喋るモンスターの全てが友好的な『
金髪金目の少女は少し先に
武器を持っていたら確実に
先日の【静寂】のアルフィア・ストラディの時といい、判断に迷う相手ばかり現れる。
(……敵なら倒せばいい。そんな分かりやすい図式ばかりじゃない事は分かっているけれど……。こうも立て続けに判断に迷わされるとは思わなかった)
威圧のつもりで放った魔力に対して相手は動揺を見せていない。
もし、【ロキ・ファミリア】の団長である
フィンも一目を置く冒険者達だから。少なくとも【フレイヤ・ファミリア】と違って敵対的な印象を持っていない。
そんな相手を一方的に斬りかかる事は今のアイズには出来ない。
(……もう五分は経過したか)
脅威が目の前にあるのに赤い
いつもお気楽な女性ではあったがここまで無防備になる事は滅多にない。もしかして出来ないのでは、と疑念を抱かせるのだが――
ライラとゴジョウノ・輝夜は寝息を立てるアリーゼに何が出来るのだろうか、と今更ながら思った。
赤いのは髪の毛と下半身にある模様部分。上半身はモンスター特有の青白い地肌。というか裸だ。
無数の脚はくすんだ黒。顔つきは僅かに生前の面影があるかどうか。
知らない者が見れば間違いなくモンスターとして処理する。
「……もう一度聞くけれど……、言葉が分かるのは……全員?」
復活したアイズが再度問い掛けて来た。それに対し、ライラと輝夜は揃って頷いた。
信じるかどうかはアイズ次第。
ネーゼ達も疲労の蓄積で眠そうな顔になっている。
「あと、皆疲れが限界に来てるんで。……寝かせてやってくれないか? 運が良ければ……、そのまま永眠するかもしれねーけど」
一匹、また一匹と力尽きる様に眠りに落ちていく。
水と魔石以外口にせず、空腹も相まって睡魔にあっさりと負けてしまう。モンスターとしてはあり得ない事態かもしれないが――
(……今が好機……。でも、そのまま攻撃していいの? 冒険者なら当然のことだけれど……。助けを求めるほどの弱者ではないから弱音を吐かない? これは……どうすれば……)
弱者の救済ならベル・クラネルも手を差し伸べるかもしれない。そうでなかったら黙って見逃がすのか。敵対者なら攻撃するのか。
様々な選択肢が新たに生まれた。
質問に素直に答えているし、襲っても来ない。それどころか目の前で眠りについていく。
「今度はこっちの質問にも答えてくれると助かる……」
「……ん。分かった」
「……お前、歳いくつだ?」
「? 一六、だけど……」
(……えーと、アタシらが知ってる【剣姫】は確か一〇歳くらい……。最低でも五年か六年経っているってことになるな。……年頃のお嬢さんになったんだな。
(……へー。あの子が一六になるとこんな風になるのか……)
アイズの年齢から大体の予測が固まり納得していく。
【ルドラ・ファミリア】との抗争から大体五年経過した。とすれば階層に徘徊している筈のモンスターも既に消滅した後だと推測できる。だが、あの崩落が起きた理由は不明のままだ。
ダンジョンは穴こそ空くが大きな崩落を起こす事は無いと言われている。ライラ達の記憶ではそうだった。
懸念の一つが解消されたことでライラ達はアイズの出方を窺う。
情報だけ知っても事態が好転したわけではない。自分達が納得しただけだ。
目の前には唸る少女アイズがモンスター軍団を見据えている。
「そうだ。……アタシらの目的が聞きたいんなら寝床を寄こせ。別に逃げたりしねーし、攻撃したりしねー。それくらいは約束してやる」
「……ん」
(……【静寂】と同じくよく喋るし賢い……。それに……、未だに攻撃的な様子を見せない)
もし、モンスターがアイズの知る者達ならばある程度信用できることになる。
正義を司る【ファミリア】の眷族とは浅からぬ付き合いがあるのも事実。それと次々と眠りについているモンスターを見て、黙っていると日が暮れそうだと思った。
見極めに時間をかけすぎている。きっと保護者であるリヴェリア・リヨス・アールヴが怒る。
いつまで尋問に時間をかけているんだ、と。
「睨めっこしていても時間の無駄だ。もっと建設的な話しをしようぜ」
「け、けんせつ?」
「早い話しがこれ以上の問答は不毛って事だ。もう、みんな限界だって言っただろう。……ろくに寝てねーんだ……」
言い終わった後、コテンとライラが眠りに落ちた。それを皮切りに残りのモンスターも静かに眠りについていった。
自分達にとって顔見知りである【剣姫】の事が知り得ただけで気持ち的に満足してしまい、睡魔に負けてしまった。
モンスターとして生まれ出でて無理に強がってきたがアリーゼ達はそれなりに精神的に負担を抱えていた。幾多の困難を乗り越えて来た彼女達も休息せずに冒険などできない。
(モンスターが目の前で眠った……。いつもならすぐに襲い掛かってくるのに)
無防備な姿を晒すモンスターを倒す絶好の好機。普段であれば姿を見かけただけで攻撃に移る。
武器を持っていなくともある程度倒すすべをアイズは身に着けているけれど。
両手に力を込めて唸るだけで彼女は動こうとしなかった。
出来なかったわけではない。考え無しにモンスターを討伐してきた自分に迷いを覚えていたからだ。
ベル・クラネルが
最初こそどうかしていると思った。次は自分達のしている事に戸惑いを覚えた。
――騒動の後もベルは積極的にダンジョンに潜り、モンスターを倒している。
あれは結局のところ何だったのか。――いや、どうしてベルを信じてやれなかったのか。
何の理由も無くモンスターを助ける訳が無い。そこまで愚かならアイズはもっと早く見限っていた。
(……【静寂】のアルフィア。人語を介し、私達のかつての敵……。それが何故かモンスターになった。……元々モンスターみたいな人だったけれど……、今回は誰も殺さなかった。……ベートさんに止めを刺したように見えたあの攻撃でさえも……)
今までダンジョンから生まれ
考えて考えて、必死に答えを出そうと努力した。
戦う以外に頭をあまり使わない少女は結局――
拳に力を籠め、ひたすらに唸ったものの自分が正しいと思えるような解答は出せなかった。
眉根に力が入り過ぎたのか、【静寂】から受けた傷が僅かに痛む。
多くの『もし』が飛び交い迷いが生じたが、いつまでも立ち尽くしているわけにはいかない。
軽く息を整えた後、女性冒険者に声をかけてモンスターを移動させることにした。
今殺すのも後で殺すのも大して変わりがない。それが今出せるアイズの結論だった。
そんな彼女の様子を見ていた仲間の一人がフィン達幹部に報告に向かい、話しを聞いた団長のフィン・ディムナは機嫌よく頷いた。
(……甘いと言うのは簡単だが……、これも一つの成長と見れば感慨深い。アイズにはこのところ殺伐とした行動ばかりさせてしまった)
「アイズの指示に従ってくれ」
「……はい」
相手がモンスターということで団員の不安が払拭されたわけではない。それらについても団長として幹部として考えなければならないと思うと気が重い。
今のフィンに言える事が多くないのも事実。
幹部からの指示もあり、モンスター達をすぐさま簡易テントに移動させることになった。
【ロキ・ファミリア】だけならば野ざらしでも問題が無い、が一八階層には他派閥の冒険者が大勢生活している。それらに見つかると騒ぎが大きくなるし、良からぬ
(……言葉を話すモンスターがこれからも生まれると混乱が生じる。……だが、最初はそういうものだ。変化を受け入れるか拒否するか……。つまるところ僕らが一つ一つ判断していくしかない)
だが、とフィンは疑問を覚える。
ベル・クラネルが特別だとしても今年は立て続けに
混迷期に遭ったオラリオも相当なものだった。特にダンジョンがらみは。
(唐突に発生したわけではないだろうけれど……。ベル・クラネルが立て続けに騒動を掘り当てている気がする。アイズですらこれほどの騒動に巻き込まれたことは無い)
危険性で言えばクリーチャーでもあるレヴィスの方が段違いに高い。
しばし思索に入っていたフィンにモンスターの移動が終了した報が
『
彼らは同族よりも仲間を優先する。それゆえにダンジョンから生まれ出るモンスター全てを仲間だと思っていないから倒してもいいらしい。
(命乞いするモンスターは基本的に居ない。だから、襲ってくるモンスターに躊躇いは必要ない)
ベル・クラネルのような甘えをフィンは持っていないが出会ってしまった
仲間も動揺している。
もし、【ロキ・ファミリア】が先に
簡易テントに赤い
のんびりとしたものではなく割と駆け足気味に。
彼ら三人と共に付いていく同行者は他にもおり、【フレイヤ・ファミリア】の団員にしてエルフの男性ヘディン・セルランドだった。
到達目標階層は二七層より下、ということ以外明確に決まっていない。
(……【フレイヤ・ファミリア】と合同探索する手続きがすんなりと済んだのは良いのですが……)
不安を滲ませるリリルカ。
手続きはオッタル達――事務手続き自体は後から来たヘディンが
ベル達は正体を隠して同行する事になり、外套を頭から被った状態でダンジョンを降りることになった。オッタル達と一緒というだけで色々と面倒くさい事態になるに
他の仲間を連れて行かないのは向かう階層の都合だ。少人数の方がオッタル達にも都合がいい、という意見に賛成したからだ。
「仲間が居た方が【
「は、はい」
寡黙なオッタルと違い、エルフのヘディンはリリルカの疑問に淀みなく答えてくれた。ただし、表情はどうにも苛立っているようだった。
他派閥の【ファミリア】と共に行動するのは
駆け足を止めず、呼吸も乱さずに喋る彼らに驚きつつリリルカは懸命に情報を集めようと努力した。対するベルは先行する大きな身体のオッタルの動きを見逃すまいと観察し続けていた。もちろん、周りの状況も
見かけによらず脚は早く、憧れのアイズ・ヴァレンシュタインに引けを取らない。
(……必要最小限の動きでモンスターを打倒しているけれど、どれも魔石を確実に粉砕している。……一時間もかからずに五階層を走破したし……)
(……しっかり付いてきているな。……アレンであれば確実に置き去りにしていた)
神フレイヤに注目されているベル・クラネルは今のところ無駄口を叩かずにいる。リリルカのように質問攻めにしてくると思っていたがきちんと
魔石をどうするか、それはオッタルも分からない。ただ神フレイヤの命令に従うのみ。
同行者であるヘディンも上層だからか、特に何も言わずにいる。
そして、更に二時間が経過する頃にミノタウロスが現れる階層にたどり着く。だが、彼らは止まらず襲ってくるモンスターを作業のように打倒していった。
ベルも見ているだけでなく自分に近いモンスターを倒していく。
レベル4である今、ミノタウロスに対しての恐怖心は無く、しっかりと戦えるようになった。つい半年前までこのモンスターと出会う事に恐れを抱いていたのが嘘のようだ。
(……だからといって一斉に飛び掛かられると困るけれど……)
リリルカを背負った状態だったが怪我もなく、攻略に集中できた。
階層主の一つ前に現れる虎の様なライガーファングの
次の階層に現れるゴライアスは既に討伐された後だったようで、出現しなかった。
そして、
快進撃を続けて来たので、そのまま進むと思われたがオッタルは休憩すると小さく呟いた。
今回、同行するにあたってフレイヤはベル達の身の安全を優先するように指示を出していた。その為に
ヘディンも異見を述べずに簡易テントの制作に入る。
迷宮都市オラリオ最強の【ファミリア】と呼ばれている【フレイヤ・ファミリア】の活動はリリルカの情報でも謎が多い。
治安維持なのか探索なのか。常に敵対【ファミリア】と抗争しているわけでもないし、ギルドからの要請に従っていること以外の活動内容は分からないと言ってもいい。
(強いとは思っていましたが立ち止まらずにここまで降るとは……。深層までこの調子かもしれませんね)
個人主義が多い【フレイヤ・ファミリア】がまとまって行動するのは都市防衛くらい。
普段、ダンジョンに潜る機会も少ないはずなのにどうやって強くなっているのか、興味があった。
予想としては一人で深層域に向かう。――これをベルに例えると間違いなく主神であるヘスティアは慌てるし、そんなことを許しはしない。だが、それを許しているのがフレイヤだ。
一見、弱い眷族がどうなろうと知った事ではない、という非情さが伺えるが――本当にそう思っているのかは分からない。
「……オッタル様達はよくダンジョンに潜られるのですか?」
「……いや。……俺達は常に主神の警護だ」
昼食の用意を整えながらオッタルは呟くように言った。
小さなリリルカの言葉に答える気は無い、とでも言うのかと彼女は危惧したが普通に返答があったので驚いた。
ヘディンは睨むような視線で明らかに話しかけるな、という雰囲気があった。
(……【
団長であるベル・クラネルもオッタル達を気にしながら食事の用意を整えている。
罵倒が出てくると思ったが手際がいい為か、叱責の言葉は飛んでこない。
顔つきで言えばヘディンの方が神経質に見える。――彼がエルフだからそう思うのかもしれない。
(……強者が目の前に居るのに何も尋ねないのはかえって失礼かもしれない。減額の見返りに色々と聞いた方がいいのかな?)
火の様子を見ながらオッタルに視線を向けるベル。
アイズと違い、彼の行動は謎に包まれている。名声こそ今回の探索の為に調べてきたが戦い方や細かな『スキル』などは分からずじまい。レベル
憧れる人で言えばごく最近になって知ったばかりという事にも驚く。それくらいオッタルとの接点が無かった。
(どうすればレベル7になれるのか。……アルフィアさんの言葉を借りるならば【
時には命を奪う事もあっただろう。だが、殺し合いを良しとするような残忍さは感じない。あくまで都市防衛の観点からの戦闘であった筈だ。
ギルドも殺人を良しとしているわけではない。力なき住民を守るための力の行使を容認しているだけ。
今まで出会った上級冒険者の多くが尊大な態度であるのもその辺りの事が関係する、と予想する。
【ロキ・ファミリア】に所属するベート・ローガもその辺りの経験を経ているから弱者に厳しいのだと思える。
(……僕は仲間を守る為に戦うことは出来ても命のやり取りをする覚悟は出来ていない。……だからこそ
苦悩するベルの視線を受けていたオッタルは気づいていたが黙っていた。質問されれば答える。だが、自分で答えを出そうとする者に余計な気遣いは無用だと判断していた。
武人である自分に出来ることは武器を通した対話だ。それ以外の事は分かる範囲でしか言えないし、出来ない。――リリルカからの質問のように。
気まずい空気に支配される中、昼食の準備が整い、静かな時が流れる。
ベルが全く言葉を発しないのでリリルカがため息をつきつつ好き嫌いは無いかと聞いてみた。
オッタルは比較的答えてくれるがヘディンは無視した。
(……融通の利かないエルフですねー。典型的な気難しいエルフそのままじゃないですかー!)
【フレイヤ・ファミリア】の情報はとても貴重だ。いずれ相対するかもしれない派閥の付き合い方などを模索する上ではリリルカとて攻めに行かないわけにはいかない。
【ロキ・ファミリア】と違い、団員全てが敵意に満ちていると言ってもいい。――オッタル以外は。
「そもそも【フレイヤ・ファミリア】は殺伐とした【ファミリア】なんですかね。フレイヤ様がその中に居てもとても楽しそうには思えないのですが……」
リリルカの
主神の為に日夜殺伐とした鍛錬を続けている。それが女神の喜ぶ事だと信じて続けて来た。だが、確かにここしばらく主神の心は側に居る白い兎ことベル・クラネルに傾いている。
女神フレイヤは気に入った人間を見つければ手に入れようと画策するのが日課の様な神だ。オッタルを含めた眷族は自分に振り向いてくれるように努力を欠かさない。
(【
「……神ヘスティアは眷族に何を求めている?」
ヘディンも僅かに眉を上げて横に長いエルフ耳を向ける。
「神様……、ヘスティア様は賑やかな【ファミリア】を求めているようです」
素直に答えたのは団長のベル・クラネル。
大柄なオッタルの
「あれをしろ、これをしろといった命令はされません。……僕が強くなるのはあくまで僕自身が願った事です。リリもヴェルフも
「そうですかー? ヘスティア様はベル様を独占しようとして異性との触れ合いを禁止するようなアホ神ですよ? 処女神なのに」
「……そうだっけ? 厳密な規則は作らなかったよね?」
「作られてたまるもんですか」
聞いている分には微笑ましいが【フレイヤ・ファミリア】の中では主神より眷族の方が独占欲があり、団員でありながら敵同士という有様になっている。
対する【ヘスティア・ファミリア】は良く言えば仲良しごっこ。悪く言えば弱者の集まりだ。――オッタルの中で適切な例えが出なかった事に本心は気まずさを覚えて発言を控えた。
格式で言えば【フレイヤ・ファミリア】はかなり高い。それゆえに団員もそれに見合った振る舞いをするのが当然だと思っている。
(低俗と評される【ファミリア】の団員にフレイヤ様は熱中されている。格式以外の何が【
強さだけで注目する筈はなく、言葉尻から分かる事はベルの魂が主神のお眼鏡にかなった、ということ。
今までも自分の
その後、他愛のない話題を交わしつつ厳かに食事が進む。
ある程度の自炊は
味についてオッタルは何も言わないがヘディンは細かな指摘を次々と突きつけ、作り直しに匹敵する作業を要求してきた。主にフレイヤに恥じぬ技術を身に着けさせようと。
(……味付けに関してそれほど酷くは無いな)
言葉に出さずともオッタルは概ね満足した。それと作業風景を見る限り、それほど悪い面は見当たらなかった。
ベルは何事にも真剣に取り組み、世間の噂に出てくるような軽薄な印象とは違っていた。ただし、それは一般論での評価だ。
【フレイヤ・ファミリア】の中ではヘディンのような神経質な指摘こそが当たり前だ。
常に最高を求めている団員達には妥協という惰弱な考えを持ってはならない。
「お言葉ですがヘディン様。貧乏【ファミリア】に用意できる素材には限界があります」
「ふん。日頃からなあなあで済ませて来た貴様らの舌ではその程度だろうよ」
(……使ったことが無い高級素材を渡されても……)
(だいたい何なんですか、この見た事も聞いたことも無い食材というか調味料の数々は……。調理方法が分からない素材を渡す方がどうかしています)
高級なのだろうけれど生かすすべを知らない【ヘスティア・ファミリア】に扱えないのは火を見るより明らかである。
彼女の意見にベルは苦笑し、オッタルは頷きながら感心し、ヘディンは顔を背けて鼻を鳴らす。
言葉遣いというか話し方からオッタルは戦い以外では紳士的であった。ヘディンは紳士には違いが無いのかもしれないが、鼻に就く貴族意識があるエルフというイメージを受けた。
直接相対しなければ分からない【フレイヤ・ファミリア】の眷族達。
ベルもリリルカも文句を言いつつ貴重な体験を忘れないように脳裏に焼き付けていた。
それから食事を終えて水辺で食器の洗い物をしている時、何処からか大声が聞こえた。
それは喧噪というより悲鳴に似たもの。ベルは洗い物を途中でやめ、濡れたままの食器をリリルカに渡し、警戒するように言いつける。
オッタル達も悲鳴を聞きつけ、武器を手に取り警戒態勢に入っていた。
(……今のは? 結構遠いところからだと思うけれど)
第一八階層は僅かなモンスターが生息する以外は比較的安全な場所だ。何度か来ているベル達も承知している。
声が聞こえた方向は
悲鳴と言えどこの階層はとても広く、音が反響する程狭くない。ゆえに自分達にほど近い場所という事になる。
高額な宿泊料を避けて独自に野営している別の【ファミリア】から、となる。
(……また聞こえた。今度はこっちに近づいているような……)
周りに迷惑が掛からないように。また、他派閥に見つかりにくい森の中にベル達は拠点を作っていた。――おそらく相手方もそうしている筈だ。
いくつの【ファミリア】が居るのか分からないが、何らかの事態が起きたのは間違いなさそうだ。
最初の声を聞いた時に感じたのは痛々しい悲鳴。モンスターに追われているのか、暴漢なのかは分からないけれど、相手次第では介入も辞さない。ベルは腰に差してある黒いナイフに手をかける。
警戒態勢に入るベルに倣ってか、オッタル達も身構えていた。時間が無いから何もするな、という意見も無く。
リリルカは近くにある木に登り、今も聞こえている声の出どころを探る。
「……何かが近づいてきます。……赤い……怪我をしている何か……、後方にもう一つ、いえ……多数の人影があります」
「……追われてるの?」
「そのようですが……。追っているのは……、【剣姫】様のようです」
彼女の名前が出た時点で追う側が【ロキ・ファミリア】なのは確定する。
レベル6である彼女が追われる側というのは考えられない。少なくともベルの知る【剣姫】アイズ・ヴァレンシュタインは狩人の様な性質がある。
そして、続け様に報告される内容から追われているのはモンスターである、と。
「ベル様。モンスターに接敵してみて下さい。オッタル様達は……、出来れば待機を……」
木の上からの指示にオッタルとヘディンは黙って首肯した。ただ、リリルカの顔は追跡の方に向いているので、無視されたと思った。しかし、ベルは彼らの様子が分かったので苦笑しながら移動を開始する。
荷物を持たないベル・クラネルの速度は大手【ファミリア】から見ればとても素早く目を見張るものがある。それをリリルカが確認すると――自然と――感嘆の吐息が漏れた。
走るモンスターは赤い長髪を血で濡らし、元々青白い地肌が赤く染まり、全身が真っ赤になりつつあった。それも美しさからかけ離れたどす黒い色合いの赤に。
上半身は人間と酷似した形で下半身は無数の脚を持つ蜘蛛。
何がと言われれば顔だ。
元々の
元々の瞳と合わせれば全部で八つとなるだろうか。
走る
額が割れるような痛み。頭が割れるような痛み。今まで味わったことのない激しい痛みに混乱し、傍目には狂乱して暴走状態に陥ったと見られてもおかしくない事態になっていた。
(……痛い、痛い……。頭が割れる……。水場……はどこ……。何も見えない……)
痛みによって口から出るのは悲鳴と苦悶のみ。ちゃんとした言葉を出そうとしているのだが、その度に割れるような激痛が頭全体を襲う。
少しでも痛みから逃げたい一心で走っているが、これは
とにかく、水辺で頭を冷やしたい――彼女の頭の中にあるのはそれだけだった。
疲労の限界によって熟睡していたところの激痛だ。思考が未だに定まらない。
目蓋を開こうとしているのか、それと開いていて何も見えないのか。
分かるのは視界全てが真っ赤である事だけ。
身体は無意識下における勘のようなもので突き動かされて進んでいる。
いや、彼女自身は痛みから耐えようとしているだけでその場から動いているとは思わず、下半身のモンスター部分は生存本能によって勝手に動いているともいえなくもない。なにせ、慣れないモンスターの身体だ。何らかの特殊な能力が発揮されていてもおかしくない。
突如として悲鳴を上げて簡易テントから脱走した赤い
どういう理由があって逃走したのか分からないまま追う事になった。――他のモンスターはあれだけの事態にも関わらず、全員熟睡中だった。
(……怪我をしている? さっき見た時は出血の跡は無かったのに……)
後ろから見ている限りではアリーゼの両手が血塗れだ。顔に深い傷が出来ているのかもしれない。
だが、それなのに逃走速度がやたらと早い。脚の数が多いせいか、と思ってしまうほどに。
方角的に
後から追い縋る仲間に警戒を呼び掛けて追跡を続行し、その逃走劇の最中に見つけてしまった。
白い兎ことベル・クラネルの姿を。そして――彼女は無意識的に叫んでいた。
「そのモンスターを止めて! ベルっ!」
「は、はいっ!」
彼は僅かに戸惑いを見せたものの了承してくれた。
前方に立ち塞がる形で待ち構えるベルが見えていないのか、
そのままでは激突する。だが、それを分かって無理を言った。ベルに身体を張ってでも止め欲しい、と。
ズズンっ。
アイズの耳に届いたのは重くて強い衝撃――いや、重低音だった。
素早くて身体が軽そうなベルならば受け止めようとしてあっさりと弾き飛ばされるのではないか、と思わないでもなかった。
結果として彼はアリーゼの腹部に顔を埋めるような形で受け止め切った。その反動か、彼女の割合大きな胸が少年の頭に乗る形と
レベル4ともなった彼はもはや一昔の弱い少年ではない。だが、それでも完全とはいかず、見る見る後方に追いやられようとしている。
力負けしていると悟った。第二級冒険者の『
「ベル、毒液に気を付けて」
「は、はい。……このまま引き倒した方がいいですか!?」
「可能なら」
「分かりました」
疑問の余地なく即断即決のやりとり。
アイズの言葉にベルが懸命に従おうとした。だが、それは決して簡単な事ではない。
歩みを止められたはずのアリーゼが小さく呻き、無数の脚を激しくバタつかせる。
両手で顔を覆い、ひたすらに痛いと主張する。
ベルが顔を上げると血が滴ってきた。
「……うぁ、ああ……。うぅ……。痛い……。はぁ……」
呻き、喘ぎ、身悶える大きな図体の
上半身はか細く華奢で、胸の張りを布で簡易的に巻かれた姿が見えた。そんな女性がすすり泣くように苦しんでいる。
それからすぐにアイズが追い付き、アリーゼの様子を見る。
顔を真っ赤に血で染めた痛々しい姿に驚く。割れた額からいくつかの赤い瞳が覗くが、すぐに閉じて別の裂け目からまた瞳が見えるようになる。
最初に見た時には無かった複眼があった。
(……痛そう。いや、痛いんだ。こんなに血が出てるし、額が割れているのかもしれない)
つい先日、アイズも同じような目に遭ったけれど、それよりも何倍も痛いのだ。
このまま戻すより水場で血を洗った方がいいかな、と思い辺りを見回す。
向かう先に予想がついていたが、目的地は【ファミリア】の野営地に戻るより近そうだ。
普段であればベル達が何らかの騒動を起こし、アイズ達が責める。だが、今回は逆の立場になった。その事を彼女はうっすらと思い浮かべて苦笑する。
自分も人を責められる立場ではない、という事を。
思わず受け止めたけれど血を流すモンスターは未だ呻き続け、咄嗟の事にベルは混乱状態にあった。
駆け付けたアイズの指示に従う形で大きな身体の
(……アイズさん、武器を持っていない)
常に戦い続けて来た彼女にとって相棒ともいうべき
先日までモンスターと見れば例え『
以前、
それは決してモンスターに同情を覚えたからではない。ベル・クラネルの言葉に耳を傾けてくれただけだ。
「……地上に戻ってきたばかりのベルが……、どうしてここに?」
森の中へ移動しながらアイズが疑問を覚えた。
彼女からすればダンジョンから戻ったらしっかりと休養を取るものだ。即日降りるような真似は殆どしない。
ダンジョンは気軽に散歩で来るような場所ではないからだ。
「……えーと、色々とありまして……。それより遠征に来ていた【ロキ・ファミリア】と合流するとは思っていませんでした」
「……私達だって休息するよ。休みなく深層に行ったりしない」
「それは分かるんですけど……」
(僕達の行軍が思っていたより早かったとは……)
ある程度、深い場所に
上から
以前、酒場で彼が侮辱された光景が浮かび、アイズの顔から大量の脂汗が流れ落ちる。今のままではマズイと――
「……べ、ベル。水場で頭を洗った方がいい。……血塗れになってる」
「あ、ああ、そういえば……」
水場の位置は既に把握しているのでアイズはまず彼に血を洗い落してもらい、可能であれば入れ物に水を入れて持ってきてほしいと頼んだ。
彼は快く了承してくれた。その気持ちのいい返事に胸の奥の不安が薄らいだ。
素直で優しく、冒険者らしくない可愛らしい男の子。
アイズにとって守ってあげたくなる存在だ。だが、その行動だけは認めるわけにはいかない。
彼が去ったのと入れ違いに【ロキ・ファミリア】の団員とリリルカ・アーデがほぼ同時にアイズのところにやってきた。
まず団員にアリーゼの様子を見てもらい、次に
本来ならばモンスターを匿うような相手に対して怒りを見せるアイズも今は困惑した顔になっていた。
会話が得意というわけではないので何を聞かれるのか、実のところ怖かった。
リリルカは既にある程度の状況を遠くから見ていたので驚きは無かったけれど、この状況は一体何なんですか、と聞くべきか迷っていた。
最初こそ敵対的だった【剣姫】も最終的にはウィーネを救う一助になった事を後にベルから聞かされた。だが、二度目は無い気がすると思っていたし、感じていた。
「……【剣姫】様」
「……はい」
リリルカが声をかけると企みがバレた子供のように身体を跳ねさせて小さくなる。
説教するつもりは無いがアイズの反応に驚き、苦笑する。
「リリ達に手伝えることはありませんか? 何らかの事情がおありだというのは分かりましたが……」
「い、今、ベルに水を持ってきてもらおうと……」
そう言われて
小さな体であるリリルカから見るとより一層巨大に見える。そのモンスターは荒い呼吸を繰り返し、額から血を流しながら呻き続けていた。後、何気に胸が大きい。
髪の毛は赤く、それ以外は他の
(【剣姫】様の様子から無理強いしているわけではなさそうですね。無抵抗のモンスターを武器も持たずに……。それとも武器を奪われた? 彼女に限ってそれはあり得ない気がするのですが……)
リリルカが様子を窺っている間、団員の方が早く駆け付け、様々な物が用意される。
それからは人海戦術によって辺りに飛び散った血の跡などを消したり、
冷たい水で拭かれる頃に呻いて暴れていた
「……あー、死ぬかと思った……」
落ち着いた頃に
人語を介するモンスターに対し、何の免疫も持たない彼らからすれば脅威の
対するベルとリリルカも新たな
「図体が大きくなって気軽に寝る事も出来やしない。……というより周りが全っ然見えないわ」
(頭痛はかなり治まったようだけど……。頭が相当熱を持っているわ。こういう時は眠るに限るんだけど……)
目隠ししている事は理解している。布越しでも彼女の視界は未だに真っ赤なまま。
失明なのか充血の影響なのか。
手鏡を借りても見えなければ意味が無い。そう思いつつ深くため息をつく。
「……それから、急に暴走しちゃってごめんなさい。驚いたでしょう?」
(も、モンスターが俺達の言葉を喋ってる!?)
(噂は本当だった)
(……えーと、受け答えしていいんだっけ?)
見えないながらも周りに居るであろう【ロキ・ファミリア】の冒険者達に軽く頭を下げる。それに対して冒険者達は驚きつつ呻くように僅かな返答を返す。
アイズは
目が見えないから平気でいる、というわけではないように感じた。
(武器の音にちゃんと反応した。だから、周りが殺気立っている事も分かっている。その上で笑って見せている。私達に対して敵意が無い事を示す為に)
「本当にごめんなさい。まさかあれほど痛い思いをするとは思わなくて……。自制が利かなかったのは事実だけど……」
「いいの。休んでいて。他の冒険者が近づかないように見張っているから」
すぐ近くからアイズの声が聞こえた。それを確認したアリーゼは一つ頷いてから上半身を大木に預ける。
流暢に喋るモンスターにも驚いたがアイズの態度にもベル達は驚いた。
モンスターに対してかなりの葛藤を覚えていた少女が見違えるように変わった、と。
少なくとも団長であるフィン・ディムナの命令があったからとは思えない。