ゴジラの背に乗り、フォスは海を行く。
水飛沫が肌にかかり、かつてなら白粉が剥がれて酷いことになったのだろうが、今ならばへっちゃらだ。
時に魚群の間を抜け、水面を跳ねる大型の魚もいた。
日が暮れると、クロと一緒に海底で眠った。
海底には図書室の本にも乗っていない生き物がたくさんいた。特に驚いたのは、前脚がない大きくて狂暴な生き物だ。
長い尻尾で器用に泳ぐ彼等は、他の生き物を積極的に襲っていた。爬虫類、と呼ばれる生き物の、おそらく最後の種だとクロが教えてくれた。
「やっぱり、クロは物知りだね。僕なんか、まだまだ知らないことばっかりだ」
当たり前だ、とクロは返した。
「そう言えば、こうして二人きりってのも久し振りだね」
思えば、昔はこうしてクロとずっと話していたものだ。
昔から、彼はフォスにとって最高の親友、いやそれ以上だった。
そう言えば、こうして直に触れ合うのはこれで僅かに二度目か。ウェントリコススと共に海に行ったときが、一度目だ。
「そう言えばさ、ガルーダが大きくなったんだよ。見てたでしょう? 僕驚いたよ!」
色々なことを話した。色々なことを教えてもらった。
いつもいつも守ってくれた。
フォスはクロのことが、大好きだった。
「クロ……」
いつまでも、傍にいてくれると思っていた……。
* * *
宝石たちの学校の一室。
そこに主だった宝石や金剛先生が集まり、今回のことについて話し合っていた。
だが、シンシャが語ったことは、信じがたいことだった。
「ゴジラが……死ぬ!?」
それを聞いたとき、ジェードはとても信じられなかった。
人智を越えた力を持つ、無敵の大怪獣。それは不滅に近いのだと、朧気に思っていたのだ。
「……もともと、クロは限界だったんだ」
シンシャは静かに頷いた。
仮死状態だったとはいえ億年の時を生き抜き、その後は碌なエネルギー補給もないままだった。
いかにフォスからエネルギーを貰ったとはいえ、それは一時の活力を与えただけ。尽きる命数を伸ばすことはできなかったのだ。
「クロ殿……ゴジラは本来、放射能と呼ばれる毒を体から発する。……目には見えず、しかし体の内側の情報を破壊してしまう、恐ろしい毒だ」
金剛先生は、険しい顔を崩さずに言った。
「今は押さえているようだが、死すればその限りではないだろう……」
「故にクロ殿は、自らの死に場所を海底火山……遥か地の底へと続く大穴と決めたのだ。分厚い岩と土が、件の毒を防いでくれる」
この場には変わった客もいた。
アドミラビリスの王、ウェントリコススと母の腕に抱かれた彼の息子だ。彼女は短時間なら、丘の上で人型を保ち、皆と話すことができた。
「なんだ、それは……!」
アンタークは、天を仰いだ。
そんなことがあっていいのか。あんなにも、金剛先生に逆らってまで必死に走って、戦って、みんなに助けてもらって、その結果がゴジラの死とは。
「あんまりじゃないか、なんのためにフォスは……!! こんな馬鹿な話があるか……!」
「少なくとも……心を整理するだけの、時間は作れた。そのはずよ」
アレキは皆の目があるにも関わらず膝を抱えて座り込んでいた。そうと思わなければ、やっていれないという声だった。
「命は尽きるものじゃ。どれだけ長大でも、一見永遠に見えても、最後には必ず死を迎える……それは覆しようのないことなのじゃ」
「そうだな……本来は、そういうものなのだろうな」
ウェントリコススの諭すような声に頷いたのは、金剛先生だった。
「俺たちにできることは、もう無いか……」
「せいぜいがフォスを迎えてやることくらいですね」
イエローとルチルも、鎮痛な面持ちだった。
だが首を横に振ったのは、ベニトアイトだった。
特にゴジラを恐れていた彼だからこそ、この結末に納得しかねるようだった。
「でも、これじゃあまるでフォスが戦った意味が……」
「意味ならあったさ」
強い意思を込めてそれを否定したのは、シンシャだった。
直接見たからこそわかる。あの赤い怪物、デストロイアは本当に恐ろしい相手だった。月人はデストロイアを利用しようとしていたようだが、あの怪物が易々とコントロールされるとは思えない。
仮にデストロイアを何とかできる算段があったとして、どこかの時点で月人の手に負えなくなったはずだ。
そうなれば、デストロイアは宝石やアドミラビリスにも牙を剥いただろう。金剛先生ならば倒せたかもしれないが、その間にどれだけの犠牲が出たか……。
ゴジラは、自分たちを救ったのだ。本人にそのつもりがなかったとしても、それは確かなことだった。
「意味ならあった、あったんだ」
だとしても、シンシャの言葉はどこか祈っているようにも聞こえた。
「どういう感じなのかな? ……友達が、死ぬ。永遠にいなくなるって」
そう呟いたのは、ユークレースだった。
宝石にとって『死』は遠い。バラバラになろうが、粉にされようが、死ぬことはない。月にさらわれた皆も、いつかは取り戻せるかもしれない。
ゴジラの登場で死を近くに感じた彼等だが、未だ誰かの完全な喪失を経験していはいなかった。
「死はなにもかも台無しにするが、命を価値あるものにしてくれる……儂がフォスに言ったセリフだが、しかし……」
ウェントリコススは、曖昧に微笑んだ。
「命は巡る。魂はきっと旅立つ。それでも……」
ゴーストは自分の肩を抱きながら、顔を伏せた。
「親しい者の死はきっと……耐え難いほど、辛く悲しいことなのだ」
金剛先生は、ついに険しい顔を崩すことはなく目を瞑った。まるで瞼の裏に見えた誰かの面影に思いを馳せているかのように。
* * *
三回ほど日の出と日の入りを繰り返し、クロはそこに辿り着いた。
自分が地の底から這いだしてきた海底火山の火口だ。
そこは熱で海水が高温になり、水蒸気が濛々と立ち込めている。
「クロ……!」
この短い旅の間に、フォスに自分の記憶の全てを預けた。自分はもう十分に生きた……いや、十分などと言うことは有り得ない。
自分だって、本当は逝きたくはない。もっと多くの時間、多くの出来事を、共に過ごしたかった。
「クロ、クロ……やっぱり嫌だ……!!」
覚悟を決めていたはずのフォスが、背に縋りついている。
「死なないで、死なないでよ。お願いだよ、クロ……!」
フォス。
フォス、よく聞いてくれ。
自分はずっと独りぼっちだった。
父も、母も、友も、皆消えてしまった。自分を憶えているものとて、もはやいない。
孤独に過ごす時間が、どれほど辛いことだったか、今なら分かるはずだ。
「わかるよ! だから、ずっと一緒にいてほしいんじゃないか!!」
ああ、そうだな。
自分もそう思っていた。父に、母に、ずっとずっと生きていてほしかった。でも父は、自分を生かすために死んでいった。
自分一人残して逝ってしまったことを、正直恨みもした。
だが今なら、その意味が分かる気がする。
「僕には、僕には分からない……!」
父は自分を愛してくれた。
自分も、フォスを愛している。だから、君に生きていてもらうために逝くんだ。この身に宿る毒で、君や仲間たちを不幸にしないように。
「そんなの、勝手じゃないか! シンシャも、クロも、どうしてそんなに……」
シンシャ。
あの赤い宝石。確かに体に毒を宿すという意味では、自分と同じかもしれないな。
だけど、彼と自分では違う。自分の毒は、シンシャのそれよりも遥かに恐ろしい物なんだと説明しただろう?
「そんなの、わかるもんか! 僕は絶対に、離れない! どうしてもって言うなら、僕も……」
「こらこら、あまりクロ殿を困らせるものじゃあないよ」
不意に、ずっと自分たちを追ってきていた小さな、しかしフォスよりも大きな影が触手を伸ばし、彼を自分の背から引き剥がした。
「行こう、フォスフォフィライト」
「弟さん……!!」
それはウェントリコススの弟のアクレアツスだった。
フォスに万が一のことがないようにと、ずっと二人の後をつけてきていたのだ。ガルーダや彼の姉と違い、肉体的にフォスの影響を受けていない彼は、フォスに気付かれることなくここまで来れた。
汚れ役を押し付けてすまない、と視線を送ると、アドミラビリスの王弟は、いつもと違う真剣な視線を返してきた。
「……おさらばです、偉大なる王よ。どうか、あなたの最後が安らかでありますように」
「駄目だ、放して!! クロ、クロォ!!」
足掻くフォスが離れていく。
火口に潜っていくと、遥か下に赤く燃えるマグマが見えた。
「大人しくしろ、とは言わない。だが君は……」
「放して! 放せ!!」
「それはできない。……追えば君まで死にかねない。アドミラビリスの誇りにかけて、それだけは許せない」
マグマに落ちた宝石がどうなるのか分からない。あるいは宝石が溶けてもインクルージョンだけは生き残るのかも知れないが、少なくとも元には戻れないだろう。
「クロ、クロォ、いかないで! 僕を置いていかないでよ!!」
フォス。
自分の同族。自分の……親友。
億年の孤独の果てに、戦いの日々の末に。
君がいた。
君がいてくれた。
君がいてくれて、よかった。
フォスと出会えたから、君を守ることができたから、自分のこの数年と
……さようなら。
「クロ!!」
だが最後に……せめて、君に贈り物をしたい。
マグマの海に潜りながら身内に力をこめ、体内の原子炉を臨界状態にまで持っていく。
父がそうであったように、体内から炎に融けて、消え去るために。そして……。
……星よ。
命育んできた星よ。死にゆく星よ。
祈りなどと人間のようなことは言わぬ。あるいは自分がそうであるように、このまま朽ちゆくが幸福なのかもしれぬ。
それでも、どうか、今一度……。
今一度、我が友に、あの優しい子と、その仲間たちに……未来を!!
「クローーーーー!」
体が内側から力が溢れ出し、骨が融けて肉が爆ぜる。魂が、消えていく。
その瞬間に、見えた。
嗚呼、お父さん……お母さ、ん、み……んな、そこに……いて…………。
地中奥深く、星の内側で、大きな爆発が起こった。
海が震えた。凄まじい衝撃が海底を揺らし、それが新たな潮流を生んだ。
空が震えた。余波だけで気流が生まれ淀んだ空気を吹き飛ばす。
星が震えた。エネルギーが地中を、マントル層を駆け巡り地殻を揺るがす。
それは遠い遠い昔から生きてきた一族の生き残りが、ついに命を終えた輝きだった。
だけど、それを見ていたのは、薄荷色の宝石と、黒いアドミラビリス、上空を飛び回る発光妖精たち、遠くから観察していた月人……そして、何処かで寂しげにグラスを傾けるメトフィエスだけだった。
……ゴジラの死によって発せられたエネルギーは、やがて星の核にまで到達した。
もはやゆっくりと停止に向かっていくばかりのそこが大きく揺さぶられ、少しずつ活性化していく。
あたかも、止まっていた心臓が、鼓動を再開したかのように。
最初から、物語の途中でクロが退場するのは決まっていました。