俺には、一抹の不安があった。
日々の鍛錬や修行は、この身から溢れる災いを操るためのものだ。俺は基本的に三日坊主で飽き性だが、もう誰一人傷つけないようにと、それだけは続けている。
しかし、禍という妖怪は元来、災禍を生み出す存在である。その力は空を曇らせ嵐を巻き起こし、国すらも滅ぼす程だったと聞く。
もし俺が、完璧に災いを操れるようになったとして、もう災いを生み出すことがなくなったとして。
それは、禍という妖怪を否定することなのではないか。災禍を生み出す妖怪であるはずの俺は、それを操ってしまった時、消えてしまうのではないか、と。
幸い、今のところその様子はない。
けれど、しだいにこの手が透けていって、いつか失くなってしまうのではないかと、途端に心配になることがあった。
「――ほう、霊夢がそんなことを。意外に可愛いところもあるじゃないか」
香霖堂に戻り、あの悲しい事件の顛末を話すと、霖之助さんはそんな訳の分からない感想を述べた。
可愛いだろうか? あれが。もしかしたら、霖之助さんには女の子にいじめられたいというマゾヒストの気質があるのかもしれない。
「とにかく、この異変解決は霊夢たちに任せるしかないな。悔しいけど」
「ああ、冥界に行きたいんだって? ちょっと待っててくれ。良いものがあるんだ」
「良いもの?」
そう言ったきり、霖之助さんは店の奥へと行ってしまった。ガサゴソと、何かをひっくり返す音がひっきりなしに聞こえてくる。
手持ち無沙汰になった俺は、香霖堂の中を物色することにした。
視線をちょっと動かせば、冥界の道具、妖怪の道具、魔法の道具……果ては外の世界の道具までが、雑然と陳列されているのが分かる。
中にはここでしか扱っていない、希少な物も少なくない。
しかし、この雑多な並び、霖之助さんにもどこに何が置かれているか把握しきれていないだろう。さっきから何かを取りに行ったきり、物置から出てこないのがその証拠だ。
もっと整理整頓すれば、ちょっとは客が寄りつくだろうになあ、と勿体なく思う。
「有った有った。これだ、この道具だ」
しばらくして、霖之助さんは和服にホコリを被せて物置から出てきた。その手には、箒のような長細いものが――っていうか箒じゃん、あれ。
「魔理沙は物持ちが悪くてね。いくつかスペアを作っておいたんだよ」
「そういえば、霖之助さんが魔理沙ちゃんにミニ八卦炉を作ったんだったな」
それだけではない。霊夢の巫女服や魔理沙ちゃんのいかにも魔女といったあの服は、すべて霖之助さんが作ったものである。
……ということは、霊夢のあの脇が大きく開けた扇情的な巫女服は、すべて霖之助さんの趣味ということだろうか?
「しかも魔理沙のモノとは違い、これは外の世界の燃料を動力としている。君でも問題なく空を飛ぶことができるだろう」
「おおっ。でも、お高いんでしょう?」
「お代は要らないよ。今日も雪掻きを手伝ってもらったし、君にはいつも世話になってるからね。だいたい霊夢や魔理沙はツケとか言って、一度も代金を払った試しがない。君だけからお金を取るのは気が引ける」
それはもう商売になっていないのでは、と思うが、生憎こちらの財布の中身は寒い。ただでもらえると言うのなら、俺は善意に甘えることにした。
空を駆けるべく、屋外へ出る。
俺が魔理沙ちゃんがしていたように箒に跨ると、霖之助さんがなにやらカチャカチャと、箒の傍らにあるボタンを弄りだした。
詳しいことは分からないが、不備がないか点検をしているのだろう。空のフライトで事故ったりでもしたら大変だからな!
「ああ、言い忘れていたが……」
一通りメンテナンスを終えたのか、霖之助さんが顔を上げる。そして、衝撃の事実を口にした。
「実は魔理沙に、もうちょっと箒の出力を上げられないかと頼まれていてね。この竹箒には魔理沙のモノより、五倍もの出力が備わっているんだ」
その言葉を最後に、景色が一変した。
霖之助さんが、香霖堂が、カリフラワーが、すべてが光の線となって後ろに流れてゆく。
ごわっという風切り音とともに、圧し潰されるが如く凄まじいグラビティーが俺の身体に襲い掛かる。体内の臓物が、一瞬ふわりと宙に浮いた気がした。
空を駆けたと言うのは烏滸がましい。これは飛んでいるんじゃない、振り回されてるだけだ。俺は箒にしがみつくので必死だった。
瞬く間に魔法の森を抜けて、霖之助さんの姿は小さな点となる。
加速が、止まるところを知らない。
俺は音速を優に超えて、迷い家の上を通り過ぎる。一向に終わりを見せない冬を前に
この日、ソニックブームが男の絶叫を幻想郷中に轟かせたと、後に聞く。
「うぉおおおおオオーーッ!」
「この楼観剣に斬れぬもなど――って、きゃあ! な、なに? 彗星でも落ちてきた?」
石垣に正面からぶち当たり、瓦礫の崩れる音が鳴り響く。
衝突の瞬間、花火が破裂したかのような、百骸九竅がバラバラになろうかという程の衝撃が走った。ぐらりと視界が反転して、平衡感覚がおかしくなる。妖怪じゃなければ、十中八九死んでいただろう。
「マジかよ! 霊夢の予想通り、本当に後を追ってきたぜ」
はしゃいでいるのか、いつもより高めの魔理沙ちゃんの声が、ガンガンと頭に響く。
荒々しい空の旅により、激しい吐き気と頭痛に見舞われている俺には、それがよく効いた。思わず顔を顰めてしまうほどに。
白い煙が晴れる。見知った三人と、見知らぬ少女の姿が顕になった。
「やっぱりね」
「これは驚きました……」
呆れたような声色だが、それとは裏腹に霊夢はどこか嬉しそうな顔をして。咲夜さんは信じられないといったふうに、ポカンと口を開けている。
そして彼女らと対峙するようにして、物騒にも剣を握った少女が佇んでいた。あっ、僕も物騒な大太刀を背負ってましたね。
少女はこの人が彗星? と、戸惑いながら呟いた。
いまいち状況が掴めない。だいたい、俺は冥府の結界を越えてきたのだろうか。いや、三人がいるということはそうなのだろうけど。
「ここは俺に任せて先に行けぇい!」
よく分からんが、とりあえずそう叫んだ。無論、考えなしのことではない。
冥界が本当に黒幕の住処だとすれば、俺が禍センサーで覗いた、あの禍々しく、黒々とした桜があるはずだ。アレには……あまり良い予感がしない。
霊夢たちには先に進んでもらい、それをなんとかしてもらいたかった。
「いいな! 男らしいぜ、砕過ちゃん。よし、二人とも先を急ごう」
「そうね……あとは頼んだわ」
「ご武運を、砕過さん」
三人とも頷いて、石階段を上っていく。
中でも霊夢は深刻そうな顔をしていた。おそらく、尋常でない桜の存在に勘付いたのであろう。心なしか、その背は急いているように見えた。
「あっ、ちょっと!」
手を伸ばし声を上げるも、少女は三人を追おうとはしなかった。
振り向き、少女のターコイズブルー・オーバードライブ色の瞳が、真っすぐと此方を射抜く。実直な性格をしているのが見て取れた。
霊夢たちを追わなかったのは、先に行けと言った俺のことを立ててくれたのだろう。
「ところでお嬢さん、少し頼みがあるんだが……」
「なんでしょうか?」
彼女が異変を起こした側だとすると、俺はそれを解決しに来た敵であるはずだが、意に介さず少女は小首を傾げてみせる。
我ながら、敵から頼みごとがあると話し出されても、そんなん知らんわと聞きもしないものだと思う。その点、やはり少女の律儀な性分が窺える。
「瓦礫に体が埋まって、さっきからピクリとも動かなくてな? ちょっとだけ手、貸してくれない?」
「……やっぱり、さっきの三人組を追おうかな」
「待ってぇええ!」
あっ、おい待てぃ(江戸っ子)