υπηρχεω【完】   作:トラロック

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 一八階層の平地を吹き飛ばしながら現れたのはアルフィア・ストラディは――そうとしか見えない――生前の姿を保ったまま自身に起きた事に疑問を抱く。

 激しい怒りがあった。原因は定かではない。

 破壊衝動とも取れる何らかの意思。――それが地上に出た途端にぱったりと霧散霧消してしまった。

 

(……周りに居るのは【ロキ・ファミリア】か?)

 

 各団員達が持っている【ファミリア】を示す団旗から判断した。

 彼ら以外にモンスターの姿もある。何故か冒険者と共に居るし、戦闘になっていないように見えた。

 覚醒してから記憶の混濁は少しずつ治まってきているものの自分がどうして地面の中にいたのかは分からない。何かがあった事だけは朧気に覚えているというのに。

 胸に手を当てると心音が――全く聞こえない。停止しているのか脈動は待てども待てども起こらない。

 

(……ああ、そうか。私はここで死んだのだな)

 

 冒険者を引退したはずの自分が地面に埋まっている。何かがあったのかもしれないが結果的には埋められるような事があった。ならば、答えはただ一つしかない。

 息苦しさは地面の中に居たせいだとして一向に起きる筈の本来の痛みが来ない。

 音に対する付与魔法(エンチャント)静寂の園(シレンティウム・エデン)』を解除し、体調を窺ってみた。

 付与魔法(エンチャント)を解いた事によって彼女の魔力が吹き荒れる。

 

(……やはり体調に変化は無いな。……馬鹿げているが……、そういうことなら理解できる)

 

 ため息をつきつつクレーターから這い出て、大勢の冒険者を見据える。

 誰もがアルフィアに恐れを抱いて警戒していた。

 軽く手を前に向けるだけで誰もが一歩後退する。

 膠着状態に陥るかと思う間もなく人ごみから前に出てたのは彼らの代表である小人族(パルゥム)のフィン・ディムナだった。

 

「お目覚めのところ悪いが、こちらは敵対の意志は無い」

「……【勇者(ブレイバー)】……ここはダンジョンだな」

「そうだ。……君は()()()()覚えているんだい?」

 

 何を覚えていて何を忘れたのか。単純な問いかけだったが正確に答えるには幾分か時間がかかりそうなことだけは理解した。

 気分は悪くない。それにとって自分は退場した。怒りも薄れているというか改めて湧いてこない。

 アルフィアは口元を緩ませ、自然体で――

 

 フィン・ディムナの首目掛けて手刀を繰り出した。

 

 それはとても静かな攻撃だった。

 音は無く、駆け出した事さえ気取られない程に洗練されていた。

 だが、油断という点でフィンもただの冒険者ではない。彼には優秀な危機管理意識を持つ親指の権能を持っていた。

 

          

 

 【ヘラ・ファミリア】所属でレベル(セブン)の【静寂】のアルフィア・ストラディ。そう公式記録には記されている。だが、目の前に居るのは枷のないアルフィアだ。

 その身体能力はレベル(ナイン)の冒険者にも引けを取らない。まして――

 ()()()()()()使()()()()()アルフィアは与えられた命令に忠実である。

 フィンは常に携帯している『フォルティア・スピア』という槍で防御。いかにアルフィアとて素手で超硬金属(アダマンタイト)級の金属で出来た武器を斬断するのは無謀だった。

 素手と武器の柄がぶち当たると耳を疑う衝撃音を奏でた。

 女の細腕にしか見えない攻撃にフィンが押し込まれる所を見ると『(アビリティ)』がかなり高い事が窺える。

 

(攻撃の際、彼女の身体から煙が噴出したな。まとな存在ではないようだが……)

 

 生前のアルフィアの最期をフィンは直接見ていないが燃え盛る一八階層より身を投げた事は聞いている。

 炎に包まれて灰と化した影響かは分からないが何の理由も無く煙が出るとは思えなかった。

 だが、それより問題なのは疲弊した今の状況でアルフィアを打倒するのは困難を極めるということ。

 

「……フィンは下がってて」

 

 言うより先に助けに来てくれたのは【剣姫】アイズ・ヴァレンシュタイン。

 無駄口をたたかず細身の剣(デスペレート)で応戦する。

 素手の敵に武技で立ち向かう形だが、それでも相手は何の支障もなく対処していた。

 それと魔法による牽制を使わない事が気になった。

 

「………」

 

 突如として戦闘が始まり、外野のニュクスとザルドは半ば呆然としながら見物することになった。

 ザルドはまだ興味深そうに見ているが黒い竜たるニュクスは何故戦っているのか全く理解できなかった。

 彼女からすればどちらも地上に住まう子供達にしか見えなかったからだ。理由があれば納得する。無いから困惑している。

 アイズが参戦したからといって戦況の変化が変わるわけでもない。七年前の時より強くなった彼女の攻撃ですら()()アルフィアにはまだ届かない。

 混戦模様に陥るかと思われたが、ここには一つの『異常事態(イレギュラー)』が存在していた。

 

「姉さん、こんなところで何をしているの?」

 

 殺し合いには似つかわしくない呑気な声かけ。

 たった一言なのにアルフィアが大いに動揺し、アイズから飛び退った。いや、初めて危機感を持った行動を取った。

 今の声掛けはアイズではない。

 

(幻聴!?)

 

 目蓋を閉じたまま眉根を寄せるアルフィア。

 声の主を探すために頭を巡らせようとした時、突然背後から抱き着かれた。

 

「捕まえた~」

「……貴様」

 

 アイズの目にはアルフィアがどうして抱き着かれたのか理解できなかった。もし、自分であれば気配を読み取って躱す自信がある。

 声の主は特別な動きは取っていない。(むし)ろ、何故バレなかったのか。

 

「姉さんは一緒に来た姉さんではないのね。何となく理解できたわ」

「……リア。ダンジョンに魂を取り込まれたのか? 神ではなくお前が」

「……そういうわけじゃあないんだけれど……。ここは私に免じて戦いをやめて。みんな疲れてる。そうしないと姉さんを残して塵になるわよ」

 

 聞きなじみのある妹の声で言われればアルフィアも命令を中断せざるを得なくなる。

 全てにおいて妹に比重が傾いている彼女は不満顔のまま身体から力を抜いた。

 ダンジョンの使徒であるアルフィアも愛する妹の命令――お願いを無下にする事は難しい。

 

「……ああ、儚く可愛らしいメーテリア。お前を救うために研鑽を重ねてきたが……」

「姉さん。運命は変えられないのよ。……それにいつまでも愚痴を言うのは姉さんらしくないわ」

 

 労わるように両手を差し出すアルフィアは妹の言葉で動きを止めた。

 それまでは確かに悲しげな表情をしていたが思い通りの結果にならなかった事に――姉は僅かに不満を滲ませる。

 

(……妹だというのは理解しているのか。それとも声が似ている相手だから相手をしているだけ?)

(……寸分違わない姉さんだけれど、どこかよそよそしいわね。……そうじゃないわね。私を失った時から然程()()()()()()姉さんなのかしら?)

 

 ダンジョンより生まれし者同士だからか、アルフィアがメーテリアを敵と認識していない。しかし、その成り立ちは大きく違っている。

 片方は天界から降臨した。もう片方はどういうわけかダンジョン自身がアルフィアを模倣した。

 先ほどまで暴走状態だったメーテリアでさえ目の前に居る姉は何処か人造的だと見抜いている。

 

「ダンジョンの言いなりになっているのは仕方がないわ。姉さんは偽物だもの」

「……そのようだな。不本意だが偽りの記憶を持った私なのは認めよう」

 

 アルフィアは慌てることなくメーテリアの言葉を肯定する。その事にフィンは驚きを見せない。

 傲岸不遜にして孤高の女王のありようは絶対の自信に包まれている。

 彼女の性格を忠実に再現しているのであれば何らおかしい事は無い。(むし)ろ、それでこそ【静寂】だと言える。

 

          

 

 偽物とは言え限りなく記憶を再現しているせいか、立ち居振る舞いに違和感が少なすぎる。開き直っているとも違う気がした。

 フィンは苦笑した。滅多に弱みを見せない彼をして、こんな敵と戦いたくないと思わせる。

 アルフィアの目的は――メーテリアが尋ねたらあっさり答えてくれた――ダンジョンの敵対者たる冒険者を皆殺しにすること。

 今回の原因の大元がメーテリア自身なのはアルフィア自身気付いていない様子だった。

 

「ごめんなさい、姉さん。……その原因は私かも」

「……なんだと……。リアが原因!?」

 

 忠実に再現しているせいか、妹の返答にだけ大袈裟に反応する。これがフィン達だとあまり本気にされないので少々納得がいかなかった。いや、態度が違い過ぎるだろうと文句を――一応は言ったが相手にされなかった。

 それからアルフィアは妹の言葉に驚きを見せつつ攻撃態勢に何度も()()()()して失敗していた。

 傍目には大袈裟な身振り手振りにしか見えないが動きが不自然だった。

 

「……周りが少し騒がしいな。福音(ゴスペル)……」

「『ららら』~」

「……む?」

 

 アルフィアの魔力によって引き起こされる魔法の衝撃を『木霊反響(エコー)』によって次々と相殺しつくす。

 出始めであればある程度の減退が出来るのは同じ音を司る者ならでは。

 かといってアルフィアの能力は絶大だ。例え模倣された存在だとしてもダンジョンが満を持して用意した報復装置。偽物と安易に侮るなかれ。それは紛れもないジャガーノートを凌ぐ災厄であった。

 しかし、必殺である筈の魔法もアリーゼ達にとっては彼女(アルフィア)の全力ではないのは理解した。

 真の力を発揮すれば軽傷どころでは済まない。

 

(……アルフィアの魔法を『スキル』で相殺した、だと!?)

(さすが妹って……思えばいいの?)

 

 外野が困惑している間も姉妹の対話は続く。

 激闘を繰り広げた経験を持つアリーゼ達の目から見てもメーテリア達の行動は想像の埒外にあった。そもそも気軽にアルフィアに触れられない。――妹の特権といえばそうなのだが。

 魔法を放とうとする姉の顔を掴んで方向転換させるなど、ただの冒険者には出来ない事だ。ましてレベル7に挑むなど自殺行為と変わらない。

 

「……偽物とて矜持がある。与えられた使命は全うせねばならない」

「……それで本物になれるわけがないのに?」

「別に構わんだろう? 本物でも私程度に倒されるような惰弱な者は存在するだけ虫唾が走る」

「……聞き訳が無いのは姉さんらしいかと思ったけれど……」

 

 そう言いながら大きくため息をつくのはメーテリアだった。

 冒険者時代の姉であればその言い分に反論の余地はない。だが、今は色々と事情が違うし、天界で出会った姉の様子からも今の言葉を容認する事は――妹だからではなく――メーテリアにはできない。

 ダンジョンの意志をある程度把握しているメーテリアには分かる。これは姉の意志というよりダンジョンの悪意が多分に含まれているということに。

 もう一度魔法を使えれば一気に事態が解決するのだが、さすがに大技は何度も出来ない。

 

(……英雄の作法を教えてやろう)

「英雄の……、ん……。貴様、今、()()()()()?」

 

 アルフィアが動揺を見せた。

 孤高の女王が何かを言おうとするたびに一歩ずつ後ずさる。

 三言目からは口を開閉するだけになった。

 

「【静聴】のメーテリア・ストラディは姉さんに負けないくらい強くなれるんですよ。今は竜女(ヴィーヴル)ですけど」

 

 そう言いながら額に存在する宝石をもぎ取り、それを人のいる場所に放った。

 何気ない動作だがフィンやアリーゼ達は大いに驚いた。

 額から血を流しつつ微笑みを絶やさないメーテリアの身体が変化を始めた。

 成人女性の様な体躯の彼女の身体は二倍以上に大きくなり、背中から有翼の器官が生えていた。

 両脚は強制的に閉じて癒着し、一本の長い尾になった。

 表情は凶暴なモンスターのように変わったが頭を何度か振ると狂気が治まった落ち着いた顔に。

 

「メーテリアの本気ですよ、姉さん」

「……莫迦かお前は」

 

 ダンジョンの使徒とはいえ自分の意識もあるアルフィアは変化した妹の身体を労わるように擦り出し、心配のあまり言葉にならない呻き声を発するようになった。

 そんな動揺する姉を頭というか顔を大きな口で噛んだ。

 肉体的には人間(ヒューマン)と変わらないせいか、多少出血したが骨格が砕ける事は無かった。

 そのまま『スキル』を発動する。

 目の前で強烈な不協和音を浴びせられ、魔法による抵抗も上手くいかない。なにより物理的な排除が出来なくなっていた。

 普段であればレベル6の冒険者だろうがか弱い妹の物理攻撃だとしてもものともしない。それが今は動揺のあまり本来の力が発揮できない。なによりたかが『スキル』に過ぎない筈の技に肉体が悲鳴を上げている。

 確かに病弱だった頃の妹であれば何の痛痒も感じない。だが、今は健康体にしてモンスターの力が加わり、更に想定以上の【ステイタス】を持っているのだからいかにダンジョンの使徒を自称するアルフィアとて無傷では済まされない。

 魔法であれば『静寂の園(シレンティウム・エデン)』で無効化出来る。だが、今喰らっているのは単なるスキルだ。――スキルだろうと無効化しそうなものだが何故だか出来なかった。

 それは肉体に不協和音を浴びせられた事によって不快感が増大し、思うように肉体を制御出来なくなったからだ。

 不意に背中に指を這わせられると震えてしまうように。

 二の腕や足の裏、(わき)をくすぐられるように。――場合によれば唐突な失禁を誘発させてしまう事も。

 

          

 

 単なるいたずら程度の効果だと思う事無かれ。

 レベル6のメーテリアが本気で姉を倒そうとして全力を振るっている。その効果は想定以上に強く表れる。

 身動きできないアルフィアの鼓膜や眼球の毛細血管は真っ先に破れ、鼻血も出てくる。しかし、そんな損傷もダンジョンの使徒としての特性か傷の修復が始まる。

 倒し切ることは出来なくとも肉体的な損傷を与える事は可能だ。

 強靭な肉体を得ているせいで安易に気絶も出来ない。

 ――偽物とはいえ姉を倒すのは(しの)びないと思い、途中で離れた。それが間違いのもとになるとしても最後まで戦い抜く事はメーテリアには出来なかった。

 

「……姉さん、血塗れ」

「……はあ、は~」

 

 足腰が震えて立っている事が出来なくなったアルフィアは地面に膝をついた。

 他の冒険者ならいざ知らず妹の攻撃であれば敗北も素直に受け入れる。だから、特に負けたからと言って悔しいとは思わなかった。

 突如始まった戦闘を固唾を飲んで見守っていたアリーゼ達外野連中はただただ感心した。孤高の女王が手も足も出せずに屈した姿に。

 相性の問題もあるだろうけれど、同じことが出来る人間は『迷宮都市(オラリオ)』の中でも二人と居ないだろう、と。

 

(……生前であれば姉さんをここまで追い詰める様な事は無理。健康体でモンスターの肉体があったからこそ)

(……リアに攻撃された。外に出る事も難しかったあのか弱い子が……。誉めるべきか怒るべきか……)

 

 アルフィアは自身の怪我など眼中にないくらい妹の強さに感心したり驚いたり、様々な感情が渦巻いた。その多くは喜びだ。恨み言は使徒として抱えるが、それだって軽微に過ぎない。

 変身した竜女(ヴィーヴル)は理性を失うものだがメーテリアは何の問題なく自我を保っていた。本人からすれば身体が大きくなり、力が増した程度にしか感じていない。

 姉と妹の戦いはまだまだ続くと思われたが、先に降参の意を表したのはメーテリア。理由は単純、偽物とはいえ姉を本気で倒す事に抵抗を感じたから。――本音の所は違うのかもしれないけれど。

 身体から煙を立ち上らせるアルフィアを真の意味で追い詰める事はフィンでなくとも不味いと感じていた。それを感覚的に察知したから、ともいえなくもないが――

 

(モンスターのアルフィアは『静寂の園(シレンティウム・エデン)』を乱用すると体内の魔石が傷つくと言っていた。ならば、彼女もその条件に当てはまる可能性がある。決して本気を出せない孤高の女王……)

 

 戦闘を自ら放棄したメーテリアはフィン達の下に戻ってきた。ただし、変身したまま。

 元の大きさに戻るには先ほど捨てた宝石を額に戻す必要がある。それを探しに来た。

 残されたアルフィアは急速に傷を癒していく。生前、そのような特性を持っていなかったので確実にダンジョン由来の能力だと誰の目にも明らかとなった。

 白皙(はくせき)の肌に赤い血管が浮き出て煙の量が増大した。だが、敵意はそれほど感じなかったので、冒険者達は油断せずに警戒しながら見守った。

 

「……待て、リア」

 

 少し俯き加減になったアルフィアが声を発した。それは小さくとも誰の耳にもはっきりと届いた。

 大きな体躯となってしまったメーテリアも思わず振り返る。最初に見た時よりも姉が小さくなったような印象を受けた。それは自分が大きくなったから、というわけではない。

 

「ダンジョンを怒らせたのはお前か?」

「そうですよ。凄いでしょう? えっへん」

 

 腰に手を当てて胸を張って自慢する大きな竜女(ヴィーヴル)

 見た目こそモンスターだが姉から見れば可愛らしい印象を思い起こさせるに足りた。

 か弱い妹が大きなことを成した。それが例えダンジョンの使徒としては受け入れがたい事実だとしても既に比重は妹に傾いている。

 微笑みを見せつつ一足で妹の側に降り立ち、彼女の頭を撫でようとした。――今は巨体になっているのでつま先立ちでも届きそうにない。

 

          

 

 戦闘は唐突に終わった。使徒である筈のアルフィア自身がやる気をなくした。――または強引にダンジョンの指令を反故にした、ともいえる。

 本人(アルフィア)の感覚では身体はもって一日だろうとフィン達にあっさりと告げた。

 終わって見れば【ロキ・ファミリア】の被害は軽傷のみ。メーテリア一人の勝利という驚異的な成績だった。

 ザルドもニュクスも事態を見守る側に立っていたものの、戦闘に加わっていればもっと酷いことになっていたのは明らかだと評した。――図体が大きいニュクスは元より戦力に数えられなかったかもしれない。

 

「……もう一人私が居るのか」

 

 戦闘意欲を無くしたアルフィアをメーテリアの側において今までの事情を――簡単にだが――説明した。

 生前の姿をかなりの精度で再現している彼女にモンスター組は至極興味津々だった。

 複眼が現われたアリーゼを除けば身動きが取れない程度で済んでいるが、ダンジョンがその気になればあらゆる存在が敵対する。

 生物的な振る舞いはフィン達も以前から感じているし、神々もある程度はそういう認識を持っていた。

 

(向こうのアルフィアを引っ張ってこれなかったから忠実な(しもべ)を作り直したんだな。だが、結局その企みもご破算になったわけだ)

 

 身体から立ち上る煙はアルフィア本人もどうする事も出来ないらしい。

 傷の修復の為に現れた太い血管も近くで見れば植物の(つる)のように成長していっている。僅かに動いている様子が窺えた。

 それからガレスとザルドは普段であれば説明役として控えているのだが、アルフィアを怖がっているのか離れた位置に避難していた。

 結局、聞き手として残っているのは団長であるフィンのみ。後方に何人かの団員は控えていたが。

 それとメーテリアは宝石を額に戻したら変身前の姿に戻れた。本人はとても不思議がって、取ったりつけたりを繰り返して遊んでいた。

 

「……いつまでも残ってたらまた異常事態(イレギュラー)が発生するかもしれない。各自荷物をまとめて撤退せよ」

「はい!」

 

 宿場街(リヴィラ)の住人にも退避勧告を出し、ダンジョンが完全に修復するまで様子見をする事を通達した。

 大騒動が起きたが、これで終わりだとは思っていない。だが、少なくない犠牲を出してしまった後始末はつけるべきだろう、とフィンは悔しさを胸に顔を上げた。

 

          

 

 冒険者の半数以上が退避したころ、地上からの応援が続々とやってきた。

 モンスター化したアリーゼ達は【ガネーシャ・ファミリア】に引き渡され、ガレスやアイズは下位の冒険者を引率しつつ上層を目指す。

 問題は黒い竜となった女神ニュクスだ。図体が大きいので最後尾に控え、冒険者によって通路を破壊してもらいながら移動する事になった。――本人も多少の荒事は可能だが体力が無いのか、すぐに息が荒くなって座り込んでしまう。

 

「全知零能って()った~!」

 

 文句を言いつつも素直に従う姿は何処か微笑ましい。

 女戦士(アマゾネス)のティオナ・ヒリュテが興味深く観察したり、話し相手になったりしながらニュクスの安全を確保し、姉のティオネ・ヒリュテは団長のお世話で手一杯だと主張し、些事には殆ど関わらない姿勢を示した。

 道中は快調だった。異常があるなら上から来た冒険者から報告がある筈だし、何も無ければそれに越したことはない。

 不審な点があるとすればモンスターが殆ど出てこない事くらいだ。居ないわけではない。新たな生産が確認できないだけだ。

 数時間後には五階層にたどり着き、待機していた【フレイヤ・ファミリア】の団員であるオッタルとヘディン・セルランドのすがたを確認した。

 いじけていたと言われていたアルフィアは階層を破壊しながら気持ちを落ち着かせて、今は比較的立ち直っているそうでフィン達が残念がった。

 そして――

 

 二人のアルフィアが邂逅する。

 

 交わす言葉はなく。互いに睨み合う形から始まった。――といっても互いに目蓋を閉じているので立ったまま寝ているように見えなくもない。

 当人は既に互いを敵視し、魔力によるぶつかり合いが始まっていた。だが、それも数瞬で終わりを告げる。

 自分は二人も要らない。消えるべきなのはどちらなのか。その答えは出会った瞬間に出ていた。

 

「私の妹は強かったぞ」

「私の妹なら当然だ」

 

 同じ声色による妹自慢。

 当人(メーテリア)は顔を手で覆い恥ずかしがった。

 本当は実力で言えば下の下もいいところ。それは姉であるアルフィアが一番理解していた。

 そんな妹が姉を翻弄し、元はとまでは言わないまでも窮地に追いやったのだ。現役で言えば【ランクアップ】させてやりたくなるくらいの偉業だ。もちろん、多分に過大評価している。

 

福音・魔王の旋律(ゴスペル・サタナス・ヴェーリオン)

 

 一拍の間の後、人間(ヒューマン)のアルフィアが制限なしの超短文詠唱を唱えた。

 一瞬にして広がる膨大な魔力の波動に対し、竜人(ドラゴニュート)のアルフィアは涼しい顔で堂々と受け止めた。いや、身体に触れた瞬間に反撃に転じた。

 同じアルフィアであれば『静寂の園(シレンティウム・エデン)』の存在を知らない筈がない。

 自らの魔法すら大幅に制限する外部の魔法を無効化する付与魔法(エンチャント)

 極大の『福音(ゴスペル)』を持ってしても相手にダメージを与えられるか分からない。そして、同じ存在にそんな魔法を放つ事など本来はあり得ない。今、この場でのみ見ることが出来る奇跡の一戦であった。

 竜人(ドラゴニュート)のアルフィアは妹とベル・クラネルの為に自らに枷を設けた。それは自身の魔石を傷つける行為を(おこな)わないというもの。

 それはつまり『静寂の園(シレンティウム・エデン)』の使用を禁じる。――それと自分でも確かめてみたくなった。

 普段、敵に向けていた魔法の強さがどの程度であるのかを。

 

「聞きしに勝る雑音だな。……確かにこれは聞くに堪えん」

 

 相手にどう聞こえていたのか、こうして同じ魔法を放ってくれる存在が居なければ永遠に理解することが出来なかった。これはこれで好奇心を満たす上で僥倖といえる。

 望外の破壊音波の筈がモンスターのアルフィアからすれば力の入った物理攻撃と大差が無かった。もちろん、程度が低いわけではなく、()()()()食らえば流血する程の強さなのは理解している。

 後方に居る冒険者達やメーテリアにも被害が生まれてしまうので呑気に技を味わっているわけにもいかない。

 思索を試みている間も自分以外にあまり被害が行かないように同じ魔法によって衝撃を相殺している。

 同じ波長の魔力ゆえに触れさえすれば相手の魔法を利用するだけで簡単な作業になってしまう。

 

(千日手か一撃必殺の二択か)

(膠着などありえん)

 

 戦う前から勝敗は明らかだ。そう判断を下したのは竜人(ドラゴニュート)のアルフィア。

 自分達は過去の遺物で敗北者だ。例え【アストレア・ファミリア】が全滅していようが全ての冒険者が居なくなったわけではない。

 ベル・クラネルとの出会いで壊れかけていた時計の針が元気よく回り始めたばかり。その動きを更に良くするのは自分達の役目だ。

 ゆえに――

 

 少年(ベル)の歩みを邪魔する者は()()()排除する。

 

 二人の攻防は経過時間こそ数分足らず。レベル7以上の戦いは僅かな時の間に数十を超える攻防が繰り広げられるものだ。

 彼女達のやりとりを性格に視認する事は難しいが第一級冒険者であればだいたい見る事が叶う。

 そして、刹那の間に決着がついた。いや、より正確には残るべき者に委ねただけ。

 過去は未来の糧である。竜人(ドラゴニュート)(てのひら)の上に乗る人間(ヒューマン)のアルフィアは首だけになりつつもどこか安心しきった表情を湛えていた。

 

          

 

 片方のアルフィアが倒れ、異常事態(イレギュラー)は終わりを告げた。

 ダンジョンの使徒と化していた彼女の身体はすぐに塵と化し、大きな魔石と身に着けていた黒いドレスを残して散っていった。

 現場にベル・クラネルが居なかったお陰で惨状を見せなくて済んだ。その事にアルフィアとメーテリアは安心して胸を撫でおろす。

 

「……外野共は無事か?」

 

 全ての衝撃を相殺しきったわけではないので、多少のけが人は織り込み済みだ。

 死者こそ出さなかったが見える範囲では戦々恐々とした雰囲気が広がっていた。

 近くにいたメーテリアも多くの擦過傷を作っていたが、無事のようだった。

 

「姉さん、この魔石はどういたしましょう?」

「換金すればいい。私には興味が無い」

 

 強気な発言をするアルフィアとて自分の魔法を至近距離で受けた影響で酷く疲弊してしまった。無傷ではないが一日しっかり休まなければならない。

 色々とあったが懸念の殆どが解消された。後は地上に向かうだけとなった。

 大怪我をしたリリルカ・アーデも適切な手当てを受けたので歩くだけなら問題ないと主張した。

 ザルドはアルフィアと共に居る事を選び、メーテリアは【ヘスティア・ファミリア】預かりになる事で話しが付いた。

 とはいえ、最大の懸念が実は残っているのだがダンジョンの中で考える事ではないと判断したフィン達はその事を棚上げる事にした。

 疲弊が沈黙を呼び、重い足取りになっていたが浅層の道中はいつも以上に静かで平穏そのものだった。

 地上に出れば――空は夜天に覆われていた。

 アルフィアとメーテリアは当初の約束通り、ほんの数日を【ヘスティア・ファミリア】で過ごす事になり――自動的にザルドも一緒となる――アリーゼ達【アストレア・ファミリア】の多くは【ガネーシャ・ファミリア】に向かう事になった。

 【ロキ・ファミリア】はそのまま本拠(ホーム)に戻り、死んだ仲間達の埋葬やら細々としたことがたくさん待ち受けていた。

 オッタル達【フレイヤ・ファミリア】も自分達の本拠(ホーム)に戻る予定だった。

 重い空気にさらされて気まずさを感じていたリリルカ・アーデは一番自分が不幸な役回りだったことを嘆く。――死んでいないから幸運だ、とは素直に喜べない。

 暴走したアルフィアにいきなり襲われたので何しにダンジョンに潜ったんだ、と自己嫌悪に陥った。肝心の団長であるベル・クラネルは地上に上がったまま戻ってこないし、今もどこに居るのか――恐らく治療院に居るのだろうけれど。

 

「癇癪を起さない。この大きな魔石をあげるから機嫌を直して」

 

 と、メーテリアから巨大な魔石を貰ったので早速予想金額を夢想する。それとアルフィアから【フレイヤ・ファミリア】に奪われる前に売ってしまえ、とありがたい助言を貰って気持ちが少し楽になり、ついでに本拠(ホーム)まで護衛してもらえることになった。

 多くがそれぞれの拠点へ迎え頃、他と違う行動を取るのはアリーゼ・ローヴェルとゴジョウノ・輝夜の二人。

 地上に戻る前に二人はひっそりとモンスターの魔石を食べ続けていた。この事は仲間達(アストレア・ファミリア)も承知している。

 

「ねえ、リオン。地上に出られたし、ここで決着をつけましょうか」

 

 アリーゼの提案に末っ子のエルフであるリュー・リオンは混乱した。

 仲間達は既に話し合いを終えていたらしく、見物人以外は残らずに【ガネーシャ・ファミリア】と共に移動を開始していた。

 輝夜はアリーゼとは別行動しており『迷宮都市(オラリオ)』の中心である『中央広場(セントラルパーク)』を歩きつつ前を歩く【剣姫】に声をかけた。

 

「夜間は人気も少ない。丁度良い間合いが出来とります。なので……ここで私と立ち合ってくれません?」

 

 戦影(ウォーシャドウ)の唐突な挑戦に対し、アイズ・ヴァレンシュタインもまた困惑した。

 戦う理由が無い。いつもであればそう言える。だが、相手はモンスターだ。普段のアイズなら一も二も無く剣を振るう。それがいつもの日常だ。

 戦ってみたい、という理由では弱い。私怨でもない。単なる妬みという線も無理過ぎる。

 だから、普通に尋ねてみた。そして、興味があった。

 今の自分の技は【剣姫】にどれだけ届くのかを。

 

          

 

 輝夜の生前の【ステイタス】はレベル4。

 今はモンスターの姿を借りて復活し、魔石を取り込んで増強している。だからといって【剣姫】に届いているとか凌駕しているとかはどうでもいい。

 ただ、強い冒険者と剣を合わせる。

 

「別れは済ませた。うっかり討滅されても、それは事故……。そちらさんの【ファミリア】を恨んだりしないように言っておきました。……仮に仲間が仕返しに来るようでしたら倒せばよろしい」

「……別れ? 貴女はそれでいいの?」

「愚問。それ以上は剣をもって語り合えばよろしいです」

 

 輝夜は腰だめに構えて鞘を握る。

 アイズは輝夜の態度に真剣である事を感じ取り、仲間に先に戻るように言った。真剣勝負が始まると仲間は思ったようだが見世物にする気は無く、一応輝夜に確認を取ってみたところ好きにすればいいという返事が返ってきた。

 剣を合わせるに充分な広さを確認できた後、細身の剣(デスペレート)を抜き、輝夜の要望に対する答えを示した。

 輝夜は圧倒的な壁に思えたアイズ・ヴァレンシュタインが今は頑張れば手が届きそうな位置に居る気がした。幻想かもしれないし、単なる希望的観察に過ぎないのかもしれない。

 英雄の領域に踏み込んでいるアイズに挑戦できる機会は意外と多くない。この状況を逃せばもう機会はやってこない。正に千載一遇の機会は今をおいて他にない。

 

 ――ああ、アイズ・ヴァレンシュタインを殺せる。

 

 何の気兼ねも無く――ただ、純粋に殺意を(ほとばし)らせる。

 剣士というより暗殺者。ただただ殺める為だけに特化した家系『五条』の末裔。

 極東に生まれ、正義を冠する【ファミリア】に所属していたのは何かの冗談かと自嘲したのは随分昔のように燃えて笑えてくる。しかも今はモンスターと成り果てた。

 夢半ばで倒れ、今また立ち上がる事をダンジョンより許された異端の権化。であれば――好きにしても構わないだろう。今は制限する者の無い我欲のみしかない。

 

(……とはいえ、素直に殺されてくれる相手ではありません。が、殺す気でなければ届かない)

 

 その為には生贄が必要だ。

 力を得るために輝夜は色んなものを捧げた。最期は自身を――

 ならば今は何を捧げれば満足するのか。

 

(……無粋。小難しい理屈は性に合いませんな。……やはり……)

 

 極東の神髄を刻む。それ以外は必要ない。

 もうすぐ欲しい者が手に入る。あと一歩――

 輝夜の気配を察知してアイズも迎撃態勢に移る。勝負は一瞬でつく。自分は全力で臨むだけ。

 

吹き荒れよ(テンペスト)

 

 その身に風の付与魔法(エンチャント)(まと)う。

 長時間の連続戦闘でアイズも疲れが残ったまま。重傷のリヴェリア・リヨス・アールヴの容態も気にかかる。不安要素が内に残っている以上、本気をどこまで出せるのか本人でさえも未知数であった。

 だが、それでも戦う以上は全力で当たらなければ相手に失礼だ。

 斬撃戦において自身の防備は無粋。けれども黙って斬られるわけにはいかない。

 斬られる前に斬ればいい。勝負はおそらく一太刀で決まる。

 歴史を積み重ねてきた輝夜をして戦いの権化たるアイズの強さは異常の一言に尽きる。五年の月日で更なる高みに昇られていると思うと――正直に言えば気が重い。考えたくない。そう思わせる。

 

(……何が届く、だ。その程度で満足するのか。五条とは手が届く程度の技で満足するのか)

 

 (いな)、と言いたいところだが反論するすべが無い。

 背筋を伸ばして迎撃の準備を終えたアイズを見据える。そんな彼女の美しい姿勢に思わず見惚れる。

 至高の敵の姿に――本当に、馬鹿めと言いたくなる――微笑を湛えたいが戦影(ウォーシャドウ)に表情を表現するすべが無い。

 開始の合図は無い。先に仕掛けたのはアイズ。彼女の間合いは広場全域にも及ぶ。

 ただ一言を持って全てが終わる。

 

(まが)つ彼岸の花】

「リル・ラファー……」

「居合の太刀……五光(ごこう)

「がっ!?」

 

 短文詠唱と共に鞘から抜き放たれた居合の太刀筋は五つに分裂し、赤い軌跡を描きながらアイズを襲った。そのアイズも僅かながら後出しであったにもかかわらず輝夜の斬撃を上回る速度で剣を繰り出した。

 鍔迫り合いは起こらず。けれどもレベル6にして【剣姫】と呼ばれるアイズの目が捉えたのは通常の斬撃では決して起こせない剣筋が五つ。あまりにも想定外の攻撃に全てを叩き落すのは無謀に思えた。

 極東仕込みの抜刀術と魔法の合体技。

 魔法による斬撃は任意の位置に発生させられるので剣筋から予測するのは困難である。ょってアイズは見てから避けざるを得なかった。――レベル6をもってしても全てを避けるのは容易な事ではないが元々の戦闘経験により三つまでは完璧に避け切った。

 

          

 

 ほんの一瞬の攻防。数秒後には互いの位置が切り替わっていた。そして、それで勝負がついた。

 輝夜は両手をだらりと下げ、刀を無造作に落としながら夜空を見上げた。

 雲が無いので星空がはっきりと見えていい景色だと思った。

 手応えから結果は分かっている。今、空を観なければもう二度と拝めないと思った。

 たった一閃。それで殆どの自由は奪われた。やはり【剣姫】は遥か高みにある冒険者だった。そして、そんな第一級冒険者と立ち合えたことは至上の誉である、と思えて満足することが出来た。

 僅か二閃。一つは顔に斜めの傷をつけ、もう一つは利き腕を断ち切った。

 任意の場所に斬撃を起こせる技だが超反応次第によってはかすり傷で終わってもおかしくなかった。ゆえにこの結果は輝夜の人生において充分な成果と言える。

 

(……殺す気で斬った、と思ったのだがな……。どうやら手元が狂ってしまった。いやはや、何たる未熟……。なればこそ、この結果は至極当然か)

 

 アイズの方は顔に痛みが走った程度、と思っていたら腕がズルリと動き、感覚が唐突に喪失し、どうしてこうなったと混乱が大きくなった。

 自分の意志で止められず、剣を握った腕が無情に地面に落下していく様子を眺める事になった。

 

「………」

 

 骨折の経験は何度もある。怪我自体は珍しくない。だが――

 腕がここまで短くなったのは初めての経験だ。今正に血が噴き出した。どうしよう、どうやって止めたらいいの、と。

 左腕はプルプルと震えて思えように動かせない。

 すぐに止血しなければならないのは分かっている。手足の欠損は仲間内でも見たことがあるし、対処方法も覚えているのに。

 勝った筈なのに。どうしてこんなことになった。斬撃は全て躱した筈だ。いや、躱せなかったから怪我を負った。当たり前の事じゃないか。

 アイズが人事不精に陥っている時、輝夜は立ち尽くしていた。

 ――そうではない。

 圧倒的な力の差により輝夜は二〇を越える斬撃を打ち込まれ、身体のあちこちを塵に変えている最中だった。

 最後に輝夜がアイズに顔を向けようとしたところで首が離れ、頭部は更に斜めにずれて消え去った。

 後に残るのは砕けた魔石と持っていた刀のみ。

 勝利者であるアイズは――最初だけ激しい出血だったが数分も経たずに落ち着いてきた――足腰に力が入らなくなって地面に座り込む形となった。そして、すぐそばに転がる利き腕を拾い上げて声にならない嗚咽を漏らす。

 激しい痛みと怒りがない交ぜとなるものの泣き叫ぶことは無かった。

 時間をかけて呼吸を整え、切断された利き腕を拾って再び立ち上がる。

 切断面を見ると出血は既に治まっており、骨ごと綺麗に斬られているのが分かった。強く握ってみると血が出てきた。

 

暴れ吼えろ(ニゼル)!」

 

 言い知れない怒りを覚えた為か、黒き暴風を身にまとうと美しかった金色の双眸が黒く変化した。それと顔の傷が開き、血が暴風によって飛び散る。

 敵が居なくなった広場で大きく唸り声を発し、あろうことか切断された腕を力いっぱい地面に叩きつけた。

 利き腕ではないにしてもレベル6の【ステイタス】を持つ彼女の『(アビリティ)』にかかれば地盤を砕く威力になる。当然、腕の方も骨が砕けて暴風によって遠くに転がっていった。

 完全に怒髪天を衝く状態になり、切断面から血が噴き出し、数歩歩いた後に失血によって意識障害に陥り、あっさりと昏倒した。

 輝夜との戦闘から五分後のことである。その間、【ロキ・ファミリア】の団員達は荒れ狂う暴風に吹き飛ばされており、助けに向かう時は既に手遅れだった。それと利き腕が握っていた剣がいつの間にか無くなった。

 

          

 

 輝夜が消滅するより少し前、赤い髪の人蜘蛛(アラクネ)なったアリーゼ・ローヴェルとエルフのリュー・リオンは少し人の居る場所で戦う事となった。だが、戦闘意欲があるのはアリーゼの方でリューは戸惑っていた。

 戸惑いを覚えるのは想定内なのでアリーゼは構わず炎の付与魔法(エンチャント)を使い、武器を構えた。

 

(……輝夜は持って五分くらいだろうな)

「……なぜ、戦う必要があるのですか」

「それは私がモンスターだからよ。……それに限界なのよ、意識を保つのって……」

 

 複眼を動かしつつ自分の状態を改めて確認すると気を突けば昏倒しそうなほど眠い。冷や汗や危機意識を感じるところから単なる睡眠とは違う気がしていた。

 一番に魔石を摂取して生き残りをかけた代償ともいえる。

 実際に戦う事は方便でしかない。その方が分かりやすいし簡単だからだ。

 冒険者は本能で自分が何をすべきか理解する生き物である、と常々思っていた。

 こうして末っ子(リオン)と戦う事も必然だったのかもしれない。憎いわけではない。自殺願望があるわけでもない。

 皆を守りたいから戦う。

 

(……この場に限り正義は関係ない。単なるわがままだもんね)

 

 そう思いながら剣を繰り出す。

 リューが一歩引きさがるのなら無数の脚を使って追いかける。

 横に逃げようとしても複眼が動きを捉える。

 

「リヴェリア様とお揃いの耳にすれば本気になってくれる?」

「ふざけるな!」

「……ざ~んねん。私は本気よ。悪を許さない気持ちがあるなら、それは正しく正義よ。仲間思いの優しいエルフ。でも、私は悪いモンスターだから」

 

 突進して距離を詰めよるとたまたまリューの武器が腹にめり込む。距離感が狂って驚くものの構わず武器を振るう。

 一定距離に居る時は役に立つ複眼も接近時はまだ慣れない。

 

(……互角ってわけじゃないわね。(むし)ろ、私の方が弱っている?)

 

 思うように力が発揮できないのは理解した。

 末っ子だから、というより身体の主導権を奪われつつあって本来の力が出せなくなってきたと考えた方が自然だ。

 手合わせする名目で殺し合いをしようとしているのに力が出せないなんて、とアリーゼは自嘲する。武器を振るっても思うように力が入らない。それどころか、視界の一部が真っ赤で見えない。

 目が霞む。音が聞こえにくい。様々な障害が襲ってくる。

 

「……アリーゼ?」

 

 急に動きが鈍くなり、俯いたまま停止する。

 少し経って顔を上げた彼女は酷く疲れが目立ち、苦笑していた。

 猛烈な倦怠感。身体の半分近くの自由を奪われる喪失感。剣を持つ手が震える。

 覚悟を決めて来たのに酷く格好の悪い結果に情けなさを感じた。

 

「肝心な時に私って駄目ね……。無理矢理にでも虚勢を張るのが私の持ち味なのに」

(リオンになら殺されてもいい。本来、そんなことを考えては駄目なんでしょうね。しかも二度目だし。……あ~あ、私って駄目な団長だわ。闇落ちしたリオンに更なる追い打ちを()いるだなんて……) 

 

 弱音を吐いていると離れた場所から大きな破壊音が聞こえた。

 強烈な殺意の気配からアイズの仕業だと感じ取り、派手ねと他人事のような感想を抱いた。

 戦意を失った為、戦闘はここで終了。

 最期の戦いに臨んでみたもののアリーゼとしてはリューがとても愛おしく、このまま続ける意欲を欠いた。

 

(降参、だけれど……。これからどうしようっか……)

 

 武器を地面に投げ捨て、夜空に顔を向ける時、くぐもった音が聞こえた。

 視線を空からリューに戻すと――

 彼女は背後から何者かに刺し貫かれた状態となっていた。

 

          

 

 アリーゼは意味が変わらず、一歩後退した。対して攻防は(おこな)っていない。であれば他の仲間が暴走したのか、と。しかし、彼女を襲った存在はどこにも見えず。あるのは一本の細身の剣――

 その剣は()()()見覚えがあった。

 事の真相としては単純なものだ。

 殺意が乗った剣がアリーゼに向かってものすごい勢いで飛来し、偶々(たまたま)射線上に居た――戦意を喪失していた――リューに刺さった。

 意識を一点に集中していると周りの事がおろそかになりがちだ。しかも現在位置はダンジョンの内部ではない。見晴らしがいい広場で冒険者を襲う者は限られてくる。

 

(……ああ、物事はよくできているわ。これは私への罰なんだわ)

 

 胸を刺し貫かれても倒れないリューはアリーゼの無事を確認すると微笑んだ。その表情は殆ど死人同然であったが。

 何かを喋ろう口を開くと言葉より先に血が出た。

 

「本当に……こんなところで死にそうになるなんて……」

 

 馬鹿ね、と小さく呟きつつ彼女に近づき持っていた小太刀を回収する。

 ここでアリーゼは違和感を覚えた。

 どうしてリューに向かって歩いたのか。あまりにも自然体で気付くのが遅れた。

 彼女の武器を取り上げるより自分の武器を拾えばいい。どうしてそんなことをしたのか。

 それ以上に声が出ない。いや、出しているつもりになっていた。

 

(……あっ、駄目……完全に制御を奪い取られ……)

 

 気遣うつもりで近づいたわけではない。モンスターは敵である冒険者を殺す為に生み出されている。だから、アリーゼの抵抗虚しく凶刃が振るわれる。

 意識を喪失しかけて弱り切ったリューにとってアリーゼの攻撃は贖罪に等しい。それゆえに何の抵抗も示す気にならなかった。なにより彼女自身がそれを望んでしまった。

 急激な脱力に抗えず、後はただ倒れるのみ。

 大切な友人の顔が走馬灯のように思い出される。特にベル・クラネルとシル・フローヴァとの出会いを。

 

(生きて下さい、リューさん)

(まだそちらに行っては駄目よ、リュー)

 

 彼らが言いそうな言葉が幻聴として木霊する。けれども少し眠りたいのも事実だった。

 かつての仲間達との邂逅がリューの生きる意味を持って行ってしまった。いや、安心してしまった。聞きたい言葉も貰えた。満足してしまった。

 最後の戦闘もアリーゼは止めてくれた。だからもう何も言う事は無い。

 痛みは無く、首を撥ねられた後、地面に落ちて転がる時もその微笑が崩れる事は無かった。

 一拍遅れて頭部を失った身体から血が噴き出し、その勢いで倒れていく。

 末っ子の惨状をアリーゼは無感動のまま見つめていた。

 

          

 

 誰が見ても即死。それにもかかわらずアリーゼは全く動かない。既に意識はモンスターに乗っ取られている筈だ。であれば確実な止めを刺すべく行動してもおかしくない。

 離れた位置にいる住民や冒険者も凶行を目撃している筈なのに誰も声を上げない。それは刹那の行動で彼らが動き出すのはもう少し先だからか。

 時が止まったような空間において鼻歌が唐突にアリーゼの耳に届く。この現場において酷く場違いなものに彼女が気が付くまで更に何秒か時間を要した。

 気が付けば近くに第三者が居た。けれど身体は視線以外に動かせない。

 謎の闖入者は転がるリューの生首を拾い上げて興味深そうに観察し始めた。

 

「切断間もない内はまだ反応するんですね~」

 

 間延びした声を出しつつリューの口を開けて舌を引っ張ったりして反応を確かめる。

 冒険者の殺害はギルドの規定で禁止されている。例え【フレイヤ・ファミリア】であっても。

 規制をすり抜けた殺人事件が無いとは言わない。いくら『迷宮都市(オラリオ)』だからといって何でも許されるわけではない。

 

「本当は身体には立ったままでいてほしかったけれど……。仕方ないか……」

 

 不満を示しつつアリーゼの武器を取り上げ、リューの頭と身体を引きずっていく。完全に持ち去るわけではなく、モンスターから引き離すだけの行動だった。

 茫然自失となっている人蜘蛛(アラクネ)を無視するのは人間(ヒューマン)の少女。二大回復師(ヒーラー)の一角『ヘイズ・ベルベット』という。

 偶々(たまたま)通りかかったわけではなく、本拠(ホーム)に戻ってきたオッタル達と女神フレイヤの意向で様子見を仰せつかった。その過程で興味深い結果が目の前で見られて興味が勝っている最中だった。

 

「大抵、首をはねられたら即死するもんなんですが……。生きようとする意志があれば……何秒、一分? 正確な時間は分かりませんが生存し続けることが出来るそうです。貴女の場合はどれだけ保つんでしょうか。……最期まで見守るわけにはいかないけれどとても興味があります」

 

 不敵な笑みを浮かべるヘイズは【フレイヤ・ファミリア】の団員でレベル4の治癒師(ヒーラー)である。

 本人(いわ)く、()()()()()()()()()()()大抵の怪我は治せると豪語する。

 

「……その前に」

 

 持ってきていた長杖(ロッド)を振りかぶり、人蜘蛛(アラクネ)の顎を強打して昏倒させる。近くに居るだけで邪魔な存在が完全に動きを止めていたので何の抵抗もなかった事に鼻歌を交えつつ満足した。

 邪魔者(アリーゼ)を沈黙させた後、リューの身体の位置を調整し、首の切断を合わせる。

 失敗したところで手遅れだったと報告するだけだ。もちろん、治癒師(ヒーラー)としての仕事に手は抜かない。これは女神フレイヤの指示があればこそ。そうでなければ興味があったとしても赤の他人を癒す道理は無い。

 ヘイズは聖女ではない。傷ついた者を誰彼構わず救済しようだなどと殊勝な心掛けは持ち合わせていない。

 

【我が名は黄金。不朽を誓いし女神(かみ)片腕(うで)。焼かれること三度(みたび)、貫かれること永久(とわ)に。炎槍の獄、しかして光輝は生まれ死を殺す。(くる)え、(くる)え、(くる)え。我が身は黄金。蘇る光のもと、果てなき争乱をここに】

 

 邪魔する者が居ないためか、鼻歌交じりで詠唱が紡がれる。

 もちろん、呑気に時間を掛ければ本当の意味で手遅れになってしまう。しかし、ヘイズにとって死は身近だ。慌てる様子を表さない。

 毎日のように眷族達が殺し合っている風景の中で暮らして来たのだから、リューのような状態にも然程驚きはない。――さすがに首の切断は一度あるかないかだが。

 詠唱の終盤、彼女の足元に現れたのは広場を余裕で覆う金色の魔法円(マジック・サークル)

 

【ゼオ・グルヴェイグ】

 

 個人に使うには勿体ない超広域回復魔法。

 威力を高めるために少しずつ範囲を狭めてから発動した。少し離れた位置に居る無関係の者まで癒す事になるが些細な誤差として無視する。

 この魔法は四肢を欠損しても部位が存在している限り、傷口に接合するだけで黄金の魔力光が癒してくれる。その治癒能力は炭化した肉体も元に戻すほど。

 ヘイズの興味は見慣れた怪我ではなく、リューの首元だ。完全に死んでしまえばいかに強力な治癒魔法とて意味をなさない。

 念のためにしっかりと癒着するように頭を押さえておくと切断面に魔力光が集まり、少しずつ治癒されていく。

 この魔法は失った血液まで元に戻さないので、復活できたとしてもすぐに動けない可能性がある。死にはしないが絶対安静。それがヘイズの見立てだ。

 

          

 

 首が完全に接合され、気道の確保を施した後に駄目押しの万能薬(エリクサー)を振りかける。

 血を多く失っているので顔色は悪いが胸の上下運動にて蘇生措置が間に合った事を確認した。問題は記憶障害に陥っている可能性だが、それはまた改めて確認する事にした。

 治癒を施した以上は自分の患者だ。助けた甲斐がないのは勿体ない。

 

(こちらはいいのですが……。このモンスターをどうしましょうか)

 

 倒せとは言われていないし、意図していないが傷も治してしまった。

 心が折れる。心が死ぬ。そういう者達は傷が治っても心は癒せない。最悪、そのまま衰弱死する事も無くはない。

 ダンジョン内ならまだしも地上に居るモンスターを衆人観衆の中で甚振(いたぶ)る趣味は無い。女神フレイヤの印象にも関わる。かといって放置してよいのか――

 長杖(ロッド)で気絶しているアリーゼの胸を突っつきながら思案に暮れる。

 

(……エルフの方は身体の制御を取り戻すのに時間がかかりそうですね。少し時間が経ちましたから……)

 

 リューは女神フレイヤの『お気に入り』の一人なのは【フレイヤ・ファミリア】の上層部にとって周知の事実で、ヘイズも当然承知していた。

 女神の寵愛を他派閥が受ける事に多少の嫉妬を覚えるものの完全に排除するには至らない。それでは女神の神意に背く事になる。だからアイテムや魔法を使う事に後悔はしていない。

 ヘイズが現場に残って少し経った頃、治安維持の冒険者がやってきた。

 戦闘が始まってからまだ一時間もかかっていない。先行していた【ロキ・ファミリア】はアイズを回収してとっくに撤退済み。残っているのは監視要員の数名くらい。

 

「……ヘイズ・ベルベット。現場の説明をしてくれるんだろうな?」

 

 僅かな恐れを抱きつつやってきたのは【ガネーシャ・ファミリア】の団長シャクティ・ヴァルマ。

 ヘイズとしては他派閥に説明するのは億劫なので無視したいところだが、女神の意向としては可能な限り言う事を聞くように、とのことだった。

 とはいえ、戦闘のあらましを正確に言えばいいのか、見たままの結果だけを報告すればいいのか。

 

「ケガ人の治療をしていただけですよ。あと、このモンスターをどうすればいいのか迷ってました」

「そいつは我々が回収する。……それとそのエルフ(リオン)は……無事なのか?」

「どうなんでしょう。意識が戻らない事には分かりませんね。さっきまで首と胴体が綺麗に離れていたので」

 

 何でもない事のように言われシャクティは思わず唸った。

 シャクティから見てもヘイズが面白半分で凶行に走るとは思っていないが首の切断は流石に驚いた。

 すぐさま駆け寄りリューの様子を窺うと外套の首辺りのところだけ血にまみれていた。それ以外は目立った外傷の痕は無い。顔色は多少悪いようだったが顔と身体双方が動いていた。

 

「私も忙しいんで、失礼していいですか?」

「……ああ。それから、友人を助けていただき感謝する」

「私にとっちゃ仕事の一つですよ。ではでは、失礼しま~す」

 

 飄々とした態度でヘイズは手を振りながら去っていった。

 残ったシャクティ達はリューの容態を確認した後、一旦【ガネーシャ・ファミリア】の本拠(ホーム)に連れて行くことにした。

 人蜘蛛(アラクネ)についても調教師(テイマー)達によって拘束処理を施して連れて行くことになった。しかし、モンスター用の荷台に乗せる段階で人蜘蛛(アラクネ)の身体が真っ白に変貌し、すぐに塵と化して風と共に霧散した。

 後に残ったのは大きめの魔石と装備していた武具だけ。

 団員達はしばらく魔石を見つめたまま言葉を失ってしまった。

 

          

 

 広場の喧騒の後、朝を迎えた【ヘスティア・ファミリア】の本拠(ホーム)ではアルフィアとメーテリアが揃って食卓についていた。ザルドは一足先に【フレイヤ・ファミリア】に向かっていた。

 怪我をしたリリルカについては誠心誠意の謝罪とひっそりと集めていたダンジョンのドロップアイテムを譲渡する事で許しを得た。

 長い戦いの後とはいえ異常事態の連続でベル・クラネルは肉体的にも精神的にも疲弊していた。

 元々【フレイヤ・ファミリア】の強引な勧誘から始まった騒動だっただけに留守番組みに何の恩恵も無かった事が――ベルにとって――申し訳なかった。

 

「ボクとしてはしばらく騒動は御免だよ」

 

 神ヘスティアの言葉から食事が始まる。

 アルフィアはまだ予感があったから納得するとしてもメーテリアは想定外だった。今日明日の滞在を終えたらアルフィアだけ【フレイヤ・ファミリア】に向かう予定だ。

 即座に処分されるわけではないとはいえ気にしないでいられるわけがない。

 

「ギルドの依頼もありますし、生活費も稼がなくてはいけません」

 

 リリルカの肩口を包帯に包まれているが傷自体は殆ど治っている。

 彼女がどうしてケガをしたのかといえばアルフィアが凶悪なモンスターに変貌して襲い掛かったからだ。強靭な自制心を咄嗟に発揮したものの怪我を負わせる結果になった。

 あの時、あの瞬間に猛烈な悪意が働いたのは事実だ。

 

「……それでモンスター君たちはずっとここ(ヘスティア・ファミリア)で暮らすのかい?」

「二日後には【フレイヤ・ファミリア】に厄介になる。リアはずっと残ってていいんだが……」

「いえいえ、姉さんを一人にはさせませんよ。ザルド君と三人で……」

 

 アルフィアからすればメーテリアとベルを一緒にさせたかった。

 妹は少年より姉を優先したのは既に命を終えた者だという意識かららしい。その気持ちは分からないでもない、と姉として反論も出てこなかった。

 他のモンスターについては【ガネーシャ・ファミリア】に一任しているのでベルは伺い知れない。

 最期の問題は今回の騒動における被害者への補償だ。

 二千万ヴァリスをそのまま補填に当てる予定になっているが、他に自分達に出来る事はないかと、ベルは考えていた。

 前回は『異端児(ゼノス)』の騒動で色んな方面に迷惑をかけた。今回は【フレイヤ・ファミリア】の手によるものなのでベルは被害者ではあるけれど加害者と呼ぶには無理がある。

 色々と考える事があるが二日は気晴らしにしてもいいのでは、とヘスティアが言った。

 

「ボクから言えることは災難だったね、くらいだよ」

「そうですよ、ベル様。あの【フレイヤ・ファミリア】と騒動を起こしてただで済んだんですから。リリはずっと生きた心地がしませんでしたが……」

「……ごめんね、リリを先に行かせて」

 

 オッタルは大人しいからいいとして陰険眼鏡で有名なヘディン・セルランドと一緒の空間に居るのはリリルカの人生において死刑宣告に匹敵するほどだったという。

 機嫌を損ねたら雷魔法が飛んでくる。実際に愚痴を言いつつモンスターを即座に消滅せしめた回数は数える事を諦めさせるほど。たまにオッタルに誤射する事もあったとか。

 【ヘスティア・ファミリア】は誰も欠けなかった。だから、安心していい、わけがない。

 多くの犠牲を生んで自分は関係ないなどといえるのか、とベルは自問する。

 派閥間の戦闘において犠牲が出来るのは致し方ない。死者を出さずに戦闘を終える事はとても難しい。

 今回の初遠征にしても何人もの冒険者の死と向き合った。それがダンジョンに潜るということ。

 思索の海に漂っているとアルフィアに抱きしめられた。彼女の大きな胸の感触で意識が現実に戻る。

 

「今回の責任は私が()()()()。ベル・クラネルは金の用意だけしておけ。……お前に何もするなといっても無駄だろうからな」

「お兄ちゃんは優しい英雄なんです。武骨で偉そうな態度はまだまだ似合わないと思う」

 

 そう言ったメーテリアにベルを押し付けて食事に手をつける。

 モンスターではあるが大人の女性に挟まれているベルに対し、リリルカと狐人(ルナール)のサンジョウノ・春姫は顔を赤くして慌て出した。

 普段はヘスティアもベルを独占しようと声を上げるところだが、アルフィア達の場合だけ大人しく見守っていた。

 嘘を見抜く神々から見ればアルフィアとメーテリアの二人はリリルカ達とは毛色が違っていた。それを口に出すべきか迷い、結局飲み込むことにした。

 積極的な接触を図っているがベルの扱いはとても丁寧だった。はた目からそれがどういう風に見えるのかヘスティアは理解していた。

 まさか、という思いがある。それと二人からベルの扱いについて神ヘスティアに任せると告げられた。これはアルフィアではなくメーテリアから強く言われた事だ。

 その代わりとしてほんの数日の間、ベルを独占する事に口出ししないでもらいたい、とこちらはアルフィアから言われた。

 

(ウィーネ君の例があるからモンスターである二人の要望を聞くのは構わないんだけど……。あまり子ども扱いするのもどうかと思うよ)

 

 アルフィアとメーテリアに挟まれるベル・クラネルの様子を見て、そんなことを思った。

 二人の母に可愛がられる少年。もし、時と場所が違えば――

 ヘスティアは空想を止めて現実に意識を傾ける。

 ベルと違い、二人の女性はそんな甘い生活が起こりえないと理解している。

 別れの時まで夢を見ようと無理をしている。二人の顔を見ればそれが分かってしまう。

 心の底から笑っていない。痛々しいとさえ言える雰囲気に水を差すような無粋な真似がヘスティアには出来よう筈が無かった。

 

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