石のように冷たい床の上で、粛々と座禅を組んでいた。
秋はいつの間にやら過ぎ去って、窓からは寒々しい北風が吹き込んでくる。吐く息は冬の空気に雪化粧され、天晴れなほど白く浮かび上がった。嗚呼、寒い。
「思い出す修行、か」
自分の声が木霊する。
わざわざ俺がこんなクッソ寒い床に座っているのは、日課としている修行のためだった。師匠はこれを、過去を再体験する修行と称していたっけな。
日課としていると大きくいっても、つい最近まで俺はこの修行を疎かにしていた。
今だからこそ白状するが、師匠の屋敷に住み込みだったときにはこの修行中、黙想していると見せかけて眠りこけていたくらいだ。
転機となったのは、あの宴会の夜。
あれ以来、恩人のことを割り切って考えることができるようになったからか、過去を思い返すのに抵抗がなくなった。霊夢にはマジ感謝だな。
「ふぅー……」
再び息をついて、過去に思いを馳せる。
目を閉じれば、たちまち現在と過去の境界が曖昧になってゆく。さながら走馬灯のように、パラパラと懐かしい風景が頭の中を駆けめぐった。
やはり俺の人生、くだらない事が大半だ。
師匠に拳骨を食らわせられたことや、文さんに真冬の川に突き落とされたこと。けっこう昔のことも憶えてるもんだなぁ、と懐かしく思う。
そんな中、ひと際ぼんやりとした記憶があった。
遠い、遠い過去。
雲の中に立っているかのようにそのすべてが朧気で、気まぐれに形を成している。
モヤがかって、この場所がどこであるかも分からないはずなのに、誰かが佇んでいた。
やはりその何者かも、水気たっぷりの絵の具で塗りたくられたように滲んでいて、判然としない。ぬっぺふほふ、或いはのっぺらぼうかと思ったが、体躯は少女のそれだ。
なんだ、この記憶は。
抽象的過ぎて、なにも分からない。俺は本当に、この過去を体験したというのだろうか。ひと月前の朝飯の方がまだ憶えているぞ。
考えを巡らせているうちに、のっぺらぼうが、何かをこちらに手渡してくる。
その手に載っていたのは、小ぶりの白詰草。その押し花だった。特に珍しくもないはずなのに、それだけはやけに色鮮やかに、そして明瞭に瞳を射す。
これは――、
「あの――」
「……ハッ!」
不意に掛けられたその声が呼び水となって、のっぺらぼうは風にさらわれ塵となって消え去った。意識が現実へと引っ張り上げられる。
目蓋を開けば、眩しいくらいの銀色が視界に飛び込んだ。
「え? あ、咲夜さん? なんで?」
「あ、どうも」
膝をつきこちらを覗き込んでいたのは、紅魔館のメイド長である
彼女との初対面は宴会の夜。レミリアとフランの付き人としてやってきたところだ。
最初こそ生の人間だときょどったものだが、なんてことはない。彼女も霊夢と同じ、超人だったのだから。
「いやなんでいるんですか、咲夜さん」
なんだかデジャブを感じる。
おかしいな、ここって俺の家だよなと心配になって辺りを見渡すが、あの名月を家の中で振ったら出来てしまった天井の傷、紛うことなく我が家だ。
「ああ、どうやって禍津神さんの家の場所を知ったか、ですか? それはですね、僭越ながら宴の夜、後をつけさせていただきました」
「ブルータス、お前もか」
なぜか誇らしげに語る咲夜さんに、思わずツッコんでしまう。いや、文さんといい、あの日の俺ちょっとつけられすぎじゃない?
「まあいいや。とりあえず、苗字で呼ぶのはよしてくれないか? 厨二病ぽくって、あんまり好きじゃないんだ」
「……砕過という名前も、十分厨二くさいと思いますが?」
「黙れ」
それは言ってはならないことだ。
「……承知しました。それでは砕過さん、と」
「おうよ」
頬をやや赤くして、咲夜さんは口にした。
鉄の仮面とはいかないまでも、咲夜さんはあまり感情が表に出るタイプではない、と思う。
そんな彼女が、ただ男の名前を呼ぶだけで俯いている姿に、言い慣れてないんだなあ、と変な初々しさを感じる。数瞬前の怒りも引っ込むというもんだ。
「今日お尋ねしたのは、折り入ってお頼みしたいことがありまして」
コホンと可愛らしい咳払いを一つ、改まって咲夜さんは話し始めた。
あの完璧で瀟洒な――嫌味ではない――咲夜さんが、わざわざ家に訪れるまでの頼み事。いったいどんな悩みなんだと、聞く耳に力が入る。
「実はかくかくしかじかで……」
「なるほどぉ」
時間にして、一刻(二時間)ほど。
長々と、モジモジと、時間を操れるくせして時間がないだとか、そんな言い訳じみた言葉を咲夜さんは並べていたが、要約すると彼女の悩みは――
「――つまり、フランと仲良くなりたい、と」
「……はい、恥ずかしながら。妹様が一番楽しげにおられるのは、砕過さんと一緒の時かな、と」
流石に一番かどうかはわからないが、自惚れでなければ、俺はフランから慕われている方だと思う。咲夜さんの頼みとあれば、二人の
「よしっ、俺に任せろ!」
「おお、なにか策がおありですか」
「ああ!」
俺は自信ありと得意げな顔をして、その名案を口にする。
「ずばり、『泣いた赤鬼』作戦だ!」
泣いた赤鬼という話は、あまりに有名だ。といっても、俺は師匠に読み聞かされて初めて知ったのだけど。
あらすじは確か、
とある山に人間が好きな赤鬼が住んでいて、彼らの仲を取り持つために、友人のピンク髪の鬼がひと肌脱ぐという物語。
ピンク髪の鬼は人里で暴れまわり、それを赤鬼が止めて人々を助ける。これによりめでたく赤鬼は人間と仲良くなれたが、ピンク髪の鬼は、
『私とこのまま付き合っていると、貴方も悪い鬼だと思われかねない。私は旅に出ることにしたわ。でも安心して。どこにいようとも、私は貴方の友人だから』
と書置きを残して旅立ってしまうのだ。それを読んだ赤鬼は、ピンク髪の鬼の優しさに何度も何度も涙を流したという。
まったく、泣ける話だぜ……!
「本当にやるのですか……?」
俺が頭の中で作戦を確認していると、横にいる咲夜さんが、不安そうな声を小さく漏らした。ちらりと、柱の陰から廊下を盗み見る。
そこには分厚い本を片手に軽やかな足取りで歩く、少女の後ろ姿。あの揺れ動く七色の羽は、間違いなくフランだ。
「大丈夫だ、問題ない」
心配させまいと、力強く答える。
いざ、と腹を括って、柱の陰から躍り出た。
「おーい、ふらふらのフラーン!」
「あれ、サイカ?」
別にふらふらでもないが思いつきで名前を呼べば、フランが金色の髪を揺らしてこちらに振り向いた。無垢な瞳が俺を射抜く。途端に、不安が襲ってくる。
作戦のためとはいえ、俺はこれから、フランに嫌われるようなことを言わなければならないからだ。
足が竦んだ。不意に床が抜けてしまったかのような錯覚に陥る。
惑い、葛藤の末に、俺は両目を瞑って――、
「フランのプリン食べちゃったぁぁああああああああああああっ!」
「ぇええ!?」
いきなり紅魔館に上がり込んで、いきなりプリンを掻き込んだやつがいるらしい。顧みると、とんでもない変質者な気がするぜ!
「すまん、でも新しいプリンを咲夜さんが――」
「まあいっか」
「えっ、いいの?」
思いがけないフランの一言に、素っ頓狂な声を上げてしまった。無理もないだろう、人のプリンを勝手に食べるなんて、俺の世界じゃ島流しは当たり前だ。
そんな俺の反応に、フランは苦笑して衝撃の事実を述べる。
「うん、だってあれ、元々サイカのために作ったんだもん」
「そういうことだったのか……」
件のプリンの味を思い出して、俺はフランの手作りだったことに対して驚くよりも、だからかと腑に落ちる。
……あれはね、食べ物じゃなかったよ。
「風の便りで天狗がサイカに料理を振る舞ったって聞いたから、私も作ってみたの」
「便利だね風の便り」
ホントになんで知ってるんだろう。まさかそんなことを文さんが記事にしたわけじゃあるまいし。
「それで……どうだった?」
破壊力Aはあるだろう上目遣いで、フランが訊ねてくる。
そんなつぶらな瞳を向けられて、素直に生臭かったですとは言えるはずもなく、俺は精一杯の誉め言葉を絞り出す。
「エキセントリックな味だったぜ」
それだけでは事足りないほどに、エキセントリック過ぎたけど。
「よかったぁ……っ。砂糖と間違えて砂利をぶち込んじゃったから、心配してたの」
「やべえ」
一安心というふうに胸を撫で下ろすフランに、俺は心の中でどうやったら間違えんねん、と覚束無い関西弁でツッコンでしまった。
そして、それはフランの自覚しているところに過ぎない。つまり、実際はもっとやばかった。
一口味わえばまず初めに、エグ味が舌を破壊してきた。あの強烈な生臭さ、何をトチ狂ったのか魚のすり身を混ぜたに違いない。
カラメルソースは訳の分からない鉄臭さを放っていたし――というか、錆汁だよねアレ。どういうことだってばよ……。
申し訳程度にサッパリとした後味がやってきたが、文さんと同じく、今が旬の柚子を隠し味に使ったってところかな? やかましいわ。
食しているとき俺は、これって咲夜さんがフランに作ったものだよな。フランの好みエキセントリック過ぎひん? と驚愕していたが、なるほどそういうことだったのか。
「でもダメだよ? 勝手に他人の家のモノ食べちゃ」
「肝に銘じます」
自主的に銘じるというよりも、あまりのテーストに心に焼き付いてしまったのだが。
「それより! フランはプリン食べたくないか?」
「んー、別にいいかな。あんまり甘いものって好きじゃないもの」
「マジかよ」
強引に軌道修正を試みるも、フランの意外な好みに阻まれてしまう。まずい、出番まだですか……? みたいな、しょぼんとした瞳で咲夜さんが見つめてきている。
どうする……? 一体どうすれば、フランと咲夜さんが仲良くなれる?
「あっ、咲夜!」
『泣いた赤鬼』作戦が破綻してしまい、俺がずぶずぶと思考の底なし沼にハマっていたその時、不意にフランが名前を呼んだ。
「……おはようございます、妹様」
柱の陰から、気まずそうな顔をした咲夜さんが出て来る。いや、『出て来た』というより、これじゃあまさに『ひきずり出された』という感じ…だよ〜〜。
もはや為す術がない。でもよく考えたら、誰かと仲良くなるために作戦とか考えないよな。
「咲夜、これを読んでほしいの!」
そんな今回の話を根本から覆すことを考えていると、フランが分厚い本を咲夜さんに手渡した。
随分と年季が入っているようだが、保管状態が良いらしく目立った傷はない。黄ばんだ表紙に『そして誰もいなくなった』と、タイトルが記されていた。
俺はそんな、フランから咲夜さんに歩み寄ってゆく姿を眺めて、愁眉を開いた。
なんだ、フランも咲夜さんも、互いに仲良くなりたいと思っていた、相思相愛の仲だったんじゃないか、と。
「承知致しました、妹様」
咲夜さんは朗らかな笑みを浮かべて、その本を受け取った。そんな顔ができるのだ、やっぱり咲夜さんは鉄の仮面などではないな、と改めて思う。
またねサイカ〜、とフランが手を振り、咲夜さんも一礼をして大図書館へ向かっていく。俺はそれに手を振り返しながら、思う。
今回、俺プリン食べただけじゃね?
Snowing spring is coming soon……
春雪異変は最後まで書き切って伏線を張ってから投稿したいので、次の更新はまた遅くなります。