υπηρχεω【完】   作:トラロック

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02 魂の平静

 モンスターとして生まれ堕ち、上層を目指すアステル()

 咄嗟に思いついた名ではあるが自分とのかかわりが深いものよりマシだと思う事にした。

 人間(ヒューマン)であった名残は灰色の長い髪の毛くらい。先ほどの手鏡で目の色を見るのを忘れていた。

 生前であれば左右の色違い(ヘテロクロミア)。今となってはどうでもいいか、と。

 仮として分かっている事は自らの種族が竜女(ヴィーヴル)。いくつか差異はあるものの一番近いという事で納得しておく。

 生気のない青白い肌。冷たい体温が自分でも気持ち悪いと思う程度。

 そんな自分が今、裸足でゆっくりとダンジョン内を歩いている。不思議と足裏が痛い、ということはない。開放感があって(むし)ろ気分がいいくらいだ。

 

竜女(ヴィーヴル)は変身するんだったな。私も例にもれず変身するのか? 理性は失いたくないな)

 

 道中、考える事はやはり白髪(はくはつ)の少年『ベル・クラネル』という冒険者。

 深紅(ルベライト)の瞳に強い光りを宿していた。――そう思い込もうとしている自分が居る。

 雑念の原因である(メーテリア)が生んだ子とは一度しか会った事が無いのに。

 会った、というか見かけたが正しいか。

 既に髪の毛が生えており、白い髪だというのは知っている。

 赤い瞳以外は妹に似ているとも――

 

(……あれからどれくらいの月日が経っただろうか。いつまでも赤子ではあるまい)

 

 迷宮都市オラリオを襲撃した日であれば彼は既に七歳になっている筈だ。さすがに冒険者として育っているわけはない。

 だが――それから更に月日が経っていたら。

 子供の成長を楽しみにしていないわけがない。まして妹の子であれば尚更だ。その妹は既に他界し、残された子は忌々しい糞爺(ゼウス)の下。ロクな教育を受けているわけがない。

 今すぐに引き取りに向かうべき、と思ったところで冷静になる。

 悪に堕ちた自分に彼と会う資格があるのか。まして今はモンスターに変わり果てた。

 

          

 

 何にしても情報を得なければ始まらない。アステルは無様に生き返った自分を呪いつつ上を目指す。

 モンスターの襲撃が無いだけで道中は楽だった。それと――仲間だと思われていたのではなく、彼我の実力差に恐れられて近づかないだけだった。

 敵意のようなものをぶつけているが勝てないと本能で理解している。そんな雰囲気を感じた。

 一部のモンスターは――多少――賢く狡猾である。それゆえに恐れも知る。決して無謀な存在ばかりではない。

 

(珍しい光景だこと。……地上人が【ヘラ・ファミリア】を見るようなものか)

 

 当時、隆盛を誇っていた最強の【ファミリア】は良くも悪くも畏怖される存在であった。

 主神ヘラは人間的におかしい女神であったが今となっては何もかもが懐かしい。

 亡くしてから気付く思い出というのはモンスターの身の上となったアステルにとって切り捨てたくても出来ない――割り切れない。

 それが悪いとは言わない。

 都合のいい美談だけは残したいと思うのは誰しもが抱いている事だ。

 

(……どの道、私はあの子を英雄にするような教育しか出来ない。自分達で成し遂げられない偉業を次代に押し付けるのは悪だ、な……)

 

 かつて自分に立ちはだかった彼女達は正義を標榜した。それはきっと抑止力だったに違いない。

 どんな言い訳を重ねても結果が伴わなければ無意味だ。

 そんなことを考えていると一八階層『迷宮の楽園(アンダーリゾート)』に到着した。

 天井全体を覆う水晶が空間内を明るく照らす。これは地上の時間に合わせて明暗が変わる仕組みになっている。

 この階層はモンスターが生まれない安全階層(セーフティポイント)の一つだ。

 他の階層からモンスターが侵入する事があるので全く居ないわけではない。

 

(……地面の穴が塞がっているし、被害も回復している。……短期間でここまでになるわけはないな)

 

 緑豊かな世界。

 かつてそれを自分達は焼け野原にした。その光景をつい先日のように思い出す。

 ダンジョンには自動修復機能が備わっている。だが、それでも大規模な破壊をもたらした後というのは相当な時間がかかるものだ。特にこの地に根付いた『宿場街(リヴィラ)』とか。

 完膚なきまで破壊しつくされたはずなのに何事も無かったかのように元通りになっている。

 辺りの様子を眺めながら今日はここで一泊するか、と思い適当な場所を探す。

 元より急ぐ理由は無い。

 

          

 

 人気(ひとけ)の多い場所を避け、法外な料金を払えない、または払う気のない冒険者が良く利用する広場を散策する。

 一部の冒険者パーティが野営する為に利用する場所がいくつもあり、運が良ければ彼らに会える。

 地上の(しがらみ)を嫌う者。後ろ暗い者達が『宿場街(リヴィラ)』にある『ならず者達の街(ローグ・タウン)』で生活する。

 アステルは小人族(パルゥム)の少女リリルカ・アーデに殆どの資源を渡してしまったので資金源が僅かしかない。その関係で宿を取ることが出来ない。

 もし、充分な資金があっても泊まれるかどうかは未知数だ。

 

(急がないのであればもう少し一緒に居れば良かったか。……今更か)

 

 深くため息をついてから森の奥底の一角に入り込んだ。

 地上への抜け道を闇派閥(イヴィルス)との関係から知ることが出来たが利用する気は無い。――それは一つの手段として残しておく。

 適当な場所に腰を下ろしたものの今の自分には尻尾がある。仰向けで眠るには難しい。

 枕にそこら辺の石を使うと思うと気が滅入る。

 深層攻略時は雑魚寝が当たり前だった。それもまた今更なことだった。

 

「………」

 

 人目を避けて一人早めの休息をとる。覚醒してまだ少ししか経っていない事を思い出しつつ。

 モンスターの身体はまだ少し休息を求めていた。

 それから深い眠りにつく。

 感覚としてそれほど疲れていたわけではない筈なのに意識はあっという間に闇に閉ざされた。しかし、そんな状況下にあっても異変を感じればすぐに覚醒するのは長年にわたって染みついた冒険者の習慣である。

 次に目覚めた時、周りが酷く薄暗い。

 夜間か、これから夜になるか――

 ダンジョン内では長い睡眠をとるのが難しい。完全な熟睡はほぼあり得ないほどに。

 

(……遠くで騒ぎが起きたか。近くに気配はない。……なら、もう少し……)

 

 浅い覚醒を繰り返し、必要充分と思えるころには周りが明るくなっていた。

 街の喧騒を無視していたので何が起きたのかは分からないが、宿場街(リヴィラ)はいつも騒がしいところだった。

 一人で行動する事になった為か、話し相手が居ないというのは些か寂しい。白髪(はくはつ)の少年ベル・クラネル達の相手をし過ぎたせいか、とため息を零す。

 元より胡散臭い邪神と取り留めのない話しばかりしてきたことも原因か、と。

 アステルは掛布団代わりにした外套をまとい、寝ぼけ(まなこ)のまま水浴びが出来る水場に移動する。

 ここには豊富な水源があり、多くの冒険者が旅の(あか)を落としていく。――当然、覗きに注意しなければならないけれど。

 

          

 

 下着の替えも無く全裸のままで過ごせるモンスターの身体というのは便利そうで気恥ずかしい。

 誰も見ていないから平気であるが年嵩(としかさ)の冒険者には会いたくない。

 ――年嵩でなければいいのか、と言われると――

 

(……誰でもいいわけではないが……。あの者(ベル・クラネル)ならば)

 

 妹の子と重なる人物であれば平気かもしれない。それは『家族』としての気持ちだろうか、と。

 単に似ているだけで招くのは節操無しと揶揄されるところだが、どういうわけが彼ならば許してしまいそうな気持がある。

 それだけ愛情に飢えているのかもしれない。

 最愛の妹を失った反動ともいえるものが――

 冷たい水に身体を沈ませる。芯まで凍える事は無いが体感的には心地よかった。

 人間(ヒューマン)に比べて体温が低い気がしたが悪寒などは無く、問題なく水浴びが出来た。

 鱗は丈夫で抜け落ちが無く、髪の毛くらいしか洗うところが無いのではないかと思うほど。

 

(……あの糞爺(ゼウス)が育てたのならば……、覗きくらい容易いかも……)

 

 念のために気配を探っている。近くに居るのは自分以外のモンスターくらい。

 神は元々ダンジョンに潜ってはいけない決まりだが邪神はその規則を守らない。

 ゼウスもある意味では邪神同然だが、と。

 冷たい水に裸身を晒し、長い髪の毛を洗う。

 もし――誰かが――勇気ある冒険者が覗きに成功したならば世にも美しき化け物の姿を拝めたことだろう。

 

「……しまった。外套以外で身体を洗うものが無い」

 

 自然乾燥に任せるしかないか、と少しがっかりする。

 自身が習得している魔法は熱ではない。少年の魔法は水気を取るのに適さない。

 ついついベル・クラネルを引き合いに出してしまう。――余程自分は彼を気に入ってしまったのか、と疑問を抱く。

 

(……妹を思い出せるだけだ。あの子自身に何かがあるわけじゃない)

 

 雑念を振り払い水場から上がる。

 全身から滴り落ちる水が歩くたびに飛沫する。

 近くにある大樹に腰かけて水気が無くなるのでぼーっとしていると何者かが駆け出してくるのが分かった。それも複数。

 気配から大急ぎで移動しているような緊迫した空気が読み取れる。

 彼女が持つ資質に関係しているのか、そのような気配にとても敏感であった。

 

(……私の『スキル』が負荷となってこないところを見るとモンスターの身体が上手く作用しているのか? そんなことがあり得ると?)

 

 強大な『スキル』には強大なデメリットが存在する。相方であった男もその(たぐい)だ。

 高みに登る英雄は五体満足な『スキル』を得ない傾向にあると言われる。そして、それはおそらく(しん)――そして、(まこと)であろうと予測する。

 

「……そろそろ移動した方がいいか」

 

 つい口に出して喋ってしまった。

 独り身でいると何かと独り言が多くなる。それはダンジョン探索において非常にまずい。

 軽くため息をついてから無言のまま辺りの気配を探る。

 下方より多くの冒険者がやってきてケガ人の治療に当たっているらしい。切羽詰まった怒声からそう推察する。

 現在位置は『宿場街(リヴィラ)』からそう離れていない。意識を集中すれば音くらいは拾える。

 場の混乱に乗じて一七階層への入り口に向かおうとした時、聞き覚えのある声を拾った。

 もう先日になるが白髪(はくはつ)の少年ベル・クラネルのものだ。他にもリリルカといった少女の声もある。

 もう戻ってきたのか、と驚きつつ遠目から観察できる位置を探す。

 急ぐ旅でもないし、気になった男子の様子を見るだけだ。

 

(……辛うじて姿が見えるだけで声は音しか聞こえんな)

 

 モンスターの特性として聴覚が優れているかと思ったが当てが外れた。

 彼が無事なら後は知った事ではない。長居する気もない。しかし、どうしてか気になってしまう。

 妹の子と被らなければ、こうまで未練を募らせたりしない。アステルはしばらく唸り続けた。

 

          

 

 謎のモンスターアステルと別れて探索を続けていたベル達は下層域において別のモンスターと交戦した。

 魔石を喰らい強化種となったそれは仲間達を窮地に陥れた。

 様々な出会いと戦いが続いたが現況を打破する事に成功し、一八階層に戻ってきた。まずは仲間達の手当をするために。

 軽く死にかけたものの【ヘスティア・ファミリア】と『派閥連合』を組んでいる者達に欠員は無く、無事に帰ってこられて一安心した。

 

「……ケガ人こそ出ましたが死人が出なかったのは不幸中の幸い……」

 

 極東から来た少女ヤマト・(みこと)は生きている事に深く感謝した。

 元々階層の開拓と素材採集が目的の『強制任務(ミッション)』だった。異常事態(イレギュラー)は想定していない。

 ダンジョンに潜る上で絶対に安全とは言い切れないが今回は誰もが死を覚悟した。道中で出会った別の【ファミリア】の死体も確認した。

 生き残る事がどれだけ大変か、ベルは学んだ。

 

「探索一日目にしてもう死にかけるなんて……。運、というか効率が悪すぎます」

「……そうだね」

 

 愚痴を言う小人族(パルゥム)のリリルカ・アーデ。

 折角手に入れた素材のいくつかを捨てる事になったのでサポータとしては面白くなかった。勿論、仲間達が全員無事に一八階層に戻れたことは嬉しかったけれど。

 このままでは多額の罰金をギルドに払う事になってしまう。

 無事だから良かった、とはならない。そこが問題である。

 

「階層主並みのレアモンスターに襲われるとはな」

(……こんなことならあの方(アステルとかいうモンスター)を雇えれば良かった……。後の祭りですが……)

 

 弱みでもなんでも出まかせを言いまくって、と。

 未知の実力者を頼るのは後々悪い結果しか生まない。リリルカも頭では分かっている。

 生き残る確率を上げる為ならば彼女は何でも捨てられる。

 ベルに救われた恩を返すまでは簡単には死ねない、と強く決意するほどに。

 

「……で、俺達はここで休憩するとして。ケガ人も多い。装備も心許ない」

 

 鍛冶師で赤い髪の人間(ヒューマン)ヴェルフ・クロッゾが愚痴のように言った。

 彼はあまりに大変な目に遭ったので機嫌が悪い。目の前に多くの素材があるのに手に入れられなかった事も原因の一つだ。

 

「ケガ人にはここで休んでもらって、僕らは今後の事を考えよう。再度下層を目指すのは無理そうだし」

「……無難な結論に俺は安心した。で、野営か? 金も無いし」

「そうですねー。野営しかありませんね。ここ(リヴィラ)の物価はぼったくりレベルですから」

 

 ベルはまず高額だと分かっている怪我の人の治療の為に彼らを宿場街(リヴィラ)に運んだ。

 多少の借金生活は慣れっこだ、と言わんばかりに。あと、これは人命救助による出費だと自分達に言い聞かせて――

 

(このまま帰っても罰金。潜るにしても荷物が……。冒険って今更だけど大変だな……)

 

 モンスターを倒してレベルを上げ、有名になるのが英雄だと思っていた。もちろん、今はそれが短絡的な事は分かっている。

 実際には地味な仕事の積み重ね。一つずつ依頼(クエスト)をこなしていく仕事こそが冒険者のあるべき姿。

 今日は死者が出てしまったが多くの冒険者を助けることが出来た。

 

(全員を助けられなかったけれど、今の僕にはこれが限界……。だけど、本当にそうなのかって思う)

 

 大手【ファミリア】を引き合いに出すのは相応しくないけれど、彼らなら、と思わずにはいられない。

 きっとそれは傲慢な考えだ。ベルは力の及ばない自身の無力さに情けなさを感じる。

 また()()()()()()()――

 

 お前(アイズ)の隣りに立つ資格なんてありはしねえ。

 

 自身が上級冒険者と釣り合わないことくらい駆け出しだった頃のベルにも分かっていた。単なる憧れしかない子供――今もだが。

 それから努力を積み重ねて今に至る。――少し、いや、かなりハイペースなのは自分でも驚いているけれど。

 半年も経たずにレベル4だ。それでもまだ意中の相手には届かない。遥か高見の存在に手が届きそうで届かない。

 

(届いたら終わりか? 相手は既にレベル(シックス)。更なる上を目指す冒険者だ。……僕は彼女と同じように追いつくだけじゃなくて追い越したい? 追い越したら……、僕の目的は……、目標は?)

「ベル様、ベル様。そちらは行き止まりですよー」

 

 思考の海に沈みそうになっていたところをリリルカの声で我に返る。すると目の前には木で出来た壁があった。

 慌てて引き返し、軽く深呼吸する。

 この街は修復速度を上げる為、簡単な素材で作られている。豊富な木材を用いて各々自由に建物を作り上げていた。そして――度々壊され、何度か壊滅している。壊滅されてもすぐに復活する。

 ここは多くの冒険者にとっての憩いの場でもある。何をおいても維持が優先されるところだ。ただし、命が一番大切なので危なくなったら住人はすぐに逃げる。

 壊れたらまた作り直せばいい。諦めの悪いところも宿場街(リヴィラ)の風土となっていた。

 

          

 

 激闘の後なので仲間達は疲労の限界に来ていた。

 ベルは野営の準備をリリルカに頼み、仲間達に今日は一日宿場街(リヴィラ)に滞在する事を通達する。

 多くの仲間を率いるのは今回が初めてなので手探りだ。未だ助言を欲する彼にアマゾネスのアイシャが補足を担当する。

 パーティの中で下層域を攻略してきた経験では彼女(アイシャ)が一番多い。同郷だった狐人(ルナール)の少女サンジョウノ・春姫は後をついていくだけで精いっぱいで詳しい事は説明できなかった。

 

「非戦闘員はさっさと寝な。坊やも本当は休んでほしいところだけど……」

「ちゃんと休みます。……色々あったので」

 

 そうかい、と言いつつアイシャは寝床の制作に入った。――といってもロクな資材が無いのでそこら辺の植物をかき集めるのが精々だった。

 水場を確保し、トイレ用の場所を作る。

 食料に関してはこの階層に生えている木の実などを集めるしかない。

 

「あのアステルとかいうモンスターはもう次の階層に行ったと思われますか?」

 

 と、リリルカは現場を確認しながらベルに尋ねた。

 出会ってまだ間もないし、案外近くに居るかもしれない。だが、居たとしても会う理由がない。

 こちらが困っているので助けてくれ、というわけにもいかない。

 

「どうだろう? もし、ここにまだ居たらどうするの?」

「もちろん、交渉して助けてもらいましょう。こちらは地上進出の為の便宜です」

「……商魂たくましいな、リリスケは」

 

 ヴェルフは呆れながら感心した。

 相手がモンスターでもしっかりと交渉する。それは生き残る為なら何でもする事と同義であり、ダンジョン探索において中々できる事ではない。

 もし、異端児(ゼノス)という存在が居なければ決してできない。

 

「ならば自分のスキルで探索してみますか? 既知の相手(モンスター)ならば……」

 

 (みこと)のスキル『八咫黒烏(ヤタノクロガラス)』は遭遇経験のあるモンスターを探知し、不意打ちなどを回避するのに重宝する。

 物は試しとリリルカは使用を許可した。

 人差し指と中指を立ててスキルを使用する。すると少し離れたところに反応があった。

 索敵範囲はそれほど広いわけではなく、レアモンスターなどを探索する場合、重宝する。

 このスキルのデメリットは遭遇経験があるモンスターを全て探知してしまう。数が多い階層では特定が難しくなる。尚且つ識別能力が無い。

 命の感覚では脳内に浮かべた黒一色の階層上に赤い点として知覚するらしい。

 

「……森の方に一つだけのものが……。多分ですが、野営の観点からそこで間違いないかと。……他は複数の点が固まって動いているので」

「……まだ居たんだ」

「我々がそれだけ戻ってくるのが早かったとも言えます。実質、半日しか経ってませんから」

 

 資源回収で見せた動きから考えれば半日もあれば地上に近いところまで行っていてもおかしくない。

 リリルカ達の印象からもそれほど急いでいるようでもなかった。

 

「どうします? 助力を願いますか?」

「……モンスターの足止めをする、という観点であればその選択もありでしょう。しかし、ケガ人が居る中で何をお願いできますか? また資源を採ってこい、というのは強引すぎます」

 

 仮にそれを言いつけたら確実に機嫌を損ねる。

 何様だ、と自分達なら言う自信がある程に。

 もし、ベルのようにお人好しであれば可能性がある。――問題があるとすれば相手の情報をリリルカ達が持っていないということ。

 迂闊な交渉を持ちかけて酷い目に遭うのは勘弁願いたいところだった。

 

          

 

 【ヘスティア・ファミリア】が議論を交わしている間、他派閥の【ファミリア】から来た冒険者達も黙って彼らの様子を見ていたわけではなかった。

 【タケミカヅチ・ファミリア】だけは団員の一人ヒタチ・千草がモンスターの攻撃で怪我を負い、その見舞いの為にこの場には居ない。

 【ヘルメス・ファミリア】から出向したアイシャ・ベルカは宿場街(リヴィラ)に向かっていた。

 残っているのは【ミアハ・ファミリア】から来たダフネ・ラウロスとカサンドラ・イリオンの二人だけ。

 元々二人は【アポロン・ファミリア】の団員だったがベル達との戦いに負けて【ファミリア】が解散する事態になってしまい、今の【ファミリア】に改宗(コンバージョン)することになった。その事について特に恨みは無く、ベル達と共に探索する事に思うところはない。

 

「このまま帰るのは負けた気がする」

 

 異常事態(イレギュラー)との遭遇は仕方がないとしても集めた素材を放置するのはやはりもったいなかった。

 激戦を理由にしてもギルドはおそらく取り合わない。彼らは粛々と任務不履行を言い渡してくる。

 拾いに戻るにしても疲労が溜まっている。

 今回の探索は初の下層域攻略だ。まだ充分な経験を積んでいない。

 

「荷物も殆ど撒き散らしちゃったし。ここで買うにしても……。お金、殆ど無い……」

「そうです! 今のリリ達はとっても貧乏なんです!」

 

 リリルカは知識を総動員して事態打開の策――案を練る。

 犠牲は仕方がないとしても借金の積み増しは痛い。次の活動資金の当てがなければダフネ達の助力を求めにくい。

 それぞれの【ファミリア】は懇意にしている相手だがいつまでも甘えていられるわけではない。

 

「先ほどのドルムル様やルヴィス様にも協力していただきましょう。元はと言えば彼らに原因があります」

 

 無茶苦茶な理論を展開するリリルカ。それだけ彼女が追い詰められていると察した。

 ダメもとで頼む、という案も確かに有効かもしれない。相手の機嫌を損ねてしまうのも織り込まなければ冒険者などこの先やっていけない。

 

          

 

 まず斥候役の命にアステルの招聘を頼む。いい顔はされないと思うけれど、と言いおいて。

 可能であれば全員で拝み倒す。恥も外聞もかなぐり捨てて。

 最終兵器としてベルを投入する。

 今までの経験から彼の無自覚な『女殺し』の威力を十全に発揮させる為に様々なセリフを考案する。

 異端児(ゼノス)すらも魅了する少年の懇願だ。おそらくアステルにも通じるはずだとリリルカは淡い期待を抱いた。

 

「……僕、殺されちゃう気がする」

 

 セリフの内容を確認した彼はこの世の絶望を感じた。

 ほんのわずかな邂逅であったがアステルは感覚的にも怒らせてはいけないと思わせる部類の相手だ。

 もし、この文言を使えば生きてダンジョンから出られない自信があるほど。

 

「仕方ありません。背に腹は代えられません。……それに言うだけです。悩殺しろとは書いてませんよ」

「……ウチの頭脳担当は容赦ねーな」

 

 何の成果もあげられずおめおめと引き下がる事になるのは不本意だが、とヴェルフは唸りつつも納得せざるを得ない事を認める。

 折角手に入れた貴重な鉱石類の殆どを置いてきてしまったし、後から来る冒険者に持ち逃げされるのも面白くない。

 かといって今から取りに行くだけの余裕が自分達には無い。

 回復薬(ポーション)や携帯食も無し、無補給で中層と下層の踏破は自殺行為と言える。

 

(……十中八九アステル様は不満を示すでしょう。舌先三寸で言いくるめられるほど甘い相手ではない、というのはリリにも分かります。……ですが、異端児(ゼノス)関連で弱みに付け込むくらいは……)

 

 と、リリルカが脂汗、または冷や汗を流しながら覚悟を決めていると命ともに外套をまとった存在がやってくるのが見えた。

 自分達のところに来てください、とでも言ったのか。そんな簡単な言葉で来るとはリリルカも思っていなかったので驚いた。

 

 いやにあっさりと来たことに。

 

 頼んだのはリリルカだが、もう少し時間がかかると思っていた。

 宿場街(リヴィラ)の住民に見つからずに事を進めたいので現場には約束を守れる人材しか集めていない。

 ここの大頭(おおがしら)ボールスという人間(ヒューマン)は金の為ならあっさりと手の平を返す守銭奴。すぐに騒ぎを大きくしてしまう厄介な存在だ。

 度重なる心労も相まってリリルカの精神状態は(すこぶ)る悪い。その上で更なる苦難を乗り越えなければならない。

 

          

 

 激闘を繰り広げた筈のベルよりも顔色が悪くなってきたリリルカに仲間達が気圧(けお)されている頃、異端のモンスターアステルが涼しい顔で訪れた。

 灰色の長い髪が特徴的な不動なる存在感を振りまく。

 褐色肌が特徴的なアマゾネスとは対極の青白い肌。それはどう見ても顔色の悪い人間(ヒューマン)とは言えないレベルの青さだった。

 外套で隠れているがはっきりとした鱗が全身に張り付いている。

 

(目蓋を閉じたまま歩いていませんか、この方?)

 

 あまり観察していなかったが不思議な印象を受けた。

 泰然した振る舞いとでもいうのか、モンスターとは思えない圧倒的な存在感がある。

 思わずリリルカは唾を飲み込む。――いや、彼女だけではなかった。

 

「……随分と人数が増えたな? やはり階層主の討伐ではないのか?」

 

 と、アステルは眉根を寄せながら言った。

 話しが違うと思われたようで交渉役のリリルカは焦る。すぐに弁明を繰り出そうとするも上手く言葉が出せない。

 どういうわけか、口から一つでも出まかせを言おうものな即座に殺される、気がした。

 

「……それに似たことがあっただけだ。それとこいつらは途中で拾ったケガ人たちだ」

 

 ヴェルフが端的に述べるとアステルはそうか、と静かに言った。

 仲間の補足に思わず、助かったとリリルカは胸の内で叫ぶ。

 確かに『派閥連合』にやむを得ない事情で加わることになり、人数が大幅に増えた。――しかし、多くは戦線離脱組だ。このまま再突入するのは無謀でしかない。

 口裏合わせの為に連れて来られた他の【ファミリア】の代表であるドワーフのドルムルとエルフのルヴィスは見知らぬ存在(アステル)を見て訝しむ。――どう見ても人間(ヒューマン)亜人(デミ・ヒューマン)(たぐい)ではない。

 おそらく【ヘスティア・ファミリア】の秘密の一つなのだろう、とため息をつきつつ納得する。

 

「……他言無用ばかりでもう約束するのも面倒になってきたぞ」

「騒ぎにならなければいい。俺達だって困っている」

「……それで。私の弱みに付け込み、何らかの交渉を持ちたいと……、思っていいのだな?」

 

 玲瓏たる声色で告げるアステル。それだけでリリルカはおろか周りに居る全ての冒険者の全身に悪寒が走った。

 彼女にとっては少しだけ殺気を込めたつもりが思いのほか強く出てしまったらしい。

 レベル3以上が雁首を揃えている環境なのにたった一人に畏怖している。

 

「え、ええ、まあ、早い話しがそういうことになりますねー。……アステル様には不本意なことかもしれませんが……」

 

 偽名らしいので遠慮なく言うリリルカ。少しだけ自棄(やけ)になってしまった。

 身体の震えを誤魔化す為に揉み手をしている。これは決して媚び(へつら)っているわけではない。そうしないと小便をチビリそうだからだ。

 アステルは決して甘い存在ではない。素材採集の時の動きを見ていなければもう少しなめた口調で喋っていたかもしれない。

 

(ベベ、ベル様、ベル様。これ以上はリリの口がうまく回る気がいたしません。お願いします)

 

 と、思いつつベルの背後に移動し、彼を前の方に押し出す。

 【ヘスティア・ファミリア】で特に何の役にも立てていない狐人(ルナール)の春姫はただただ余計なことを言うな、という指示を守り続けていた。

 戦いになったとしても真っ先に潰されるのがオチだ、と強く言われているので。後、何も喋るな、とも。

 

(も、もう僕の出番!? リリも皆も何故か身体を震わせている……)

「……その少年に何を言わせる気だ?」

 

 冷徹な一言がベルの背後に居るリリルカに突き刺さる。だが、それに応えられるほどの余裕がない彼女は無言を貫く。

 周りに居るほとんどが限界である、という雰囲気なのでベルは軽く呼吸を整えて覚悟を決める。

 

「アステルさんの実力を見込んでお願いがあります」

(……そういえば、この少年もそうだが……)

「下層域に置いてきてしまった僕達の荷物やドルムルさんたちの仲間の遺体の回収をお願いできませんでしょうか?」

 

 ぶしつけなお願いだと自覚しながらベルは真っ直ぐに相手の顔を見据えながら言った。

 他の仲間達ならば底冷えのする彼女の迫力に負けてしまうところを彼は平然と対応した。

 丁度この時、アステルが思索していた為に殺気を免れていただけかもしれない。

 運がいいのは冒険者にとって時には有効に働く。

 

「……回収任務を私にやれとは随分と偉そうじゃないか。己の無力を棚に上げてどの口が言う」

「……だ、ダメもとに決まってます!」

 

 ベルの後ろに隠れながらリリルカが言った。

 一方的な歎願は傲慢である。弱みに付け込む気満々でのものだから怒るのは当たり前だ。

 それでも万が一ということがある。それに礼をしないとは言っていない。

 

(姑息な小人族(パルゥム)の仕業なのだな。……ほぼ奴しか喋っていない。高みの見物をするような強者の気配も無い)

 

 通常であれば突っぱねるところだ。しかし、彼らは皆ズタボロだ。相当な死闘を潜り抜けてきたのは気配で分かる。

 多くの犠牲と荷物を引き換えに戻ってきたばかり、というところか、と。そして、そこに平然と下層に降りられるだけの化け物が居るわけだ。

 仲間達を集めたのはアステルを討伐する為ではなく、地上進出時に騒ぎにならないようにするため――

 見逃す代わりに協力しろ、というのが本命だと分析する。

 

(断ったところで困る事は無い。(むし)ろ……協力して困るのはお前達ではないのか? 何を企む、次代の冒険者)

「もし、協力してくれたら……。ベル様を膝枕していい権利が与えられます」

 

 この言葉にドルムル達が噴き出し、春姫が喘ぐ。

 他の冒険者たちも何を言っているんだ、と抗議の声が上がった。

 そして――アステルは今の言葉に眉根を強く寄せる。見ようによれば不機嫌な態度になったような。

 

「どうですかー。今を時めく【白兎の脚(ラビット・フット)】を独り占めできるんですよー。ベル様はこれでもかなりモテますから」

 

 この言葉に今まで冷徹で氷雪の権化のようなアステルの雰囲気が更に悪くなったように感じた。いや、実際に表情が険悪になっている。そうとしか見えない。

 だが、そうではない者が一人だけ居た。

 リリルカは相手の反応を見て確信した。

 

 よし、釣れた。

 

 心が揺れれば勝ちも同然。強かな彼女は小さく拳に力を籠める。

 実際、アステルの心は揺れていた。

 

(……いくら多少なりとも面影を感じるとしても……。いや、だがしかし……。今の私にそんな資格は……)

 

 内面との葛藤が強すぎて表面を取り繕うことが難しくなっていた。

 リリルカは畳みかけるような手段には出なかった。出したい気持ちがあったが相手の様子から勢い余って殺されそうな気配を感じたので。

 機会を誤っては水の泡である。

 

「……ああ、なんと姑息な小人族(パルゥム)だろうか。……この私を相手によくぞ言いのけたな」

 

 男連中の耳には相手が激怒しているとしか思えない声色に聞こえた。

 何度か唸り声も漏れている。それだけで何故か、肌寒さを感じる。ここは温暖な階層なのに、と。

 

(……さあ、ベル様。出番です)

「……う、うん。……もし、お願いを聞いてくれたらお姉さんの好きにしてくれていいですよ」

 

 というのを彼が考えられる限りの甘ったるい声色で言った。

 リリルカの指導の下とはいえ、人前で披露するのは物凄く恥ずかしく、声が何度か上擦った。それがかえって見た目以上の幼さを演出する結果となり、一部の冒険者達の頬が赤く上気する。

 ベルはこのまま逃げ出したかった。だが、ドルムル達の仲間の遺体回収ともなれば一人では無理だ。自分も出来る限りのことをするつもりだ、と言った手前(てまえ)(あと)に引けない。

 

(……お姉さん。……何と甘美な響きか……。じゃなくて、いや、その言葉をあの子から直接聞きたかった。……全く、どうして私は彼らの話しを聞こうだなどと……)

 

 そもそもで言えばベル達の前に何故来てしまったのか。それはアステル自身にも分からない。

 白い髪の少年の事をずっと気にしていたからかもしれないし、何らかの未練が引き合わせた事象ともいえる。

 

          

 

 異形のアステルが一時(いっとき)の憤怒に彩られた為、リリルカはベルに次の言葉を出さないように指示する。

 機会を誤っては余計な被害が拡大する。その見極めを下層域のモンスターを相手取る気持ちで(おこな)った。

 気持ちが揺らいでいるのは確認できた。もう一押しと言いたいところだが功を焦ってはいけない、と自分に言い聞かせる。

 

「アタ……、んー」

(いかん。気持ち的に混乱してきた)

 

 アステルは出掛かった言葉を飲み込む。

 ここまで自分の気持ちが揺らぐのは早々経験がない。――そう、あれは深層域で遭遇した『黒竜(ヴリトラ)』や『黒竜(アジ・ダハーカ)』や『黒竜(テュポーン)』を前にした時の様な――

 だが、これらはまだマシな部類だ。真の恐怖は意外と身近に居るものだ。

 

「しょ、少年」

「はい!」

 

 少し興奮気味のアステルに言われて驚いたベルは声を上擦らせながら返事した。

 思わず直立不動になる程、今のアステルは怒りに満ちている。

 ここでリリルカは彼女が余計なことを言う前に畳みかける瞬間だと察知し、自分の言葉をねじ込む。

 

「お好きにと言いたいところですが差し上げることは出来ません。貸与期間は……一日、これが我々の出せる限界だと思ってください」

(一日!? 一日いっぱい膝枕……。さすがにそこまで寝ていられないよ。相手も正座の体勢が辛いと思うし)

(……一日いっぱい少年を……。いやいや、とても魅力的な提案だが……。ち、違う。そうではない! 別に少年の事などどうでもよい)

 

 アステルにとって大切なのは妹の子だけだ。雰囲気だけ似ていると感じる少年ではない。

 というより何なのだ、この交渉は、と憤る。

 リリルカは背後に控えているドルムル達にもお願いするように合図を送る。次は数で攻める。

 

「命からがら戻ってきたばかりで我々も体力の限界だ」

「モンスター共に食い荒らされる前に取り戻したい。仕事に見合うだけの報酬は払えそうにないが地上での便宜には協力する」

 

 本当は駄目だが背に腹は代えられない。そして、彼女に暴れないように言いつける事も忘れてはいけない。

 最終的にベルを一日好きにしていい、とこっそりと提言しておく。

 少年の犠牲で皆が幸せになる。――多少理不尽な仕打ちだが人助けだと思って協力してあげてほしいとリリルカは事前に少年を拝み倒していた。

 もちろん、相手への要求に対し無理な部分はしっかりと伝える、と。

 

(ただ要求だけするのは都合がよすぎます。リリ達はアステル様が何を望んでいるのか……、実のところまだ知りません。それも含めて無茶な事をしているのですが……)

 

 いくらベルの事で決心が揺らいでいるように見せかけてもリリルカは騙されない。

 賢いモンスターの真の恐ろしさは絶対に動かない意思と決意が存在する。エルフの言葉で言う『大木の心』に匹敵するものがある。

 単なる口先三寸でどうにかなるようなチョロい相手だと侮ると痛い目を見るのはどちらなのか。

 

          

 

 実際問題としてアステルは本当に混乱した。それは間違いのない事実だ。

 少年を出汁(だし)にして無茶苦茶な――一方的な要求を突き付けてきた。報酬とは名ばかりではないか、と憤慨するも彼らは本当に出せるもの(報酬)がないのかもしれない。

 事後で申し訳ない、という気配を犇々(ひしひし)と感じる。

 

(……全く、何も知らない(やから)というのは……。いや、だからこそ、それだけのことが出来るのか)

 

 迷宮都市オラリオの冒険者は本当に――軟弱者だ。

 ――ああ、こいつらの為に私は犠牲になったのか、と思うと(はらわた)が煮えくり返る。しかし、それは生前であればのこと。

 まだ育ち切っていない彼らが中層以降に赴いて酷い目に遭っている。それでも彼らの目はまだ諦めていない。

 そう。疲労によってやつれているように見えるが諦めている気配が感じられない。

 

(特にドワーフとエルフがやる気に満ち溢れている。……大怪我をしているというのに。下層域で階層主とでも戦ったにしては……。いや待て。この少年も降りて行った筈だ。であれば、どうして今も笑っていられる? 勝利の笑いか? そんな余裕がある程甘くない筈……)

「……随分と余裕があるじゃないか。それなのに私に頼るのか?」

「下層域での戦闘が難しい、というだけです。レベル的にも【ステイタス】的にもいっぱいいっぱいなんです」

 

 リリルカの言葉に確かに、とアステルは小さく呟く。

 ざっと見た感じだが、適正レベルに見合った冒険者しか居ないようだ、と。

 このまま降りても疲労だけが溜まり素材だの仲間の遺体回収だのに使える体力はおそらく無い。

 ここでリリルカはベルの脇を肘で突く。攻め時だ、という合図だ。

 

「お姉さん!」

「!?」

 

 ベルの言葉にアステルが思わず仰け反る。

 リリルカはそれを見逃さない。畳み掛けろ、とベルに指示する。そして、はた目で見ている仲間達は容赦が無いな、と呆れ果てた。

 

「一人で行けとは言いません。ぼ、僕も手伝います。体力はまだ残っていますし、回収くらいなら……」

(……なんだ? 何故、少年の言葉が突き刺さる? いくら歳若い人間(ヒューマン)だとしてもここまでの破壊力があるものか。これも策の一つか、小人族(パルゥム)め)

 

 アステルの怒り顔がリリルカを射抜こうとしたが彼女は危険を察知してベルの背中に隠れた。

 その時、明らかに不機嫌な唸り声が上がった。すると周りに居た冒険者達が須らく小さな悲鳴を上げる。

 早々感じたことのない底冷えのする覇気、または殺気とでもいうのか。

 強化種や階層主よりも恐ろしいと感じてしまった。

 自分達はいったい何と対峙しているのか、と疑問を抱かずにはいられない。

 端正な顔の美人が怒ると深層域のモンスターよりも恐ろしいのではないかと思わせる。――今正(いままさ)に目の前にそのモンスターが居るわけだが。

 

          

 

 リリルカは息を呑む。舌戦で済んでいる幸運に感謝した。

 もし、暴力的な相手ならつかみかかられてもおかしくない。だが、アステルは怒りこそすれその場から動かない。その豪胆ともいうべき姿勢は末恐ろしいものを感じさせる。

 その気になれば現場に居る全ての冒険者を蹴散らすことが出来る。それだけの実力を隠しているようにリリルカには思えてならない。

 

(多少の煽りは想定内です。それでもまだ彼女は行動に出ていない。そこがまた恐ろしいところです)

 

 少なくともアステルは少年ベル・クラネルを気にしている。

 理由は分からないが彼の持つ魅力でも感じたのか。

 これまでも彼を取り巻く環境に女性問題は枚挙に(いとま)がないのは事実だ。

 人間(ヒューマン)亜人(デミ・ヒューマン)、神さえも魅了する。そして、異端児(ゼノス)さえも。

 

「………」

 

 アステルはベルを見据えながら目蓋を開く。

 生前と同じく左右色違いの瞳をベルに見せる。

 周りの者からは閉じているように見える顔だが彼女の方では特に問題なく周りが見えていた。あえて相手に分かるように示した形だ。

 ベルは彼女の瞳を見て言い知れない恐怖、または畏怖のようなものを感じた。

 全身に悪寒が走るようなものではなく、けれども逆らってはいけないような無言の重圧を受けた。

 

(冷たくて怖い……、けれどとても温かくて懐かしいような……。……僕はこの目を持つ人を知っている?)

(何の因果か……。見知らぬ若者と対峙するとは……。それになんだ、この三文芝居は)

 

 先ほどまで登っていた怒りを鎮める。別に本気で怒り狂っていたわけではない。単に条件に驚いただけだ、と自分に言い聞かせるアステル。

 目蓋を閉じて軽く息をつく。その行為にまずリリルカが驚いた。

 ほんの数分。いや、一分弱の間。それほどの短時間で相手が冷静になってしまった。このまま畳み掛けるつもりだったのに回復が早すぎます、と胸の内で叫ぶ。

 

「こちらの要求を聞きもせず一方的に……。それもお前の仕業か、小人族(パルゥム)

心外ですぅ! 得体の知れない相手との交渉ですよ。まず言葉が通じるか確認する必要があるじゃないですか」

 

 とりあえず言ってみる、を実践しただけです、と正論をぶつける。

 分かってて言っている事はアステルにも理解できる。それでも少し納得がいかない。おそらく強引な論法でやり込めようとしたのだ、と。

 

「ぼ、僕は話しをちゃんと聞きます。どうぞ、おっしゃってください」

「……なるほど」

(……なんかバレた? それほど深い策略があるわけではないのですが……)

(交渉か……。どちらにせよ、対等の立場で対話するのが目的だったか。そして、まんまと誘き出された私は選択を迫られている)

 

 最初の時点で無視すればいいものを――

 今となっては後の祭りだ。

 

「ならばこちらの要求を呑んでもらおうか? それが出来るかどうか」

 

 少し威圧気味に言ってきたのでリリルカは全身を激しく震わせる。

 自分達の要求は多過ぎる。それを自覚したうえで相手の無理難題を精査する。しかし、それを見抜かれてしまうと二の句が継げなくなる。

 対等の交渉は相手の力量にも左右される。単なる勇気だけでは限界があった。

 

「……まず、他のやつらに言っておく。必要な事柄を紙に書け。私の気が変わらぬうちにな」

「え……? あ、ああ……」

「仕事が終わったら地上を案内しろ。……一日好きに使わせてもらえるんだろ? こちらの要求は少年を一日案内人として使わせてもらう。……出来れば邪魔者は排除したいがな……」

(げっ!)

 

 自分で演技指導した分際だがリリルカとしては一番聞きたくない要求だった。

 本来ならばダンジョンを供に移動するだけである程度の時間を消費させる予定だったのだから。当てが外れてしまった。

 しかし、地上の案内は更に困る。ヴェルフ以下も困惑顔になっていた。

 異端児(ゼノス)モドキを悠長に地上に連れて行って、あまつえ案内などさせればギルドがまず黙っていない。次いで色々な【ファミリア】に襲われる。

 ウィーネの例のように秘密裏に連れて行って暴れられることは無いとしても混乱はきっと起きる。

 それとギルドと異端児(ゼノス)の交渉などはまだ先になる予定だった。

 

          

 

 アステルの要求に対し、多くの冒険者は苦悶の喘ぎを漏らす。

 満身創痍の一団が襲い掛かっても勝てるかどうかわからない相手だ。余計な犠牲が無いに越したことはない、としても。

 会話に参加していない者達もどうすればいいのか思案に暮れていた。そんな中――

 

「僕でよければ」

「こらー! 安易に条件を呑まないでくださいー」

 

 思わず怒鳴り散らす小柄なリリルカ。

 ベルは既に内容を精査した上で決めていた。

 アステルが望むなら叶えてやりたい、と。問題は服装だ。外套一枚しか身に着けていないので。

 

「煩いぞ、小人族(パルゥム)。どの道、私が地上へ行けば騒ぎになる。それくらい分からないとでも思ったか」

「我々の【ファミリア】に多大な迷惑がかかるんですぅ。()()異端児(ゼノス)に関して色々と怒られたり罰金とか払いたくないんですぅ」

(……もうギルドから色々と言われていたのか。それは悪いことをしたな。だが、交渉を持ってきたのは貴様だぞ、小人族(パルゥム)

「リリ、落ち着いて」

「……だが、譲歩はせん。その意味くらい分からないお前ではあるまい?」

 

 そうアステルに言われて唸り声をあげるリリルカ。

 確かに彼女の言う通りだった。協力という不可能に近い条件を相手は呑んだ。それを成功させるためにはベルの協力が必要である。

 これ以上は危険水域だと理解した。

 それに――彼女は約束した。

 

 可能な限り戦闘を(おこな)わない。

 

 だから、既に相手に引き出せる譲歩は存在しない。

 それが真実かは分からないが信じるしかない。今は少しでも協力者が欲しい。

 交渉において負けたか、といえばそうでもない。ちゃんとこちらの要求を呑ませることに成功している。それだけでも収獲ではないか。

 今以上の欲をかくのは本当に――

 ベルの後ろに隠れていたリリルカは一歩前に出る。そして、手を出す。

 

「……握手など必要ない。私はモンスターだ」

「そういうわけには……。こちらとしても対等の立場として相対したのです」

 

 リリルカの行動にアステルは勇気ある者と見るか、それとも無謀と揶揄するか。

 しばし出された小さな手を目蓋を閉じた顔で見つめる。

 だが、やはり握手を拒んだ。――これは力加減が分からない為に握り潰してしまう事を恐れたためだ。それに――握手に慣れていないのも理由の一つである。

 堅い握手は反故になったが交渉は成立した。正式な書類こそ無いがアステルに約束を反故にする気は無い。――握手だけは仕方がなかった、という認識である。

 それから準備を終えた後、アステルと体力に余裕のあるベルの二人が改めて下層に挑む。

 そっとアステルはベルに命令した。

 お前は荷物持ち(サポーター)だ、と。その指示に(ベル)は苦笑しながら頷いた。

 

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