過酷な冒険を終えたベル・クラネルは二日間という約束でアルフィア・ストラディとメーテリアストラディというモンスターの姿として復活した双子の姉妹と共に『
メーテリアが
凶暴化すると身体が大きくなり、顔つきが人間からモンスターよりに変化し、尻尾はより太くなり側頭部から角が伸びて背中から翼も生えてくる。これは自分の意志では出来ないらしい。
二人を案内する上で一応、身体を覆い隠す外套を纏ってもらった。充分にオラリオを騒がせたので無駄かもしれない、と思いつつ。
街中の各所に【ガネーシャ・ファミリア】の団員が配置され、必要胃所の混乱が起きないように配慮されているし、ベルもその辺りを聞かされている。
まず最初に二人を連れて行ったのは女神ヘスティアが働いている『じゃが丸くん』の店だ。アルフィアは既に知っているがメーテリアは初めて訪れる。
「いらっしゃい。新味も取り揃えているから好きなの選んでおくれよ。一つ三〇ヴァリスだ」
「あれ、神様。
「ああ、買って行ったのは大柄の男だったよ」
どうなったかは怖くて聞けなかったし、ヘスティアも詳しく説明する気が無かった。
少なくともお気の毒に、という言葉が二人の脳裏に浮かんだ。
いくつか適当に見繕い、食べ歩きつつ次の店に向かった。
通りを歩いているだけでベルは様々な人物に声を掛けられる。先日、騒動を起こしたばかりだというのに今は応援の声が大きい。中にはまだ恨み言を言ってくる輩も居るけれど。
アルフィア達はしはらくベルに任せて店巡りを続けた。
(……『二つ名』で呼ばれることが多いな)
(ベルばかり目立っても仕方がないわ。仲間の団員達は何をしているのかしら?)
【ヘスティア・ファミリア】の団員を全員引き連れると人ごみの多い場所では混雑してしまう。よって普段は少人数で移動する事が多い。揃うのはダンジョンに挑む時くらい、と説明した。
一日目の最後に街の被害個所を巡る。大勢の人員が修復作業に当たっており、思っていたほど酷くない事に安心した。
つい先日、大勢が犠牲になる戦いがあったとは感じさせない賑やかさだ。
一日の終わりに三人で風呂に入るかと提案されたがベルは即座に断った。
(……こちらは構わないと言っているのに断れると傷つくな)
(背中の荒いっこくらい出来るかと思ったのに)
代わりにリリルカ・アーデ達女性冒険者と共に入る事にした。
アルフィアは始終無言だったがメーテリアはベルと共に冒険してきた様子を聞かせて、とせがんできた。
彼女自身は自分とベルの関係性を話す事は無かった。
二日目は知り合いの【ファミリア】の様子を窺い、次にライラ達
姿はモンスターだが元冒険者を檻に入れて飼育するという実体に主神ガネーシャは大いに頭を悩ませた。ライラ達は気にしないと言わなければ数週間ほど主神の唸り声が
彼女達はダンジョンの影響から解放されたのか、特に不自由なく過ごし、団員達の迷惑になるような事態も起こしていない。
団長アリーゼ・ローヴェルと副団長ゴジョウノ・輝夜を失ったとはいえ悲壮感は無さそうだった。
「二人がどのような最期を迎えようと天界で温かく迎えられたら、それでいいじゃねーか。元死人だし。元が取れただけだ」
檻の中なのに悠々自適の生活を送るライラがにこやかに言った。
ベルがアリーゼ達が死んだことを伝えられたのはダンジョンから戻った後、夜間になってから聞かされた。
面識のある人物の最期くらいは知っておいた方がいいという団長シャクティ・ヴァルマの配慮からだ。
アリーゼと戦う事になったリュー・リオンは【ガネーシャ・ファミリア】の施設で『リハビリ』に勤しんでいた。
意識を取り戻した時は多少、暴れたが今は大人しくしている。
首の切断による後遺症なのか手足の痺れが残り、言葉もうまく喋れなかった。知能の低下が見られなかったのが唯一の救いか。
治療に当たった人物によれば完治には数週間かかるらしい。
レベル4の【ステイタス】を持っているのでその程度で済んでいる、とも。
「リオンが完全に復活するまでアタシらも大人しくしている事にしたよ」
いずれ自由に歩ける日が来ると期待して。
アリーゼ達ほど思い詰めていないし、モンスターとしての生活も興味がある、など。
前向きな眷族が多くてベルは驚いた。
それと黒い竜のニュクスについて気になったので【ガネーシャ・ファミリア】の団員に尋ねてみた。
ほぼ日中は寝ており、非常に大人しい。手間が掛からないので世話が一番簡単なモンスターだそうだ。
本当ならリューの様子を見たかったが無様な姿を見せるわけにはいかない、と
夕方にギルドに向かう予定にしていたがアルフィア達は【フレイヤ・ファミリア】に向かう用意をする為に別行動にしようと提案してきた。
本当なら姉妹の思い出の場所だという教会に行きたかったが【ヘスティア・ファミリア】と【アポロン・ファミリア】の抗争で完全粉砕されて今は更地になっていた。
そのことを伝えるとアルフィアは目に見えて怒りだし、メーテリアが宥めた。
よって予定が大幅に狂い、午後はもはや行きたいところが無くなってしまった。
「ベル・クラネル。今回の事をあまり気負うな。私がしっかりと釘を刺しておく」
「お手柔らかに……」
「それは保証できんな」
アルフィアは不敵な笑みを浮かべつつメーテリアを残して自分の作業に向かった。
少しの間、ベルを見つめていたメーテリアも姉についていくことを決めた。彼に伝えたいことはもはや無い、と。
たくさんの仲間や知り合いに囲まれて幸せそうなベルを見て羨ましいと思いつつ、自分の手から巣立った少年は思っていたほど大きくなっていた。
「……ベル。貴方は自慢の息子です」
「ありがとうございます」
いつものお兄ちゃんから息子になった事で少しは認められたのかな、という程度の認識で受け止めた。
微笑みを湛える彼女はどこか懐かしさを感じさせ、大人の女性という印象が強かった。
「最後に私の事をお母さんって呼んでくれる?」
「お母さん」
「……言われたから言ったみたいな感じでヤダな。もっと実の親だと思って呼んでほしかった」
「ご、ごめんなさい」
口を尖らせて不機嫌になるメーテリアを少年は何とか宥めた。
ベル自身は物心がついた時には育ての親たる祖父しか知らない。本当の親を知ったからって今更感動するものだろうか、と疑問を覚える。
実際に会えたら――嬉しいのかもしれない。
「実際に会えたら嬉しい」
「えっ?」
「幼い息子を残して死んでしまった私がこうして復活出来て成長した息子に会えたんですもの」
「……それは僕の事、ですか?」
「何の因果か……。ベルは冒険者になった事を後悔している? もし、そうなら今すぐ辞めてもいいのよ。親からそんなふうに育てられたわけではないでしょう?」
子供っぽさが抜けた真剣なメーテリアの言葉が何故だが重く胸に突き刺さる。
もしかして、という思いはあるがベルはまだ実感が伴わず、半信半疑のまま。
同じ名前の別人の線を選ぼうとしている自分はきっと間違っているのだろう、とも。
「僕はお祖父ちゃんが死んだから他にやりたい事もなくて……。それで……」
「あの
「ええっ!?」
「……でもそうね。家に誰も居なくなってしまったのね。……そして、新しい家を手に入れて今がある」
「……お母さん?」
(まさかそんな……。この人が?
「……今、大変失礼なこと考えなかった? 私は元々
「は、はい」
メーテリアははっきりと実の母とは言わず、意味ありげな言葉でベルとの会話を楽しんだ。――伝えたいことは無いと思っていたのに結構長く話す事になってしまい苦笑する。
正しくても間違っていてもいい。だが、ベルは困惑しっ放しだった。
何が本当なのか、嘘なのか。
お母さんと呼んでもピンとこない。それは母親の事を殆ど知らないからだ。
白い髪だけを頼りにする事も出来ない。祖父は死んだのか行方不明なのかも今ははっきりと明言できない。
でも、いつかは真実が知りたい。
「少なくともベルは親の影響を受けずにここまで来た。自分の力……、頼れる仲間達の協力があったのかもしれないけれど。それは誇っていいわ」
「ありがとうございます」
「私に似ていたら万年駆け出し冒険者のまま人生を終えても不思議じゃないわ。だからきっと、私の息子であるベルとベル・クラネルは似ても似つかない人物なのよ」
「メーテリアさん……。お母さんの知るベルはどんな子供なんですか?」
「病気一つしない元気な赤ちゃんよ。私はその子しか知らない。成長を見守れなかったから」
それからしばし沈黙し、ベルは今だけは彼女の息子でいよう、かと思ったがやめた。
本物かどうか確証も無いのに名乗るのは失礼な気がしたから。
それが例え嘘でもいいと言われてもベル自身は納得できない。きっと辛い別れになる。
「お母さん、僕はしっかり冒険しています。それはこれからも続けると思います」
「黒竜退治という重荷を背負わされても同じことを言うの?」
「はい」
何の迷いもなく答えたベルにメーテリアは思わず息をのむ。
真剣である事は伝わった。この子は色々と察したからお母さんと言ってくれた。洞察力が無いわけではない。単に自信が持てないだけ。
この辺りは年相応なのかしら、と今後の成長が楽しみでもあり、残念な点でもある。
「私としては長生きしてほしい。みっともなくても生き足掻いてほしい」
「はい」
「そんな息子のベルにお母さんから依頼を出します」
「はい」
「いずれ戦う事になる黒竜……『
「は……い? レベル
「駄目というか次元が違ったらしいわ。それだけ生物界の頂点である竜種は強大ということよ。まずは既存の竜種から色々と情報を得る事ね。もちろん一人で倒せとは言わないわ」
とはいえ今から探索を頑張っても黒竜戦にはまだまだ臨めないだろう。それくらいはベルにも理解できる。
本気で英雄を目指す上で避けては通れない強大なモンスター。
ベル以外にも強くなろうと必死になっている人達がいる。自分はまだ第二級冒険者。もっと上を目指さなければならない。
メーテリアはお兄ちゃんから名前呼びになり、ベルはお母さん呼びにした。
アルフィアもお母さん呼びなら許すと言ったのでそう呼ぶことにした。彼女達と過ごせる時間も僅かなので。
就寝時、親子水入らず『川』の字になって寝ようと大人二人に提案され、よく理解していなかったベルは素直に了承した。そして、いざベッドに寝る段階で全裸のアルフィアとメーテリアが現われたので大変驚いた。勿論、即座に部屋の隅に逃走。
元々
少年の危機を感覚的に察知したリリルカと女神ヘスティアが乱入し、ひと騒動が起きた。
それからしばし女性だけで話し合いがもたれ、服を着た状態なら許すと主神が言い、どのようになるのか確かめてから許可を出しますと
(この二人にベル様を抱き枕にされるというのはとてもとっても不健全な気がします)
(おっぱいの大きさならボクも負けていないけれど、なんというか……。世の男性眷族達を敵に回しているよね)
【ヘスティア・ファミリア】の女性陣でも出来ない羨ましさ。何となく察しているヘスティアも無下に断れないところが悩ましい。
たった一日だけ、とはいえ――ベルというよりは――アルフィア達にこそ許可を出したかった。でも、全裸は駄目。不健全にしか見えない。
――で、結局見張りとしてリリルカと
その後、大きな騒動は無く朝を迎えるとベッドから叩き落されたベルの姿があった。
アルフィア達は互いに抱き合い幸せそうな寝顔を晒しているのが印象的だった、とリリルカ達は主神に報告した。あと、寝相の悪さを危惧していたが部屋が損壊する事態にならなかった事に一堂胸を撫でおろした事はベルに内緒である。
次の日、別れの時が来た。もう二度と会えなくなるわけではない筈だが――何故だがもう会う事が無い気がした。言葉にするのは難しいが予感めいたものとベルは思った。
「そういえば、ベル」
「はい」
「お前、ギルドに寄るだろう? 早めに要件を済ませて
アルフィアの言葉が理解できず、つい聞き返した。
ひと騒動起こすから被害を被りたくなかったら退避しろ、という事らしい。それだけで背筋が冷たくなってきた。
興味本位で見物するのは構わないが身の安全は保障できかねる、と玲瓏たる声色で告げられると自然と背筋がまっすぐになるのが不思議だった。それは自分だけではなく仲間達も姿勢が良くなっていた。
「好奇心は猫をも殺す。そういう
「ならば身を隠して見物すればいいのでは?」
とはヤマト・
騒動が起きる事が確実なら隠れている方が危なそう、と呟いた。――気が付かれない、という意味で。
ベルにとっての頼れる兄貴分たる赤い髪のヴェルフ・クロッゾは断然面白い事には首を突っ込むべきだと主張した。
リリルカ・アーデは可能な限り安全圏で大人しくしたい派だ。それと面倒ごとはたくさん、と神ヘスティアと同意見だった。
ちなみに
「謝罪の作法を教えてやろう」
姉の仕草を真似てメーテリアが威厳たっぷりに言った。
真似されたアルフィアは尻尾を器用に動かして妹の頭を軽く
一体何が起こるのか、詳細を告げずに荷物をまとめたアルフィア達は早めに――【ヘスティア・ファミリア】の――
もっとたくさん言葉を交わせばよかった、という気持ちが湧いたのは彼女達の姿が見えなくなった後だ。
今更追いかけても邪魔になるだけだし、ベルには大切な仲間が居る。それを無視するわけにはいかない。
「何にしてもリリ達は普段通りに過ごすだけです」
「団長のベル君は……一人でギルドに向かうのかい?」
「手続きと新たな依頼が無いか聞くだけですから」
そんな事を言いながらベルは騒動をたくさん引き連れてくる。少年一人では心許ないとベル以外が思っている。
念のためにリリルカと命が付き添いとして向かう事になった。
神様の提案に対して大袈裟だと思っているのはベルだけ。
騒動が起きるらしいことを言われているのに外出するのは莫迦じゃないのか、とリリルカは思いつつもギルドに向かっている。
目的は二千万ヴァリスの使い道について、とベルから聞いていた。
直接下ろすには大金過ぎる。手続きだけ任せれば書類一枚に署名するだけで終わる。
そんな事を思いながら冒険者ギルドに向かうと職員総出で荷物の搬出作業をしていた。どうやら外で何かしらの催しをする為の会場造りのようだ。それだけでリリルカは嫌な予感を感じた。
職員に声を掛けずに中に入りましょう、とベルを強引に引っ張り受付に並ぶ。人以上に混雑しているかと思いきや意外と空いていた。同伴していた
早速、受付でベルのアドバイザーたるハーフエルフのエイナ・チュールの呼び出しを依頼すると彼女はすぐに現れた。
「おはようございます、エイナさん」
「おはよう、ベル君。今日は【フレイヤ・ファミリア】の報酬の件だったよね?」
事前に事情を伝えあるので話しがあっさりと進んだ。
巨大な魔石の買い取りと運搬という個人取引について【フレイヤ・ファミリア】の証文を持参し、エイナに渡す。それと同時に報酬を地上で被害に遭われた人々への補填費用とする契約書を貰いに来た。
「どういう方法かは分かりませんが、確かに神の送還現象のような事態が発生し、オラリオには大きな穴が開きました。その影響で家屋の一部が壊れたのもまた事実……」
死傷者こそ出なかったが重症者が多数。それらは既に【フレイヤ・ファミリア】の
ベルが支払うのは被害者への見舞金だ。見積書によれば報酬の七割ほど。けれども全額寄付する事にしたし、リリルカも不本意ながら同意した。
【フレイヤ・ファミリア】相手に文句を言う気になれないし、幾許かの借りが出来るのであれば安いものだと判断できる。
「ところでギルドの外で何が始まるんですか?」
「ああ、あれはフレイヤ様が被害者に対して謝罪するらしいのよ。公開会見場ってやつね」
普段は『
彼女が来るだけでも大騒ぎになるのでギルドの中では対応できないと判断し、急遽会場の設置の為に今の騒ぎになった。もちろん、女神フレイヤの姿を見たいだけの野次馬も想定している。
「それにこれは【フレイヤ・ファミリア】から提案されたの。それだけでも異常事態でね」
二日前の通達から今日まで不眠不休で働く者が多数現れる始末。ベルも多少の覚悟はしていたが事態は想像よりもずっと大きく驚いてしまった。
その謝罪の中にはベルの補填費用も入っているわけだがエイナはあえて触れなかった。
「とにかくベル君は書類にサインだけしてすぐ帰った方がいいわ。ここは色んな意味で戦場よ。興味本位で女神を見物しようとしない方が身の為よ」
と、いつも親身になって話しを聞いてくれるエイナの言葉はとても重く響いた。
それでもベルの中では少なからず自分もかかわっているので多少の荒事は覚悟していた、
(……ここだけの話し、もし興味本位で見物するなら少し離れた建物の上からにしときなさい。近くで見ようなんて思っちゃダメ)
(……は、はい)
と、顔を近づけて小声で忠告するエイナにベルはただただ素直に従うのみ。
彼女はベルの事をよく理解していた。付き合い自体は半年足らずと短いのだが、様々な騒動を引き起こしつつ生きて帰って元気な姿を見てるうちに冒険者『ベル・クラネル』のファンになってしまっていた。普段は彼を弟のように可愛がるところから同僚からも『弟君』の愛称でベルの事を報告してくる。
書類に書く事柄は本当に名前だけだった。ただし、ベル・クラネルの個人名は伏せた方がいいから『二つ名』の方でサインするように、と。
謝罪する側である【フレイヤ・ファミリア】に抗議する民衆は実際のところそれほど居ないかもしれないが弱小にしてここ最近騒ぎばかり起こす【ヘスティア・ファミリア】の方が圧倒的に悪者度合いが高い。
もし、民衆が怒りを覚えたら間違いなくベルの風当たりは尋常ではなく悪いものとなる。リリルカ達も身の危険が大きくなる。そう、強い警告をエイナは指摘した。
「ただでさえ弱小にして貧乏な【ファミリア】が万年金欠に陥ってしまったら今後の活動も難しくなるわよ」
「……はい」
「それに今回の騒動って巻き込まれただけでしょう? ベル君がついうっかりでもオラリオに穴なんかどうやったら開けられるの? 魔法? 天から光りの柱を落とすような技って使えたっけ? 前回だって相手の攻撃だったでしょう?」
ん~と探るような視線をベルに送ると彼は始終苦笑するのみだった。
きちんと説明したいのだけれどエイナには見透かされている為に言い訳が出来そうにない。かといってどう説明すればいいのか分からない。特にオラリオに光りの柱を落とすという下りは想像できなかったからだ。――必殺の一つで下から上に向かって
エイナは必要書類にギルドの大きな判を押し、控えをベルに渡した。手続きはこれで終了だ。それとは別にリリルカはドロップ品の換金もしようと別の受付に向かって手続きをしていた。こちらは見舞金にする気は無い、と本人が強く主張した。
「それと君のところに居るモンスターについても【フレイヤ・ファミリア】と【ガネーシャ・ファミリア】の連名で事情は聴いたけど、相変わらず大変な事態を……。ああいや、ベル君に言っても仕方がない事は分かっているんだけど……」
「すみません。いつも迷惑ばかりかけて」
「……それでも君が生きて戻ってきてくれると私はとても嬉しいわ。それと有名になるのは良いけれど悪い目立ち方は感心しません」
「はい。本当にごめんなさい」
そう謝罪するも大きな声は出さないように、とエイナから忠告された。
手続きが終わった以上、今日は世間話しも早めに切り上げて帰りなさい、と言われた。
本当はベルと二人きりでダンジョン談議するのは彼女にとって秘かな楽しみであった。それを犠牲にしてでも今日の会見にはベルに参加してほしくなかった。
おそらく尋常ではない大騒動になる。それだけ女神フレイヤが人々の前に現れるという情報は大きい。
(……あ、そうだ。ベル君にリヴェリア様の事……。駄目だ、今日は諦めよう)
【ロキ・ファミリア】の幹部にして
なによりエイナの
手続きよりエイナとの何気ない会話の方に時間を取られた気がした。
忠告通り早めに帰るべきなのだが責任感が強い男の子であるベルは直接民衆の前に立つ事は出来ないまでも見届ける義務があるような気がして手頃な建物の上に登った。
壁伝い昇るのではなく、
「ベル様。あまり近い位置取りは危険かと。監視のための要因がそこかしこに配置されているところから、あれらも【フレイヤ・ファミリア】なんでしょう」
ギルドの建物の前は比較的広い通りになっている。現在、そこは見物人が集まり、もう少しすれば通行が困難なほどに発展する。
それと何があっても現場に参加しないでください、とリリルカは強めに警告した。
――一応、念のために戦いませんよね、とも尋ねた。
ベルは強い相手と戦いたい『
こうして野次馬の一員になりつつ現場に――と思ったところでやはりもっと離れた方がいいとリリルカは進言する。
こういう時、何かの拍子で人前に出てしまうのが彼の悪い――いや、騒動の開始だった。
「……信用無くてごめん」
「分かっているのでしたら文句は言いません。……どの道、建物の都合で見下ろせる場所も少ないですし」
周りに顔を向ければ一部の建物の補修作業の様子が窺えた。場所が悪ければギルド本部も被害に遭っていたかもしれない。そう思うとベルは自分のしたことの重大さに圧し潰されそうになる。
今回は
そんな物思いに耽っていると全身を外套で覆い隠した不審者がベル達の下に音もなくやってきた。
思わず
「戦う気は無い。驚かせて済まない」
その声はとても聞き覚えがあるものだった。まずリリルカが激しく動揺した。しかもこんな場所に単身で現れる様な人物ではない、と。
フードを捲れば金髪の美男子の顔が現われる。
その人物は【ロキ・ファミリア】の団長にして
「今日の為に仕事を早く片付けてね。僕も見物に来たんだよ。君たちに会いに来たわけじゃないから」
「……フィン様」
「もし、叶うならリリルカ・アーデと二人きりにしてくれるとありがたいかな」
勧誘というわけではなく秘密のデートとして、と小声で【
彼の言葉にリリルカは少し恥じらいを見せたものの立場違いに混乱する。少なくともフィンとリリルカはまだまだ距離が縮まらない関係だ。少しずつ話しを交わす程度。付き合いはもう少し先だと予想している。
「それとみんな考える事は一緒らしく、目ざとい者が集まっている。巻き込まれたくなければひっそりと姿を隠す事を進めるよ。特に神は僕でも
「ありがとうございます」
「それとギルドにはもう寄ったのかい?」
「はい。手続きは済ませました」
その言葉を聞いてフィンは頷き、フードを被り直して現場を見下ろす。
今、この辺りには様々な眷族の他に興味本位でやってきた神々も来ているらしい。男神も女神も関係なく。
眷族に見つかるのはまだマシで神々の場合だとベルを狙って何をするか予想できない。その騒動にリリルカが巻き込まれる事はフィンとしても無視できない問題だと小さな声で忠告した。
身を隠す便利な
移動の合間に神々らしき存在を見かけたが見つからないように行動した。彼らの身のこなしはさすが神と言われるだけあり、第一級冒険者を凌駕する事があるので油断できない。
日がある程度昇り、昼前にギルド職員から重大発表がある旨を拡声の道具にて通達する。
身を潜めるベル達は気分は暗殺者みたい、と揶揄しつつ事態を見守った。
女神フレイヤの姿はヘスティアの共として向かったパーティで見掛けたことがある。
銀色の長い髪。銀色の瞳。白皙の肌。
その当人は堂々と大通りから数名の眷族を引き連れてやってきた。場の混乱を考えて頭部は薄絹で覆われていたが間違いなく女神フレイヤだと離れた位置に居るベル達も理解できた。
神々は見た目だけで一般人と違うと思われる何かがある。だから、見た目が幼いヘスティアでも彼女が神であると誰もが理解してしまう。そんな不思議なことが起きる。
護衛についているのは都市最強と
ダンジョンに居る時に身に着けていた粗末な服装ではなく【フレイヤ・ファミリア】で支給されたのか豪奢なドレスが僅かに覗いていた。
これから始まるのは地上の混乱を起こした事に対する女神の謝罪である。
ある意味ではベルに対するお詫びを兼ねていた。その事は一般人には伏せられているので事情を知る者は触接交渉したベル達だけである。
「静粛に!」
ギルド職員が女神の登場に騒ぎ出す民衆に注意を促す。
その間にもフレイヤは悠々と指定された位置まで歩いていく。
会場には机と椅子が人数分用意されていたが座ったのはアルフィアだけ。明らかに隠す気が無いのか尻尾が丸見え状態になった。
机には水を入れたコップと煙草を嗜む者の為の水晶で出来た灰皿が置かれていた。
優雅に歩くフレイヤは正に女王の貫録があり、指定された位置に就くと椅子に座る事無く民衆に顔を向けてフードを外す。
その美貌を直視した一部の者達は魅了にかかったかのように頬を上気させる。
(……やっぱりフレイヤ様だ)
ベルは美貌を晒すフレイヤに対して淡白な感想を抱く。
手を振り挨拶を交わした後、早速本題に移る。
「今回、私の我がままで地上の建物が壊れたと聞いたわ。まずは被害者の方達に深くお詫びします」
そう言いながらも頭を下げる仕草は取らない。言葉のみだ。
本来なら拡声の道具を使うところだが彼女は生の声で語り掛けた。道具を使っていないのに彼女の声はとても広く民衆に届き、離れた位置にいるベル達の耳にもはっきりと聞こえるほど。
事のあらましを簡単にだが説明しつつ私財を投じて保証金を出す事を約束した。それと決してオラリオを破壊するつもりが無かった。自分でもまさかそんな事態が起こるとは思わなかった事を
神々に根回ししたけれど知らぬ存ぜぬを突き通すのはベルの為にもしないことを決めており、フレイヤとしても民衆への心配りをアピールするのに丁度良いと考えた。
自分よがりの為に
「単なる興味本位だったの。それがまさか建物の倒壊を招く事になるなんて……」
「保障してくれるんなら文句はねー」
「女神さまの謝罪があるだけで俺達は儲けものだ」
フレイヤの言葉に賛同する声がいくつか上がった。これらは仕込みではなく本当にそう思っている者達の――現場の声だ。
中にはふざけるな、という抗議めいたものもある。それらはいつも神々に振り回される被害者達だった。もちろん、そういう否定的な意見もあるし、フレイヤは発現に対して真摯に対応した。頭だけは下げなかったが。
「それともう皆は気づいていると思うけれど……、ダンジョンからモンスターを連れて来たわ。といっても数体ほど。これらは【ガネーシャ・ファミリア】と協力して事に当たっているけれど……。万が一、ケガ人が出た場合は私の【ファミリア】が責任を持って治療に当たる事を約束します」
モンスターを連れてきた理由は
愛玩用ではなく今後の戦いに必要な存在である事を強調する。――そう言われると一部の民衆も黙るしか無くなる。
ダンジョンは未だに人々の脅威だし、地上進出したモンスターの対処と最大の敵である『黒竜』の討伐が控えている。
「だから、今回の事は本当に悪かったと思っているわ。えと、その……みんな、こんな私を許して頂戴」
と、前半の威厳ある喋り方からしどろもどろな言い方になって後半は謝っているのか、言い逃れしようとしているのか分からないものとなった。
普段から謝罪し慣れていないので、これでいいのかフレイヤ自身分からなくなった。途中までは
これでも随分とマシになった。最初は手っ取り早く『ひれ伏しなさい』から始めようとしていた。それを考えれば随分と成長したと自画自賛する。
「もちろんですよ」
「俺は許します」
一部のバカな聴衆の声が上がったが怒りを覚えた女性陣に無理矢理黙らせられる。
聞いていたベルも一応余った形になったから許してもいいのかな、と曖昧な気持ちになった。だが、リリルカは拳を強く握り締めてふざけている、と強く抗議の意思を示した。
たくさんの声が上がった中で一際大きいのが『本当に悪いと思っている態度か』だった。
それは多くの女性陣と紛れ込んでいる女神連中が声を大にして同意した。特に女神たちの大半はフレイヤを敵視していた。
(……全く無粋ね。悪いと思っているから謝っているのに)
フレイヤとて謝れないわけではない。慣れていないだけだ。
それと一部に女神が紛れ込んでいるのは分かっていた。普段から敵対している相手は結構覚えている。
潰す価値は無いが邪魔だなとは思った。
何にしても『
その気になれば全てを覆せる、けれども。それでは面白くない。だから、手間を惜しまずに今この場に居る。
民衆の反応が悪い方に傾いているのは都合が悪い。これ以上何をすれば好転するのか皆目見当がつかない。――と、フレイヤは本気でそう思った。
民衆の反応が様々に変わる中、フレイヤの抗議の声が多くなってきたことはベル達にも伝わってきた。
そんな中、後方に控えていたアルフィアが椅子から立ち上がり、ギルド職員が持っている拡声器をよこせと要望した。
出し渋る職員業を煮やしたのか、少々強引に奪い取った。
フレイヤに負けず劣らずの孤高の女王は騒ぐ民衆にただ一言告げた。
黙れ。
たった一言で聴衆全てが静まり返る。
美声とは違う言い知れない迫力がこもった一言に誰も声を上げない。それらを確認してから拡声器を職員に投げ返した。
「謝罪会見というには心がこもっていない。だから、民衆は怒っている」
「そうなの? これでも悪いと思っているのだけれど……」
何も悪びれずに
ならば、と言いおいてフレイヤに指示という
「聴衆の顔を一人ひとり見てみろ。被害者に対して言葉だけの謝罪など無意味に等しい」
「……そんなことないけど」
と、小声で言う男性が居たが無視した。
中にはフレイヤの言葉が聞けただけで許してしまう奇特な存在が居る。だが、今はそんな雑音に構っているわけにはいかない。
謝罪の形は誠心誠意。けれども神々の中には床に手をついて謝る『土下座』なる手法がある事をフレイヤは知っている。それをすればいいのかしら、と思った。
思案に暮れる
「私の言うとおりにしてみろ。何、心配するな。お前より厚顔無恥だったヘラにも出来たんだ。お前が出来ない通りは無い。ただ一言言うだけの簡単なものだ」
「そうお?」
自然体で言う彼女の言葉にフレイヤは何の疑問も抱かずに従う。
後方にいたオッタルも腕組したまま待機していたが何やら様子がおかしいと肌で感じた。
戦う事しか知らない武人は謝罪会見の経験は無く、女神の所業というか所作の何処に不備があるのか分からないでいた。
フレイヤは
言葉を発しようとしたフレイヤの後頭部を
「誠心誠意の謝罪に必要なのは言葉もだが……、態度も重要だ。まず、お前がすべきなのは……」
と、言いながら女神が抵抗する間もなく力が籠められる。
最強の【ファミリア】と名高い主神と言えども下界での身体能力は一般人と大差ない。ゆえにレベル7以上とも言われるアルフィアの力に抗いようが無かった。
ゴシャ!
広場にとても鈍い音が広がった。
悲鳴は無く、肉を潰す音とも何かが砕ける音とも違うような――
聴衆の半分近くは時を止め、もう半分くらいは息をのんだ。
机の上に置いてあった
悲鳴は無い。何が起きたのか分からずに気絶したのか、それとも自分に何が起きたのか混乱したまま固まっているのか。
「こうして平身低頭……つまり頭を下げる事だ。ほら、悪いことをしたら言う事があるだろう? それとも言うまで何度も頭を下げてみるか?」
かつてアルフィアはこの手法で『絶対に謝らない』と豪語したヘラを素直にさせた。次の日にはケロッといつもの状態に戻ったが――少しだけ態度を軟化させたのは間違いない。
見守っていたベル達もあまりの光景に言葉を無くしていた。そして、メーテリアの『謝罪の作法を教えてやろう』という言葉が脳内に流れた。
あれはこういう意味だったのか、と戦慄する。
後頭部を掴まれたまま引き上げられると額から鼻から色んな所から血が流れ出ていた。それと顔の所々に灰皿の破片が食い込んでいた。――眼球は無事だった模様。
美貌が一瞬で損なわれたことに女神の信奉者の何人かは気絶した。
呻くフレイヤをもう一度机に叩きつける。今度は割合手加減したようで音は小さかった。
ヘラの時は机が完全に壊れてしまったがな、という呟きが――
大怪我をしているように見えるが神々はこの程度でも数日で完治してしまう。命に係わるほどの怪我でなければいい。それを理解した上でアルフィアは凶行に及んだ。
「……まことに……もうしわけありませんでした。……も、もう許して、本当に……」
歯が砕けるほどではなく主に鼻を強く打つ格好だった為、声はよく通った。
ただ、鼻血が酷くて机の上は血塗れになってしまった。
アルフィアは民衆に顔を向ける。誰もが言葉を失っていた。
「言葉が足りないようだ。もう少し心を込めてみろ」
冷静で冷徹な言葉と容赦ない三度目の打撃。しかし、これは自分を天界から叩き落した恨みも実のところ含まれている。よって元々三度以上叩きつけるつもりだった。
美しかった銀髪が血を吸って錆色に染め上がる。その光景に何人かの人々はもうやめてと言い出し、それらが伝播して謝罪は受け取りましたと大きな声が広がっていく。それを確認したアルフィアは小さく『うむ』と言ってフレイヤを開放した。
顔を上げたフレイヤは鼻血を出しながらみっとも無く泣き出した。
恥も外聞もなく。失禁こそしていないがあまりの理不尽に昔の事を思い出したのか、ヘラの悪口が混ざった。
直接、アルフィアに抗議するとまた顔を打ち付けられると思って怖くて言えなかった。
フレイヤの謝罪どころか泣き言まで見る事になった女神達はとても幸せな気分を味わった。よくやったわ、そこのモンスターと称賛する事も。
女神フレイヤが顔に大怪我を負ったわけだがオッタルは報復に出るべきか思案に暮れる。今回は民衆に対する謝罪が目的で、それは十二分に果たされた。
アルフィアの行動は目に余るのだが責められない事もまた認められる。
会見を終えた後、急遽手当の為にギルドが用意した控室に引きこもり顔に包帯が巻かれる。その時の女神はみっともない姿からすでに立ち直っており、静かに佇んでいた。
「……あんなに酷い謝罪をさせるなんて」
「ヘラより手加減はしたぞ」
そう言われて口を尖らせようとしたが痛みにより顔を顰めさせた。
オッタルが心配の眼差しを向けているので大丈夫よ、と声をかけておいた。
美神と謳われたフレイヤだが無傷の女神というわけではないし、処女神でもない。欲しい物の為なら自らの身体も平然と差し出す事もある。
先ほど泣いたのは痛かったら。わざと泣いたわけではない。
神とて痛みを覚えれば泣きもする。その辺りは一般人と大差が無い。あえて言えば復活が早いところだろうか。
「顔面が変形したままになったらどうするつもりよ」
「その時はまた叩いて矯正すればいい」
「……ううっ」
細かい破片を取り除いた後、顔の多くを包帯で包む事になり、血を吸った髪の毛は
鼻血はまだ治まらず、詰め物をしている最中だ。そんな自分の顔を手鏡で確認して大いに不満を表すように深く深くため息をつく。
(……こんな顔にされたのなんて
天界でしばし神同士の殺し合いが起きるが、地上では十年以上は覚えがない。
ロキやヘスティアに今の顔を観られたら長く揶揄される事を思うと気が重い。かといって謝罪は必要だ。だからこんな顔にされても恨み言を言うつもりは無い。
心配してくれる眷族やオッタルに対しても大丈夫であることを伝えて暴れ出さないように指示しておく。
(全治三日くらいかしら?)
想像よりは確かに軽い。そうでなければあの場で送還されてもおかしくない。それを思えばアルフィアの手加減発言は正しいのかもしれない。
でも、人前で鼻血姿を晒されたのは痛い以上に恥ずかしかった。これなら人前で全裸謝罪の方がまだマシと本気で思えるほどに。
自分の肉体について相当の自信を持っているからこそだ。
フレイヤの謝罪会見からさらに数日後、ダンジョン攻略を休止して地上で出来る仕事にそれぞれ邁進していた【ヘスティア・ファミリア】の面々は再度の探索に挑もうか会議を繰り返していた。
神ヘスティアはフレイヤに対して中立を保ち、興味をそれ程示さなかった。よって普段通り生活を続けていた。
「
「大勢の民衆が居ましたし、困っていたのはフレイヤ様ではなく住民の方ですから」
時と場合によるが見物に終始したのも今となっては不思議な事だと自分でも思った。
仮に助けに入ってもその後が問題だ。
身体は反応したがリリルカが必死に彼を繋ぎとめた。
「面白い余興ではありましたが……。それよりリリ達は今後の活動を気にしなければなりません。大手に構っている余裕は極貧【ファミリア】には無いのですから」
報酬の殆ど全てをギルドに渡してしまったし、資源によって得た収益も武器の補修やアイテム代としてすぐに消えてしまう。
ベルの【ステイタス】は爆上がりしているのに仲間達の方は微増という理不尽。
「ダンジョンアタックする毎に装備を新調していたらお金なんて溜まる筈もありません」
毎回のように装備が駄目になる。もう少し大切に扱わないとこれからの探索にも支障が出る。その事にベルも気が付いているけれど、何故か騒動が起きてしまう。
ダンジョンでは毎度階層が崩落するような事態は起きないし、階層主が
リリルカでも分かっている。明らかにおかしい、と。
「なら、今度は資金稼ぎの為に中層に行くか? 俺はそれでも構わない」
「そうだね。ある程度の資金は必要だし、そうしようか」
自身を高める事も冒険者の務めだが先立つ者が無ければ戦えない者も居る。
今の【ヘスティア・ファミリア】は十八階層を拠点にして長期的に滞在できるだけの経験がある。突発的な事情が無い限り、という条件は付くが。
仲間との会話を聞く限り騒動が起きる気配は微塵もない。その筈なのだが何が原因で少年は死地に向かう事になるのか、部外者から見ても理解不能である。
ダンジョン行かない日は主に地上で情報収集や他派閥のお手伝いが多い。それとたまにギルドの依頼をこなす。
冒険者の仕事として無難なものをベルも選択している。毎度死闘を演じるような命の無駄遣いともいえる行動は取っていないし、取りたくもない。
強くなりたい気持ちが無いわけではないけれど、どういうわけか少年は様々な試練に見舞われる。それこそ神の介在を疑うほどに。
実際、介在しようとする神が最低一柱存在するのだが――
今日も日課の鍛錬とギルドで――アドバイザーの――エイナからダンジョン講義を聞いた後、
仲間と入る事もあるけれど一人で入店する事もある。それ自体は【ファミリア】として制限は無い。
ベルがよく利用する店は『豊穣の女主人』という酒場だ。ベルは酒は飲まず、主に食事する為に来る。それと店員たちとの交流だ。
ここにはいつも助けてもらっているエルフのリュー・リオンが働いている。
「お邪魔しま~す」
開店にはまだ早いかと思ったが客の数はそれなりに居た。
獣人の店員に案内されてカウンター席に座る。
料理を選びつつ主人である大柄のドワーフ『ミア・グランド』にリュー・リオンの様子を尋ねた。
ミアもリューが怪我をした事は聞いていた。
「まだ本調子じゃないそうだよ。全治二か月って聞いたから酒場にはまだ来れないんじゃないかね」
「そうですか」
「会いに行ったりするんじゃないよ。まだろくに動けも喋れもしないから。坊主が来た途端に治りかけが悪化しないとも限らないからね」
ミアが見た限りは動きはぎこちないが会話の方がまだまだ時間がかかりそうな印象を受けた。
心の支えを失い、死を受け入れた身体を無理矢理復活させた影響で回復に時間がかかっている、と担当の
自殺しないだけまだマシなのだが気持ちと身体の齟齬はそう簡単に埋まらない。
「飯は食ってるみたいだから、もう少し待っててやんな。頼りない弟分の為に奮起するには心の整理が必要なんだろうよ」
「はい」
ということで、と言いながらミアは大盛りのパスタをベルの前に置いた。サービスだ、と豪快に笑いながら。
レベル4でも食べ切れるか分からない量に思わずたじろぐがリューの回復祈願として受け入れる事にした。
「リューはサボれて羨ましいニャ~」
「サボりたいから重傷になったわけじゃないよ、アホンダラ共。美味い飯が食えなくなる事とどっちが大事なんだい」
「ごめんニャ~」
彼女はルノア・ファウストという。
リュー達とつるんでいる店員の一人としてよく見かけるが冒険者としての活動は見たことが無い。だが、ここで働いている以上、弱くないはずだとベルは思った。
「私が見た感じ、リューは生きることを諦めていなかったよ。ただ、まだ舌が上手く回っていないから何言ってるのか分からなくなる時がある。特に君と会うと今は酷く混乱すると思う」
「ありがとうございます」
「ちなみにシルもここ数日姿を見せていないんだけど。あいつは別に病気とか怪我とか聞いてないよ」
という情報を伝えた後、ルノアは仕事に戻っていった。
確かにここ数日、シル・フローヴァの姿を見かけない。ミアも無断欠勤してるよ、とだけ言っていた。
アルフィア達が【フレイヤ・ファミリア】で生活を初めて一週間ほどが経過した。その間、ベル達の周りで身だった騒動は起きていない。
代わりに【フレイヤ・ファミリア】の下位の冒険者が毎日のようにボロボロになりながらダンジョンたくさんをしているという噂や情報が聞こえてきた。
それから
姿を見られて脱兎のごとく逃げ出す、というような事は無かったけれど頭を下げる程度の挨拶は交わせた。会話はまだ無理だと担当医に聞いていたので、無理に近づく事はしなかった。
「……そういや【剣姫】って今何してんだ?」
大怪我をした、という噂からぱったりと噂も姿も無い。
朝の鍛錬の時は外壁でよく剣の修練を積んでいる姿を思い出す。
こちらも
相変わらず彼女には敵視されていたが、アイズの情報は得られた。
「過酷な修練をしているそうです。あと、汗まみれになるので人前には出ていないだけ、と……」
「そっか」
「【ロキ・ファミリア】も大きな被害を被りましたもの。再度のダンジョンアタックをかけるとすれば数か月は先でしょうし、半年以上かかる事もありえるかもしれません」
団員数が多い大手【ファミリア】は武具とアイテムの手配だけで天文学的な金額が動く。資金稼ぎからして規模が違う。
まだまだ弱小【ファミリア】と言われる【ヘスティア・ファミリア】も多大な入用に必要な資金稼ぎしなければならないのだが――
(……どうしよう。実はヴァレン何某君とは結構な頻度で会っているって言い出しづらい……)
神ヘスティアはジャガ丸くんの売店の都合でアイズとは結構会う。お得意様となっているほどに。
先の話題に出た怪我した後も何食わぬ顔でジャガ丸くんを購入している。ただし、一人ではなく付き添いが居て、安易に彼女の事を伝えないで欲しいと頼まれていた。
ベル君大好き女神たるヘスティアは敵対派閥の眷族たるアイズの詳細を教える気が無かった為、今に至る。
「そういえば神様」
「ななな、なんだいベル君」
「フレイヤ様とはよく会いますか?」
「集まりで見かける程度だよ。フレイヤがどうかしたのかい?」
「謝罪会見で血塗れになっていたので……、その後はどうしているのかなって」
ヘスティアは見物に行かなかったけれど神の情報網から大体の事は聞いている。
ケガは既に完治しているが数日の間、顔を隠すような姿だったことは確かだ。
話しの出どころはフレイヤを嫌う女神連中であり、男神は黙して語らず。
「もうケロッとしているよ。……でも、君に心配されるなんて僕は嫉妬を覚えそうだ」
ベルには何故か『魅了』が効かない。それでも美の神を心配するのは紳士的な性格ゆえだと理解はすれば納得はしていない。
かといってヘスティア自身が大怪我をするわけにはいかない。痛いのは怖いし嫌なので。
傲岸不遜にして厚顔無恥たるフレイヤの性格からして大人しく――しおらしくしているとは到底思えない。だが、会う機会があれば世間話くらいは聞いてやろうと思った。
更に時が過ぎ、いつまでもダンジョンに潜らない日が続けばギルドに収める税だけであっさりと一文無しになってしまう。――実際にはまだまだ余裕はあるけれど。
ベル以外は自己鍛錬と元の【ファミリア】の手伝いに向かい、主神であるヘスティアは
他にも二五階層からの大崩落も殆ど修復されたと発表され、多くの冒険者がダンジョン探索に向かい始めた。
ベルは【ランクアップ】していない下位の団員――実質二人だけ――に低階層のモンスターを可能な限り討伐する役割を与えてみた。団長ではあるが仕事として命令するのに慣れてなく、参謀役のリリルカに言い直される。
「【ヘスティア・ファミリア】のお荷物と言われたくなければモンスターの百匹くらい倒してきてください」
「はい~!」
リリルカの迫力に
【ヘスティア・ファミリア】の中で一番の弱者が春姫で二番目がリリルカだ。
戦闘経験はある。だが、【
【
(弱い冒険者が強くなるにはひたすら経験を積まなければなりません。ベル様は特別なようですが、実際か国の連続ですもんね。リリは何度弱音を吐いたでしょうか)
ベル・クラネルは普段の姿を見る限り、とても戦闘が大好きな少年には見えない。扱っている武器が接近戦用のナイフ。
大きい図体で凶暴なモンスターを小さな体でたくさん倒し続けてきた。
第二級冒険者なのが今でも信じられない。
先ごろの【ステイタス】更新においてもうレベル5に王手をかけているとか。それもまた驚きの一つだ。
(数値の上がり方が明らかにおかしいです。もしかしてベル様の身体がとんでもないことになっているのでは? 例えば数値だけ増える病気とか)
一般的な冒険者の能力値の上りはリリルカと大差が無い微増が多い。決して一回のたくさんで数百も上がったりしない。
過酷な現場という条件があるとしても異常だ。それはもう現実逃避したくなる程に。ヘスティアですら思考が飛ぶほど。
そもそも能力値の現界は『九九九』だ。その数値を突破している冒険者はリリの記憶にもベル・クラネルただ一人。
ベル様。死ぬ時は『黒竜』を倒してからにして下さい。
今死なれると非常に困る事を訴える為に出た言葉だ。
少年は即座に善処します、とは言った。
ある日、ベルは早朝の鍛錬を終えて『
熱を持った身体に程よい記憶で一息ついていると続々とダンジョンに向かう冒険者の姿が見えてきた。
たくさんの【ファミリア】が自己を高めたり、一攫千金を求めたり、英雄の憧れを抱いたりしながら地下深くを進む。中には『
そんな彼らを眺めていると近くの休息用の椅子に見覚えのある人物を目撃する。
緑色の長い髪に魔導士の出で立ち、身の丈を超える
服装は動きやすい薄緑色の魔法衣。――多くのエルフは肌の露出を好まないらしく、リヴェリアも頭と手以外は肌を見せない格好だ。
【ロキ・ファミリア】の副団長リヴェリア・リヨス・アールヴに間違いないと思った。
多くの冒険者が居る中で意外と似ている人物というものに出会わない。それで間違いないと思ってしまった。
リヴェリアらしき人物は椅子に座り、ぼ~っとしたままダンジョンに向かう冒険者を眺めているようだった。
違和感があるとすれば顔の右半分を
(耳は治った筈だ)
ベルが見た時は包帯で隠されていたが顔の半分を損傷する酷いケガだったことは今でも覚えている。
命に別条が無かったとはいえ、男性と違い傷に忌避感を抱くものだ。
あまりジロジロ見るのも失礼ではあるが気になって仕方がない。護衛も無く一人で居るのも疑問だった。そして、ベルの視線を感じ取ったのか不意に顔を向けてきたので飛び上がるほど驚いてしまった。
このまま逃げようかと思ったが、それはそれで失礼だと思い黙って佇むことを選んだ。
第二級冒険者になってから逃げ癖を治そうと努力している。嫌な者からは逃げない。そう思っても未だ身体は怯えを覚えている。
懊悩しているとリヴェリアが手招きした。そこで逃げようものなら確実に追われてしまう。今は何も悪い事はしていないし、モンスターも引き連れていないが――
「おはようございます」
観念して覚悟を決めたベルは彼女に近づきながら挨拶する。すると相手は言葉は無かったが頷き、自分の
表情は穏やかというか全くの無表情で、怒っているのかは分からないが妙な迫力は感じた。
大人の雰囲気なのか第一級冒険者としての貫禄なのか。ただ座っているだけなのに勝てる気がしない、そんな気持ちに囚われる。
「……失礼します」
取り巻きのエルフが居れば
座れという仕草でつい座ってしまったが位置は彼女の右側。つまりケガをした方だ。
横を向けば嫌でもヴェールが目に入るし、場合によれば中も見えそうだった。
どう声を掛けたものかと思案しているとリヴェリアが小さく何事かを呟いた。かなり近くに居るのに聞き取れない。
治療院に担ぎ込んでから数週間。一人で出歩けるまで回復した事からだいぶ怪我が治ったとみていいのだろうか、と不安に思う。
ベル達のような零細【ファミリア】と違い、資金力にものを言わせることが可能な【ファミリア】だ。高額な
思案に暮れるベルをよそにリヴェリアは持っていた
書き終わった紙をベルに渡す。
「……えっと」
読めという事だろうかと思って紙を受け取り、文章にざっと目を通す。
顔にかかっている
威圧感を振り撒く
改めて確認するのも失礼だし、拒否しようものなら強引な手法を取られる気がした。
リヴェリアの右半分を隠す
周りを歩く通行人の事など眼中に無いといった雰囲気だ。
小声で失礼しますと呟きながら捲っていく。すると――息をのむ光景が広がっていた。
手が震えてくる。今にも視線を逸らしたくなる。けれども逃げる事を彼女はきっと許さない。
感想を聞かせろとあったので何か言わなければならない。
「……あ、あの……」
千切れていた耳は接合していた。それは間違いない。
先の遠征で手足の欠損や人体の損壊はいやでも目にしてきた。それでもやっぱり恐怖を覚えるほどにリヴェリアの素顔、正確には怪我の痕は酷かった。
素直に酷い顔ですね、と言って納得するわけもなく。
数週間も経過して未だここまで酷い怪我の痕が残っている。治療を拒んだと言われても仕方が無いほど。
まず飛び出していた眼球は元に戻っていた。ただし、白目部分は見当たらない程真っ赤に充血していた。瞳までは赤くなかったけれど。
問題は頬。縫合跡が痛々しいし、所々黒ずんでいるように見える。
口元に近い部分は大きく裂けたような大きな傷口があり、放射状というのかあちこちに広がっていた。それは鼻にまで達していた。
治療風景を見たわけではないから現在の様子を言葉にするのは難しい。それから反対側は――失礼な例えだが――比較的綺麗に見えた。
顔面が抉れている、という言葉を聞いていたので改めて彼女の顔の全体像に目を向ける。
やはり左側が全体的にほっそりしている。左右非対称だとはっきり分かるほど。
確かに怪我は酷いが見せられない程ではない。――彼女が男性であれば。
リヴェリアは女性だ。見目麗しき高貴なエルフ。
これほどの怪我であれば人に傷跡を見られるというのは相当な覚悟が無ければ無理だ。男性であるベルでも分かる。
それから数分が経過し、何も言えないでいるとリヴェリアに手を添えられ、
(紙に書いたってことは喋れないのか。傷口が開くから大きく開けられない状態なんだ)
それはつまり魔法を詠唱できない事を意味する。
唄えない
「……少し、気……楽、なった」
僅かに口を開閉して紡ぎ出される言葉。
完全に閉じたままではないことだけが救いか。
「……すみません。僕からは怪我の感想は……言えません」
「……かま……。無理、った……」
言葉が拙すぎでまともに聞き取れない。それは自分でも理解しているようで、また紙に文章を書いた。
食事は僅かながら出来ること。ベルに対して深く謝罪すると共に感謝する旨。
魔法は無理でも物理攻撃は出来るが団員達から戦闘に参加する事を激しく止められた。
全治するまでの期間は不明だが数か月ほどかかるらしい、と。
ほぼ筆談になってしまった。それと顔面の損傷の影響で表情を形作る事が痛みで
(傷口が開くから……。本人は戦えるような事を書いているから元気なんだろうな)
冒険者はずっと無傷で探索できるような職業ではない。それは
今はまだ傷跡が残らない程度で済んでいる。いずれ自分も手足を欠損するかもしれないし、仲間も酷い目に遭うかもしれない。
「右目は大丈夫なんですか?」
この疑問に対する返答は視力が弱くなったが無事だ、と。
失明を免れただけでも安心した。
改めて彼女の顔を見る。酷い大怪我からここまで回復し、まだ冒険者として続けようという意思を感じた。
細身の体型だが【ステイタス】はベルを凌駕し、決してひ弱ではない。
「?」
安心したところにもう一つの文章を見せられた。
アイズも付けるから来週末予定を開けてダンジョンに連れていけ。
思わず叫び出しそうになったが周りの冒険者の目があるので必死に抑えた。
ベル個人としてはとてもありがたいがアイズを引き合いに出されると弱みを握られたような気分になる。実際、是非お願いしますと即答しそうになったけれどリリルカの鬼の形相が浮かんだので自制した。
「……あの、えっと、僕としてはとてもありがたい提案だと思います。……でも、本当にいいんですか? あと、レフィーヤさんとかエルフの方々に恨まれたり怒られたりすると……」
ベルの懸念に対して無表情ながらエルフは黙らせると簡潔な言葉を返された。
それとあくまでリヴェリア個人の問題で【ロキ・ファミリア】として依頼するわけではない事を強調した。――だが、巻き込まれるアイズの意志がどうなっているのかベルは不安を覚える。
一方的なお願いだが予定を調整してみる事した。
平凡な日々を過ごせていると思っていた矢先、空前絶後にして超絶怒涛の災難は彼を容易に逃がすような真似が出来ないらしい。正しく
それはリヴェリアと約束を交わして二日後の早朝だった。
『
ごく普通にやってきた、その人物をベルは最初誰だか分からなかった。
見覚えがある筈なのに違い過ぎる姿、というか雰囲気に言葉を無くし戦慄すら覚えた。
咄嗟に浮かんだのは金髪金眼の少女【剣姫】だった。だが――どう見ても佇まいからして印象との齟齬がありすぎているように感じた。
なにより返り血を浴びている人物に何も声を掛けられず、触れれば壊れてしまいそうなほど彼女――アイズ・ヴァレンシュタインは傷つき疲れ切っていた。