からくさ   作:エタリオウ

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 いやぁ、ジャパンカップ最高でしたね。初投稿かもしれない。


トルコアイス

 幻想郷から失われた春らしい暖気が、凍えた手足を温める。しばらくぶりに心臓が動き出して、急激に血が体中を巡るのを感じた。

 まったく春ってやつは、急な温度差は霜焼けになりやすいって母ちゃんから習わなかったのだろうか。

 

 咄嗟に自分の掌を見る。当たり前だが、そこにはちゃんと手があった。

 小町さんの手を借りたとはいえ、俺はあの瞬間、たしかに災いを操った。禍が災いを操ってしまったのだ。

 だからこそ、自分の手が透けていたりしていないようで安心した。

 

 依然として、死の香りが鼻先をくすぐる。思わず誘われちゃうような、柑橘系の甘い匂いだ。

 

 状況はあまり変わっていないようで、死の蝶が霊夢たち四人のところで団子のように群がっていた。

 どうやら結界は間に合ったらしい。蜂の巣みたいに蝶がうじゃうじゃと張り付いているが、霊夢の結界なら大丈夫だろう。きっと。

 

「待たせたな、名月」

 

 石畳に転がっていた名月を手繰り寄せる。

 俺の死んだ死んだ詐欺のせいで、ずいぶんと心配をかけたはずだ。その表情は今にも泣き出しそうに見える。

 腕の立つ剣士なら、刀の表情が読めるんだぜ?

 

『主っ! 生きてらしたのですね! 良かったです。あと少しで、腹を切って後を追っているところでした』

「やめて。お前が壊れたら幻想郷中に災いが蔓延する」

 

 本当に間に合ってよかったと思う。あとほんのちょっと遅れていたら、危うく天変地異が起こるところだった。こうして世界を救われたのだった。

 

 さて、と気合いを入れ直す。

 ふらつく体に鞭打って、名月を杖代わりに立ち上がった。

 

「やい妖怪桜ッ! 俺はまだ死んじゃいねーぞ!」

 

 勝手に殺すなクソ坊主! と息巻く。

 

 周囲の耳目が集まる。目がないはずの西行妖でさえ、眼差しをギョロリとさせた気がした。

 

「ウソだろ!? 砕過ちゃんがピンピンしてるぞっ!」

「まさか幽霊っ!?」

「生きているだろうと思っていました。悪運の強さは人一倍ですもんね」

「……ったく、心配したじゃない」

 

 皆が思い思いの声を上げる。口のないはずの西行妖でさえ、お前は確かにあのとき殺したはず……と驚いている気がした。

 

 ……なんだか咲夜さんだけ辛辣じゃない?

 あと魔理沙、ところがどっこいウソじゃない。あと妖夢、幽霊じゃないこれが現実(リアル)です。あと霊夢、心配してくれてありがとう。

 

「よく聞け、西行妖ッ!」

 

 鋭鋒を突きつける。耳がないはずの西行妖が、おもむろに耳を傾けた気がした。

 

 墨染の桜を前にして、深く息を吸い込んだ。

 

「俺は人間が大好きな妖、禍津神砕過である! どうあっても人々は守り通す! 軽々しく死なせるもんかっ!」

 

 あんなただの桜に、もう気圧されて堪るものか。

 俺は意気込む。ひたすらにまくし立てた。

 

「人間の守り神とは、俺のことだッ!」

 

 それが、原初の使命だった。

 この場にいる全員、漏らすことなく守り抜く。俺が災いを招く妖怪だというのなら、その災いすべてを斬り捨てる。

 

 果たして、聞き手に自我はあったのか。

 鼻がないはずの西行妖が、やってみろと鼻で笑った気がした。枝をざわめかせて、桜が啼く。絹を引き裂いたかのような声で、喚く。

 

 蝶や花びらが入り交じり、目前にごった返す。

 

「妖夢。安心してくれ」

「え?」

 

 視線を、結界の内側にいる妖夢に移す。きっと主人の身が心配で、気が気でないはずだから。

 

「亡霊だって元人間さ。お前の主様は、俺が必ず助け出す。だから、どうか安心してくれ」

「……ありがとうございます。幽々子様のこと、お頼みします」

 

 力強くうなずく。禍なのだから、災いを斬るのだって慣れている。

 

 今ならまだ間に合うはずだ。

 目を凝らせば、桜の幹に赤い線が見えた。幽々子という少女を、まだ西行妖から切り離せる。

 

「ハァああああッ!」

 

 石畳の上を駆ける。猶予はあまりない。韋駄天の如く速く、西行妖に肉薄する。

 

 行く手を阻む有象無象の蝶の群れを、一刀のもとに斬り伏せる。半円状に空洞ができた。すかさず足をねじ込む。

 

 休む暇もなく蝶が押し寄せてきた。全精力を傾注させて、それを悉く打ち落としてゆく。

 

 名月が凄まじい速さで縦横無尽に走り、幾十にも姿がブレた。

 さながら地獄の番犬ケルベロスのように、三つの首で蝶を刈り取る。これがセルフ・フォーオブアカインドよォ!

 

「すげえ! 砕過ちゃんって、あんなに剣技が達者だったのか!」

「いえ、私と剣を交えた時はあれ程は……」

「あれはパーペキ、集中の極致――ゾーンに入っていますね。もう一度やれと言われても、きっと同じことはできないでしょう」

「テクニカル過ぎてキモイわね」

 

 心無い罵倒が飛んできたが、気にしている余裕はない。視界の隅から隅まで、羽の生えた虫けらが埋め尽くしている。

 

 剣が縦に一閃。鶴瓶落としのように真っ逆さまに落ちて、地面もろとも蝶を砕いた。

 名月が弾む。それを蹴りで勢いづかせて、さらに薙ぎ払ってやった。

 

 正直、現状はかなり厳しい。

 なにより一発食らっただけでアウトってのがキツイ。野球だって三振まではアウトにならないっていうのに。

 

 名月を握る手が力む。俺には後がないのだ。

 もう一度死にでもしたら、小町さんも堪忍袋の緒を切らして閻魔様のもとへしょっぴくことだろう。

 いや、小町さんなら頼み込めばやらせてくれそうな雰囲気があるのだが、流石にそれは良心の呵責を感じるといいますか……。

 

「とにかく! 男なら、この一回で決めてみせろってもんだ!」

 

 啖呵を切ったのはいいが、勢い増す蝶の群れに攻めあぐねる。

 

 このままではジリ貧だった。

 持久戦となれば、こちらの体力が底をつく方が先に決まっている。それに、幽々子という少女は今にも消えかかっている、蜻蛉の命だ。

 

 焦燥がシミのように広がっていく。早く、この蝶の波をなんとかしなければ。

 

「砲禍ァ!」

 

 名月から放たれた闇が、蝶を一部削り取る。しかし、これでは足りない。

 砲禍は、災いを筒状に解き放つ技だ。扇状に広がる蝶たちの前では、どうしても端の方に打ち漏らしが出てしまう。

 

 こいつらを一網打尽にするには、直線の砲禍ではダメだ。もっと、災いを分散させなくてはならない。

 果たして、そこまで精密な災いの操作が俺にできるのか。

 重苦しい、臆病風が吹いてきた。

 

 誰かが、耳元でささやく。

 

 ――もし失敗すれば、後ろの霊夢たちは死んでしまうわよ。そこまでして幽々子を助ける理由が、貴方にはあるのかしら?

 

 悪魔の囁きだった。

 途端に、周りが紗がかかったように暗転しだす。霧深い森の中に踏み出すかのような不安が、俺を襲う。

 

 もちろん、できることなら幽々子を救い出したい。だが、しかし。

 心の奥底に、怯えている俺がいる。弱々しい、過去の自分を眺めているようだった。

 

 本当に俺は、災いを操れるのか?

 この手には四人もの命が乗っている。そう思えば思うほどに、思考が過去の自分に立ち戻っていくのだ。

 

 リスクと命を天秤にかけて、俺は――。

 

「うじうじしてんじゃないわよっ!」

「……霊夢?」

 

 叫び声に振り向く。瞳に映ったのは、霊夢の顔だ。

 その時、なぜだか、懐の押し花を思い出した。

 

「……ああ、そうだよな」

 

 霧が晴れてゆくかのように、勇気が湧いてくる。じんわりと、それが胸のあたりで優しく広がっていく。

 

「守り通すんだ。何もかも」

 

 もう、迷いはない。妥協なんてしてやるもんか。深霧の森だって踏覇してやろうじゃないか。

 

 名月を天高く構える。

 首巻きが靡く。周囲に、月光を呑むほどに暗い風が逆巻きだした。

 

 イメージするのは桜の花びらだ。

 ひらひらと、はらはらと。優雅に舞う桜吹雪を、ここに模す。

 

「“桜禍”ッ!」

 

 踏み込んだ左足は、石畳を砕いた。渾身の力で名月を斜めに走らせる。

 筆を振れば、墨が散る。

 あまねく災いは、綺羅星のように夜空へ鏤められた。

 

 禍々しいはずの災いを美しいと感じたのは、これが初めてだった。自分自身が生み出した災いなので、ナルシストっぽいかもしれないが。

 

 オーディエンスもすっかり見とれてしまったのか、蝶たちは逃げることなく、降り注ぐ災いの花びらをライフで受けた。

 道が開く。西行妖への一本道を、ひた走る。

 

「行っけーっ! 砕過ちゃん!」

「あともう少しですっ!」

 

 俺はもう足を止めない。

 西行妖がそうはさせまいと枝を振ってきても、それぐらいはしてくると思っていたので、華麗に横へ躱す。

 木の根が足払いを仕掛けてきても、ちょっと驚いたが叩き切った。

 

「名月、今宵は大盤振る舞いだ! 災いを半分開放して、アイツをぶった斬る!」

『了解ですっ!』

 

 地面を蹴って、空へと跳び上がる。西行妖を見下ろした。

 

 災いを開放する。これほどの量を一気に放つのは、生まれて初めてかもしれない。

 闇が広がり、空を覆う。剣に纏わりつく暗色は、さながらトルコアイスのようにわがままに伸びて、さらに伸び続ける。

 

「喰らえ、“砲禍・弦月”ッ!」

 

 名月を振りかぶる。

 幽々子と西行妖を分かつため、境界の赤い線をなぞりあげた。

 

 それはもう、剣というよりは槌のようで。

 西行妖が押し潰されて、カエルのようにぐえっと呻いた気がした。




 これにて春雪異変はお終いです。
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