υπηρχεω【完】   作:トラロック

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03 福音

 異形のモンスターアステルは自分でも分からない内に【ヘスティア・ファミリア】の要望に応えて下層域を目指そうとしている。本来は地上に向かう筈だったのに。

 お供は頼りない見た目だが――かの【ファミリア】の団長ベル・クラネル。

 あまり髪型に気を遣っていないボサボサの白髪(はくはつ)。意志の強さを感じさせる深紅(ルベライト)の瞳。

 色白の肌の人間(ヒューマン)ではあるが数々の戦いを経てレベル4に至った実力者である。

 青白い肌に尻尾のある謎のモンスターと自分でも思うアステルはダンジョンから採れる資源などを入れる為の大きな袋を携えた。

 

(急ぐ旅でも無し)

 

 側に少年が居るから浮かれている、というわけはなく――

 ベルが自分の記憶にある子供の印象を持っている、というだけだ。おそらく赤の他人。

 そもそも目覚めてからどれくらいの時間が経っているのか実のところ不明。

 死して間もなければベル程の年齢ではありえない。

 

「衣服も頼んでおくべきだったか……」

 

 外套以外は素っ裸。鱗こそ張り付いているが側にいる少年が気にするのではないか、と気になってしまった。

 こちらから要望を出せば小人族(パルゥム)の少女が調子に乗りそうだったので我慢する事にしたのだったな、と自嘲気味に苦笑する。

 一つ呼吸を整えてから中層域に向かう。

 依頼を受けたがアステルに急ぐ理由は無く、ベル達の都合でしかない。それと下層に向かう冒険者の姿も見かけていないので焦る必要は無いと判断した。

 

(……まずは……死体からだ)

 

 放置された死体は二五階層辺りに集めてあるという。

 通常であれば一階ずつ降りるところだがアステルの考えでは一気に目的階層まで落下した方が早い、というものだった。

 ベルからすれば都合七階層を一気に落下する事は無謀でしかない。ほぼ飛び降り自殺だ。だが、上級冒険者ともなると――下層域まで――五階一〇階層分の踏破など朝飯前となる。

 レベル5以上になると足腰の異常な丈夫さに驚くこと請け合いだ。そして、レベル4になったベルも【ステイタス】による恩恵に驚いている最中だ。

 

          

 

 飛び降りるぞ、と言った時のベルの怖がりようから少しずつの落下に変更する。

 中層攻略の経験が浅いから仕方なく、といった(てい)で。

 かつて【ヘラ・ファミリア】に在籍していたころは容赦なく病人でも蹴落とされたものだ。

 人使いが荒いのはどの【ファミリア】も変わらなかった印象だったが最近の冒険者はどうやら甘やかされて育てられたらしい。

 

「……そんな軟弱な気持ちで冒険者になろうとしているのか? ……ったく、これだから惰弱だと言われるのだ」

「すみません」

「仲良しごっこをするために【ファミリア】があるのではない。お前の主神は何を教えているんだ……」

 

 飛び降りつつ不満を述べるアステルに対し、ほぼ謝る事しかしていないベル。

 レベル4になって少しは戦えると思い始めて来たのに、駆け出しの様な扱いに意気消沈する。

 実際問題として甘いところは認めるところ。

 深層攻略している大手【ファミリア】にはまだ遠く及ばない、と。

 

「んっ? モンスターが出たぞ。倒していけ。それと魔石をきちんと砕け。持って帰る余裕はないからな」

「はい」

 

 砕くのは他のモンスターが食べないようにするためだ。こうする事で強化種の発生を防ぐことが出来る。

 地味ではあるが危険を回避する方法としては最適である。

 怒涛の勢いで二五階層に来るまで二時間もかかっていない。それにベルは驚いたが真っ直ぐに来ようと思えば確かにそれくらいで来れるかもしれない。仲間達を連れてきていないからこそ出来た所業でもある。

 ここから『巨蒼の滝(グレート・フォール)』となる。

 横幅四〇〇(メドル)からなる巨大な大瀑布が二七階層まで降り注いでいる。

 つい数時間前までベル達はここで強化種との死闘を繰り広げていた。

 

(……もう来ちゃった)

「少年。ここから出てくるモンスターは倒せるのか? 無理なら私が蹴散らすぞ。……それと死体には触れるか?」

「……連戦はきついですけど、なんとか倒せます。死体は……すみません。扱った経験が無いので……」

 

 弱々しい意見だったがアステルはふむ、と一つ頷いて思考を巡らせる。

 布に(くる)んだものなら運べるはずだ。ここは効率的に(おこな)わないと彼の為にならない。

 死体に慣れろとはアステルも言わない。

 

「なら……周りの警戒をしていろ。無理に遠くに行くなよ」

「はい」

 

 無駄な議論をせずに指定された場所に向かい、冒険者の死体を発見していく。

 損壊が激しくともアステルは平然と触る。それは経験があるから出来ることだ。そうでなければベルと同様に吐き気と戦う事になる。これは身体がモンスターだから、という理由ではない。

 多くの死に向き合ってきた経験がなせる業だ。いずれベルも同様のことが出来る筈だ、とアステルは少しだけ哀愁を帯びながら思った。

 手際よく死体を集めて一体ずつ布に包むアステルの様子を見て、ベルは感心していた。

 よく平気だな、とは思わない。自分達は死者を(とむら)う為に来ている。綺麗汚いの話しをする為ではない。

 

          

 

 ドワーフのドルムルとエルフのルヴィスの仲間達の死体の処置を終えたのは更に三時間ほど。

 ただ、集めた死体をいっぺんに運ぶことはいくらレベル4のベルでも()()ではできない。そして、二人でもできない。三人でも。

 一人につき一つの死体を担いでモンスターと戦いながら宿場場(リヴィラ)を目指すのは無謀としか言いようがない。

 こういう時は専用の隊を結成してもらう必要がある。

 第二級冒険者を多数擁する捜索隊のような――

 ベルは遺体をどうやって運ぶのかな、と考えていると近場の水辺から大型モンスターの大水蛇(アクア・サーペント)が躍り出た。

 体長一〇(メドル)もあり、薄緑色の鱗が光りを程よく乱反射させていた。

 

「うわっ!」

「あれの(ヒレ)も採集対象だったな」

 

 襲い来る大型の大水蛇(アクア・サーペント)に対し、アステルは無防備に近づいた。そして、拳一発で壁際まで吹き飛ばした。

 見た目は女性の細腕にしか見えないが繰り出される速度、威力はベルの『力と敏捷(アビリティ)』を超える。ベルの目から見てもそう感じた。

 

(……何度か戦う姿を見ているけれど、やっぱりこの人……、強い。……あっ、武器を渡した方がいいかな? 素手の攻撃ばかりだから)

 

 水しぶきによって濡れた外套が肌に張り付いていて戦いにくそうにしている。

 濡れても平気な戦闘衣(バトル・クロス)を用意すべきだったと、後悔した。

 

「もう一匹出て来たな。少年。【経験値(エクセリア)】が稼げるかもしれないから、向こうの(とど)めを刺してこい」

「は、はい。それと僕の武器で申し訳ありませんが使ってください」

 

 神様から貰ったナイフとは別に小剣も――数本だけ――携えていた。それを一本進呈する。

 彼女はそうか、と言って素直に受け取ってくれた。

 弱っている大水蛇(アクア・サーペント)の下に行こうとした時には二匹目が吹き飛ばされて来た。

 音から察するに殴打したもの。

 

(い、一撃!? 僕でもおそらく手こずるモンスターだと思うんだけど……)

 

 自分の知る異端児(ゼノス)でもこんなに攻撃力があるのは――おそらく――一体(アステリオス)だけだと思った。

 絶対に竜女(ウィーネ)では無理だ。彼女の場合は変身しなければこんなバカげた攻撃力は出せない。

 

「……どうやら、大漁となりそうだぞ?」

 

 少し嬉しそうにアステルが言うので顔を向けると五体以上の大水蛇(アクア・サーペント)の出現が見えた。

 これが自分の仲間達との行軍であれば阿鼻叫喚は必至。それくらいの事態だ。それなのにアステルは真逆の反応であった。

 襲い来る大蛇を次々と物理的に殴り飛ばしていく。折角渡した武器が何の役にも立たない。

 

(武器が壊れる事を見越しているなら殴った方が効率的……なのかな?)

 

 あちこちに吹き飛ばされるモンスターを見て、本当はそんなに弱い相手ではない筈なのに、と疑問に思いつつ苦笑する。

 圧倒的にアステルが強すぎるせいだ。

 他のモンスターも現れたが――やはり彼女の敵ではなかった。

 

          

 

 リリルカやヴェルフでさえ手こずる硬いモンスターも彼女にかかれば物理的に割られる。この時は多少、不快感を示した。

 手が痛い、と小さく漏らしたが素手で甲羅を叩き割るから当たり前だ、と仲間なら抗議している所だ。

 

(……女の細腕でやる事ではないな)

 

 かつて所属していた【ヘラ・ファミリア】では後方支援の彼女も武器無しで戦わされた事が何度もある。

 皮膚が剥げて血が出ても。骨が見えようとも。何度も骨折しようとも。

 最強派閥だった団員達は死闘を繰り広げていった。

 自分より強い団員にかかれば泣き言を言うなと殴れるのが日常茶飯事。

 

(……モンスターよりも対人戦の方が辛かった気がする。当時の混沌とした時代は我々にとって良くも悪くも強者を生むには打って付けの土壌だったな)

 

 死にかけのモンスターを次々とベルの下に運び、一段落するまでアステルは戦い続けた。

 途中、咳き込むものの戦闘自体は問題なく(おこな)えた。

 モンスターを倒すときに舞う灰が少々厄介という程度。

 呼吸器系に問題があった生前の感覚を引きずっているようで、痛みや吐血はないものの喉に違和感があるのは如何ともし難かった。

 

(……まだこの身体に慣れていないようだ)

 

 素手から剣へと戦い方を変えて襲い来るモンスターを討伐する。

 ベルの存在のお陰でモンスターの発生が滞りないように見える。だがアステルから見ると彼らに避けられている気がした。

 深層域のモンスターに戦い慣れているせいか、時差のようなものも感じる。

 疑問を覚えつつも次々と現れるモンスターを倒し、ドロップアイテムを集めていく。

 途中、人間(ヒューマン)と大差のない身長を持つ『レイダーフィッシュ』が飛び出してきたが、それらに驚くことなく次々と撃退する。

 小一時間ほどでモンスターの襲撃が治まる頃には結構な数の収穫物がベルの周りに集まっていた。

 

「……少年はそのドロップアイテムを持て。遺体は私が運ぼう」

「はい。よろしくお願いします」

 

 ひとまとめにして持ち上げようとすると結んだ紐が軋みを上げる。おそらく途中で切れる可能性がある。

 何度か往復するしかないか、と思いつつベルを見やる。彼の方も大量の収穫物を背負おうとして重みで四苦八苦していた。

 欲をかくと帰還に支障が出る。こういう時に多くの仲間達の存在が大切になる。

 

          

 

 物陰を探し、運べない遺体やアイテムを隠しておく。無理をせず運べる分だけ。それがどんなに大変な環境だったとしても、とベルに言いながら。

 ふと【ファミリア】で活動していたころを思い出す。

 当時はもっと過酷だった。だが、それは一時(いっとき)のものだ。

 過去の栄光を失った自分に幸せは不釣り合いだ。すぐに雑念を振り払い、上層を目指す。

 

(この辺りのモンスターを仕留められるなら私が先行した方が効率的か。そもそも少人数で遺体回収などしないからな)

 

 ベルを抱えてしまうと運べる量が更に減る。ここは無理にでも一人で登ってもらわなければならない。

 聞けばモンスターの討伐自体は特に問題ない、と返答してきた。それにアステルは頷きだけで応える。

 五袋分の遺体を担いで文字通り飛び上がるアステル。

 モンスターの身体となっているが飛行能力があるわけではない。そう見えるだけだ。

 先行する彼女の動きに驚きつつもベルはモンスターの再出現に気を付けつつ駆け出す。だが、いくらレベル4とはいえ一人での移動は大変だった。元より探索を始めたばかりの彼にとってダンジョンの罠を避けていかなければならない。

 

(無駄な戦闘しないようにするにはあれくらい出来ないと駄目なのか。……いやいや、いくらなんでも無茶が過ぎると思う)

 

 でも、と思いつつ憧れの人(アイズ)ならばアステルの動きについていけそう、とも。

 気が付けばそのアステルの姿は無く、置いてきぼりになってしまった。

 のんびりと探索しないからこそ出来る技だとしてもここまでの開きがあるとは思わなかった。

 それから三〇分ほど経った頃、上から物凄い勢いで落下してくるものに気付く。

 一見すると大水蛇(アクア・サーペント)が落ちているように感じるがアステルだった。

 もう一八階層から舞い戻ってきたらしい。そしてすぐに残りの遺体を背負って飛び上がっていく。

 圧倒的な強者が見せる動きに思わず見惚れていると側の壁からモンスターが湧きだした。

 

「……レベル4だからって自惚れているわけにはいかないってことだね」

 

 黒いナイフを構えて襲ってくるモンスターを蹴散らす。

 アステルとは違い、一時間ほどかけてベルは一八階層に戻ることが出来た。しかし、荷物はまだ下層に残っている。また取りにいかなければならない。

 まずは小休止しようと思っていると仲間達がやってきて(ねぎら)ってくれた。

 

「大量ですね、ベル様」

「そう? いっぺんに運べないからまだ下に残っているんだけど……」

 

 そう言いながら収穫物をリリルカとヴェルフに預けた。

 ここからなら他の仲間達に分配しておいた方が運びやすくなる。そうしている間もアステルが死体を持ってやってきた。おそらく全員分を運び終わったところだろう。

 それらをドルムル達に引き渡す。

 

「……あ、ありがとう。本当にありがとう」

 

 彼らの礼にアステルは何の反応も示さないまま下層域に向かう。

 休んでいたベルが慌てて追いかけようとしたが彼女が断ってきた。効率的な問題で一人の方が(はかど)る。それでも来るなら勝手にしろ、と。

 ベルは気を引き締めて再突入を決意する。

 ――都合三時間ほど。おそらく夕方から夜になりかけの時間に資源の搬入が終わった。

 

          

 

 【ヘスティア・ファミリア】にとって当面の資金源が確保されたが殆どアステルの功績だ。依頼(クエスト)的には失敗に近い。

 ここから自分達だけで運べばいいのでは、とカサンドラや命が言ったが団長であるベルとしては納得できなかった。

 不測の事態があったとしても他人に頼った成果は成功とは言えない。

 

「何を言っていらっしゃるんですか、ベル様。不測の事態が無くとも初期の目的は【ファミリア】として達成しているじゃないですか。……資源の搬入が出来なかった以外は特に問題が無いと判断いたします」

「未到達ではない、という話しであれば確かに……」

「そうしてくださいリリ達の為に」

 

 正直者のベルとしては嘘をつきたくない。そんな彼の性格を仲間達は知っているが時には方便も必要だぞ、とは言っている。

 それに――ベル・クラネルは仲間や守るべきものの為なら『偽善者』になる覚悟を決めた筈だ。へんに律義なところが玉に瑕。

 そんな彼らを眺めつつ功労者たるアステルは依頼していた戦闘衣(バトル・クロス)の試着を始めていた。

 やはり全裸での戦闘は何かと気になってしまう。特にベルが側に居ると気恥ずかしさが襲い来る。――彼女とて女性としての恥じらいがあった。

 

(この太い尻尾はどうにもならんな。……珍しい亜人(デミ・ヒューマン)と言っておけばいいか)

 

 尻尾を持つ亜人(デミ・ヒューマン)が実際に存在するので特定の部位だけで恐れられることは無い筈だ、と。

 いっそ断ち切るか、と思わないでもない。それとは別に――

 自分は何をやっているのだろう、と。

 

(……目的を果たした冒険者はその後、どうなるのか。無様に生き恥を晒すか……。それとも人生を無為に使うか)

 

 何を選ぶにせよ、自分は今ここに居る。

 アステルはベル達と離れて仮眠の準備を整える。それほど重労働した、という気持ちは無いが精神的な疲労を感じていた。

 また明日――そう思いつつ横になる。今度は人目を避けずに近場の木で。

 しばらくすると毛布を持ったベルに気が付く。お節介焼きだな、と思いつつも黙っていた。

 

          

 

 周りが明るくなる頃に目を覚まし、顔を上げると近くにベルの仲間達の寝顔があった。

 どういうつもりか(いぶか)しんだが無視する。おそらく大した理由は無い、と。

 彼らを起こさないように移動し、顔を洗いに水辺へ向かう。

 死ぬ少し前まで数々の死闘を繰り広げてきた筈なのに随分と落ち着いている。それがまず気になった。

 呑気に素材採集の依頼(クエスト)が出せるほどの余裕があったのか、と今更ながら気が付く。

 

(やはり妙だ。オラリオは闇派閥(イヴィルス)の連中によって手痛い打撃を受けた。その復興は……私の知る限りではしばらくかかる筈……)

 

 それとも既に済んでいる時期なのか、と。

 どれくらいの期間が経過したのか。そして、勝者が今、どうしているのか。

 地下の奥底からアステルは思いを馳せる。

 彼女が物思いに耽っている頃、目を覚ましたベル達は朝食の準備に取り掛かっていた。

 採集した素材で宿場街(リヴィラ)から食料を調達し、それぞれ思い思いに料理を作る。

 

「珍しい鉱石を思いのほか高く買い取っていただけましたし、地上でもそれなりの報酬になるかと」

「無事に持ち帰れれば、の話しだけどね」

 

 駆け出し以外は地上に向かう事にそれほどの障害は無い。

 問題があるとすれば『強制任務(ミッション)』の成否をギルドがどう判断するか、だ。

 ドルムル達の口利きがあっても納得されない部分がどうしても出そうな気がする、とリリルカは思った。勿論、最悪、口から出まかせを言うしかないけれど。

 後はアステルの処遇くらいだ。

 そんな時、怪我をした仲間の見舞いに宿場街(リヴィラ)に残っていた【タケミカヅチ・ファミリア】の団長カシマ・桜花がやってきた。

 偉丈夫の男性でヴェルフは彼の事を大男と呼んでいる。

 

「桜花殿。桜花殿も朝食を食べにいらしたのですか?」

「いや、そういうわけでは……。今しがた宿場街(リヴィラ)で騒ぎがあってな。あそこはいつも騒ぎがあるのだが……、今度のは殺しだとか」

 

 この一八階層はベルの知る限り平和、平穏とは無縁で何かしらの騒ぎがあるのが通例のように感じるほど賑やかなところだった。

 元々世間的に後ろめたい冒険者が作った街だ。何も起きない事の方が珍しい。

 そのゆえか、街は度々壊滅の憂き目にあい、既に三三〇を超える代替わりを成し遂げていた。

 ただ、無秩序に見えるが殺人事件が頻発するほど悪いところ、というわけではない。少なくともベル達から見た宿場街(リヴィラ)の住民は良くも悪くも憎めない冒険者に見えた。

 

「喧嘩ではなく?」

「ああ。明らかな殺しだ」

 

 無法に近いがそれなりに秩序のある街だ。当然、殺人は許されていない。犯人を見つけたら【ガネーシャ・ファミリア】かギルドに引き渡される。

 地上とダンジョンの秩序をそれなりに保っているからこそ多くの冒険者達に愛されている。

 殺人と言っても大量無差別というわけではなく、特定の人物に対する私怨のようだと桜花が言った。彼とて直接見てきたわけではなく人づての噂程度の情報だ。

 

          

 

 事件の事を聞いた後、ドルムル達の側にある死体の山をベル達は何とはなしに見てしまう。これらとは関係ないよね、と誰も彼も気になった。

 何も知らない冒険者が見れば大量殺人の成果と言われても仕方がない。

 ずっと宿場街(リヴィラ)に居た桜花が首を傾げ、事情を聴いた後えらく驚いた。

 

「もう、遺体を引き上げて来たのか。……えらく早いな」

「出来れば今日中に彼らを地上に上げたいのですが……」

 

 命の言葉に桜花は難しいと告げる。

 今、宿場街(リヴィラ)では犯人探しが始まろうとしていた。いずれベル達のところに来るかもしれない。

 頭の悪い大頭(おおがしら)ボールスならば死体の山を見てすぐに犯人だと決めつけ、足止めくらい平然と(おこな)う筈だと誰もが思った。ただ、ベルは苦笑したのみ。

 

「見つからないように移動すればより怪しまれます」

「犯人の目星はついているのかい?」

「ああ。目撃者の話しでは……【疾風】の仕業らしい」

 

 彼の言葉にベルは驚いた。それ以外は首を傾げたりしている。

 目星がついているなら無関係を装って移動できるのでは、とリリルカが言うとベルは混乱したのかすぐには応えなかった。

 団長の決断が無ければ仲間としての指針が示せない。なので――しっかりしてください、とリリルカは強い語気で言った。

 

(……よりにもよって【疾風】ですか……。しかし、お人好しのベル様の事ですから……、すんなりと帰るなんて、無理ですよね……)

 

 一部は【疾風】とは誰だ、と疑問を抱いた。

 『二つ名』を戴いても浸透しなければ疑問を呈される事はよくある。ベルもまだ大半の冒険者の異名を知らない。

 【疾風】はその中でも忘れられないほど身近で――いつもお世話になっているエルフのものであった。だからこそ信じられなかった。

 

「坊やはどうしたい? あんたが決めてくれないと動けない連中が居る事を忘れていないだろうね?」

 

 アマゾネスのアイシャの言葉にベルは現実に戻る。少し動揺していたことに驚きながら。

 今すべきことは仲間の今後の方針であり、事件を解決する事ではない。頭では分かっている。だが、やはり見過ごすことが出来る気がしなかった。

 いつもお世話になっている人が苦境に立たされている。でも、絶対に無罪だとは言わない。人には言えない事の一つや二つあるものだ。

 

(僕がすべきことは……、仲間を地上に帰すこと。【ファミリア】にはそれぞれ請け負った仕事がある。私的な理由で動いては仲間が混乱してしまう)

「ここで二手に別れるかい? 『強制任務(ミッション)』の報告は事後でもいいんだし」

「【ヘスティア・ファミリア】だけ残っても構わないと思います。仕事自体は完遂してますし。……報告が少々面倒くさくなるのは否めませんが……」

(ドルムルさん達の仲間の遺体を運ぶのは僕達の仕事じゃないけれど……。あっちもこっちも優先しなければならない時、どうすればいいんだ……)

 

 気楽な一人(ソロ)探索とは違い、責任が伴う仕事だ。

 他の【ファミリア】の団長も取捨選択に迫られている事だろう。そして、今度はベルの番になっている。

 何でもかんでも成功させる事は理想論でしかない。希望的観測はより困難を招くだけ。

 ――その理想を捨てずに今まで頑張ってきた。

 

          

 

 決断を迫られるベル達の下に宿場街(リヴィラ)から出てきた冒険者が近づいてきた。

 ダンジョンの中は――モンスターを除けば――冒険者しか居ない。そして、一八階層以下の『安全階層(セーフティポイント)』に潜れるのはレベル2以降ばかり。それなりの修羅場をくぐった者が大勢を占める。

 ベル達の下に来るのはおそらく容疑者の確認のため。迂闊に避けては怪しまれる。

 

(この死体の山は問題ない筈ですが……。時間をかけてしまうと腐敗が進んでしまいます)

 

 リリルカの懸念はドルムルとルヴィスも同様だった。

 手厚く葬りたいのに余計な時間を割くことになるのだけは避けたい、と。

 【ヘスティア・ファミリア】はそれほど宿場街(リヴィラ)の利用回数が少ないので交渉事をドルムル達に依頼する。

 

「容疑者が分かっているなら我々を疑う理由は無い筈なんですが……」

 

 そうしている内に冒険者の一団がベル達の下に到着する。どれも見たことが無い冒険者達だった。

 後ろ暗い過去を持っていそうな、いかにも怪しい顔つき。(むし)ろ、彼らの方が悪人面だ。

 それぞれ簡単に挨拶を交わし、迂闊に動かないように指示が下る。だが、それをドルムル達に従わせる強制力は無い。

 仲間の遺体を運ばなければならない事を伝えても宿場街(リヴィラ)側があまり取り合わないところを見ると信用が無いのだな、とリリルカは頭脳担当として分析していく。

 ここまで狐人(ルナール)の春姫は全く喋らず大人しくしていた。

 

「俺達の用件は一つ。【疾風】の討伐隊に加われ。このままでは宿場街(リヴィラ)の秩序が崩壊しちまう」

(……元々宿場街(リヴィラ)に秩序なんかあったんですか?)

 

 突然やってきて頭ごなしに命令する男にベルは面識が無かった。

 リリルカも言葉尻からいかにも怪しいと睨んでいる。

 その他大勢は突然の事に混乱している、といった感じだった。

 ケガ人が多く実際問題として討伐隊に入れるのは数人程度。それと強制力がない事を相手に知らしめておく。当然、いい顔はしないけれど主張しておかないと後々面倒ごとに巻き込まれるに()()()()()()。そうリリルカは判断した。

 ヴェルフ達も今回唐突に聞かされた事件に自分達が参加する事に否定的だ。

 

          

 

 何とか強引な冒険者を追い払い、一息つく頃にアステルがやってきた。

 素肌の殆どを戦闘衣(バトル・クロス)で包み、顔の下半分を黒い布で覆い、外套を身にまとっていた。

 少し離れた位置から見れば異端児(ゼノス)っぽさは無いが暗殺者のように見られる恐れがある。

 顔にかけた布は(けむ)い事を理由に付けている。どうにも咳が出てしまう、というので。

 

「……先ほどから(うるさ)いが何かあったのか?」

「向こうで殺しがあったんだと。それで犯人を捕まえようぜって持ちかけられたところだ」

 

 端的にヴェルフが述べる。

 アステルは何の興味も抱かなかったのか、そうか、とだけ言った。

 早々に興味を無くした彼女はベルに地上にはいつ行くのか尋ねた。

 

「その犯人というのが僕の知り合いらしくて……。どうしたらいいのか迷ってます」

「……お前はどこまでお人好しなんだ?」

「どこまでも、ですよ。アステル様」

 

 よくぞ言ってくれた、とばかりにリリルカが補足する。

 現場に待機しているのは迷っているから、と言われるとアステルも呆れてものが言えなくなる。

 ベルは事件の内容を聞くべきか、それとも無視するか決断を迫られていた。

 無視したくても犯人が知り合い、()()()()()()。――信じたくないが目撃者が居ると言われてしまった。

 ()()()素通りはあり得ない。彼の中では早々に首を突っ込むことが確定した。そして、当然のように仲間達が巻き込まれてしまう。

 

「少年。物事には優先順位がある。全てを救う為にお前は何を犠牲に出来る?」

 

 アステルの言葉にベルは――何度も投げかけられてきたような気持が蘇る。

 気持ちが()いて周りが見えなくなることがある。そして、たくさん後悔する。

 自分の決断で犠牲になるのはリリルカ達だ。一人だけの責任で済んでいた(じかん)は過ぎ去ってしまった。

 

(いつも僕は皆を危険に晒している。……それこそが甘えなんだろう)

「……もし、可能であれば皆を幸せにしたい。だけど、全部を満たす事は出来ない」

 

 役割を分割してもいいだろうか、と呼び掛けた。元よりそれしかない。

 先の戦闘で多くの荷物を失い、アステルの協力の元でいくらかの資金源を確保できた。ここから更に無茶をするのは無謀であり、指揮を取るには(いささ)か不適格だと言わざるを得ない。

 まずアイシャと桜花は護衛役。千草とカサンドラとダフネの三人をドルムル達の世話などを頼んだ。

 ドルムル達の仲間の内何人かは軽傷なので遺体運びをお願いしておく。

 

「団長不在でギルドに報告する事ってできるの?」

「出来ますけど……。絶対に怪しまれます。特にベル様はこの頃信用を無くしておりますから」

 

 リリルカに痛い一言を言われて苦笑する若き団長ベル・クラネル。

 アドバイザーを務めてくれているギルド職員のエイナ・チュールは間違いなく怪しむ。後々の言い訳が大変そう、と。

 

          

 

 役割分担を決めた後、ヴェルフ達の番となる。彼らも殺人事件に介入させるべきか、正直なところでは迷っていた。

 自分一人で事件に関わると言えば絶対についてくるに決まっている。かといって一緒に解決しよう、とも言えない。

 何をすればいいのか。何が正解なのか。

 事件に関わって混乱を広げるだけでは無駄でしかない。であれば――当事者から話しを聞くべきなのだが、素直に教えてくれそうな気がしない。

 

「……【疾風】に会いに行きたいと思います。それから考えます」

 

 ベルの言葉に仲間達はやれやれといったように呆れたり、感心されたりした。

 まるで、いつもの事のように。

 団長の決断からすぐに命が情報収集の為に宿場街(リヴィラ)に駆け出して行った。

 リリルカも今後の事を考えなければならなくなり、多少の文句をベルにぶつけた。

 ヴェルフと春姫は荷物の整理を。

 

(……もしかして、この少年はいつも何かに首を突っ込んでいるのか? ……愚かな、と普通なら言うところなのだろうな)

 

 仲間達の顔を見ているとそう思えてならない。

 アステルであれば無視するのか、と言うとそうでもない。

 冒険とは常に不測の事態が起きて当たり前である。予測がつかないからこそ――

 

 冒険の醍醐味である。

 

 当時は派閥間の争いが絶えず、仲間の死が日常であった。そんな殺伐とした日常にもかかわらず、冒険者は前に進んでいた。――あの絶望を知る前までは確かにあった。

 今、ベル達が直面しているような輝かしき未知の試練が。

 

(歯牙にかける価値も無く……。このような些事に携わる手間暇が実に(わずら)わしい。……そんな傲慢さを上級冒険者となった自分達は持っていた。……今、ここにあるのは磨かれる前の原石……。久しく忘れていた冒険者としての本質)

 

 若き冒険者が愚行を犯す。けれども、それこそが正しい道だった。

 ――少なくとも生前に相対した小娘達はそのような(たぐい)だった。そして、その者達に敗北したのはほかならぬ強者たる自分ではなかったか。

 目的を失い、ただ流れるままに動くだけの肉塊――もし、叶うならば自分の意志を通してみたい、という気持ちが湧かないものか。

 ベル・クラネルの様子を眺めながら自問自答を繰り返す。

 

「あ、あの……。すみません」

 

 思考の海に埋没していたところに唐突な少年からの謝罪。思わず僅かに驚くアステル。

 軽く呼吸を整えてどうした、と尋ねた。そういえば、随分と彼に声をかけている気がする、と。

 

()()事件に首を突っ込んでしまい、アステルさんを案内する時間が伸びてしまう事です」

「……それはお前にとって日常茶飯事のように感じている。……おそらく、誰もがそう思うほどに」

 

 ベルは図星を突かれたような顔になった。

 側に付き従っているリリルカも良くお分かりで、と頷きながら感心した。

 ここでアステルは気づいた。そして、今自分が考えている事が実に愚かしい事実――確信――であることを。

 

 彼ら(ベル達)が地上に出ても混乱が()()()広がる可能性に。

 

 地下での足止めはもはや意味がない。であれば――流されるまま行動したところで何も変わらない。

 いつもの冒険者としての行動に他ならない。

 アステルは否定的な意見を述べず、ただただベルのやりたい様に、と告げた。

 

          

 

 宿場街(リヴィラ)で情報を集めていた命がベル達の元に戻り、事件のあらましを簡単に述べていく。

 【疾風】は何者かを追いかけて中層に向かったこと。

 復讐の為に行動していること。

 被害者が『闇派閥(イヴィルス)』の関係者だと疑われた、ということ。

 

「単に後ろ暗いから殺した、というのであれば宿場街(リヴィラ)の住人の殆どが対象となってしまいます。けれども、被害者は今のところ数人だけ。残りは怪我を負わされただけのようです」

「復讐とは穏やかではありませんね。……あの()()()なら仕返しくらいしてもおかしくない気がいたしますが……」

 

 リリルカは自分のお腹をさすりながら言った。

 ただ、普段の様子から本当に復讐するような人物だと思っていなかった。それはベルも含めて――

 だからこそ、今になって行動を起こしたのが信じられず、()()を知る者は驚いていた。

 

(度々出てくる『疾風』とは……、まさかあのエルフの事か? ……そいつが復讐とは……。……私の中では繋がらんな。少なくとも最後に相対したあいつの様子からは想像できん……)

「ベル様たちが中層に行った時に誰かと会いませんでしたか?」

「ほぼ直通で降りたから、他の冒険者は見かけなかったと思うよ」

(……直通!? 真っ直ぐ降りる一番危険度の高いコースを!?)

「中層にはいくつかの広間(ルーム)がある。そこに潜んでいれば会わない事もあるだろう」

「……普通は危険を回避するために狭い通路を通っていくらしいぜ……」

 

 短時間で踏破したところから相当な無茶をしたのは想像に難くない。(むし)ろ、それほどの危険を冒したのに平然と行って戻ってくるところから駆け出しとの差を感じてしまう。

 もし、アステルの言葉が正しければ確かに誰とも会わない事もあり得る。

 行き帰りの時に出会わなかったのであれば改めて通路を探すしかない。

 つまり――再突入する覚悟を決める、という事だ。

 

「……ベル様。三度目の正直という言葉があるそうですよ?」

「……ご、ごめん」

(素材採集の場合は何度も潜りますけどね。ですが……、今回ばかりは無茶もいいところ。リリ達の戦力というか体力面や物資の具合からも……。一旦地上に出てギルドに通報した方が無難なんですけどね)

 

 そんなことを考えて居るとドルムル達を伴って上層を目指すアイシャ達の姿を見つけた。

 彼女達に【ガネーシャ・ファミリア】へ救援要請を依頼すべきだと判断し、手紙を(したた)める。これにはベルの反対があっても聞き入れる気は無い、と語気を強めて少年に警告した。

 仲間の命がかかっている冒険なのだから、と。

 

「……はい」

「何にしても事後処理まで我々は出来ませんし、余裕もありません。専門家に任せた方がいいですよ」

「……うん、分かった。……リリが居てくれて助かるよ。僕一人だけだったらきっと……、皆を怒らせたままになっていたと思う」

「……少し気になったのだが……」

 

 と、アステルが口を開く。

 ベルはどうぞ、と彼女の意見を促した。

 

「仕事の取り分はどうなるんだ? 採集したものを預けたが……、あいつらは信用に足るのか?」

「……少なくとも持ち逃げは無いでしょう。問題があるとすればリリ達が無事に地上に戻れるか、くらいです」

 

 見ず知らずの者に物資を預けるのは確かに心許ない。

 口約束だけして無報酬ということも現実的になくは無い。そういう事がある事をリリルカは()()理解していた。

 今回同道してくれた【ファミリア】は懇意にしているところで、信頼の積み重ねもある。新規加入者の信用度は怪しいが――おそらく大丈夫だろう、と。

 以前のリリルカであれば全く信用したりはしなかった。それもこれもベルと出会って変わったお陰だ。

 

「相手を信用する以前に我々【ファミリア】には膨大な借金(二億ヴァリス)がある事を忘れていませんか?」

「……うっ」

「ホントに主神共々バカでお人好しなんですから」

(ここも主神に頭を痛めているのか。……分かるぞ。うちの主神(ヘラ)も埒外の凶神(アホ)だったからな)

 

 それと懇意にしていた【ファミリア】の主神(ゼウス)も輪をかけた変態糞爺(粗大ゴミ)だった、としみじみ思いだす。

 少しだけリリルカに同情しつつベルの次の方針を待った。

 最終的に決めるのは団長ベル・クラネルの仕事である。

 

          

 

 復讐に燃える【疾風】ことエルフの『リュー・リオン』は闇派閥(イヴィルス)を根絶するために武器を振るう事を選んだ。

 元居た【ファミリア】の主神にお願いして単独で現在に至る。――かつての仲間達の敵討ちだと自覚した上で。

 ベルは簡単にだが彼女(リュー)の過去を聞いた。

 罠にはめられて仲間達が全滅した、と。その復讐の為に今を生きている、とも。

 潔癖で高貴な事こそが至高と謳うエルフが血生臭い修羅の道を選ぶのは相当な覚悟を持っている証拠だ。少年にすぎないベルにはまだ彼女の憎悪を理解する事が出来なかった。

 

「復讐の手伝いをするわけじゃない。……ただ、彼女を理解したい。和解が難しくても、今のままでいいはずがない」

「復讐相手が改心していると考えるのは甘いですよ、ベル様。彼らは今もオラリオの裏側で暗躍していることをお忘れですか? 全く解決に至っていないんです。昔から……」

 

 リリルカの一言にベルは呻く。

 先日の異端児(ゼノス)にまつわる騒動で闇派閥(イヴィルス)に手痛い打撃を受けたばかりだ。そんな彼らを許す気持ちはベルにも無い。だが、殺したいほどの憎しみは持ちたくなかった。

 今までの常識が崩れ、ダンジョンに潜る事にも躊躇いが出てしまったけれど――

 

「とにかく、あの堅物エルフを捕まえない事には始まらないよな」

 

 方針が固まり、次にすべきことは目的の人物とどうやって接触するか、だ。

 人員は既に【ヘスティア・ファミリア】だけとなっている。戦闘面が心許ない。

 アステルとの再交渉はリリルカにとって危険水域をすでに突破中である。これ以上ともなると目から血が出そうな予感しかしない。

 

(次は添い寝ですか!? 抱き枕ですか!?)

 

 一日から数日になる可能性も高い。

 敵を見るような目でアステルを見るリリルカ。その険悪な雰囲気に命と春姫が恐れ(おのの)く。しかし、アステルは彼女の睨みをそよ風の如く受け流していた。

 ベル達の結論が固まってきた頃にアステルは下方に顔を向ける。

 

(……内容から考えて、貴様(小娘)のようだな。顔見知りに会うのは当初の目的の一つだが……、一体何があったのか。私はそれを聞くべきか? 過去の亡霊となった今、(しがらみ)はかえって無用の長物か)

 

 ここで考えるより直接会えば分かる事もあるか、と思い捜索に参加する事にした。

 素直な提案に対してリリルカは訝しむが強力な助っ人であることは疑いのない事実だ。問題はどんな見返りを要求するか、だ。

 不安の色を滲ませるリリルカの心を見透かしたかのようにアステルは告げる。

 単なる気まぐれだ、と。

 この一言が何を意味するのか、奥底出来るが現時点では要求は考えていない、が正答のような気がした。そして、相手の気が変わる前に揉み手をしておく。

 泰然とした異端児(ゼノス)の女王のように見えるアステルの底は未だ見えず。それが一番恐ろしい、とリリルカは思った。

 

          

 

 ベル達が結論を出した後、捜索隊に加わりたいと宿場街(リヴィラ)を取り仕切るボールスという人間(ヒューマン)の男性に言うと討伐隊だと言われてしまった。

 彼らは賞金首となっている【疾風】を捕縛、ないし倒すつもりでいた。

 当然のようにベルは驚いた。

 金にがめついボールスがそれを決めたのは賞金が八千万ヴァリスだと聞いたからだ。

 

(……この人、自分の実力を分かって言っているんでしょうか?)

「賞金は俺様達で独占する。お前達は黙って俺様達の為に働け。それが『ならず者達の街(ここ)』の規則(ルール)だ!」

 

 配下の仲間達は声を荒げていたが聞いている側は不満タラタラである。

 理不尽だと抗議しても大頭の権利を振りかざすボールスが封殺していく。

 聞いているだけだと独裁的だが実のところ強者には弱く、すぐに媚びるところがある。

 現場の雰囲気からも何かの間違いです、と言えるわけもなく。ベルは焦りを覚えた。

 

(……何の証拠もなく無実だ、とは言えない。でも、戦いたくない)

「……捜索にしろ、討伐にしろ。当人を見つけなければ始まりません。……彼らにリュー様を捕まえられるとは思えませんが……」

 

 少しだけ逡巡し、リリルカの言葉に頷く。そして、討伐隊に参加する事にした。今は多くの人員を頼ってでも当人(リュー)を見つけなければならない。

 ベルの参加表明にボールス達は勝鬨(かちどき)を上げるように喜んだ。

 今を時めく【白兎の脚(ラビット・フッド)】は彼らにとっても有名となっていた。かつてこの街を救った英雄の一人であるから当たり前ではあるが――喜び過ぎのきらいはある。

 苦笑するベルは彼らのお祭り騒ぎについ懐かしさを感じた。

 

(……何人か闇派閥(イヴィルス)に所属していた者が居るそうだが……。見覚えのある奴は居ないな。下っ端なら知らない顔があっても不思議は無い)

 

 アステルは軽く人ごみを一望し、女の勘などに引っかかる者が居ない事を確認する。

 闇派閥(イヴィルス)といっても一般人も多く抱えており、彼女とて構成員の全てを把握しているわけではない。

 彼らの多くは邪神、悪神を主神とする【ファミリア】の冒険者だ。都市に混乱を振りまき、破壊と殺戮を好む。

 アステル達はそんな彼らを利用していただけで本質は別にあった。

 

 気たるべき災厄に打ち勝つ英雄を作る。

 

 最強派閥があえなく敗北した『隻眼の黒竜』を倒すため。

 それには今以上の冒険者に育ってもらわなければならない。それだけ迷宮都市オラリオに居る冒険者達は脆弱にして惰弱。失望の塊にしか見えなかった。

 ――いや、それは方便だ。本音の部分では違っていたのかもしれない。

 

(実際、言い訳だ。我々は彼らの敵となり、敗北した。それで終わりだ)

 

 余計な雑念に囚われ、つい感傷的になってしまった、と自嘲する。

 彼女が軽く嘆息していると戦力が整い次第、中層に向かうぞ、とボールスが宣言する。

 

          

 

 大勢を引き連れて中層に足を踏み入れることになったベル達は不安を滲ませていた。このまま戦いになるのか、と。

 勢いにつられて移動しているが戦意は仲間共々ないに等しい。ボールス達とは違い、理由を聞くために向かっている。

 三度目の中層。早速、モンスターが現れる。それをベル達に討伐させるボールス。

 

「おう。遠慮なく倒してくれ。レベル4になったおめえさんの実力を遺憾なく発揮してくれや」

「……そうすると【疾風】に遭う頃には力尽きそうです」

回復薬(ポーション)()()()提供するから心配すんじゃねえ」

 

 宿場街(リヴィラ)価格だと暴利でしかない。リリルカ辺りは払いたくありません、と抗議する所だ。

 無償提供ではない所が彼ららしい、と思える。

 一八階層を根城にしている為か、ボールス達もそれなりに戦えた。あまり被害者も出ず、魔石やドロップアイテムを懐に入れている者がちらほらと。

 全員が私怨で動いているわけではなく、こういうお零れ目的の者も少なからず混じっていた。

 

(回数を重ねている為か、段々と身体の動きが良くなっている気がする)

 

 【ランクアップ】したてのベルは当初苦戦していたモンスターの討伐効率が上がっていることに驚いた。

 初見と既知の違いとでもいうような。

 この調子であれば二七階層まで仲間達と攻略するのも問題ない、と判断できそうな気がした。――余程の緊急事態(イレギュラー)が起きない限り、だが。

 モンスターの討伐と共に階層に存在する無数の広間(ルーム)を捜索する。

 下に降りる毎に広大になるダンジョンの性質上、探索が困難になっていく。

 ベルはほぼ中心地域しか通らなかった為、思いのほか複雑な迷路に驚いた。初見の探索の時にも広いとは思っていたけれど。

 

「あっ、すみません。自分の『スキル』を使うの忘れておりました」

 

 と、申し訳なさそうに命が発言する。

 モンスターを探知する『八咫黒烏(ヤタノクロガラス)』の他に『神の恩恵(ファルナ)』を持つ眷族を察知する『八咫白烏(ヤタノシロガラス)』がある。

 目的の人物もどこかの【ファミリア】に籍を置く冒険者だ。同じ階層に居れば探知に引っかかる可能性がある。特定までは出来ないけれど。

 早速、スキルを使い反応があったところを(くま)なく捜索。

 このスキルに隠蔽は通じない。弱点は大勢の中から特定の人物を探り当てることが出来ない。

 命のスキルによって闇雲に探さなくて良くなり、討伐隊はどんどん下層に降りて行った。

 

          

 

 降りつつベル達はボールスが連れて来た冒険者達が気になった。明らかに殺意を感じる。それも憎悪ではなく歓喜のようなものも。

 さすがにボールスはその(たぐい)ではなかったようだが。

 賞金目当てにしては異常だ、と不安を募らせる。

 そして、二五階層。――その奥の広間(ルーム)から爆発音が鳴り響く。おそらく何者かが戦闘を繰り広げている。

 ベルは急いで駆け出すもののヴェルフは少し離れたところにある希少鉱物に目を奪われていた。リリルカはそんな彼に失望の目を向けて呆れた。

 戦闘の役に立っていない狐人(ルナール)の春姫も連れてきているが、こちらはいざという時の切り札だった。

 最後のアステルは流されるままついてきていた。

 

「他に反応なし」

「行くぞ、おめえら!」

 

 ボールス達が一斉に広間(ルーム)に駆け込むと木刀を持った人物とズタボロの冒険者が見えた。

 一方は強者の雰囲気を持ち、緑色の外套をまとい顔の下半分を布で隠している。

 もう片方は先日まで宿場街(リヴィラ)に滞在していた猫人(キャットピープル)の男性だった。彼はケガ人で仲間と共に【疾風】に襲われたと言っていた人物の一人だった。

 この緑色の外套をまとう人物こそが【疾風】であった。

 

「た、助けてくれー!」

 

 ボールス達の登場にボロボロの冒険者が走り寄ってきた。

 多勢に無勢なのは明らかだが、それでも【疾風】は――リュー・リオンは武器を持つ手に力を込めて駆け出した。それを真っ先に防ぐのはベル・クラネル。

 突然の少年の行動に驚いたのはリリルカ達のみならずリューも同様だ。(むし)ろ、何故、貴方がここに居る、と。

 

「どきなさい、クラネルさん。その男をここで、確実に殺さなければならないのです」

「その前に理由を……。理由を教えてください」

 

 いつも優しくて様々な助言をしてくれた彼女の雰囲気からは想像できない憎悪があった。何があってこんな凶行に至ったのか、ベルはずっと疑問だった。

 復讐する相手なのは何となく察せられるが、だからといってこのまま殺人を許してはいけない気がした。だから、止めに入った。

 リューは気高く高貴なエルフだ。こんな無粋な真似を許していいはずがない。

 

(……私の速度に追いついている? クラネルさん、貴方はそこまで強くなったのか)

(まだ『(アビリティ)』ではリューさんが上か……)

 

 技と駆け引きもリューが上手。そんな相手を倒せるとは思えないし、倒したいとも思っていない。まずは話し合いを持つところから、と決めていた。

 その間に猫人(キャットピープル)の男性はボールス達と合流し、リューの悪事を言い広めた。

 既に何人もの仲間が惨殺された、と。その死体が離れた位置にある、とも。

 言われた方向には確かに血まみれの無残な死体の様な物体が転がっていた。遠めなので正確な形が判別しにくいが。それと先ほどの爆発音は逃げ時に使った爆薬である、と男性は言った。

 

「おめえ、【奴隷猫(スレイバーキャット)】のジュラ・ハルマーじゃねーか」

 

 誰だ、というヴェルフの問いにボールスが懇切丁寧に解説する。その間もベルとリューの戦闘が続いていた。

 ジュラは闇派閥(イヴィルス)の一つ【ルドラ・ファミリア】の構成員で、かつて【アストレア・ファミリア】を罠にかけて壊滅させた。彼はその生き残りである、と。

 【疾風】は【アストレア・ファミリア】の構成員。ジュラは復讐されても仕方がない立場である。

 だが、そのやり口がギルドの規則に触れて彼女は要注意人物一覧(ブラックリスト)に載ってしまった。今や賞金を懸けられるお尋ね者。

 仲間の復讐の為に単身【ルドラ・ファミリア】を壊滅させ、その構成員を今も付け狙っているのは周知の事実となっていた。

 

          

 

 その闇派閥(イヴィルス)の構成員の一人だったジュラがボールスに助けを請うのは改心したから助けてくれ、というもの。

 本来ならば私怨での復讐は認められない。例え悪党だとしても。

 手続き的には治安維持を担当する【ガネーシャ・ファミリア】に引き渡すだけで終わりだ。ここではどちらともとなる。

 目の前で殺人を(おこな)わせるわけにはいかないが賞金首は話しが変わる。ゆえにリューだけはここで倒して首だけになってもお咎めがない。そういう理屈が通ってしまう。

 

「そこを……、どけえ!」

 

 膝丈まであるロングブーツの強烈な蹴りをベルの腹部にお見舞いする。しかし、ベルは咄嗟に力を込めて耐えきる。

 以前であれば苦悶に顔を歪めて倒れ伏してもおかしくない。だが、レベル4となった彼の『耐久』はリューの一撃にも怯まない。

 完全に痛みが無いわけではないが戦闘意欲は消失していない。

 

「駄目です。貴女はそんなことをする人では」

「奴は、奴だけはこの場で殺さなければ……」

 

 憎悪に彩られたエルフの顔に思わず怯むベル。これほどの激情を今まで見たことが無かった。

 理由を聞きたいところだが、とてもそんな雰囲気ではない。だが、それでも彼女を止めなければならない気がした。

 後戻りできない、とベルの心が訴えている。

 周りの雰囲気から手遅れかもしれない。けれども、と。

 この期に及んでベルは彼女を、リューを信じたかった。そうしなければならない気がした。

 数度の打ち合いになったが足止めは成功している。以前であれば決して追えなかった速度が――

 リューもまた少年の成長に驚いていた。

 

(引き離せない!? 多少の手加減をしているとはいえ、ここまで……)

 

 ボールスは仲間達に【疾風】を囲め、と言わなかった。いや、言えなかった。

 あまりに激しい戦闘につい見惚れてしまった。あの中に飛び込める奴は居ない、そんな気がした。

 それが油断になったのか、【疾風】を殺せ、と言いつつジュラは逃げ出した。

 

「あっ、てめー」

 

 この広間(ルーム)は無数の出入り口がある。逃げようと思えばどこからでも逃げられるし、迂闊に飛び込めば迷ってしまうおそれがある。

 仲間の一部をジュラの追跡に回し、残りは【疾風】対策に充てる。

 ジュラの逃走にリューは更に怒りを見せ、ベルの猛攻をものともせず吹き飛ばす。もはや魔法を使ってでも彼を排除しなければ、と。

 そんな中、冷静に佇んでいたアステルがボールスを現場から引きずり出して尋ねた。

 

「……お前、さっき気になる事を言ったな? 詳しく話せ」

「な、なんだ、お前は」

「……こう言っていなかったか? さっき逃げた猫人(キャットピープル)……【ルドラ・ファミリア】が【アストレア・ファミリア】を壊滅させた、と……」

 

 有無を言わさぬ静かな口調だが、この場では底冷えのする冷気を帯びているように感じられた。

 相手の迫力に怯えたボールスはそうだ、と告げる。

 詳細までは知らないが、と言いおいて大体のあらましを説明する。

 

(それほど【ルドラ・ファミリア】が強かったのか? あいつ(ジュラ)の様子からは想像できんが……。それに罠程度で壊滅するとも……)

 

 正義の使徒と標榜していた【アストレア・ファミリア】は良くも悪くも(したた)かでしぶとい眷族ばかりだった。直接戦った当人が思うほどに。

 それとも――疲弊したところを狙われたのか、と。

 

          

 

 【アストレア・ファミリア】が壊滅したのは事実らしくアステルは自分でも分かる程の失望を感じた。

 あの生意気な小娘共がこうもあっさりと――それはそれで腑に落ちない。何故だが納得できなかった。

 単なる罠で滅ぼせるほどヤワではない。

 

(……私を倒し【経験値(エクセリア)】を得たのではないのか? あの死闘がこんなにあっさりと無駄になっていいのか?)

 

 強者を倒せばそれに見合った【経験値(エクセリア)】を手に入れることが出来る。アステルもその知識があり、それによって強化してきた歴史がある。

 だからこそ、彼女達が強くなっていないわけがない。

 

「邪魔です! ジュラを追わねば……手遅れになる」

「何故です、リューさん」

 

 武器を打ち合わせつつ互いに応答する。

 一方は何かに焦り、もう片方は訳も分からず止めに入る。この攻防は何処か奇妙であった。

 殺意の塊はすでに消えた通路の先へ。決して無差別なものではない。

 【疾風】の目的を聞き出すには彼女を引き倒しでもしなければ無理な気がした。だが、出来るのかと自問すればやるしかない、と答えが出る。

 ベルが冷静さを取り戻しているとボールスが連れて来た冒険者達は一様に【疾風】をやっちまえ、と騒ぎ出す。

 明らかに獲物を前にした狩人達だ。それぞれ武器を構えて囲もうとする。

 

「【白兎の脚(ラビット・フット)】! しっかり足止めしておけよ」

「み、皆さんも落ち着いて下さい」

 

 彼らの嘲る表情を見てアステルは得心がいった。

 まんまと策にはめられたな、小娘、と。

 これも失望かと思えば致し方ない出来事である、とも取れる。無理に判断しようとは思わないが――自分の出番が無いのは面白くない。アステルは大人しく見守っていた。

 何らかの策にはまっているのは理解したが、大勢が雪崩込んでいる事に違和感がある。

 敵一人に対して少々過剰ではないか、と。――自分の事を棚に上げて。

 

(今の私は少年寄りだ。であればどちらに味方すべきか……。正義と悪で分けるならば……、きっと……)

 

 闇派閥(イヴィルス)が悪で少年の敵も同じだ。

 復讐心に駆られたリューを擁護する気は無いが目的の障害となるものは排除されなければならない。

 なればこそ、アステルの取るべき選択はただ一つ――

 

 吠えるな、小娘。

 

 この場の喧騒の中にあって広間(ルーム)全体に響き渡る強者の声――

 いやに通る声色により一気に静寂が広がった。

 大勢の人ごみの中から外套を身にまとうアステルがベルの下に向かう。それを止める者――止めようとする者は誰も居ない。

 

          

 

 一緒についてきたヴェルフ達も思わず息を呑む。

 戦闘が激化するかと身構えていたのに全員が須らく動きを止めた。その現象に思わず身体が震えて来た。武者震いではなく恐怖のようなものによって。

 誰もが前を通り過ぎるアステルに疑問と畏怖を感じながら、それでも誰も言葉を発しない。

 

「……こんな茶番に付き合う道理はないが……、その少年に何かあっては困るのでな」

「アステルさん。……すみません」

「? アステルというのですか?」

 

 鍔迫り合いをしている最中なのにリューは質問した。それにベルはそうです、と素直に答えた。

 そして、覆面姿のリューは後から来たアステルに顔を向ける。

 聞き覚えのある声。しかし、姿は全くの異様――だが、雰囲気に覚えがある。

 泰然とした佇まいと外に零れている灰色の髪に。

 

(……まさか!? いや、奴は死んだ筈だ)

 

 突き飛ばすようにベルを押しのけ、アステルに木刀を振りかざす。

 もし、自分の予想が正しければ――そう思っているとレベル4の本気の攻撃を武骨なガントレットで受け止められた。

 今のアステルは顔以外、肌の露出のない装備に包まれている。

 素材の報酬で手に入れたもので強度は考慮に入っていないが、それなりに丈夫な代物だとは聞いていた。

 木刀を受け止められた、と思う間もなく掴み取られる。そして、軽くひねられ壁際までリューは吹き飛ばされた。

 

(……弱いままではないようだ。レベル4の中程度か、それ以上といったところか。成長しているのは確かだな。成長が見られなければ手心を加え損なうところだったぞ)

 

 手の感覚だけでリューの強さを把握し、軽く嘆息する。

 他人の言葉だけでは分からない事がある。ここはやはり軽く手合わせをするべきか、とアステルは思案した。

 冒険者は結局のところ戦った方が理解しやすい。

 

「あの【疾風】をいとも簡単に吹き飛ばすとは……。こいつは心強い助っ人だぜ」

「……黙れ。口を開くな下郎」

 

 静かな口調で命令すると冒険者達は一斉に冷や汗をかいて黙った。

 現場が静まったところを確認し、ベルの無事を見てからリューに顔を向ける。

 目蓋を閉じたままの泰然たる姿勢で。

 

「顔見知りに会えると思って来てみれば……。何たる無様。何たる惰弱か。今一度、鏡で己の姿を見てみるがよい」

「お、お前に言われる筋合いはない!」

 

 そう怒鳴り返し、そして確信する。

 目の前の異様な存在はリューの知る人物。

 理由は定かではない。けれどもはっきりしている事がある。

 こいつは敵だ。己の邪魔をする仇敵である、と。そして、近くにベルが居る。とても危険だ。助けなければ、とも。

 

「クラネルさん。そいつから離れなさい。危険だ。今すぐに!

(どう考えても今のリューさんの方が危険な敵に……)

「少年は私の案内人だ。……それと、今の発言は心外だ。撤回しろ、小娘」

「黙れ!」

 

 【疾風】相手に大柄(おおへい)な態度を取るアステルにリリルカは勿論、ヴェルフ達も唖然としていた。

 強いとは思っていたが桁が違う相手だとは思わず、想定外にも程がある、と。

 

「お、お二人は知り合い、なんですか?」

 

 戦闘どころではないと悟ったベルは武器を持ったままどちらともつかぬ質問を投げかける。

 それに答えたのはリューだった。

 

「私の知っている相手ならば死んでいる筈だ。……まさか生きていたのか?」

「……誤解がないように言っておこう。生き残ったわけではない。だが、その疑問に答える前に……、私も混乱している。どう答えたものか、とな。お前の予想通りの結果だとは思うが……」

(バカな……。だが、もしそうなら……理屈が……。可能性の話しならば一つだけ……。異端児(ゼノス)となったというのか、あの女が……)

 

 見えている顔の肌は青白い。部屋の明るさから見ても人間(ヒューマン)の色と違うのは理解した。

 リューもベルとの付き合いで異端児(ゼノス)の事を承知していた。それでも現実を受け入れるのに時間がかかる。

 もし、可能性が真実であれば最悪の敵が目の前に居る事になる。思わず手に力がこもる。そして、憎悪の炎も。

 

「クラネルさん! 早く逃げなさい!」

「……そう吠えずとも少年に危害は加えん。お前こそ黙れ。先ほどから煩くてかなわん」

 

 標的をアステルに定めてリューは突貫した。が、それらを片手間のように捌かれて対処される。

 レベル4が赤子同然の扱いにされていることにベルは勿論、【疾風】の強さを知る者達は唖然とするしかなかった。

 そして、何度か壁に吹き飛ばされつつもリューは立ち向かった。速度を上げて――しかし、その全てが届かない。

 仲間達の補佐が無い一人だけの攻防では、無理があった。

 

          

 

 アステルの(げん)を信じるのであれば生前と遜色ない強さを感じる。そして、今も『魔法』を持っているのであれば無効化される事も。

 決定打が無い。それでも攻めなければベルが危ない。そうリューは思った。

 先ほどまで自分の邪魔をした相手だが、やはり彼とは敵対したくない。不器用なエルフに出来ることは力づくで排除する事のみ。――それが事態を複雑化している事も少なからず自覚している。

 

「あの小うるさい小人族(パルゥム)はどうした? 赤毛の娘の姿も無いようだが……」

 

 倒れ伏すリューにアスルテは問い掛けた。

 先ほどボールスに聞いたことが真実か確かめる為に。

 

「災厄を乗り越えて英雄に至った筈の【ファミリア】は何処に居る?」

「……さっき逃がしたジュラの【ファミリア】に……。より正確に言えばその時、出てきたモンスターにやられてしまった」

 

 ズタボロになりながらリューは立ち上がる。致命傷を与えているわけではなく、軽くいなしているだけなので大きな怪我は無い。

 ベルはそんな二人のやり取りを見つめていた。

 

(あの小娘共を全滅させるモンスター? 階層主ではないようだが……)

「生き残ってしまった私は復讐心に駆られ、闇派閥(イヴィルス)を殲滅する人生を選んだ。……正義を捨てて仲間の敵討ちをしている」

「……仲間の死で信念を捨てた、か。私からすればつい昨日の事で、呆れかえる事態だ」

(つい昨日? ……あ、ああ、そうか。彼女に勝利してすぐに正義を捨てたら……、確かに驚くな。というか当たり前だ)

 

 時間差を埋める説明をしている暇が無いのももどかしいが急に戦闘意欲が減退してきた。しかし、敵はまだ残っている。

 改めてアステルに顔を向ける。

 生前の姿に酷似しているがどことなく人間離れている。それに雰囲気も優しい。

 鬼気迫る修羅の様な覇気が無い事に(ようや)く気が付いた。

 

「お前達、闇派閥(イヴィルス)の襲撃から七年……。色々あったのだ」

(……七年)

「お前からすればつい先日の事のようだが……。悪の暗躍がしばらく続いていた。勝利と引き換えにした犠牲は計り知れない」

 

 リューは改めて武器を構えて敵を睨む。

 個人的な恨みは既に無いが障害となる存在であることは確かだ。リューは今一度、武器を振るう。だが――

 二人の間に割って入ったベルによって衝突が回避された。

 

          

 

 どんな事情があるにしろ、二人の戦闘をいつまでも続けさせるわけにはいかない、と判断した。

 まずリューが何をしているんですか、と言ってきた。次いでアステルが――だからお人好しと言われるのだ、と聞き分けのない子供に言うような感じで告げた。

 

「すいません。でも、二人が戦う理由は無いと思います」

「クラネルさん。貴方はご存じないかもしれませんが、彼女は闇派閥(イヴィルス)の幹部ですよ」

 

 意外な単語に思わず呻くベル。

 構成員ではなく幹部、という単語に。しかも、アステルはそう言われていた時期があったのは認める、と素直に言ってきた。

 

(オラリオの敵じゃないですか!)

 

 リリルカも胸の内で絶叫した。

 生前の事なので今も幹部が通じるかは未知数だ。リューとて蘇った相手をいつまでも敵視したくない。だが、感覚はそう簡単に補正されない。

 

「……しかし、貴女が生きていたとは驚きです」

「どうして、と言われると答えに苦慮するが……。実際のところそれは私も知りたい問題だ。……だが、その前にお前の(てい)たらくを何とかしなければならないようだ」

 

 それまで落ち着いた雰囲気をまとっていたアステルが殺気を振りまく。それだけで広間(ルーム)に居る全員が動きを止めて鎮まった。

 リューも久しぶりの感覚に思わず脂汗をかく。

 

「……一つ聞かせて頂きたい」

 

 アステルの殺気に負けず、リューは尋ねた。

 なんだ、と静かに応じる絶対者アステル。

 

「今もあなたの目的はオラリオの崩壊ですか? 冒険者達の敵ですか?」

「……お前を見ているともう一度この手で潰したくなる気持ちが湧く。敵と断じるのは構わん。来るならば相手をしてやろう。……私に出来ることはそれくらいだ」

 

 この言葉にリューは武器を下げた。

 それを好機と見たのか、周りに居た冒険者達が襲い掛かってきた。

 アステルはベルの防具を掴んで彼をヴェルフ達の下に投げ飛ばす。リューも何かを悟り、飛び退(すさ)った。

 

「……全く煩わしい雑音共だ」

 

 リューは耳を塞いだまま駆け出していく。その速度に追いつける襲撃者は居ない。

 それからすぐに現場に異変が生じる。

 それは全体に響き渡る鐘の音の様な――

 

福音(ゴスペル)

 

 アステルが静かに口にしたその瞬間に周りから音が消える。

 超短文詠唱にして彼女の代名詞となっている魔法が炸裂する。

 それは音による広範囲の攻撃魔法。一度かき鳴らされれば防ぐ手立てが無いほど強烈である。

 僅か数秒で敵性体が沈黙する。

 苦悶の呻きから身体が砕け散る程の威力は無かった様だ。しばらくは立ち上がれそうにないくらい。

 範囲内に居たベル達も多少のダメージを受けていたが無事が確認された。

 

「……時が経てば対策のしようもないか」

(だが、加減はしたぞ)

埒外(らちがい)の力は相変わらずのようですね。……つくづく敵対したくない相手だ」

 

 回避したとはいえ完全ではなかった。

 リューは軽いめまいに見舞われたが戦闘に支障がない事を確認する。

 死屍累々と倒れ伏す冒険者達の光景に深くため息をつき、改めて確信する。

 

 【静寂】のアルフィア。

 

 アステルの正体であり、その力が本物である、と。

 復活に驚きこそすれダンジョンの緊急事態(イレギュラー)であれば致し方ない。気配からもそれが窺えた。

 オラリオに災厄を招いた怪物の復活にリューは固唾をのむ。

 


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