走り、瓦礫が落下してきた。――危機を察知した人魚(マーメイド)は彼に気を付けるように言いつけた後、水の中に潜っていった。

 それから数分と経たず現れたのは水の都の階層ではお目にかかれない異形の大型モンスターだった。

 

「……竜種のモンスターか」

 

 一〇(メドル)を超えようかという体躯を誇る漆黒のモンスター『破壊者(ジャガーノート)』が一体。

 第二級冒険者を容易く屠る驚異的な『敏捷』を持つが今居るのは単騎で『迷宮都市(オラリオ)』を滅ぼさんとした冒険者の生まれ変わりだ。その実力はモンスターとなって更に増強されている。

 脅威度レベル5程度のジャガーノート()()()()()()()()()()()()のだが、そんな事を当のモンスターが知るわけもなく。

 あらゆる武具を破壊してきた破爪を繰り出すも余裕で躱される。それどころか彼の重そうな角を刈り取る手段に使われる始末。

 うまく調整して角を失った彼は頭が軽くなった事に至極満足していた。

 

(おー、軽くなった軽くなった)

 

 斬撃による痛覚は多少あったがそれだけだ。

 モンスター特有の雄叫びから言葉が通じる存在ではない事を理解し、挨拶代わりに突貫する。

 身体は大きいが変幻自在に移動するすべを持つジャガーノートはいつもの如く冒険者を()()()()()()()。しかし、それは叶わなかった。

 自信を上回る『敏捷』により容易に懐まで攻め込まれ、彼の拳を胸に受けた。それだけで軽く(ひび)が入った。

 呻く間もなく逃げ切目が入り、抵抗しようと繰り出した破爪は容易に相手の手によって掴まり、そのまま握り潰された。

 

「この辺りの階層に現われる中では強いようだが、相手が悪かったな」

 

 ジャガーノートは決して弱くない。相手が強すぎただけ。

 ここに来る前に単騎でアンフィス・バエナを屠った相手など知る由もない。

 竜の化石の様なモンスターは抵抗虚しく拳のみで粉砕された。

 (黒犀)にとっては一匹のモンスターに過ぎなかった。ただそれだけの事だった。

 唯一褒めるところがあるとすれば彼の角を容易く切断せしめたことくらい。

 ()()()()を終えたような気分に陥っているところに拍手の音が聞こえた。ふと視線を巡らせれば先ほどの人魚(マーメイド)が居た。

 

「スゴイスゴイ! アナタ、凄ク強イ」

 

 滅多に褒められたことが無かった為か、モンスターである人魚(マーメイド)からの賞賛でも嬉しかった。これも天界でぬるま湯につかっていた弊害だろうかと思わないでもないが――

 地面に落ちている角は果物代として人魚(マーメイド)に渡す事にした。意外な事に重そうな物体にもかかわらず軽々と彼女は笑顔で受け取って姿を消した。

 しばらく水の流れを眺めていたが長居すると体調を崩しそうだったので改めて上層を目指す事にした。別に彼女(マーメイド)と共に探索する約束を交わしたわけではないので。

 

          

 

 人魚(マーメイド)から得た食料によって僅かばかり飢えを凌いだ黒犀(ブラックライノス)の彼は未だ崩落している階層を上っていく。

 モンスターの襲撃は未だなく、そのまま二四階層に入ると()()()()()の景色になった。それとモンスターの姿もここから多く見られた。だが、何故だがいつもより弱く感じる。

 自分が強いから相手が弱く感じるのは別段おかしくない。

 男の勘、または戦闘経験からいつもより弱いと感じてしまった。だが、だからといって手を緩める理由にはなりえない。自身がモンスターとなっていたとしても。

 襲い来るモンスターは仲間ではなく敵だ。それは昔から変わらない不文律ともいえる。

 それから一時間もかからず二〇階層まで上がったがやはり冒険者の姿ない。代わりに微振動と言える揺れは何度か感じた。それとモンスターの出現頻度が極端に落ちている。

 ここから先は冒険者が独自に隠れ家を作っていたりする場所に出る筈だが、その冒険者の姿自体が見えない。

 常ならば数人程度の第二級冒険者が探索しているものだ。それが無いという事はどこかで異常事態(イレギュラー)が発生したか、偶々(たまたま)居なかったか。

 

(……残り二階層も上がれば(いや)がおおにも冒険者の様子が窺えるはずだ)

 

 仮に誰も居ないのであれば勝手に食料を漁るだけだ。

 物資を一気にすべて持ち出す事は難しい。彼はそれを少し期待していた。

 空腹を覚えているからと言ってまだ一日だ。この程度の我慢は出来る。水も多めに飲んできた。最悪、一気に地上まで駆ける事も辞さない気持ちだった。

 三〇階層より下に比べれば幾分か気持ち的にも体力的にも楽になってきたが、こんなに静かな時間を過ごしたのは引退してから久しく覚えがない。

 既に一日ほど経ったのでないかと彼は思った。今のところ腹具合以外で時間を計るすべが無い。それと濡れていた布もすっかり乾いていた。

 一つの階層に長居する理由も無いので散歩気分で次へ向かう。こんな気持ちでダンジョンを巡るのは記憶に殆ど無い。そして――

 第一の目的地ともいえる『迷宮の楽園(アンダーリゾート)』と呼ばれる一八階層に到着した。久方ぶりに訪れるので気持ち的に少し高揚を感じた。そしてすぐに鼻腔に懐かしい()()()()が漂ってきた。

 今は懐かしい戦場の匂いだ。本来この階層には似つかわしくないが悪い気分ではなかった。

 

(……で、早速何かいやがるな)

 

 階層の出入り口からもよく見える偉容。黒き竜のモンスターの姿が。

 彼の知る最大の敵である『黒竜』に比べると小柄で覇気も感じられないが油断できない相手である事は分かった。

 それと冒険者の姿も。

 さて、と小さく呟きつつ彼は思案した。まずは腹ごなし。それと人探し。どちらを優先すべきか、と。もちろん現状の様子を知る事も大事な事なのだが、意外な光景に思考が定まらない。

 

          

 

 大型モンスターが壁面の穴に鎮座しているのは遠くからでも確認できた。だからといっても黙って突っ立って観察し続けているわけにはいかない。

 彼には待ち人が居るのだから。合流時間こそ約束していないがあまり待たせすぎると後が怖い。

 今は角の無い黒犀(ブラックライノス)だが、冒険者達の混乱についてはどうとでもなる。問題は無視できない大型モンスターの方だ。だが、その前に空腹を満たす方が先か、と一人ごちる。

 何をするにも腹が減っている。果物だけでは満たされない。

 まずは『宿場街(リヴィラ)』に向かおうとしたが多くの冒険者が上層の方へ移動しているのが見えたので今は避難の真っ最中だと判断する。

 近くづくにつれて冒険者の他にモンスターの姿もいくつか見えてきたが、戦闘自体は始まっていないようだった。

 

(どういうことだ。モンスターと戦闘になっていないどころか交渉しているように見える。さっきの喋るモンスターの仲間……。俺達が死んでいる間に色々と面白い事になっているようだな)

 

 英雄を生み出す戦いから確かに何年かは経過しているだろう事は理解できる。だが、モンスターと交渉する程とは想定していなかった。自分が今モンスターである事を棚上げにしてもおかしいと思えるほどに。

 それと近づいてみて冒険者達の所属が分かった。

 かつて雌雄を決した派閥の一つ【ロキ・ファミリア】であることに。

 まずは挨拶からか、と呑気に彼は思った。待ち人であるアルフィア・ストラディの(げん)によれば彼ら(ロキ・ファミリア)と既に面識がある筈だ。

 

「色々と言いたいことがあるかもしれないが、まずは食い物を寄こせ。そうすれば暴ない事を約束してやろう」

 

 太々しい態度かもしれないが、このくらいでなければ俺ではない。彼は話し合いより戦いに比重を置いていた。

 そんな彼の声を聴いた冒険者達は別方向からの言葉に騒然となる。壁面に居る大型モンスターすら顔を向けてくるほどに。

 傍若無人なる態度を示した彼に対して果たして――

 

「ああ、いいだろう。彼に食料を分けてやってくれ」

 

 何の迷いもない、と言わんばかりに決断したのは【ロキ・ファミリア】の団長、小人族(パルゥム)のフィン・ディムナだった。

 懐かしい顔を見て黒犀(ブラックライノス)の彼は感嘆した。

 現場が少々荒れてはいたものの大きく崩れてはいない。未知の存在ではなく既知である事は理解した。

 下位の団員達が恐る恐るといった(てい)でいくつか食料を持ってきたので彼は今まで持っていたアンフィス・バエナのドロップアイテムを駄賃代わりに進呈した。

 

          

 

 現場が膠着している中で黒犀(ブラックライノス)の彼は平然とその場に座り込み昼食を――いや、夜食を食べ始めた。

 天井の水晶は既に暗くなり始め、団員達が松明や魔力灯で辺りを照らし出している。

 大型モンスターについては何の解決もしていないが、どうやら降りるのを渋っているらしい。その情報は自然と耳に聞こえてきた。

 未知の存在である黒犀(ブラックライノス)の彼に近づいてきたのは団長のフィンではなくドワーフのガレス・ランドロックだった。

 

(ガレスか。随分とまあ傷だらけだな)

 

 頑丈な身体を持つドワーフであるはずなのに、と不思議に思った。

 よく観察すればケガ人がとても多く、悲壮感に包まれている。まるて遠征に失敗して敗走途中であるかのように。

 今も見えている大型モンスターに返り討ちに遭った、とは思えないが不思議な光景である事に驚いた。

 

「その尋常ならざる雰囲気に覚えがあるのぅ。まさかとは思うが……、ザルドで間違いないか?」

「生前はそうだったが、今はただの一匹のモンスターだ」

 

 正体については相手がそう思うのならば好きに呼ばせるつもりだった。だが、名前が無いのも不便かと思わないでもない。

 自慢するわけではないが、と思いつつ自分は【暴喰】の『二つ名』を神々から賜ったザルドだ。つい先ごろまでそう思っていた存在なのは間違いない。

 一八階層に来るまでモンスターなった自分にザルドと名乗る資格があるのか自信が持てなくなった為、名乗るのが恥ずかしくなってしまった。そんなささやかな気持ちが芽生えたので聞かれない限りは種族名でもいいかと思っていた。

 

「ついでに聞くが、あのモンスターも連れの一人か?」

 

 ガレスが指差すのは今も壁に出来た中に居る大型モンスターの事だ。

 天界に居る時の自分はアルフィアも含めて魂だけの存在だ。肉体はあくまで自分達の思い描く現象だとか小難しい事を神々は言っていた。正直、思考が曖昧になる空間だったので話し半分聞き流していた。

 

「あれがアルフィアだと名乗ればそうだと言える」

(あの女ならあれくらいのモンスターに生まれ変わっても驚きは無いがな)

 

 黒犀(ブラックライノス)のザルドの言葉にガレスは僅かに呻いたもののアルフィアとは名乗らなかった事を伝えた。

 では、あの黒い竜種のモンスターは何者なのか。

 直接本人(黒い竜)から聞いてきた異端児(ゼノス)歌人鳥(セイレーン)のレイのたどたどしい共通語(コイネー)による説明によると『ニュクス』であると。

 

「……ニュクス……」

 

 ザルドはどこかで聞いた覚えがあったが姿が思い出せない。

 『迷宮都市(オラリオ)』襲撃時、いや、その前か、と思考を巡らせるも当人の姿だけ出てこない状態だ。

 ガレスも薄っすらと聞いた覚えがある名前なのは理解していた。

 まず冒険者ではない。有名どころは大体覚えているので。

 その他の個人名の中にあれば特定するのは難しい。であれば残り一つは神の名だ。先ごろまでニュクスなる神の名で何か思い出せないかとフィンと相談していた。

 

「声からして女神じゃな、あれは」

 

 送還された神がモンスターとして復活する、というのは聞いた事が無い。たたでさえ冒険者がモンスターとして復活する事も今まで知られていなかった。

 人ならまだ理解できるが神そのものが転生するのはありえるのだろうか、と。

 それと暴れ出さない所からモンスターとしての身体をきちんと掌握している事が窺える。

 

          

 

 疑問点はあるがザルドにとって今は食事だ。それが済み次第、今後の活動を決めていく。

 一つはアルフィアとの合流だ。これについて一つ分かった事がある。近くにメーテリアが居る事だ。しかも竜女(ヴィーヴル)になっていた。

 天界から落とされる時、身体がどうなるのかザルド達には伺い知れない。最悪、どこかの赤ん坊になっているのでは、と薄っすら思った。

 生まれ変わりとはそういうものだという思い込みがあったが見事に当てが外れた。

 

「……で、こいつらもまとめてモンスターになっていると」

 

 夜食の為に集められた冒険者の中にモンスターの姿が多数あった。それがかつて敵対していた【アストレア・ファミリア】の団員達だと聞いて驚いた。

 事前に話しには聞いていたのだが――実際に自分の目で見て改めて驚いたところだ。

 聞くのと見るのとでは感じ方が違うな、と。

 自身の感覚は天界でのぬるま湯で随分と鈍ったものだと苦笑を滲ませる。

 

「私達はつい先日復活したけれど、貴方はどうなの?」

 

 赤い髪の人蜘蛛(アラクネ)になったアリーゼ・ローヴェルが尋ねてきた。

 ザルドの場合はアルフィアに引きずり込まれる形で地上に堕とされた。

 腐れ縁という付き合いもあったし、彼女のみならず妹のメーテリアにも多少の――もとい大きな恩というか縁があった。

 

 うち(ゼウス・ファミリア)腐れ団員(覗きが趣味のサポーター)が多大な迷惑をかけて申し訳ありません。

 

 【暴喰】が丁寧な言葉遣いをするほど。――そうしなければいつ殺されるか分からない生活を送っていた名残というか後遺症でもある。

 主神ゼウスが()()()()()()()度に鬼の形相のアルフィアが乗り込んでくるので、すっかり彼女に対して委縮、というか下僕癖がついてしまった。

 

「アルフィア同様、貴方も死んだから別段オラリオをどうこうするつもりはないって理解でいい?」

「旗頭たる『絶対悪(エレボス)』が居ないんじゃあ俺一人暴れたところで意味はあるまい」

 

 それより勝利者である【アストレア・ファミリア】が全滅という事はどういう事だ、と逆に尋ねた。

 七年前の抗争より二年後に全滅。相手は未知のモンスター。特徴から下層に現れた竜の化石の様な大型モンスターの事らしいことは理解した。

 ザルド本人の感覚では雑魚モンスターだった。だが、力押しの出来ない冒険者が相手であれば苦戦しても仕方がないかもしれない。あるいは偶々(たまたま)弱い個体だった、という事もありえる。

 

(……模様かと思ったけれど角を綺麗に経ち切ったようね)

(何のモンスターに転生したんだ、こいつ)

 

 屈強な肉体を持つモンスターの候補はいくつかあるがザルドが何のモンスターか分かったのはフィンとエルフの団員達くらいだった。

 実害が無い事をいくつか確認した後はメーテリアと下に降りられない竜のモンスターについて話し合う事になった。

 

          

 

 ニュクスと名乗る存在はモンスターとして復活したが現われた地点が思いのほか高くて怖気づいてしまった。

 ずっと待機していると修復が始まり、いずれは弾き飛ばされてしまう。

 冒険者達に強気な態度を見せてみたもののやはり怖い物は怖いので素直になって助けを請う方が無難な気がした。

 一番の問題は腹部に露出している大きな水晶だ。これを破損してしまうと塵になる気がして仕方がない。

 

(視覚などはモンスターの頭部が担当しているし、腹部の方は明らかに弱点の露出以外の何ものでもない)

 

 オラリオに降り立って楽しい毎日が始まる筈だったのに、どうしてこんなことになったのか。それは(ひとえ)にニュクスがダンジョンに潜らなければ起きなかった。

 おそらく他の誰に聞いても同じ答えが返ってくる。

 ザルドやアリーゼ達と違い、ニュクスは生きたままダンジョンに取り込まれ、長く身動きが取れない生活を強いられた。

 運が良かったのは食事が不要な事と排泄をしなくても問題が無かった事だ。いや。それは運がいいと素直に言えるものでもないけれど。

 寝たい時に眠れるが起きたとしても真っ暗闇。――実のところ延々と闇に閉ざされてもニュクスには何の問題も無い。

 ずっと一人で過ごしていた為に物思いに耽る事が多くなった。そのせいか、近くにザルドがやって来ても気が付かなかった。

 自由に身体を動かせるようになったのは七年振りだ。だから、明かりを見て安心しきってしまった。

 気が付けば――首根っこを掴まれて地表に落とされた。それはもう叫ぶ暇も無いほど鮮やかに。

 

「………」

 

 僅かに頭が地面にぶつかった以外は特に大きな痛みは無い。

 地上に落とした張本人であるザルドは片手間の仕事に何の感慨も無いと言わんばかりに立ち去って行った。

 二人の間に沈黙が広がる。

 

(……あっさりと地上に下ろしてくれた。……あまりの事に言葉が出てこない)

 

 僅かに呻き、高い視点から地表に移った景色をしばし堪能する。

 薄暗い中に魔力灯の僅かな明かりが見えるだけ。音はあまりなく、遠くに居る冒険者の話し声くらいしか聞こえない。

 竜種のモンスターを助けたザルド当人はニュクスを冒険者ではなく女神だと思って助ける事にした。自分の感覚からも常人とは一線を画す存在だと感じていた。

 なにより自分の知る神々の気配によく似ていた。

 レベル(セブン)の冒険者だった時でさえ神を敬い続けた。性格的に難があろうとも。神だけは対応が違っていた。

 

(……女神ニュクス。それだけでは分からなかったが邪神エレボスの関係者だったな、確か……。どうして居なくなったのかは忘れてしまったが……)

 

 七年前、アルフィアと共にオラリオを襲撃する計画の話し合いで聞いた事を思い出した。

 エレボスは一柱で来たわけではなく連れが居たがはぐれてしまった、と。気分屋だからいずれ戻って来るとして捜索しなかった、とかなんとか。

 それが女神ニュクスだったのだろうと見当をつけた。

 

          

 

 女神ニュクス。夜を司る()()の一柱。

 エレボスの妹的存在だったが【ファミリア】を作る前に失踪し、今まで行方不明になっていた。よって彼女の眷族は存在しないし、オラリオの襲撃にも乗り遅れてしまった形になるので特段の罰則も存在しない。

 地上に降りられた竜のモンスターになってしまった女神ニュクスは弱々しくフィン・ディムナに簡単なあらましを説明した。

 今まで誰かと話す機会が無かった為に自信を持った喋り方が上手くできなかった。精々威張る為の()()()()()で自分を誤魔化す事に費やしていた。というよりそんな事でしか暇潰しが出来なかった。

 

「地上に降臨してダンジョンに潜ったはいいけれど、そこで落とし穴に落ちた、と……」

「……はい。まことに間抜けな事でごめんなさいませ」

 

 巨体なのにフィンより小さくなったような印象を抱かせる。

 当初は兄のように慕うエレボスと途中までは一緒だった。共に『絶対悪』として振舞おうと勢い込んだところダンジョンの罠にかかり取り込まれてしまった。

 その当時はニュクス以外の邪神もダンジョンに潜っていたのでニュクス一柱程度が居なくなっても誰も気にしなかった。

 殆どがエレボスと兄弟の契りを交わした神達ばかりだったので一柱(ひとり)二柱(ふたり)の消失は例え妹同然のニュクスであろうと気にするレベルではなかったようだ。

 それとニュクスは他の神々同様に騒ぎを見物する気満々だったので【ファミリア】を率いるつもりは無かった。

 

「……神を生贄にしてモンスターを召喚するとか言ってた気がしたけれど、女神ニュクスはよく巻き込まれなかったね」

 

 当人は壁の中に追いやられたので分からないと思うけれど、今だからこそ笑い話に出来るが、何年も個族を強いられるのは神と言えども精神的に辛かったのではないか、と少し同情を覚える。

 例え邪神だとしても、だ。

 

(『神獣の触手(デルピュネ)』が生み出されている横で女神はずっと壁の中に居た事になる。控えていた、というよりは気付いてもらえなかった? または出番を与えられずにダンジョンからも忘れられていた?)

 

 神がダンジョンに入ると取り込まるから禁止された、という話しはフィンも知っている。

 ダンジョンは昔から神々を敵視している。それは今も変わらないらしい。

 ここで安易にニュクスを討伐するのは色々と不都合があると判断した。アリーゼ達とはまた違った扱いを強いられることに頭が少し痛んだ。

 それと黒い竜のモンスターだがアイズが怒りを覚えない所を見て少し安心した。

 

          

 

 エレボスが健在だったころに降臨した一柱であるならば七年経った今、大抗争の計画は既に消滅している。その事をニュクスに告げると酷く落胆した。主に自分が参加出来なかった事に。

 腐っても邪神の一柱。騒ぎに乗じるのが神の役目。

 その点で言えば神らしいと言えなくもない。

 それと神々は地上に混乱こそ起こすが特定の存在に対して恨みを抱く事は無い。邪神だろうと目的の大部分は地上を憂いているが為のものだ。エレボスがそうだったように。

 地上の人々からすれば酷くはた迷惑な事なのだが――

 

「神は全知零能たる存在です。私がモンスターになったからといって自ら人々を殺めようとは思っておりません」

 

 地上に降臨する神は自分から何かをしようとはしない。何かを成す時は()()眷族を使う。能力的に例外が無いとは言わないが。

 ヘスティアの権能が『(かまど)』であるようにニュクスの権能は『夜』である。ちなみにエレボスの権能は『幽冥』と言われている。

 水晶に囚われている事に関して自分ではどうする事も出来ないらしい。おそらく破壊しようとすればその身ごと砕け散り、即座に送還される気がすると――

 本来、地上の人々は神に危害を加える事はしない。ある程度の暴力は可能だが神殺しに当たるほどの攻撃は忌避感を抱かせる。それゆえに例え邪神であろうとも――【フレイヤ・ファミリア】の団員であろうとも――手を下す事はしないし、出来ない。

 よく自分の眷族に『ぶっ殺してやる』、『死ね』と言われていたり全身の骨を砕かれたりしている例があるけれど。

 それとニュクスに対して他の神々が無責任な扱いをしている事に関して、元々天界の住人なので地上で死んでも送還されるだけ、という意識が働き大して危機感を抱かない。ごく一部の例外があるか無いか、神々にとってはその程度の認識でしかない。

 それと送還される時に発生する『光りの柱』は迂闊に近づくと命に係わるし、ダンジョンの中では地上まで貫通する攻撃に当たる。

 

「視線が高くなった事で遠慮なく童達を睥睨出来て大満足なのじゃ」

 

 呵々大笑するのは水晶の中の本体ではなく竜の頭部。

 少女然としたニュクスにとって偉そうに振舞うのは至極楽しい事らしい。それ以外は素直で大人しいのでフィン達も扱いに少し困っている。

 邪神の一柱だったエレボスと直接対峙した【アストレア・ファミリア】の印象は――正義を司る少女達から見ても――『糞神』だった。

 偉そうに振舞う以外は大人しいがダンジョンに残すのも都合が悪いし、結局はアリーゼ達と共に連れて行くしかない。そう思うとフィン達上位の団員の頭痛は益々ひどくなる。

 それと頭痛の種のもう一つである『異端児(ゼノス)』達は現場が落ち着いたことを確認次第撤退する事を伝えてきた。

 【ロキ・ファミリア】としては捕獲すべきなのだろうけれど、ここはあえて無視を選択した。たたでさえ【アストレア・ファミリア】だけでも手一杯なのにアルフィア、メーテリア、ザルドと増えていく問題に流石のフィンも許容量が溢れてしまうと降参の意を表す。

 

          

 

 疲労している団員達が休んでいる間、アリーゼ達は本場の『異端児(ゼノス)』にモンスターとしての能力の使い方を教わっていた。

 全く怯まない彼女達の様子に下位の冒険者達は驚いていた。ある意味、逞しいとさえ――

 新たな脅威が生まれないまま一夜を過ごした後、地上からやってきた【ガネーシャ・ファミリア】の団員達が到着し、多くの喋るモンスターにそれぞれ怯んだ。

 遠征を中止せざるを得なくなった【ロキ・ファミリア】は仲間達や『宿場街(リヴィラ)』の住人の遺体を運ぶ準備に取り掛かる。

 大型モンスターとなったニュクスには荷物運びを頼んでみた。

 箸より重い物を持ったことが無い、とか言いそうな雰囲気だったが強靭なモンスターの力を確認した後は素直に作業を手伝っている。

 ジャガーノートと違い、こちらの竜種は大きさこそ小振りだが深層域に出てくるモンスターと遜色がない肉厚さがあった。残念ながら背中の翼はアリーゼ達同様に扱えない――動かせるだけで飛べない――ようだが。

 水晶に封じられた本体は裸身なので隠すように布が巻かれている。神としては冒険者に見られてもどうということはなく、処女神でもないので気にするな、と本神(ほんにん)は言っていた。

 

「折角だから背中に乗りなさいよ」

 

 アリーゼが末っ子のリュー・リオンに声をかけた。

 死闘を終えた今、彼女達の不安は生き残ったエルフのリューの今後のみ。可能であれば共に生きる選択も出来るのだが――

 既にいくつかの選択を彼女達は選んでいた。知らないのはリューのみ。

 その彼女はライラ達に後押しされ、人蜘蛛(アラクネ)の背に乗せられた。

 無数の脚を器用に動かし、壁面すらも駆けあがる。

 

「私達はリオンに全てを託した。復活した今、それを返せなんて言わない。……だから、貴女は気にしないで前を進んでいいのよ」

「………」

「……だから私は貴女が、リオンがいい」

 

 そう呟くように言いながらしばしダンジョン内を疾走する。ちなみにモンスターの特性を使うには感覚を掴むしかないと言われ、今も挑戦中だ。

 元々モンスターになったことが無いのだから感覚を掴む事自体不可能に近い。出来なくて当たり前だった。

 本来の異端児(ゼノス)はある日突然人間の様な意識に目覚めたのであって、元々人から転生したわけではないらしい。あるいは()()その段階に至っていないか、だ。

 レイ達も正確な事は分かっていないがダンジョンの意志が関わっている事は感覚的に理解していた。

 アリーゼ達に色々と教授していた彼らは別れを告げることなくひっそりと引き上げていった。

 

          

 

 平穏が訪れた。誰の目から見てもそうとしか映っていない。しかし、団長のフィンや歴戦の冒険者であるガレスやザルドは警戒を解かない。

 地上への帰還作業と並行として新たな脅威に警戒していた。

 ニュクスにはアイズを付き添わせた。見た目は凶悪なドラゴンなのだが怒りや殺意は湧かない、と物騒な感想を彼女(アイズ)に告げられてフィンは苦笑する。

 今まで大人しくしていたメーテリアだが黙って作業を眺めていた。

 暴れるでもなく喚くでもなく、ザルドに会っても手を振ったり笑顔を見せるだけ。天界で会っているし、久しぶりというほど離れていたわけでもない。

 そのメーテリアが唐突に駆け出し、ラウル・ノールドとアナキティ・オータムに覆いかぶさるように追突した。

 一見するとわざと体当たりしてちょっかいを掛けたようにも見える行動で目撃した団員にも緊張が走る。

 小言を言おうとした時、真下から強大な魔力の波動が発生、拡散した。

 ザルドとニュクスを除く多くの冒険者達が一斉に冷や汗をかくほどの異常事態が起きた。そして、何処からともなく玲瓏たる音――いや、超短文詠唱が誰の耳にも届く。

 警戒していたフィンの命令よりもそれは早く起きてしまった。

 

 福音(ゴスペル)

 

 本来それはこの階層で聞こえない筈のもの。まして、その術者は五階層に今も待機しているという報告を受けていたし、今も彼女(アルフィア)は戻ってきていない。

 であれば誰がこの魔法を扱えるというのか。

 唐突にかき鳴らされた魔法の衝撃は平地を一瞬にして吹き飛ばし、多くの土砂が引き上げようとしている冒険者達に襲い掛かる。

 運がいいのか悪いのか、魔法による攻撃を直接的に受けなかった為、被害は想定よりも軽微であった。

 

「……ああ、忌々しい。未だ私を悩ませる雑音が消えないとは……」

 

 クレーター状に抉れた地面の中心地点に()()は居た。居た、というか上半身しか見えていない。

 七年前の暗黒期に実際に彼女が身に着けていた黒いドレス姿。深窓の令嬢のような佇まいはフィン達にも見覚えがあった。

 灰色の髪。閉じた両目蓋の(かんばせ)。死人の様な色白の肌を持つ人間(ヒューマン)の女性。

 瓦礫を退かしながら這い上がってくる姿は地獄から生還した亡者の如く。

 

(……馬鹿な。では、上層に居るアルフィアは偽物!? そんなわけは……)

 

 フィン達はモンスター化したアルフィアの能力を目撃したのは地上での邂逅時のみ。再復活時の能力までは確認していないし、同一人物だと今まで疑いもしなかった。

 安易に偽物と断じる事も出来ないが不可解な現象に少々戸惑ってしまった。

 身体を完全に露出させたアルフィアは生前の姿そのもの。違いがあるとすれば身体全体が(くすぶ)っているのと服装が相当傷んでいる事くらい。

 

「……しかし、これはどうしたことだ?」

(それ以前に……私は何だ? 記憶があやふやだ)

 

 全身を苛む痛みは()()()()()だとしても、とアルフィア・ストラディは疑問を覚えた。

 姿形は人間(ヒューマン)そのもの。角も尻尾も無く、肌に鱗一枚も張り付いていない。

 本人も気付いたが身体が煙が立ち上っているし、服が一部焼け焦げている。

 なによりも不可解なのは強烈なほどの怒りがあった筈なのに今は何故だが霧散してしまい、気持ちがとても落ち着いている。

 地面を吹き飛ばしたのはもちろん邪魔だと思ったからだ。そうなのだが――何故だが自分自身の事なのにおかしいと思っている。

 明らかな異変。周りに居る冒険者の中にモンスターが平然と紛れているのも気付いていたが――

 一番の異変は呼吸がとても楽になっている事だ。そう、先ほどまで感じていた筈の雑音(煩わしさ)が気のせいだと思えるくらいに。

 

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