美しい花々が咲き誇り、朗らかな春の暖かさが永遠に続く、とある仙界。
そこに構えた屋敷の中で、桃色の髪の仙人は物憂いげに頬杖をついていた。号を茨華仙。本名を茨木華扇というその片腕有角の仙人は、円窓に視線を向ける。
「訳もなく催された宴会に、立ち込める白い霧……。あの妖霧はどう考えても、萃香が一枚噛んでるわよね」
「……弟子のことが心配かい?」
円窓の外、露台の手すりに腰掛ける死神の名は小野塚小町。
何故ここに死神が? 仙人の命を刈り取りに来たのか? いや、違う。彼女はいつも通り、仕事をサボりにきたのだ。
本来、華扇の仙界は複雑な道順を進まない限り辿り着けないはずなのだが、厄介なことにこの死神は『距離を操る程度の能力』なるものを具有していて、彼女にとって道などあってないようなものなのだ。
華扇はうちをサボり場に使うな、と何度か道順を変えたりと試みたが、ついぞ諦めた。今は逆に
「そら心配ですよ。萃香の狙いは十中八九、あのバカ弟子でしょうから」
バカ弟子――なんて蔑称を使いながらも、華扇の口元はどことなく緩んでいる。それから長らく会っていないことを思い出して、顔に翳りを落とした。
「へえ、仙人様が珍しく素直だね」
「失敬な。私だって弟子の心配くらいはします」
心配くらいは、なんて、あたかも普段は弟子のことなど最低限しか考えていませんよといった口ぶりだが、華扇は年がら年中弟子のことしか頭になかった。小鳥から弟子の近況を聞いては一喜一憂するその姿はもはやお笑いである。
それを知っている小町は呆れ顔をしている。
「アンタは負けると思うかい?」
「まさか」
答えは分かりきっていたようなものだが、小町は敢えて訊いた。
「剣も兵法も、砕過に虎の巻を授けたのはこの私です。それに――」
それに――に続く言葉を小町はすぐに分かった。思わずああ、もういいよと遮りたくなる。それは何度も聞いたから、と。
「彼は私の腕を、斬った男ですから」
右腕の包帯の繋ぎ目を、愛おしそうに摩る華扇。小町はやれやれと肩を竦めた。華扇の話はいつも、結局その惚気話に収束するのだ。
「……そろそろ弟子離れした方がいいんじゃないのかねえ」
そんな悩ましげな死神の嘆きは、闇夜に紛れた。
「死ぬ! こんなん確実に死ぬぅ!」
視界は萃香でいっぱい。着流しをはためかせながら、絶え間なく飛んでくる拳をなんとか躱す。
避けきれないものは手で払う。傍から見れば、さながら仲睦まじく社交ダンスでもしているふうに映るのだろうか。みっともなく俺が叫んでいるのに目を瞑ればね。
「もう少し頑張りなよぉ、私を本気にさせたんだからさあ!」
「そっちが勝手に本気になったんだろうが!」
砲禍・追い風――背後に向けて砲禍を放つことにより、推進力でぶっ飛ぶという師匠すらも対応できなかった秘技。
俺は確かに密着状態に持ち込んで、渾身の一刀を萃香に浴びせたはずなのだが……。
「いやぁ、さっきはマジで危なかったね。使わないつもりでいたのに、能力使っちゃったもん」
振り抜いた太刀にはまるで手応えがなかった。なんと名月が通り過ぎた萃香の体は、空気に溶けるように霧と化していたのだ。
「私の能力は『密と疎を操る程度の能力』。強力過ぎるから遊びには使わないようにしてたんだ」
ふいに萃香の眼光が鋭くなる。
遊びでは能力を使わない――故にそれは、此処からは遊びではなくなったことを意味する。
「密は萃める、疎は散らす……なるほど。霧になれるのも、現在進行系で分身の術を使えているのも、全ては密度を操れるからかよ」
「ついでにこの寂れた神社に人を萃めたのもね」
聞いているだけで目眩がしてくる。
なんだ、その規格外の能力は。何が程度の能力なんだよ、万能すぎるだろうが。
「それより、その大太刀さ。ただの刀じゃないとは思ってたけど、斬られて分かったよ……鬼切丸のかけらを混ぜたね?」
「鬼切丸? いや、知らん」
「はへ?」
聞き覚えのない名前だったのでハッキリと否定すると、よほど確信があったのか萃香は間の抜けた声を洩らした。
「だいたい名月を拵えたのは師匠だし……どうやったらこんなに禍々しい刀に成るのか、俺が知りたいくらいなんだよ」
「華扇が? 何故そんな刀を弟子に持たせている……鬼切丸といえば、自らの腕を斬り落とした忌々しい剣じゃないか……」
顎に手を当てて萃香は思案に耽る。自分の考えを整理するかのように、小さな言葉を呟き続けていた。
程なく、あっと大きな声を上げた。
「そうか、そうか……! 分かったぞ、華扇の考えが! 最初からアイツは弟子に自分の腕を斬らせて、再封印を施す魂胆だったのか!」
「はあ」
喉を鳴らすのが面倒だったので、息を吐くことで返事をする。
「華扇が弟子を取るなんておかしいと思ったんだよ。道理でねぇ、端からその腹づもりで育てたってわけか」
「おぉん」
口を閉ざしたまま、適当な相槌を打つ。
「……なんだい、さっきからその生返事は。今までアンタは信頼する師匠に利用されてたってことだよ?」
ぞんざいに返事をしすぎたか、半眼でじっとりと萃香が此方を睨めつけている。
なんだよ、萃香は俺の困惑する姿が見たかったのか? 幼女のくせして、サディスティックな気質のあるやつだな。
「いや……師匠の目的はとっくに知ってるし、もう終わったことなんだよ」
「終わった? えっ、斬れたの?」
「うん、斬っちゃった」
来ちゃった♡にニュアンスが似ているな、なんてクソどうでもいいことを頭に浮かべながら首肯する。
「いや、いやいや、それにしてもだよ? アンタを拾って育てたのは純粋な善意からではない。思うところはないの?」
「うーん……」
そんなことを聞かれても困ってしまう。
萃香は俺の中の師匠をどうしても悪役にしたいのだろうか? それとも、大師匠として二人の信頼関係がなっているのか試しているとか?
いずれにせよ、どんな言われ方をしたって今更俺の師匠への印象は変わらない。
「俺の師匠はそんなに器用な人ではないんだよ」
「うん? そうだね、華扇は不器用だ」
萃香も頷く。こんなことを本人に言えば、きっと叱られるのだろうけど。
でも、本当に俺の師匠は不器用で、嘘をつけない真っ直ぐな人なんだ。そんな人柄だからこそ、動物たちも寄ってくるのだろうな。
「だからさ、俺に見せてくれた表情は本物だったと思うんだ。そこにあった涙も、笑みも、決して偽りなんかじゃないって。だったらそれで良いじゃんか、っと俺は思うんだけど……」
尻すぼみになってしまったのは許してほしい。こそばゆい気持ちを紛らわすように頬をかく。
この場に萃香しか居ないのが幸いだな。当の師匠に聞かれでもしたら、会うのが気まずくなる。顔が火照るのを感じた。
「へえ……面白いやつだね、アンタ。そうだ、名前を聞かせておくれよ」
「禍津神砕過太郎です」
これから鬼退治に挑むという意気込みから、太郎を付けて名乗った。場所は博麗神社の裏で、犬も猿も雉も家来は居やしないが……でも桃太郎の名を借りる。俺は形から入るタイプなのだ。
「禍津神砕過太郎! これからは華扇の弟子ではなく、一人の男として相手しようじゃないか!」
「やめてください」
「嫌よ嫌よも好きのうち、ってね!」
俺の心からの嘆きは萃香の耳に届くことなく、俺を囲むように人影が動き出す。もはや数えるのも億劫なのだが、その人数はおよそ十人くらい。
一様に同じ顔をしていて……そう、すべてが小さな萃香である。
能力で自分自身を散らしたのか。たった一人で百鬼夜行を作り出してやがる。
「さあ行くよ、私達っ!」
「来ないでください」
萃香の掛け声で、一挙に萃香たちが押し寄せる。
ちょうど季節は夏に差し掛かろうとしている頃、この大群が萃香ではなく
――っと、現実逃避をしている暇はない。嵐のような激しい拳打が目の前にまで迫ってきている。フランのフォーオブアカインドを髣髴とさせる光景だ。
いや、やっぱり全然違う。こっちの方が2.5倍も数が多かったわ。
「負けイベかぁ!?」
どうする、どうする? 内なる自分に語りかける。
ハンサムな砕過太郎は突如反撃のアイデアをひらめく――いや、これには期待できない。だってハンサムじゃないし。
霊夢たちが颯爽と現れて助けてくれるか――いや、これにも期待できない。だってアイツらベロンベロンに酔っ払ってたし。
躱せない、のか? 現実は非情なのか?
「いいやっ、諦めるな!」
弱気な自分の背中を蹴り飛ばすかのような思いで、地面を力強く蹴りつける。瞬く間に萃香の百鬼夜行を一望できる高さまで、俺の体は跳ね上がった。
「飛んで火に入る夏の虫ってのはこの事かい? 宙に逃げ場なんてないよぉ!」
視点を変えてみなさい――師匠が常々口にしていた。どうしても無理だと感じたのなら、まず見方を変えること。
本当に相手は強大なのか? 数の多さで、過剰に捉えているのではないか?
たった一人で百鬼夜行を作ることが凄いのか? 見方を変えれば、独りぼっちの百鬼夜行。略してぼっち百鬼夜行だぞ? いや、違うそうじゃない。これじゃただ萃香を貶しているだけだよ。
「高所を取ったことで見えたぜ――そのぼっち百鬼夜行を一網打尽にする手段がッ!」
「ぼ、ぼっち百鬼夜行ぅ!?」
何か胸のうちに秘めておくべきことを失言したような気もするが……今は萃香にだけ意識を傾けよう。俺は名月を頭上に振りかぶる。
〝砲禍・波及〟
足下を目掛けて、災いの奔流を解き放つ。
地面に注がれた災いは草木を枯らしながら波状に広がり、やがて萃香の群れまでも巻き込んでしまう。さながら大きな沼のようなものが、博麗神社の裏に形成された。
「やったか!?」
言ってから、しまったと口を押さえる。
「……ぼっち、なんて私を罵ったのはお前が初めてだよ」
頭上から声がした。
身の毛がよだつような恐怖を覚える。声のオクターブが心做しか一段低くなっている気がした。
〝ミッシングパワー〟
視界の端で霧が萃まっていくのが見えた。それに伴って頭上の萃香の気配がどんどん濃くなる。
萃香が今まで使っていたのは疎を操る能力の方だ。自分自身を散らすことによって、霧と化したり分身したりと様々な芸を見せてくれた。
その散らばった萃香の力が集っている。これが疎と反対の、密を操る能力。ちょっと振り向くのがおどろおどろしすぎるのだが。
「あの、もしやお怒りでいらっしゃる……?」
「いやいや? 私はそんなに短気じゃないよ。ただちょーっと、本気でぶん殴らせてもらうだけさぁ!」
「わあー」
あちらこちらに四散していた霧は一点に萃まり、なんと萃香は星に手が届きそうなほどに巨大化していた。
どうしてそんなに大きくなっちゃったのか。真面目にやってきたからかな。
いくら能天気な俺でも流石にこの萃香の体躯にはビビった。こんな奥の手を残していたなんて、まだまだ遊びの範疇だったんじゃないか。
「ぶっ潰れなあっ!」
萃香が腕が振りかぶる。視界いっぱいが巨大な拳で埋まる。
圧倒的な力を前にして、俺はどうすればいいのか分からなくなった。このままじゃ潰される。どうする? いつも通り砲禍をぶっ放すか?
いや、でも……。
勝負にすらならない。俺にはこの暴力に太刀打ちできないと、本能が告げている。
しかし、やらねばならない。萃香に一矢報いることで、師匠の四天王最弱の汚名を雪ぐのだ!
「鬼退治と行くぜ、名月っ!」
『ごごぼっ! ごぼぼぼ!(はいっ!)』
刀身に墨色の災いが満ち満ちる。
これを解き放てば、いつもの砲禍の出来上がり。簡単三分もしないクッキングだ。
だが、それではいけない。萃香の拳とぶつかり合っても、簡単に打ち破られてしまうだろう。ただの砲禍じゃダメなんだ。
「萃香が力を萃めるのなら、俺だって……!」
世界が消え失せんばかりの大地震、大噴火、大
自然の暴虐を――大災だけを萃める。
些細な災いを篩にかけ、大災を手繰り寄せる。一つでもしくじったら幻想郷がえらいことになるから、非常に繊細な作業が求められる。
俺は神経をすり減らしながら、それらを束ねていく。
「名付けて、〝豪禍〟」
図体はお馴染みの黒、瞳だけは宝石のように煌めく赤色。
数多の災いを束ねた濁流は、とぐろを巻く龍の形を象った。その龍は生きているかの如く、上下左右に畝りながら突き進む。
蛇行してしまうのは大災の制御が難しすぎて真っ直ぐにできない、という情けない理由があるのだが、奇跡的に良いアクセントになっている。
鬼の拳と漆黒の龍。二つが交わり、その力の天秤は吊り合わ――ない。
ぎりぎり相殺できるかできないか……そんな俺の予想は大きく外れた。
二つの力は並ばない、拮抗しない。あっという間に黒き龍は萃香の腕を食い破り、そのまま天へと登っていったのだ。
萃夢想は新技のオンパレードやなぁ。