「……もうついてきてないな」
木の陰からキョロキョロと辺りを見渡すが、近くに妖精ヤクザの姿はない。俺はホッと一息ついて、木立ちから身体を出す。
そもそも厄まみれの刀で殴っておいて逃げるのは、不誠実なことだと思う。だがしかし、鬼気迫る表情でバチバチと地面を鞭打ちながら追ってくる彼女らが、俺ごときの安い土下座で気が済むわけがない。
指の一本や二本は軽く持っていかれるだろう、ヤクザだし。
今はほとぼりが冷めるのを待つのが一番なんだ、きっと。たぶん、メイビー。
「あっ」
「おっ?」
そんなことを自分に言い聞かせていると、見知った顔が通りがかった。
脇の部分が大きく開いた、紅白の巫女服。そんな扇情的な衣装をしている知り合いは二人といない。
「よお、霊夢」
「……あんたも来てたのね」
軽く手を振って挨拶をすると、霊夢ににべもなくあしらわれる。
大丈夫、俺は先の異変で霊夢がツンデレということを知った。多少冷たくされたって、豆腐メンタルにヒビが入る程度だ。
「霊夢、そいつ知り合いなのか?」
そこで、霊夢の横から金髪少女が口を挟んだ。
黒いドレスに、白いエプロン。黒の三角帽子も相まって、その白黒のカラーリングはいかにも魔法使いといった様子。
片側だけをおさげにして前に垂らした艶やかな金色の髪は、彼女の女子力を控えめに主張しているかのようだった。
初対面の人物だ。見たところ、歳は霊夢と同じくらいだろうか。
「前に言った、異変の黒幕を一緒に倒したやつよ」
「そんなやつがいたのか、初耳だぜ」
「あんたが聞き流してたんでしょうが……」
金髪の魔法使いがあまりに悪びれる様子もなく言い放つので、霊夢は肩をすくめて疲労感たっぷりのため息をつく。どうやら宴会の準備もあって、霊夢はかなりお疲れのようだ。
憂さ晴らしになるといいが、あとで酒でもついで労うとしよう。
そんなことを思っていると、黄土色の瞳がこちらに向く。
「私は普通の魔法使い、霧雨魔理沙だぜ。霊夢とはまあ、昔馴染みってやつだな。よろしくな!」
「ん、禍って妖怪の禍津神砕過だ。気軽にサイカちゃんって呼んでくれ」
「おっ、じゃあ私は魔理沙ちゃんかな」
人懐っこい笑みを浮かべて、魔理沙は言う。
なるほど、恐ろしいほどに人当たりが良い。霊夢と昔馴染みだというのも頷けるコミュ力だ。ふえぇ、陽キャこわいよぉ……。
「黒幕とは会えなかったけど、私も紅魔館にいたんだぜ?」
「……ホントにいたか? 天井ぶち抜いたり、かなり大胆に動いたけど見なかったぞ」
「なーんか騒がしいなと思ったんだが、あれはサイカちゃんの仕業だったのか」
正確には俺ではなく、フランの仕業なのだが――って、マジでサイカちゃん呼びでいくのか? もしかして軽い冗談か? 今はツッコミ待ちなのか? 俺も魔理沙ちゃんって呼んだほうがいい?
「あれをなんか騒がしいだけで済ませちゃう魔理沙も魔理沙よね」
「いやぁ、ナイフが眉間に迫ってたもんで……」
呆れ顔の霊夢に、魔理沙ちゃんは気恥しそうに頭を掻く。いや、ナイフが眉間に迫るってどういう状況だよ。
「あのメイドはナイフを投げてくるのか」
「それもメイドの能力で時間を止めてな? いきなり目の前にナイフが出てきてビビったぜ」
あれは危なかったなぁ、と魔理沙ちゃんはしみじみと呟く。なんか、ちゃん付けする度にいちいち小っ恥ずかしいな。
「いやはや、とても人間とは思えなかったよ」
「人間!?」
聞き捨てならない言葉に、俺は大きく身を乗り出す。あの悪魔の館に、人間のメイドがいたというのか。
「おおうっ、なんだいきなり!」
「人間がいたのかっ!」
仰け反って魔理沙ちゃんが距離を取るが、ぐいっと俺は詰め寄る。ソーシャルディスタンスなぞなんのその、互いの吐息がかかるほどの距離で視線がからむ。
ぱっと魔理沙ちゃんが顔を赤くして、慌てた様子で目を逸らした。
「そうだよっ! メイドは人間だったけど、それがどうかしたのか!」
目を合わせず、魔理沙ちゃんは声を張って答えた。俺はそれを耳にして、さながら糸の切れたマリオネットのように、ばたりと膝から崩れ落ちる。
して……どうして……。
一体、俺が何をしたっていうんだ。
「くっそぉ、羨ましいなァおい!」
俺がこの異変で出会ったのは、よくわからん門番の妖怪に、魔女とその使い魔、そして吸血鬼の姉妹。清々しいほどに、ことごとく妖怪なのだ。
なぜ人を好きな俺が、ここまで人間に縁がないのか。
日頃の行いは良くしているつもりだというのに。
現在進行形で妖精メイドたちから逃げていること以外、まったく憶えがないので、歯噛みする思いである。
「なんだお前、人間が好きなのか?」
困惑した顔で、魔理沙ちゃんが問いかけてくる。
妖怪は人間を襲い、人間は妖怪を退治する。
妖怪と人間が共存すると謳い文句の幻想郷でさえ、それが常識であった。中立な立場の妖怪は稀にいるが、人間が好きとまでいうのは、それこそ河童くらいのものだろう。
「ああ……俺は、人間に救われた妖怪だからな」
深くは語らなかった。
過去の記憶を辿るのは、あまり心が弾まない。恩人の顔を思い出そうとすると、記憶にモヤがかかってしまう。それはきっと、時間の経過だけが理由じゃない。
俺自身が――、忘れようとしたからだ。
「そう、なんだな」
そんな俺の胸中を察したのか、魔理沙ちゃんがそれ以上言及してくることはなかった。
なんとも言えない気まずい空気が、辺りに漂う。気重に、沈黙の帳が降りた。
「ちょっと、私も人間なんだけど」
それを破ったのは、霊夢であった。
意外な助け舟に、思わず口元を綻ばせてしまう。こちらに向ける霊夢の気怠げな瞳が、俺のやるべきことを示唆しているような気がした。
「おいおい、その実力で人間は無理があるだろ? はたから見ちゃほとんど妖怪だぜ」
「っ、あんたねぇ……!」
やっぱり、湿っぽい雰囲気は俺には似合わない。
俺が茶化して、霊夢が憤る。
取って付けたような、いつもの調子。しかし、先程までの重たい空気はどこかへと霧散した。
ありがとな、と胸の内で霊夢に感謝を告げる。
霊夢の不器用な優しさに、声に出して感謝を伝えるのは無粋な気がしたのが半分。もう半分は、単に気恥ずかしかったからだ。
「しっかし――」
異変のときはそんな暇はなかったが、改めて霊夢の顔をじっくりと見る。
その黒髪は光を織り込んで、絹のようにきらきらと艶めき――やはり、強烈な既視感に襲われる。その髪を飾る大きめの赤いリボンにも、僅かに茶色に輝く瞳にも。
いつも、何かが脳裏を掠めて、思い出しそうになるのだ。しかし、茫洋としてはっきりしない。まるで記憶に蓋がされているかのように、突っかかってしまう。
それが、とても大切なものだった気がして――、
「俺たち、どこかであったことがないか?」
もやもやとして居心地の悪いその感覚に、思わず口に出していた。
「……なに? 新手のナンパ?」
「思いっきり嫌そうな顔するなよ」
ほんの少し固まったあと、露骨に霊夢は顔をしかめた。
例えナンパだとしても、もう少し嬉しそうにしてほしいものだ。割とへこむ。
「うーん……」
人知れず傷心していると、魔理沙ちゃんが何か呻いていることに気が付いた。
「私もなーんか初めてあった気がしないんだよなぁ……。なんだろう? 雰囲気かな」
顎に手を当てて、魔理沙ちゃんは思考に耽っている。頭のてっぺんから爪先まで、舐めるように彼女の見定める視線が這う。
だが不思議なことに、俺は魔理沙ちゃんを見ても既視感を抱かない。
「魔理沙ちゃんとは初対面だぜ?」
「いやなんか私には冷たくないか!?」
魔理沙ちゃんは抗議を申し立てるが、事実だし仕方がない――ハッ! 霊夢の理論になぞらえると、この状況はもしや、逆ナンというやつではなかろうか?
いやぁ、困っちゃうなあ。さっき出会ったばかりだってのになあ。
ハア……。
我ながら気持ちの悪い勘繰りに、クソデカため息が零れる。順当に考えて、これは魔理沙ちゃんの場を和ますための気遣いだろうがよ。
「よし決めた、今晩はサイカちゃんと酌み交わす!」
「え?」
急な魔理沙ちゃんの宣言に、一瞬呆けてしまう。
「なあに、酒を飲み交わせば仲も深まるさ。私の華麗なるメイドとの闘い、とくと語ってやるぜ!」
そう言って、魔理沙ちゃんは意気揚々と俺の手を取る。これはもしや……俗にいう逆ナン!?
一度下げてから上げるとか、意外にも魔理沙ちゃんには人たらしの気質があるのかもしれない。人じゃないけど。
日が落ち、夜の色が濃くなる。
すでに酒宴は始まっているらしく、喧騒の中へと手を引かれる。その様を、どこか面白くなさそうに眺める霊夢の姿が、ひどく印象に残った。
霊夢への既視感の正体は永夜抄のあと、魔理沙の初めてあった気がしないは緋想天のときに回収する予定です。それまで作者がエタらなければなァ!
次の話はすぐに投稿できると思います。