情緒不安定だった【剣姫】アイズ・ヴァレンシュタインは真白き髪に変わったことが『
同時期に
それとは別に――
全ての騒動の中心には【
と、
事実確認を冒険者ギルドが求められる事もあったが当事者達は黙して語らず。というより、この時期は冒険者家業を休止していたようで『
【ロキ・ファミリア】は世間の喧騒を知りながら下位の団員達に資材の調達や資金稼ぎに奔走し、幹部達は堪っていた事務仕事に邁進していた。
【ヘスティア・ファミリア】は以前からの騒動の反動からあまり注目されなかったが、リヴェリアの事で再燃し、多くのエルフ達の殺気のこもった監視が増強されてしまった。
常ならばレフィーヤ・ウィリディスが真っ先に突貫しそうなものだが、彼女は特に何も起こさず、古参のエルフでお馴染みのアリシア・フォレストライトも同様に静かに佇むのみ。
「リヴェリア様のお耳汚しとなってはいけませんから」
と、涼しい顔の内では憤怒の感情を押し殺していた。
その当人は【ヘスティア・ファミリア】の
ヤマト・
【ロキ・ファミリア】の風呂場でも使用できるのだが雰囲気が合わないと様子を見せてもっらた命が是非に、と頼み込んで利用させている。勿論、女神ロキも体験済みだ。
「【剣姫】殿の髪も色が戻ってきて良かったですね」
「……うん」
元の【ファミリア】の主神タケミカヅチに頼み、極東から髪の毛に聞きそうな物や食材を取り寄せてもらった。
風呂は頭皮の血行を促進するものを使っている。それと命手ずから頭皮のマッサージも施した。彼女の献身のお陰もあるのか、数日後には金髪が戻りつつあるのが分かった。
一回全部抜けないと駄目なのか、とアイズは絶望した顔になっていたが――
「リヴェリア様の髪艶が凄くなってませんか?」
湯上りに極東の
顔の怪我も――傷跡はまだ残っているけれど――順調によくなり、会話も滞りなくこなせるようになった。
同じくエルフのリュー・リオンも折角だからと風呂場を遣わせてもらい、肌艶と髪の艶が一段と輝いた事に本人が一番驚いた。
団長であるベル・クラネルは女性陣の為の食事の用意に邁進していた。
命一人が重労働しているように感じられるが本人は楽しんでやっているらしく、苦にならないと笑っていた。
リューは他人に触れられることを嫌う。なので指導によって自分で頭皮のマッサージをしてもらった。
今では【ロキ・ファミリア】の女性陣が命に風呂と頭皮マッサージの教えを乞う事態に発展している。特にアリシアは鼻息荒くやる気満々で教わりに来た。
零細【ファミリア】には限界があるので資金力がある【ファミリア】にはそれなりの情報を渡した。元より金目当てではなかったので情報料の相場が分からず、無料進呈することになってしまった。
当然、
「自前の風呂を持つ資金力が無ければ成立しませんし。生憎と貧乏が過ぎて物の価値が分かりません」
「せめて受講料を幾許か貰ってほしかったです。折角、
「いいじゃないか。いずれ大手が独占しようとして大失敗するに決まっているよ。ボクらは慎ましく行こうじゃないか。欲をかくとろくなことにならないしさ」
命の教えが巡り巡ってダイダロス通りを拠点とする清貧を司る女神ペニアの耳に入り、最初は不満タラタラだった彼女も肌艶の魅力には抗えず、こっそりと変装して【ヘスティア・ファミリア】に来たとか来ないとか。
身奇麗にする事自体は健康に繋がり、防疫の面でも有効であることは多くの神々が証明している。だが、オラリオ全土を賄うほどの拠点が存在しないし、貧しい者が利用できる場所もない。
そこに金の匂いを嗅ぎつけた【ディアンケヒト・ファミリア】が何やら画策したようだが一週間と経たずに瓦解する事になったのはまた別の話しである。
「な~にが『ケヒトの湯』だ。聖女の
懇意にしている【ミアハ・ファミリア】の団長ナァーザ・エリスイスが愚痴りにやって来た。
ベルが冒険者として活動してから世話になっている
ダンジョンに潜らないが戦闘は可能で薬師でもある。
「……はは。でも、随分とお金を掛けたようですけど……大丈夫なんですかね」
「さあね~。ま~たぼったくり価格の
間延びした喋り方が特徴のナァーザだが怒り心頭でもこの調子である。
アミッド・テアサナーレとは浅からぬ関係であり、発想力において二人は常に競い合っていた。
純粋に薬師として彼女は優秀でベルは度々依頼を受けていた。ただし、リリルカはナァーザのぼったくりを看破しており、それでもなお付き合いをやめようとは思わなかった。
元々資金難の【ファミリア】で常に火の車。ベルからすれば人助けのつもりだった。それが今に繋がる付き合いになるとは――
ある日、ギルドの談話室にて保留にしていたエイナとの面談に
いつもであれば元従者にして最愛の友であるアイナへの手紙を渡すのだが、今回は自身の近況を――一応、義理立てとして――報告する予定だ。
一人で出歩く事が難しい立場で壁際にアリシアが控えていた。
「お待たせしました」
「忙しいところを済まないな」
社交辞令もそこそこにベル・クラネルの担当アドバイザーで
(お顔はまだ
「気になるか?」
「えっ!? あ、はい……。色々と耳に入るもので……」
眼鏡をかけたエイナの疑問に答えるように
ベルが見た時より傷跡は薄くなっているが、放射状の傷跡は未だ健在だった。
食事をしっかり摂っているので顔はほぼ対照的な形にまで回復した。
「全治に数か月もかかると言われた傷だ。この通り、醜い痕が残っている。……が、前より口が回る分、こんなのでも平気になってきた」
(平気って……。確かに口が回らなくなって魔法が唱えられなくなったって……)
「正直なところ、アイナには傷の事を伏せたいと思っている」
「も、もちろんです。母を心配させるのは良くないですし」
「風の噂が届けば飛んで来そうでな。何か妙案はないものか、と」
(確かに。穏やかな療養生活が一変しそう。……でも、嘘だとすぐバレるし……)
「僭越ながら……」
と、壁際で待機していたアリシアが手を上げつつ発言した。
彼女の言い分は深層域にて強大なモンスターに傷つけられて治療中だということにしたらいかが、と。
正しくは無いが間違ってもいない。問題は受け取ったアイナがどう反応するか、だ。
「そもそも正直に伝える必要がありますか? 噂はいずれ風化していきます」
「リヴェリア様は自分にも正直でいたいのですよね?」
「……隠し立てばかりすると……嫌われるからな。それに……、アイナには正直でいたいと思っている」
本来ならば里から出られない身体だった。無理を押してついてきてもらった上での病気療養だ。自責の念が強く、アイナに心配をかける事と嘘をつく事がどうしても出来ない。
自分の半身と言っても過言ではないくらい大切な存在だと思っている。
本来ならば色々と濁すところだがエイナの前だと弱音すら出てしまう。側にアリシアが居る為に制限はかかっているが、
「それはそれとして……。リヴェリア様。……ミノタウロスと殴り合ったというのは
「……ああ。魔法を詠唱できない無能な自分を罰する意味でな。あれはあれでよい経験になった」
事も無げに
エイナは先日こっそり事情をベルから聞いて思わず叫びそうになったほど驚いた。
清楚な佇まいのリヴェリアが野蛮な格闘術でモンスター討伐に勤しむなど、と。だが、それは事実であると今、当人の口から言われてしまった。嘘であってほしいと思う反面、ベルの言葉に嘘はないとも思っていた。
「お前が担当するベル・クラネルを供としたが……。私の我がままに付き合わされてさぞ迷惑だったやもしれぬ。……あるいはエルフ共の恨みを買う原因を作ってしまった。しかし、彼は面白い。色々と知ることが出来た」
「そ、そうですか。ベル君がお役に立てたのですね」
物静かな
色んな騒動を巻き起こす問題児として有名になってしまった彼がリヴェリアに興味を持たれた。それはとてもすごい事なのだが素直に受け止められない。
常日頃から冒険者は危険な仕事だと言い聞かせ、それでもダンジョンに挑む彼を生温かく見守ってきた。それが今では第二級冒険者にまで上り詰めた。僅か半年足らずで。
驚異的な反面、とても危うい綱渡りをしている彼を素直に褒められない。
冒険者は花形の職業であると同時にとても短命である。いつ命を落としてもおかしくない。
エイナとしては少年より大人に任せてしまえばいいのに、と思うものの職業柄、それを口にすることは出来ないし、勇気が無かった。
「我々が困難に陥った時、彼は救いの手を差し伸べた。外聞の悪い部分が目立つが……、冒険者としては好ましい性格をしている。……言葉は悪いが……、使い方次第では様々な形に化けるな」
(……確かに悪い表現ですね。利用しようとする側からすれば物珍しい宝のようなもの……)
「……あるいは、ベル・クラネルこそがアイズを真に救ってやれるかも……。というのは言い過ぎかな」
誰ともなく呟かれた言葉。だが、エイナはアイズと聞いてしまった。
ベルが目標とする人物であり好意を寄せている人。
遥か高みに居るアイズに怒涛の勢いで追いかけている。その速度はもはや計り知れないまでに至っていた。
いつレベル5に到達してもおかしくないほどに。
「さて、エイナ」
「は、はい?」
「手を出せ」
そう言われて一瞬戸惑ったが対面に座るリヴェリアに向けて手を出した。その手を彼女が掴むと――それほど強くない力で――自分の顔まで引っ張り傷跡が残る頬に触れさせた。
同胞だから、というよりアイナの娘だから、といった方が正確か。
「ベル・クラネルにも触らせたことが無い私の弱点だ」
リヴェリアの手は温かく、柔らかく、肌のきめが細かい。
頬も柔らかかったが、なんというか骨が無いくらい。
その事に気付いて身体が一瞬硬直したがリヴェリアは微笑むだけで手は離さなかった。ちゃんと理解しろ、と目が言っている気がした。
「治りかけだったところにモンスターと接近戦をしただろう? また完治が遠のいてしまった」
「……なにをしているんですか、全くっ!」
リヴェリアに手を掴まれたまま怒りでつい声を荒げてしまった。けれども、そんな彼女を愛おしそうに見つめるリヴェリアの表情はとても柔らかだった。
エイナを自分の娘のように可愛がるからこその吐露だ。そうでなければ極寒の冷気よりもさめざめとした眼差しを向けている。
今日はエイナの為に時間を作り、アイナの事やベルとの話題に終始していた。
ギルドに来た本当の目的は怪我やダンジョンの報告をする事ではなく、他愛も無い世間話をする為だった。誰でもいいわけではない。
アイナの愛娘であるエイナでなければ満足できないだろう。
この部屋にはアリシアも居るが本音というか本心を話せる相手は中々居ない。だからこそ彼女との対話は何物にも代えがたい。
エイナも
ダンジョンが生み出した『
多くの冒険者に様々な傷を与え、後遺症のように
ある者は無情の死を。
ある者は身を削り取られ。
ある者は消えない恐怖を賜った。
「………」
オラリオの外壁に登った白い髪の少女は外の景色を眺める。
生え際から金色が覗いていたが全てが染まるのにまだまだかかりそうだが、今はそよ風を頼む。
戦闘用の装備ではなく、ごく普通の普段着の彼女アイズ・ヴァレンシュタインは戦う理由を失っていた。頭では分かっているのだが意欲が全く湧かない。消失したかのように。
冒険者の彼岸は覚えているし、本来の目的も覚えている。忘れてはならない記憶も健在だ。
アイズには分からない事があった。
自分は何に怒っていたのか。
(……私は怒りを誘導されていた? 誰に? あの
ジャガーノートとの戦いにおいて多くの冒険者が感情を操作されていたと団長のフィン・ディムナが説明した。
手段については確証はないが『声』にまつわる何か、だと。
だが、それは最近の話しであって昔から持っている怒りの感情は違うはずだ。
(……それに夢の中で見た自分の死……。とても現実的で夢だとは思えない。今見ている方が夢なのではないかと思うくらい)
こちらが夢ならば現実の自分は既に死んでいる事になる。
精神が弱っているから弱気になるのではないか。そうならば鍛錬を続けて強くなるしかない。
ベル・クラネルに殺される自分を否定する為に。
夢の中の自分は戦いに明け暮れていた。引き返せない位置に居たから巻き込まれた。
故意でなかったにせよ、今のベルはアイズを殺しうる実力を身に付けている。彼に追いつかれ追い越されない為には強くなるしかない。
アイズの願いは両親の仇である『黒竜』の討伐だ。深層域も踏破できない今の自分にはまだ届かない敵だ。
(それとレフィーヤ。……暴走する私を撃ち抜いた。……私がみんなの迷惑になれば……、あの夢はきっと現実になる)
戦う理由を消し飛ばすほどに。
鮮烈なる英雄の一撃。あれを防ぐ、または突破するには――
今の自分を超えなければならない。
復讐する自分さえも超克の糧にしなければ届かない。いや、手にする事は到底不可能だ。
アイズは静かに風の
夢の中では消し去られたが現実ではまだ戦う
振り返れば全身を外套で隠した存在が佇んでいた。長い尻尾が見えている所から相手の正体は容易に想像がつく。
「……なにか、用ですか?」
「単なる散歩だ。……少し見ない間に面白い事になっていたようだな」
玲瓏たる声でそれは応えた。
殺気は無く、戦意も無く、ごく普通に佇んでいるところから言葉に嘘はないのだろう、とアイズは身構えずに応対した。――魔法は維持し続けたまま。
「何も考えず、敵を殺し続けれていれば楽だった……。そんな殺気だった貴様は美しき復讐の姫だった。それが今は漂白されて面白みまで失ったとか」
「………」
「メーテリアの【
だから、大半は誰かに背負われていた。
自分で動く必要が無い。スキルも魔法も使うだけに集中していればいい。
一人ごちるように
【静寂】たる彼女がオラリオの中を自由に動く場合――外套は勿論――首に
目立った制約は以上だが、それらを守っている限り【ガネーシャ・ファミリア】は彼女の移動を黙認すると約束した。鍛錬については別問題なのでダンジョン内に
「【
「……うん」
「ベル・クラネルはまもなくお前を超える。ぐずぐずしている暇はないぞ。あの子はきっと『
「……していない。……出来なくなることが怖い」
アルフィアはそうか、と柔らかな言葉で応える。
硬質な返しを予想して身構えたが、それは自身の恐れの表れ――
前を見ているようで何も見ていない。そんな気持ちに気付かせてくれる。
「憧れは冒険者の糧だ。あの子はそれをたくさん持っている。我武者羅なだけが取り柄のお前は何も持っていなかった。……であれば、少しは『物語』に目を向けてみたらどうだ? お眼鏡に適う英雄を探り当てる事もまた戦いではないのか?」
「……ん」
本は母から読み聞かせられた。英雄は父だった。
自分で本を読まなくなったのは両親を失ってから。それからずっと戦いに明け暮れていた。学が無いのも認めざるを得ない。
今更になって読書に明け暮れる、というのはどうなのだろうか、とアイズは急に不安になってきた。魔法を解除した途端に顔が脂汗で濡れてくる。
ベル・クラネルが物語に詳しい事は
「……ふむ。そうだな。戦うだけの英雄は……、単なる
「……うう」
単細胞の下りで胸に痛みが走る。
「私が失望を覚え、今一度オラリオを滅ぼそうとする時、お前はその時、何を持って立ちはだかる? それとも逃走を選ぶか?」
「……今の私の手には何もない。貴女と戦うだけの力も……」
「ならば……、何かを見つけたらかかってこい。その気概があるならば……遠慮なく相手をしてやる。お前達英雄候補の
アルフィアは外の景色からオラリオ全土に顔を向けた後、立ち去った。
驚異的な
英雄になりたいわけではない。強くなりたいだけ。――でも、それだけでは駄目だと気づかされる。
ベルは今も登り続けている。こんなところで立ち止まってはいられない、と頭では分かっている。
「……本、読まなきゃ……」
最初の難関が立ち塞がる。
剣を持って戦う事しか知らなかった少女は新たな一歩を果たして踏み出せるのか。
リヴェリアの憤怒の形相が脳裏に浮かんで足がすくんだ事は内緒だ。
特訓の前にアルフィアから向上心のきっかけを胸に秘めろと教わった。単なる強さだけではすぐに足踏みしてしまう。何故なら、目標が不鮮明だからだ、と。
リリルカはベルを目標にした。彼はどんどん仲間達を引き離す勢いで成長を続けている。今しばらくは追いつけるような気がしない。
【フレイヤ・ファミリア】には【
強い人物だけど目指す
「きちんと休暇を与える、という事は計画性があるんだろうね」
「そうですね。というか、あんなの鍛錬でも何でもないです。あれが出来るのは【フレイヤ・ファミリア】だけだと思いますし、他の【ファミリア】が真似する事なんて到底無理ですね」
と、はっきりと言い切った。
眷族同士の殺し合い、という内容だけで参加拒否したくなるのだが、それに参加――強制的に――しているリリルカは地獄って地上にあったんですね、と呟くようになった。
春姫は
「はい、そうです。春姫様は何度も尻尾がもげました。他の獣人の皆様も同様ですから、彼女だけ特別に酷いということはないですよ」
「……えーと。もうやめたらいいんじゃないかな。やめてもいいんだね?」
「あれは途中からやめられなくなります。やめるという事は冒険者ごとやめるという意味になってしまうような……。そんな不安を抱かせますから。……あれは……悪辣というか全てヘイズ様が原因ですね。
(……うわ~。すごい気になるけれど聞きたくね~。全身がぞわぞわしてきたぞ)
淡々と説明されるところも不安を煽る原因だ。
見えない恐怖というものが【フレイヤ・ファミリア】にあり、女神フレイヤを信奉する眷族はヘスティアからしてもどうかしているね絶対と言わしめるほど。
かといって一概に悪い部分だけではないのは二人の【ステイタス】の内容を見れば明らかだ。
短期間の拷問、もとい研修によって物凄い数値の伸びが確認された。
レベル1だから伸びやすい事を
ひ弱な春姫の『力』が三五〇を超えている。リリルカは八〇〇だ。初期の頃の数値の伸びから見れば驚異的と言える。
一番増えているのは春姫の『魔力』とリリルカの『器用』と『敏捷』だろうか。もうじき評価が『
ただ、数値の上では二人共【ランクアップ】する資格を得ている。可能であれば潜在的な数値を加味したいので限界まで増やしてほしい思惑があるが――過酷過ぎるので、そろそろ鍛錬をやめさせようか迷うところ。
「引き際は肝心だよ、二人共」
「分かっています」
春姫は
リリルカ達が鍛錬を終えると命とヴェルフが向かう事になる。そうするとベルを除いて【ヘスティア・ファミリア】から笑顔が消える。
最近、館の中が暗いな、と思っていたところだ。
(……えっと、確かレベル4まで鍛錬するんだっけ? さすがに死ん……もう死んでいたか~)
短期間の増強なら文字通り死んだ気にならないと無理だ。
団員達にベルが味わった過酷な戦いを
長く療養していた【疾風】リュー・リオンは仲間達の様子を見に【ガネーシャ・ファミリア】に訪れた。
身体の不調は完全ではないが粗方完治したと言ってもいいくらいには調子が戻った。
言葉も少し違和感があるが日常会話に不自由はない。
先日、ついアイズを叩く事になったがリヴェリアとアナキティは一切の加減を見せなかった事に戦慄した。
血の海に沈む【剣姫】を見てしまうと一概に責められない気持ちになってきた。
アリーゼに関して恨みはない。輝夜も納得の上での戦いだった筈だ。
正々堂々の決闘であるならばリューは何も言わない。仲間達も早くから覚悟していたようだし。
「ライラの檻は来るたびに物が増えていますね」
「手先が器用な前世のお陰かね」
『武装したモンスター』こと『
檻と言っても自由に出入りが出来る。トイレも風呂も用意されており、餌と称しているが食事もちゃんとしたものが与えられている。
黒竜ニュクスは神が取り込まれたとあって排泄や食事が不要らしいが食事は食べているらしい。
「今日はどうした? 別れの挨拶か?」
「……いえ。そろそろアストレア様に会いに行こうかと思いまして」
「……それは別れの挨拶と何が違うんだ? ま、まあ……とにかくだ。うん、行ってこい行ってこい。アタシらの事を告げて卒倒するか教えてくれよ」
「……そういう目的ではないのですが。……しかし、アリーゼと輝夜の事をどう伝えたものか……」
あっけらかんとした態度の
戦って死んだのであれば納得するのだが、厄介な事にリューを殺した。少なくとも当人はその意識のまま死んでしまった。だから、天に上る魂がどうなっているのか、他の眷族達も心配していた。
――案外、後悔を覚えて引き返し、ダンジョンで再復活していたり、と考えたところであり得なくない事に気付いて寒気を覚えたものだ。
(
アリーゼを含めて団員達はほぼジャガーノートに殺され、その遺骸はモンスターに食べ尽くされた為に骨も残っていない。
アルフィアが
「……なあ、リオン」
「はい?」
「【アストレア・ファミリア】が全滅してから【ステイタス】を更新してないんだろ? 今のお前がどれだけ強くなったのか知りてえな。生きているんだから、もっと生き足掻けよ、末っ子」
「……言われなくても」
(……もう五年近く更新していない。その間も私は戦い続けた。少なくともレベル5は確実な気がします。そろそろクラネルさんに追い越され……、もう追い越しているかもしれませんね)
「おい、あの白髪のガキを気に入ってんだろ? 逃がすんじゃねえぞ」
「なっ!? 何を言うのです」
頬を赤くしてリューは言い返した。
恥じらうエルフにライラは微笑ましいものを見た気分になった。
常に神経をすり減らし、正義を追い求めたエルフが恋を知る乙女のような顔をするとは――ライラは過ぎ去った時間を大いに後悔した。彼女がベル・クラネルと知り合い、どういう風に過ごしたのか知ることが出来なかった事に。
「【剣姫】に懸想しているって? 大いに結構。一夫多妻上等だ。それでこそ英雄ってもんだろうが、なあ?」
「ふ、ふしだらですよ!」
「そういえば、肝心なことを聞いてないんだが……。【アストレア・ファミリア】は今も健在なのか? お前が自由に動けるってことはアストレア様は送還されていないわけだし」
「そうですね。遠い街で新しい眷族を迎えているのかもしれません。新しい団員達と正義を回す為に……」
「……あの女神さまの事だから、全滅したから総入れ替え、なんて切り替えの良い性格はしてねえと思うぜ。
リューの背中には女神アストレアの
『
どんなに遠く離れていようとも自分の眷族の生死は手に取るように分かるのが神だ。
「……つまりだ。何が言いてえかと言うと……。お前を抜きに正義を語るほどアストレア様は薄情じゃねえってことだ。……だから、行ってこい。そして、【ステイタス】も更新して来いよ。アリーゼと輝夜はお前に後を託したんだ。アタシ達はそう簡単に死にたくないから生き足掻いている最中だが、いつでも力を使ってくれて構わない」
(……ライラ。もしや、貴女も長くないと言うのでは?)
見た目には元気そうだが実は弱っている、という事もありうる。残念ながらリューはその辺りの機微を読み取ることが出来ない。
託された想いを引く次ぐのは残された者の使命である、という事は理解できる。
本来ならばライラ達は死んだ存在だ。ダンジョンの悪意によって復活してしまったのはリューにとっても想定外の事態だった。
想いを託したはずなのに何故か復活してしまったら、リューでなくても合わせる顔が無いほどに恥ずかしくなる。その気持ちは分からないでもない。
他のメンバーもどこかよそよそしいし。ライラくらいだ、真面目に話しをしてくれるのは。
「あと、ついでに新しい団員の事を調べといてくれよ。先輩がモンスターになってるけど……」
「……ぜ、善処します」
「アストレア様に会えたらアタシらモンスターだけど受け入れる気があるかも……。これはまあ……、聞けそうな雰囲気だったらでいいぜ」
長く会わなかった主神に言いたいことがたくさんあるようで、頭の中でまとめるのが難しくなり、一旦別紙にて
モンスターとの対話は最初は嫌悪感があった。それは事実だ。
慣れれば平気かと言われれば――実のところは怖いと思っている。
ダンジョンにはまだ多くの殺意のこもったモンスターが居て、それらの中から対話が可能な者を見つける事は難しい。見つける気があるのは自分ではなくベル達になるのだろうけれど。
別の檻に顔を向ければ未だに飛べなくて仰向けで寝転がる
彼女達もまたジャガーノートの被害者だ。どういう風に命を落としたのか今でも思い出せる。だからこそ――言葉を交わせるかつての友を敵と認めたくない。
(アリーゼ、輝夜。貴女達は天界に居るのですか? それとも……ダンジョンに舞い戻っているのでしょうか)
声に出すと後ろから平然と挨拶されそうなので黙っていた。
ライラの伝言を胸に仕舞い、女神アストレアの足跡を調べるためにオラリオの街中に向かった。
『
オラリオの共同墓地にてベル・クラネルは多くの犠牲に哀悼の意を示した。
時間が経つのは早いものだと周りを見渡す。
ダンジョンに潜っている時は様々な事があり、体感時間としては一年くらい経過していた。だが、実際は数日の出来事が多い。
平穏に過ごしている時は一日などあっという間だ。リューやアイズ、リヴェリアとの共有時間が遠い過去のように思えるほど。
それだけ少年が密な時間を過ごしていると言える。
(半年か……。まだそんなに経っていないんだな)
ダンジョンの中は季節感が無く忘れがちだがオラリオには四季があり、様々な
ベルが最初に見たのは『フィリア祭』だった。街中にモンスターが解き放たれてひと騒動が起きた。
思えば騒動の連続だった。次に始まる『女神祭』もきっと何かが起きるんだろうな、とぼんやり考えた。
賑やかなのは好ましいが住民が困る事態は受け入れがたい。
献花を終えて
空を見ても雪が降ってきたわけでもないし、曇りから雨が降ってきたわけでもない。
今日の天気は雲が多いが晴れだ。もうすぐ秋の気配が訪れる。
周りに気を取られていたベルの側を冷たい冷気の塊が通り抜ける。――気配が希薄な為に気が付かなかった。
(……寒っ。……あ、人が来てたんだ)
危なくぶつかるところだった。
その人物は藍色の外套で身を隠し、水色のロングブーツを履いていた。身体つきから女性であることが分かった。
そのまま通り過ぎようとしたが彼女の武器が脚に当たってしまった。
「す、すみません」
「……いいえ」
と、白い呼気を吐きながら彼女は軽く頭を下げた。
肘まで包まれた厚手の手袋で外套を掴む彼女は一歩進んだが、すぐ立ち止まりベルへと振り返る。
背はベルより頭一つ分高く外套の奥にある顔は真っ白だった。それくらい白い顔に見えた。完全に真っ白というわけではないが、第一印象が白すぎて戸惑った。
釣り目気味の
うっすらと見えた瞳は
「あの……」
「は、はい?」
「オラリオには【剣姫】なる冒険者が居ると聞いたのですが……。どこへ行けば会えますでしょうか?」
穏やかな表情のまま質問されたので素直に答えた。喋り方がとても丁寧で声色が綺麗だった。
見ず知らずの人に答えていいものか、言った後で気付いて、しまった、と慌てる。
どして会いたいのか尋ねると単なる
(喋る度に冷気が……。この人の『スキル』か?)
「ありがとうございます」
一礼して去る彼女がとても気になった。初対面の女性なら誰でもいいんですか、と怒るリリルカの声が脳内に再生された。
確かに否定できないのだがうっかり自分が発現した事でアイズや【ロキ・ファミリア】に迷惑が掛かってはいけないと思った。例え自分が教えなくても、だ。
後を付けるのは申し訳ないと思いつつ謎の女性の動向を監視した。
ほぼ寄り道無しで歩いている。道中に出会う人々も冷気に気が付くが誰も彼女に近づこうとしない。
目的地である【ロキ・ファミリア】の
(ど、とうしよう。いつもの調子で……)
物陰で控えていたベルは慌てた。嘘をつく結果になるとは思わなかったので。
偶然を装うか、素直に出て行って謝るか。
少しだけ順々したが素直に謝る事にした。
彼女が門番に声をかける前に大急ぎで駆け寄り、石に
無理矢理剥ぎ取られる事になった女性は小さく悲鳴を上げつつ取られまいと外套を掴む手を放さなかった。そのせいで体勢を崩され、横倒しになった。
「だ、大丈夫ですか?」
と、心配で駆け寄ってきたのは門番の冒険者だった。
引き倒された女性は外套の埃を払いながら立ち上がった。その時、彼女の頭部が露になる。
淡い空色と白が混じる綺麗な髪の毛。鋭角的な形の獣耳が頭頂部から伸びた。
髪は首元で切り揃えられ、端正な芸術品と遜色ない美しき姿が現われた。
外套の中は碧玉の
「……いきなり何をするのですか、全く」
口を尖らせつつ外套を羽織り直し、頭部も隠した。
埃を振り払った後、女性は門番に顔を向ける。
「アイズさんは……。【剣姫】の事なんですけど、ここには居ません。そのことを思い出して……」
「そうだったのですか?」
とりあえず、転ばせたことを謝ると女性は寛大だったようで許してくれた。
一応、落とし物が無いか確認した後、案内する事にした。
見えた獣耳の特徴から
個人差があるので確定するにはまだ材料が足りないし、種族を問うのは失礼にあたる気がした。単なる興味本意だったので。
道すがら荷物はどうしたのかと尋ねると宿屋に預けてあると答えてくれた。
言葉尻からも優しそうな雰囲気があり、転ばせたことを本当に申し訳ないと思った。
彼女は外套が外れないように胸元でしっかりと掴んでいた。ベルはそうでもないのだがとても寒がりなのか、口元から白い呼気が何度も出ていた。
根掘り葉掘り聞くのも気が引けるのだが、謝罪の意味を込めて自己紹介から始めてみた。すると見ず知らずの人に個人情報を伝えるのはちょっと、と僅かな嫌悪感を抱かれたので諦める事にした。
冒険者ですか、という質問に対しては引退しました、とだけ。
【ファミリア】の事も個人情報に当たるので、秘密と言われた。
質問責めにしているので、これ以上はさすがに相手も怒るだろうと思い、黙って歩き続けた。
口数が多い方ではないようで二人で歩いている間、とても静かになった。
気まずい空気を抱きつつ『竈火の館』に到着し、大きな門扉を開けて彼女を招待した。
元冒険者というには歩幅は大きくなく、とてもゆっくりとしていた。外から見る分には春姫のような着物ではなく、歩きやすい格好だった。
分かりやすい例えだと厚着したアイズ・ヴァレンシュタインだろうか。
重厚な鎧をまとっているわけでもなく、内部の服装だけなら
腰に
失礼を承知で彼女の格好から色々と想像してしまった。
(……寒い。……ここまで案内してくれた少年は特に裏があるわけではなさそう。ベル・クラネル。私の国元にも届いた有名人……)
歩きながらベルに気付かれない程度に緊張を解く。
見知らぬ土地に居る者は大抵、信用できない。人を見たら泥棒と思え、というのは一般常識というくらい言われ続けてきた。
既に敵地だ。女性はそれなりの覚悟を持ってここに居る。宿屋に預けている荷物は盗まれてもいいもので、取りに帰る事は想定されていない。
もし、運よく目的を達成出来たら――取りに帰らないといけない。不要なゴミを押し付けるのは気が引けるので。
ベルと共にたどり着いたのは鍛錬に使う中庭だ。そこに何人かの人物が居た。
(……あれ? 金髪の少女が【剣姫】だと……。ど、どこにも居ない?)
赤い髪。白い髪。緑色の髪。黒髪。
金髪が見当たらない。女性は振り返り、ベルに詰め寄った。
「金髪金目の【剣姫】は何処?」
「……えっと、アイズさんは白い髪の
そう言われて建物の縁側で
目の前に刺さっている剣を見つめている少女が探していた【剣姫】だという。
噂だけで探していたので当人の姿形は初めて目にする。
近くに寄ってよく見ると生え際から金髪らしき色が見えていた。
(白髪から金色が……。色が変わっただけでこんなに印象が変わるとは……)
【剣姫】が
目的の人物はまだ歳若く、それでいてレベル6の第一級冒険者だという。
このひ弱そうな見た目の少女が人類を千年に渡り苦しめてきたダンジョンの最も深い場所まで突き進んできたという。
冒険者の役目とはモンスターを今以上に地上進出させない事と『三大
「お会いできて光栄です」
女性はアイズに向かって深く頭を下げた。
初めて見る相手なのか、アイズは少し戸惑い気味に相手を見据える。少し肌寒いと思って腕をさすりながら何の用なのか尋ねた。
自己紹介をするものと思われたが、まずは要件から聞く。それがベルにとって意外に思えた。
「遠路はるばるオラリオまで……、貴女との手合わせを願いやってきました」
「……殺し合いではなく?」
「そこまで物騒な目的は持っておりません」
礼儀正しく女性は言った。
【剣姫】に戦いを挑むのは大抵が名声目的で、次に自分は強いと思い込んでいる態度が尊大な相手くらいだ。
見た目が弱そうという事で舐め切っている相手というのは少なからず存在していた。
第二級冒険者となってベルもその手合いに勝負を挑まれる事があったが全て返り討ちにしている。
「試合より殺し合いがお望みならば、それでも構いません。が、こちらは貴女を害する気はありません」
「……分かった。戦おう。……でも、その前に寒いから着替えていい?」
「構いません」
始終丁寧な対応を取る女性の言葉にアイズは一旦、館の中に入った。
一緒に湯治に来ていたリヴェリアは黙って見ていたが昔の小さなアイズの姿を思い出し、今の
敵は全て殺す、と言っていた十代未満の少女が分別を備え、無闇に戦いに没入する我儘な姫はもう居なくなったようだ、と。
このところ大人しく過ごしている事も影響しているようだ。
小さなころから見守っていたリヴェリアの目頭が熱くなってきた。人様の成長はいつ見ても感動する。だが、まだ油断はできない。
つい先日まで人に踵落としをしたり顔面を打ち付ける様な前科があったばかりだから。――後でしっかりと謝罪してきたが未だ気にしている。
戦いを休止したと言ってもまだ一か月も経っていない。武器を取ればすぐに馴染むのが【剣姫】たる彼女の特性だ。
いつもの軽装の
腕の調子は悪くない。戦う意欲もそれほど減衰していない。
問題があるとすれば湯上りの為に湯冷めしないかどうか、だ。何故か、急に寒く感じてきたので。
「……用意できた」
「ありがとうございます。では、名乗りを上げてもよろしいでしょうか?」
外套を着込んだ女性の言葉にアイズはただ頷く。
女性は言葉を出す前に外套を脱いで春姫に顔を向けて手招きした。
それから脱いだ外套を預かってくれるように、丁寧な言葉づかいで頼んできた。
(……この方、
外気に晒される獣耳。それは春姫から見て同胞の
アイズは颯爽と外套を脱ぎ去るものだと思っていたので少し残念に思っていた。
女性は丁寧に外套を折りたたんでから春姫に渡した。
最後によろしくお願いします、と最後まで丁寧な対応にベルは感心した。
(……あっ。尻尾が二本!?)
尻から覗く尻尾は確かに二本だった。途中から枝分かれしたものではなく、根元から直接生えている。――その辺りを凝視している事に気付かれ、女性がベルから尻を隠すような仕草で逃げ腰になった。
すぐに謝罪して全体を見るようにした。
彼女の尻尾は春姫と同じくフサフサの体毛に覆われていた。
色は髪の毛と一緒。碧玉の
やはり
「どことなく
と、言ったのは極東出身のヤマト・
蒼い
しかし、彼女の得物は西洋剣。ベルにも馴染みのある一般的な剣で刀身が青白い。
直立不動となり剣を正眼に構える。
「遥か北方より来たりし我が名はアイス・ヴァレンピナ。【セドナ・ファミリア】に所属しておりましたがわけあって今は引退の憂き目に遭っております。レベル4にして【ファミリア】の団長を務めさせていただきました」
「……そう」
(……アイズさん、軽っ!)
(アイス殿というのですか。アイズ殿と似ていますね)
(……【セドナ・ファミリア】というのは確か……、【ポセイドン・ファミリア】に連なるものではなかったか?)
「神々より賜りし『二つ名』は【氷姫】……。縁あって【剣姫】様のことを知り、会ってみたくなった次第でございます。……ご想像の通り、似た名前ですよね。私の『二つ名』は十年ほど前に頂いたもの。最近は何故か【剣姫】様と比べられて……」
「……ごめんなさい」
よくない事でも言われたと思い、アイズは素直に頭を下げた。
一昔であれば、だから何、と突っぱねているところだ。随分と柔らかくなったものだとリヴェリアは思った。
名前と『二つ名』が似る事はリヴェリアの記憶にも無い。
命名する時は神々が会議して決めるので故意でもない限りは偶然としか言えない。
それとアイスは明らかに成人女性だし、種族も違う。子供のアイズに
「では、この辺りで……。お相手よろしくお願いします」
「……こちらこそ。私は【剣姫】アイズ・ヴァレンシュタイン。レベル6の冒険者」
利き腕で握られた
レベル4とレベル6では実力的に差がある。それを分かって尚の手合わせであれば物騒な事は無いだろうとベルは思い、邪魔にならない位置に移動する。
まずは二人共、互いの剣を触れ合わせる。
硬質的な金属音が辺りに響く。
白い呼気を吐き、一歩進むアイスと受けるアイズ。
剣裁き自体は特筆する者は無く、熟達した剣士というより対モンスターに特化した無駄の多い剣技に見えた。
アイズの剣技とは雲泥の差。それだけがベルに理解できた事だ。
(無難な剣技。技駆け引きが甘い。……けれど、何この寒さ。彼女の『スキル』?)
(……【剣姫】にまるで通じない。……元よりそれは不可能だと分かってはいたが……、剣を合わせるたびに思い知らされる)
『敏捷』がアイズに及ばない。
『器用』がアイズに及ばない。
『力』も年下の少女に押し負けている。
レベルの事を知った時から分かってはいたが、地元にはレベル6が居ない。取れ程の高みなのか確かめる術が今までなかった。
ここまでとは想定できていなかった。
(これでは大人と子供ではないか)
立場が逆になった。それだけは理解できた。
更に数度の合わせにより、お互い距離を取る。
アイズは息を乱していないがアイスは顔の周りが霧に覆われるくらい息を乱していた。
「まだ、やれる?」
「お願いします」
「……ん。なら、本気、見せてあげる」
「ありがとうございます」
身体が温まったアイズは少しだけ瞼を閉じる。アイスも息を整える為に瞼を閉じた。
勝敗は気にしなくていい。これはただの手合わせだ。
アイスは引退してから久しく忘れていた闘争心を思い出す。
地表を我が物顔で暴れ回るモンスターとの闘いの日々。それは今も続いている。
冒険者が地下深くのダンジョンで金を稼いでいる間、地表の冒険者達は守るべきものの為に命を懸け、ある者は志半ばで倒れていく。それらをアイスはたくさん見てきた。
だからといって『
似た名を持つ存在がどんなものなのか、単に知りたかっただけだ。
女神セドナに別れを告げたものの、今となっては後悔している。自分は拙いながらも剣を握って――と思ったところで思考を放棄した。
それ以上を望んではいけない事に気付いた。自分にはもう後がない。だから、時間を大切にしなければならない。
目蓋を開けてアイズの様子を見定める。これが今生、最後の光景となろうとも。
「……行くよ」
「はい」
「【
「……【
アイズは風の付与魔法を纏い、遅れてアイスが雪、冷気の付与魔法を纏う。属性的には水だろうか。
似た魔法を展開したことに周りで見学していた者達が驚く。
冒険者歴で言えばどちらが古いのか、それは分からないがどちらとも相手の真似をしてきたわけではないことは理解した。
(レベル6の方が威力が強い)
(……うん。これは試合ではなく手合わせだ。相手の殺気もほとんど感じない)
冷気の魔法付与には正直驚いたが、世の中には自分と似た能力を持つ者がいると今日知る事が出来た。
まだまだ自分の知らない強者が埋もれている可能性について、アイズは胸の内が熱くなるのを感じた。
「……あなたの武器の銘は何?」
「『
「綺麗な剣だね」
「ありがとうございます」
一歩進んでから一気に跳躍するアイズの動きが消えた。
だが、気配は感じられた。すぐ目の前に剣を持って行く。すると軽い衝撃が手に伝わった後、後方に押されていく。
両脚に力を込めて踏ん張るものの押し返せない。自分より歳若い少女の『力』に完全に負けていた。
腕を無理に動かそうとすると剣の腹で打たれた感覚があった。
驚く間もなく一気に身体のあちこちを打ち据えられていく。それは決して強くはないがいつでも斬撃を叩き込めるぞ、という意味に取れた。
結局、アイスは反撃一つできなかった。白い風のようなものは見えていたのに動きが追い付かない。
小手先の反撃でもおそらく意味がないだろう。であれば完全に敗北だ。
剣を高く上げて――
「降参いたし……ぶっ!」
と、言いかけた【
周りが沈黙した。アイズ以外、口を半開きにしたまま。
蹴り飛ばされたアイスは何度か地面を跳ねながら転がり、止まった後はそのまま沈黙した。
「……えっ? 何かするのかと」
「………」
誰よりも早く我に返ったリヴェリアは無言でアイズの頭に拳骨を落とした。
何か言いたいが呆れて本当に言葉が出てこなかった。
成長しているのかいないのか、よく分からない娘だ、と憤慨する。
気絶したアイス・ヴァレンピナを館の一室に運び込み、女性陣だけで手当てを
ヘスティアもアイズの仕業ならどうしようもない、と肩をすくめていたが意外と容赦がないところに戦慄を覚える。
ベル達は薬や食事の用意をし、残りは湯や手拭いの用意を整える。
まずは着ている
二尾の
リリルカも異常な冷気に不安を覚えていた。
「身体を温めなければ心停止してしまいます」
「なら、ヴェルフ様の工房に運びましょう。風呂場に寝かせるのもどうかと思いますし」
「そうですね」
素早く判断を下し、急遽鍛冶工房に布団を運び込んだ。
責任者であるヴェルフは気絶した女人を寝かせる事に難色を示したが人助けとあっては無下にも出来ない。
それからアイスを運び込むと炉が熱せられているのに寒さを感じる。
普段であれば居るだけで滝のように汗を流すのだが今は寒さが
服を脱がせる都合でヴェルフにこちら側を見ないようにと指示すると機嫌が更に悪くなった。
とりあえず、厚手の手袋を装備し、命は丁寧にアイスの
まずは肘まで長い手袋から。当初から不自然なまでの厚着に違和感があった。
(……これは義手? しかも両手。……あいや、両足も、ですか)
アイスの両手両足は義肢だった。
しかも霜が張り付いていて今にも凍り付こうとしていた。
低体温の身体は部屋の炉によって辛うじて保たれている状態に命はどうすればいいのか戸惑った。
春姫たちに湯の用意をさせてもおそらく意味がないだろう、と判断し助けを呼ぶことにした。
こと急ぎの仕事は団長の得意分野だったので即座に依頼した。ヘスティアも訳が分からない状態なのに快く眷族を送り出した。
(厚着していたのは体温を逃がさないため……。であれば服を脱がしたのは悪手?)
保温効果の高い
一体いつからこんな状態だったのか。
冒険者を引退したと言っていた理由がこれかもしれない、と見守っていた団員達が眠れるアイスを気遣った。
それから【ヘスティア・ファミリア】は大忙しの様相に包まれた。
何処から連れてきたのか、
アミッド・テアサナーレが先頭に立ち、アイス・ヴァレンピナの治療に邁進した。
心配でやってきたミアハも患者の様子を調べる。
「本人が無理なら装備品を用意したらいいんじゃないの?」
「それだと一生脱げなくなるではないか。……実際、そんな生活を続けてきたのだろう」
「マイナススキルに対抗する事はとても難しい。
頭部と心臓の温度だけは下げないように気を付けて体温低下を防ぐ手立てを皆で考えた。
ベルも何かできないか両手を固く握り締めて経過を見守った。
一つの案として炎の付与魔法をどうにかできないか、というものがあった。自身に付与させる事は出来ても他社に出来るのは耐性を付ける事くらい。
魔道具を使うにしても使用者の魔力がどうしても必要だったりする。
あと、ヘイズの魔法で病気は治せない。――アミッドの魔法ならば。
「あの~」
と、話し合いが続けられているところに命が手を上げた。
「まいなすスキルというのは毒なのでしょうか?」
「個人能力の一つであって毒とは
「……アルフィアやザルドはマイナススキルに対して特効薬を使っていたな」
リヴェリアが片目を
毒ではないかもしれないが治療薬による効果は実際に効果があることが認められている。
マイナススキルは仮に解呪出来たとしてもスキルそのものを消し去るわけではない。よって再発する可能性がある。
「『スキル』を消す『スキル』……」
「そんなものがあれば彼らは苦しまずに済んだだろうし……」
リヴェリアは最愛の友であるアイナの姿を思い出す。彼女もまたその手の不遇に見舞われていた。
結局、命が言いたかった事は毒のような物であればベルの持つ『白幻』でどうにかなるのではないか、というものだった。
強力な解毒効果があるのは実証されている。だが、スキルそのものに効果があるわけではない筈だ、と。
「いっそ
と、誰かの愚痴が聞こえた。
それが一番無難かもしれないが、日常生活の全てが炉の側にならなければならない。
アイスは常にマイナススキルに身体を蝕まれている。この表現で言えば『
「さすがに全ての生活に炉が必要なわけじゃないだろう。半日くらい外に出てもいいくらいなら
「人様の進路を勝手に決めていいわけ?」
「案を出せって言ったのはそっちだろう」
そこかしこで言い争い――ついでに殴り合い――が始まるが、オラリオ的には日常風景の一部だ。
人と神が共に同じ目線で語り合う。
ベルとヘスティアは共に同じものを見て、どちらともなく苦笑した。
応急措置のお陰で心肺停止を免れたアイスは一旦【ヘファイストス・ファミリア】が預かる事となった。
薬を開発するより温度管理の方が手っ取り早いし、薪を使うよりかは武器に使う特殊な炉の方が経済的だという意見に集約される。
止めを刺したアイズはリヴェリアの折檻だけでお咎めなし。
意識を取り戻したアイスによれば自分の死期を悟り、噂に名高い【剣姫】との手合わせを冥途の土産とする為に『
勝てるとは思っていなかったが世界の広さに驚かされ、大勢の人達に迷惑をかけた分くらいは生きようと決意する。
「ここまでしてもらってまでまた死のうとは思いません。……セドナ様も好きに生きよ、と……」
「あ、あの~」
アイスが
気まずい空気にベルは身体を小さくして団長として謝罪した。
発言を止められたアイスは微笑みを崩さず、命に発現の許可を与えた。
「も、申し訳ございませぬ。……では、端的に……。アイス殿の主神様が天に送還されたら【ステイタス】はどうなるのですか? まいなすスキルとやらは消えてしまうのですか?」
思ったことを正直に告げると周りに居た冒険者達から物凄い不敬な発言だと罵られた。
これについてミアハは魂に紐づけされた『スキル』などは基本的に消えない、と説明した。
消えるのは羊皮紙に写し取る文字列だけ。それと確かに『レベル』や『アビリティ』は『初期化』される。そうなると弱体化するので間違いでもない。
「神が与えた【ステイタス】というのは本人の隠れた才能の前借だ。主神が送還されたからとて完全に消滅するものでもない」
「ありがとうございます」
「一応言っておきますが、私の為にセドナ様を送還させるというのは不敬です。【ファミリア】には他の団員達が今も所属しているのに、彼らを路頭に迷わせることになります」
「……本当に申し訳ございませぬ」
極東仕込みの『土下座』にて命は今一度深く謝罪した。
団員が一人だけだったら――悪い案でもないけれど。
命の無遠慮な発言の少し後、遠い北方の地にて女神セドナが唐突に己の危機を察知し悪寒に襲われたとか――
「凍傷で手足を失ってから自暴自棄になった事もありますが……。もうしばらく頑張ってみようと思います。……なので今一度、皆さんのお力添えをお願い致します」
集まってくれた全ての者達にアイスは深い感謝の意を表した。
根本的な解決はしていないが穏便に事が済んでヘスティアはとても喜んだ。それと同胞の回復に春姫も我がことのように――
元々寝込んだのはアイズに蹴り飛ばされたから。体温の低下を除けば動き回る事に何の問題も無い。ゆえにその日の内に身支度を整え、宿屋に預けていた荷物を回収してから【ヘファイストス・ファミリア】に向かった。
怒涛の勢いで去っていったアイスにヘスティアは案外元気じゃないか、と少しだけ憤慨した。てっきり死にかけかと思ったのに、と。
死にかけていたのは間違いではないのだが、いやに元気に動いていたので疑ってしまった。神の目をもってしても二尾の蒼い
後日、アイス・ヴァレンピナは【ヘファイストス・ファミリア】にて研修を済ませた後、【ゴブニュ・ファミリア】で本格的な仕事を始める事になった。
側に居るだけで炉の温度を下げそうなマイナススキルについて、意外とそれほど影響がない事が判明。
戦闘でもない限り近くに寄ると確かに肌寒く感じるが接近する状況がそもそも鍛冶場には無い、とのこと。
「アイス何某君はどうやら元気でいるようだよ」
「それは良かった」
「何某と付けるよりアイス君でいいのでは?」
「じゃあそう呼ぶことにするよ」
「探索系を諦める事になったけれど、いいのかな?」
冒険者そのものを諦めた為に引退を表明したが、今度は
ヴェルフ・クロッゾのように鍛冶と冒険者を両立している者も居る。
人様の事ばかり考えている余裕は【ヘスティア・ファミリア】には無く、ギルドからの新たな【
己を高める修練に励むもよし。
時は巡り、ベル・クラネルとアイズ・ヴァレンシュタインが何度目かの相対に望む。
更なる高みへリュー・リオンも再始動した。アルフィアとメーテリアとザルドは次代の英雄の誕生を心待ちにしながら若者の動向を注視する。――黒竜ニュクスは完全に忘れられていた。
「……君は危険だ。……私の目的の障害になる」
「僕はアイズさんを超えて行きます。それが下界の安寧だというのならばっ!」
実力は拮抗していた。少年の追い上げに対して少女は常に後れを取ってきた。そのツケが今になって響いている。
彼を野放しにすれば自分の死が現実になってしまう。その恐れがある限りアイズは前に進めない。
「……ベルは『黒竜』を倒す英雄になりたいの?」
「皆がそれを望むのであれば、僕は黒竜を屠ってみせます」
「……でも、黒竜は九体だよ。どれを倒す気?」
「第一目標は『
「……そう。なら『
「……その後で良ければ『
「……ほら、私より多く倒そうとしている」
「地上の人々が困っているので我儘はやめてください」
互いに研鑽を積み、人類の反抗作戦まで残り時間も少ない。
終末を告げる九大黒竜の残りは『
たった一体で数多の国を滅ぼす災厄の化身。時代の変遷で九体まで確認されているが現在は『竜の谷』に封じられている。その呪縛も時期に解かれる。
――ここまでが『
仮に九体ではなかった場合――十体目以降の存在も想定しなければならない。大手と言われる【ファミリア】は当然、最悪を想定している。
まだ見ぬ十体目の黒竜に与えられし名は『ヴォーティガン』――またの名を『
「……【祝福の禍根、生誕の呪い。半身喰らいし我が身の原罪】」
二人が
人類の危機に対して気が抜けているぞ、とこめかみに青筋を立てた。
「わぁ! ごご、ごめんなさい、アルフィアお母さん」
「……邪魔しないで。これは私とベルの問題……」
「黒竜はお前たち二人だけで倒せるような相手ではない。真っ先に倒れられても困る。……お前達は人類の希望である自覚が少々足りないようだ」
流れる様な身体さばきで二人の武器を取り上げる。
レベル的には拮抗していても戦闘経験の差で未だアルフィアに軍配が上がる。
焦りは禁物。それが例えベル達の敗北が人類の終焉を意味していても。
ダンジョン探索と並行し、過酷な特訓を続けてきたが勝ち筋が未だに見えない。目標たる黒竜の強さは神の領域に匹敵する、というのは実際に相対したザルドとアルフィアの弁だ。
「黒竜戦には多くの冒険者が参加します。……そして、多くの犠牲者が出るでしょう。心を折られたら全てが終わりです」
緑色の外套を纏う金髪の長髪を靡かせるエルフのリュー・リオンが言った。
絶望的な戦いになる事は必定。一度始まればもう後戻りは出来ない。そして、覚悟があろうが無かろうが人類の命運は次の一戦で決まってしまう。
理不尽と言うなかれ。其は人類の悲願、三大
(ダンジョンに出会いを求めて黒竜退治……。ちょっと僕はここに立つために冒険者になったんだろうか。……なんか違う気がする……)
間違っているだろうか、と尋ねたら『はい』と全員に答えられそうで怖い。
思えば
「フフーン。いい感じに温まってきたようね」
新たな人影が不敵に微笑む。
厚顔不遜がよく似合う炎のような赤い髪を靡かせ、背筋を伸ばして胸を張り、自信満々に
そんな彼女に付き従うのは――かつて【アストレア・ファミリア】を壊滅に追いやった
「生まれ変わっても団長のバカは治らなかった、と後世の歴史家にしっかり書いてもらいましょう」
「……それはそれでとても光栄ね」
「……褒めてないと思いますが、それで良いのですか? 世間に馬鹿だと認識されるのですよ」
「それこそ大歓迎だわ。私の偉業がどのような形であれ伝われば勝ちよ勝ち。かの大英雄『アルゴノゥト』だって実際は変態糞野郎だったかもしれないじゃない」
(……その変態糞野郎と同列に並べられてもいいのですか? いいのか、英雄と呼ばれるなら……)
神々の介入なしに復活を果たした
仲間の死を気にしていたリューに対しては『お前様はいくつになっても泣き虫でおすなぁ』と笑われてしまった。ただ『
「……正義は継承された。だから私は道化で構わない」
「ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか?」
「逆にどうやって出会いを求めないでダンジョンを探索するの? 大勢の冒険者が潜っているのに」
ダンジョンに居る冒険者を見てベルは憧れを強くした。それは決して間違いではない――そもそも、それこそが間違いの元、とも言えなくもないが。
「出会いを求めない冒険者は悪だくみする悪党くらいでは?」
「そうね。隠れてこそこそする害虫みたいなやつらは大体そうね」
女性陣の言葉にベルは脂汗を流しつつ言葉を無くしていた。
容赦のない解答に希望や憧れが今になって気恥ずかしいものだと感じた。
「モンスターを殺しまくって正義を語るおかしい冒険者が居るくらいだもの。へーきへーき。しっかり前を向いて歩けるだけマシよ」
赤い髪の女性がベルに顔を向ける。すると側にいたアイズが口を尖らせる。
お喋りな者達にアルフィアは眉間に皺を寄せるが口を挟まなかった。これから相対する強大な敵に対し、常に気を張るよりマシではあるが――次代の英雄たちが若者ばかりというのは彼女にとっても心が痛い。
しかし、この光景は未来の一つ――
人類の宿願に挑む事になってしまった少年少女達――いや、これこそが【静寂】の見たかった夢かもしれない。
これは