孤独な神は薄荷色の夢を見る   作:投稿参謀

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月の王子は夢に惑う

 月の都には遊興施設が多い……それは、無限に続く倦怠と退廃を誤魔化す術が娯楽しかないからだ。

 食事も排泄も、結局は人間だったころのことを続けているに過ぎず、だから食料や生活に必要な物を生産したり、それを手に入れるために働く必要がない。

 

 ……なんと、無意味なことか。

 

 そんな無意味な生活の中で、少なくとも睡眠には他より幾分か意味を見出せる。

 眠っている間は苦しみから目を逸らせるし、それに……。

 

「ああ、またここか……」

 

 彼はいつからか霧の中にいた。

 着ているのは金剛を刺激するための仏教的な衣装でも、パリッとしたスーツでもなくよれよれのシャツと色褪せたズボン、髪はボサボサで冴えない眼鏡をかけている。

 ああ、懐かしい。昔自分はこんな姿をしていた……。

 

 目の前には、洒落たBARがあった。

 看板には『INFANT(インファント)』とある。馴染みの店だが、その意味は知らない。

 チリンチリンと言う鈴の鳴る小気味良い音と共に扉を開ければ、落ち着いた雰囲気の店内に異国情緒のある歌謡曲のBGMが流れている。

 

「お、また来たのか」

 

 店内に客は自分一人、そして奥のカウンターに一人の少女……いや少年?がいた。

 小柄で中性的な容姿で、黒い肌に白い髪、赤と黒と黄色の民族衣装めいた服装が、何故かよく似合う。

 

「いらっしゃい。今日は何にする?」

「いつもので頼む」

「あいよ」

 

 突然だが、明晰夢という物がる。夢の中で「これは夢だ」と自覚するあれだ。そしてこれは明晰夢に違いないと彼は思っていた。

 

「『郷愁』に『子供の頃の夢』……それに『生命賛歌』をほんの少し」

 

 何故なら、棚から酒を取り出してカクテルを作る彼女は、宝石だから。

 そう、地上にいて目的あってとはいえ自分たちが狩り立てる宝石……おそらくは、スモーキー・クオーツだろうか。

 今現在の地上では確認されていない種類の石だ。

 宝石に本来性別はないが、自分が受けた印象から彼女と呼んでいる。

 

「ほら、いつもの」

「ありがとう。いただくよ」

 

 カウンター席に腰掛け、洒落たグラスに注がれたカラフルな酒を口にする。

 

「美味い……」

 

 思わず口に出た。

 月で酒を造っている者たちには悪いが、これは別格だ。

 ほろ苦く、当の昔にないはずの五臓六腑に染み渡り、魂がほんの少し癒されるような、そんな味。

 

「いつも思うんだが、これはなんという酒なんだ?」

「さあ?」

「さあ、って……」

 

 カウンターに肘をついてこちらを見る宝石は、面白そうに笑っていた。

 

「あのな、これはお前の夢なんだ。だからこの酒も店も、お前の意識が作った物なんだから、俺が知るワケないだろう」

 

 それなら、彼女も自分の妄想か。

 当たり前だ。こんな、一見男性的に見えて内実は女性的、幼さと凛々しさが同居している、自分の理想みたいな子が現実にいるはずがない。

 まして、宝石が月人である自分に笑いかけてくれるなど……あるはずないし、あっていいはずがない。

 

「あーそれはそうと、今日はちょっと話があるんだ。俺の、保護者?からお前の考えを聞きたいって」

「ほう、母君から」

 

 保護者のことは、時折彼女の口から出るが、どうやら金剛のことではないらしい。

 鬱陶しがっているようだが、それは慕っていることの裏返しであることが見て取れ、何とも微笑ましい。

 

「ははぎみ?」

「違うのかい? 話してくれた印象からてっきり母親かと……」

「ああうん、それでいいや」

 

 歯切れが悪く、何かを誤魔化すように彼女は頭をかいた。

 

「で、俺の……ははが言うには、魂がこうして月にいつまでもいるのは、おかしいってことらしい」

「ああ、それはそうだな」

「で、ははと……他の連中も含めて、お前たちが輪廻、って奴に戻れるように祈ってるんだよ。それもほぼ毎日」

「それはありがたい」

「なのに、お前たちはここにこうしているワケで……どうしてだ?」

「…………」

 

 彼女の言葉を吟味し、思考を回す。

 

「おそらくだが、母君の言う輪廻とは、輪廻転生、つまり生まれ変わりのことだろう。生き物が死ぬとその魂は、別の生き物になる、という考え方だ。そうして魂はいつまでも輪を描くようにして周り続ける」

「へー」

「だがそれは間違いだ」

 

 力強く、ちょっと彼女に良い恰好をしたくて言い切ってみた。

 案の定、彼女は目を丸くした。

 

「生き物は死を迎えると肉と骨と魂に分解され、肉と骨は星に還る。だが魂は純粋な分子にまで分解され、宇宙の一点へと至り、そこから別の宇宙……永遠の無へと向かう。これは単なる思想や宗教の話ではなく、観測された科学現象だ」

 

 それは月人ならば、誰もが知ることだった。

 そして魂が純粋な分子に分解されるためには、誰かの祈りが必要だ。

 

「なにより、君の母君は人間ではないだろう?」

「まあな」

 

 時折、彼女の話から伺える母親の姿は人間とは思えなかった。

 強く、美しく、知性と優しさを持つ……それはもう、神か何かだ。

 

「人間が無に至るためには、同じ人間の別個体、もしくはそれに準ずる存在の祈りが必要なんだ」

「でも虫や魚は、俺たちの祈りで生まれ変わるぜ?」

「だとすれば、それは我々が生まれ変わりたくないからだろう。生とは苦痛と悲劇の連続だ」

 

 純然たる魂の変容体である自分たちは、その存在を精神に大きく依存する。

 生まれて、老いて、別れて、病んで、死ぬ。

 愛し、恨み、求め、飢え、死ぬ。

 その無限の連なりこそが生命であるならば、輪廻転生とは無限の地獄に他ならず、それを受け入れることは自分たちには到底不可能な話だった。

 

「もう嫌なんだ。生きるのも、死ぬのも、疲れきってしまった。我々にとって救いは完全な消滅だけなんだ……」

「そうか……」

 

 酒をもう一口含むが、さっきに比べると味気なく思えた。

 特に最近は、疲れを加速させる要因がいくつもある。

 

「なにか嫌なことでもあったか?」

「…………」

「あのな、ここはお前の夢なんだから、何を言ったっていいんだ」

「……ああ、そうだな」

 

 ポツポツと、自分を取り巻く物事への愚痴が出てきた。

 仲間たちのこと、金剛のこと、そしてゴジラとフォスフォフィライトのこと……他の者には、決して漏らさない愚痴だ。

 彼女は何も言わずそれを聞いてくれた。

 

「大変だな、お前も……でもさ、頑張ってるよ、お前は。宝石のことはともかく、月の連中を纏めて、あんな立派な街造ってさ。みんな感謝してると思うぜ」

「…………」

 

 グッと酒を煽り、グラスを机に置く。

 宝石の彼女にそう言われると、とうに枯れ果てたはずの罪悪感が疼く。

 

「ああ、ひょっとして、みんなの感謝が苦痛とか?」

「…………」

「吐き出しちまえよ。ここは夢の中なんだから」

 

 空になったグラスに酒が注がれる。

 

「そうだな……私は、確かに苦痛を感じている」

 

 大きな責任、皆の期待、信頼、それらが途方もなく重い。結局のところ、自分が無に至ろうとするのは、そこから一刻も早く逃げるためなのだ。

 なんて情けのない……。

 

「うんうん、大丈夫」

 

 頭に、硬質な感触があった。

 どうやら、彼女が撫でてくれているようだ。

 

「…………」

「いやさ、実のところ俺は宝石に対するあれこれを止めるよう、お前を説得するようにははたちから言われてるんだけどさ」

 

 照れくさげに、彼女が微笑む。

 

「お前のそんな様子見てたら、その件は後でもいいかな、って」

「悪い子だな」

「ああ、『良い子』は、もう一人の役目だからな」

 

 苦笑すると、ふふんと彼女は子供っぽく胸を張った。

 だがその笑みは、慈愛に満ちていた。

 

「だから悪い子の俺は……お前の秘密を聞いてやるのさ」

「私は……」

 

 そこからは、堰を切ったように色々なことを語った。

 

「私は、みんなを解放すると約束した! そのために……宝石たちを、アドミラビリスを犠牲にしてきた! 必要なことだったから!!」

「うん」

「だが、だが……分からなくなるんだ。それで本当に無に至れるのか、解放されるのか、と……」

「うん」

 

 もともと内に不安は抱えていた。

 だがあの怪物……こちらの常識の外にいるゴジラが現れてから、不安は強くなる一方だった。

 だが、こんなことは、誰にも打ち明けることはできなかった。

 他の皆が求める私は『自分たちを救ってくれる指導者』だから。そんな人物は弱音を……少なくともこんな、目指す場所への疑問という形では吐いたりしないものだ。

 でも構わない。これは夢なのだから。自分に都合のいい夢なのだから。

 

「誰か教えてほしい……私は、間違って、いないのか……?」

 

 無言で、彼女は私のことを抱きしめた。

 

「俺にはお前の求めてる答えは分からない……だから、俺にできるのはこうして少しの間、こうしてやることくらいだ」

「ああ……」

 

 硬質な感触と優しさに、そして自分の情けなさに涙が溢れてきた。

 

「ああくそ! こうして君にこんなことを言わなければ、自分を保てないような男なんだ、私は……!」

「そこが可愛いトコだ」

 

 夢の中の、都合のいい妄想にこんな言葉を吐くなんて、自分は本当に救いようがない。

 一しきり慟哭した私は、やっと彼女から手を離した。

 

「……すまない。情けないトコロを見せた」

「いいさ。王子様が俺にしか見せない一面、と思えばむしろ有難いくらいだ」

 

 頬を赤く染めながら、彼女はそんなことを言った。

 

「お前たちの苦しみは、俺には分からない。でもひょっとしたらさ、俺がお前に消えてほしくないって思ってるからかもな」

「ん?」

「お前たちが消えない理由」

 

 クシャリと、彼女は顔を歪めた。

 それは、つまり……。

 

「ははたちにも、もう一人にも、他の連中にも、誰の影響も受けずに話せるのはお前だけだから。だから、俺はお前に消えてほしくないって思ってる」

「そうか……」

「愛って、苦しいな」

「ああ……そうだな」

 

 もう一度、彼女を抱き寄せる。

 硬質な感触は、月人のそれとはまるで異なる。だが自分にとっては安らぎに満ちていた。

 

「愛してる……」

「ああ、私も愛しているよ」

「少しだけ、考えてみてくれ。お前が輪廻に戻るっていうなら、俺はついていきたい」

 

 それは酷く魅力的な提案に思えた。

 疲れ切ったはずの生も、彼女がいれば耐えられる気がした。

 

「無に至るなら?」

「その時も、ついていくさ。でもできれば、輪廻の方がいい……ははたちを説得するのが楽だ」

「そうだな。いずれにせよ、君の母君と父君に挨拶しなければな」

 

 思わず苦笑を漏らす。

 夢の中で、何を言っているのだ、自分は。

 

「いつか、必ずははたちに会ってくれよ? 会わせるって約束したからな。……モスラーヤ、モスラ―♪」

 

 彼女が口ずさむ優しいメロディが心地よく耳朶を叩く。

 もはや顔も声も思い出せない母が歌ってくれた子守唄とは、こんな感じだったのだろうか……。

 

  *  *  *

 

「…………」

 

 目を開けると、天窓から青い星が見えた。

 そこは枯れることのない草花が置かれ、清潔に保たれた自室だった。

 ベッドから上体を起こせば、自分の世話をしてくれる侍従が、脇に控えていた。

 

「夢、か」

 

 何とも、甘い夢を見たものだ。

 侍従が差し出した赤い飲み物を口に含む。それは夢で飲んだ酒と違い苦いばかりだが、それが現実だと教えてくれた。

 

「…………」

 

 輪廻に戻る。

 もしも、もしもそれでこの状況が変わるなら、それもいいのではないか?

 そんな思考は、侍従が差し出した資料によって中断される。

 

「これは?」

 

 問えば、女性と見紛うような美形の侍従は、笑顔でページをめくった。

 そこには、月に住む民の感謝の言葉がつづられていた。

 

『王子、我々を見捨てないでくれて、ありがとうございます!』

『王子、あなたならきっと私たちを解放してくれると信じています!』

『王子、無に至るために一緒に頑張りましょう!!』

 

 その言葉は、彼……エクメアと呼ばれる月人の中から、さっきまでの甘い夢の記憶を拭い去るには十分だった。

 そうだ、自分は皆に求められている。その責任を果たさねば。

 

 夢に、都合のいい夢に逃げていてはいけないのだ。

 自分が向き合うべき現実は、ここなのだから。

 

「ありがとう。君はいつも、気が利くな」

 

 侍従はニコニコと笑みながら、お疲れのようでしたので、と言ってくれた。

 ずっと自分を支えてくれた侍従には、感謝するばかりだ。

 彼と最初に出会ったのはいつのことだっただろうか? ずっと前な気もするし、ついさっきのような気もする。

 よければ、もう少しお休みになられてはいかがですが?という言葉にうなずき、エクメアはもう一度横になる。

 

「ああ、そうさせてもらう……」

 

 別の者が起こしますので、という言葉を聞いて、エクメアは安心して眠りについた。

 

「いつもすまないな……メトフィエス」

 

 ……すると、周囲の風景が一変した。

 エクメアの自室も、ベッドも、植物も、ドロドロと溶けて消え、残ったのは闇の中に横たわる彼と頭上の青い星、そして侍従メトフィエスだけだった。

 

――お休み、エンマ。死者の列を率いる英雄に相応しい、よい夢を。

 

 言葉にせず呟き、まるでお気に入りの玩具を愛でるような手つきでエクメアの頬を撫で、メトフィエスは嗤う。似た名を持つ、賢人を破滅させようした、かの悪魔のように。

 

 ……当然、ここは現実などではなかった。現実と見紛うような夢の中だった。

 夢の中で甘い夢を見るとは、胡蝶の夢とはよく言ったものだ。

 

 これでエクメアは、宝石との出会いも彼の言葉も単なる自分の妄想だと思い込み、その責任感と怜悧な思考故にメトフィエスが見せた『現実』にかかりきりになるだろう。

 

 そう、この場所は夢の中だがエクメアに見せた月人たちの声は現実の物だ。

 自らは状況を改善しようとせず、その気力もなく、自分で考えることすらせず、ただエクメアに縋りつくばかりの餓鬼どもの泣き言。

 だがそれはこの男の精神を縛り付け、押し潰し、救いの糸を断ち切るのだ。

 

 クスクスと笑いながらメトフィエスが手を翳すと、飲み物の入ったグラスが現れた。

 飲み物は、宝石たちのように純粋で無情に輝き、アドミラビリスが死して腐るような臭いがし、そして口に含めば月人たちの愚かさと哀れさを現すように甘美な味がした。

 

 ……が、微かな濁りを感じ、顔をしかめる。

 

 グラスを握りつぶすと、そこから聞こえてくるのは、ゴジラ、ラドン、モスラ、バトラ……怪獣たちの咆哮。最後に聞こえたのは、あの薄荷色の新顔の声だった。

 力強い剥き出しの命の声。変革をもたらす号砲。

 

――そうか、お前たちはこの世界でも我が敵であってくれるか。

 

 そしてメトフィエス……その名を持つ別の世界の人物の姿を借りた()()は青い星を見上げた。

口元には、笑みが浮かぶ。

 

――逢える時が待ち遠しいな。ゴジラ……愛しき怨敵よ。

 

 歌うような声なき言葉にはエクメアに対するのとは違う、もっと重く昏く深い執着が込められていた。()()にとってエクメアや月人など、ゴジラの前には塵にも等しいと言わんばかりに。

 

 ()()は、ここよりも上位の次元に位置する存在だ。

 ()()は、永遠の時を彷徨う月人からしてみても、理解不能な存在だ。

 ()()は、まさに神と呼ぶに相応しい力を持った存在だ。

 

 だがしかし、多くの神話が語るように、神とは……人間を、弄ぶものなのだ。

 




怪獣の意向、part2。

???「わーい、(ゴジラのついでに)下等生物の希望を踏み躙って遊ぶの、たーのしー!」

実はこの話、結構前から書いてたけど、投稿すべきかどうかずっと迷ってた話です。絶対に反感を買う内容だし。
原作のエクメアは内面はどうあれ、こんな泣き言は絶対に言わないと思う(時々鬱ってるときも、基本的に自分の行為が間違ってるのでは?系のことは言わない)けど、本人が夢だと認識してますんで。
甘く優しく、故に意味のない夢だと。

まだ名前のない彼が惚れた理由も、原作とはちょっと違ったり。

以下キャラ紹介。

メトフィエス?
性別:男性?
役職:侍従?

現実と見紛うような夢を作り出し、エクメアを導いて(?)いる。
その正体は、別世界の同名の男の姿を借りた、何か。

原作『宝石の国』には絶対に存在しないし、存在してはいけない、悪意に満ちた『都合のいい悪者』
ある意味では、彼もまた『無情ではあるが、だからこそ明確な悪意もない(人間化フォス除く)』というこの世界の摂理を破壊する『怪獣』である。

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